スオミ
むさしの日記(14) ヨハンナ・ハリュラ
素晴らしい桜の時季はもうずいぶん終りました。けれどもまた北日本でそれが進みます。そして他のところで自然は美しい緑に変ります。けれどもこの美しい時季に、大阪地方で、大変大きい残念な脱線事故が起こりました。この事故にあった人々のために神様の豊かな慰めと癒しを祈ります。
先週は、フィンランドからArja Etola牧師がむさしの教会を一週間くらい訪問され、いろいろな素晴らしい経験をされました。Arja Etola牧師から大柴牧師と皆さんに心から有難うとの事でした。Etolaさんのフィンランドの生活に、そして特に仕事に、この日本での五週間の経験は大変大きな意味になりました。
今回は少しフィンランドのルーテル教会の歴史について分かち合いたいと思います。フィンランドが独立したのは1917年で88年前のことです。けれどもキリスト教がフィンランド地方に入って、今年でちょうど850年記念です。ビショップのヘンリッキがフィンランド地方に伝道旅行をしました。その旅行の間にラッリがヘンリッキを殺しました。この大変なことのお蔭で、フィンランド地方のキリスト教の始まりは、よく思い出されます。またフィンランド語の始まりに、キリスト教が大きな影響を持ちました。またこのヘンリッキの伝道旅行のお蔭で、フィンランド地方に広まったのはルーテル教会であり、ロシア正教ではなかったのです。またこのことでフィンランドの独立運動にも大きな影響がありました。今のフィンランドのルーテル教会の歴史を考えると、いろいろ大変なことがあったけれども、850年の歴史は大変意味深いことです。いま専門家はいろいろな論文の中でヨーロッパの未来についてこう書いています。これからはヨーロッパのキリスト教会が気をつけないと、キリスト教はヨーロッパですごく少なくなると。そして、未来のキリスト教はアフリカとアジアで多くなると。このようなことの中で、世界中のキリスト教の歩みの上に、神様の豊かな導きと祝福が続くように祈ります。
5月16日、私はフィンランドに帰り、私を支えてくれている10の教会でいろいろな報告と訪問をします。それで、残念なのですが、日本とむさしの教会から3ヶ月くらい離れることになります。けれどもまた8月30日から一緒に生活し働くのを、本当に楽しみに待っています。その間もフィンランドで、むさしの教会と皆さんのために祈ります。
まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。わたしは彼らを諸国の民の中から連れ出し、諸国から集めて彼らの土地に導く。わたしはイスラエルの山々、谷間、また居住地で彼らを養う。わたしはよい牧草地で彼らを養う。イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる。彼らはイスラエルの山々で憩い、よい牧場と肥沃な牧草地で養われる。わたしがわたしの群れを養い、憩わせると、主なる神は言われる。わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。(エゼキエル書34:11-16)
(2005年5月号)
むさしの日記(13) ヨハンナ・ハリュラ
またもう一回イースターおめでとうございます。日本の自然は一番美しい季節にやっと変りました。今年の冬は普通より寒く長かったのですが、けれどもちょうどイースターのお祝いの時に、美しい自然が、日本でも現れました。フィンランドでも、もちろん雪はまだあるけれども、毎年イースターの時季に、初めの春のサインが出てきます。例えば鳥の歌声とか、明るい色とりどりの小さな花が咲き始める時季です。けれども不思議なことに、聖金曜日はだいたいいつも曇っているか、あるいは雨の日の印象が残っています。自然もこんな苦しい痛みの日に泣いていると、昔からフィンランドで言われてきました。そして四日間の連休があるので、町の様子はクリスマスみたいにすごく変った静かな様子です。いま私は少し慣れましたが、例えば日本で聖金曜日の日、町の様子は普通の様子で、自分の心がすごく苦しく感じます。
去年の秋から世界中の自然で、いろいろ大変なことが起こりました。世界中と特にアジアをびっくりさせた12月26日のスマトラの大地震が、ちょうどクリスマスのお祝いの時季に起こりました。そしてまた3月29日イースターのお祝いの時季に、200キロ離れて同じ地域に大地震が起こりました。また日本でも新潟と福岡に地震が起こりました。
神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦
苦難の時、必ずそこにいまして助けてくださる。
わたしたちは決して恐れない
地が姿を変え
山々が揺らいで海の中に移るとも
海の水が騒ぎ、沸き返り
その高ぶるさまに山々が震えるとも。
大河とその流れは、神の都に喜びを与える
いと高き神のいます聖所に。
神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。
夜明けとともに、神は助けをお与えになる。
すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。
神が御声を出されると、地は溶け去る。
万軍の主はわたしたちと共にいます。
ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。
主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。
主はこの地を圧倒される。
地の果てまで、戦いを断ち
弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。
「力を捨てよ、知れ
わたしは神。
国々にあがめられ、この地であがめられる。」
万軍の主はわたしたちと共にいます。
ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。 (詩篇46)
(2005年4月号)
むさしの日記(12) ヨハンナ・ハリュラ
3月は教会の生活の中でいろいろなイベントがあります。そしてその中で一番大切なのはイースターの時期です。今年の冬は長くて寒い冬でした。あるところでは雪もいっぱい降りましたが、東京ではあまり降りませんでした。けれども雪が降る場合いつもいろいろな問題が起こるようです。フィンランド人の私にとって雪は普通のことです。そして車を雪の中で運転するのも普通のことです。普通、雪の場合問題はないんです、けれども凍っている道は一番怖いです。冬のタイヤがあっても怖いです。そして温度が下がったり上がったりすることも大きい影響を与えます。フィンランドでは運転勉強の時、特別な雪と雨の中を運転する練習があります。
2月26日、後藤直紀牧師と船橋由起さんの結婚式が名古屋で行われました。大勢の人達が東京からも集まりました。それは東京から行った人達にとって、お嫁さんの名前の通り、思い出の日と結婚式になりました。金曜日の朝、東京でも雪が降りました。けれども土曜日の朝はいい天気でした。朝5時30分東京から車で出発。私にとって朝の日本の景色がとても素晴らしかった。富士山もとても美しく見えた。明るい気持ちで名古屋までの370キロはあっという間に着きました。名古屋教会で結婚式が行われ、牧師夫婦の新しい生活の始まりを一緒にお祝いしました。そしてそこを15時に出発して東京へ向かいました。天気はとてもよかった。帰りも何にも問題ないと思った。静岡まではいい天気でした。富士山もまた近く、美しく見えてきました。けれどもその後は雨が降り始めました。そしてまだ何にもないとき、高速は閉まってしまい、皆は他の道路へ移動しました。そこから長い問題の時期が始まりました。雪が降り始め、とても懐かしい気持ちでした。道路はまだ全然大丈夫だったけれど、渋滞で車は動いてなかった。時間がかかり、このままあんまり進まないと道路が危険になるという心配がありました。温度はだんだん下がり、いろいろな車には坂を登るとき問題が始まりました。例えば坂を登る時いろいろな車が後ろへ向いてきました。自分の車も怖かった、けれども他の大きい車とトラックは私達にとって一番怖かった。3時間くらい全然動かなかったことと安全のために休憩を決めました。他の車に連絡しながら、できるだけ電車で戻ることを勧めました。私の車の3人が御殿場から電車で帰りました。そして私は一人で車を東京まで運転しました。朝ご飯を7時に食べた時、また、富士山が美しく見えてきました。心の癒しを感じました。やっと高速に乗り、教会に無事戻り、大きな感謝です。朝運転していた時、フィンランドの青年讃美歌を歌いました。「朝にも、昼にも、夜にもあなたを感謝します。私は分っている。あなたはいつも私と共にいて下さることを」。
イースターの時期にも、暗やみの中で大きな助けと救いかあります。
(2005年3月号)
むさしの日記(11) ヨハンナ・ハリュラ
もう2005年も2月半ばになりました。そして教会暦を見ると、もうレントが始まりますと、イースターは今年はもう3月27日です。本当に時間はあっという間に来ます。この間書いた後は、世界中にとって、そして私にとっても大きなターニングポイントがありました。2004年の12月26日は、大勢の人々にとって世界の終りの瞬間に見え、また、大勢の人々にとってこの世の中での最後の瞬間でした。その時この世の時間は残った人に対して止まってしまったように感じたかもしれません。この津波は世界中にとって、そして特にアジアにとって大変悲しいことでした。そして、どこに、どのくらい影響があるか、誰にも理解は出来ないかもしれません。けれども影響は大変大きいと皆理解が出来ます。どうしてこれが私にとっても大きな影響があったか、それについて少し書きます。
実は私の兄は、地震と津波の起こった時に、タイのプーケットにいました。幸いなことに兄は無事だったのですが、でも、話はこれだけではありませんでした。私にもプーケットに行く予定があったのです。もうチケットも払い、出発は27日の朝でした。けれども私は二週間前から不思議に不安になりました。行かないほうの気持ちが深く感じられましたので旅行をキャンセルしました。でもまだ兄の旅行について不安があったので、ちょうど25日、友達と一緒に兄の旅行の安全について祈っていました。けれどもこんなことになって本当に信じられない気持ちです。その時私と私達の家族に「新しい人生の時間」がまた始まりました。もちろん、感謝とうれしい気持ちで心が一杯になりました。けれども、よろこんでいていいでしょうか、心の中で声があります。たとえばフィンランドとスウェーデンには津波の被害によって悩みと苦しみの中にいる方がたくさんいます。そしてまた安否が分からない方がたくさんいます。フィンランド、スウェーデン、他のヨーロッパには地震や津波はあまりないけれども、今回のことはそこの国の人々にも大きな影響がありました。たとえば私は日本に住んでいます、けれども兄が先にこんな大変なことを経験しました。また最近のことを考えると、野口玲子姉の弟さんが、ずっと元気だったのですが、急に亡くなられました。大変悲しいことです。この悩みと悲しみの中にいる人々のために神様に祈りたいと思います。
どうしたのか、海よ、逃げ去るとは
ヨルダンの流れよ、退くとは
山々よ、雄羊のように
丘よ、群れの羊のように踊るとは。
地よ、身もだえせよ、主なる方の御前に
ヤコブの神の御前に
(詩篇114:5-7)
主を畏れる人よ、主に依り頼め。
主は助け、主は盾。
主を畏れる人を祝福し
大きな人も小さな人も祝福してください。
主があなたたちの数を増してくださるように
あなたたちの数を、そして子らの数を。
天地の造り主、主が
あなたたちを祝福してくださるように。
(詩篇115:11,13-15)
(2005年2月号)
むさしの日記(10) ヨハンナ・ハリュラ
もうすぐ、2004年が2005年になります。2004年は世界中でいろいろなことがありました。そして、日本でもいろいろ悲しいことがありました。皆さんそれぞれの人生の一年の歩みの中でも、いろいろあったかもしれません。年の終りと初めは、それぞれの人にとって自分の人生を考える時期です。人生の中にはいろいろな時があります。考える時、静かな時が必要だと思います。
ある小さな町に僅かの住民がいた。そこへ強大な王が攻めて来て包囲し、大きな攻城堡塁を築いた。その町に一人の貧しい賢人がいて、知恵によって町を救った。しかし、貧しいこの人のことは、だれの口にものぼらなかった。それで、わたしは言った。知恵は力にまさるというが、この貧しい人の知恵は侮られその言葉は聞かれない。(コヘレトの言葉 9:14-16)
初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。…わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。(1ヨハネの手紙 1:1,2,5)
それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じような大祭司となられたのです。(ヘブライ人への手紙 6:18-20)
私たちのためにもエルサレムであかちゃんが生れました。そして、大きな光と力と愛になりました。
(2004年12月号)
むさしの日記(9) ヨハンナ・ハリュラ
この10月はまた、日本にとって大変な時期になったと思います。そして特に私にも人生の一つと、日本に住んでいる間の大きな思い出になりました。本当にこの夏と秋は毎年と違って、自然の大変な強いことが起こりました。東京はまだ今回の大変な時期を経験してないですけれども、他の地域で起こった事でも大変つらいことです。実はフィンランドからもいろいろな質問が出てきます。“皆さん無事ですか”と励ましのことを、悩みの中にいる人々に伝えたい。
一つ不思議なことは、フィンランドの大統領が短い時間日本に来られて、強い台風23号と新潟の23日(土)の地震を経験されました。10月の初めにフィンランドのミッションの修養会が神戸でありました。そこで阪神大震災の博物館においでになりました。そしてそこで、たくさんの中学生、高校生のグループに会いました。その時は私達のクループだけが外国人でした。学生達はとてもびっくりしました。私達は皆日本語を話しましたから。そのお蔭で話がたくさん出来ました。「何を日本でしておられますか?」と皆は聞き、そしてそこからまた別の話しが始まりました。今年の国連デーで、フィンランドのハネロン大統領が講義をして、そして、いろいろな国連の仕事のアピールがありました。大変いい日でした。特に私にとって、そんなにたくさんの日本の大学生達に会えてとても嬉しく、勉強になったことでした。
10月にはむさしの教会で3つの素晴らしいコンサートがありました。また、CSの中学科の楽しい餃子パーティもありました(10/31)。またぜひ何か一緒に作りましょう!
また一つ不思議なことは、あるところでフィンランド語の讃美歌をフィンランド語で二人の青年が歌いました。あとで話しをしていたら、二人は宣教のためのロゴスの船で働いています。そして、日本で働いている宣教師と話し合うことが出来て、すごく感動したようでした。こちらからは、フィンランドの青年に、この様なきっかけで宣教師として伝道をすることについて話すことが出来て、本当にうれしかった。
またカトリックとルーテル教会の合同礼拝では、たくさんの青年達が出席しました。この世界中のいろいろなところで未来は余り明るく見えてないけれども、なんとか、福音の力を通して、人生と世界中が、悩みの中でも明るい光が見えてきますように。
闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
(イザヤ 9:1)
主である神はこう言われる。
神は天を創造して、これを広げ
地とそこに生ずるものを繰り広げ
その上に住む人々に息を与え
そこを歩く者に霊を与えられる。
主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び
あなたの手を取った。
民の契約、諸国の光として
あなたを形づくり、あなたを立てた。
(イザヤ 42:5,6)
(2004年11月号)
むさしの日記(8) ヨハンナ・ハリュラ
もう9月の終りです。けれどもやっと秋の雰囲気に変りました。皆さんはどの様に今年のこの暑い、珍しい夏を過ごしたでしょうか。教会でも普通の秋のスケジュールに入りました。そしてそれ以外にいろいろな特別なプログラムも入っています。特に10月に三つのコンサートがあり、そして市ヶ谷教会とむさしの教会との合同の修養会もあります。また、私自身のスケジュールの中で、今年も秋のSLEY(フィンランドルーテル福音協会)の修養会があります。その他にも、フィンランドからの三つのミッションの集まりがあります。
9月19日の日曜日、教会で大柴先生の帰国報告会がありました。その中で先生のホスピスでの素晴らしい経験のお話がありました。そしてまた、四つのグループに分かれて意義深い話し合いが出来ました。とても素晴らしい一日の修養会でした。その日のお蔭で私自身が、ちょうど一年前の大切な時期を振り返ることが出来ました。一年前、父の弟が63才でテレビを見ている時に急に亡くなりました。それが私達の家族とハリュラ家全体にとって悲しい時期だったのです。けれども後で考えてみると、とても大切な時期になりました。そして私自身にとって意味深い時期になりました。
実は、父と特に母の実家が遠いので、あまり会うことが出来なくて、けれども父の実家のそばで夏を過ごしたので、私は父の弟の家族と特に親しくなりました。私の父方の祖父母も、母方の祖父母も、私がまだ15才くらいの時に亡くなりました。その関係で叔父さんと叔母さん達がとても大切になりました。特に父の実家に住んでいた弟の家族がそうです。実は父の兄が50才くらいで癌で亡くなりました。そしてよく覚えているのは、ホスピスへお見舞いに行ったことです。そこで私は母と一緒に、叔父さんの希望で、讃美歌を歌ったり祈ったりしました。今も忘れない、全然怖くない、明るい思い出です。
今、私の姉の子供と、私の兄の子供のことを考えると、私は“大切な叔母さん”になりたいと思います。私には叔父さんと叔母さんが11人いました。今も8人います。けれども、姉の子供には叔父さん叔母さんが3人、兄の子供には叔父さん叔母さんが5人です。それでも嬉しいことに、姉と兄の子供達は、叔父さんと叔母さんとの関係が親しい関係です。特に私自身が、一年前の時期と人生の歩みを振り返ると、親戚の人はみんなの人生の大切な人達です。
子らよ、父の諭しを聞け
分別をわきまえるために、耳を傾けよ。
わたしは幸いを説いているのだ。
わたしの教えを捨ててはならない。
わたしも父にとっては息子であり
母のもとでは、いとけない独り子であった。
父は私に教えて言った。
「わたしの言葉をお前の心に保ち
わたしの戒めを守って、命を得よ。
わたしの口が言いきかせることを
忘れるな、離れ去るな。
知恵を獲得せよ、分別を獲得せよ。
知恵を捨てるな
彼女はあなたを見守ってくれる。
分別を愛せよ
彼女はあなたを守ってくれる。
(箴言4:1-6)
(2004年10月号)
むさしの日記(7) ヨハンナ・ハリュラ
夏が終り、秋が来ました。けれども夏の暑さがまだまだ続きます。今年は台風と大雨がとても多い夏でした。今もちょうど、とても強い台風16号が通り過ぎました。そして今もう18号が続きます。この夏の天気は猛暑と大雨と強い台風の珍しい夏でした。
むさしの教会についてもこの夏は珍しかったと思います。大柴牧師は三ヶ月アメリカで臨床牧会教育の研修を受け、終了されました。お帰りなさい、主に感謝! その間、いろいろな方がむさしの教会を支えて下さいました。有難うございます。私もまた大変勉強になりました。
今年の夏のもう一つの大きな素晴らしいことは、韓国から21名のグループが旅行で来たことです。ちょうど夏の暑い時に日本に来て、むさしの教会で泊り、東京老人ホーム、ルーテル学院大学、山谷を訪問し、ホームステイも経験し大いに喜ばれました。そして、8月15日の主日には、上村敏文兄から「地に投げられた火」と題してメッセージを頂きました。そして、むさしのゴスペルクワイアと信徒達と一緒に素晴らしい賛美礼拝をお祝いしました。この様なことはむさしの教会では初めてのことと聞きました。本当に素晴らしい温かい祝福の風でキリストと一つになることを大いに感じました。また、思い出だけでなく、デジカメで1500枚の写真を韓国のグループが撮ったと聞き、びっくりしました。韓国のグループとこの経験から、私は大いに学んだのです。
あなたを愛します 心から愛します
あなたを愛します 心から愛します
愛する息子 あなたを忘れない
愛する娘 あなたも忘れない
愛する息子 あなたを祈ってる
愛する娘 あなたを祈ってる
又この同じ時期、ご存知の通り、アテネでオリンピックがありました。日本おめでとう! アテネの結果は素晴らしい成績となりました。実は私も日本のメダルラッシュを楽しみました。フィンランドは銀メダル2枚だけで、前と比べいい結果ではありませんでした。でも、結果は関係ないのです。神さまとイエスさまが私達一人一人にこの様に言われました。
山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと
あなたを憐れむ主は言われる。 (イザヤ書54:10)
(2004年9月号)
むさしの日記(6) ヨハンナ・ハリュラ
帰ってから一ヶ月過ぎましたが、また少しフィンランドの旅行の話をしたいと思います。今年は5月にフィンランドに帰って、ちょうどペンテコステの礼拝に戻りました。たった3週間の旅行でしたが、とても楽しい大切な時期でした。今回の旅行の一番大きな目的は、父の70歳の誕生日でした。それは、フィンランドでは、人にとって人生の大きなお祝いの一つです。最近のフィンランドでは、家族の親戚の人が一緒に集まるきっかけが、いろいろな理由で少なくなってきました。そのため、親戚の人と出会うことは珍しいことです。父の兄弟は10人でまだ7人生きています。そして私達いとこは25人です。今回の父の誕生日パーティに、兄弟みんなと大勢のいとこ達が実家の隣の小学校で出席しました。それは皆にとても温かい良いパーティとなりました。そして私は大勢の親戚の人に久し振りに会い、一緒の時を持つことができ、とてもうれしい大切なことでした。
最近一つ大いに気が付いたことは、自分の家族のことと“私”の大切さです。自分の家族のことと“私”をしっかりと勉強すれば、そこに自分の人生を理解する鍵があると思います。この同じ旅行の時、私達の一番上のいとこの50歳の誕生日をお祝いしました。それも私にとって大きな出来事でした。また、私が堅信を受けた牧師先生の50歳の誕生日もありました。そしてまた、日本に帰る最後の日には、私の一番上の GOD CHILDREN (洗礼の時私が教保をした)の高校の卒業式がありました。高校の卒業式も本当に久し振りでした。そして、それもとても大切な喜びのお祝いの経験でした。今回の旅行は、楽しいお祝いの旅行になりました。そしてこのたくさんのお祝いのお蔭で、自分の人生を大いに振り返りました。たった3週間の旅行、けれども私には大きな影響があり、そして今も続いています。
私は5月8日に日本を出発しました。そして次の日に母の日があったので、そのお祝いが一緒にできたことも心から感謝したいことです。今回の旅行はとてもよかった。両親と話し合うこと、また、ママのおいしい料理を食べることができたことも、夢のようなことです。
いつ誰と最後に会えるかということは、私たち誰にも解らないことです。そのために、今、この時が、とても大切です。離れることはつらいけれども、会える意味と会える時は、すごく大切なことです。離れることがなかったら、新しく会えることもできないのですから。
主はこう言われる。
「さまざまな道に立って、眺めよ。
昔からの道に問いかけてみよ
どれが、幸いに至る道か と。
その道を歩み、魂に安らぎを得よ。」 (エレミヤ書6:16)
(2004年7/8月号)
むさしの日記(5) ヨハンナ・ハリュラ
又あっという間に一ヶ月が過ぎ、やっと暖かい日が続くようになりました。この一ヶ月の中にもいろいろ心を動かされることがありました。その中にキリスト教の一番大きなお祝いイースターを過ごしました。今回のイースターの時期も忘れることが出来ない時期になりました。
受難週の水曜日にあった証会では、五人(磯村直美姉、小山泉姉、野口玲子姉、永吉秀夫兄、山ノ内道子姉)の、心を動かされる証しがあり、木曜日には過越の食事があり、金曜日には大柴先生と神崎神学生、岡野神学生を通して十字架上の七つの言葉についての黙想の礼拝がありました。そして日曜日の復活祭には、すばらしいイースター礼拝とコンサートをお祝いしました。
イースターの前にも沢山のすばらしい出来事がありました。神様の不思議さを感じさせられました。イースターの一週間前には原貴恵子姉の堅信式があり、一週間後には益田啓作先生の転入式がありました。けれどもまたこれだけではなくて、もう一つの忘れられないお祝いがありました。それが大森暢之兄の洗礼式のことです。4月7日、受難週の水曜日に大森兄の家で、このすばらしいお祝いのことを一緒に感謝して喜び祝いました。私にとってこれが、私が初めて日本の家でお祝いした洗礼式でした。けれどもそれは私だけでなく、たぶん他の皆さんにも喜びと感動がいっぱいある洗礼式だったと思います。
ご存知のように、4月24日の夜8時位に大森暢之兄は天に召されました。そして25日の夜に大森家で前夜祭があり、また一つのお祝いをしました。それは大森暢之兄が神様のみ許に召されたお祝いでした。深い悲しみの中で私は深い神様の恵みと祝福を感じました。
わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。(ヨハネ福音書10:14-16)
わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことは出来ない。わたしの父がわたしに下さったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことは出来ない。わたしと父とは一つである。(ヨハネ福音書10:27-30)
《私は 5/8~5/30 までフィンランドに帰りますが、5/30 (日) のペンテコステの礼拝には出席する予定です。》
(2004年 5月号)
むさしの日記(4) ヨハンナ・ハリュラ
四旬節が終わってまたイースターの時期に入ります。今年のイースターは私にとって二年ぶりの日本でのイースターです。今年は前の年より色々特別な違ったことがあります。例えば今年の春はなかなか暖かくならなくて、ちょうどイースターの頃に本当の春が出てきました。それが特に私と私の体にとって大きな影響があります。けれども、イエス様が十字架で私達一人一人のために死んで下さったことと永遠の命を与えて下さったことが、暖かい太陽よりもっともっと暖かい大切な命の賜物を私達一人一人の心の中に与えて下さいます。
このイースターは、私にとって六年目の日本、そして、四年目のむさしの教会でのイースターです。その四年の間、2000年にはフィンランド宣教団体 SLEYの代表セッポ・スゥオクンナス先生が、2001年には私の両親が、2002年にはフィンランドからラウティアイネンご夫妻が来られ、2003年には私がフィンランドでイースターを祝いました。今年2004年は私一人のイースターです。そしてこれは本当に楽しみです。去年のフィンランドでのイースターの思い出は「イエスの十字架への道」という聖書の証言とイースターの前の夜(23:00-24:00)の礼拝でした。それを通して神様が大勢の人(その地域の幼稚園、又は小学生、中学生、大人の人達、そして特に私)に深く、永遠の命の福音を心にかけて下さいました。
特に最近は、ニュースを読んだりテレビを見ると悲しいことが一杯あって、あまり見たくない気持ちが出てきます。でもイエス様の十字架を見てみますと、そこで希望と慰めと癒しと命があり、そしてそれを、神様がイエス様の十字架での出来事を通して信仰により恵みにより私達一人一人へ与えて下さるのです。
わたしはあなたを国々の光とし
わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。
主はこう言われる。
わたしは恵みの時にあなたに答え
救いの日にあなたを助けた。
わたしはあなたを形づくり、
捕らわれ人には、出でよと
闇に住む者には身を現せ、と命じる。
彼らは家畜を飼いつつ道を行き
荒れ地はすべて牧草地となる。
かれ等は飢えることなく、渇くこともない。
太陽も熱風も彼らを打つことはない。
憐れみ深い方が彼らを導き
湧き出る水のほとりに彼らを伴って行かれる。
主は御自分の民を慰め
その貧しい人々を憐れんでくださった。 (イザヤ書 49;6,8,9-10,13)
(2004年 4月号)
むさしの日記(3) ヨハンナ・ハリュラ
今年も3月になり、もうすぐ春の一番いい時期に入ります。陽が暖かくなり、明るい時が長くなり、ちょうどこんな時期に四旬節が始まります。
四旬節はイースターの40日前から始まります。今年の四旬節の時期はどんな時期になるのでしょうか。そして、イースターを迎える時期にはどんなことがあるのでしょうか。
イエス様はあるとき荒野の中を霊によって引き回されました (ルカによる福音書4:1)。又あるときイエス様はこのようにも言われました。「私のもとに来なさい、あなたを休ませてあげよう」(マタイ11:28)。あるいは十戒の中にも第三の戒めがあります。「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。」(出エジプト記 20:8-11)
人間には静かに祈る時と、心と体の休みと、癒しの時間が必要と思います。けれども現代の、最も忙しい世界の中で、このイエス様の教えられたことを守ることが出来るのでしょうか。イエス様ご自身がそのようなことについてたくさん話され、教えて下さいました。このようなことは私達にも大切なことではないでしょうか。イエス様が霊によって引き回されたことを理解するのは、忙しい日常生活の中では難しいこと、信じられないことかもしれません。けれどもイエス様にも他の預言者にも、これが大変大切なことになりました。
(2004年 3月号)
むさしの日記(2) ヨハンナ・ハリュラ
この新しい年もアッという間に2月に入りました。けれどもこの年の始めにもいろいろなことがありました。
先週の日曜日2月1日に教会の総会があって、そこでいろいろな大切なことについて話し合いがなされました。一つの大きな事は教会の建物の建て直しの話でした。でも丁度その日曜日の朝の礼拝の前に一つの連絡が入ってきていたのです。前日土曜日に教会の建物の為の話し合いに来られた河野さんが日曜日の朝亡くなったのです。それは多分教会の皆さん、そして特に土曜日に河野さんに会った人にとって大きなショックでした。そして信じられないような気持ちの中で河野さんのご葬儀が月火に行われました。ご葬儀は河野さんのお父さんが設計し、河野さん自身が最後まで建て直しのことを考えたむさしの教会の礼拝堂で行われました。特にご家族の上に神さまの豊かな慰めと導きがありますように祈ります。
もう一つ心を動かされたことは、安間幹さんと千珠さんのお父さんの亡くなられたお知らせと同じ時に、千珠さんの結婚というとても嬉しい報告があったことでした。
教会の歩みと私たちの人生の中にはいろいろなことがあります。けれどもイエスさまは人にはできない助けることと慰めることがおできになります。
どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。
わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。(エフェソ3:16~17、20~21)
(2004年 2月号)
むさしの日記(1) ヨハンナ・ハリュラ
この秋にいろいろな印象に残ったことがありました。それについて少し書きたいと思います。
はじめに、10月12日のことですが、心に響いた礼拝があり、M.S.さんの洗礼式があり、そしてまた礼拝の後、青年の群れで橋本さんのいいお話がありました。もちろん毎日曜日、神様の素晴らしい祝福と恵みと癒しを感じます。けれどもこの日は特に私にとって、そして皆さんにも、喜びと神様の祝福がいっぱいあった一日でした。その日は私にとってまた一つ印象に残ったことがありました。それが朝の「やさしく聖書を学ぶ会」のことでした。そのように一緒に聖書を学ぶことの可能性ができて本当にうれしいことです。このような一日の日曜日があって、神様に本当に感謝です。
10月25日土曜日のJazzコンサートの後のことでした。ちょうど終った時、三人の青年が教会に入ってきました。コンサートがまだ終ってないと思ったのでしょう。けれども残念ながら全部終っていました。けれどもせっかく来たのですから、市吉さんと先生が「礼拝堂を見ていってください」と言いました。その三人は、きれいな夜のステンドグラスと礼拝堂を見て、感動して喜びました。
この間、9月に、島田療育センターに行った時、ひろこさんと同じ所で新しい患者さんがあって、そして、その人と話ができました。また、10月26日にもその人と会えて話をしました。いつか一緒に島田療育センターで礼拝を出来たらうれしいことです。
もう一つは、フィンランドからSINFONIA LAHTI という一番有名なオーケストラのコンサートがありました。その中に“もちろん”シベリウスの音楽がありました。私はシベリウスの音楽がとても好きです。そして最後にあったのもシベリウスの讃美歌でした。それは二つのアンコールの二つ目の曲で、賛美歌21の389「み神をたたえよ」でした。たぶん会場の皆さんは、讃美歌のことを解らなかったと思います。けれども皆さんはすごく喜んでいました。私は讃美歌が始まった時から涙が出てきました。喜びと感謝の涙でいっぱいでした。
ゆたかなみのりを 神にささげ
声もたからかに み名をたたえ
受けた恵みを 分かちあえば
こころあふれる 感謝とよろこび。
(讃美歌21、389・3) �
(2003年11月号)
再会の喜びと感謝 ヨハンナ・ハリュラ
久しぶりに、又むさしのだよりに書くことになりました。6ヶ月フィンランドで過ごしたあと、むさしのへまた戻ることができて有難うございます。私にとって戻ることはとても楽しいことです。6ヶ月が過ぎて又皆さんと会えて、話し合って心から感謝と喜びで一杯です。むさしの教会の皆さんが協力し共に祈り、働かれている姿のすばらしさに今又改めて気がつきました。皆さんの生活の歩みがどのようであれ、私たち一人一人の人生の上に神さまの豊かな導きと祝福を祈っています。
この2ヶ月の間にも、いろいろな印象に残り、感動したことがいっぱいありました。たとえば教会の修養会、ヴィオラの夕べ、ゴスペルクワイアが礼拝に出席で奉仕したこと、ペコちゃん(元宮道子姉)の納骨式、江本兄のお葬式などです。自分にとって一番感動したことは礼拝でお話をしたこと、その時江本兄が聖壇で一緒に礼拝したことでした。実は私の愛する伯父さんがフィンランドで亡くなったこともその同じ時だったのです。
又一つ本当に感動し嬉しかったことは、8月10日の礼拝のあと13人で食事に行ったことでした。そのように一緒に楽しく過ごせて、とても素晴らしい時でした。いつか又そのように楽しい時を一緒に過ごしましょう。
また皆さんの温かい心で私を包んでくださり、心から有難うございました。これからも宜しくお願い致します。
神さまの豊かな恵みと祝福が私たちの上にありますように。
まだお目にかかれずご挨拶をしてない方に特別に「初めまして」とか「お久しぶりです」とご挨拶をしたいと思います。
最後にしばらくお会いできなかった皆さま、いかがお過ごしでしたでしょうか。又お話しできるときを楽しみにしています。
(2003年 9月号)
今年のクリスマス ヨハンナ・ハリュラ
クリスマスが近づいてくるとそれは私にとってとても素晴らしい時期です。今年は私にとつて6年目の日本でのクリスマスです。むさしのでももう3年目です。子供の時からクリスマスは私にとって一番印象に残った時期です。それはなぜそうだったのか。一番大きな理由は多分ゆっくりした休みの時間にあります。もちろん皆はクリスマスの前いろいろな準備のために忙しいのです。準備は忙しい、けれども子供も両親と一緒に楽しく時間をかけて準備が出来ます。そして本当のクリスマスの時ゆっくりすることが出来るのです。24日がきて皆がゆっくりすると皆には一緒に話合う時間と遊び時間がいっぱいあります。子供たちの学校は12月21日から1月2日まで休みがありますので、それも子供と家族にとってたいへん素晴らしい大切な時期です
今のすごく忙しい世界を見るとき、フィンランドでも特にこのような素晴らしい時期そしてそれの雰囲気と福音を守りたい。今も例えばフィンランドでクリスマスの時期の雰囲気は他の時期に比べると全然違います。それの変わるのには大きなプレッシャーがあります。けれどもまた人々はこの大切な時期を守りたい。そしてこのような考え方が続くようにクリスマスの本当の意味を理解することが必要です。
クリスマスはライトとか飾りとか料理とか雰囲気だけではなく、クリスマスのメッセージは「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカによる福音書2:11)。それは本当に一番素晴らしいクリスマスプレゼントです。それは私たち皆一人一人に神さまから与えられた賜物です。
今年のクリスマス私は、申しわけありませんが23日にフィンランドに帰り、そしてそこで6年ぶりに家族と一緒にフィンランドのクリスマスを過ごしたいのです。23日12時30分に成田を発って23日夜8時にフィンランドに着きます。日本に戻るのは6月の終りです。そのために私は、むさしのの素晴らしいクリスマスイウ゛の音楽礼拝とキャロリングに参加出来ないのです。それは私にとってすごくさびしいことです。私は最近日本の教会と特にむさしののクリスマスに慣れて好きになりましたので、6年ぶりにフィンランドで過ごすクリスマスに実は少し心配があります。フィンランドはどう変わったかなぁとか、いろいろな習慣は変わったかなぁとか、そして、今両親が住んでいる所で私は初めてクリスマスを過ごすことになります。けれども私は家族と一緒に過ごすクリスマスを広い心で待ちたいと神さまの豊かな導きをお祈りして信じたいです。
皆さん一人一人に本当に神さまの祝福がいっぱいある素晴らしいクリスマスの時期をお祈りしたいと思います。
(2002年12月号)
大きな悲しみの中で ヨハンナ・ハリュラ
最近世界中で色々なテロと爆発のことがあります。もちろん一番よく覚えているのは一年前のニューヨークとワシントンのことです。そしてその後にバリとモスクワなどの事件も起こりました。これを全部思い出すと怖く感じることがあります。私は子供の時からフィンランドにいて、私の祖国フィンランドでとても安全に過ごしました。けれども最近フィンランドはすごく変わりました。例えば今年の夏私がフィンランドにいた時、ヘルシンキで車が爆破されました。この時もひとり亡くなりましたが、良かったのはあまり大きな影響がなかったことです。
そしてまた今月、大きなショッピングモールの中で19才の男の人が爆弾を爆発させました。この事件で7人が亡くなり、大勢の人々が大変な怪我をしました。実はこのような事件はフィンランドでは本当に珍しいことです。そして今回のことでフィンランド人は大きなショックを受けました。この事件を起こした青年は、その青年の良い家族からも又だれからも何も変なことを気づかれなかったからです。けれどもこの青年はインターネットで爆弾のことについて調べました。その結果このことを出来るようになりました。実はこの事件は、今年の春むさしの教会に来た私の友達の家族のすぐ近くでした。その家族もこのショッピングモールによく買い物に行きます。その時この家族は無事だったけれども、例えば、教会の熱心な青年の一人がこの事件で亡くなりました。このショッピングモールは青年の集まる場所として有名だったので、この事件で亡くなった7人のうち6人が青年でひとりは子供でした。これもその地域と他の人に大きなショックとなりました。
この事件の後すぐ、色々なカウンセリングと家族を慰め励ますグループが始まりました。それが今回は早くて、役に立って、本当に必要なプログラムでした。教会からこのようなサービスがあるのはとても良いことです。そして次の日、追悼礼拝が近くの教会でありました。そこに人々がたくさん集まり、フィンランドの大統領と首相も出席されました。このような深い苦しみの中で一緒に教会で、一緒に静かな祈りの時を持ち、一緒に悩み、一緒の気持ちになる、それが信仰の恵みのはたらきでしょうか。
(2002年11月号)
スオミの教会/日本のための熱い祈り ヨハンナ・ハリュラ
私の仕事を特に支えてくれている7つの教会の一つ、フィンランドのVEHKALAHTI(ヴェファカラハティ)の教会でも、10月6日は特別なお祝いのときです。そこで伝道のための食事会があります。普通フィンランドの教会では昼ご飯は無いけれど、このように特別なイベントのときは色々な教会で、昼ご飯やコーヒー・紅茶などが出されます。そして宣教師がその国で経験したこと、神様のことなどを話します。そのときの食事は、宣教師が働いた国の食事のメニューのこともあります。メニューが出来なかった場合は、例えば、日本のお茶とお菓子ということもあります。その国の美味しい、珍しい飲み物などです。そして今回ヴェファカラハティの教会の場合、食事会で集められたお金は日本の伝道のために捧げられます。私達のむさしの教会は10月6日、77年の記念日と75年の記念誌をお祝いします。世界の遠く離れているキリストの教会がこのように一緒に神様を礼拝し、感謝し、お祝いすることが出来るのは、一つのキリストの教会のすばらしい神様の賜物です。
又、色々な教会で海外伝道のための色々な集まりとか、特に毎月二回海外伝道、例えば日本伝道の勉強会があります。そこで一緒に聖書を学んだり、宣教師達の手紙を読んだり、出来れば宣教師達の話を聞いたり、讃美歌を歌ったり、一緒に海外伝道と自分の教会のために祈ったりします。
今年の三月にヴェファカラハティの教会は新しい集会室を建てることが出来ました。そこのお祝いの日に日本の掛け軸を贈りました。実はその掛け軸はその建物の一番いい場所に、皆によく見える場所に掛けられました。その掛け軸は日本とフィンランドのかけ橋のようなものになりました。皆はその掛け軸を見るとすぐ日本伝道とむさしの教会のことを思い出します、と聞きました。例えば10月6日の食事会のとき、フィンランドの皆さんがその掛け軸を見ると日本のことを思い出し、日本伝道のことを神様に祈って感謝します。
(2002年10月号)
スオミの夏2002レポート ヨハンナ・ハリュラ
ただいま!フィンランドから少し報告をしたいと思います。
フィンランドへ帰るとすぐ私達のミッション の大きな夏の大会がありました。それは私にとつて子供のときから夏の一番大切なイベントになりました。この大会では三日間のあいだみ言葉を伝える話を聞くこと、讃美歌を歌うこと、一緒に祈ること、友達に出会ったりすることが出来ます。今回の大会の思い出になったのは、笠井先生と出会ったこと、岡田実紀さんがフィンランド語と日本語で歌ったこと、そして特に宣教師達の祝福式です。大会はいつも外で行われますが、その式の中で始めに神様からの祝福の雨がありました。すると急に空からも本当の雨が降ってきました。神様からの雨だと思いました。けれども祝福の丁度その時、太陽が青い空から私たち一人一人を照らしました。その同じ時、岡田実紀さんが日本語とフィンランド語でフィンランドの歌「このあおいそらの~~したにきこえるあいのこえ あすにむか~~ってひ~~ら~~く きぼうのはなひらく」を歌い、本当に神様の祝福が満ちあふれ、注がれる時でした。
九十才まで生きることはフィンランドでは珍しいことですが、今年の夏2回、九十才の誕生日のお祝いに出席することが出来ました。LAHJA さんとHELMI さんです。LAHJA さん(日本語で言うと賜物です)の誕生日ではいっぱい人々が参加して一緒に讃美歌を歌ったり、色々な話を聞いたりしました。神様の祝福が本当に注がれたのです。満ちあふれました。LAHJA さんと家族は長いあいだ海外伝道のためにとても熱心に協力されました。例えば今回の誕生日のプレゼント のお金を日本伝道のために捧げられました。HELMI さん(日本語で言うと真珠です)の誕生日のお祝いには私は一人で参加して二人でとても良い時をもちました。HELMI さんは私に手紙を書いて下さったり、例えばクリスマスのときフィンランドからお土産を頂きました。私はどうしてもHELMI さんに今年の夏会いたいと決めました。
また、私が教保をしている二人の女の子の堅信礼がありました。堅信礼はその人と家族にとってとても大切なことです。今回も私が参加した時たいへん感動しました。十五年はとても早くあっと言う間で、そして、今のこの二人はもうすぐ大人になります。けれどもいつも私に教保として一番大切なことは、この二人のために祈ること。一番大きな希望は、私のGOD CHILDRENと姉と兄の家族にとって、イエス様が心の中に一番になることです。
もう一つ思い出になったことは、石井幸代さん(むさしの教会の聖書研究会で一緒に勉強しています)にフィンランドで出会ったことです。その日はちょうど私の名前の日(ヨハンナの日)で、それを一緒にお祝いすることが出来てとてもすばらしい一日になりました。色々な教会員に出会って日本のことを報告したり、宣教師の一週間の勉強会に出席することが出来てとてもすばらしい経験になりました。
一番、目に残ったのは、夏の家の涼しい静かな明るい朝の時、そしてそこで白鳥の親子が湖で遊んでいる、これ全部あっても私は、日本と特にむさしのに戻ると皆さんと会うのはとても楽しい大切なことです。
(2002年 9月号)
スオミの結婚式 ヨハンナ・ハリュラ
フィンランドで結婚式をするのに一番多い時期は、夏と特に6月のMID SUMMERの時です。夏は一番きれいな時期で、結婚式の準備をするための夏休みがあります。結婚式は普通、大勢の人々が出席できるために、夏休み(6月か7月)とか土曜日に行います。フィンランドでは、結婚式はたいていいつも教会でやります。結婚式の中にはいっぱい音楽がありますし、クリスチャンの場合、今流行っているのは聖餐式です。普通はその時教会からプレゼントとして聖書をいただきます。
結婚式の後で皆は一緒にお祝いのテーブルに出席します。”JUST MARRIED”は教会のドアから、外へ、特別な車でお祝いのパーティーに行きます。教会の中から車までの間は参加者が”JUST MARRIED”の上へお米を投げます。お米からまた新しいお米が実るように、小さな可愛い家族が増えますようにと願って。
お祝いのパーティーと色々な準備はたいてい家族と友達と一緒にします。そして特に夏の場合には、大きい家や、庭があればそこで行います。これは昔からのことです。お天気のいい日、寒くない時は建物の外、お庭、大きな木のそば、湖のそばや、キャンプ場でも行います。大切な結婚式を緑の中でたくさんの人たちと一緒にお祝いするためです。春、冬、寒い時期には教会の大きな部屋で行います。
パーティーは、家族も、友だちも、皆が一緒になっておしゃべりし、自由で楽しい、明るい雰囲気です。友人たちが、二人の子どもの時から今までのことを、詩にしてそれを歌ったり劇をしてお祝いします。この席でクリスチャンの場合は、「結婚の本当の意味は何ですか」についてアドバイスもいただきます。二人へのプレゼントは、新しい家で使うもの、二人にあげたい特別な思い出のあるもの、びっくりさせるもの、寄せ書きの書かれた特別なアルバムなどです。今、フィンランドの結婚観は変わってきました。
今のフィンランド人の結婚観は、言葉通り、kahden kauppa 「二人にとって大切なこと」なのです。自立している二人の個人同士の結び付きなのです。以前フィンランドでもあって、家族や農業、商売などのために結婚することはありません。もともと花婿さんの家族との絆のしるしとして使われた結婚指輪は、今は結婚する二人の愛のしるしだけの意味となっています。・・・伝統的な結婚式のセレモニーマスターである牧師たちの態度は「裁くな」ということかもしれません。結婚のことで相談がある時、「しなさい」より「お勧めします」という牧師さんのお話がしばしば耳に入ってきます。(雑誌 FINLAND SISU より引用)
結婚と家族の問題が増えたので、教会がそのためにカウンセリングセンターとプログラム、例えばキャンプなどを行うようになりました。教会は結婚と家族のことを大事にして守っていこうとしています。
(2002年 6月号)