むさしの教会だより

神の祝福の虹を仰ぎ見て    大柴 譲治

「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみをうける。」(マタイによる福音書 5:7)

「すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」(創世記9:13)

むさしの教会の礼拝堂はノアの箱舟をかたどって造られています。設計者は教会員の河野通祐(こうのみちすけ)兄。和風建築の専門家でした。当時神学校で礼拝学を教えていた青山四郎牧師と協議を重ね、周囲との「共生」を考えながらここを設計したと伺いました。「建築とは思想」なのです。

『教会とシンボル』という小冊子にはこの教会のシンボル一つひとつに込められた深い意味が記されていますのでぜひお読みいただきたいところです。外壁にはつがいの動物たちが天を見上げているレリーフ(山本常一作)が置かれています。彼らは天に架けられた虹を見上げているのです。創世記によれば「虹」は「神の契約のしるし」です。

「雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める」(9:16)。教会は虹を見上げる場所です。築後一年ほどしてむさしの教会には米国より羊飼いのステンドグラスが与えられました。それはいつも陽光の中で虹色に輝いています。神がいついかなる時にも私たちを見捨てることなく、私たちとの「契約」を思い起こしてくださることを私たちが想起する場所なのです。

「取って食べなさい。これはあなたがたのために与えるわたしのからだである。取って飮みなさい。これは罪のゆるしのため、あなたがたと多くの人々のために流すわたしの血における新しい契約である」(聖餐設定辞)。そのように告げて私たちにご自身のすべてを与えてくださったキリストの新しい契約、それこそ「虹」が指し示している「永遠の契約」です。礼拝を通して私たちは共に虹を見上げることができる。何という喜び、何という慰めでしょうか。そこには神の祝福が満ちています。

1997 年8 月24 日(日)の礼拝で「燃える柴、燃え尽きない柴」と題して説教を始めてから18 年7 ヶ月が経ちました。昨年10 月4日(日)には宣教90 年を記念。『むさしの教会宣教90 年記念誌』(編纂委員会編、八木髙光委員長)も完成しました。また新ビジョン委員会(市吉伸行委員長)の答申も定期総会で分かち合われました。これは10 年後25 年後を視野に入れた私たちの教会の羅針盤です。一つひとつがこの教会の人材の豊富さを表すと共に、歴史を貫いてキリストの現臨があったことを証ししています。

私は3 月末で当教会を離任し4 月より大阪教会の牧師となりますが、これまで皆さんと共に虹を見上げつつ歩むことができたのは大きな祝福であったと思っています。これまでの私たち家族へのお祈りとお交わりに心から感謝して、後任の浅野直樹Jr 牧師にバトンを託してゆきたいと思います。むさしの教会の上に神さまの祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。soli deo gloria.

「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40:31)

弱さは強さです  賀来 周一

よく知られた精神病理学者たちの多くは、「弱さ」とでも云うべきものを持っています。
またそこから逃げようとせず、それを土台に偉大な業績を残しました。ジグモント・フロイトは神経症に苦しみ、その結果が精神分析という偉大な理論を生み出すに至りました。

アルフレート・アドラーは、幼少時に「くる病」に罹患しており、このことが彼の器官劣等性の理論展開に寄与していると言われています。人は弱点を持つことによって、成長していくのだという考え方です。カール・グスタフ・ユングは無意識の世界から生じるある種の幻覚とでもいうべきものを持っていましたが、かえってそのことを活かして、無意識の世界を深く掘り起こし、彼独自の無意識に関する理論を開発しました。無意識の奥底に人は元型と言われるイメージを持っていて、それが人生を動かすという説です。


例えば、男性は女性イメージのアニマ、女性は男性イメージのアニムスなるものを持ち、それによって結婚相手を決めるとか、人生にはトリックスターなるいたずら者が働いていて、急に運がむいたり、とんでもない不幸に落ち入ったりするというのです。

アンリ・エレンベルガーは、その著「無意識の発見」上下巻(木村、中井監訳、弘文堂発行)の中で、これらの人々は創造の病を持っていたのだと言います。「弱さ」、「弱点」と云うべき病がなければ、こうした偉大な理論は生まれなかったからです。

「弱さ」は大切な宝物です。自分の「弱さ」を知る者は、他者の「弱さ」に共感し、その「弱さ」を受容することができます。「弱さ」を「知る」とは、単に知識として知ることではありません。自分の「弱さ」と向き合い、体験的に「気付き」として捉え、それを対象化することを意味します。そうすることで、自分の「弱さ」に執着することなく、またそこから逃げることなく自分の責任で保持することが出来るようになります。そうなって初めて「弱さ」が、成長するための己の道具となるのです。

たとえば人を愛するという場合、言葉で言うことは容易いでしょう。しかしこれを体験的に愛せざるを得ない真実にしようとするなら、裏切られた、拒否された、こじれた、意地悪をされた等々のいやな経験があってこそ、あるべき真実の愛が必然的に見えてくるのではないでしょうか。それこそ、自分の「弱さ」と向き合う経験をしなければ見えてこない世界でもあります。

その意味では、わたしたちは自分の経験の中で大なり小なり、日常の中で、「傷つく」、「辛い」、「苦しい」こと、それらをひっくるめて、自分の「弱さ」とでも云うべきことを経験しています。それらの中に、わたしたちを前進させる本物の「強さ」を発見するはずです。そのような視点から我が身を見れば、またひと味ちがった自分が見えるのではないでしょうか。パウロは言いました。「わたしは弱い時にこそ、強いのです」(Ⅱコリント12 章10 節)と。

「あなたの信仰があなたを救った」  大柴 譲治

「巡礼の詩編」

毎年「過越の祭り」にユダヤ人は巡礼団を組織して各地から神の都・エルサレムに上ってゆきました。その道すがら歌われたのが「都詣での詩編」と呼ばれる詩編120 編から134 編までの15 編です。それらは「都に上る歌」とも呼ばれますが「巡礼の詩編」だったのです。本日は、三度目の受難予告に続けて主が盲人の目を癒された場面です。それは旧約聖書の「メシアのしるし」預言の成就でもありました。本日は共に「あなたの信仰があなたを救った」という言葉に焦点を当てつつ詩編の豊かな響きに耳を傾けてゆきたいと思います。

かつて米国サンディエゴでホスピスチャプレンとして訓練を受けた時、ある同僚チャプレンが「ヨブ記と詩編、この二冊だけをポケットに入れておけば十分」と言っていました。「もう治療の術なく余命半年」という宣告を受けたと想像するだけで、私たちの心は動揺します。そのような中で特にヨブ記と詩編は、共にコヘレトの言葉(伝道の書)や箴言と並び「知恵文学」と呼ばれるものですが、これらのみ言葉が苦難の中にある人々には深い共感をもって読まれてきたのです。

詩編は共同体の祈りであり讃美歌でもあるのですが、その作者たちは自分の思いをすべて神に向けて発しています。喜びも悲しみも、信頼も嘆きも、疑いも絶望も神に向かって叫んでいる。たとえば「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なにゆえわたしをお見捨てになったのですか)!」という十字架上での主イエスの悲痛な声は詩編22編の冒頭に刻まれた叫びでもありました。詩編は全部で150 編ありますがその4 割は「嘆きの詩編」なのです。人生の苦しみや悲しみ、嘆きの中で詩編は神に向かって正直に自分の心の叫びを訴えている。

考えてみれば、最 後の投げ所、拠り所として呻きをぶつける存在を持つ者は幸いであると言わなければなりません。 例えば巡礼詩編の一つである詩編121 編。「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから」(1-5節)。何と味わい深い詩編でしょうか。

神が 私たちと共にあり、まどろむことなく私たちを見守っていてくださるのだというのです。
その意味では、私たちの人生は神の永遠の都に向かう「巡礼の旅」なのかも知れません。私たちは共に詩編を歌いながら人生の荒野をキリストに従い巡礼を続けてゆくのです。

 

三度目の受難予告

本日の福音書の日課を読みますと、イエスさまの一行もまたエルサレムを目指す巡礼団の一つであったことが分かります。しかしそれが他の巡礼団と異なっていたのは、過越しの犠牲として屠られるべき「子羊」は主ご自身であったということです。旅立ちの前に主は告げられました。「イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。

『今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。』十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである」(31-34 節)

そのようにして旅立った主イエスの一行。彼らも「キリエ・エレイソン」と巡礼歌を歌い続けていたに違いありません。巡礼団は心を神に向けて祈りながら旅を続けてゆきます。巡礼詩編126 編の終わりにはこうあります。

「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる」(5-6 節)

涙が喜びの歌へと変えられてゆくように歌いながら巡礼者はエルサレムへと歩を進めていったのです。ちょうど私たちが様々な思いをもってこの場所へと足を運ぶように。神の都エルサレム。私たち自身にとってこの人生は「天のエルサレム」を目指して歩む巡礼の旅なのです。詩編を祈る時、私たちは自分の中にあるものが浄化されてゆくように感じます。それはやはりルターが言うように、詩編はすべてキリストの祈りであるからではないかとそう思われるのです。

 

深い淵の底から

イエスさまの一行はエルサレムに向かう途上、エリコにさしかかるところで一人の盲人と出会います。ルカは記しています。「イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、『これは、いったい何事ですか』と尋ねた。『ナザレのイエスのお通りだ』と知らせると、彼は、『ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください』と叫んだ。先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、『ダビデの子よ、わたしを憐れんでください』と叫び続けた」(35-39 節)
彼はイエスに向かって見えない目を向けて声の限りに叫ぶのです。「主よ、憐れんでください。ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください。キリエ・エレイソン!」と。
私の中でこの情景は詩編130 編と重なります。私が劇作家であれば、この時一行は130 編を歌っていたと作品に書くだろうと思います。詩編130 編はこう歌います。「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら 主よ、誰が耐ええましょう。しかし、赦しはあなたのもとにあり 人はあなたを畏れ敬うのです。

わたしは主に望みをおき、わたしの魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます。わたしの魂は主を待ち望みます、見張りが朝を待つにもまして、見張りが朝を待つにもまして」(1-6 節)その盲人の「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください!」という悲痛な叫びは深い闇の淵から、闇のどん底からイエスに向かって発せられた叫びでした。

「先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、『ダビデの子よ、わたしを憐れんでください』と叫び続けた」という情景は彼の絶望の深さを表していましょう。そしてそこにはメシア・イエスに頼ろうとする一人の盲人の必死な思いが現れています。「イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。『何をしてほしいのか。』盲人は、『主よ、目が見えるようになりたいのです』と言った。そこで、イエスは言われた。『見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。』盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した」(40-43 節)

 

「あなたの信仰があなたを救った」

主が盲人の叫びを聞かれたのです。そして彼は闇の深い淵の底から光の世界へと救い出されました。開かれた目を通して目の前にいる救い主を仰ぎ見ることができた。盲人の目が開かれて見えるようになるというのはメシアのしるしとしてイザヤ35:5 などに預言されていた言葉です(ルカ1:18-19=イザヤ61:1-2、イザヤ35:5)。すばらしいメシアの預言がイエスにおいて成就(実現)したのです。イエスこそメシアだったからです。実際に目を開いたという奇跡は聖書の中に主イエス・キリスト以外には記されていません。今回注目したいのは、ここで語られた主イエスと盲人のやり取りです。

①イエスは言います。「(私に)何をしてほしいのか」。②盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。③そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」。 主はこのやり取りを通して盲人の願いが神の御心に適っていることを宣言します。盲人はそれまで自分が生きてきた闇の世界から自分を解放してくれる者が必ず現れるという信仰を持っていたに違いありません。最初から諦めていたなら主に向かって必死に叫び続けるということはできなかったでしょう。何度も諦めかかったことはあったかもしれません。しかしその度に彼は「神は必ず私をその豊かな憐れみによって助けてくださる!」と彼は深い絶望の闇の中で信じたのでした。闇の中で働く信仰は神ご自身の働きです。


「何をしてほしいのか」という主イエスの言葉は盲人が長年待ち続けていた神からの応答でした。見えない目をその声の方向に向け、イエスが自分に向かい合ってくださっていることをヒシヒシと感じながら万感の思いを込めて盲人は言います。「主よ、目が見えるようになりたいのです」。救い主であるあなたのご尊顔をこの目で拝したいのです。



あなたの慈愛と祝福に満ちたまなざしに触れたいのです(礼拝の最後のアロンの祝福を想起!)。そしてあなたの後を神の救いの御業を讃美しながら喜びと感謝のうちにあなたに従ってゆきたいのです。盲人はそのような万感の思いを込めて主イエスに申し述べます。「主よ、目が見えるようになりたいのです」。そしてその願いが聞き届けられます。



主は言われました。「見えるようになれ!あなたの叫びは神に届いた。あなたの願い(祈り)は神によって聞き届けられた。あなたの願った通りに、あなたは見えるようになる。『求めよ、さらば与えられん。探せ、さらば見出さん。叩け、さらば開かれん』とわたしが言ってきた通りなのだ」と。そして主はそれに続けて「あなたの信仰があなたを救った」と告げられました。この言葉の真の意味は何か。その盲人は皆の制止をも振り切ってなりふり構わず必死になって主の憐れみを呼び求め続けました。「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。キリエ、エレイソン!」。それは確かに「信仰」の業でした。



しかし、実は「信仰」とは私たち人間の業ではないのです。それは、私たちにおいて働く神の御業です。「あなたの信仰があなたを救った」というのは、「神がどのような時にも、常にあなたと共にいて、あなたを守り導いてきた。あなたの中に働く神の信仰があなたを救ったのだ」という意味です。そしてさらに言えば、彼の中にはキリストが既に共にいて働いていたのです。キリストの御業が彼をして叫ばしめたと言ってよい。そう私は思います。



この盲人は声の限りにイエスに向かって叫び続けた。恐らく声が枯れても彼は叫び続けたでしょう。「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください!」都詣での詩編130 編が歌う通りです。


「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください」(1-2 節)

「深い淵の底」からのこの叫びが主の耳に届いたのです。「求めよ、さらば与えられん」です。「わたしに何をして欲しいのか」「主よ、目が見えるようになりたいのです」。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」(42 節)。すると「盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した」(43 節)

もしかすると盲人は、自分が目が見えないことを自分には信仰がないからだと思っていたかもしれない。しかし主はそこに片時も離れなかった「神のご臨在」を認めているのです。神の恵みのみ業が共にあったことを認めているのです。それは私の中ではあのパウロの言葉と重なります。

「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子の信仰によるものです」(ガラテヤ2:20)


私たちもまたそのような神のまこと(ピスティス)に与りながら、この人生、神への巡礼を続けてゆくのです。憐れみの主が私たちに先立ち、私たちを先導してくださいます。



そのことを覚えつつ、新しい一週間を共に踏み出してまいりましょう。巡礼の歌を歌いながら。そして、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」という主イエスのみ声を深く味わい、噛みしめながら。ここにお集まりのお一人おひとりの上に主の豊かな慰めと守りがありますようお祈りいたします。 アーメン。
(2016 年2 月21 日 四旬節第二主日礼拝)

~読書会から~ 羽田 圭介著『スクラップ・アンド・ビルド』 仲吉 智子

「スクラップ・アンド・ビルド」とカタカナの題にとまどいながらも、少しばかり期待して読みました。英語の意味を調べてみると、「工場設備や行政機構などで、古くなって使いづらい設備や組織を捨てて、新しい設備や組織を作ること」とありました。

テーマはご多分に漏れず高齢化の進む中で社会問題にもなっている、介護が取り上げられていました。孫と祖父と母親という登場人物ですが、あまり重い話にならず孫の視点で書かれています。会社を辞め、アルバイトをしながら職探しをし、祖父の世話もしながら、また若者らしくデイトも楽しみながら自身の肉体も鍛えつつ日々を送っているのですが、孫には理解しがたい祖父の行動を距離をおいて見ています。「早くあっちへ行きたか。死にたか。」という祖父の思いにどうしてあげられるのかと考えたりもします。

母親としては自分の父親なので、これ以上手が掛からないようにと祖父の甘えに罵声を飛ばしながら刺激をしています。今介護と一言でいいますが、それぞれの置かれている状況が違い、介護制度も細分化されとても利用しにくいと聞きます。介護する側の者が重労働にならないようにということもあるでしょうが、ベストのケアを受けるには、お金もかかってくるのです。私が主人を在宅ケアを利用して見ていた頃とは、随分制度も変わってきたように思います。あの頃は制度もまだゆったりとしていて充実したケアを受けられたと思います。
さて、本に戻りますが、会社を辞めてから一年後には新しい仕事が決まり家を出ることになり、祖父がたよりにしていた孫の旅立ちで、祖父もある程度自立し、自分で出来ることはやる生活になるのではないでしょうか。
読み終えて題名の意味が、わかったような気がしました。

大柴譲治牧師を送る  中山 格三郎

2016(平成28)年3月31日をもって、大柴牧師が日本福音ルーテル大阪教会へ転出されることとなりました。惜しみても余りありと申すべきでしょう。思い起こせば、2年に亘る米国留学より帰国、1997(平成9)年9月1日付にて着任以来今日まで、18年半に亘る長期在任でした。石居基夫牧師の次の一年半、専任牧師をいただくことなく、神学校の徳善義和教授にご無理を願い兼任態勢にて過ごしておりましただけに、大柴牧師のご着任を迎えて、教会員の皆が待ち焦がれていた人事が実現したのでありました。
 
とは言え、国際的なルター学者である徳善先生の説教を毎週拝聴できましたことは、これはこれでまことに贅沢な、且つ稀有な期間を恵まれたことでございました。その後を受け継ぎ、大柴牧師は40歳の若さで着任以来、精力的に活動を開始されましたが、基本的な姿勢はあくまでも礼拝中心の宣教活動に徹しておられました。ともすれば数的な宣教成果を望みがちな役員・信徒たちに対しても、我々の働きが良しとされれば、数は神様が添えてお与えくださることとして、微動だにしない姿勢を示し続けられました。

 
「私は宣教において数値目標は申しません。」と宣言されました。教会の働きの成果は、常に礼拝を忠実に守り続ける中においてのみ実現するとの確信に貫かれていました。そして、礼拝中心の宣教に加えて、先生の生涯活動ともいうべきカウンセリングを通しての牧会を通じて、宣教活動を展開されました。その成果は、多くの受洗者のみならず他教会からの転入者たちが与えられ、その新たに加えられた方々が、今やむさしの教会の宣教の一角を担っておられる姿にも明らかになっています。大柴牧師を中心にした“むさしのの輪ツ”が形成されてきたのではないでしょうか。
 
90年の年輪を刻むむさしの教会の歴史の中にあって、確かな18年半の宣教のわざが花開いているのではないでしょうか。「千年といえども御目には、昨日が今日に移る夜の一時にすぎません」(詩編90:4)が、その「一時」を大柴牧師と共に担い続けてこられた光栄を思い、深く感謝する者でございます。そして、ご家族の皆様との深いお交わりにも御礼申し上げます。
 
大柴牧師とご家族の大阪教会での新たな歩みの上に大いなる展望が拓け、彼の地にあっても、また確かな宣教の年輪が刻まれて行くことを祈念しております。残されたむさしの教会にあっても、次なる「一時」が受け継がれて行きます。
 
そこには、また異なる色合いの宣教が展開されることでしょう。次の「一時」を、後任の浅野直樹牧師と共に果敢に担って参りましょう。そして、その群れに神様の豊かな御祝福を祈り求めます。

アドヴェント黙想 〜 信仰によるレジリエンス  大柴 譲治

 人生を旅に譬えると、この旅には何が必要なのでしょうか。目的地?計画?健康?智恵?余裕?仲間?情報?それともやはり先立つものはお金?人生には山あり谷ありですから、先人や長老たちの智恵は確かに優れた価値を持っていましょう。「速く行きたいならば独りで歩きなさい。遠くまで行きたいなら誰かと一緒に歩きなさい」というアフリカの諺を思い起こします。困難に直面した時、傍に相談できる家族や仲間がいてくれるということは大きな支えです。ホスピスチャプレンの経験からもそう思います。

 「レジリエンス」という言葉があります。本来は「(バネの)復元力、回復力」を意味しましたが、今は「逆境(に打ち勝つ)力」とも「折れない心」(NHK『クローズアップ現代』)とも訳されます。「雑草力」とも訳せるかもしれません。そこでは、性格や自尊感情など自らの態度が重要になりますが、さらに重要なことは自分の傍に誰か聴き上手な人を持つことです。聴いてくれる友を持つ人はレジリエンスが強化されてゆきます。人は自分の気持ちを言葉で表現することで自らを客観化・相対化することができるのです。ドイツなどには「分け合えば、喜びは二倍、悲しみは半分に」という諺があります。私たちは互いに支え合う仲間を必要としています。

 旧約の神の民も荒野の40年やバビロン捕囚という苦難を体験しました。本来「荒野」とは人が自分の力に頼っては生存できない場のこと、神に頼る以外にない場のことを意味します。人生の荒野の直中で神を信ずることで強い逆境力(レジリエンス)を鍛えられていったに違いありません。

そのことは150編ある詩編の40%が嘆きの詩編であることからも分かります。詩編は信仰共同体の中で歌われてきた共同の祈りです。神に向かって共に嘆くことで、自分の中にあるものをすべて神に吐き出すことで支えられていったのです。神に向かって吐き出してよい。嘆き祈ることを通して彼らは「わたしはあなたと共にいる」という神の確かな御声を聴き取っていったに違いありません。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)とイエスも語られました。

 今年も11月29日から待降節(アドヴェント)に入ります。主の到来に心を向けて備える期節です。典礼色は紫。それは悔い改めの色、王の色。自らを吟味しつつ、今から二千年前の降誕(クリスマス)の出来事(第一の到来)と終末時の主の再臨(第二の到来)とを覚え、両者の間で人生の歩みを処してゆきたいと思います。救い主が向こう側から一歩一歩近づいてきてくださるのです。

この近づいてこられるキリストの中に信仰の力(レジリエンス)の源がある。人生という旅の途上で無くてならぬものものはこの力です。アドヴェントはそのことを確認する時でもあります。それ以外の必要なものはすべて添えて与えられてゆくことでしょう。
 宣教91年目のバトンを石田順朗先生から引き継いで、私たちは今ここに新たな宣教の歩みを踏み出してゆきたいと強く願うものです。

「最高の掟〜アガペーの愛に生きる」  大柴譲治

申命記 6:1-9 「 (4)聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。(5)あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」

マルコによる福音書 12:28-34 (29)イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。(30)心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』(31)第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」

 

はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

 

石田順朗牧師の召天報に接して
私たちは先週、11月3日(火)にむさしの教会恒例のバザー&フェスタを行いました。快晴にも恵まれて多くの人々が地域から参加して下さり、教会員も楽しみながら奉仕をして成功裏に終わることができたと思います。
11月5日(木)の早朝、午前3時に、私はインド滞在中のフランクリン石田順孝牧師(米国福音ルーテル教会ELCA牧師)から国際電話をいただきました。お父さまの石田順朗牧師が狭山の病院で亡くなられたということを告げる電話でした。

私はすぐにグロリア夫人に電話をして車で出て、午前5時に埼玉石心会病院に到着。病室で既にネクタイとワイシャツに着替えを終えられていた石田先生とグロリア夫人の前でお祈りを捧げました。その後で、一週間前に米国から来日しておられた次男のハンスさんと荻窪に住んでおられる三男のケリーさんも病室に来られました。主治医の先生(石田先生ご夫妻が深く信頼していたお医者さまです)が来て経緯の説明をしてくださり、私が葬儀社に連絡をするという仲介の役割を取りました。

ちょうどその日が友引で斎場がお休みということでしたから、翌日の金曜日の午後に斎場でご家族のみで告別の祈りを行うことを決めて病院を失礼させていただきました(結局翌日は所沢の斎場となりました)。9時からのJELC人事委員会に出席するために車で市ヶ谷に戻り、午後は三鷹でのクラスを終えて帰って来ました。その日はとても長い一日となりました。
翌11月6日(金)は、午前中に市ヶ谷での会議に出席後、所沢の斎場で讃美歌「安かれ、わが心よ」を歌って告別の祈りを捧げ火葬に付して、ご遺族と共に入間のご自宅に移動し、夕食をして教会に戻って来ました。愛する者を見送るということは実に辛く悲しいことです。特にグロリア夫人にとっては58年間、夫婦として連れ添った最愛のパートナーです。改めて石田家の絆の強さが大きな力であることを強く感じさせられました。ご遺族の悲しみの中に天来の慰めがありますようお祈りいたします。

石田先生が告げておられたように、先生を記念するキリストの礼拝を11月29日(日)午後2時から三鷹の神学校チャペルをお借りして行うことになっています。司式は私と平岡仁子先生(保谷教会)の二人でいたしますが、説教は石田先生と親しかった清重尚弘先生(九州ルーテル学院大学院長・学長)が行うことになっています。覚えてお祈り下さい。

石田順朗先生はこの10月6日に87歳になられたばかりでした。1928年に沖縄でお生まれになり(本籍は山口県となっています)、日本ルーテル神学校、シカゴルーテル神学大学院を卒業し、1955年(26歳)で教職按手後、JELC稔台教会、久留米教会、市ヶ谷教会を牧会した後に、日本ルーテル神学大学教授(実践神学:説教学・牧会学・宣教学。1977-78年の一年間は学長代行もされました)、LWF神学研究局長、シカゴルーテル神学大学院世界宣教室室長を経て、九州ルーテル学院大学学長、刈谷教会牧会委嘱として、ちょうど87年間のご生涯のうちの60年間を牧師として捧げられた先生でした。

J3の宣教師をしておられたグロリア夫人と1957年5月12日に(室園教会で)結婚して58年間、5人のお子さんたちをグローバルなスケールの中で立派に育て上げ(4男1女)られました。ご家族の絆はとても強く、先生がご入院をされていた9月後半からは次々にお子様方がお見舞いのために来日されていました。

むさしの教会には、ちょうど三年前の2012年11月4日(日)に保谷教会から転入されています。84歳の時でした。人生の最後の時をこの教会に託されたのだと思います。私は葬儀の司式を名指しで指名されたように思いました。9月の最初に河北病院に入院された時も、CCUに伺うと石田先生はすぐにもしもの場合の時のことを口にされました。「自分はまた治るつもりでいるが、もしもの場合には、まず家族だけで斎場で見送っていただきたい。そしてしばらく経ってから記念礼拝を行い、そこではお花も写真もいらない。ただキリストの礼拝をしてくださればよいのです」とはっきりとおっしゃいました。このことをどうしても牧師に伝えたかったのでしょう。「分かりました。そのようにいたしますので、ご安心下さい」と私は申し上げました。

この三年間に、石田先生は4ヶ月に一度のペースで主日礼拝説教をしてくださいました。その説教テープが残っています。最後は今年の5月24日のペンテコステの礼拝での説教でした。先生はその説教の直後に体調を崩されたのです。正確には、体調不良にもかかわらず説教台に立って下さったと言った方がよいでしょう。言わば命を削りながら説教台に立つその説教者としての姿は私たちの目に焼き付いています。説教台で倒れるのは牧師冥利に尽きるようなところがあります。

石田先生の腹式呼吸で腹の底から発せられる凛とした声は、説教を聴く者を奮い立たせるような確かで力強い響きに充ちていました。石田先生が、自分が若い日に岸千年先生の「Repent(悔い改めよ)!」という説教の大きな第一声に魂の奥底まで震撼させられたことがあったと告げていた通りです。石田先生は説教者としてのスピリットを岸先生から受け継いでゆかれたのでしょう。

先生はむさしのだよりの巻頭言を昨年の5月号からこの9月号まで8回担当して下さいました。先日9月号の巻頭言「宣教91年目のスタートラインで〜『むさしの』歴史の担い手の一人として〜」が先生の絶筆となりました。石田先生は、これまでの牧会生活を総まとめする意味でも『神の元気を取り次ぐ教会』(リトン)を2014年2月に出版されましたが、現在も最後の本を出版準備中で、森優先生の力を借りながら最終校正の段階に入っているということで、お見舞いに伺うとその本について何度も言及されていました。そこには先生のご生涯の歩みが記されているそうです。「その中の一章はむさしの教会に捧げたい」ともおっしゃっておられました。

石田先生は「神の元気(スピリット=聖霊)」を聖書のみ言葉を通して分かち合うために神の召しを受け、牧師として立てられて、全力でその87年間のご生涯を全うされたのです。私は所沢の斎場での告別の祈りで、石田先生のことを覚えつつ、ヨハネ黙示録の2章10節からのみ言葉を引かせていただきました。「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう」(黙示録2:10)。この神の声の通りの牧師としてのご生涯を石田先生は貫かれたのだと思います。私の中では石田先生の姿は、やはり牧師であった私の父の姿と重なっていて、いつもとても親しいものを感じていました。

 

ヌンク・ディミティス〜シメオンの讃歌
「今、わたしは主の救いを見ました。主よ、あなたはみ言葉の通り、僕を安らかに去らせてくださいます。この救いはもろもろの民のためにお備えになられたもの。異邦人の心を開く光、み民イスラエルの栄光です。」これは、私たちが毎週の礼拝の中で歌っている「ヌンク・ディミティス(シメオンの讃歌)」です。
石田先生の最後の二日間はとてもお元気で、様々な事をよくお話しされたそうです。そして笑顔まで見せられたということでした。そのようにほがらかな姿は、シメオンの喜びの讃歌と重なって、とても石田先生らしい最後の日々であったと思います。心臓の機能が3割程度まで低下する中で二ヶ月に亘る苦しいご入院生活が続きました。息子さんのケリーさんご夫妻や、グロリア夫人が本当によく看病をなされたと思います。私は三度ほど病床聖餐式に伺いました。石田先生はワインをことのほか喜んでいただいておられました。聖餐式がこれほど力を持っているということを改めて、先生ご夫妻の聖餐式をどこまでも大切にする姿勢から教えられた次第です。

 

最高の掟〜アガペーの愛に生きる
本日の福音書の日課には最高の掟として二つの掟が記されています。これはモーセの十戒の、二枚の石の板を二つにまとめたものであるとされています。
「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」(マルコ12:29-31)

モーセの第一戒は「わたし以外の何ものをも神としてはならない」という戒めでした。これが私たちに求められる一番重要な戒めです。真の神を神とする、真の神以外の何ものをも神としない、絶対化しない。いつどのような時にも、真の神を神とする信仰がそこでは求められています。心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして私たちは神を愛するのです。しかしそれは、まず神が私たちをそのように、その独り子を賜るほど徹底して愛して下さったからです。神の愛が私たちを捉えて離さない。だから私たちは神を愛することができるのです。自分のすべてを注ぎ尽くすほどのアガペーの愛をもって主は私たちを愛し抜いて下さいました。

人生の行き詰まりやどうしようもない人間の現実の中で、キリストの愛が十字架と復活を通して私たちに注がれています。ただ真の神を神とすることができなかった私たちのためにキリストがすべてを与えて下さったのです。神の至上の愛が私たちに、無代価で、無条件で与えられており、その愛がそれを受け取るすべての人を義としてゆくのです。石田順朗牧師はそのことを生涯を賭けて指し示し続けました。一人の忠実なキリストの証人のご生涯が私たちの直中に置かれていたことを心から感謝したいと思います。

そしてキリストにつながることの慰めと希望とをご一緒に分かち合いながら、新しい一週間を踏み出してまいりたいと思います。ご遺族の上に、またここにお集まりの方々お一人おひとりの上に、神さまの豊かな祝福がありますよう祈ります。神の国での再会の日まで、私たちに与えられた命をそれぞれの場で、それぞれのかたちで大切に歩んでまいりましょう。 アーメン。

 

おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

2015年11月8日 聖霊降臨後第24主日礼拝(子ども祝福式)

サンパウロだより    徳弘 浩隆

1、日系ルーテル教会50周年「うらばなし」

目まぐるしい準備、賛美練習、各責任者の会議、招待状印刷に記念品袋詰め。まるで学園祭前夜(私は出たことがありませんが)のような日々が続きました。

「自分たちの50周年記念なのに、イベントの準備や接待ばかりで、『あれ?何かおかしいなぁ』と思うことがあるかもしれません。でも、内輪の少人数で集まってお祝いするためだけに、お金と時間を使わないことにしましょう。伝道集会にして、たくさんの方に日系ルーテル教会を知っていただきましょう」、そういい続けて皆をなだめて(?)、企画してみました。

すると、いろいろなアイデア、力が集められるものですね。皆も文句を言うのではなくて、新しい企画に驚き・楽しみながら取組んでくださいました。

教会員に、習字の先生、琴をしている方、ブラジル能楽保存会の方、手芸の先生、お花の先生がいらして、「出演」快諾。パソコン教室やシュラスコ会に出入りしてくださるボサノバのプロのブラジル人歌手、ギターを教えている歌手の先生、ブラジル留学中のギター奏者の仲間たちも。近隣ドイツ系ブラジルのルーテル教会の聖歌隊指揮者にMelo先生が声をかけると、ポルトガル語やドイツ語の賛美に、チェロやヴァイオリンも連れてきてくれます。

日本からは大柴先生が来られるということで、先生の専門を生かして「終活」をテーマに講演会も組み入れてみました。

簡単な通訳や翻訳はできますが、専門用語の通訳は歯が立ちません。そこで、先回の「むさしの便り」で登場したポルトガル語研修に出かけた時の先生夫妻に相談してみました。彼女の翻訳とご主人の校正で難しい用語もスムーズに。記念礼拝にはサンパウロに来て私とコンビで通訳や司会を手伝ってくれることに。

教会員は牧師とイベントディレクターに任じた代議員の姉妹を中心にして、その配下に司会、楽屋、ホール、台所、受付の各部署の責任者を配置。トランシーバーをつけて連絡が日ポ両語で飛び交います。その配下には他教会メンバーが配置されその指示でてきぱきと動くという段取りです。

考えてみれば教会員はほとんど裏方スタッフ。礼拝では半数以上が聖歌隊で壇上に上がります。つまり、お客さんが来てくれないと座席は空っぽということです。教会は手狭で同じ通りの徒歩1分の佐賀県人会ホールを借りました。テーブルとイスは200人ほど配置しました。

果たして何人来てくださるのか、日本からは?昔の教会員は?新来会者は? 空っぽならどうしよう?逆に新聞を見て沢山来られたら椅子や食事が足りない…と、不安も増します。予算も足りるだろうか?少し余裕があれば50周年記念事業で修理したい所が沢山あります。

祈りました。式典で習字の先生がみんなの前で「信仰・希望・愛」の3文字を大きな字で書くことにし、50周年の記念品の一つのキーホルダーにもそれがデザインされています。

キーホルダーには十字架もつけました。工芸品が趣味の教会員姉妹が作ってくれました。「そのこころ」は、「キーホルダーにはたくさんカギが下がっている。家や車や職場、自分のこの世の財産や大切なもの、自分の人生が現れている。しかし人生の本当のカギは十字架。そして、信仰と希望と愛。これがあればどんな難しいところでも、開けることができる」というメッセージです。それを見ながら祈りました。「神様がなんとかしてくださる。重たくあかないドアでも、こじ開けてくださる」と。準備期間中の礼拝でもそんな説教をして皆を励ましました。

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2、ふたをあければ神の愛

そして迎えた50周年記念礼拝。サンパウロの礼拝では300人を超す方が来てくださり、会場は満員でテーブルのない方も。「終活の講演会を聞きたくて来た」「良いお話が聞けた」「日本の文化からブラジルやドイツの音楽まで多文化の多様さが楽しめて感激した」という声がたくさん。「大盛況でびっくりした」「ブラジルのルーテル教会になくてはならない日系教会だと再認識させられた」と日系他教派やIECLBからの声もありました。忙しく走り回ってゆっくり食事もできなかった教会メンバーからも「やりがいがあり、楽しかった」という達成感の喜びの声が沢山。あとで「○○さんのお葬式も教会では手狭だから、この会場を借りて今回みたいにやってあげるから安心してね」と親子のような教会員が話してて皆で大笑い。
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 その後、訪伯団と一緒に、元サンパウロ教会や跡地を巡り、南米教会やDiadema集会所も訪問。JELAの支援先でもあったリオデジャネイロの教会施設や観光地の訪問、そして再度私も合流してリオグランデドスル州のIvoti、Itati、Porto Alegreの現地ルーテル教会やそこのメンバーの日本人グループと礼拝とFesta。Ivotiで25名、Itatiで45名、Porto Alegreでは200名(現地教会員含む)が集まりました。

 

3、キリストを頭にした一つの体として成長

「来年は皆で美味しいものをいただいてゆっくりお祝いしましょうね」と、今年の大騒ぎが終わって言いました。食事もあまり口に入らなかった人が多かったからです。でも、皆さん達成感と感謝で溢れていました。牧師とイベントディレクターをTopにおいてのイベントでしたが、その上にはキリストがいらして一つの体として成長させていただいたと実感します。

 さて、もっと教会も成長して次の時代を目指さねばなりません。もうひと頑張り。一番元気だった小笠原さんからも皆元気と希望をいただきました。今回、日系三世の洗礼式があったのも希望でした。みなさま、かみさま、よろしくお願いします。ありがとうございました。

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左:リオの十字架 右上:イグアスの滝にて 右下:小笠原さん、坂を上る

『エンキリディオン・小教理問答』クラスの実際   大柴 譲治

〜 むさしの教会の事例(5)〜 

セッション④

主の祈りは最初に「御名をあがめさせたまえ」「御国を来たらせたまえ」「御心が天になるごとく、地にもなさせたまえ」と神の御心の実現を求める三つの祈りが来ます。その後に「われらの日ごとの糧を今日も与えたまえ」「われらに罪を犯す者をわれらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ」「われらを試みに会わせず」「悪より救い出したまえ」という人間の願いの実現を求める四つの祈りが来るのです。私たちが祈る場合、多くは自らの願いの実現を神に祈り求めることが多いのですが、主の祈りは違うのです。まず「神の御心が成りますように」と祈っている。このような構造のゆえに、主の祈りを反復して唱える時に私たちの心は次第に整えられてゆくのでしょう。言わば「かたちから入る」のです。

「人間の感情は理性には従わないが行動には従う」と認知行動療法や最近の脳科学の知見は告げています。確かに、背中を丸めてうつむいたまま「頑張らねば」と思っても私たちの気持ちは変わりませんが、姿勢を正して胸を張り、顏を上げて目を上に向ける時に私たちの気持ちはフッと持ち上がるのです。私たちの気持ちは具体的な行動を通して変えられるのです(Lift up your heart!)。

私たちは悲しいから涙しますが、涙を流すとさらに悲しくなる。嬉しいから笑うのですが、笑うとさらに嬉しくなってゆくのです。行動と感情とは不即不離の関係にあるのです。書道でも華道でも武道でも、芸事は最初に「基本形」を学ぶことに意味があると思われます。「かたち」から入ることはとても重要なことです。その意味で、「キリスト道」(信仰生活)も「十戒」「使徒信条」「主の祈り」という「かたち」から入ることは大切なことと思われます。

 

セッション⑤

「洗礼と聖餐」では、「恵みの手段the means of Grace」としてのサクラメント(聖礼典)に言及するようにしています。常にそのイニシアティブ(行為の主体)はどこまでも神の側にあることを再確認しています。

 

セッション⑥

「教会構造と信仰生活」では、JELC全体の構造を視野に入れつつ、むさしの教会の総会資料を用いて教会組織について説明します。献金についてもここで触れます。献身・献財の基本的な考え方としては、私たちに贈り与えられているものの「10分の1」ではなく「10分の10」が神さまのものであり、そのことの感謝と献身を表すしるしとして献金があることをシェアしています。この教会に召された信徒の一人として教会を支える義務があることや、信仰生活の中心は礼拝にあることを確認した上で、礼拝の中で行われる洗礼・堅信・転入式文についても具体的に説明します。教保を誰にお願いするかについてもここで話し合います。洗礼時のみでなく堅信や転入時にも私はできるだけ教保を立てるようにしています。また、洗礼名についての希望があればここで聞いておくようにしています。祈ることをもって90分6回に渡る、一対一の小教理クラスを閉じてゆきます。

以上が、私が1986年に牧師按手を受けてほぼ30年間、コツコツと積み重ねてきた小教理クラスについての現場からの実践報告です。牧師が真剣かつ一生懸命向かい合ってくれることに受講者たちは安心するのでしょう。一人ひとりが神の前に「かけがえのない(irreplaceableリプレイスできない大切な)存在」であることを、そのセッションを通して私たちは分かち合っているのです。

「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛している」とイザヤが告げている通りです(43:4)。この30年間、私は神さまの救いのドラマにその最前列で参与する栄誉に与っているのだと感じてきました。その思いはさらに深まってきています。

そのことを心から幸いに思っています。たとえ裸でかしこに帰らなければならないとしても、やはり「主の御名はほむべきかな」と共に告白してゆきたいと思っています。s.d.g.(完)

むさしの教会宣教90年記念日「お祝いの言葉」 和田 みどり

宣教90年の歩みを常に支え、祝福をお支え下さった主を讃美します。歴代の牧師、宣教師の先生方のご努力とお導きを心より厚く感謝申し上げます。この佳き日に教会を覚え、久しぶりに集ったお一人お一人の胸にある想いと共に記念礼拝を持てたことは大きな喜びでございます。

キリストを証として生きた信仰の先輩方を覚え、教会の家族となり、一足一足信仰の道を歩み、お互いに絆を強められるむさしの教会は私の誇りです。

教会の礼拝は式文に従って懺悔より始まり、4曲の讃美歌を歌い、神を讃美いたし、牧師の福音のお言葉は私たちの心に深く響き、讃美を通し、教会に奉仕する心、自分を見つめる心を高め、教会生活を楽しみながら明るい心になっていきます。

ノアの方舟をかたどった教会堂、数々の彫刻、イエスの温かい眼差しのステンドグラスは一番みんなが休まる場所であり、私たちが病んでいるときは勇気を頂き、力を頂き、清めて下さり、喜んで心が明るくなり、重い心を軽くして下さる場所です。

私事ですが、クリスチャン三代目の私はミッションスクールに入学、初めての聖書の時間に詩編23編を教えて頂きました。この美しい聖句を来週までに暗記してくるように宿題が出ました。戦争前の事です。聖書は全部文語体でした。苦労して覚えました。

その聖句であるステンドグラスが教会のシンボルとして置かれたことは驚きであり、嬉しかったのを覚えています。

神様に今も生かしていただいております。

 

昭和5年に都心より鷺宮に引っ越してまいりました。自然一杯で田園、川、白鷺の飛び交う中、朝に夕に神学校より流れてくる讃美歌の鐘で育ち、昭和8年には二人の従姉妹は神学校の一室で始まった日曜学校へお手伝いに向かいました。5歳の私はいつも喜んで付いていきました。ルーテルとの出会いでした。青山四郎牧師が神学生の時です。

戦争も終わり、神学校教会として昭和21年より日曜学校が始まり幼稚園に勤めていた私は今度は教師として招かれました。ベビーブーム時代です。

当時一緒に遊んだ子供たちは、今教会の立派な柱となり、力となり、自分の教会のご奉仕に励んでおり、本当に嬉しく感謝の限りです。

賀来先生、キスラー先生時代はしばらく教会をお休みしておりました。クリスマスキャロルが我が家にいらした時はお休みどころとして35年間「お汁粉や白菜漬」で沢山の方に楽しんで頂きました。その頃の集会は自宅周りでしたので「いとすぎ例会」が我が家である時は母が必ず「ちらし寿司を作ってね」と所望されいつも30人位の方がいらして下さいました。母は「いとすぎ」の先輩です。

21年前嬉しい教会へ戻ることが出来ました。成長した教会は立派になっておりすっかり基礎が組織化され皆様のお顔がお元気にイキイキなさっておりました。

役員の皆様のご奉仕に感謝しております。

 

私の21年間は山あり谷ありでしたが、その経験を生かしご奉仕が出来る事、楽しんで励めることは嬉しいことです。気が付いてみると神様がチャンと見ていて下さり、守ってくださり、見放されることなくいつも共にいて下さったことを深く深く感じ感謝一杯です。私の生涯は一つの教会で育てて頂き皆様と共に歩める幸いを喜びとしています。

時代がどんどん変化し、すべて電子化され急速に変わったことは驚きです。

90年史が編纂され、先達された方々の証を通し、宣教ビジョンを教会員一同一貫となって100年を迎えるため討論会を重ね、話し合いが出来ることは何より嬉しいことです。

神様の見守りのなか、一つになって教会が発展されることをせつに祈って今日のお慶びの言葉にさせて頂きます。

 

もう一言申し上げます。10月7日に100歳を迎える矢島英子姉は冒頭に話した神学校の日曜学校に(昭和8年)奉仕なさった方。また柴崎芳子姉は99歳の方。お二方は「今日参上出来ませんが本当に嬉しい記念日でお慶び申し上げます。」と伝言がございました。

              2015年10月4日

宣教90年記念礼拝祝会報告   田村 浩

むさしの教会会員の皆様には主のお守りのもと、ご健勝にてお過ごしのことと心よりお慶び申し上げます。

「むさしの教会」は90年前、熊本の九州学院から鷺ノ宮に移った「日本路帖神学校」の中に「日本福音ルーテル神学校教会」として産声を上げましたが、それを記念して、2015年10月4日(日)に記念聖餐礼拝と祝会が盛大に開催されました。お忙しい中お集まりいただいた方々に厚く感謝申し上げると同時に、いらっしゃれなかった方々からも多くのお祝いのメッセージを頂き、本当にありがとうございました。ここに心より感謝申し上げます。

当日は晴天にも恵まれ、6年前のホームカミングデーとほぼ同数の216名の方々にお集まりいただき、また、祝会にも175名以上の方々がお残りになられ、楽しいひと時を過ごすことができましたことは感謝すべきことでした。

司式は、むさしの教会元牧師である賀来周一牧師、ルーサー・キスラー宣教師、徳善義和牧師と、現牧師の大柴譲治牧師、そして説教は日本ルーテル神学校校長石居基夫牧師にお願いしました。むさしの教会と共に歩んでこられた歴代5名の牧師が勢ぞろいされた素晴らしい礼拝になり、聖歌隊の讃美と相俟って、200名を超える出席者による讃美の響きが圧巻でした。かつてむさしの教会の歴史のひとこまを担われて今は主のみもとに憩われた先輩諸兄姉も、天上から共に讃美をすることができたのではないかと思います。

礼拝後の全員での記念写真も掲載させてい ただきましたので、ご覧ください。細かくてお顔は判断できないと思いますが、当日の厚い熱気が感じられると思います。

祝会には東教区長の浅野直樹牧師、ルーテル学院大学学長江藤直純牧師もご出席くださり、祝辞をいただきました。総会議長立山忠浩牧師からの祝電、フィンランドの元宣教師ヨハンナ・ハリュラさんからのメッセージも読まれました。5人の歴代牧師とドロシー・キスラー夫人、豊田静太郎兄、川上範夫兄、和田みどり姉のご挨拶、若手音楽家の教会員たちによるすばらしい演奏、加藤逸雄兄の詩吟など、いずれも心に響くものでございました。

久しぶりに米国からお招きしたルーサー&ドロシー・キスラー先生ご夫妻を交えて、懐かしい昔話に花が咲きました。この歴史に一度しかない90年を皆様と共にお祝いできました事を感謝申し上げます。これからの新たな一歩を力強く踏み出す思いを、皆様と共有できたと事と思います。これからも「むさしの教会」が神様の祝福に守られ、地域の人たちと共に歩んでいくことができますようにお祈り申し上げます。

90年誌編纂委員会によって作成される「90年記念誌」を、記念品としてお贈りさせていただきます。75周年からの15年間を中心に編集されておりますが、歴代牧師による座談会など、内容も豊富ですので、楽しんでお読みいただければ幸いです。

最後に、今回この90年記念聖餐礼拝と祝会を ご準備くださった方々、本当にありがとうございました。感謝をもってご挨拶とさせていただきます。

-ブラジル感想文- 旧友との再会の旅 小笠原 悦子

前回50年前に東回りでブラジルに行ったが、今回は往復西回りの旅でした。

東大に留学中私が保証人になっていたN姉がサンパウロに住んでいるが、彼女から待っていますとのメールがあり、参加を決めました。

全国プログラムで大勢かと思っていたが、牧師夫妻ほか4名の参加だった。横須賀教会からの女性と終始ご一緒できたことは幸せでした。

大会は大きい佐賀県会館で超満員の盛況でした。徳弘先生大活躍、日本語とポルトガル語の通訳でした。式次第も両国の言葉で書かれていました。

礼拝後は用意して下さった御馳走を頂き歓談。会いたかったN姉はお姉さんと一緒に来て下さり久々に嬉しい一時を持つことが出来ました。

日本からの牧師派遣は徳弘先生が8人目とのこと。現在二世、三世の時代になり日本からの応援も最後ではないかと伺いました。ポルトガル語を徳弘先生は二世の方から教わったとのことでした。

着いた夜教会員の方々がホテルに来て下さり歓迎の夕食を共にしました。私の隣は教会員の男性で年配の方、話している内に塩原先生と分かりお互いに驚きの再会でした。

何十年も前、シャロンで諏訪教会を訪ねる途中、塩原先生のお宅により先生がブラジル教会で以前お働きのこと、その後何度も訪問され会員の方々と交流が続いているお話を伺い、その後一年に一度その年の様子を知らせて頂いています。

50周年記念においでになっているとは知らず、嬉しい再会、これが旅の始めでした。

-ブラジル感想文 – 旅で出会った一人ひとりにObrigado!(ありがとう!) 金 賢珠

ブラジル宣教50年記念訪問団参加メンバー6人は10月10日(土)、アブタビ経由でサンパウロへ着いた。11日(日)サンパウロでの50周年記念礼拝から始まり、これまで関わりのあった宣教各地を訪問し、多岐に渡るプログラムのハードなスケジュールの中、「疲れを知らない鷲のように」10日間の旅を続けた。93歳になろうとする小笠原悦子姉には敬意を表したい。私はこの旅で出会った人々の言葉を紹介し、紙面を通して共に分かち合いたいと思う。

特にIVOTIやITATIの日系人たちが現在の生活までのそれぞれ数多い苦しみや悲しみ、喜びの貴重な体験や語りは深く私の心を捉えた。「私はもう自分のためには祈らないです。神様の御心がなるように、それしかないです」。「目の前のことばかりを無我夢中でやってきました。自分の世界からひょいと目を上げると神様の世界があったのですね。神様の世界は小さくなかった」。

何人かの男性は、目を輝かせながら移民生活を振り返り、「山と川を見つけ、自分たちの安息の地に辿り着くまでには多くの苦労がありました」と淡々と語ってくださったが、その笑顔には真に内面的なジェントルマンの姿が感じられた。これらの言葉は、味わってきた深い悲しみと苦しみの中からしか語ることができない生の言葉であると理解した。人はそれぞれの場所で神様と出会い、小さな無名のキリスト者として証ししながら生きる。

旅の最後にIguaçúの滝では、天地の造り主である神の臨在を全身で体感し、何処からか神様の声が聞こえるような気がした。そしてそこにくっきりと見えた大きな虹は、50年間の歩みや旅で出会った皆に神様が示す永遠の希望であるに違いないと思った。お一人おひとりに心からオブリーガード! 

詩篇121

教会と一般社会集団、どこが違う?   賀来 周一

多様性集団対均質性集団

 一般社会における集団は、どこでも均質性を保っています。多くの集団はその集団に属するために適切な資質を求めます。そのために試験や面談をして一定の条件をクリアーした人たちが集まります。それに対して教会は一定条件を満足した人が集まるわけではありません。年令・性別を問わず、能力・資格を問題にしません。今日初めて教会に来た人もいれば、何十年と教会に来ている人もいます。多種多様な人が集まっているそれが教会です。

 定年を迎え第二の人生として牧師になられた方がおいででありました。「私が会社にいた時は、これをしてくれと部下に言えば、すぐしてくれました。でも教会はちがいます。おいそれと物事が進みません。」 私は申しました。「それが教会というものでしょう。皆、それぞれに関心が異なり、生活環境もちがう。ですから教会では何事をするにも手間暇・時間がかかるものです。」その方は「そうですな。このような集団に若い頃から慣れている人が羨ましい」と言っておいででした。多様性これが教会の特質です。要するに、いろいろな人間がいることができる、それが教会です。

 

自主的運動体としての集団対命令制度で動く組織集団

 一般社会の集団は、多く組織体としての性格を持っているものです。ですから命令や制度・規則で動きます。しかし、教会はその集団を構成する個人の自主性で動きます。信仰者が自ら身につけた聖書に基づく倫理観や価値観はありますが、それらを管理することはできません。教会は、あくまで自分の意思が優先する世界です。効率的に物事をこなし、目覚ましい実績をあげることを目的にした集団ではありません。

 必要な無駄、無駄働き、非効率、それらが意味を持つ集団です。

 

気持ちが優先する人間集団対生産効率で動く集団

 教会は、損得、あるいは生産効率で動く集団ではありません。ですから業績をあげるとか、自分の気持ちを抑えてでも誰かの配下に付く、誰かの命令に従うといったことはありません。上下関係なし、肩書き抜きで一緒にいるのです。そうなると気持ちが人間関係を作ります。気持ちは、人の本音を表すものです。人の本音が行き交い、温かい感じに満ちているか、厳めしい空気が流れているか、教会毎に雰囲気がちがうのは、そこに集う人々の気持ちの表れによります。

 隣り人を愛する気持ちが優先する教会は活き活きしています。

 

永続的所属集団対限定的所属集団

 一般社会の集団は所属期間が限られています。会社には定年があり、学校には在籍期間が設けられています。それに対して、教会には所属年限がありません。教会は、生涯を預け得る集団であり、死を越えて永遠に所属し得る集団です。死んでも召天会員として名を残します。生と死を結ぶ集団、それが教会なのです。天の教会という言葉はあっても、天の会社も学校もないのです。

ですから、生きている間にすべてを為し遂げることが出来なくてもよいところなのです。

~読書会から~  筒井 康隆著 『旅のラルゴ』 菅原 玲子

初めて読書会に参加をした日、私は活発に意見が交わされるその場の明るさにすっかり魅了されました。その日は大柴先生もご出席されていて、終始ニコニコと皆さんの意見に耳を傾けていらっしゃるご様子がとても印象的でした。当日は漱石の『吾輩は猫である』が取り上げられていましたが、私は漱石がクリスチャンではなくむしろ反クリスチャンのような言動を取っていたことを知り、そこでまた教会の間口の広さを感じた瞬間でもありました。

次の読書会は筒井康隆氏の『旅のラルゴ』との事、私にとり筒井氏はSFっぽい感覚の本を書く人との印象があり、今まで読もうと思ったことがありませんでした。「高度な文明を失った代償として、人々が超能力を獲得したこの世界」という帯の言葉に興味をもち、一気に読みました。一旦文明を失くした人々が次第に再び文明に染まっていく過程がとても自然であり納得がいきました。私達も又この過程を経て今日の文明にいたったのでありましょう。

私はかつて古事記に興味を持ちました。 語り部の稗田阿礼は実在していなかったと云われていますが、「この本の中でのヨーマの存在はあながちそうとも云えないのではないか。記憶力の抜群に強い人の存在はたしかにあったのではないか。」と想像力を逞しくできたことも楽しいことでした。

何よりも私は自分では決して選ばなかったジャンルの本を、こうして楽しんでいる自分を発見し、確かに私の内部で何かが変化していると感じました。

「何事も乗り越えることに意義がある。」との信条のもと、自分自身で努力をし続けてきたこれまでの日々、それが自然の成り行きに任せようとの心になり無理がなくなりました。

やがて「すべてをより大きな力に委ねる」心に私もなっていくのでしょうか。

それがいつなのか私にはわかりませんが、「委ねて祈る」そこに行きつく過程を今私は存分に楽しんでいます。

そうした意味で今回『旅のラルゴ』に出会えたことは私にとって大きな意義のあることでした。

~読書会から~ 又吉 直樹著 『火花』 川上 範夫

 本書は本年度芥川賞の受賞作である。発刊当初から異常な売れ行きだ。単行本で250万部、月刊『文芸春秋』(受賞作を掲載)を含めるとその販売総数は300万部を越え、今や社会現象である。

 これには諸々の要因があると思うが、まずは著者が又吉直樹というお笑い芸人だという点であろう。(又吉は友人とピースという漫才コンビを組んでおり既に相当の知名度がある。)更なる要因としては、一般に余り知られていないお笑い業界の実態を本書が描いて見せてくれた点だと思う。

さて、話は熱海の花火大会に余興として呼ばれた芸人の徳永と神谷が知り合い、徳永が業界で先輩格の神谷の弟子になるところから始まる。

芸人の先輩と後輩との交流を通し、寝ても醒めてもお笑いのネタを考えている芸人達の苦闘の記録である。話は主として徳永の語りで進んでゆくが、会話の面白さとそのテンポは絶妙である。

ところで私の感覚ではお笑い芸人は「ビートたけし」や「渥美清」のように浅草という下町で生まれ、長い下積みをへて世間

に出て行くものとの先入観があるが、近年の芸人は芸能プロダクションに属し、事務所が設営する社内ライブで勝ち残り、テレビ界へ進出という足取りのようである。また、彼等の生活の場は浅草のような下町ではなく、吉祥寺などシャレた住宅街で、私のような古いお笑いファンとしては大いに違和感をもつところである。

だが、現代の芸人達は常に激しい競争にさらされ、浮き沈みは目まぐるしく昔とは違った厳しさがあるように思える。

バザー&フェスタ感謝のご報告 バザー&フェスタ委員会

むさしの恒例バザー&フェスタ2015は11月3日(火)に、みなさまのご協力のもと成功裏に無事終了いたしました。誌面の関係もありますがミニリポートをいたしましょう。

★バザー会場:軽食&食堂コーナーは開場と同時の担当者 “やる気スイッチON”で出力全開。好評定番メニューの食券は午前中に完売御礼状態(今回は若干のスリム化も影響)、現金コーナー含め嬉しハラハラドキドキ。

★物品販売会場:プロ顔負けの“1day商人”が収集・制作した手工芸品・珍品名品を求めてあちこちで丁々発止のコミュニケーションが繰り広げられ、キッズのバルーンアート・手品も大人気。

★フェスタ会場:出演者16ステージの内訳は、カントリー&ポップスバンド、HIPHOP、フィンランド語&英語賛美、JAZZ、ギター・ピアノ弾き語り、カントリーダンス、バレエ、女性合唱、アコーディオン、ピアノ&ヴァイオリン、手話&賛美。この多彩・充実さは天井知らずとも。

 以上、全ては主のお導きと教会内外のご理解ご協力、陰日なたの無い作業全般と祈りによるお支えがもたらしたものと心から感謝いたします。

「チームむさしの」お一人おひとりの上に、主の祝福と労いが豊かにありますように祈りつつ、お健やかでクリスマスと新年をお迎えくださいませ。ごきげんよう!

(八木高光・青村ゆかり・八木久美・猿田幸雄)

クリスマスは教会へいらっしゃいませんか

●アドヴェント(待降節)第二主日聖餐礼拝 
12月6日 (日) 10:30〜
説 教:賀来 周一牧師「神の救いは、まっすぐに来る」


●クリスマス聖餐礼拝&祝会
12月20日(日)10:30〜

説 教:大柴 譲治牧師「希望の光」

●こどもクリスマス礼拝&祝会
12月23日(水・祝)13:30〜

【プログラム】
一部 クリスマス礼拝(お話:「さびしい夜に」多田哲神学生)
二部 手品とハンドベル
三部 クリスマスパーティ(お茶とケーキ・ゲーム・プレゼント)
年齢を問いません。ご家族でお誘い合わせの上、お越し下さい
※詳しくはこちらから

●クリスマスイヴ 音楽礼拝
12月24日(木)19:00〜

説 教:大柴 譲治牧師「交響的前奏曲」
※詳しくはこちらから

●元旦礼拝
1月 1日(金)11:00〜

説 教:大柴 譲治牧師「初夢」

●顕現主日聖餐礼拝
1月3日(日)10:30〜

説 教:大柴 譲治牧師「祝祭の人生」

編集室から

幼少期にあった不可思議な体験(感覚)が無くなって久しい。そのころ世の中はWonder(不思議・驚き)に満ちていた。見るもの、聞くものの多くが未知である故、固定観念に縛られる事無く、起きる出来事をとらえていたのだろう。例えばデジャブ(既視感)と呼ばれる感覚もその一つだ。初めて見る光景にもかかわらず、既に経験した想いが湧くのはどうしてだろう。

学生時代のある時、急に起こったデジャブ:「この状況は以前経験したことがあり、次に何が起こるかも分かる」を、その場にいた友人達にどうしても証明したくて、急いで次に起こる出来事を話した。結果は…何と、正に自分が予言した通りの展開になったのだ。後にも先にも証明できたのはその一度だけだ。いつからか身につけるべき「世の常識」が増えるにつれ、そのようなWonderに満ちた感覚・経験も次第に姿を消していった。

西洋の言い伝えにはこうある -世の真実とは「Seeing Is Believing」(見えるものが信じられるもの)ではなく、「You See What You Believe」(あなたは自分が信ずるものを見る(経験する)ことになる)- と。この言葉が心に刺さる今日この頃である。(髙)

編集室から

徒然なるままにインターネットを開き、自分の名前を検索してみた所、世の中には自分に似た人が3人はいるといわれているが、名前はどうだろうかと思い私の名前はそんなにポピュラーではないと思っていたのだが、同姓同名の人がいることに驚いた。

データによればその方は新潟在住の眼科の女医さんだと知り、一瞬どんな方でどんな人生を歩まれたのか会ってみたい気にもなった。

元々占いとか姓名判断などはまったく信じていないのだが、私と同じ名前の方が、強運で幸せな日々を送っておられることを願わずにはいられない。

又別の日に我が家の先祖と言われている人をインターネットでひいてみた。そこには江戸時代初期(1637年)に勃発した「島原の乱」のとき天草四郎ひきいる反乱軍の軍師であったこと、1638年4月原城落城の時61歳で討ち死にしたことなどが明記されていた。NHKのファミリーヒストリーではないが、私のルーツを少し調べてみようかと思っている。
(ね)