アドヴェント黙想 〜 信仰によるレジリエンス  大柴 譲治

 人生を旅に譬えると、この旅には何が必要なのでしょうか。目的地?計画?健康?智恵?余裕?仲間?情報?それともやはり先立つものはお金?人生には山あり谷ありですから、先人や長老たちの智恵は確かに優れた価値を持っていましょう。「速く行きたいならば独りで歩きなさい。遠くまで行きたいなら誰かと一緒に歩きなさい」というアフリカの諺を思い起こします。困難に直面した時、傍に相談できる家族や仲間がいてくれるということは大きな支えです。ホスピスチャプレンの経験からもそう思います。

 「レジリエンス」という言葉があります。本来は「(バネの)復元力、回復力」を意味しましたが、今は「逆境(に打ち勝つ)力」とも「折れない心」(NHK『クローズアップ現代』)とも訳されます。「雑草力」とも訳せるかもしれません。そこでは、性格や自尊感情など自らの態度が重要になりますが、さらに重要なことは自分の傍に誰か聴き上手な人を持つことです。聴いてくれる友を持つ人はレジリエンスが強化されてゆきます。人は自分の気持ちを言葉で表現することで自らを客観化・相対化することができるのです。ドイツなどには「分け合えば、喜びは二倍、悲しみは半分に」という諺があります。私たちは互いに支え合う仲間を必要としています。

 旧約の神の民も荒野の40年やバビロン捕囚という苦難を体験しました。本来「荒野」とは人が自分の力に頼っては生存できない場のこと、神に頼る以外にない場のことを意味します。人生の荒野の直中で神を信ずることで強い逆境力(レジリエンス)を鍛えられていったに違いありません。

そのことは150編ある詩編の40%が嘆きの詩編であることからも分かります。詩編は信仰共同体の中で歌われてきた共同の祈りです。神に向かって共に嘆くことで、自分の中にあるものをすべて神に吐き出すことで支えられていったのです。神に向かって吐き出してよい。嘆き祈ることを通して彼らは「わたしはあなたと共にいる」という神の確かな御声を聴き取っていったに違いありません。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)とイエスも語られました。

 今年も11月29日から待降節(アドヴェント)に入ります。主の到来に心を向けて備える期節です。典礼色は紫。それは悔い改めの色、王の色。自らを吟味しつつ、今から二千年前の降誕(クリスマス)の出来事(第一の到来)と終末時の主の再臨(第二の到来)とを覚え、両者の間で人生の歩みを処してゆきたいと思います。救い主が向こう側から一歩一歩近づいてきてくださるのです。

この近づいてこられるキリストの中に信仰の力(レジリエンス)の源がある。人生という旅の途上で無くてならぬものものはこの力です。アドヴェントはそのことを確認する時でもあります。それ以外の必要なものはすべて添えて与えられてゆくことでしょう。
 宣教91年目のバトンを石田順朗先生から引き継いで、私たちは今ここに新たな宣教の歩みを踏み出してゆきたいと強く願うものです。