使徒書
説教「平安あれ」 神学校3年生 秋久潤
2014年4月27日(日)
ルーテルむさしの教会 復活後第一主日
神学校3年生 秋久潤
使徒言行録2章22-32節
ペトロの手紙一 1章3-9節
ヨハネによる福音書20章19-23節
説教「平安あれ」
私たちの父なる神と、主イエスキリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン。
先週の日曜日、私たちは、「ハレルヤ!」という喜びの声を上げて、ご一緒に主の復活をお祝い致しました。この復活は、主イエスが、私たちに与えてくださる、新しい命。私たちが洗礼を受けることによって、主イエスと共に死に、そして、イエスの復活によって新しい命を得るのだ。そのことを記念するのがイースターでした。この世的な目から見れば、リーダーであるイエス・キリストを失い、夢破れて、故郷ガリラヤに帰る弟子たちが、主イエスご自身の命令によって、ガリラヤに帰るのではなく、新しく行くのだ、そのように、私たちは先週の礼拝で派遣をされ、一週間経ち、またこの場所に集まっています。
毎週一回、日曜日に礼拝に集まる。それは、呼吸をすることと似ているのではないでしょうか。息を吐いて、吸う。呼吸をしなければ人は生きていけない。礼拝の終わりに派遣されることによって、私たちはこの、教会の中から外へと遣わされていく。そして一週間経つと、またこの教会の中に吸い込まれていく。その呼吸を繰り返すことが、私たちの命の息、キリストと共に生きる者の呼吸ではないかなと思うのです。
本日このあとは、イースターコンサートが行われ、そこでは様々な楽器の音が奏でられます。楽器の音も、空気を通さなければ、聴くことができない。空気のない宇宙では、音は聞こえません。管楽器を吹くときの口から出る呼吸、弦楽器を鳴らすときの弦の振動、あるいは歌声、そしてそれを聴く私たちの鼓膜や、お腹で聴くという人もいます。全て、空気の震え。神の息が、私たちに伝わってくる。そのようなことではないのかなぁと思うのです。
本日与えられました聖書には、聖霊を受けなさい、という言葉が出て参りました。聖霊と聴くと、ペンテコステ、もうちょっと先の出来事ではないのかなぁと教会に来慣れている方は思われるかも知れません。まだイースターなのだから今は復活の時期ではないか。ですがヨハネ福音書は、復活のイエスを語るときに、ちょこちょこと、そこには聖霊の働きというものが登場してくるのです。
教会に集まる私たちと同じように、弟子たちは、イースターの日の夕方、一つの家に集まっていました。そこで彼らを支配していたのは、復活の喜びではなく、恐れだったのです。私たちも、礼拝に出て、イースターの喜びを共に分かち合う。何か良いことが起こったのかもしれない。だけど、実際に家に帰ってみると、はて、私の生活と、主イエス・キリストの復活はどういう関係があるのだろうかと、まあ、思ったりすることがあるかもしれません。この家に集まっていた弟子たちも、マグダラのマリアから「主イエスが復活したのです」という知らせを聞いていたんですね。その日の夕方とある。その日の夕方。ですが朝にはマグダラのマリアは一人、空になった墓の前で佇んでいた。そこにペトロとヨハネも駆けつけたが、復活の主と出会えたのは、その二人の男弟子が帰ってしまって、一人泣いていた、そのマリアのもとに、主イエスが現れた。ですから、マリア以外に、その主イエスの復活のことを証言できる人はいないのです。いくら主イエスが復活されたという喜びを持って、弟子たちの集まっていた家に行っても、弟子たちはだれも信じなかったのです。むしろ、家には鍵を掛けていた。なぜなら、ユダヤ人たちを恐れていたからとあります。弟子たちもユダヤ人なんです。ですが、自分たちはもともとユダヤ今日を信じていたが、イエス、ナザレのイエスという人物を、私たちの神から遣わされた子だと、ついていくことによって、同胞のユダヤ人たちから睨まれるようになる。しかも、力を持った主イエスは、十字架に掛かられて死んでしまった。これから私たちはどうしていこうか。まあそのような恐れがあったのでしょう。
わたしたちは恐れを抱いたとき、誰か、ある人に対して気まずいなあ、悪いことをしてしまったな、あるいは悪いことをされたな、と思ったとき、その人と、どのような関係になるでしょうか。おそらく、身を隠す、ということを行うのではないでしょうか。本日、ルーテル学院の学長になられました江藤直純先生が、私の説教の指導を今期してくださっているんですけれども、今日、聴きに来てくださったんです。ボスが来てくださった。でも、私としては、説教の準備がこれでいいのかなぁという恐れがあるわけです、喋りながらも。そうすると、来てくださったにも関わらず、隠れていたくなる、コソコソとしていたくなる。あるいは、何か言葉数を多くすることによって、ごまかそうとする。隠れやごまかし、それが、人が恐れを抱いたときにやってしまうことではないでしょうか。
実は今日お読みした箇所というのは、創世記の3章、あの蛇がアダムとイブを誘惑した箇所と驚くほど似ているのです。神が、アダムに「好みは取って食べてはならない。なぜなら神と同じような者になるからだ」と言って禁じられた実を、蛇は女に、「食べてみたらどう?」とそそのかす。そして実際に、食べてしまうと、まず二人が行ったことは、自分たちが裸であったことに気付いたんです。そして、恥ずかしい部分があらわになっているとして、いちじくの葉を綴り合わせて、腰を蔽った、とあります。そこで生まれてきたのは「恥」であり、自分の恥ずかしい部分を隠そうとする。そして、父なる神が園の中をあるいている、それは風の吹くときという言葉がありました。その、歩いている音が聞こえてくると、二人は、園の木の間に隠れた、とあるんです。自分の恥ずかしいところも隠したいし、神からも隠れていたい。神は二人に対して、「どこにいるのか」と語りかけます。それは神の立場から見れば、二人が見えなくなってしまった、どこにいるんだアダムとイブ、という呼びかけだったかもしれない。だけど二人にとってはそれは、恐ろしい声だったのです。自分たちを殺しに来る声かもしれない。ああ、ばれたらどうしよう。そして、二人の実を食べたと言うことが父なる神に知られてしまう。「なんということをしたのだ」。叱責が始まるんです。すると、アダムがやったことは、「あなたが与えてくれたあの女が、私に実を与えたので、私は実を食べたんです」と、責任転嫁をする。また逃れようとするんです。神から逆らうこと、そして責任転嫁をすること、これが創世記が現す、罪。私たちが恐れを抱くときにしてしまうことなのです。
ユダヤ人を恐れて、家の中に隠れていた弟子たち。そこに何の前置きもなく、イエスが来て、彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」。ヘブライ語で「シャローム」という挨拶をされるんです。その後に、手とわき腹をお見せになった、とあります。弟子たちはそれを見て喜んだと書いてあるのですが、私は最初この聖書を見たときに、何で喜ぶのかなぁと不思議に思ったんです。死んでいた人間が目の前に現れていたら、パニックになる、驚くはずじゃないのか。しかも、その方は自分たちが裏切ったせいで、十字架に架けられた、その傷跡を見せてくるんです。普通であれば、「ああ、もしかして、私たちに復讐しに来たのだろうか。殺しに来たのではないのだろうか」と恐れるはずかもしれません。ですが、旧約聖書のときに「どこにいるのか」と語りかけ、人間たちが自分の罪によって、その神さまからの呼びかけを呪いの言葉として聴いてしまったのとは違う展開が、ここでは行われるのです。傷を見せ、そして「あなたがたに平和があるように」と言われる。傷というのは、私たちの人間の罪をまざまざとそこにあらわすものです。私たちは、イースターに主が復活しておめでとうと言います。ですけど、もし復活だけのできごとだけが起こったのであれば、それは私たちにとって、もしかしたら、お祝い事では無くなってしまうのかもしれないのです。なぜならそこには恐怖が付きまとうから。ですが、主イエスが言われた、「あなた方に平和があるように」、その赦しのことばがあるからこそ、十字架の傷を見せて頂いたことが、弟子たちにとって、救いの出来事となるのです。
赦しだけでは、私たちにとって赦しにはならない。私たちにとって、傷、主イエスに負わせた傷、私たちの罪が何なのかということを知ったときに、その主イエスの赦しとはいったい何なのかが分かるようになってくるのです。主イエスはだめ押しをするかのように、「あなた方に平和があるように」と伝え、そして、不思議なことをされるんですね。最初に、派遣をされるんです。「私の父が、私をあなたがたのもとに遣わしたように、今度は私が、あなた方を遣わす」。さらにイエスは、息をフーッと吹きかけ、個人に対してではなく、弟子「たち」に吹きかけるのです。まあ、大の大人同士で顔に息を吹きかけられたらちょっとムッとするんじゃないのかなぁと、まあコミカルなことも思ったのですが、まあ、息を吹きかけるということも、また創世記の中で、大切な役割が描かれているのです。
主なる神が、人を土から造られたとき、その鼻に、息を吹きかけられた。ここで主イエスがされているのは、恐怖によって、体は集まっているけれども、心はちりぢり、自分の恐れしか考えていない弟子たちを、再び、主イエスが真ん中に立たれる集まりとして、回復されるのです。
ペンテコステ、聖霊が送られるという出来事は、教会が造られる出来事です。この主イエスの第二の創造は、私たち個人が復活によって新しい命を得ると共に、失われた主イエスのからだ、イエスの教会が、私たちが集められることによって、復活させられていくという意味を持っているのです。
最後に主イエスは、このようなことを言います。「誰でも、誰の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だが、あなたがたが誰の罪であっても赦さなければ、その罪は赦されずに残る」と。まあ赦すも赦さないもあなた次第だ、誰の罪でも赦すことができる。あるいは誰の罪であっても、赦さずに放置しておくことができてしまう権威。それは、本来、人間には無いはずです。ファリサイ派の人々が、「罪を赦すこの人は一体何者だ」「お前は神なのか」と思ったかのような、その主キリストご自身の権威を、弟子たちに、託す。自分を十字架につけ、裏切った、また墓までは一生懸命走ってくるかもしれないけれども、そこで何かを感じたらまた家に帰ってしまうかもしれない、私たち、弟子たちに、その主イエスの赦しの権能を授けられるのです。「赦しなさい」と。
これは、人間の力だけでできる行為ではありません。聖霊が吹きかけられなければ、どんなに人間同士で赦そうと思っても、そこには隠しきれない限界がある。表面的には仲直りをしたように見えても、自分の心の深いところ、隠しておきたいようなところには、今なお、その相手に対する怒りや赦せないという感情がくすぶっている。私たちが罪を赦すことができるのは、何よりもまず、主イエスご自身が「あなたがたに平和があるように」「あなたがたの罪は赦された」その宣言、赦しがあるからこそ、私たちはその後に続いて、この交わりの中で、あるいは社会に出て行った後、目の前の人を赦すことができるのではないでしょうか。私たちが赦したから、その代償として赦しが得られるのではない。
とは言っても、赦せない私がいる。洗礼を受け、教会に通い続けてもなお、あの人は苦手だ。できれば隠れていたい。そのような現実も私たちにある。それは、創造され、神の愛のもとにいたにも関わらず、また、いちじくの葉を取って、自分の恥ずかしい部分を蔽ってしまう、人間の姿が、そこには今なお、根深くあるのではないのかなぁと思うのです。私たちは神から赦された、神から完全な赦しを得たとしても、なお罪人である。「義人無し。一人だに無し」。洗礼を受けても、私たちは義とされても、いまなお、罪人である。ですが、もう一つ、創世記の中には、重要なことが書かれているのです。それは、父なる神が、アダムとイブを、エデンの園から追放するときの出来事です。
父なる神は、二人に、皮の衣を造って、着させてやった。皮の衣。動物の毛皮のことです。それを造るためには、何かしらの動物の血が流されなければいけなかったでしょう。植物を切り取ってくるのとはわけが違う。それは、父なる神が裏切られたことによる、あるいは罪を犯した人間に対する怒りを抱えながらも、せっかく愛した人間たちを、自分のエデンの園から追放しなければならない、そのやるせなさ、悲しさの中で、二人に与えた皮の衣だったのです。
罪が赦されるには、血が流されなければならない。それが、旧約聖書が伝える、イスラエルの伝統です。その血を流されたのは誰か。主イエス・キリストご自身です。傷を負い、私たちの目の前に現れてくださったとき、そこにはやはり傷がついていた。血を流された。それは、私たちが罪を犯したせいで流された血であると同時に、私たちの罪を完全に赦すために流された血でもあったのです。
私たちは、週に一回、礼拝に来る。そして、最初に罪の赦し、罪の告白をして、御言葉を聴き、洗礼、聖餐へと与ってゆく。これは、主イエスご自身が私たちを新たに生まれさせるために、自分自身が変わってくださった。御言葉として、神の言葉として。そして洗礼における水において。聖餐式におけるパンとぶどう酒、からだと血とにおいて。私たちを生かすために、ご自身をお与えになる。また、息を吹きかけることによって、私たちの中に息づく霊となって私たちが教会から出て行く、神の庇護から外の世界へと出て行った後も、私たちの中で、主イエスは生き続けているのです。
先ほど私は、「全ての人は、罪人である」と申しました。その事実は、主イエス・キリストを頂いた後でも変わることがない。ですが、父なる神は、そのキリストを私たちに着させてくださった、ともあるのです。また、主・イエスキリストはここでも私たちのために変わるのです。司式者や説教者は、白いアルバを着ます。その下の中にあるのは、普通の人間、罪人が、真っ白なアルバを着る。これは、按手を受けたから、牧師だから着れる特別な服ではない。罪人である私が、主イエス・キリストから委託を受けて、主イエス・キリストご自身をあなたがたに伝える。その役目を担っている。そのことの証として、黒い私にも関わらず、その上から、真っ白な衣、キリストを着させていただく。それは、今ここにおられるお一人お一人の上にも、主イエスがご自分の体を裂いて着させてくださっている、皮の衣なのです。
「私があなた方を遣わす。」その聖霊の息吹は、私たちを赦してくださった証でもあり、また私たちを生かして、隠れたい、逃げたいと思っている、この世の恐怖へと、再び、派遣していく力なのです。そして、霊の力、それは、私たちが肉体が滅びた後も、続くのです。本日は、墓前礼拝が行われます。地上で体を失って、私はもう終わりなのだろうか、その不安やおびえがあるとき、私たちは肉体の機能はまだ残っていても、心ではもう死んだ者になりそうになる。ただ、主イエス・キリストが与えてくださる希望は、「私と共に死ぬ者は、私と共に復活する」。この希望があるからこそ、私たちは、死を乗り越えることができる。死は終わりではなく、その先がある。御国で、あの天に召された方たちと、再び祝宴を囲み、主を賛美するときが来る。この喜びが私たちに今日、告げ知らされているのです。私たちが隠したいところ、人前にどうしても表せない、できればなにかでごまかしたいような場所に、その真ん中に、主イエスは来てくださり、「あなたがたに平和があるように」「シャローム」、その赦しの言葉をかけてくださるのです。恐れるな、私はあなたと共にいる。この言葉を信じ、この一週間、主と共に歩んで参りましょう。お祈りを致します。
全能の父なる神さま、主の御名を賛美いたします。
私たちはあなたからの復活の恵みを共に与らせて下さり、そしていま、霊によってこの教会へと導かれて参りました。あなたは、私たちの真ん中に現れて下さったとき、傷ついたお姿をされていましたが、そのお姿をもってなお、私たちを赦し、本当の喜びと、安息へと導いてくださいます。私たちが赦された、この事実を以て、世へと派遣されていくことができますように。どうか、私たちをお守りお導き下さい。
いま、苦しみや絶望の中にある方に、あなたの光が届きますように。この祈りを、私たちの主イエス・キリストの御名によって御前にお献げ致します。アーメン。
【説教】「想定外の有り難さ – 今年の聖霊降臨祭」 石田 順朗牧師
テキスト: 使徒 2: 1-21、 ヨハネ 16: 4b –11
2013/5/19 武蔵野教会
石田 順朗
はじめに 今日は、主暦(Anno Domini)で2013年目、3/31の「復活祭」から数えて50日目の「ペンテコステ、五旬節」。2/13の「灰の水曜日」から始まった「四旬節」を併せると「90日目」にあたる「聖霊降臨日」。世間では「90日間の長期運転免許停止」やらが云々されるが、私たちにとっては「日本人の共感を呼ぶ永遠の同伴者」を見事に描く遠藤周作の 『イエスの生涯』を読み終えたような90日間。もとより、1/6顕現日に関連する「降誕祭」を加えて、「降誕、復活、聖霊降臨」の3大祝日の一つ、別称「キリスト教会の誕生日」。でも今回、特に付け加えて覚えたいのは、「震災後」では2年2ケ月目の「想定外の有り難い祭日」。
1.聖書に出てくる「出来事」の中でも、その突発性、驚異性の規模の大きさでは、実に「想定外」の「有り難い(起り難い)」出来事。「今現在」と同じように「想定外の有り難さ」の「重ね言葉」を説教題に掲げたゆえん。
第1、イスラエル民族のカナン定住後,農耕祭として祝われたユダヤ教三大祝日の一つ「五旬節」が到来したので、ペトロほかイエスのお弟子たちは「オリーブ畑」と呼ばれる山から、「安息日にも歩く事が許されている(900m以内)」近くのエルサレムへ戻った。翌日曜日の朝、「泊まっていた家の2階の広間(アッパールーム – 最後の晩餐の部屋? マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家?)」に入って、イエスの母マリアや女性の信徒たちと総勢120人ほどが「心を合わせて熱心に祈り」、ついでペトロが「裏切者のユダ」の後任補選を提案したのに応じて、ユストともいうヨセフとマティアの2人の候補者から、くじでマティアを選んだ場面。
その直後、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」。最近では、「平年並み」が珍しく、「平常通り」と聞いて一安心するような時勢にあって、猛烈な豪雨や突風、竜巻すら屢々起るような状況から、突風や轟音は、たえず警戒が呼びかけられる出来事。ここで「想定外」とは、「炎のような舌が分かれ分かれに現われ、一人一人の上にとどまった」ことだ。しかも「一同は聖霊に満たされ、”霊“ が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。当時「エルサレムには、あらゆる国々から帰って来た信心深いユダヤ人が住んでいた」が、この物音に大勢の人たちが集まってきて、「だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」。
無理もない!このような「想定外の有り(起こり)難い出来事」を目撃した人々の反応は今も昔も変わりない。「人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った」。ただここで見逃してならないのは、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」とあざける者がいたことだ。すると、ペトロが、つい補選されたばかりのマティアを含む11人の弟子たちと共に立って、声高く説教し始めた、と報じられる。想定外の「有り(起こり)難い」出来事が「ありがたい、意味深い出来事」に転換し始めたのである。
2.「想定外の有り難さ」 頻繁に使う「ありがとう」の語源は、形容詞「ありがたし」の連用形「ありがたく」がウ音硬化して「ありがとう、感謝」となったといわれる。「有り難し」は、それこそ「有る事が『かたい』」で、本来の「滅多にない」から「珍しくて貴重だ」に転化し、やがて「ありがとう、感謝」になったという。古典では「この世にあるのが難しい」(『枕草子』)から、中世に至って、仏の慈悲など貴重で得難いものを戴いていることから、宗教的な感謝の気持ちとなり、近世以降は、感謝の意味で広く人々に口ずさまれるようになったと知らされている。
「想定外」だらけの今日、ただ驚愕(おどろき)や「戸惑い」だけでなく、時には、「ありがたさ」つまり「有り難く感謝すること」は大事。これが今日の出来事の核心だ!
1)「想定外の有り難さ」の第1は、ペトロほかイエスの弟子たちが、直ちに思い起したイエスのみ言葉で、それは本日の福音書の日課。『ヨハネ』16章では、イエスの決別の辞にふさわしい「まことのぶどうの木」のたとえを用いた「お話」に続き、「これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである」とのイエスの語りかけである。それは「弁護者」としての「真理の霊」。しかもその「真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせ、聞いたことを語ることができる」と約束される。まさに、そのことが起ったしだい。これが「想定外のありがたさ」の第1。私たちも、奮起一番、「真理のみ霊」しかも「弁護者」である「聖霊」に満たされ、「福音の証し人」になろう!今日、「福音の証し人」が緊急に必要。しかも、「誰にでもわかる」言葉で話すことだ。聖書学者は、よく「多言奇跡」などと云うが、要は、コリント一14章の「異言」とは異なり、「誰にでもわかる言葉」で語り合うことを強調している点にぜひ留意しよう。
2)「想定外の有り難さ」の第2は、ペトロに習って「私たちは、酒に酔っているのではない」と明言すること。二日酔いとか「90日間の長期免許停止」を課せられる飲酒運転のことだけではない。むしろ「自己陶酔」、「酔いしれる」(過度に酔って正気を失う)「自制心を失う」ことへの警告だ。「人間万能主義(iPS万能細胞)」から「宗教原理独善主義」が漂っている。それだけに、人間は「万能」になりえても「全能」には決してなり得ないことを明確に弁え知りたい。
最近の政界の成り行きをみて、虚勢、自己顕示を戒める中国の『老子』の一節を引用した警告文を読んだことを思い出す。「跂(つまだ)つ者は立たず 跨(また)ぐ者は行かず」(第24章)だ。「つま立ちすると、一時的に背は高くなるが、不安定な状態を持続することはできない。大股で歩くと一時は早く進むが、すぐに疲れて永続きしない」の意という(講談社学術文庫「老子入門」)。
3)「想定外の有り難さ」の第3は、それこそ「真実にありがたいこと」である。約束の成就だけではない。「和と交わり」をもたらす「会衆」の出発点にもなったことである。受洗者が続出した。その日、3000人が受洗した。先の教区祭の派遣聖餐礼拝では、ICU チャペルを 650名を余す会衆が埋め尽くしたではありませんか!
今日は、「教会の誕生日」。いや、「私たち受洗者たちの会衆誕生祝会」。「教会」の呼び名はずっと後のこと。さあ「受洗」を感謝して、宣教に出かけよう!
説教「翼をください」 大柴譲治
ガラテヤの信徒への手紙 4:20-5:1
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがわたしたちと共にありますように。「律法の奴隷」ではなく「自由な約束の子」として
ガラテヤ書を連続して読んでいます。パウロはガラテヤの教会員に対して懸命に関わろうとしています。前回の箇所ですが、4:19-20で彼はこう言っていました。「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです」。自分はあなたがたのために産みの苦しみを再度味わっていると言うのです。道を見失って迷子になってしまった子供を必死になって探し出そうとし、何とか正しい道に立ち帰らせようとする親のようなパウロのまっすぐな思いが伝わってきます。そのような深い真剣な関わりが私たち人間の心の奥底にまで響いてくる。神は人を通して福音を伝えてゆかれるということがよく分かります。今日の箇所である21節からは、パウロは確かに少し「語調を変えて」ガラテヤの信徒たちに話しかけているように感じます。旧約聖書の創世記に出てくるようにアブラハムには二人の息子がいました。アブラハムとその妻サラとは、既に高齢になってしまった自分たちには子供が与えられる望みはないと考え、結局アブラハムと「女奴隷」のハガルとの間に息子イシュマエルが生まれます。そこに神の御心があると思ったのです。しかしそのような人間的な思いは神の思いとは異なっていました。それをパウロは「肉によって生まれた」と表現しています。しかし神は、望み得ないところに望みを創造し、無から有を生じさせるお方です。「約束によって生まれた」「約束の子」として、サラを通してイサクを与えてゆくのです。その時アブラハムは100歳、サラは90歳でした。神は私たちに思いを越えた恵みを味わわせてくださいます。
パウロがこのガラテヤ書4章の後半でサラとハガルという二人の女性に言及して語っていることをまとめると次のようになりましょう。
○ハガル=奴隷の身分=シナイ山の古い契約=今(地上)のエルサレム=イシュマエルは相続権を持たない=律法の奴隷
○サラ=自由な身分=新しい契約=天のエルサレム=私たちの母=イサクは相続権を持つ=信仰による自由
かつて肉によって生まれた子(ハガルとイシュマエル)が「霊」によって生まれた子(サラとイサク)を迫害したように、今も同様なことが行われているとパウロは言うのです。パウロがこの部分で一番言いたいことは、5:1に記されていますが、「信仰者の自由」です。それがガラテヤ書の三つある主題の(「パウロの使徒性」、「信仰義認」、そして「キリスト者の自由」)一つでもあります。「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。」(5:1)。パウロは5章でそのように語り、キリスト者の自由について高らかに語ってゆきます。それは次回10/10(日)の課題といたします。
最初にも申し上げたように、パウロは、親のような熱い思いをもって、何とかしてガラテヤの信徒たちにキリストによって獲得された自由を取り戻して欲しいと願っていることが伝わってきます。それはパウロには、かつては律法という「奴隷の軛」につながれていた自分が、キリストによって自由の身にされているという強烈な自覚があったからでもあります。「もはや生くるのは我にあらず。キリスト、わがうちにありて生くるなり」(2:20)。そこでは自分からキリストへ、主体の転換が起こっています。ガラテヤ書の三つの主題は、そのような、キリストの愛に捉えられたパウロの強い自覚から来ているのです。
人間の肉的な思いによって生まれた「イシュマエル」が神の約束によって生まれた「イサク」へと変えられてゆくのです。奴隷の身分であった者が、キリストによって自由な身分の者へと変えられてゆくのです。シナイ山における古い契約の下に置かれていた者が、ゴルゴダの丘の上に立てられたキリストの十字架における新しい契約の下に置かれるようになったのです。神の救いの相続権を持たない者が、相続権を持つ者へと変えられてゆくのです。すべてはキリストの十字架によっています。「神はその独り子を賜るほどにこの世を愛された。それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を持つためである」(ヨハネ3:16)と聖書にある通りです。
チャリティーコンサート『翼をください』
今日は午後から福音歌手の森祐理さんによる特伝がありますので、午前中の礼拝もそれにつなげるような思いで、言わば特伝説教になるように準備をさせていただきました。先日、7/9(金)にこの場所であるチャリティーコンサートが開かれました。生まれた時からの難病(拘束型心筋症)のため緊急に心臓移植を必要とする7歳の少女「なっちゃん」を救う会が主催して開かれたゴスペルコンサートでした。なっちゃんは、この教会とも関わりの深いのぞみ幼稚園(ここから300mほど東にあります)の出身です。昨2009年11/3のバザー&フェスタではここでのぞみ幼稚園のメンバーとして歌ってくださいました。この春に急に病いが悪化し、心臓移植を行う以外にはないという状況になってしまったのです。6月中旬にのぞみ幼稚園の時にご一緒だったお母さん方15人ほどが立ち上がって、海外での心臓移植手術に必要な9千万円を集めるための運動を始められました。誰の目にも無謀なことを開始したと思われたことでしょう。この地域を挙げての支援運動が展開され、何と一月で目標金額を突破し、二ヶ月で1億二千万円もの貴い献金が捧げられたことは記憶に新しいことです。
現在なっちゃんはカナダの病院で移植のためのドナーが表れるのを家族と共に待っています。私自身も、のぞみ幼稚園との関わりがありますので、少しだけ関わらせていただいたのですが、これはなかなかすごいことだと思いました。様々なことが相まって目標を達成できたのだと思いますが、本当にネットワークは力になると痛感しました。インターネットの時代でもあります。全国から心ある人たちの力が結集されたのです。私たちルーテル教会も二年間をかけて神学校に学生寮をということで一昨年昨年と8千万円の募金をして9千万円が集まりましたが、一ヶ月で9千万円でした。一つの不思議な奇跡を目の当たりにするような思いが致しました。この世界はまだまだ捨てたものではないなと思いました。この世の中には心ある人たちが大勢いるのだと思いました。これは1995年の阪神大震災の時にも、その復興のために多くのボランティアたちが全国から集まって支援をしたという時にも感じたことでした。午後の特伝の中でこのことは森祐理さんが触れてくださるかもしれません。
7月9日になっちゃんのためにこの場所で行われたチャリティーコンサートは『翼をください』と題されていました。ゴスペルグループのGiftsが歌ってくださり、鷺宮在住のタレント・ガッツ石松さんが応援にかけつけてくださり、ヨハネ福音書9章の生まれつき眼の見えない人をイエスさまが癒される出来事について触れながら、パンチの効いたメッセージを語ってくださいました。そして最後に皆で『翼をください』(赤い鳥、1971)という曲を合唱したのです。これはなかなか味わい深い名曲で、小学校の音楽の教科書はもちろんのこと、FIFAサッカーフランス大会の日本代表の応援歌になったこともあります。調べてみると本当に多くの歌手が歌っていることからもそのことがわかります(たとえばiTunes Storeで調べると即座に50人の名前が挙がりました)。なっちゃんやそのご両親たちの祈りがそのまま歌になっているような歌詞です。
「翼をください」(作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦)
いま私の 願いごとが かなうならば 翼がほしい
この背中に 鳥のように 白い翼 つけてください
この大空に 翼をひろげ 飛んで行きたいよ
悲しみのない 自由な空へ 翼はためかせ 行きたい
子供の時 夢見たこと 今も同じ 夢に見ている
この大空に 翼をひろげ 飛んで行きたいよ
悲しみのない 自由な空へ 翼はためかせ 行きたい
心臓病に苦しむ幼いなっちゃんが癒されて翼をひろげて自由な空に飛んでゆくことが募金に協力した私たちの願いでもありました。この曲はそのようななっちゃん自身やご家族や、そこに集められた私たち一人ひとりの願いをよく表していたと思います。
私は個人的にも、この曲を礼拝の中で讃美歌として歌いたいという長年の夢を持っていましたから、このチャリティーコンサートには感動しました。応援に駆けつけてくださった鷺宮在住の俳優・ガッツ石松さんのパンチ力のあるメッセージにも感銘を受けました。ガッツさんはヨハネ9章の言葉を引きながら、「だれが罪を犯したせいでもない。ただ神の御業が表れるためなのだ」と言われて、生まれつき目の見えない人を癒したキリストの御業に触れられたのです。なっちゃんが難病になったのは誰が罪を犯したせいでもない。ただ神の御業が表れるためなのだと語ったのです。キリストは泥をこねて目に塗り、シロアムの池に行って洗いなさいと命じるのですが、なっちゃんのために集められた募金がその「泥」であり、カナダ・トロントの病院が「シロアムの池」なのだと言われたのです。私は最後列の席でその応援メッセージを聴いていましたが、あの羊飼いのステンドグラスを通して、キリストが今も私たちの只中で生きて働いていてくださるのだということを強く感じました。この礼拝堂はいいですね。
この歌詞を読むときに、私の中でそれはパウロのガラテヤ書5:1の言葉と重なって響いてくるのです。「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません」(5:1)。主イエス・キリストが十字架にかかり、いのちを捨ててくださったのは、私たちを罪から解放して自由の身にするためでした。キリスト者の自由はキリストの十字架の血潮によって勝ち取られているのです。だから私たちは、しっかりと、キリストの軛は共にしつつも、奴隷の軛には二度とつながれてはならないのです。
「奴隷の軛」とは何を指しているのでしょうか。私たちを非人間化する悪の力です。ある人にとってはそれは病いの苦しみであるかもしれません。また別の人にとっては人間関係の重荷かもしれません。不条理な苦しみの中で人生の意味を求めて苦しんでいる方もおられましょうし、自分自身の犯してきた罪に苦しんでおられる方もおられましょう。苦しむことに疲れ、喜怒哀楽の感情が麻痺してしまっている方もおられるかもしれません。どこにも喜びを見出すことができず自分は生ける屍のような毎日を送っていると砂をかむような思いを深いところに抱えている方もおられるかもしれません。自分は誰からも愛されず、誰からも理解されず、誰からも必要とされていないと孤独を感じておられる方もおられましょう。あるいは愛する者を見送った痛手と深い喪失感に悲しんでおられる方もおられましょう。将来に対する不安を抱えておられる方もおられましょう。日々の具体的な生活の中で「奴隷の軛」が私たちを捉えているのです。
そのような私たちにパウロは同じように告げています。「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません」(5:1)。
舘野泉氏の左手によるピアノ演奏
もう一つの体験を話させてください。私は9/11(土)-12(日)と札幌の藤女子大学を開場として行われた日本スピリチュアルケア学会の第三回全国学術大会に、許されて妻と一緒に出席をしてきました。聖路加看護大学の99歳になられる日野原重明先生を理事長とするまだできて4年たらずの学会です。その最後の部分で日野原重明先生とピアニストの舘野泉さんの対談とピアノ演奏がありました。舘野泉さんは来年で演奏活動50周年を迎えるフィンランド在住のピアニストです。40年以上にも渡る演奏活動を続けてこられた優れた音楽家として既に100枚以上のCDアルバムを出してきたのですが、2002年にフィンランドのタンペレで開かれた演奏会直後に脳梗塞に倒れます。そして病気の後遺症のためにそれ以降右半身不随となられました。舘野泉さんが65歳の時です。リハビリに励んだけれども右腕は元のようにはなりませんでした。ある時息子さんが「お父さん、このような楽譜を見つけたよ」と手渡してくれたそうです。それは左手のためのピアノ曲の楽譜でした。その時はピンとこなかったけれども、ある時ハッとしたそうです。「そうか、両腕でなくても、片腕でも音楽は表現できるんだ」と。それからすぐに日本の友人の作曲家に国際電話をして、一年後に日本で復帰リサイタルを開くからと、左手のピアノ曲の作曲を依頼したということでした。東京、大阪、福岡、そして札幌で約束通りリサイタルを開かれたのです。
館野泉さんはあるところに次のような言葉を書いておられました。
▼65歳で脳出血に倒れ、半身不随になってからは8年になる。実のところ、病から立ち直ってこんなに長く生きられるとも、ましてや、こんなに長くピアノが弾けるとは想像だにしていなかった。ただ一日一日を生き、一日一日ピアノを弾いてきただけである。人間は自分の置かれた状況を認めて生きるしかないということだろう。でも、それは幼い時から自分には当然のこととして理解されていたように思う。私は夢とか理想、将来の計画というものを持ったことがないが、逆に言えば、夢や希望は常に身の周り、心の中にあったのだろう。理想や計画は持たなくても、ひとつの事をやりとげると、それが自然に次のことを生みだし発展し広がっていった。百の失敗を重ねているとひとつの霊感が生まれてくるようにも思えた。
▼4年前(06年)に「舘野泉・左手の文庫(募金)」を創設した。圧倒的に不足している左手のためのピアノ作品を委嘱し、左手による演奏を不自由なものではなく、ひとつの独立した音楽分野として認識して貰いたいという気持ちからだったが、多くの方々が理解を示され、そのお陰で数々の素晴らしい左手の作品が誕生したことは、感謝あるのみである。(舘野泉)。
もう一つ、舘野泉さんの言葉をご紹介したいと思います。今年の秋に演奏生活50周年を記念して札幌、福岡、東京そして大阪でコンサートが開かれますが、そのちらしに記されている言葉です。
▼演奏生活40周年を迎えて「青春」「恋する男たち」「星にとどく 樹」と、人生を俯瞰するような三夜にわたるリサイタル・シリー ズを東京、大阪、札幌、福岡の四都市で行った。2001年のことで ある。1960年のデビューリサイタルの時の選曲そのままの第一夜「青春」ではエネスク、シューマン、ラフマニノフ、プロコフィ エフを演奏し、第二夜「恋する男たち」ではグラナドスの大作「ゴイェスカス」とスカルラッティのソナタ、最終夜「星にとどく樹」ではシサスクの「銀河巡礼」とシューベルトが死の二ヶ月前に完成した変ロ長調のソナタを弾いた。それが終わって一ヶ月も経たないうちに、演奏中にステージで脳溢血に倒れ、半身不随になっ た。もう、演奏家としては終わりだと思った。
▼二年半の闘病生活を経てステージに復帰したとき、自分は左手のみで演奏するピアニストになっていた。でも、また演奏出来るということがただただ嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、自分が左手だけで演奏しているとか、不便不自由であるとか、そのようなことは一切感じなかった。弾いているのは音楽なのである。片手であろうが両手であろうが、手が三本であろうが、そんなことはまったく問題にならない。 ただ、演奏出来る曲目が少なかったのは事実である。しかし、 少なければ書いてもらえばよい。間宮芳生さんの《風のしるしーオッフェルトリウム》が邦人初めての左手の作品として生まれ、 林光、吉松隆、末吉保雄、谷川賢作など多くの作曲家達がそれに続いた。アルゼンチン、アイスランド、アメリカ、フィンランドその他世界の各地からも作品が寄せられている。ピアノソロの作品だけではなく、ピアノ協奏曲や室内楽曲も誕生した。限りなく豊かな思念、詩情、情感、夢が、そして人の心を満たし動かしてくれるものが生まれ続けている。なんと有難いことだろう。(演奏生活50周年記念コンサートちらし2010より)
私たちの心に響く現実です。私はここでもパウロの言葉を思い起こします。「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません」(5:1)。この「自由」とは、どのようなかたちであろうとも、またどのような次元、どのようなタイミングであろうとも、私たちが自分を捨て、自分の十字架を背負ってキリストに従うところで深く味わうことのできる自由です。キリストが私たちを奴隷の軛から解放してくださった。そのことを深くかみしめながら、新しい一週間をキリストと共に踏み出してゆきたいと思います。神は私たちにキリストという翼を与えてくださったのですから。
お一人おひとりの上に豊かな祝福がありますようお祈りいたします。 アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2010年9月26日 聖霊降臨後第18主日説教 ガラテヤ書連続説教08)
説教「キリストがあなたがたの内に形づくられるまで」 大柴譲治
ガラテヤの信徒への手紙 4:8-20
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがわたしたちと共にありますように。「いや、むしろ神知られているのに」
4:8-11でパウロは、ガラテヤ人たちにキリストと出会う前のことを思い起こさせています。その時あなたがたは「神でない神々」「無力で頼りにならない支配する諸霊」の「奴隷」であったというのです。(8)ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。(9)しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。(10)あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年などを守っています。(11)あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です。
10節の「いろいろな日、月、時節、年などを守っている」というのは、当時のガラテヤの信徒たちが、「ユダヤ化主義者」たちの影響を受けて、新月祭や過越差、五巡祭などのユダヤの祝日や断食に関する規定、また、おそらく「安息の年」(レビ23、25章)さえもすでに守り始めていたという現実があったようです。そのようなことはもはや全く意味を持っていないということをパウロはここで繰り返し強調しています。
「しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか」という9節の言葉や、「あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です。」という11節の言葉は、パウロがガラテヤの教会員たちといかに深い信頼関係にあったかということを雄弁に伝えています。ダイレクトにパウロの熱い気持ちが読む者に伝わってくるのです。手紙というコミュニケーションの道具の持つ大きな力を感じさせられます。
弱さにおいて「アナムカラ(魂の友)」と出会う
12節から15節は、パウロとガラテヤの教会員たちがどうしてそのように強い絆で結ばれているのかという事情を明らかにしています。この部分はパウロが自分の病気について触れている歴史的な記録としても重要なところでもあります。そこにはこう記されています。(12)わたしも(律法を持たない異邦人である)あなたがたのようになったのですから、あなたがたも(律法を捨てたキリスト者である)わたしのようになってください。兄弟たち、お願いします。あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしませんでした。(13)知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。(14)そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました。(15)あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。
パウロは2コリント12章でも「肉体のとげ」という言い方で自分の病気について述べています。パウロは自分の第三の天にまで引き上げられるという特別な啓示を受けた14年前の体験を誇るのではなく、自分の弱さを誇ろうとするのです。そのような形で十字架のキリストとつながろうとするのです。
(1)わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう。(2)わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。(3)わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。(4)彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。(5)このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。(6)仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、(7)また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。(8)この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。(9)すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(10)それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
「とげ」と言われているからには激痛を伴うような病気であったと考えられますが、それが何であったかは明らかではありません。「てんかん」であったかもしれませんし、当時ガラテヤ地方で流行っていた「マラリア熱」であったかもしれません。あるいは、15節に「あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとした」という表現がありますが、そこから推測されるようにもしかすると「眼病」であったかもしれない。いずれにせよ、それは、ガラテヤ人たちに「試練」として受け止められても仕方がないものであり、「さげすんだり、忌み嫌ったり」されてもおかしくないようなものであったということが14節の表現からは分かります。しかし不思議なことは、そのような「からだが弱くなった」という弱さが「きっかけ」となって福音宣教が行われていったというのです。人の思いと神の思いは異なっています。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いのです。福音宣教のために私たちの中にある何が用いられてゆくかは分かりません。福音の宣教においては、この世の価値観とは全く逆で、強さではなく弱さが、能力ではなく無力さが、知恵ではなく愚かさが、キリストによって用いられてゆくのです。
パウロは言います。「わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました」と(14節)。ガラテヤの信徒たちが示したそのようなボロボロになった自分を神の使者かキリスト・イエスであるかのように受容してくれたというその好意が、どれほど失意と痛みの中にあったパウロを大きく助けたことだったでしょうか。弱さの中で私たちは人の本当の優しさを知るのです。見えない次元が見えてくる。そのような大変は人を変えて行きます。パウロにとってはガラテヤ人との出会いはそのように忘れられない出会いでした。神の家族としての出会いだったのです。3:1の「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか」というパウロの熱い言葉も、そのような中で培われた愛の関係の中で発せられた言葉でした。パウロの病気にうちひしがれた無力な姿の中に、ガラテヤの人々は、人々に蔑まれ、忌み嫌われ、見捨てられた十字架のキリストが共に歩んでいることを確かに見たのです。
キリストもまた、マタイ25章を読みますと、「最も小さき者の一人にしてくれたのは、わたしにしてくれたのだ」とはっきりと語っておられます。「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」(マタイ25:35-36)。大切なのは「愛において働く信仰」なのです。
私はここまできて、ようやくガラテヤ地方の教会が、実は民族的には他の地方とは異なり、ケルト人たちがB.C.3世紀頃に移住してきた地方であることを思い起こしました。ケルト民族とその文化は独特の特徴を持ち、リラ・プレカリア(祈りのたて琴)のキャロル・サック夫人がその一つの伝統を伝えていると思いますが、古くから病気の人や死に行く人など、弱い立場に置かれた人々に対して愛に満ちた豊かなケアを古くから提供してきた民族だったのです。最近では、アイルランド出身のエンヤやカナダ出身のロリーナ・マッケニットといったミュージシャンが奏でるケルト音楽も「癒しの音楽」として人気を博しています。私は2007年の夏に米国のオレゴンにおいてRichard Groves先生から一週間の「アナムカラ」訓練を受けましたが、「アナムカラ」という言葉も実はケルト語で「魂の友」という意味の言葉でした。
そのように自らのアイデンティティーとしてケルト文化を脈々と受け継いでいたガラテヤの教会員たちが、そしてそれゆえにローマ帝国の中でもローマ化されることを頑なに拒み、周辺的な位置づけしか与えられていなかったガラテヤ地方だったようですが、病いで苦しむパウロに対してケルトの心をもって接したであろうということは、私にとってとても新鮮な大きな気づきでもありました。「わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました」というパウロの14節の言葉は、パウロとガラテヤ地方の教会員たちとの生き生きとした強い絆がどのように生み出されていったかを雄弁に語っています。
実は、パウロは「終末は切迫している、すぐ来る」と考えていましたから、限られた時間の中で福音宣教を効率的に行うためにも、ローマ帝国のどの州でもその州の中心的な大都市においてそこが宣教の拠点となるような「拠点伝道」をしていったのです。アテネでは伝道を試みて失敗してしまいましたが、不思議なことに失意の中で訪れたコリント教会でしっかりとした教会を築くことができました。また、エフェソやフィリピやテサロニケもその地方(州)の中心的な都市であったということが分かっています。しかしそれとは対照的に、ガラテヤ地方には小さな地方都市しかなかったようです。
なぜパウロがそのようなガラテヤ地方において福音宣教を行うことになったかということは、先ほどお読みした手紙に明らかなように、パウロが病気になったためでした。それは使徒言行録の16:6-7に記された状況と重なると思われます。それは第二回伝道旅行の記録の一部ですが、そこにはこうあります。「さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」。福音宣教を「聖霊から禁じられた」「イエスの霊がそれを許さなかった」というのは、おそらくパウロの大都市を巡る宣教計画が彼の病いのために変更を余儀なくされたということでありましょう。しかし、そこでは人の思いを越えた不思議なことが起こったのです。パウロの弱さが豊かに用いられて、ガラテヤ地方のケルト人の心を保った小さな村々にキリストの姿が鮮やかに生き生きと映し出されることになったのですから。それは人知を越えた神のご計画でありました。パウロはそこで自分の「アナムカラ(魂の友)」を得ることになったのでした。それだけにパウロはガラテヤの教会員たちが敵対者たちによってキリストから引き離されることが許せなかった。ガラテヤ書はパウロの途方に暮れる姿、何とかして彼らを最初の福音に取り戻そうと一生懸命に祈るパウロの姿が鮮やかとなっています。
「キリストがあなたがたの内に形づくられるまで」
16節から20節までのパウロの言葉を、他のどの手紙においてよりもパウロの牧会者としての心が表れているところであるとある註解者は語っていました。ガラテヤ人たちに対して「わたしの子供たち」(19節)と呼びかけているところからも、パウロの気持ち、その心情がダイレクトに伝わってくるような部分でもあります。途方に暮れながら、もう一度あなたがたの中にキリストを産もうと、そしてあなたがたをキリスト者としてもう一度産もうと母なる苦しみを味わっているとパウロは言うのです。ガラテヤ書ではどちらかというと父性的なイメージが強調されることの多いパウロですが、ここでは母親のような深い母性愛をもって語っているように感じます。できることなら、今あなたがたと共に居合わせて、父親のような厳しい語調ではなく、実際に3:1では「ああ、何と愚かなガラテヤ人よ」とパウロは語気を荒げていましたが、「語調を変えて」優しく接したいというのです。(16)すると、わたしは、真理を語ったために、あなたがたの敵となったのですか。(17)あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです。(18)わたしがあなたがたのもとにいる場合だけに限らず、いつでも、善意から熱心に慕われるのは、よいことです。(19)わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。(20)できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです。
キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、つまり「生くるのはもはやわれにあらず、キリストわれのうちにありて生くるなり」(2:20)というようになるまで、産みの苦しみを味わっているのだというのです。私たちはそのようなパウロの姿から、私たちの信仰の裏にも、そのような多くの人々の熱い執り成しの祈りがあったことに気づかされます。そのような愛と祈りによって私たちの内にはキリストが形づくられてきたのです。私たちが迷ったり行き詰まったりした時に、私たちのために途方に暮れるほど真剣に熱く思ってくれた信仰の先輩たちがいたのです。そのような愛においてキリスト教信仰が二千年を越えて、時間と空間と言葉の違いを超えて、受け継がれてきているということを覚えたいと思います。そして私たちもまた、私たちの周囲にいる人々の内に、キリストが形づくられるよう産みの苦しみを担って行きたいと思います。それが私たちの使命なのですから。キリストの祝福を多くの人々に分かち合って行くよう私たちは神の恵みによって、母の胎に在る時から選び分け、召し出されているのですから。そのことを覚えつつ、新しい一週間を踏み出してまいりましょう。
お一人おひとりの上に神さまの豊かな祝福がありますように。アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2010年9月5日 聖霊降臨後第15主日説教 ガラテヤ書連続説教07)
説教「信仰による祝福に生きる」 大柴譲治
ガラテヤの信徒への手紙 3:1-14
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがわたしたちと共にありますように。ガラテヤ書連続説教~これまでの流れ
使徒パウロのガラテヤ書をこのところ連続で読んでいます。今日はその第5回目で、3章前半部分になります。1-2章でパウロは自分の使徒性について語っていました。パウロは自分が「人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされた」(1:1)ということを力強く語ってきました。「イエス・キリストの啓示」を通しパウロは神によって「異邦人のための使徒」として「母の胎内にあったときから選び分けられ、恵みによって召し出されていた」というのです(1:15)。2章でパウロは、エルサレム教会の「おもだった人たち」(主の兄弟ヤコブ、使徒ペトロ、使徒ヨハネなど)との関係を注意深く記しながら「エルサレム使徒会議」(AD48年春頃と推定されます)について報告していました。そこでは、エルサレム教会はユダヤ人伝道に、アンティオケ教会は異邦人伝道に、車の両輪のようにそれぞれ邁進することが確認されたのです。そこでは異邦人キリスト者に対しては律法遵守を求めないというパウロの主張が通りました。
そして、使徒会議の一年ほど後の出来事でしょうか、異邦人との共同の食事から身を引いたペトロをパウロが公然と非難したという「アンティオケ事件」についても2:11-14で触れられていました。実はそれは、エルサレム使徒会議では曖昧なままに残されていたユダヤ人キリスト者の律法遵守に関する対立であったとも申せましょう。「人を分け隔てない神」(2:6)はすべての人を「律法の行い」によってではなく、ただ「信仰」によって義とするのだとパウロは繰り返し宣言します。この点に関しては異邦人もユダヤ人もないのです。ダマスコ途上で復活のキリストから呼びかけられて劇的な回心を遂げるまでのパウロは、誰よりも律法遵守に熱心であり、「熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者」(フィリピ3:6)でしたから、「律法の実行によっては、だれ一人として義とされない」(ガラテヤ2:16)という言葉には説得力があります。
パウロは次のように告白します。「わたしは神に対して生きるために、モーセの律法に対してはキリストの律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子の信実(ピスティス)によるものです。わたしは、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。」(2:19-21。なお、下線部は大柴の私訳)
ガラテヤ教会にも律法遵守を求めるユダヤ人キリスト者たちが入り込んできて混乱が生じていました。彼らは(1)パウロの使徒性を疑い、(2)異邦人キリスト者にも割礼を求めた、のです。つまり異邦人キリスト者に「ユダヤ人化」を求めたのです。2:14でパウロはペトロに「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」と言っていましたことを思い起こしてください。その混乱を収拾するためにパウロはこの手紙を書いているのです。3章から5章まではパウロはいよいよ律法問題を取り上げます。
律法によるのか、信仰によるのか
ガラテヤ地方の諸教会の多くはパウロによって始められました。ですからパウロはガラテヤ教会のメンバーに対して父親のような真剣さと親密さで接しています。そのことが3:1の表現からはよく分かります。「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。」これは「おお、何と愚かなガラテヤの人々(オー、アノーエトイ、ガラータイ! Oh, you foolish/stupid Galatians!)」と直訳できる言葉です。率直な表現ですが、そこからはパウロの真剣さ、必死さが伝わってきます。これまで抑えてきた思いが爆発したような表現です。パウロはガラテヤの人々を大切に思えばこそ、放ってはおけないのです。「うるさい親ほどあったかい」というCMが以前にありましたが、私たちは真剣に自分に向かい合い、自分に対して真剣に怒ってくれる存在のこと(具体的には、まなざしと声と息づかいと)を決して忘れることはできません。パウロがペトロをなじった(叱責した)時も、ペトロは主イエスのあの離反予告のことを思い起こしたに違いないと私は思います。真剣に関われば関わるほど、私たちはこのような率直な熱い言葉が出てくるのです。そして私たちにはこのように厳しくても向かい合ってくれる存在がどうしても必要なのです。
金曜日(8/20)の東京老人ホームの礼拝でイスラエル統一王国の最初の王であるダビデの罪についてお話ししました。それは2サムエル11章に記されています。ダビデは自分の部下ウリヤの妻バテシバの美しさに目を奪われ、自分のものとして彼女を妊娠させた末に、結局ウリヤを最前線に送って戦死させてしまうのです。続く12章には、預言者ナタンが神によって遣わされダビデに次のようなたとえ話をします。
「二人の男がある町にいた。一人は豊かで、一人は貧しかった。豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに何一つ持っていなかった。彼はその小羊を養い、小羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて、彼の皿から食べ、彼の椀から飲み、彼のふところで眠り、彼にとっては娘のようだった。ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに、自分の羊や牛を惜しみ、貧しい男の小羊を取り上げて、自分の客に振る舞った。」ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。小羊の償いに四倍の価を払うべきだ。そんな無慈悲なことをしたのだから。」ナタンはダビデに向かって言った。「その男はあなただ。」(2サムエル12:1-7)。
私たちは確かに人から言われないと自分自身の罪を自覚することができないようです。ナタンと同じ真剣さで、パウロはガラテヤ教会の人たちに語っているのです。パウロはここでガラテヤの人々に「イエス・キリストの十字架につけられた姿がはっきりと示されたこと」を思い起こさせています。十字架のキリストのリアリティーを忘れてはならないのです。このキリストのリアリティーを通して信仰は <向こう側から> <聖霊によって> 与えられるのです。
パウロは続けます。「あなたがたに一つだけ確かめたい。あなたがたが“霊”を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。あなたがたは、それほど物分かりが悪く、“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか。あれほどのことを体験したのは、無駄だったのですか。無駄であったはずはないでしょうに……。あなたがたに“霊”を授け、また、あなたがたの間で奇跡を行われる方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさるのでしょうか。それとも、あなたがたが福音を聞いて信じたからですか。それは、「アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた」(創世記15:6)と言われているとおりです。(ガラテヤ3:2-6)
ローマ書4:3でもこの言葉はパウロによって引用されていますが、その後でパウロはアブラハムが義と認められたのが割礼を受ける前であったことを指摘しています(ローマ4:9-12)。
「祝福の源/基」としてのアブラハム
アブラハムはその召し出しを受けたとき神から「祝福の源/基」となると宣言されました。創世記12章の始めには次のようにある通りです。主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る。」アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。(創世記12:1-5)
この「地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る」という神の言をパウロは解釈してガラテヤ3:7-14に次のように書いているのです。この部分は元ファリサイ派のエリート律法学者であったパウロの面目躍如とも言うべき箇所です。彼はここで自由自在に、自らの解釈を加えながら、旧約聖書から引用しているからです。旧約聖書からの引用は5つにのぼります。この部分はじっくりと味読すべき箇所でもあります。
(だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、①「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」(創世記12:3)という福音をアブラハムに予告しました。それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。②「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている」(申命記27:26)と書いてあるからです。律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。なぜなら、③「正しい者は信仰によって生きる」(ハバクク2:4)からです。律法は、信仰をよりどころとしていません。④「律法の定めを果たす者は、その定めによって生きる」(レビ18:5)のです。キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。⑤「木にかけられた者は皆呪われている」(申命記21:23)と書いてあるからです。それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが、約束された“霊”を信仰によって受けるためでした。(3:7-14。なお、実際の説教ではこの部分は割愛した)
キリストを信じる者が、信仰を通して、「祝福の源/基」とされた「信仰の父」アブラハムにダイレクトにつながる者であることをパウロはここで証明しています。神の救いのご計画を知り、パウロは目からウロコが落ちたに違いありません。パウロはダマスコ途上で復活の主と出会うことで、旧約聖書はキリスト・イエスにおける神の救済を最初から指し示していたということに目を開かれたのです。それまで若きファリサイ派律法学者として学んでいたことが、すべて意味あるものとしてつながったのです。パウロにとって自らが「異邦人の使徒」として召されることは「母の胎内にある時から」神が定められたことだった。そのことがキリストとの出会いの中で分かったのです。
キリストは十字架に架かることで自ら「呪い」となってパウロ自身を「律法の呪い」から贖いだしてくださいました。そしてそのキリストの十字架の出来事は、パウロやユダヤ人だけのためではなく、異邦人を含めたすべての人間の救いのためだった。キリストの「ピスティス(信実/まこと)」に与ることによって私たち異邦人もまた、「アブラハムを通して与えられた神の祝福」に与ることができ、約束された神の聖霊を信仰を通して受けるためだったのです。アブラハム、イサク、ヤコブの神は、「時」が満ちた時に、御子を賜ることを通してこの世を救おうとされていたのです。神の救いのご計画は聖書全体を貫いて明らかとなっています。私たちは信仰による神の祝福に生きるのです。私たちもそのような神の救済の歴史の中に置かれていることを覚えたいと思います。まことに「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。・・・神のなされることは、皆その時にかなって美しい。」(口語訳聖書、伝道の書3:1、11)と言わなければなりません。
お一人おひとりの上に神さまの」祝福が豊かにありますようお祈りいたします。 アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2010年8月22日 聖霊降臨後第13主日説教 ガラテヤ書連続説教05)
説教「生きているのは、もはやわたしではありません。」 大柴譲治
ガラテヤの信徒への手紙 2:11-21
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがわたしたちと共にありますように。ガラテヤ書連続説教4回目
このところの主日礼拝では、使徒パウロのガラテヤ書から学んでいます。ガラテヤ書は「信仰と自由の手紙」とも呼ばれる手紙で、ルターはこの手紙を自分の妻と呼び、1516-17年、1519年、1523年、1535年と、何と四度も講解しています。言うなれば、宗教改革の原動力・起爆剤ともなった重要な手紙でもあります。この手紙を読むことで、私たちはキリスト教信仰の神髄といったものを学ぶことができると思うのです。本日は四回目で2章の後半を読みます。本日の箇所、特にガラテヤ書2章は、パウロ自身が直接初代教会の出来事を報告しているという点でも重要な文書です。しかし、この部分よりもむしろ後半の15節以降の学びに力点を置いて学んでまいりたいと思います。
アンティオケ事件~ペトロを公然と非難するパウロ
11-14節では、パウロがペトロとぶつかり、ペトロを公然と非難したことが報告されています。「アンティオケ事件」と呼ばれる出来事です。言うまでもなく、ペトロは12弟子の筆頭であり、押しも押されぬエルサレム教会のリーダーの一人でした(その他のリーダーとしてはイエスの弟ヤコブと使徒ヨハネの名が挙げられています)。「使徒の中の使徒」とも呼ぶべきペトロ(「柱と目されるおもだった人々」2:9)と、パウロがぶつかったというのです。しかも、かつてはキリスト教の迫害者であったパウロがペトロを公然となじった、つまり一方的に非難したというのです。これは大事件であり、初代教会において衝撃が走ったことでもあったでしょう。これは2章の前半で報告されているエルサレム使徒会議の結論の解釈を巡っての事件でした。口語訳聖書では11節はこう訳されていました。「ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった」。「面と向かって」と訳されていますが、それは「顔」という言葉であり「公然とin public」という意味です。それはもちろん「公に、人々の前で」という意味で、「二人きりで、プライベートに」という意味ではありません。
アンティオケ教会で何が起こったかというと説明が必要です。主の兄弟ヤコブやペトロ、ヨハネが属するエルサレム教会はユダヤ人伝道に熱心でしたが、他方、パウロやバルナバが属するアンティオケ教会は異邦人伝道に熱心でした。2章の初めに報告されていたエルサレム使徒会議(おそらくそれは紀元48年の春頃行われていると推定されます)では、人はただ信じることによって救われるのであるから異邦人には割礼を求めない、律法遵守を求めないというパウロの主張が認められ、エルサレム教会はユダヤ人伝道に、そしてアンティオケ教会は異邦人伝道に邁進するということが確認されたばかりでした。言わば車の両輪のように両教会が連帯して回ってゆくべきことを確認したのです。
実はこのエルサレム会議の決定はある意味で玉虫色の決定でした。異邦人キリスト者には律法遵守を求めないが、ユダヤ人キリスト者に関してはそのことは棚上げされていたからです。ユダヤ人キリスト者たちは、律法を守るということがこれまで生活の一部のようになっていましたから、その延長線上でキリストを信じる信仰を位置づけていた節があります。パウロも、実際的な理由からでしょう、異邦人には律法遵守を求めないで「人はただ信仰によって義とされる」と説きながら、ユダヤ人キリスト者の在り方については口をつぐんでいます。そこから問題が生じてゆくのです。
エルサレム使徒会議の後、アンティオケ教会ではその決定を受けて異邦人キリスト者とユダヤ人キリスト者の相互の会食が始まったようです。ところが、エルサレム教会からアンティオケ教会に来たペトロが、最初は割礼を受けていない異邦人キリスト者と喜んで一緒に食事をしていたのに、ある時を境に、割礼を受けているユダヤ人キリスト者たちを「恐れてしりごみし、身を引こうとしだした」というのです(12節)。13節にはこうあります。「そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました」。ここには初代教会において、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の間にあった葛藤が見て取れます。エルサレム使徒会議の後に、アンティオケ教会ではユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の使徒言行録6:1を見ますと、ユダヤ人キリスト者にもヘブル語を話すユダヤ人とギリシャ語を話す(ディアスポラの)ユダヤ人がいたと考えられますから、さらに話は複雑だったと思います。
アンティオケ教会では、おそらくエルサレム使徒会議の後に、その成果が実現するようなかたちで、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者が共に食事をするということが始まりました。エルサレム使徒会議は、テトスのような異邦人キリスト者も参加していますが、ほとんどはユダヤ人キリスト者によって行われています。そこでの決定は、異邦人キリスト者には律法遵守は求めないが、ユダヤ人キリスト者にはそれを求めないとはしなかった、ある意味では不徹底で曖昧な玉虫色のものでした。アンティオケ教会では律法遵守はそれほど重視されていませんでしたが、エルサレム教会のユダヤ人キリスト者たちにとっては律法遵守は当たり前のことでもありました。当時のユダヤ人社会ではローマ帝国に対する批判が高まり、民族的なものを大切にしようとする機運も盛り上がっていましたので、なおさらそうでした。エルサレム教会はそのような中にあって、パウロの徹底した主張を強調して、いたずらにユダヤ教徒たちを刺激したくなかったのだと思われます。
しかし、しばらくしてから、アンティオケ教会では食物規定に関しての問題ました。ユダヤ人の律法では汚れた動物を食べること(豚肉のような蹄の割れた動物や偶像に捧げられたもの)は禁じられていました。異邦人キリスト者にとっては何でもないことが厳格なユダヤ人キリスト者にとっては躓きとなるようなことが起こったのです。エルサレム教会からやって来た律法遵守を大切に思っていたヘブル語を話すユダヤ人キリスト者たちが、もちろんただキリストを信じることによって義とされるが、それでも律法(割礼や食物規定)を軽んじてはいけない、それはユダヤ人の大切なアイデンティティーの一つであるから、そしてまたそのことはエルサレム使徒会議でも確認されたことではないか、というような言い方をしたのでありましょう。ルカが報告するエルサレム使徒会議は使徒言行録15章に記されていますが、そこには「聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります」という文書が記録されています(15:28-29)。これはパウロのガラテヤ書の2章の最初の部分には何も触れられていませんが、恐らく最初は曖昧であったがこのアンティオケ事件を通して再確認された事柄をルカが後からエルサレム使徒会議の決議として記録したのであろうと考えられています(佐竹明『使徒パウロ』NHKブックス)。
14節の言葉はそのような中で公然とパウロからペトロに向けて語られました。「しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか」。パウロはここでペトロたち自身も律法をきちんと遵守していないではないかと指摘しています。若い頃から「律法の義に関しては非の打ち所のない者であった」(フィリピ3:6)という自覚を持っていたパウロですから、ユダヤ人キリスト者たちの中途半端な姿勢は理解できなかったのでありましょう。恐らくペトロは、12使徒の代表格とは言ってももともとは漁師ですから、ファリサイ派律法学者の訓練を受けたギリシャ語もヘブル語も流ちょうに話すパウロに対しては反論できなかったのではなかったでしょうか。ペトロは人々の前で完全にメンツを失います。それまではパウロの側に付いていたバルナバもペトロの側に付いたというのですから、これはアンティオケ教会を二つに分裂させた問題であったのでありましょう。否、この事件を通して、アンティオケ教会はパウロに対して一定の距離を取るようになっていったようです。以降、パウロはバルナバともたもとを分かち、アンティオケ教会のバックアップなしに、孤立無援で、独自に伝道旅行を始めてゆきました(第二、第三伝道旅行がそれです)。伝道者の孤独を感じます。
この「アンティオケ事件」は初代教会全体にとってショッキングなニュースでした。しかしそれは、大きく初代教会の歴史の中で見てゆくならば、ペトロからパウロへとリーダーシップのバトンタッチがなされてゆくということを預言したばかりでなく、ユダヤ人キリスト者から異邦人キリスト者へとバトンが移されてゆくことを預言した「歴史の転換点」を示した出来事であったと申し上げることができましょう。紀元70年にはローマ帝国はエルサレムを徹底的に破壊し、エルサレム教会は歴史の中から姿を消すことになってゆきます。以降は、パウロらの大きな働きを通して、圧倒的に異邦人キリスト者が増えてゆくのです。
「人が義とされるのに律法の行いは全く必要ない。ただキリストを信じる信仰によってのみ人は義とされるのだ」という15節以下に述べていることを、パウロはペトロへの非難という出来事を通して、もう一度ガラテヤの教会に思い起こさせる必要があったのだと思います。パウロ自身が若い頃、律法によって義とされると信じてキリスト教を迫害していたのです。律法による義ではなく、キリストの信仰による義という「福音の真理」に従ってまっすぐ歩くためにどうしても教会にとって必要なことだったのです。
思わず力が入ってしまいました。後半の方に力点を置きたかったのですが、短くなってしまいました。
「すべての人はキリストのピスティス(信実/まこと)によって義とされる」
15節から21節までは繰り返し味読すべき箇所です。そこに「福音の真理」が明らかにされているからです。私たちが自らの行いによってではなく、キリスト・イエスが私たちすべての者のためにあの十字架の上に成し遂げてくださった出来事によって救われているのだということ、私たちにできることはそれに気づき、ただそれを信じればよいのだということをパウロは繰り返しガラテヤの諸教会に語りかけています。15節の「わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。」というユダヤ人であることを誇っているように響くパウロの言葉は少し気になるところでもありますが、むしろ単にユダヤ人と異邦人の違いについて言及していて、ユダヤ人にはモーセの律法が与えられていたが、異邦人には律法は与えられていないというようにサラッと理解すべきでありましょう。
問題は16節の訳です。新共同訳聖書はこうなっています。「けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです」。とても重要なことを言います。新共同訳聖書の訳語に関しての修正ですから、大胆に罪を犯すことになるかもしれません。
ここで「イエス・キリストへの信仰」「キリストへの信仰」と訳されている語ですが、これは「イエス・キリストのピスティス」「キリストのピスティス」という言葉です。確かにそれは「イエス・キリストを信じる信仰 faith in Jesus Christ」と訳すこともできるのですが、そうではなくて「イエス・キリストが私たちに対して持っているピスティス(信/信頼/真実/信実/真理/まこと)faith of Jesus Christ」という意味に理解したいと思います。その方が事柄がはっきりするからです。
これはとても重要なポイントです。パウロはダマスコ途上での劇的な回心によって、人間は律法の行いによって義とされる、救いに入れられるのではないということを知らされました。キリストがあの十字架と復活において私たちのために成し遂げてくださった事柄、キリストの出来事、キリストの義によって私たちは救われるのです。それを「キリストの愛」、「キリストの真理」、「キリストのピスティス」、さらには「キリストの律法/法則」とさえも、言い換えてもよいでしょう。「ピスティス」とは「私たち人間の業」ではなくて「キリストの御業」なのです。ですから16節はこうなります。
「(16)けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストの信実によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストの信実によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。」
律法の実行によっては、つまり自分の力や行いに頼っていては、誰一人として義とされない! そこから17節以降も明確になります。「(17)もしわたしたちが、キリストによって義とされるように努めながら、自分自身も罪人であるなら(自分自身に頼り続けるならば)、キリストは罪に仕える者ということになるのでしょうか。決してそうではない(メー・ゲノイト!)。(18)もし自分で打ち壊したもの(律法)を再び建てるとすれば、わたしは自分が違犯者であると証明することになります。(律法遵守によって義とされようと自分の力に頼んでいたらダメなのです!)」
キリスト教の迫害者であった頃のパウロが、「律法の義に関しては非の打ち所のない者であった」という自覚を持っていたことを思い起こしてください。「律法の行いによっては誰一人として義とされない」、それが復活のキリストと出会ったことでパウロが徹底的に変えられた点なのです。自分の義を求めるのではない。キリストの義によって生きるのです。
19節も注意して訳したいと思います。「(19)わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています」。ここには二つの「律法」という語が出てきます。「律法に対しては律法によって死んだ」とは意味不明です。「モーセ律法に対してはキリストの律法によって(通して)死んだ」と意味を補って訳したいと思います。するとこうなります。「わたしは神に対して生きるために、(モーセ)律法に対しては(キリストの)律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています」。大変に明快になったと思います。
20節。「(20)生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」この最後の「神の子に対する信仰」という部分も訳し直します。「わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子のピスティス(信実/まこと)によるものです。」
そして21節に続きます。「(21)わたしは、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。」
8・15に思う
20節は文語訳ではこうなっていました。「われキリストと共に十字架につけられたり。もはやわれ生くるにあらず、キリストわが内にありて生くるなり」。ここでパウロは恐らく洗礼のことを思い起こしています。洗礼において古い自分はキリストと共に死に、新しい自分がキリストと共によみがえるのです。もはや生きているのは私ではない。キリストが私のうちに生きておられるのだ。このパウロの自覚が私たち信仰者の共通の自覚なのです。信仰とは主体の転換です。「私」という自我が打ち砕かれ、生きる主体の転換が起こっていることが実に見事に表現されています。キリストが私という存在の唯一の根拠なのです。キリストの十字架と復活、これがすべてです。ここに信仰を与えられた者の本当の自由があるのです。今日は8月15日。太平洋戦争の敗戦の記念日です。8月は戦争の傷跡を想起する月でもあります。ヒロシマ平和公園の碑文にはこう刻まれています。「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」。過去を想起するのは、それは二度とそのような過ちを繰り返さないためです。本当の平和、本当の自由、本当の義しさ。キリストが私たちを罪から解放し、生かすために十字架にかかり復活してくださった。ここに私たちの拠って立つべき原点があります。
「われキリストと共に十字架につけられたり。もはやわれ生くるにあらず、キリストわが内にありて生くるなり」。律法による義ではなく、キリストの義が私たちを生かし、私たちを愛と平和のために用いてゆく。このことを覚えながら新しい一週間を踏み出してまいりましょう。
お一人お一人の上に神さまの祝福が豊かにありますように。 アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2010年8月15日 聖霊降臨後第12主日説教 ガラテヤ書連続説教04)
説教「神は人を分け隔てなさいません」 大柴譲治
ガラテヤの信徒への手紙2:1-10
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがわたしたちと共にありますように。「えこひいきをされる神」(三浦綾子)
新聞の懸賞応募作品の『氷点』で作家デビューされた作家の三浦綾子さんの言葉に次のようなものがあってハッとしたことがあります。三浦綾子さんは1999年に77歳で天に召されましたが、キリスト者としての強い信仰を持った作家としても有名でした。北海道旭川市出身で、結核闘病中に洗礼を受けたことでもよく知られています。以降、結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など度重なる病魔に苦しみながらも著作を続けた方でもあります。皆さんの中にも三浦綾子さんの作品を愛読されている方もおられることでしょう。その三浦綾子さんがこう言っておられます。「こんなに多くの病気にかかって、神様は自分をえこひいきしているのではないかと思います。」病気の苦しみを通して自分は自己の罪深さを自覚し、そしてキリストの十字架の赦しへと導かれた。これは神の自分に対する偏愛ではないかと言うのです。私は最初にこの言葉を聞いたとき、自分の病気の苦しみをそのように位置づけることができるのはなかなかすごいことだと思いました。キリストを信じる信仰は、自らの苦しみを自らの背負うべき十字架と理解して、それが主イエス・キリストの十字架へとつながっているものと見てゆくのです。この言葉を語るまでのプロセスには大変なご苦労があったことと思います。度重なる病魔との戦いの中で、痛みを味わい、希望を打ち砕かれ、自分の無力さを嫌というほど味わわされてゆかれたのだと思います。しかしその中で、キリストへの信仰という宝を与えられ、キリストへの服従という生き方を示されたのです。主は言われました。「だれでもわたしに従ってきたいと思うものは、自分を捨て、自分の十字架を背負ってわたしに従ってきなさい」と。
カウンセリングやいのちの電話の訓練などで、自分自身がこれまで歩んできた生育歴を振り返るという作業をされたことがある方もおられましょう。一枚の白紙に一本の線を書いてみていただき、真ん中に横に一本の線を引きます。これが誕生から今までの自分の人生を表すとします。たとえば、自分自身の人生で嬉しかった出来事を三つ、苦しかった出来事を三つずつ考えてみてください。生育歴を振り返るということはいろいろと大切な気づきを与えてくれます。時代状況というものもあるでしょう。家族のことや学校のこと、仕事のことなど、人生には様々な出来事が起こります。戦争体験をお持ちの方もおられましょうし、三浦綾子さんのように病気で死線を越えてこられた方もおられましょう。思わぬ事故や災害や事件など思わぬ苦しみを負わされた方もおられるかもしれません。
三浦綾子さんは苦しみのどん底でキリスト者との出会いが与えられ、キリストを信じ、洗礼を受け、キリスト者となりました。キリストを信じる信仰が、三浦綾子さんの壮絶な病気との闘いを支えてきたと言ってもよいでしょう。「神さまは自分をえこひいきするほど豊かな恵みを与えてくださっている」というのは、三浦綾子さんならではの味わい深い信仰告白の言葉だと思います。そして実は心の深いところで、キリストと出会った人は、そのような思いを与えられているのではないかと思わされるのです。それは、パウロの2コリント12章の言葉を借りるならば、「弱いときにこそ強い」という「信仰の逆説」とも呼べるかもしれません。
それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。(8)この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。(9)すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(10)それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。(2コリント12:7-10)
同時にパウロのローマ書5章の言葉を思い起こします。
(1)このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、(2)このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。(3)そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、(4)忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。(5)希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ローマ5:1-5)
自分の弱さと無力さの中で、打ち砕かれ、キリストの現臨の力と神の愛を感じること。ここに信仰の不思議な力があるのです。
「人を分け隔てしない神」(パウロ)
ガラテヤ書を7月から連続で読んでいますが、本日は2章の前半です。ガラテヤの諸教会では、生前のイエスと出会ったこともないパウロがなぜ自らのことを「使徒」と呼んでいるのかが問題とされていたということを申し上げてきました。「使徒」というのはイエスご自身が直接選んだ「12弟子/使徒」のことだけを指すのだと考えていた人々がいたようです。このことの背後にあるのは人間の権威の問題でした。弟子たちも繰り返し誰が一番偉いかということや、誰が主イエスの右と左に座るかというようなことを議論していました。人間は、特に男性というものは、序列を付けたがるもののようです。それに対してパウロは1:1で、自分は「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたと宣言しています。イエス・キリストの直接啓示によるのだというのです。そしてそれは、キリスト教の迫害者であった自分が生まれる前から神によって計画されていたことであって、「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた」のだというのです(1:15-16)。人間的な上下の序列を生み出す権威ではなく、一人ひとりを召し出し氏名を賦与する神の権威をパウロは意識しているのです。
1章の後半でパウロは、注意深く、エルサレムの教会とのつながりを説明しています。
わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、(17)また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。
(18)それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、(19)ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。(20)わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません。(21)その後、わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。(22)キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。(23)ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、(24)わたしのことで神をほめたたえておりました。(ガラテヤ1:16-24)
「ケファ」というのは12使徒の筆頭であったペトロのことですが、ここで「主の兄弟ヤコブ」というのは12使徒の一人のヤコブではありません。「イエスの弟のヤコブ」が初代教会においては指導者の一人になっていたのですが、そのヤコブを指しています。12使徒の一人であったヨハネの兄弟ヤコブは殉教しています(使徒12:2、ヘロデによって)。この主の兄弟ヤコブは、後には「義人ヤコブ」と呼ばれるほど尊敬を集めた人であったようです。
それから「14年後」に再度パウロは「啓示によって」エルサレムを訪問します(2:1)。この二回目の訪問は、ルカによって使徒言行録15章で報告されている「エルサレム使徒会議」のことでありました。この「使徒会議」が正確にいつ行われたかは分かりませんが、恐らくそれはA.D48年の春頃にエルサレムで行われたと考えられています。アンティオケア教会(この教会はパウロの母教会でもありましたが、異邦人伝道に熱心でした)の代表であったパウロやバルナバらとエルサレムの原始教会の使徒たちや長老たち(ヤコブ、ペトロ、ユダ、シラスら)との間で開かれた会議で、異邦人キリスト者も救いの条件として割礼(律法)を守る必要があるかどうかが議論されました。そしてそこでは、パウロの主張する律法から自由な異邦人伝道が認められたのです。恐らく主の兄弟ヤコブがパウロを擁護したことが大きな影響を与えたのだろうと考えられます。そしてペトロたちエルサレム教会はユダヤ人伝道に、パウロたちアンティオキア教会は異邦人伝道に専心することが決定されたのです。この二つは車の両輪のように考えられたのでしょう。どちらも大切な初代教会の伝道の働きでした。
この「エルサレム使徒会議」は初代教会において異邦人伝道が正式に位置づけられた会議として重要な意味を持っていました。逆算するとパウロの回心はA.D.33年頃起こったことになります(2:1の「14年後」というのを回心から数えるか、第一回エルサレム訪問から数えるかで、誤差は1-2年あるかもしれませんが)。主イエスの十字架刑がA.D.30年4月7日であったと推定されますから(「ニサンの月の14日」「過ぎ越しの祭りの準備日」(13:1、18:28など)「金曜日」)、パウロは十字架と復活から三年ほどしてからダマスコ途上での劇的な回心を通して「異邦人の使徒」としてイエスの召しを受けたことになります。
本日の箇所には「おもだった人々」とか「柱」と目される人々(ヤコブ、ケファ、ヨハネ)という表現があります。このヨハネはゼベダイの子で漁師であった、ヤコブの兄弟の使徒ヨハネのことです。同時にパウロはこう言います。「この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません」(6節)。若きファリサイ派のエリート律法学者であった時のパウロから到底考えられない権威から自由になった信仰者の姿がここにはあります。若きパウロは人間の序列や権威といったものに熱心であったに違いありません。ですから律法遵守に対しても熱心だったのです。しかし神は人を分け隔てなさらない。律法の行いではなく、ただ信じることによってのみ救われる(義とされる)。これがパウロがキリストから示された恵みの事実でした。
事実パウロはキリスト教の迫害者であり、「徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました」(1:13)。そのような「敵」であったにも関わらず、神の恵みの選びを受けたのです。神は人を分け隔てなさらない!神はすべての人を等しく愛しておられる!これがガラテヤ書における大切な主題の一つです。キリスト者の自由/解放は、この神の分け隔てのない本物の愛に触れた時に与えられてゆくのです。「おもだった人々」とか「主の兄弟」とか「教会の柱とされている人々」とか関係ないのです。それはどうでもよいことなのです。一人ひとりが神の前に等しく置かれているのです。そして私たち一人ひとりを神はその独り子を賜るほどの強い愛を持って愛してくださっているのです。私たちはただそのことを信じればよい。割礼や律法の遵守は求められないのです。
しかし、このことをどこまでも問題としていた「潜り込んできた偽の兄弟たち」がエルサレムにもいたことが記されています(2:4)。彼らこそパウロの使徒職がどの権威から与えられたのかを問題にしていた人々でした。彼らは律法を守ることは大切であり、人間の正しい行いも救いには必要不可欠であると考えていました。そしてどこまでも人間的な権威を問題としていたのです。彼らにとっては「おもだった人たち」や「教会の柱」とされる人たちの存在が重要でした。(サタン/蛇はいつも近くにいます。ここでも使徒会議/教会の中にいることに注意してください。)しかしそのことは彼らに大切なことを見失わせていたのです。「キリスト・イエスによって得ているキリスト者の自由」と「福音の真理」を見失わせていました。4-5節には次のようにパウロは記しています。
(4)潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。彼らは、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。(5)福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした。(ガラテヤ2:4-5)
福音の真理に立ち続け、人を恐れず神を畏れる一人の信仰者の姿がここにはあります。注意深く言わなければなりませんが、年齢や性別や国籍や職業や能力や業績や地位や財産や、健康であるか病気であるか、障害を持っているかいないかなど、教会での役割や働きなども含めて、神は人を分け隔てなさらないのです。そのようなことは(この世は重んじるかもしれませんが)神の前ではどうでもよいことなのです。私はこの「私」というかけがえのない人間存在として、神によって愛されるため生まれているのです。「神はその独り子を賜るほどにこの世を愛された。それは御子を信じる者が、一人も滅びないで、永遠の生命を得るためである」(ヨハネ3:16)。
「熱情の神」
最初に三浦綾子さんの「えこひいきされる神/偏愛の神」について申し上げました。度重なる病気との苦しい戦いの中で三浦綾子さんは自分のためにその独り子を賜るほどに自分をえこひいきしてくださる神に出会ったのです。パウロはキリストと出会うことで「人を分け隔てされない神」の愛を知りました。「キリスト者の自由」「福音の真理」を知ったのです。神の前にはユダヤ人も異邦人も、男も女も、奴隷も自由人もないのです。どちらも同じ「神」のことを語っています。同じ神の真実の愛を全く違った言葉で表現できるところがいいですね。神は私たち一人一人を、分け隔てなく、えこひいきされるのです。私たちの神は「熱情の神」(出エジプト20:5)です。私たちすべてを、惜しみなく愛してくださっているのです。ここにキリスト者に注がれた神の愛と自由があります。聖霊の風は思いのままに吹くのです。この風は私たちを信仰によって解放してくださいます。この聖霊の風に吹かれて、神の備えてくださった自由の中に、私たちは新しい一週間を踏み出してまいりましょう。
お一人おひとりの上に豊かな主の祝福がありますようお祈りいたします。 アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2010年8月8日 聖霊降臨後第11主日説教 ガラテヤ書連続説教03)
説教「母の胎内にあるときから」 大柴譲治
ガラテヤの信徒への手紙1:11-24
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがわたしたちと共にありますように。「イエス・キリストの啓示によって」
今回はガラテヤ書連続説教の第二回目です。宗教改革者マルティン・ルターはガラテヤ書を最も愛し、そこから力を与えられて行きました。生涯に四度も講解し(1516/7、1519、1523、1535)、そのうちの二度の講解は出版されています。ルターはガラテヤ書のことを「ケーテ・フォン・ボラ」(自分の妻の名)とも呼んでいます。それほどこの書を愛し信頼したということでありましょう。前回、パウロが使徒とされたのが「人々からでもなく、人を通してでもなく」イエス・キリストとキリストを死者の中から復活させた父である神によってである(1:1)、ということを学びました。それはガラテヤの教会においてパウロの使徒性が問題となっていたからでもありました。生前のイエスとは会ったことがないはずのパウロが、誰の権威によって主イエスご自身が選んだ「12使徒」と並ぶ「使徒」という名を名乗っているのかということを問題とした人々がいたのです。パウロはその人々によって惑わされたガラテヤの教会員に対して断固として語ります。
兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。(11-12節)
人と人とのつながりという水平次元を問題としていたガラテヤの人々に対してパウロは、イエス・キリストとのつながり、神とのつながりという垂直の次元に目を向けるように強調しているのです。私たちが今ここで礼拝に集っているということの背後には、多くの信仰の先輩たちとの出会いがあり、執り成しの祈りがあったためですが、しかしそれを越えて、イエス・キリストご自身、神ご自身が私たちを捉えてくださったという事実があるというのです。それが大切です。
13節からはパウロが直接自分の過去を語っているという点でも大変貴重な歴史資料となっています。
あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。(13-14節)
パウロは自分の過去についてはほとんど語らないのですが、フィリピ書3章にある次の言葉を本日の言葉と重ね合わせて理解することできましょう。キリストと出会う前の、「若きファリサイ派エリート律法学者」としてのパウロの、誇り高きプライドを強く感じる箇所でもあります。
「とはいえ、肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのことです。わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」(フィリピ3:4-11)
「熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者」とパウロはここで自信をもって語っています。これはまことにすごいことだと思います。よほど自分に自信がないと語れない言葉です。あるいはもしかするとパウロは、ここで自分のかつての愚かさを笑うような思いで語っているのかもしれません。その頃の自分は実に自分のことしか見ておらず、大切なことが何も見えていなかった。憐れにも自分はそう思い込んでいた。しかし、キリストを知る「すばらしさ」のゆえに、それまで価値あると思っていたすべてを「損失」であり「塵芥」であると見なすようになったというのです。
キリストと出会うということは、私たちの古い価値観を木っ端みじんに打ち砕き、それ以外のすべてを相対化し新しくしてくれる、それくらいすごいことなのです。福音にはダイナマイトのような力がある。復活の主との出会いは、カチンカチンの律法学者、律法主義者であったパウロを打ち砕き、ただ信仰によって生きる全く新しい人間として造りかえたのです。信仰による本当の解放と自由がここにあります。
パウロがダマスコ途上で突然、天からの光に照らされ、復活の主イエスから「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」と名前を呼ばれて、目が見えなくなり、劇的な回心を遂げたことが、使徒言行録の9章、22章、26章に三度に渡り、パウロと伝道旅行を共にした医者ルカによって繰り返し記されています。ルカは福音書を書いた後、その続編として使徒言行録を書きました。ルカはパウロ自身からダマスコ体験のことを聞いて、それを記したのだと思いますが、パウロ自身はダマスコ体験を直接的には語っていません。しかし、「わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。」という11-12節の言葉はそのような出来事を背景にしていると考えられます。「啓示」というのは英語で言えばrevealという言葉から来ていますが、「隠されていたもの」を神ご自身が「明らかにしてくださる」という意味です。
「母の胎内にある時から」
パウロは突然天からの光に照らされ、復活の主に呼びかけられて劇的な回心をしました。パウロはそれを12節では「イエス・キリストの啓示」、15-16節では「神が、御心のままに、御子をわたしに示して」という表現で淡々と語っていますが、その啓示から、迫害者としての自分の歩みを含めて自分の過去のすべてをフラッシュバックのように振り返らされて、すべてを神の恵みの選びという光の下で理解したのでありましょう。ですからパウロはこう記すことができました。「しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた」のだと(15-16節)。母の胎内にある時、つまりこの世に生まれる前から、神は自分を「異邦人のための福音の使徒」として選び分け、恵みによって聖別し、立ててくださっていたというのです。私たちの人生にはしばしば、自分の人生を振り返ってみて、長い間分からないでいたこと、つながらないでいたことがスーッとつながって、「ああ、そうだったのか!」とストンと腑に落ちる、合点がゆくという天啓のような体験が起こります。目からウロコ体験です。パウロは復活の主と出会うことを通して、自分の人生が生まれる前から神さまの使命(ミッション)によって定められていたことを知るのです。それは「異邦人のための福音の使徒」としての自分のミッションでした。
聖書の中には、実は「母の胎内/子宮」という言葉はしばしば登場してきます。特に旧約聖書には何度も出てきます。コンコルダンスを調べますといくつかの単語が使われているようですが、創造主なる神が特別な使命を与え、生命を形づくってくださったということが告白されています。一番よく知られているのはエレミヤ書1章に出てくるエレミヤの召命の言葉でしょうか。
主の言葉がわたしに臨んだ。
「わたしはあなたを母の胎内に造る前から あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に わたしはあなたを聖別し 諸国民の預言者として立てた。」(エレミヤ1:4-5)
あるいは、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なにゆえわたしをお見捨てになったのです)」という言葉で始まる詩篇22編にも次のような言葉があります。
「わたしを母の胎から取り出し
その乳房にゆだねてくださったのはあなたです。
母がわたしをみごもったときから
わたしはあなたにすがってきました。
母の胎にあるときから、あなたはわたしの神。
わたしを遠く離れないでください
苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。」
(詩編22:10-12)
信仰者というものは、ある時点で、神ご自身がこの「私」の生命を特別な使命のために創造してくださったのだということを知るものとされます。自分の人生の目的/目標を知るといってもよい。このために自分は生かされているのだということに気づかされるのです。私たち一人ひとりにとって、母の胎にある時から恵みによって選び分けられたその「使命」とは何でありましょうか。それは「愛」です。神がその独り子を賜るほどにこの世を愛されたということを知り、それを人々と分かち合うことです。それは私たち一人ひとりがキリストの福音によって生かされるということであり、それを周囲の人々と分かち合って生きるということであります。韓国生まれの讃美歌にあるように「君は愛されるため生まれた」のです。
神の使命
主イエスはヨハネ福音書15章で次のように語っておられます。15章は主イエスの告別説教の一部でもあります。「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」(ヨハネ15:11-17)
私たちキリスト者は、この「新しい戒め」のために生命を与えられている。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」。先週は立野先生が、よきサマリア人のたとえから説教をしてくださいましたが、「私にとって『隣人』とは誰か」と自分中心の生き方/立場から隣人を問うところから、「誰がこの人の隣人となったか」と主イエスが言われたように、「困窮の中にある者の隣人に、私自身がなってゆく」という苦しむ者中心の生き方/立場へと変えられて行くことが求められているのです。
パウロも主イエスと出会うことによって、律法中心の生き方から、キリスト中心の生き方へと変えられてゆきました。律法主義者であったときにもパウロは神中心の生き方をしているという自覚を持っていたはずですが、実はそれは恐れと不安に満たされた生き方でした。人を裁き、そのことによって自分自身をもギリギリと八方塞がりの恐怖の中に追い詰めて行くような不自由でモノローグ的な生き方でしかなかったのです。「熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者」であったパウロは、自己完結的でしたが、復活の主と出会うことを通して(復活の主ご自身がパウロに呼びかけられたのです)、「自分中心の、自己完結的な、律法を守る自分を誇る生き方」から「キリスト中心の、キリストを誇る信仰的な生き方」へと転換(トランスフォーム)させられました。人は行いによってではなく、ただ信仰によってのみ義とされるということ。ここに本当のキリスト者の自由があるということをパウロは主イエスとの出会いによって「目からウロコ体験」のように知らされたのです。
自分を誇る者は愛を知りません。キリストの愛を知る者だけが打ち砕かれて、神の愛によって自分が「母の胎内にある時から恵みによって選び分けられ」ていたことを知るのです。神はその独り子を賜るほどにこの世を愛してくださった。それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の生命を得るためなのです。
ガラテヤ書は愛と自由の手紙と呼ばれる手紙です。最初に申し上げたように、この手紙は宗教改革者ルターが「自分の妻」と呼んで愛した最愛の手紙でもありました。ルターはガラテヤ書に示されたパウロの信仰によって、人はただ信仰によってのみ義とされるのだということに目が開かれたのでした。律法にこだわり、人間にこだわり、自分にこだわるパウロが、キリストを信じる信仰によって全く新たにされ、自由にされたことを私たちもそこから学んでゆきたいと思います。
福音とは、信じる者にとっては神の力であって、復活のキリストが私たちにご自身を啓示してくださるのです。「啓示」とは隠されていることを神ご自身が明らかにしてくださることを意味しています。母の胎内にいた時から恵みによって選び分けてくださった父なる神の「恵みの選び」を味わいながら、新しい一週間を踏み出してまいりましょう。私たちの人生にはそのような意味と目的があるのです。
お一人おひとりの上に、神の恵みの選びを深く味わう信仰が与えられますようお祈りいたします。 アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2010年7月25日 聖霊降臨後第9主日説教 ガラテヤ書連続説教02)
説教「人々からでもなく、人を通してでもなく」 大柴譲治
ガラテヤの信徒への手紙1:1-10
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがわたしたちと共にありますように。「戦いの書」
時代の節目節目でパウロの手紙は大きな役割を果たしてきました。宗教改革の時代においてもそうでした。ルターもガラテヤ書のみ言葉から力を得て宗教改革を始めてゆきました。それはパウロのこの手紙が明確に「信仰の原点/核心」を示しているからです。このガラテヤ書は三つの主題を巡って書かれています。「パウロが本物の使徒であるということの根拠(パウロの使徒性)」と「信仰義認」、そして「キリスト者の自由」という三つです。私たちの教会も一つの節目を迎えようとしている今、11月までの四ヶ月、12回の主日礼拝を通してパウロのガラテヤ書を通して私たちの信仰の原点を再確認してゆきたいと思います。このガラテヤ書はその論争的な性格から「戦いの書」と呼ばれてきました。特に1:6以降の言葉からはそう感じられると思います。パウロは早々に挨拶を切り上げて本題に入ってゆくのです。いや、実は冒頭の1:1の「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」という言葉からもその特徴は明らかです。ガラテヤ教会にはパウロの使徒職の真実性を巡って議論がありました。そもそもパウロはユダヤ教ファリサイ派の若きエリート律法学者で、キリスト教の迫害者でした。生前のイエスさまに会ったことは一度もありませんでした。その意味では直接イエスさまによって集められたペトロやヤコブ、ヨハネなどの「12使徒」とパウロは全く異なる経歴を持っていたのです。
そこから彼の使徒性を疑う人々がいました。パウロは自分のことを「使徒」と呼んでいるが一体何を根拠としているのか。生前のイエスさまとお会いしていないばかりか、12使徒との関わりも持っていないではないか。本来パウロはキリスト教の迫害者であって、最初の殉教者ステパノが殺された場面にも関わっていたではないか(使徒言行録8章参照)。一体誰が彼を「使徒」としたのか。勝手にパウロは自らを「使徒」と名乗っているだけで、12使徒のはしくれにも及ばないではないか。などなど、彼の使徒性の真偽を巡って批判と非難が集中していたのです。
「人々からでもなく、人を通してでもなく」
そのような疑いと非難の中でパウロは明確に宣言します。自分は「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」であると(1節)。自分が使徒とされたのは、出自や人間的なつながりに拠るのではないのだ。直接「イエス・キリスト」と、キリストを死者の中から復活させた「父である神」とによって使徒とされたのだ、と。これ以上に確かなことはないとしてパウロは自らの使徒としての根拠を、イエス・キリストと父なる神からの召し出し(コール/召命)によるのだと高らかに宣言するのです。しかもそれは、15節を読みますと、自分が生まれる前から、まだ「母の胎内」にあるときから神が「選び分け、恵みによって召し出してくださった」のだと言うのです。キリストと出会うということはそこからすべてが開けて見えてくる次元があるということなのでしょう。既に母の胎内にある時に、否、その遙か以前から、あの二千年前のキリストの出来事(受肉と十字架、復活)が自分のためであったということが神の救いの歴史の中で瞬時につながって見えてくるのです。
確かに使徒言行録の9章を読みますと、パウロはダマスコ途上で復活のキリストによって「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかけられて、三日間目が見えなくなり、飲まず食わずとなったとき、ダマスコで神から遣わされたアナニアと出会うことによって劇的な回心を遂げたと記されています。復活のキリストと出会うことによって、パウロ(サウルはその別名です)はキリスト教の迫害者からキリスト教の伝道者へと180度転換させられるのです。「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」という言葉はこのような彼自身の体験から来ています。私たちはしかしそこにアナニアという人間が遣わされていることを注意しておきたいと思います。先に信仰を与えられた者が神さまによって用いられているのです。
このことはパウロに限らず、私たち信仰者にとっても大切なことを意味していましょう。私たちの多くは信仰にまで導かれるプロセスにおいて何人もの信仰の先輩たちと出会ってきました。ある人にとってそれは両親であり、兄弟であり、配偶者であり、恩師であり、信仰の友、仲間でありました。あるいは苦難の時に自分と共に歩み、自分に真剣に向かい合ってくれた牧師や宣教師であったかもしれません。確かにそれらの二つとない出会いを通して私たちは聖書のみ言葉の深みへと導かれ、そしてそこでキリストと出会ってきたのだと思います。その意味ではパウロの言葉とは逆で、私たちは「人々から、人を通して」キリスト者とされているのです。しかし、それらの人間的な次元を越えて、神自らが働いておられる次元を見て行く信仰のまなざしがそこでは求められている。教会は人を見るのではなくキリストを見る場所であり、主イエス・キリストを通して父なる神を見上げる場所なのです。人間関係という水平次元を越えて、神との垂直次元の存在に気づく必要があります。ガラテヤの教会は人を見てばかりいて神を見失っていたのです。
コンパスが必ず真北を指してピタッと止まるように、私たちの魂は神を向いて生きるように定められているのです。パウロは2コリント4章の終わりで次のように語ります。「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(18節)。私たちは最初から神に向かって、神との関係の中に生きるように定められています。それを聖書は様々な言い方をしていますが、創世記の1章では人間が「神のかたち/似姿」に造られていると記しているのです。
「人々からでもなく、人を通してでもなく」という言葉は、私たちにキリストとのつながり、神とのつながりの決定性、中心性、重要性をひと言で言い表している言葉なのです。十字架と復活の主イエス・キリストご自身、父なる神ご自身が、私たち一人ひとりに働きかけてくださり、そして私たちはここに集められているのです。
その意味で、キリストによって召し出され、キリストによって出会い、つながりを与えられた者たちの群れ、それが「教会」であります。地縁でも血縁でもない。それは「キリスト縁」「聖霊縁」とも呼ぶべき関係です。教会とは神によって集められた「神の家族」なのです。
「ほかの福音はない」
さて、問題の6節以降です。このガラテヤ書が「戦いの書」と呼ばれるほど論争的性格の強い手紙であることは先に申し上げました。パウロも強い口調で書いています。それは「何としてでもこれを曖昧にしてはならない、ここから離れてはならない」という信仰の原点がそこで語られているからです。昔「うるさい親ほどあったかい」というCMがありましたが、パウロは第二伝道旅行の途上で自分がその誕生に関わったガラテヤ教会の「産みの親」として必死なのです。率直で、そこには遠慮がありません。パウロとガラテヤ教会の本当に親しい関係、密接な関係がそこには逆に浮かび上がってくるように思います。ガラテヤの教会員たちも驚いたことでしょう。自分たちがそれほど大きな問題だとは思っていなかったことが、自分たちの「信仰の親」であるパウロによって厳しく叱責されているのですから。「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです」(6-7節)。パウロはキリストの福音はただ一つであると言います。異なった福音、もう一つ別の福音があるわけではない。あなたがたは惑わされ、キリストの福音から離れようとしているのだ、とパウロは言うのです。
そこからパウロは「呪われよ」という厳しい非難の言葉を二度繰り返しています(8-9節)。「呪われよ」とは「神の裁きに委ねる」という意味です。キリストが生命を賭けて私たちに与えてくださった十字架の福音です。パウロはそのことの重さを知っている。それを失う、そこから離れるということは死へと定められるということでもある。ある人は言いました。「呪いを語ることができる者だけが祝福を語ることができる」と。「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです」(4節)。これが福音なのです。
soli deo gloria
5節も実に味わい深い言葉です。「わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように、アーメン」。ただ神にのみ栄光がありますように。ラテン語で言えば”soli deo gloria”です。(ヨハン・セバスチャン・バッハはその作品の最後にいつもs.d.g.と記したそうです。)先日の宣教フォーラムの中で、賀来先生がドイツの修道院を訪ねたときのお話を分かち合ってくださいました。修道院には必ず修道士たちの墓地があります。その墓碑銘にはそのsoli deo gloriaという一言が刻まれていたというのです。自分の人生も最後にそのような墓碑銘で締めくくることができたらいかに幸いなことかと思いますと賀来先生は語られました。
私は「アーメン、真に然り」としみじみと深く感じ入りました。私たちもたとえささやかな人生であったとしても、そのような人生を送ることができたら、この世で与えられた使命を全うすることになるのではないかと思います。私たちの主イエス・キリストが私たち主を信じる者を皆、そのように告白する者へと造り変えてくださるのだと信じます。そのことを覚えながら、私たちは新しい一週間を踏み出してまいりましょう。ただ神にのみ栄光がありますように。 アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2010年7月11日 聖霊降臨後第六主日説教 ガラテヤ書連続説教開始日)
説教 「『福音』とは何か」 ジェフリー・トラスコット牧師
ローマの信徒への手紙 3:19-28
はじめに
私をこの宗教改革記念主日の説教者としてお招きいただいたむさしの教会の皆さんと大柴先生に対して感謝します。本日の礼拝を共にできますことは私には栄誉でありまた喜びでもあります。日本ルーテル学院大学と神学校から、特に清重学長と徳善神学校校長からよろしくとのご挨拶を皆さまに申し上げます。私たちは皆さんが大学と神学校に対して大きなサポートをしてくださっていることを感謝しております。「福音」とは何か
皆さんがご承知のように、世界中のルーテル教会は16世紀のマルティン・ルターの改革的な働きにその源をもっています。それらの多くの教会は、「ルーテル教会」とか「福音教会」または「福音ルーテル教会」という名前を有しています。皆さんは日本福音ルーテル教会という教派に所属しているわけですし、私はアメリカ福音ルーテル教会に所属しています。皆さんはなぜ私たちが自らをそのように「福音」ルーテル教会と呼んでいるか考えたことがおありでしょうか。ウィリアム・シェークスピアの『ロミオとジュリエット』の中で、ジュリエットがこう語る場面がありました。
「でも名前が一体何だろう?私たちがバラと呼んでいるあの花の、名前がなんと変わろうとも、薫りに違いはないはずよ。」(新潮文庫、中野好夫訳)
何かに名前をつけることでそのものの基本的な性格を決定したり変えたりすることはできないという意味でジュリエットは正しいのです。しかし他方で、名前というものはとても重要です。それはものごとや人々の集団の目的に私たちの注意を喚起するからです。
「福音」という言葉はギリシャ語の「よき音信 good news 」という意味の言葉から来ています。私たちが「福音ルーテル」教会員であるということは、私たちの使命が福音を宣べ伝えることにあるということを表しています。
本日の使徒書の日課(ローマ3:19-28)は、マルティン・ルターが彼の福音理解のためには重要だと発見した聖書の箇所です。それゆえそのテクストは私たちに「福音」教会に所属するということが何を意味するか理解することを助けてくれます。
「神の栄光に届かない」という言葉の意味
第一に、福音主義教会は次のように宣言します。自分の努力によって私たち自身に神との正しい関係を獲得することは不可能であるということを。本日の使徒書の日課で聖パウロは次のように語っています。「なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです」(20節)。ここで「律法」とは、神が私たちになすべきと、あるいはなすべきではないと命じた事柄を意味します。十戒は神の律法の中核です。それゆえ、ここでのパウロの考えは、十戒にただ従うということが私たちを神との正しい関係に置くのではないということになります。結局、私たちが律法を必要としているという事実自体が、私たち自身が不完全な罪人であるということを示しているのです。さらに加えて、私たちには律法が要求することを完璧に満足させるということは不可能なのです。パウロは言っています。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(23-24節)と。
ここでパウロが「神の栄光を受けられなくなっている(栄光に届かない)」と言うことで何を言おうとしているか語らせてください。私たちは神の似姿に創造されています。私たちの愛する能力、創造する能力、他者と関係を形成する能力は、神がどのようなお方であり、何をなさろうとしているかということを反映しています。他の存在との愛の関係を持とうと望まれたがゆえに、神はこの世界を創造されたのです。
しかし、人間は憎しみを抱き、破壊し、人間の共同体を滅ぼすゆえに、私たちはもう神の似姿、または神の栄光を反映しなくなっています。すなわち、ちょうど走り幅跳びの選手が彼の目標に届かないで手前に着地してしまうように、私たちは神の栄光を受けられなく(神の栄光に届くのに足りなく)なっているのです。なぜなら、私たちの罪が私たちが神のようにあることを妨げているために、私たちは神との完全な交わりに入ることができないのです。
罪の強大な力
私たちの人生において罪はあまりにも強大な力を持っています。それが、「私たちは罪の虜となっており、自らを解放することができない」(アメリカ福音ルーテル教会の礼拝式文LBWの中の言葉)という言葉の意味です。「私たちは罪の虜となっている」という言い方に反対する人々もいます。「キリストが私たちを自由へと解放してくださった」と彼らは言います。確かに、主は私たちを罪の罪責から解放してくださいました。キリストのゆえに神が私たちを赦してくださったのだから、私たちは神との正しい関係に入れるかどうかについてはもう心配しなくてよい。自由とされているからです。神の赦しが私たちを隣人を愛し、隣人に仕えて行くことへと解放してくださったとそのような人々は考えているのです。
しかし、キリスト・イエスは確かに私たちを自由へと解放してくださったけれども、私たちを完全なものとしてくださったわけではありません。私たちが完全さを獲得することができるのは、キリストが再臨し、罪と死の力を完璧に打ち砕いてくださる終わりの時なのです。それまで私たちは罪と邪悪から逃れることはできないのです。
そのあたりの事柄を次のように説明させてください。私たちの皆が銀行にお金を預けています。恐らく、私たちの知らないところで、このお金は環境破壊を行ったり発展途上国の人々を抑圧したりしている諸企業に貸し与えられているのです。そのお金がどのように用いられているか質問する時を持ったにせよ、そこで与えられる答えは恐らく真実ではないでしょう。それにも関わらず、私たちの内の誰も、安全のために、銀行にお金を預けないでいることを望まないのです(皆、銀行に預けます)。このことに関して、私たちは一つの難しい道徳的ジレンマに捉えられます。もちろん、私は銀行にお金を預けることが罪だと言っているのではありません。罪と邪悪とは、私たちが知る以上に複雑な仕方で、私たちが変える力を持つよりもはるかに様々な仕方で、私たちの人生に関わりうるということを言いたいのです。
同様にまた、聖パウロのように、私たちが望んでいる善を行うことに対して無能力であるということに気づく時に罪の力はあらわにされます。私はいつも注意深く、ある人々やある状況に対して自分が怒りを覚えることがないようにと思っています。しかし気がつくと私は結局そのような状況の中で怒ってしまっている。そうなるたびに私は自分の勇気がくじけ、希望がなくなってしまったように感じます。皆さんも自分の悪い行動パターンを変えようとしてしばしば無力感に苦しむことがあるかも知れません。私たちの人生において罪の力があまりにも強いために私たちは神のみ前に立つことができず、私たちは神の愛と恵みに価すると主張することはできないのです。神の前で私たちは自らを義とすることはできない。私たちが神との正しい関係に入ることができるとすれば、それはただ神ご自身がそのようにしてくださるからなのです。これが神がイエス・キリストにおいてなしてくださったことでした。そしてこれが「ゴスペル」、つまり「福音」なのです。
贖罪の血
そうであればこそ福音教会は、第二に、「イエス・キリストにおいて神は罪の力に勝利してくださり、私たちは神との正しい関係に入ることができた」と宣言しているのです。「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです」とパウロは語ります(26節)。
ここでの言葉は、旧約聖書のレビ記に記されている「大贖罪日の儀式」という光の中で理解されなければなりません。古代のヘブル人の思考方法においては、罪が神殿の聖域(サンクチュアリー)部分を「汚し」、あるいは汚染すると考えていました。聖域とは、神殿の一番奥にある部分で、モーセに与えられた律法の二枚の板の入った聖なる箱が置かれていた場所です。もし聖域が諸々の罪によって汚染されたままだとすると、神殿の聖域で顕わされる神のご臨在はそこにとどまることができず、そこを去ってゆかれるであろうと彼らは考えたのです。
一年に一度、神殿を罪から清めるために犠牲の動物の血が聖域の様々な部分に注がれました。特に、聖なる契約の箱の覆い部分に注がれたのです。血は清めのための「洗剤」として機能したのです。それは、罪を清めるということはその罪を修正する、または「贖う」ことだという思想でした。神の戒めを成就するために血を用いるということが、神を彼の民と和解させることを可能としたのです。
イエス・キリストにおける和解の賜物
イエス・キリストにおいて父なる神はご自身を人類と和解させる新しい方法を与えてくださいました。義は罪人が罰せられるべきことを要求しましたが、神は過去の諸々の罪を罰せられないままでいることを許されたのです。このことは神の側で無視されていたのではなかった。そうではなくて、神が人類を罪から救うために新しいイニシアチブをもって今や行動しておられるということを示すためのものだった。その独り子を犠牲にすることで父なる神は義が要求したことを行ったのです。なぜなら罪のためにはだれかが死ななければならなかったからです。罪なき者を犠牲として差し出すことで神は律法が要求することを実行したのです。犠牲は純粋無垢できずのないものでなければならなかったからです。義と律法とが要求することがイエス・キリストにおいて満たされたために、私たち聖ではない罪人が神の前に聖なるものとされ、義とされたのです。純粋無垢で罪なきイエスの血潮が私たちの罪を覆ったのです。この贖罪のみ業、和解のみ業は、私たちが自分で成し遂げることができるようなものではなかった。罪から私たちが清められると言うことは神からの賜物でありギフトなのです。今私たちがなしうることは、ただイエスが私たちのために犠牲となられたということを信じることだけなのです。
神の行為への応答としての信仰
それゆえ、福音主義教会のメンバーであるということは、最後には、信仰とはイエス・キリストにおける神の行為に対するふさわしい応答であるということを私たちに思い起こさせてくれます。本日の日課の中でパウロは、「神がイエス・キリストを信じる信仰を持つ者を義としてくださる」と語っています。換言すれば、信仰者は神との正しい関係の中に置かれるということです。キリストが私たちのために死んでくださったということを信頼するとき、私たちは自らの努力によって神の前に義となることができるといういかなる考えに対しても死ななければならないのです。そして私たちは神の恵みに完全に依存しているという認識に到達するような新しい生命に復活させられているのです。信仰がこのような死と復活とを現実に可能とするとき、私たちは神との正しい関係に生きることができる。これが信頼と依存に根ざした関係なのです。ちょうど、子供が自分のために食べるものや着るものを備えてくれる親に全く依存し(頼り切り)、親はいつもよいものであるということを信頼するのと同じように。
よくある誤解
残念なことに、信仰はしばしば誤解されています。私たちルーテル教会員は時折、信仰とは宗教の教理的な知識のことであり、そのような知識を十分にもつことが私たちを神の前に義とするのだと考えてしまいがちです。他のプロテスタント教会では、信仰とは感情(フィーリング)であり、情緒的な回心体験においてそれが頂点に達するときに、人は神との正しい関係に入ることができると考えます。どちらの場合も、信仰は計測可能な実体(何か)として見られており、キリスト者の生とは単にそれを十分に獲得することだということになるのです。ちょうど、車のガソリンタンクにガソリンを入れることが車を走らせたり、あるいは食糧を買うために十分なお金を得ることが必要なように。賜物(ギフト)としての信仰
知識と情緒は共に宗教的体験には重要なものですが、信仰とはものではないし、計量することもできないものなのです。人はそれを十分に獲得することは決してできない。信仰とはむしろ神の約束を信じようとする絶え間ない格闘です。信仰生活は絶えざる悔い改めを含んでいます。すなわち信仰とは、自らの利己的な欲望から遠ざかり、服従において神に向きを変えることと愛において隣人へと向きを変えることを含んでいるのです。マルティン・ルターは「洗礼は日ごとの悔い改めに導く」と述べています。日ごとに罪に死に、キリストと共なる新しい生命に生き返るのです。また、「信仰」とは、練習を積んでよいテニス選手になるようには、私たち自身の努力によっては獲得されないものです。むしろ、信仰とは神からの賜物(ギフト)であり、教会の説教と聖礼典を通して聖霊によって分け与えられるものなのです。マルティン・ルターは小教理問答で次のように言っています。わたしは、自分の理性や能力によっては、わたしの主イエス・キリストを信じることも、みもとにくることもできないことを信じます。けれども聖霊は、福音をとおしてわたしを召し、その賜物をもってわたしを照らし、まことの信仰のうちにきよめ、支えてくださいました。それは聖霊が、この地上の全キリスト教会を召し集め、照らし、きよめ、そしてイエス・キリストにある、まことの、一つの信仰のうちに支えられるとおりです。
神は常に私たちの信仰を造り上げようと働いておられるのです。それは現在進行中の働きなのです。その意味で、私たちは決して霊的な富士山の頂上に辿り着くことはないのです。
名前とは何か
名前とは何でしょうか?ルーテルの会員としては、「福音(主義)」という名は大切な意味を持っています。それは私たちに私たち自身の使命(ミッション)を思い起こしてくれます。罪深い人類には私たちの罪のために犠牲となってくださったお方ーイエス・キリストがどうしても必要なのだという人類のニーズを宣べ伝えるというミッションです。「福音」という名は私たちにイエス・キリストの福音(ゴスペル)が信仰において受け取られるべきことを思い起こしてくれます。そしてその信仰によってのみ私たちは神との正しい関係に入ることができるのです。祈り
祈りましょう。父よ、私たちを福音の使命(ミッション)のために新しくしてください。十字架につけられて死者の中からよみがえらされたイエス・キリストのよき音信を大胆に告知して行くことができるよう私たちを助けてください。私たちを信仰と奉仕において強めてください。他の人々を私たちの主の救いの智恵に導くことができますように。私たちの主キリストを通して祈ります。アーメン。
(2001年10月28日 宗教改革記念主日 礼拝説教 通訳:大柴譲治)
ジェフリー・トラスコット博士は、米国ペンシルバニア出身の牧師で、トリニティールーテル神学校(M.Div)、ゲティスバーグルーテル神学校(S.T.M)、ノートルダム大学(PhD)をご卒業。現在はルーテル学院大学・神学校でご専門の礼拝学を教えておられる。
説教「『使徒』パウロの召命」 大柴譲治
ガラテヤの信徒への手紙 1:11-24
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。神の召命
ガラテヤ書は、1:1に明言されているように、パウロが「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされた」ということを繰り返し伝えています。本日の11-12節もまた然り。「兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです」。パウロがこの手紙を書いた時、ガラテヤの教会ではパウロの「使徒性(使徒職)」が問題とされていました。イエスや12使徒に対してパウロが「直接的・人間的なつながり」を持っていないことが問題とされたのです。私たちもまた人間的なつながりが気になることが少なくありません。誰と誰がつながっているか、面識があるか、地縁・血縁関係にあるか、影響を受けているか、認められているか、等々、「派閥」的なものが気になるのです。しかしパウロは一切そのようなことを問題としない。「自分が使徒として立てられているのは人にはよらない。直接神とイエス・キリストによっている」と主張します。1節や12節の言葉もそうです。「人々から」とか「人を通して」とかにこだわって、大切な神との次元を見失っているガラテヤの教会員たちを叱責しているのです。
パウロは確かに「12使徒」の一人ではありませんでした。生前のキリストに出会ったこともありませんでした。人間的な面識は何もなかったのです。それどころか逆に、パウロはキリスト教の迫害者・敵対者の一人でした。「そんなパウロに使徒としての資格はない」。恐らくパウロの敵対者たちはそのように主張したのでしょう。パウロによって立てられたガラテヤの教会員たちはパウロの使徒性を批判されて動揺したことでしょう。
ガラテヤ教会のメンバーのほとんどは異邦人キリスト者でした。自らのキリスト者としての強固なアイデンティティーが欲しかったのかもしれません。彼らはユダヤ教的な律法を重んじる「キリスト教」をより正統的なものとして重んじてゆくのです。そのようなガラテヤ教会員をパウロは父親のように厳しく叱責します。「わたしが伝えた福音からこんなにも早く離れてしまうのはいったい何事か!」と(6節)。呪いの言葉まで出てきます。そのパウロの火を噴くような厳しい言葉に彼らは事の重大性に気づき、ハッとさせられたことでしょう。
私たちもまた、人の眼を気にするのではなく、ただ神とキリストの眼/まなざしを思うように招かれています。しかし、注意したいと思います。人の眼を通して、神は私たちを見ていて下さるということもまた事実だからです。私たちは具体的な暖かいまなざしや声を必要とします。そして神さまはそのような具体的な出会いを通して、孤立無援の状況においても誰か具体的な「助け手」を派遣することを通して私たちにご自身を啓示して下さるという事が起こる。それは、ある時には私たちの親であり家族であり、恩師であり友であり配偶者であり、あるときにはライバルや敵対者を通しても、あるいはまったく面識のない人を通しても、神の愛が伝えられるということが起こるのです。
若き迫害者パウロの姿
本日の箇所はパウロが自分の若い頃について語っていて、一次資料としても大変興味深いところです。パウロは言います。「あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました」(13節)。やはりパウロが若き日の自分について語っているフィリピ書3:4-6と重なります。「とはいえ、肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのことです。わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした」。自分のことを「非のうちどころのない者」と言えるほどの強烈な自意識です。完璧主義者であった若きエリート律法学者パウロの息づかいが伝わってくるような部分です。あまりこのような人には近寄りたくないと私などは思います。フィリピ3章と並び、このガラテヤ1章の終わりの部分は、パウロがどのような生い立ちであったかということが自分自身の筆で記されている貴重な証言です。
「わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました」(13-14節)。この発言は、キリスト教の伝道者パウロにとって深い痛みを伴う発言であったかもしれません。過去の罪と恥をさらけ出すようなものだからです。ルカの記した使徒言行録の7章の終わりから8章にかけての部分を読むと、最初の殉教者ステファノの殺害にもパウロは深く関わっていたことが分かります(8:1「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた」。
しかし「母の胎内にあったときから」!
そのような迫害者であった自分を「使徒」として「神」が「召し出してくださった」のだとパウロは言うのです。しかもそれは、パウロが生まれる前から、パウロが「母の胎内にあったときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた」と言うのです(15-16節)。「母の胎内にあったとき」、と言うのです。パウロがそう記した時、彼は恐らく「涙の預言者」と呼ばれた「エレミヤの召命」を意識していたと思われます。エレミヤ書1章にはこうあるからです(旧約p1172)。◆エレミヤの召命
(4) 主の言葉がわたしに臨んだ。
(5)「わたしはあなたを母の胎内に造る前から あなたを知っていた。
母の胎から生まれる前に わたしはあなたを聖別し 諸国民の預言者として立てた。」
ああ、そうだったのか! 自分は既に生まれる前から神に聖別され、使徒として召し出されていたのか! そのことを知ったときのパウロの驚きが伝わってくるように思います。そして実はその神の選びはパウロに限らない。私たちもまた、一人ひとりが母の胎内にあるときから、生まれる前から、神さまからの恵みによって選ばれ、聖別されているというのです。一人ひとりが「神の宝の民」として、神の福音をこの世界に伝えるために。私たちの人生には振り返ってみれば、そのことに合点が行くというか、すべてがストンと腑に落ちる瞬間があるのだと思います。
このように圧倒的な力を持った「神の恵みの選び」がパウロを捉えて離さないのです。「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされた」というパウロの言葉はそのような気持ちに裏打ちされているのです。パウロは1:16以降は注意深く、人とのつながりを避けているように思います。16節には「血肉に相談するようなことはせず」とあり、17節には「エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻った」とあります。
18節からは三年後にケファ(すなわちペトロ)とエルサレムで会って、15日間彼のもとに滞在したとあります(18節)。他の使徒にはだれにも会わず、ただ「主の兄弟ヤコブ」(イエスの弟でエルサレム教会の中心メンバーであった義人ヤコブのこと。12使徒の一人のヤコブとは違う人物)とだけ会ったとあります。パウロは使徒ペトロと主の兄弟ヤコブ以外とは何のつながりもなかったと証言しているのです。自分が使徒とされたのが、「人々からでもなく、人を通してでもない」ということを証ししているのです。「わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません」(20節)。
パウロは人と人との出会いや絆の大切さをよく知っていました。だからこそ、このように手紙をガラテヤの教会員たちに書いているのです。しかし人間関係というものは、最も大切なお方、「イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父なる神」(ガラテヤ1:1)との関係の中ですべて位置づけられるべきものだったのです。母の胎内にあるときから私たちを選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子を私たちに示してくださるのです。神のキリスト者としての召命が、私たちの人生のすべての基礎にあるのです。
人間関係は揺れ動きます。どんなに確かなものであると思っていても、それは揺れ動くものです。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない!」(マルコ13:31)。私たちは揺れ動くことのない足場(土台)の上に私たちの人生という家を建ててゆくのです。いや、既に唯一絶対のイエス・キリストという足場を与えられているのです。パウロはそのことの喜びを知っています。神の恵みに、主イエス・キリストの愛に捉えられているのです。このことを覚えながら新しい一週間を踏み出してまいりましょう。お一人おひとりの上に恵みが豊かにありますようにお祈りします。アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2008年8月31日 聖霊降臨後第16主日礼拝説教)
説教 「憂愁から喜びの世界へ~ルターの見出したもの」 内海 望
ローマの信徒への手紙 8:31-39
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように。憂愁から喜びの世界へ~ルターの見出したもの
宗教改革主日に当たってルターの生き方を通して福音を聞きましょう。いろいろ伝承があるにしろ、ルターが修道院に入った動機は「罪人としての私」と「裁き主である神さま」との和解を得たいということにあったことは事実です。言い換えれば、「自分は救われている」という「確かさ」が欲しかったのです。神さまとの和解がなければ、死んでも永遠の責め苦に会うという「罪と死への恐れ」が、彼を修道院に走りこませたのです。修道院で神さまに喜ばれる行いをするなら神さまと和解でき、安心して死ねる、永遠の生命が約束されると信じて、修道院に入ったのです。迷信的な色彩が残っているとしても、ヨーロッパ中世期の人々の神と罪に対する鋭い、繊細な感受性は、現代の私たちが取り戻すべき感覚ではないでしょうか。霊的な感受性(スピリチュアリティ)です。イエスさまが、「義に飢え渇く人々は、幸いである」(マタイ5:6)とおっしゃったような人々が数多くいたのです。修道院でのルターの神さまとの和解のための努力には驚くべきものであったようです。後年、当時の自分の努力を振り返って、「もし行いによって救われるとしたら、それは私であった」と自ら語っているほどです。しかし、実際に、そこで発見したものは、自分の心の奥底に潜んでいて決して克服することの出来ない根源的な罪・原罪でした。「修道士として定められた規則に従って生きようと私は非常に努力し、苦痛を忍んだ。私はいつも先ず自分の罪を全部悔い改めて、ざんげを頻繁に繰り返した。そうして私に課せられた罪の償いを熱心に果たそうとした。しかし、依然として私の良心は安心を得ることができなかった。私は絶えず自分が不十分でなかったかと自問し、『お前は十分悔いていない。懺悔からもれているものがあるのだ』と考え続けた。」と語っています。「底なしの淵」(黙示録)に落ち込んだとルターは感じました。「底なし」とは、「人知を越える」「想像を絶する深み」です。
私たちは、人々が矢のように放つ視線を受け、その視線によっていらいらして怒ったり、おどおどと恐れたりして神経症的な生き方になっています。言い訳、弁解、かんぐりがいつも心に溢れています。
しかし、ルターは、人間でなく、神さまの鋭い容赦ない視線の中で苦しみました。神経症どころか「一人の人を知っている。・・・その苦しみは舌でもって語ることも、筆を持って書くことも、経験することも出来ないほど大きく、かつ地獄的であった。このような状態が続いたならば、人は全く破滅し、その骨は灰になってしまうだろう。」と語っている程の苦しみに出会ったのです。ルターは、言い訳も、弁解も出来ない場所に立たされたのです。「神の前に立つ」とは「死」を意味したのです。神さまに打ち砕かれたのです!
彼が苦しんだのは、根源的な罪・原罪、自己を神とする自己中心主義の奴隷となっている自分を発見したからです。ルターは「自己は自己に向かって傾き、自己を神とする罪から逃れることが出来ない」と語っています。神さまでない者が神さまのように振る舞い、自己を高め、人を裁く、ここに人間のあらゆる罪の根があるのです。
修道院でのルターは神さまとの和解どころか、この罪との戦いに敗れ去ってしまったのです。自我を抑えることが出来なかったのです。「破滅し、人間がすべての力、業、存在において無となり、一人の悲惨な棄てられた罪人になってしまった」と「底なしの淵」で嘆くルター。「信仰によって義とされる」とルターは語りましたが、「信仰によって罪人となる」とも言っています。そこには罪に打ちのめされ、絶望のどん底に突き落されてしまった人間の姿があります。深い憂愁の思いから逃れることが出来ない修道士の姿があります。このようなルターを「過敏不安症だ」と診断する人もいます。
しかし、私はむしろ神さまの前で堂々と自己と向き合い、勇敢に戦い、敗れ去った一人の誠実な人物の姿があると評価します。私たちは中途半端であり、神さまと、人々の視線を恐れ、おびえながら、同時に逃げ隠れ、弁解を繰り返し、捉えようのない不安の中を漂っているのです。
ところが、ルターは、決して救われることのない罪人として打ちのめされ、破滅し、人間の力、業において無となったのです。
しかし、まさに打ちのめされたその時、「底なしの淵」にまっさかさまに落ち込んだと感じた時、ルターは福音に出会ったのです。つまり、どうしても罪から逃れ得ない、棄てられた罪人を、み子イエス・キリストの十字架の愛によって100%救って下さる神さまの義を発見したのです。
今までは何とか自分の努力で義人となり、神さまと和解しようとしていたルターでしたが、「神さまが罪人を義と認めてくださる」(ローマ5:6)という十字架の福音に出会って、そこにすべてを委ねたのです。今までは、点数稼ぎに神経を痛めていた人が、自我を捨てイエス・キリストの愛にすべてを委ねたのです。その後のルターは、今日読んで頂いたローマ8章31節以下を信じて生きる者となりました。
私たちは「私はこれだけのことを行なった」と頼りにならない安っぽい手すり(点数)にしがみつき、自分を人よりも優れた人物として神さまに売り込もうとしています。ひそかに「自分の方が彼より立派だ」という暗い優越感にひたっています。
その自分を優れている者とする手すりから思い切って手を離し、キリストの十字架に100%身を委ねた時、ルターは「私が!私が!」という自己主張から解放され、自由となり、真の平安、穏やかな心を得たのです。
ルターは「あなたは確固たる信仰(信頼)をもってキリストに身を委ね、思い切ってこれに信頼すべきです。そうすれば、その信仰の故に、あなたのすべての罪は赦され、あなたの滅びはすべて克服され、あなたは義となり、真実となり、平安を与えられ、あなたはすべてのものから自由にされます」と語っています。「私たちの計画がやみ、私たちの業が鎮まり、私たちが全く受動的な神関係に立った時(無となった時)、私たちは神の計画を受け容れる者となった」とも書き残しています。
このように、「全く受身となり」という姿勢は、決して消極的な生き方でなく、積極的な勇気ある恵みへのジャンプなのです。ルターは生涯不眠に悩まされ、妻のケーテをして「私は看護師のようでした」と語らせたほどでした。その後も、彼は何度も罪に打ちのめされ、倒れました。しかし、決して倒れたままでは終りませんでした。キリストの十字架の愛によって再び立ち上がることが出来たのです。
そして、喜ばしいことに、あの宗教改革という教会をもう一度新しく立ち上がらせる大きな業に参加する喜びを与えられたのです。「私は、祈り説教することしかしなかったのに、神はわたしによってどんなに多くのことを成し遂げられたことか」と神さまのみ力と、用いられる喜びに満たされて、穏やかな心で生涯を終ることが出来たのです。パウロも同じ経験を語っています。「神が自分たちと共にいて行われたすべてのことを報告した」(使徒言行録14:27)。
私たちも、人々の視線に振り回され、神経症的に「義人になろう」とする傲慢な心を捨て、100%本物の罪人となり、100%キリストの十字架によって罪赦された罪人として、穏やかな心を持って生きていきたいと思います。
しかし、この信仰は自分の喜び、安心に留まりません。ルターは「もし、あなたが恵みに生きるならば、その恵みは生きて働き、君を通して隣人にも流れ出る」と書いています。私たちは自分がどんなに弱く、罪深い者であっても神さまに用いて下さるのです!神さまが私たちの人生を用いてその愛を隣人にも与えて下さるのです。私たちを愛の業に用いて下さるのです。ルターは「神さまがあなたを用いて大きな事を行おうとしていらっしゃるという信仰を失ってはならない」と語っています。神さまが私たちを当てにして下さるのです!人生の終わりの日まで、私たちは神さまに当てにされているのです!何と素晴らしい人生でしょうか。まさに「生きて甲斐のある人生」です。勇気と望みをもって、恵みに生きましょう。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2007年10月28日 宗教改革記念主日礼拝)
説教 「贈り物への感謝と結びの言葉」~フィリピ書連続講解説教・最終回 大柴譲治
フィリピ 4:10-23
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように。フィリピ書連続講解説教の最終回に当たって
本日は聖霊降臨後の最終主日です。教会の暦では一年の最後の日曜日となります。そしてまた9月から行ってまいりましたフィリピ書の連続講解説教の最終回でもあります。何にしても「終わり」というのは一つの大切な区切りです。これまで歩んできた来し方を振り返ると共にこれから歩むべき行く末を仰ぎ見る、そのような礼拝が本日は与えられているのだと思います。そして来週からアドベント(待降節)。キリストの光の到来を待ち望みつつ、新しい一年が始まろうとしています。古き自分に区切りを付け、新しいキリストにある自分としての歩みを踏み出してまいりたいと思います。
フィリピの信徒たちからパウロ、経済的援助を受ける
本日はフィリピ書のまとめの部分です。パウロはその手紙の最後に相手への挨拶を送るのが常でした。パウロは10-20節で、エパフロディトを通してフィリピの信徒たちから送られた経済的援助(18節に具体的に触れる)について感謝の意を表し、以前に受けた援助についても15-16節で言及しています。
パウロは宣教に際して、相手から決して金銭を自分のためには受けないことを自分の福音宣教の原則にしていました。そのことは1テサロニケ2:5-9や2テサロニケ3:7-9、1コリント9:4-18、2コリント11:7-10などを読むとよく分かります。テサロニケの教会のために働く時にも、コリント教会のために働く時にも、それらの教会には全く財政的な負担をかけなかったと言っています。その際に実は、フィリピの教会がパウロを財政的に支えていたということがこのことの背景にはあります。
パウロは教会間の相互援助は大切に考えていたようです。2コリント8-9章を読むとパウロはここでコリント教会に対して経済的に困窮していたエルサレム教会を支えるための献金依頼をしています。
パウロは言います。10節。「さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。」ここでパウロは「心遣い」という表現を用いて直接「金銭」という表現を避けているようですが、それが何がしかの具体的な経済的援助を含んでいたことは明らかです。献金とは愛と祈りとの具体的な表れです。
今日、ヨハンナ・ハリュラさん(100年でフィンランド福音ルーテル教会から日本に派遣された100番目の宣教師です)が成田からこの時間にフィンランドに向けて発とうとしていますが、宣教師たちの働きを支えるフィンランドの教会の熱い祈りがそこに目に見えるかたちであることを私たちは心に刻みたいと思います。
パウロはフィリピの「今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう」という表現はパウロのフィリピの信徒たちに対する気遣い(牧会的配慮)を表しています。
11節aで「物欲しさにこう言っているのではありません」とパウロは言います。そこから語られる言葉は私たちにとっても強く響いてきます。「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。(12)貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。(13)わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」(11b-13節)。この部分は長く親しんできた口語訳の方をご記憶の方が多いでしょう。「わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」。私たちはキリストにゆえにどのような境遇にも適応してゆくことができるのです。パウロのこの言葉が獄中で語られていることを覚えたいと思います。
言葉と文化習慣の全く異なる日本にキリストに福音を宣べ伝えるために故国を捨てて派遣された宣教師たちの働きがそのことを証ししています。ヨハンナさんと同じ時に派遣されたテレルボ・クーシランタ宣教師は50歳で宣教師としてのビジョンを与えられ、ヘルシンキの聖書学院院長の地位を捨てて、日本への宣教師として遣わされました。今体調を崩しておられるようですが、覚えて祈っていただきたいと思います。一人の宣教師の働きを支えるその背後にはさらに大きな祈りと献金と犠牲とがあるということを覚えたいと思います。パウロの言葉を借りて言えば「それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえ」なのです。
14節。「それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。」パウロが心底嬉しかったのは、離れていても自分のために祈り、献金を通して支え、宣教の苦しみを共にしてくれる信仰の友の存在でした。私たちもどのような境遇にあっても信仰によって足ることを知るとしても、そのような信仰者の交わりに大きく支えられるのです。宣教者として孤独な戦いを強いられたパウロは、しかしキリストにあって決して孤独ではありませんでした。このような絆が苦難を支えるのです。私たちにこのむさしの教会という信仰者の交わりが与えられているということは、神の恵みです。この聖徒の交わりを通して、このキリストに絆において私たちは必要な支えを与えられるのです。
パウロとフィリピの信徒たちとの絆~S.D.G.
15-20節はパウロとフィリピの人々の深い絆がよく示されています。味読したいところです。「(15)フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。(16)また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。(17)贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。(18)わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。(19)わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。(20)わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」
19節:「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます」。この言葉が獄中で語られていることを心に刻みたいと思います。その独り子をも惜しまずに与えてくださった神ご自身が、その栄光の富を私たちと分かち合ってくださるのです。その神にのみ栄光が世々限りなくあり続けるのです。ただまことの神を神とする。ただ神にのみ栄光を帰する。ルター派の信仰者であったあのヨハン・セバスチャン・バッハがその楽譜の最後にいつもS.D.G.という三文字を書き記したことはよく知られています。Soli deo gloria! ただ神にのみ栄光あれ! 私たちの人生もそのような形で終えることができたらすばらしいものだと思います。
そしてパウロとフィリピの信徒たちとの絆は、そのような神の栄光を表すためにあったのだということ、私たちの交わり、私たちの命は、ただ神に栄光を帰するためにあるのだということを覚えたいと思います。
今から8年前にガンのために47歳の命を終えて神さまのみもとに帰ってゆかれた松下容子姉が、あと病いのため半年の命と宣告されてこの教会での求道を開始し洗礼を受け、召される三日前に病床聖餐式に訪れた時に微笑みながら言われた言葉を思い起こします。「先生、間違っているかもしれませんが、人生は神さまと出会うためにあるのではないでしょうか」。Soli deo gloria! 「(20)わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン」。
結びの言葉
最後、21-23節は結びの言葉です。「(21)キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たちに、よろしく伝えてください。わたしと一緒にいる兄弟たちも、あなたがたによろしくと言っています。(22)すべての聖なる者たちから、特に皇帝の家の人たちからよろしくとのことです。(23)主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。」「皇帝の家の人」とは、当時パウロが獄に捕えられていたエフェソにはローマ総督の官邸がありましたが、そこに仕える人々を指しています。ローマ人キリスト者が少なからずいたことが表わされています。
「喜びなさい。重ねて言います。主にあって喜びなさい」と繰り返す「喜びの手紙」と呼ばれるフィリピ書。それはエフェソの獄中で紀元54-56年頃に書かれたいくつかの手紙が一つにまとめられていると考えられています。「生きるとはキリスト、死ぬことは益である」と1:20にありましたが、生きるか死ぬかの危機の中にあって、キリストとつながり続けることに死によっても奪われることのない本当の喜びがあるのだというメッセージを私たちはパウロとフィリピの信徒たちとの篤い絆の中に心に刻みたいと思います。
この教会暦の終わりの日に、そしてアドベントから新しい一年が始まろうとする時に、私たちは主にある交わりを互いに「よろしく」と挨拶を交わすことの中で確認してゆきたいと思います。
お一人おひとりの上に神さまの豊かな祝福がありますように。アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2006年11月26日 聖霊降臨後最終主日礼拝 説教)
説教 「勧めの言葉」 大柴譲治
フィリピ 4:2-9
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように。「旅」の楽しみ
フィリピ書の連続説教ということで9月から少しずつパウロの手紙を読んでまいりました。今年もあと一ヶ月半。光陰矢の如しで、時間の経つことの速さに驚かされます。次第に加速度が付いてきているようにも感じられます。そのような中で、心をこめて毎日の一瞬一瞬を過ごすことの大切さを覚えます。「旅」の楽しみ方には、目的地に到着するということだけでなく、その途上でのプロセスの変化を楽しむということの中にもあるのだと思います。ではご一緒に本文を見てまいりましょう。
2-7節~主の和解の喜び
パウロはここで最初に二人の婦人、エポディアとシンティケ(口語訳ではユウオデヤとスントケ)という二人の女性の名前を挙げています。この二人はここに登場するだけでよく知られていませんが、パウロにとっては同労者として重要な人物でありました。彼女たちは、フィリピで改宗した紫布の商人リディア(ルデヤ)のような「神をあがめる婦人」(使徒16:14、40)であったかもしれませんし、テサロニケで改宗した「マケドニア(ギリシャ)の貴婦人」(使徒17:4、12)のような人であったかもしれません。その二人にパウロは「主において同じ思いを抱きなさい」と勧めています。二人は何か(福音宣教のやり方で)対立していたのでしょうか。私たちは意見が対立するとなかなか自分を絶対化してしまいがちです。しかしパウロは言う。「主において同じ思いを抱きなさい」と。主イエスのことを思う時に私たちは自分を相対化することができ、同じ思いを抱くことができるのです。共にキリストのことを思う。キリストがいつも私たちの中心におられることを忘れない。これが重要なことなのです。
続いてパウロは「真実の協力者(シジゴス/仲間)」に呼びかけています。「なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください」。その人の名前が記されていないのは、パウロとその人の間でも、フィリピの教会員の間でも、それだけでそれが誰か明らかだったのでしょう。あるいはその人が「シジゴ」という名であった可能性もあります。
パウロはここで対立する二人の婦人をとりなす役目を彼に期待しています。私たちは心がつながらずにいる人を結び合わせる「和解の使者」なのです。二人が主において同じ思いを抱くためには、第三者が仲介者として必要があるとパウロは考えています。これはなかなか現実的で的確なアドバイスです。
エポディアとシンティケは「命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれた」のだとパウロは語ります。ここで「命の書」とは旧約聖書(出32:32、詩編69:29など)やヨハネ黙示録(3:5)にしばしば用いられていますが、それは3:20の「国籍は天にある」という言葉とも関連して、住民登録者の名前が記されたものと考えてよいでしょう。それは「神によって救われる者たちの名前が記された書物」という意味で、具体的には受洗者の名前が記された教籍簿のようなものと捉えてよいのではないかと思われます。
4節の「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」という言葉は、「喜びの手紙」と呼ばれたこのフィリピ書の中心主題です。そして「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい」とパウロは続けます。ここで「広い心」とは寛容な心、柔和な心のことです。「主における喜び」とは、通常の喜びとは異なり、周囲の状況に左右されることのない喜びでありましょう。それは「為ん方つくれども希望を失わず」という主に信頼する喜びです。現実にパウロはこの手紙を明日をも分からぬ獄中で書いています。それは主イエスとつながる喜びであり、主と共に生きる喜びであり、主が与えてくださる喜びなのです。「国籍は天にあり」と3:20でパウロは言いますが、その通り、それはこの世の喜びではなく、天から与えられる天国的な喜びです。「天国的な喜び」ということを考える時、私はイエスさまの山上の説教の祝福の言葉を思い起こします。
心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。 (マタイ5:3-12)
主が与えてくださる喜びとは、この世の喜びとは全く異なり、このような天からの祝福に与る喜びなのです。先週私たちは召天者記念主日を守りましたが、天の喜びは、時間と空間を超えていますので、死によっても奪われることも揺れ動くこともない喜びです。
パウロは「あなたがたの広い心がすべて人に知られるようになさい」と言いながら次の言葉を続けます。「主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」(5b-6節)。
主はすぐ近くにおられる! これは、1コリント16:22の「マラナ・タ(主よ来りませ)」と同じく、主の再臨が近いことを待ち望む言葉です。パウロは獄中にあって主のご臨在を強く感じています。それは目に見ることも手で触れることもできないことですが、強く心に迫ってくる事実なのです。インマヌエル! 神われらと共にいます! このことをパウロは苦しみや悲しみを深く味わう中で感じているのだと思います。自分の痛みが主の十字架の痛みにつながっているとパウロは信じている。そしてそれが復活の命につながってゆくと信じているのです。
「どんなことでも、思い煩うのをやめなさい」という言葉は、主の「野の花、空の鳥を見なさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし天の父は彼らをも豐かに養ってくださるのだ」という言葉を思い起こします。「何を着ようか、何を食べようか思い煩うな。必要なものはすべて与えられるのだから。だから明日のことを思い煩うな。今日一日の苦労はその日だけで十分である」。
7節の「そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」という言葉は、毎週説教の終わりに牧師が唱える締めの言葉でもあります。「人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように」。神の与えてくださる平和/平安(シャローム)は人知を遥かに越えているのです。
8-9節
8節の言葉も深い意味を持って響いてきます。「終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。」これはなかなか難しいことです。これらのことが分かるためには、私たちの中に開かれた柔軟なバランスの取れた心、捕らわれない、自由で度量のある心を持たなければなりません。広い心を持たなければならない。客観的で確固とした価値観を持つ必要があります。そうでなければ何が真実であり、何が気高く、何が正しく、何が清く、何が愛すべきことであり、何が名誉で何が徳や称賛に値することであるか認識することはできない(分からない)からであります。それは「人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、私たちの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守る」時に可能となるのだと思います。
そしてこれは、文化や習慣の違い、さらには宗教の違いさえも超えて、私たちに他者との対話の次元を開いてゆく言葉であると思います。パウロは9節で「わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます」と語っていますが、キリストによって自由な喜びの人とされたパウロです。パウロを模範としなさい。パウロに倣いなさいと言うのです。平和の神が共にいることを、パウロと同じように体験することができるのだと言うのです。私はこの言葉は、キリストと出会いキリストの光に照らされることによって打ち砕かれ自由になったパウロが語ることができた言葉であると思います。
信仰の詩人八木重吉の詩を最後に読んで終わりにします。私の中ではパウロの勧めの言葉と重なり響いてくる詩でもあります。
神の愚は人の賢きにまさる
己れを虚しうし神をひとにみせよう
自分がすきとほって背中の神を人にあらわそう
お一人おひとりの上に神さまの豐かな恵みがありますように。アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2006年11月12日 聖霊降臨後第23主日礼拝 説教)
説教 「目標を目指して」 大柴譲治
フィリピ 3:12-4:1
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように。目標を目指して
「喜びの手紙」と呼ばれるフィリピ書ですが、3章は、ガラテヤ書と同じように大変に闘争的な響きが強くなっています。それは、割礼を強要する異端的律法主義者がフィリピの信徒たちを脅かすという状況が起こる。その時にパウロが書いたもう一つ別の手紙がここに挿入されていると考えられるからです。またフィリピ書3章にはもう一つの大きな特徴があります。それは、ガラテヤ書1-2章同様、パウロがかつての自分の姿を思い起こしているという意味でも大変に興味深いと言わなければなりません(特に5-6節)。かつてのパウロは若きエリートファリサイ人の一人として、強い恥とプライドの意識に動かされた「完璧主義者」だった。だからこそ「熱心の点ではキリスト教の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者」と自負し、そのように自分を高らかに誇ることができたのです。
しかしそれらのことはすべて、キリスト・イエスを知ることの「あまりのすばらしさ」ゆえに、一切が損失と見られています。キリストのゆえにパウロはすべてを失ったのですが、それらは「塵あくた」(口語訳では「糞土」)にすぎないと言い切っているのです。そこではキリストのゆえに完全な価値の転換、主体のコペルニクス的転換が起こっていることが分かります。真に最高の宝を見出した時に他の一切のものが色褪せて見えるというのと同じです。
「目標を目指してひた走りに走る」という本日の箇所も、キリストと出会う以前のパウロとキリストと出会った後のパウロとの違いが明確になっている部分です。それは先週お読みした3:10-11の言葉につながっています。10-11節はこうありました。「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」(10-11節)。自分はキリストに捉えられており、その復活の力を知っているので、その苦しみに与り、その死の姿(十字架!)にあやかり、何とかして死者の中からの復活を捉えたい、復活に達したいのだとパウロは言うのです。ここでは完璧主義者のかつてのパウロが復活しているかのような響きがあります。
12節:「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです」。確かにそこには何とか頑張ろうとしてジタバタしているパウロの懸命な姿も感じられます。しかしそこには、「律法の義においては非の打ちどころのないものであった」という先の高慢な自負や自らに対する誇りというものは感じられません。むしの自分の破れや弱さ、中途半端さや不完全さというものを知りつつ、パウロは語っている。自分はキリスト・イエスに捉えられているのだと。キリストという獄中にあるというのです。しかしこれは喜びの牢獄であります。キリスト・イエスを知るあまりのすばらしさにそれまで大切に思ってきたものすべてが色あせてしまうような喜びです。自分の弱さにおいてキリストの力が現れるような喜びです。ここで「既にそれを得た」とか「既に完全な者になっている」というのはパウロに敵対する者たちの言葉でありましょう。敵対者には自分たちしか見えないのです。裸なのに自分が裸であることを知らない裸の王様と同じなのです。
ダマスコ途上でのパウロの回心体験
パウロはダマスコ途上でキリストと出会って三日間目が見えなくなるという体験をいたしました。目が急に見えなくなるというのは、それ以外の身体の状態はそのままで、急ブレーキをかけられるようなものです。それは簡単に実験できます。自分の家でもよいのですが、目を閉じて少し歩いてみればよい。それがどれほど不自由なものであるか、どれほど大きく気持ちが揺れ動くものであるかが分かります。通常人間が得ることができる情報の85%程度が視覚的な情報であると言われているのも頷けます。目に限らず、病気になるとか、事故に会うとか、突然大きな壁にぶつかるとか、大切にしていたものを失うとか、突然の喪失体験を味わう中で私たちは同じような深い悲しみとストレスと孤立感とを体験することになります。しゃべれなくなって自分の思いを周囲に伝えることが困難になったり、耳が聞こえなくなったりすることも同様に辛いことだと思います。
しかしパウロは、目が見えなくなる中でキリストに捉えられたと言うのです。私たちは自分の弱さを知ることで自分の限界に直面します。自分が有限な一被造物でしかないことを、全能でも絶対でも神でもないことを気付かされるのです。パウロは「熱心においてはキリスト教の迫害者、律法においては非の打ちどころのない者であった」はずの自分が、天からの光に照らされ、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」という復活のキリストの声が聞こえ目が見えなくなって初めて、全くボロボロの無力で小さな存在でしかないことに気付かされるのです。パウロは自分の限界に直面したのです。
パウロはそのようなかたちで自分の中には誇るべき何もないことに、恥じるべきものしかないことに気付かされました。しかしそのような無力な自分がキリストによって選ばれ、立てられていることをパウロはその目の見えない闇の中で知らされるのです。そしてイエスから遣わされたアナニアと出会い、頭に手を置かれることで目からうろこが落ちる体験をするのです。それは自分中心からキリスト中心への主体の転換であり、価値の転換でした。「わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしはキリストと共に十字架につけられています。もはや生きているのはわたしではなく、わたしのうちにあってキリストが生きておられるのです」という転換です(ガラテヤ2:19-20)。
「なすべきことはただ一つ」 ~お二人の信仰者を覚えて
キリストによる主体の転換が起こったところからパウロは語っているのです。私たちのなすべきことはただ一つだと。「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(13-14節)。私たちは目標を目指すコースの途上にあるのです。ゴールを目指しながらまだゴールしていない状態です。賞をもらっていない。パウロのゴール(目標)は「死者の中からの復活」です。それは死の向こう側にあるゴールであり、生と死の次元を超えたところにあるゴールです。そしてこれは一番になる者だけに与えられる賞ではありません。パウロは注意深く「一等賞」という言い方を避けています。一番になった者一人だけに与えられる賞ではなく、忠実に走り抜いたすべての者に与えられる賞でありましょう。先週私は牧師としてお二人の教会員の方の最後に立ち会いました。松井凉子さんとゴールドベルク山根美代子さんのお二人です。お二人とも最後は呼吸の困難となる病気で苦しまれたのですが、最後までそれを耐え抜かれた後に与えられたのは微笑んでいるようにも見える安らかなお顔でした。全力を尽くして走り抜いてゴールに到達した者だけが味わえる満足感がそこには現れているように私には感じられました。今日のパウロの言葉はお二人に相応しいもののように感じられます。私もあのような素敵なお顔になりたいものだと思いました。それは走るべき行程を走り抜いてゴールした時に、ゴールラインで金メダルを持って待っていて下さったキリストにお会いしたようなお顔でした。
お二人とも自分を表現するものをもっておられた点では共通しておられたと思います。松井凉子さんはろうけつ染めと水墨画、俳句の会と玉川上水を守る会、そして地域の老人会である手をつなぐ会などなど多くの人々の心を結び合わせる見事な83年間の生き方を全うされました。遺影は10/9、亡くなられる一週間ほど前に行った展覧会での花束を持った素敵な笑顔のお写真でした。山根美代子さんはピアニストとしてまた音楽研究者として、さらには教育者として、音楽というものを通して厳しくも実に見事な至高の美を追求する67年間の道を全うされたのだと思います。富山の音楽祭で9/9に病身にも関わらず、リサイタルを開かれたとも伺っています。K・泉さんは30年間山根美代子さんのお弟子さんとして薫陶を受けられています。お二人のお顔はキリストに捉えられて最後まで全力で天のゴールめがけて走り抜いた者にだけ与えられた賞を得た者のようでありました。
国籍は天にあり!
パウロは3:21でこう語ります。「しかし、わたしたちの本国は天にあります」。口語訳聖書では「わたしたちの国籍は天にある」と訳されていてハッとしました。私たちキリストを信じる者は天に国籍を持ってこの世を生きる者なのです。「天国籍」なのです。あるいはこの地上と天の「二重国籍者」または「天国人」といってもよい。私たちは天を見上げて生きる。「上を向いて歩こう」です。天とつながってこの世の生を生きるのです。天を目指して生きると言ってもよい。それは「自分の腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えない」(19節)ような生き方とは全く違います。パウロは自分がそのようなところから天国人に変えられたということを知っています。天国人は天に本当の宝があることを知るのです。天の宝と比べると地上の宝は色あせた塵芥、糞土のように思えるのです。
この地上に生きながら天に生きるということが私にとってどのようなことを意味するのか。あるいは天の目標を目指して生きるということが何を意味するのか。そのことを思い巡らしながらご一緒に一週間の歩みを初めてまいりたいと思います。
お一人おひとりの上に天の神さまの守りと導きが裕にありますように。アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2006年10月22日 聖霊降臨後第20主日礼拝 説教)
説教 「キリストを信じるとは」 大柴譲治
フィリピ 3:1-11
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように。3章で語調が変わる理由
9月最初から連続してフィリピ書を読んでまいりましたが、3:2からはそれまでとは全く語調が変わり、論争的な言い方になっています。先週の箇所が若き同労者テモテとエパフロディトについてのパウロの父親のような温かい言葉だったので、なおさらその落差に驚かされます。なぜかくも語調が変わるのか。3章は別の時に書かれた手紙がここに挿入されていると考えられます。フィリピの教会にも、ガラテヤの教会と同様、割礼を重視する律法主義的な異端者(ユダヤ主義者)たちが入り込み、教会に混乱をもたらしてゆく。彼らは自分たちが神の霊に導かれており、「完全な者」と思い上がっていたようで、パウロはこの手紙で厳しくその誤りを批判してゆくのです。ガラテヤ書1-2章と並び、3:5-6はパウロが過去の自分について語っているという意味で貴重な歴史証言であり興味深い箇所です。若き頃パウロはユダヤ教の律法主義者、しかもエリート律法主義者でした。「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした」。ガラテヤ書にはこうあります。「あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました」(1:13-14)。
「教会の迫害者」であったパウロはステファノの殉教にも関わっていました(使徒8章)。パウロはエリート中のエリートとして強いプライドを持っていた。「律法の義については非の打ちどころのない者」という言い方はそれが並大抵のプライドではないという感じがします。どこか自分の足りなさを感じるというのではない。自分は絶対に間違っていない、自分が求めているのは神の最高の真理ということに絶大な自信を持っていたことが分かります。大変なものです。
コペルニクス的転換
そのパウロがキリストと出会って180度変えられるのです。迫害者が伝道者になるのですから劇的です。生き方と価値観のコペルニクス的な転換が起こる。それが7節からの部分に他のどこよりも明確なかたちで示されます。そこには無駄な言葉も表面的な飾り言葉もありません。心底打ち砕かれた者だけが深く共感することができる、一つひとつが生きた真実の言葉だと思います。いや、それは中途半端な私たちを徹底的に打ち砕く言葉かもしれません。そして打ち砕かれた者をキリストにまで導く言葉です。「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」(7-11節)。
説明は不要でしょう。ただ繰り返し味わうだけでよい。キリストと出会う以前にパウロが持っていた価値観とキリストと出会った後のそれは完全に変わってしまいました。闇と光のように、両者は全く交わることのない世界です。
恥とプライド(誇り)
ただ事柄はそれほど単純ではないようです。キリスト教の迫害者であった時には、パウロは非の打ちどころがないほど熱心な律法主義者だったと言いました。しかしその時パウロは実は不安で不安でたまらなかったのではなかったかと私は思います。だからこそ、その不安を誤魔化し打ち消すために、必死になって律法主義に精進していったのではないか。プライドの強い人は恥の意識も強いのです。恥と誇りは表裏一体だからです。パウロは恥の意識が誰よりも強い人でした。恥に敏感な人には四つの行動パターンがあります。強い恥は私たちを四つの方向に動かすと言ってもよい。その第一は「完璧主義」です。恥をかかないためには全てを完璧に行えばよいのです。そうすれば恥をかかなくてすむ。職人気質の人などはそうかもしれません。それをうまく生かすことができれば類いまれなる職人芸を獲得できるでしょう。しかし恥をかきたくないという次元で必死に頑張っても、完璧主義の延長線上には本当の意味での、信仰が与えてくれるようなコペルニクス的転換の喜びも平安も満足もありません。休むことなくずっと走り続けなければならないからです。
「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したい」という10-11節の表現には、パウロの完璧主義的な傾向が残っていてほほ笑ましく思われます。それはしかし以前とは全然違う、自分中心ではない、キリストが中心の喜びに満ちた職人芸的な完璧主義です。
ちなみに「完璧主義」の反対にある反応は「引きこもり」です。閉じこもることです。恥ずかしい時に私たちは穴があったら入りたいと思いますが、それはどこかに隠れることで自分の存在を抹消したいということです。昨年のリフォーム以来、私の牧師室には床に抜ける穴が与えられました。恥ずかしい時に隠れることができるほどの大きさの穴です。穴があるだけで安心というのは私も恥の意識の強い人間であることを明らかにしていると思います。
恥に対する反応の残りの二つは、やはり対極にありますが、「人を攻撃する(責める)」か「自分を攻撃する(責める)」かです。周囲にプリプリ文句ばかり言っている人、怒ってばかりいる人は自分の中に強い恥の意識を持っていると言えるかも知れません。かつてのパウロも他に対して攻撃的でした。
繰り返しますが、恥と誇りはいつもワンセットで捉える必要があります。パウロはローマ書1:17で「われは福音を恥とせず」と言っています。これは意味としては「私は福音を誇りとする」という意味ですが、もっと深い響きが感じられます。「自分の中には何も誇るものを持たない。恥しかない。しかしそんな私が唯一恥としないものがある。それがキリストに福音だ」とパウロは言っているのです。修辞学的に二重否定は強い肯定でもあります。
キリストと出会う以前のパウロはプライドに支配された惨めで不安な脅えた存在でした。しかしキリストと出会って彼は本当の喜びを知ったのです。「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります」。パウロは本当の宝物を知った。それ以外の全てが塵芥のように、口語訳聖書はここを「糞土のように思っている」と訳していましたが、この方がパウロの表現に近いと思います。もっとストレートに訳すならば、「キリストにゆえにわたしはすべてを失った。けれどそんなこと糞食らえ!」ということです。キリストと出会ったあまりの素晴らしさにパウロにはすべてが色褪せて見えるのです。
パウロがダマスコ途上で復活のキリストの声を聞いたのが33歳頃であり、このフィリピ書を書いたのはおそらく55歳頃のことです。だとすると20年以上もパウロはこの喜びに捉えられていることになります。これはすごいことです。それは一過性の喜びではなく、持続的な喜びです。キリストとつながっているという事実が信仰者に喜びを与えてくれるのです。
恥からの解放~キリストの十字架
パウロは恥と誇りに囚われた律法主義の泥沼地獄から、あのキリストによって解放されました。キリストが私たちの罪と恥を十字架に背負い、代わりにご自身の義と愛を私たちに与えてくださった。キリストが私たちの貧しさを背負い、代わりにご自身の豊かさを与えてくださったのです。これは喜ばしき交換です。キリストに愛に捉えられたパウロはここで喜びに輝いています。このフィリピ書は牢獄の中から書かれたものですが、パウロは明日をも知られぬ我が身を嘆くのではなく、「わたしにとって生きることはキリスト、死ぬことは益である」(1:21)と高らかに宣言しながら、どこにあってもキリストと共に生き、キリストと共に死ぬこと、キリストと共にあることを何よりも一番なくてはならぬこととしています。今日のところからはそんなパウロの熱い思いが伝わってきます。もう一度本日の箇所を味読して終わりにいたしましょう。(フィリピ3:1-11朗読)
お一人おひとりの上にキリストの愛が豐かにありますようお祈りいたします。アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2006年10月15日 聖霊降臨後第19主日礼拝 説教)
説教 「テモテとエパフロディトを送る」 大柴譲治
フィリピ 2:19-30
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように。人間パウロ
本日の箇所は、パウロがどれだけ自分の同労者、つまり自分を支えてくれる者の存在を大事に思っていたかがよく分かる箇所です。人間の絆というものの重さが伝わってきます。そしてテモテとエパフロディトという二人の若い同労者たちに対してのパウロの、いわば父親のような思いが溢れています。それはパウロ自身の、自分の弱さや破れといったものに直面した獄中での揺れ動く思いを表しているように思います。パウロは2コリント12章では「(キリストによって)弱い時にこそ強い」と言っていますが、私たちも弱い時にこそ自分に与えられている親しい者とのつながり、絆というものによって支えられことが多く、有り難さを噛みしめるからです。ここはパウロの年齢というものを感じさせる部分でもあります。22節に、「テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました」とありますが、パウロはおそらく当時55歳前後です。当時の平均寿命から見れば高齢者の範疇に入るような年齢でありました。
先日私たちは80歳以上の方を覚えて敬老主日を守りましたが、パウロの生きていた状況は現代とは全く違っていたことは私たちが容易に想像するところであります。例えば平均寿命です。ある注解書はこう説明しています。「古代都市においては、生まれたこどもの三分の一近くが6歳になる前に死亡していた。10代の半ばまでに60%が、20代の半ばまでに75%が、そして40代の半ばまでに90%が死亡したであろう。おそらく、3%が60代に達しただろう」(マリナー/ロアボー『共観福音書の社会科学的注解』、新教出版、2001、p51)。反対側の「生存率」という観点から見てゆきますと、6歳で70%、15歳40%、25歳25%、45歳は10%、60歳はたった3%ということになります。平均寿命にするとどうなりますでしょうか。10歳ぐらいで半数近くが亡くなっているということになります。
このような記録を見るだけで、もちろん命は長さだけではなくその質の高さが問われなければならないとしても、私たちがいかに寿命の長い社会に生きているかが分かります。現代では「QOL(Quality of Life生命の質)」ということが問われますが、昔はなかなかそれどころではなかったということが分かります。
イエスさまも30歳ぐらいで公の活動を始められたわけですが、現代とは違って、その年齢では既に「青年イエス」とは呼びにくい状況があります。マリナー/ロアボーは、「イエスの聴衆の多くは、彼よりも若かっただろうということに気付く。彼らは、病に悩まされ、10年か、またはそれ以下の余命しか望めないのだった。」と記しています(前掲書p51)。
パウロがダマスコ途上で復活の主と出会って劇的な回心を体験したのが33歳頃、そして最後はローマにおいて殉教したというのが60歳頃です。パウロはこの手紙を獄中から書いていますが、明らかに自分の命が長くないことを予感しています。逆に私などは、高齢にも関わらず、パウロが信仰において若さと熱意、そして夢と志を保ち続けたことの方に心打たれます。ローマ書の15章には、ローマ、そしてそれを超えて遥か地の果てにあるスペインまで伝道してゆきたいとパウロは考えていたのです。旧約聖書の預言の言葉を想起させられます。「その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。」(ヨエル3:1)
若き同労者テモテ
困窮の中でパウロを常に支え続けたのが若き同労者のテモテでした。テモテとパウロは親子ほども年齢が離れていましたが、世代を超えた強い絆によって結ばれていました。テモテについてはあまり多くのことは分かっていません。ギリシャ人の父とユダヤ人の母の間に生まれた子で、パウロの手紙の何通かの共著者となっています。おそらく目の悪いパウロが手紙を口述するのをそばで筆記したのがテモテであったと思われます。テモテに宛てた二通の手紙も新約聖書の中には残っています。パウロにとってテモテはかけがえのない協力者であり、心から信頼する忠実な友人であったに違いありません。そのことは20-22節の言葉からもよく分かります。
「テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています。テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました」。21節などを読むと、ここまで言ってよいのであろうか。これを聞いたパウロの他の同労者たちはどう思っただろうかと気になるくらいです。
この言葉の背後には次のような事情がありました。パウロは自分に対する判決が下り次第、自分のことを心配しているフィリピの人々の所にテモテを派遣してそのことを知らせ、またフィリピの人々についての便りを持ち帰ってもらうつもりでいました。しかし最初はパウロは、テモテを自分の傍から手放したくなかったので、別の者をフィリピに行かせたいと思っていたのでしょうがそれを断られたと思われます。テモテは喜んでこれに応じ、フィリピに派遣されることになるのです。このあたりのパウロの複雑な気持ちが行間に現れています。人間パウロを感じるところでもあります。
22節もパウロは「テモテが息子が父に仕えるように(わたしに仕えてくれた)」と書こうとして途中で「彼はわたしと共に福音に仕えました」と書き直したと読む注解者もいます(フランシスコ会)。獄中にあるパウロの心細さやテモテが傍にいてくれることの嬉しさが伝わってくる部分です。そしてテモテを派遣すればもう二度とあえなくなってしまうかもしれないという不安もそこにはありましょう。「わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなくテモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています。」という書き方も、もしかしたらパウロの思いとは違うことが主イエスによって示されたということなのかもしれません。
二つのテモテ書の中でパウロは繰り返し「わが子テモテ」と呼びかけています。「わたしは、昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし、先祖に倣い清い良心をもって仕えている神に、感謝しています。わたしは、あなたの涙を忘れることができず、ぜひあなたに会って、喜びで満たされたいと願っています。そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。そういうわけで、わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。」(2テモテ1:3-8)という言葉や、4章の最後の「冬になる前に来て下さい。」(21節)という言葉などは、強く私の心に響いてきます。パウロとテモテの間の強い絆が迫ってきます。
いずれにせよ、揺れ動く思いを持ちながらも、パウロはフィリピの人々との絆を大切に思い、それによって支えられているということがよく分かります。「親身になってあなたがたのことを心にかけている」ということを相互に伝え合うことが大切なのです。最後に私たちを支えるのはこのようなキリストによって結び合わされた「神の家族」としてのつながりであり絆です。私たちにも同じような絆が与えられているのです。
戦友エパフロディト
エパフロディトについても簡単に見ておきましょう。これはギリシャ神話の女神アフロディテから由来した「魅惑的な」という意味の名前です。彼はフィリピの教会から派遣されてパウロの元に見舞いの金品を届けました(4:18)。パウロが獄中にいる間、彼に仕えていましたがやがて何か重い病気にかかってしまいます。彼はそれで生死の境をさまようのです。フィリピの信徒たちはこのことを伝え聞いて非常に心配をしました。病いから回復したエパフロディトはフィリピに帰って自分が全快したことを示して安心させたいと思ったのですが、他方弱気になっているパウロを見捨てるような行動は取りたくなかったのでしょう。そのように思い悩んでいたエパフロディトの気持ちを察したパウロは、自分からエパフロディトをフィリピに帰すことを提案したのです。エパフロディトのフィリピへの思わぬ帰還を説明するこの手紙は、そのエパフロディト自身に託されたものなのでしょう。25-30節を読むと、エパフロディトについてのすばらしい推薦状となっていることが分かります。パウロがいかに暖かい心を持った情に厚い人物であったかが分かります。私も仕事柄さまざまな場面で推薦状や紹介状を書くことが少なくないのですが、パウロのこの部分は何度読んでもすばらしい手本であると思います。
「ところでわたしは、エパフロディトをそちらに帰さねばならないと考えています。彼はわたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれましたが、しきりにあなたがた一同と会いたがっており、自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです。実際、彼はひん死の重病にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、わたしをも憐れんで、悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました。そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、わたしも悲しみが和らぐでしょう。だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい。わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです。」
読む者の心に響く文章です。
キリストの絆
私たちはさまざまな人間関係の中に生きています。このような深い絆で結び合わされた「主に結ばれている者」としての信頼関係は、地縁でも血縁でもない、聖霊縁であり、キリスト縁であり、信仰縁なのです。神の家族としてのつながりの大切さを思わされます。そのような出会いと深い絆が、あの十字架に架かって下さったお方によって私たちには贈り与えられている。このことを感謝し、神さまを讃美したいと思います。このような絆こそが私たちがどのような状況にあっても私たちを具体的に支えてくれるのです。特に自分が病気になったり、仕事や人間関係で失敗したり、大きな壁にぶつかって自分の弱さを実感したりするとき、そのような絆が支えてくれるのです。親であれ兄弟であれ、親友であれ恩師であれ、配偶者であれ子どもであれ、たった一人でもいいから自分のことを心から愛し大切に思ってくれる者と人生で出会うことができるならば、私たちは生きてゆけるのです。ダマスコ途上で復活のキリストと直接出会って目が見えなくなったパウロが、三日後にアナニアによって目からうろこのようなものが落ちて目が開かれていったことは私たちに信仰者の交わりの大切さを教えています。
ボンヘッファーという人は『共に生きる生活』の中でこう言っています。「自分の心の中のキリストは兄弟の言葉におけるキリストよりも弱い」と。だから私たちは信仰の友を必要とするのです。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」と詩編133:1は歌っていますが、私たちキリスト者が聖徒の交わりの中に置かれているということは自明なことではありません。それは計り知ることのできない神の恵みなのです。『友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする』とドイツの詩人シラーが言っていますが、本当にその通りです。
テモテとエパフロディトはフィリピの人々とパウロの心と心とをつなぐメッセンジャーとなり、架け橋となりました。そのような人の心をつないでゆく役割がこの世に生きる私たちにもキリストから与えられているのです。そのことを覚えながら新しい一週間を過ごしてまいりましょう。
お一人おひとりの上に神さまの豐かな祝福がありますように。アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2006年10月8日 聖霊降臨後第18主日礼拝 説教)
説教 「共に喜ぶ」 大柴譲治
フィリピ 2:12-18
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように。「喜びの手紙」
本日はフィリピ書連続講解説教の第四回目です。フィリピ書は「喜びの手紙」と呼ばれます。獄中から書かれた手紙であるにも関わらず、最初から最後まで「主にある喜び」が、ある意味では浮世離れした「天国的な喜び」が強調されているからです。今日も「共に喜ぶ」という小見出しがついているように「喜び」が主題です。17-18節は獄中書簡であることがよく分かる文章です。「更に、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい」。ここでパウロは「たとえ自分の血が注がれるとしても」と語っていますが、これは自分の殉教の死を明確に意識した言葉です。獄中にあっていつ殺されるか分からない状況の中で、パウロはキリストと共にある喜びを生き生きと感じています。本日はこの喜びがどのような喜びであり、それがどこから来るのかという点に焦点を当ててみ言葉に学びたいと思います。
パウロは1:21-24でこう言っていました。「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。」パウロにとって、生きるにしても死ぬにしても一番重要なことは、「キリストと共にあること」でした。
(復活のキリストと出会って回心を体験した)パウロには、死を恐れる気持ちがありませんでした。死ねば、自分とキリストを隔てていたものがすべて取り除かれ、キリストと直に共にいることができるとパウロは信じていたからでした。「わたしにとって、生きるとはキリスト、死ぬことは益である」という言葉はそのように理解されるべき言葉です。パウロにとって「死」は、「戦うべき敵」でも「避けるべき状況」でもなく、復活のキリストゆえに「永遠の命への突破口」であり「天国の門」であるのです。
またパウロは1:29でこう語っています。「つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」。信仰者はキリストのゆえに信仰だけではなく苦難をも恵みとして賜っているというのです。そこでは信じることと苦しむこと、信じることと十字架を背負ってキリストに服従することが一つとなっています。そしてその両者が神の圧倒的な(溢れるばかりの)恵みだとパウロは言うのです。
「たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい」とパウロが繰り返して言う「喜び」とは、私たちの内的な感情のことではありません。それは、キリストと共にある(つながる)喜びであり、キリストとの関係の中で与えられる喜びであるということが分かります。私たちの内的な感情としての「喜び」は簡単に状況の変化によって左右されてしまいますが、このキリストから与えられる「喜び」は状況が変わっても全く揺らぐことのない「喜び」であり、神の愛によって捉えられた「喜び」なのです。万物は揺れ動くとも神の愛はけっして揺らがないからです。
「従順」と「不従順」
そのことを押さえた上で本日の箇所を見てゆきましょう。「だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい」(12節)。ここでパウロはフィリピの信徒たちに「わたしの愛する人たち」と呼びかけています。それは「私同様、キリストの愛の中につながっている人たち」という意味でありましょう。
また、ここには「従順」という言葉が出てきます。これは先週学んだように、2:5-11の「キリスト讃歌」、特に6-8節に出てくる「キリストの従順」とつながっている重要なキーワードです。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(2:6-8)。
神のみ心(み言/命)に対して幼子のように素直で純粋な心で從うことが「従順」と呼ばれます。それはキリストが「アッバ父よ」と天の父なる神に向かって呼びかける時の「まっすぐな心」です。
この「従順」という言葉は「不従順」という言葉の反対語です。すぐ思い起こすのは、創世記3章の、アダムとエヴァが禁断の木の実を取って食べたという「不従順の罪」です。彼らはヘビの「あなたは神のようになれる」という誘惑の言葉に負けて神の戒めに「反逆」したのでした。そのように「不従順」という「罪」の根っこには、人間の「思い上がり/高慢」という根源的な「罪」があります。神の被造物にすぎないということを忘れ、自らをさも何者かであるかのように思い込んでしまう(自己中心の)「罪」です。そればかりでなく、自らが神であるかのように思い上がり、振る舞ってってしまう「高慢の罪」です。
この不従順のゆえに人間はエデンの園を追われてゆきます。逃亡者としての生活が始まったのです。聖書には、逃げる人間を後ろから追いかけてくださる神のイメージが貫かれています。神の足音を聞いて物陰に隠れるアダムたちを「あなたはどこにいるのか」と問うて、心を痛めながら、失われた魂の在り処を探し求めてくださる神。それは迷子の羊を見つかるまで探し求めてくださるあのステンドグラスの羊飼いのイメージとも重なります。
そのような「不従順な人間」に対して「神への徹底した従順」がみ子イエス・キリストにおいて示されるのです。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(2:6-8)。
「地上の星」
アダムとエヴァと同じように不従順でしかない者がどうしてこのような天的な喜びに与ることができるのか。それはキリストの従順のゆえであります。ルターが「喜ばしき交換」と呼んだように、それは本当に不思議なことですが、私たちの貧しさがキリストの豊かさと交換されているのです。「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです」(2コリント8:9)。私たちの罪がキリストの義と、私たちの不従順がキリストの従順と、私たちの悲しみがキリストの喜びと交換されているのです。それは圧倒的な不等価交換であり、不平等交換です。神が大損し、私たちが丸儲けをしているような交換です。それはなぜか。神が私たちを愛してくださっているからです。それもその独り子を賜るほど深く愛してくださっているからです。あなたはわたしの目には價価高く、尊く、わたしはあなたを愛している」とイザヤ書43:4で言われている通りです。
この神の大きな愛が私たちをキリストにあって新しく造り変え、新たに創造してくださるのです。パウロは語ります。「だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです」(12-13節)と。人間の内に神ご自身が働いておられるというのです。その意味では「信仰」とは人間の行為ではありません。私たちにおいて働かれている神さまご自身のみ業なのです。
このような私の中に神が働いておられるということは考えてみれば本当に不思議なことです。およそ神に相応しくない私です。神は、御心のままに望んで、不従順な者を従順な者へと造り変えてくださるのです。自分を無にして、へりくだって、十字架の死に至るまで天の父なる神の御心に従順に従われたキリストの生き方に倣わせてくださるのです。圧倒的な恵みの中に、私たちの貧しさとキリストの豊かさを取り換えてくださるのです。
「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう」(14-16a節)。神に従順に歩む時、この世にあって神の光を反射して星のように輝き、命の言葉をしっかりと保つことができるというのです。ここで「命の言葉」というのは「生ける神の言」であるキリストご自身のことと考えてもよいと思います。
しばらく前に『地上の星』という曲が流行りましたが、キリストの従順に倣い、キリストのみ言葉を命の言葉として自分の中にしっかり保つ時に、この地上で星のように輝くことができるというのです。不従順の「恐れとおののき」の中にあった者がキリストの愛の力によって従順の喜びに招き入れられるのです。
「喜びの祝宴」としての聖餐式への招き
本日は聖餐式に与かります。パウロが繰り返してやまない天的な「喜び」は、二千年を通して、キリストの肉が割かれ、血が注がれるところの聖餐式を通して分かち合われてきました。「更に、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい」(17-18節)。キリストの食卓が私たちを一つに結び合わせているのです。このキリストの愛と喜びに今日も共に集えることを感謝して、ご一緒に聖餐式に与ってまいりましょう。
お一人おひとりの上に神さまの祝福が豊かにありますようお祈りいたします。 アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2006年10月1日 聖霊降臨後第17主日聖餐礼拝 説教)
説教 「共に喜ぶ」 大柴譲治
フィリピ 2:12-18
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように。フィリピ書連続講解説教にあたって
これまで長く福音書での説教を続けてまいりましたが、今回からは11月末までの9回、パウロ書簡のフィリピ書を用い、三ヶ月かけて連続講解説教を行います。日本基督教団などでは講解説教を40分とか1時間かけて丁寧に行う教会があると聞きますが、私たちは礼拝式文を用いた中での限られた時間ですので、厳密な意味での講解説教というよりも、講解的な主題説教というかたちになると思います。私たちの教会では三年周期のペリコーペを用いておりますので、この三ヶ月は使徒書の日課のところをフィリピ書に代えて読んでまいります。使徒パウロの手紙はキリスト教の宣教の歴史の中で最も重要な役割を果たしてきました。新約聖書全27巻の中に13通ものパウロの名前が付された手紙が収められていることからもそれは分かります。実は新約聖書の中で最古のものがパウロの手紙なのです。最も古いものが51年頃に書かれた1テサロニケであったと考えられています。そしてフィリピ書はおそらく53-54頃にエフェソにおいて書かれています(ただしフィリピ書3章は、ローマ書と同時期の55-56年頃か)。
フィリピ書の基調音:「喜び」
このフィリピ書は獄中から書かれた手紙の一つで、「獄中書簡」と呼ばれています。「というのは、監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです。」という1:7の言葉も獄中からの言葉として読む時、読む者の心に強く響いてきます。使徒言行録16章にはパウロがフィリピで伝道した様子が記されています。フィリピという町は交通の要路でした。パウロはその町でシラスと共に投獄されますが、大地震によって獄から解放されてゆくという不思議な出来事が起こるのです。そのような町に住む信徒に対して、今度はエフェソの獄中からパウロはこの手紙を送っている。そのフィリピという町は、パウロにとって二重の意味で投獄と関係する場所でありました。
この手紙は獄中書簡でありながら、その基調音は「喜び」です。フィリピ書は一貫して喜びに満ちています。それゆえ「喜びの手紙」とも呼ばれます。「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(4:4)。従って、このキリストの喜びを掴むこと、この喜びに掴まれること、これがフィリピ書を学ぶ一番大切なことでありましょう。「キリストの福音(喜びの音信)」とは、私たちの置かれた状況がどのようなものであっても、それさえも深い喜びと平安に変えてゆくようなgood newsであるということがダイレクトに伝わってくるのが、この手紙です。
実は毎週説教の始めと終わりに語られる言葉、「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。」と「人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。」とは、両方ともフィリピ書から取られています(もっとも最初の言葉は他のパウロ書簡の冒頭にもありますが)。前者は本日の1:2ですし、後者は4:7です。つまり、説教は「喜びの手紙」と呼ばれるフィリピ書の基調音を宿しているということです。「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」。
フィリピ書の連続説教を通して、パウロを捉えて放さなかったキリストの喜びを味わってまいりたいと思います。
「キリストの僕」
1節で、パウロは「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテ」と語り始めます。原文の語順は「パウロとテモテ、イエス・キリストの僕たち」となっています。「僕」とは「奴隷」のことで、もちろん主イエスが自分たちの「主人」なのです。パウロは自分のアイデンティティーをただ一言で、「キリスト・イエスの僕」であると語る。僕は主人の命に服従するのです。しかも喜んで服従する。信仰とはキリストへの喜びの服従です。「僕」という言葉で想起するのはイザヤ書42章「主の僕の召命」の冒頭の言葉です。
(1)見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ 彼は国々の裁きを導き出す。
(2)彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
(3)傷ついた葦を折ることなく 暗くなってゆく灯心を消すことなく裁きを導き出して、確かなものとする。
(4)暗くなることも、傷つき果てることもない この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。
これは神がイエスをメシア・キリスト、すなわち「メシア」=「油注がれた者」として立て、特別な使命を与えられたことを示すイザヤの預言ですが、パウロはそのような神の忠実な僕であるキリスト・イエスの僕であるという自己理解を最初に高らかに宣言しているのです。しかもそれはパウロだけでない。パウロとテモテが共に「イエス・キリストの僕たち」(複数形)であると告げている。それはすべてのキリスト者がキリストの僕であるという宣言でもあります。私たちはキリストの僕として主の命令に従うのです。
マタイ20章には、12弟子のゼベダイの子ヤコブのヨハネの母親が「王座にお着きになる時に自分の息子の一人を右に、一人を左に座らせてください」と主イエスに願い出る場面があります。子を思う母の熱い思いが伝わってくるような気もしますが、抜け駆けした二人に対して他の10人は憤慨します。それに対して主は次のように言われるのです。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように」(マタイ20:25-28)。私たちの偉くなろう、強くなろう、成功しようというこの世的な価値観を打ち砕く言葉です。ヨハネ13章には主イエスが弟子たちの足を洗うという僕の務めを果たしたことが記されていますが、キリストご自身が自分の命をあの十字架の上に捧げるために僕として私たちのもとに来てくださったのと同じように、パウロは自分をキリストの僕だと言うのです。「僕の僕」としての自己理解であり、十字架を背負う覚悟の宣言です。
私はパウロの手紙を読む時にその単刀直入さに身震いすることがしばしばあります。パウロは必要なことしか言わず、無駄なことは言わない。常に事柄の一番中心を突いてくるのです。むさしのだよりの7月号の巻頭言に「メタ認知」ということを書かせていただきましたが、中心を掴むためには全体を見なければなりません。そして全体を見るためには、自分を超えたところからの視点を持たなければ全体は掴めないのです。そしてパウロは常に中心を外さずに具体的な問題に対処してゆこうとします。中心とは何か。キリストが私たちのために僕となって十字架に架かってくださったことです。ここに逆転があります。主が僕のために命を捧げてくださった!パウロはこのキリストの愛にガッチリと捕まえられています。
「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ。」フィリピの信徒たちも、このむさしの教会の信徒たちも、監督や奉仕者も含めてすべてのキリスト者は、キリスト・イエスに結ばれているがゆえに「聖なる者」とされているというのです。これは大変な表現だと思います。「聖なる方」はただお一人です。「神」さま以外に聖なる方はおられない。私たちは自分を省みる時、聖なる者と言われたら恥ずかしさのあまり穴があったら入りたくなるのではないでしょうか。(余談ですが、昨年のリフォーム時に床下に抜けるための穴がいくつか設置されました。この礼拝堂の後ろにもありますが、それと同じものが牧師室にもあります。恥ずかしい時に逃げ込むシェルターが与えられたと私はひそかに思っています。)そのような私たちを、様々な弱さや破れや問題を抱えた者、「聖なる者」とはとうてい言えないような者に対して、パウロはキリストに結ばれた「聖なる者たち」と呼びかけているのです。フィリピ教会のメンバーたちも、私たち同様、このパウロの呼びかけにハッとし、身を正される思いがしたはずです。
キリストの僕であるパウロとテモテから、キリストにつながることによって「聖なる者」とされたフィリピのメンバーに挨拶が送られます。「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」恵みと平安がパウロとフィリピ教会をつないでいます。私たちキリスト者を強く結びつけているものは「父なる神と主イエス・キリストの恵みと平安」なのです。この恵みと平安とはどのような状況にあっても変わることがありません。たとえ獄中にあって処刑されようとも、この恵みと平安とは私たちに喜びを与え続けてくれるほど「中心的なもの」であり「根源的なもの」です。
本日は聖餐式に与ります。「これはあなたのために与えるわたしのからだ」「これは罪のゆるしのため流されるわたしの血における新しい契約」。分かたれるパンとぶどう酒を通して、私たちを救うために、神と等しい身分であることをよしとせず、僕の姿を取ってこの地上に降り立ち、十字架の死に至るまで従順に神のみ心に従われたみ子イエス・キリストのご臨在を覚えたいと思います。この聖餐式を通して、主に結ばれていることの聖なる喜び、恵みと平安とが分かち合われますようお祈りいたします。
一週間に四回の聖餐式
8/25(金)-31(木)と韓国を訪問してきました。むさしの教会からの訪問団と共に8/27(日)はソウル中央ルーテル教会で聖餐礼拝を守りました。私の行う日本語の説教を崔大凡神学生が通訳し、ハン・ヨンボク先生の司式で私も共にブドウ酒の配餐を行いました。今日も聖餐式がありますが、実は私はこの一週間で四回の聖餐式に集ったことになります。8/28(月)と8/31(木)にカトリック教会で行われた母(金福欄)のための告別ミサと追悼ミサに参列いたしました。告別ミサには韓国訪問団のメンバーも参列してくださり、大きな慰めと励ましをいただきました。そこでは私たち自身は聖体拝礼には与ることはできませんでしたが、それは不思議な体験でした。生ける者と死せる者の双方の救い主である主の食卓には、見えるこちら側には私たち生ける者が集いますが、見えない向こう側には天に召された聖徒の群れが集っていることを感じました。言葉の壁があったとしても、そこでは主の食卓が中心でした。これは不思議な慰めと平安を与えてくれました。しかも追悼ミサでは、驚いたことに、教会讃美歌266番(バッハの作曲した讃美歌)が神父さまの説教の後で歌われました。主が私たちを生と死を超え、言葉や文化、習慣、思想や歴史の違いを超え、教派や宗教の違いすらも超えて、私たちを一つに結び合わせてくださっている! 様々な事柄が起こる中で行われたそれらの主の恵みの食卓は深い慰めに満ちたものでありました。フィリピ書冒頭のパウロの挨拶と祈りの言葉とが、その喜びの基調音と共に、私の中でこの一週間に経験した韓国での出来事と重なり合い、響き合っています。
今日もキリストの食卓に私たちは招かれています。主があの十字架を通して備えてくださった恵みと平安の食卓にご一緒に与ってまいりましょう。お一人お一人の上に神さまの祝福が豐かにありますように。アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2006年10月1日 聖霊降臨後第17主日聖餐礼拝 説教)
説教 「キリストを模範とせよ」 大柴譲治
フィリピ 2:1-11
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように。『キリスト讃歌』
9月の最初から、パウロが獄中から書いたフィリピの信徒への手紙の連続講解説教を続けております。本日は2章の最初の部分となります。この箇所は実に重要な部分で、歴史的な資料としても大変に興味深い部分でもあります。2:6-11は「キリスト讃歌」としてもよく知られていますが、これは初代教会の礼拝で用いられた讃美歌がここに挿入されていると考えられています。それは初代教会の信仰告白と言ってもよい。初代教会のキリスト者たちが主イエス・キリストに対してどのような信仰をもって礼拝していたかがよく分かる部分でもあります。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです」(2:6-11)。
それは前半(6-8節)と後半(9-11節)の二つの部分に分かれています。6-8節の前半部分では、神と等しくあられたお方が僕の姿を取ってこの地上に降ってこられたということ(「先在のキリストとその謙卑/受肉」)とそのキリストが死に至るまで神に従順であったことが歌われ、9-11節の後半部分では、人/僕となられたキリストが再び天に引き上げられたこと(「キリストの高挙」)が歌われています。
この部分には、パウロの手紙ではほとんど使われていない言葉が使われていることや、パウロに現れない(ヨハネ福音書的な)神と等しい先在のキリスト論や(復活には触れずに)キリストの高挙論が語られていること、パウロに特徴的な救済論的な十字架理解や復活が出てこないことなどから、それがパウロの作であるというより、礼拝で用いられた典礼であったことが分かります。ただ一ヶ所、8節の「それも十字架の死に至るまで」は他と異った言葉のリズムを持っていることから、パウロの挿入であると考えられています。
キリストのへりくだり(謙卑)
この箇所は私たちが繰り返し味わい読むべき箇所でありましょう。天におられたお方、神と等しくあられたお方がなぜ奴隷の姿を取ってこの地上に降り立たなければならなかったのか。それは、私たちに関係のないどこか遠くの出来事ではない。それは、この私の救いのために与えられた出来事であったということを私たちは知らなければなりません。天で神と等しくあられたお方が、それに固執することなく、自分を徹底的に無にして、僕の姿を取って私たちの地上へと降ってくださった!それは、出口の見えない闇の中でもがき、滅びの道を歩んでいた私たちを救うためであったと聖書は語ります。あのステンドグラスの羊飼いの腕に抱かれている羊は迷子であった私自身が主によって見い出された姿を表しています。
ベツレヘムの飼い葉桶からゴルゴダの十字架に至るまで、主の地上での歩みは、人間世界の最も低いところ、辛いところ、惨めなところを歩まれた真にへりくだった歩みでした。ヨハネ福音書13章には、主が弟子たちの足を奴隷として洗われた出来事が記されています。神と等しくあられたキリストが僕として仕えるために来てくださった!それも私たちの最も汚れたところ、最も清めを必要としている部分を洗い、拭ってくださるために来てくださったのです。
二日前の飯能集会で2コリント8章を読みましたが、そこにはこうありました。「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです」(2コリント8:9)。主の貧しさによって、私たちは豐かにされている!そこに溢れるほどの、有り難い主の恵みがあります。
ルターは『キリスト者の自由』の中でそれを「喜ばしい交換」と言っています。キリストの豊かさと私たちの貧しさ、キリストの義と私たちの罪とが交換されたのだと強調しているのです(『キリスト者の自由』第12項、岩波文庫、p21-22引用)。主が貧しくなったのは、その豊かさを私たちの貧しさと交換してくださったからです。私たちはそのことによって救われたのです。
「総会議長の足を洗った男、総会議長に足を洗われた男」
私にはこの主の洗足と喜ばしき交換ということに関して忘れられない体験があります。それはもう20年近くも前のこと、私が牧師になった次の年(1987年)の2月のことでした。前年8月の総会で総会議長に選出された前田貞一先生の就任式が2月の常議員会で行われたのです。前田先生の発案で、総会議長の就任式を教職名簿の一番下にある新卒の牧師が行うということになりました。その前年は私一人しか牧師になりませんでした(1億円の育成費がかかったので私は「金の卵」と呼ばれました)ので、私に白羽の矢が立ったわけです。一番上の立場にある総会議長が一番下に位置する者によって立てられてゆくというのは聖書的な考えでありましょう。偉くなりたい者は仕えられる者ではなく、一番下で仕える者となりなさいと主も言われています。前田先生は、私も神学校で学んだ礼拝学の専門家ですが、そして大変に厳しく怖い先生でもあったので、私は恐る恐る一つの提案を申し上げました。通常、受難週の木曜日に行われる洗足式を就任式の中で行うことが出来ないかという提案です。私にはそれが前田先生の「教職者名簿の一番下にいる者によって総会議長の就任式が行われる」という考え方にも相応しい事柄であるように思えたのです。前田先生も驚かれたことでしょうが、苦笑いをしながら、「分かりました。それでよいでしょう」と言ってくださいました。そしてそれが実現したのです。私にとっては忘れられない体験です。総会議長の足を洗い、総会議長の足を洗ってもらったという牧師はおそらく後にも先にも私だけだと思います。前田先生に対しては今でも特別な尊敬の思いを持ちますが、そのふところの広さが印象に残っています。自分が上に立つ立場になった時、あるいは最年長で定年直前になった時に、同じように一番若い牧師の足を洗うことが出来るだろうかと考えるとなかなかそれが容易なことではないと思うのです。
そしてこのことは私の誇りであると共に、牧師としての原点として私の中で位置づけられています。総会議長の就任式で、常議員が周りに座っている中で、私たちにはお湯とたらいと手ぬぐいが用意され、靴と靴下を脱いで足を洗い合ったのです。実際に行うと分かりますが、皆の前でかがんで足を洗うというのは、少し場違いのような、気恥ずかしい体験でもありました。また、それは私にとって、仕えるということがどのようなことかを教えられた得難い体験でもありました。瞬間、主に足を洗われたペトロたち12弟子の気持ちが分かったようにも思いました。回りでイスに座っている常議員たちも驚いたようでした。次は自分の足が洗われるのだろうかと思ってハッとしたということを、数年後に私に語ってくださった先生もおられました。
10-11節にはこうあります。「こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです」。全宇宙のすべてのものが主のみ名の前にひざまずくことを通してそれを救い主として礼拝をし讃美する姿がそこには描かれていますが、そのようなお方が私たちのために先にひざまずいてくださったことを心に刻みたいと思います。それが「神と等しくあられた方が自分を無にし、僕の姿を取ってくださった」ということの意味です。礼拝を英語ではService、ドイツ語ではGottesdienstと申しますが、それは神が私たちに仕えてくださる、神のサービス/奉仕を受けるという意味があります。神が私たちにひざまずいて仕えるためにこの地上に降り立ってくださった!それを心に刻みたいと思います。
「かたち」から入ることの大切
同時に、私たちにとって「かたちから入る」ことの大切さを思います。まず行動を起すとき、心は後から付いてくるということがあるのです。「人間の感情というものは理性には従わないが、行動には従う」という行動心理学者の理論があります。形から入ることの大切さを教える言葉です。(私が小さい頃に『ひょっこりヒョウタン島』という人形劇がありましたが、その主題歌の中に「泣くのはいやだ笑っちゃえ」という一節がありました。私たちは悲しいから涙を流しますが、涙を流すともっと悲しくなるのです。逆に、辛いときでも笑顔を見せることで、辛さが和らぎ耐えやすくなるということがあるのです。)このことは試してみるとすぐ分かります。どんなに頑張ろうと頭で思っても気持ちは変化しないのに、姿勢を正して胸を張ると気持ちが上向いてくるのです。「上を向いて歩こう」という坂本九ちゃんの歌がありましたが、確かに上を向いて歩いていると気持ちは上向いてくるのです。逆にうつむいて下ばかり見ていると気持ちも落ち込んできます。あるいはカウンセリングの交流分析理論などでもよく言われることですが、ネガティブなことばかり言ってしまう自分がポジティブな表現をあえて取ってみるとき、不思議なことですが自分の生き方が少しずつ変わってくるということもあります。生きる姿勢を変えてみるということも一つの大きな気づきを与えてくれることがあります。
特にキリスト教の歴史の中では「イミタチオ・クリスティ」、キリストに倣いてということが大切に考えられてきました。「わたしは仕えられるためではなく、仕えるために来た」と主は言われますが、キリストのように人々に仕えることを通して私たちは変えられて行くのです。私たちの思い上がりがそれによって打ち砕かれるからです。その意味で、仕えるということは信仰の一つのバロメーターであるように思えます。バザーで奉仕することも、掃除やお花を生けることも、昼食を準備してくださることも、すべてが私たちにとっては益となるのです。仕えることができなくなるとすれば、私たちはどこかで思い上がってしまっているのです。思い上がると私たちは人が見えなくなってしまう。自分しか見えなくなってしまうのです。利己心と虚栄心によって生きる人生は、寂しいモノローグ的な生です。それを突破させるために主は私たちのところに来てくださったのです。
へりくだりのしるし~復活の主の十字架の傷跡
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」この主のへりくだりの中に私たちの慰めがあり、喜びがあり、平安がある。そのようなキリストの歩みを模範として歩むとき、私たちは小さなキリストの証し人として用いられてゆくのです。へりくだること、人々に仕えてゆくことがどれほど辛く苦しいものであったとしても、私たちには喜びが約束されているのです。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(3-4節)とパウロは言いますが、キリストに従うことで私たちは利己心や虚栄心から解放され、自由になって、本当の愛と自由の喜びの中に招き入れられるのです。
私たちの羊飼いには十字架の釘跡が付いているのです。復活されたキリストがトマスに十字架の釘跡と脇腹の槍跡を示されたように、天に昇られたキリストには傷が残っておられるのです。私たちを救うために負われた傷が残っている。イバラの冠の跡もおありでしょう。その苦しみはしかし今や天上の光の中で救いの喜びに呑み込まれています。私たちの苦しみや悲しみの傷跡も清められ勝利の光に呑み込まれる日が来るのです。私たちの背負う悲しみも苦しみも復活の主の十字架の傷跡とつながっているのです。
そのことは不思議な天よりの慰めを与えてくれるように思います。低く降ることの中に高く挙げられたキリストに従う喜びがある。天におられ神と等しく、神の身分であられたキリストが自分を無にして僕の身分となってくださり、この地上に降り立ち、十字架へと歩んでくださった。この私のために、この私を見いだし、私に自らのすべてを与え、私を神のものとしてくださるために! 主は豊かであったのに、私たちのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、私たちが一人残らず豊かになるためだった! そのことを深く噛みしめながら、主のみ後に従って、新しい一週間を踏み出してまいりましょう。
お一人おひとりの上に豐かな主の支えと導きとがありますように。アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2006年9月24日 聖霊降臨後第16主日礼拝 説教)