むさしのだより「井戸端の戸」 『北の国から』最終回を見て

国際政治、外交、内政、企業不祥事、スポーツ、急速な秋の訪れ。目眩くような9月が過ぎ去った。ミネソタの風を送ってくれたメールで上村さんが、「余りにも書きたい事が多く」と述べておられましたが、気持が良く判りました。幾つもの目と耳と心に支えられ、今月も無事、むさしのからの便りをお届けすることができました。

旧聞に属しますが、9月初めに最終回が放映された「北の国から」をご覧になった方も多いことでしょう。21年間にわたって俳優たちが、その時その時の年齢の登場人物たちを演じ続け、共感の涙を幾度も誘った稀有なTVドラマでした。

純も蛍も、波に翻弄されるような人生を歩む。ただ、蛍がこの世の不運を受身的に捉え、外に原因を求め、もっとも身近な者たちに当たったのに対して、純は内に原因を求め、自分の弱さや罪を深く味わいながら、身の処し方を考え続けてゆく。そんなコントラストを感じました。

父親の五郎は素朴な生活信念を信じ通し、権威であれ何であれ、自分の理解を超えたものを分かった振りなどしない。人目も憚らず家族愛をさらけ出す。その姿は、信仰者の姿―キリストのために愚か者になった信仰者の姿を思わせる。そんな父の姿に嫌悪を抱いていた純が、父親を心底尊敬している自分に気づくというエンディングの独白が美しかった。(い)