むさしの教会だより

人は意味なくして生きることはできない 賀来 周一

『夜と霧』で有名なオーストリアの精神科医ヴィクトル・フランクル(1905−1997)は、<人は意味なくして生きることはできない>という言葉を残したことで有名である。同書は、霜山徳爾によって邦訳(1956年)が出されたが、1977年フランクル自身によって改訂され、池田香代子による新訳(2002年)が出ている(いずれもみすず書房)。

同書は第二次大戦の最中、ユダヤ人強制収容所における絶望的な状況の中を生き抜いた人たちは、如何にして命を全うしたかを綴った記録である。彼自身も1941年から45年までの収容所で過ごし、自ら経験したこと、また収容所内で起こった出来事を可能なかぎり断片的なメモに記し、45年4月米軍によって解放され、ウイーンに帰国した後、1946年『夜と霧』にまとめ上げた。同書は発刊と共に注目され、希望と苦悩の中に生きざるを得ない人々に光を与えた著作となった。また精神科医でもある彼は、この強制収容所の経験を通して、実存分析療法(ロゴセラピー)という心理療法にまで完成させ、生きがいを失った人々に再び希望を与えたことでよく知られている。

彼の考え方は、単に理論を開発したというのでなく、飢えと死が身近に迫る過酷な強制収容所において、自らの置かれた状況に意味を見出した者のみが命を全うしたという事実に基づいている。考えてみれば、人はわたしたちも含めて意味のないところに身を置くことはない。意味のないところに身を置けば、生きていても仕方がないと思うであろう。言い換えれば、人は生きるためには意味を必要としているのである。彼の著作に『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)があるが、たとえ、絶望的な人生が目の前に広がっていたとしても、その状況そのものに意味を見出すならば、なお、一歩前に向かって進む自分を発見するということをその本の中で強調した。

しかし、フランクルは絶望的な人生の状況に対して、人が自分の側から問いかけ、そこにどのような意味があるかと期待をしても意味は発見できないと主張する。むしろ、自分が置かれた状況そのものが、自分に何を語りかけているかに耳を傾けないかぎりそこに意味を発見することはないというのが彼の基本的な主張である。旧約の哀歌3章28節に「軛を負わされたなら、黙して独り座っているがよい。塵に口をつけよ、望みが見いだせるかもしれない」とあるように、状況が如何に絶望的であれ、絶望そのものが語りかける答えに静かに耳を傾けることで、そこにどのような意味があるかを発見する。

言い換えれば、置かれた状況に対して、自分という存在はあくまで脇役に撤し、状況が如何に絶望的であれ、その絶望そのものに主役の座を譲り渡さない限り、意味を発見することはないということである。意味は向こう側から来るといってよいであろう。この姿勢はまことに信仰的であると言える。信仰者の生き方もまた、自分はさておき、何よりもまず神の御心は何であるかに耳を傾けることから始まるからである。   (むさしの教会元牧師)

《 折々の信仰随想 》

キリスト教カウンセリングセンター理事長

むさしの便り12月号より

礼拝説教 「御言葉が教える平和」  浅野 直樹

ヨハネによる福音書15章9〜12節(ミカ書4章1〜5節)

8月に入りましたが、この8月は私たち日本人にとりましては、非常に感慨深いときではないか、と思います。昨日の6日は広島に原爆が投下されて71年目の日でしたし、9日には長崎に…、15日には71回目の終戦の日(敗戦の日)を迎えるからです。今年は、リオデジャネイロ・オリンピックもあり、NHKなどでもあまり戦争関連の特番は組まれていないようですが、それでも(オリンピックを楽しむことはいいことですが)、私たちにとっては決して忘れてはならない日々だと思うのです。明日、8日から恒例のルーテルこどもキャンプが広島で行われますが(むさしの教会からも2名参加)、是非、この平和ということについても学んできていただきたいと願っています。

そういう訳ですので、私が牧師になりましてから8月の第1主日は「平和の主日」として守ってまいりました。そして、これからも余程のことがない限り、この8月の第1主日は「平和の主日」として、ご一緒に「平和」について考えるときをもっていきたいと願っています。

そのように考えまして、今回も説教の準備をしていた訳ですが、インターネットで面白いものを見つけましたので、ぜひ皆さんにご紹介したいと思いました。東郷潤という方が書かれた『終わりのない物語』という絵本です。

 

【『終わりのない物語』を読む】

(インターネットで簡単に見られますので、興味のある方はお調べになってください)

いかがだったでしょうか。絵はちょっと…、と思わない訳ではありませんが、いろいろと考えさせられるところがあったのではないでしょうか。

作者の東郷さんは「あとがき」で次のように書いておられます。「絵本『終わりのない物語』は、善悪の錯覚が引き起こす憎しみの連鎖/暴力の連鎖をテーマとしています。善悪という考え方を巡っては、これ以外にも、本当に多くの錯覚が存在しています。そして、それらの錯覚は様々な悲劇を生む土壌となり、結果的に、億単位の人々が犠牲になっているのです。そうした悲劇を地球上から少しでも減らすことを目的に、絵本『終わりのない物語』を執筆しました」。私は、ここに重要なキーワードが二つあるように思いました。一つは「善悪の錯覚」という言葉です。この物語の面白さ(ユニークさ)は、悪人がいないということです。登場してくるお猿さんも、猫さんも、象さんも、みんな正義を愛する立派な人(ではないですね、動物)たちでした。そんな彼らですから、人殺しという悪を見逃すことができなかったのです。その悪を絶つために、正義の名の下悪人たちを殺す。しかし、その殺した悪人たちは、実は悪人たちではなかった。彼らもまた自分たちの正義のために悪を懲らしめている者に過ぎなかった。正義のために戦った人々を、正義の名の下に殺していく。そんなおかしなことが起こっている、というのです。確かに、そうです。みんな自分たちの大切なものを守るために殺しあっていく。国を守るために、愛する者を守るために、家族を…、子どもたちを守るために、自分たちを脅かす悪者どもを殺す。そうでないと大切なものが守れないから、と殺していく。しかし、自分たちの目から見れば悪者と思えるような人々も、大切なものを…、国を…、愛する者を…、家族を…、子どもたちを守るために、自分たちを脅かしている悪者どもに立ち向かっているだけに過ぎないのかもしれない…。

絵本に登場してまいります猿、猫、象を、アメリカ、ロシア、ISなどと置き換えてみたらいいと思います。この世の中で、そんな単純な善悪など果たして存在しているのだろうか。単純に、こちらは正義でこちらは悪と言い切ってしまえるようなものなんだろうか、そんな問いをこの物語は私たちに投げかけているように感じるのです。

そして、もう一つは「連鎖」(憎しみの連鎖/暴力の連鎖)という言葉です。もちろん、この連鎖は断ち切らなければならないはずです。

皆さんは新約聖書の書き出しが何であるかをご存知だと思います。そう、系図です。マタイによる福音書1章1節からイエスさまの系図が記されていきます。「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」。皆さんもおそらくそうだったと思いますが、聖書をこれから読もうと思って開くのがこの箇所でしょう。そして、いくぶんうんざりする…。よく知らないカタカナの名前がずらっと出てくるからです。そして、聖書を読むのに少し慣れてくると、ここはもう読む必要もない、と飛ばしてしまうかもしれない…。そんな系図です。私も、そうでした。しかし、聖書を…、特に旧約聖書を理解するようになってくると、なぜイエス・キリストの福音を伝える新約聖書がこの系図から始められているのか、得心がいったように思いました。イスラエル民族の系図は通常男系なのですが、このイエスさまの系図には数名の女性が名を連ねています。しかも、いわゆる曰く付きの女性たちです。3節のタマルはユダの息子の嫁です。つまり、ユダは息子の嫁によって子どもをもうけた、ということです。

5節のラハブは遊女ラハブと言われる女性ですし、その後のルツは異邦人です。そして、極め付けは6節の「ウリヤの妻」…、これはバト・シェバのことですが、名前すら載せず、サムエル記の出来事を想起させるかのように「ウリヤの妻」とだけ記されています。詳しくお話しする時間はありませんが、ダビデはウリヤの妻を寝取り、不倫がばれそうになると、夫のウリヤを戦場の最前線に送り出して殺してしまうのです。そして、いけしゃあしゃあと未亡人のバト・シェバを妻として迎える。本当にとんでもない悪事を働いたわけです。それが、イエス・キリストの系図だ、という。本来ならば隠せばいい汚点をさらけ出しながら、これこそがメシア(救い主)の系図だと示すのです。私は、ここに救い主の意味を見たような気がしました。イエスさまの誕生によって、この血塗られた血筋に楔が打たれた…、連綿と続いてきた罪と過ちの歴史、その呪いが断たれた…、新しい救いの時代が到来した…、そう思ったからです。

憎しみの連鎖、暴力の連鎖は、このイエスさまによって断たれるのではないでしょうか。イエス・キリストという存在こそが、人類の英知によっては断ち切ることのできなかったこの「連鎖」を、断ち切ってくださるのではないか…、そう思うのです。

私は最近、このイエスさまの弟子に「熱心党のシモン」がいたことの意味をつくづく考えるようになりました。この「熱心党」…、ある辞書には次のように記されていました。「熱心党は狂信的な愛国グループで、ゲリラ活動によりローマ占領軍を追い払うことを目的としたが、実際にはさまざまな血なまぐさい報復事件を引き起こしていた」。現代でいえば、テロリズムの考え方を持っていたと言ってもいいのかもしれません。そんなシモンが、ペトロやヤコブ、ヨハネなどと並んでイエスさまの弟子となっていた。目的のためならば、人を殺すことも厭わなかったシモンが、全く別の方法で世界を、社会を変えようとしていった…。ここにも、私たちが注意を払うべきイエスさまのお姿があるように思うからです。

「平和学」という学問分野があることをご存知でしょうか。簡単に言ってしまえば「平和を追求する学問」と言えるのかもしれません。そんな「平和学」の本に、こんなことが書いてありました。「平和学は極めて学際的な学問であり、国際政治学や国際関係論以外にも、経済学、法学、社会学、心理学、人類学、教育学、宗教学、倫理学、哲学など、多くの分野の学問を含んでいる」。つまり、平和の問題というのは、単に軍事や政治の問題に限らず、非常に複雑で難しい課題が絡み合っているということでしょう。確かに、誰もが平和を望んでいるはずなのに、現実にはなかなか難しいわけです。そうであっても、私たちは一市民として、この平和のためにも政治にも選挙などを通して積極的に参加すべきだし、自分たちの暮らしぶりや経済活動が、果たして貧しい国々の構造的暴力に加担することになってはいまいか、と反省することはもちろん大切ですが、ではキリスト者として一体何ができるのだろうか、といった問いも非常に大切になるのではないか、と思うのです。キリスト者だからこそ…、いいえ、キリスト者にしかできないことがあるはずです。それは、もちろんイエス・キリストです。今日の旧約の日課、ミカ書にはこのように書かれていました。「主の教えはシオンから 御言葉はエルサレムから出る。主は多くの民の争いを裁き はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない」。

私たちは、この旧約の言葉がイエスさまによって実現すると信じます。イエスさまがこの地上に来られたのは…、お生まれになったのも、その人生を人々への宣教…、弟子たちへの教育に費やされたのも、十字架に死に復活されたのも、平和のためだったと信じるからです。私たちの主イエス・キリストは「平和の主」です。私たちは、この平和の主を「信じる」ところからまず始めるのです。それが、私たちの生き方にもなっていくからです。

戦後71年。これまで続いてきた平和が案外脆いものであることに私たちは気づき始めました。平和だと思っていた時代にあっても、平和ではなかった人々が数多くいたことも知りました。戦争がないことだけが平和なのではない、ということについても考え始めています。だからこそ…、そんな時代、現代だからこそ、平和を作られたイエス・キリストに…、熱心党のシモンでさえも弟子とされたイエス・キリストに思いをむけていきたいと思うのです。そして、このキリストの平和の輪をもっと広げていきたい、そんな仲間をもっと増やしていきたい、そう願わされます。2016年8月7日

平和の主日礼拝説教(むさしの教会)

むさしの便り10月号より

「クリスマス・プレゼント」 浅野 直樹

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

(ヨハネによる福音書3章16節)

 

今年もクリスマスの季節になりました。心からイエスさまの御降誕を祝っていきたいと思います。

私の手元には『ほんもののプレゼント』(偕成社)という小さな本があります。結婚前に妻がクリスマス・プレゼントとしてくれたものですが、O・ヘンリーの「賢者の贈り物」(The Gift of the Magi)として知られているものです。私はクリスマスになると、この物語をよく思い起こすのです。

ジムとデラという若い夫婦が主人公です。夫のジムは若干22歳。おそらく新婚さんなのでしょう。夫婦としての初めてのクリスマスを迎えるのですが、お互いにプレゼントをする余裕がありません。妻のデラは一生懸命に倹約をしてきましたが、なかなかプレゼント代をためることができませんでした。思い切ってご自慢の栗毛の長髪(ながかみ)を売って、お祖父(じい)さんの代から受け継いできたジム自慢の金時計(懐中)を彩るプラチナのチェーンを購入することができました。デラはわくわくしながらジムの帰りを待っていましたが、ジムは帰ってくるなりデラを見て呆然としてしまいます。それは、ジムはジムで妻の自慢の長髪のために金時計を売ってしまって素敵な櫛のセットを購入していたからでした。つまり、お互いのプレゼントは役に立たないプレゼントとなってしまったわけです。でも、この本はこう書きます。「頭のいい人たちは頭のいいプレゼントをします。…ところがこのアパートに住む、二人の、あまり頭のよくない子どもっぽい人たちは、いちばんたいせつな宝ものを、いちばん頭のよくない方法で、おたがいになくしてしまいました。でも、現代の頭のいいみなさん。プレゼントをする人たちの中で、この二人こそだれよりもかしこい人たちだったといえるのではないでしょうか。プレゼントをあげたりもらったりするということは、この二人のようにすることなのではないでしょうか。」

イエス・キリストは私たち人類に与えられた神さまからのプレゼントだと聖書は告げています。あなたのために、あなたのことを思って、もっとも大切な宝さえも手放して、ただあなたの幸せを願って与えられたプレゼント…。それがクリスマスです。

むさしの便り12月号より

巻頭言   浅野 直樹

去る8月11日、むさしの教会を会場に「今知りたい、バングラデシュ」(シャプラニール=市民による海外協力の会、シェア・ザ・プラネット、オックスファム・ジャパン共催)と題して講演会が行われました。まだ記憶に新しい、日本人も犠牲者となったバングラデシュの襲撃事件を受けてのことです。長く現地滞在を経験されたシェア・ザ・プラネットの筒井さんという方がテロの背景となっている現状などを詳しくお話しくださいましたが、その中で一人の現地青年のインタビュー記事が配られました。この青年はいわゆる「リクルーター(テロ活動に勧誘する人物)」との接触経験があったということです。幸いにして彼は両親の説得などもあって深入りすることはありませんでしたが、場合によっては自分もあの青年たちの仲間入りをしていたかもしれない、と語っています。この青年に一体何があったのでしょうか…。

彼はバングラデシュの中では比較的裕福な家庭に生まれ育ちました。そんな彼は両親や周りの期待を背負って有名私立中学に進学しますが、あまり馴染めなかったようです。そこで上級生からのいじめも経験しました。大量の課題や宿題にもついていけませんでした。有名私立という体面を気にする学校の姿勢にも違和感を感じてきました。彼は次第にうつ的になり、家に閉じこもるようになり、暴力的なゲームに明け暮れるようになったようです。そんな中、モスクで非常に気さくな青年と出会います。彼は初めのうちは警戒しつつも次第に打ち解け、心の内を全て打ち明けるようにさえなりました。「久しぶりに私は誰かに理解されたと感じた」とインタビュー記事に記されています。その親切な彼が、先ほど記したリクルーターだったわけです。

私はこの記事を読んで、モスク云々は別としても、これは今の日本の青年のことではないか、と思いました。そういう意味では、あの事件は現代社会における世界的(地域的ではなく)な問題ということでしょう。いいえ、これは何も現代に限らず時代を越えた問題…、普遍的な青年たちの姿(社会に対する不満、純粋すぎる正義感、アイデンティティクライシスetc.)でもあるのだと思うのです。ということは、その青年時代に誰と出会えるのか、ということが重要になる。一見親切そうに装いながらもテロに駆り立てるようなリクルーターと出会うのか、それとも、自分もかつてそうだったように、青年たちの抱える不満を理解しつつも人生の先輩としてあるべき道筋を示してくれるような人たちと出会えるのか、ということです。

そう、これは青年の問題じゃない。私たち大人の問題なのです。私たち大人たちがちゃんと青年たちの隣人になれているのか、という問題なのです。青年たちが不安定なのは、今に始まったことではありません。むさしの教会はそんな『彼らの』教会でもありたい、と願わされます。

むさしの便り10月号より

〜読書会から〜  村田沙耶香著 『コンビニ人間』 廣幸 朝子

子どもたちが公園で小鳥の死骸を見つける。子供たちが口々に「かわいそう」「穴を掘って埋めてあげよう」「お墓をつくろう」と言っているとき「私」は「これ、食べよう」と言って周りをぎょっとさせる。彼女にしてみればニワトリを殺して焼き鳥にするのだから、せっかく死んでいる鳥をなぜ食べないのか、と思う。そしてみんなが、かわいそうに、と言いながら、咲いている花をちぎってお墓にいれるのがもっと不思議に思えるのだ。それなりに考えて彼女なりに理由があるのに、それはしばしば、普通ではない、常識がないと批判され、途惑うばかり。他者とのかかわりに困難を抱えながら成長し、やっと見つけたコンビニのアルバイトに初めて自分の居場所を得る。そこでは、一から十までマニュアルがあり、自己の裁量など一切無用。それが彼女にはありがたい。決められた通りに動いていれば褒められる、給料がもらえてなんとか社会の歯車の一つになれた。

文章は平易で、話の展開も軽快。コンビニの店員さんも結構大変なんだなと、気楽に読んでいると、気が付くとまわりにはひたひたと闇が迫っている。皆の読後感も、「不安」「不気味」「閉塞感」「息苦しい」等々。得体の知れない同調圧力とか、異質なものへの不寛容とか、そんな社会を誰も望んではいないだろう。作者が声高に叫んでいるわけではないが、限られた生を生きる人間同士、もっとやさしく、もっと自由に生きられないものか。

折しも米国では、分断と憎悪を煽ってトランプ氏が大統領にえらばれた。欧州では移民排斥の動きが広がり、日本でもヘイトスピーチが街を練り歩く。私たちの世界はよりよい方向に向かえるのだろうか。

むさしの便り12月号より

「幸いを得なさい」  浅野 直樹

 ルカによる福音書18章9~14節   

はじめまして。浅野直樹です。一応、「ジュニア」という扱いになっています。

いや~、面倒なことになってしまいました。浅野先生(シニア)には随分とご迷惑をおかけしていると思っています。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、私は他教派で10年ほど牧師をしておりまして、その頃からルーテル教会に同姓同名の先生がいらっしゃることは知っていました(岡崎教会の頃だったと思います)。でもその頃は、自分がまさかルーテルに来るとは思ってもいませんでしたので、「へ~、そうなんだ。珍しいこともあるもんだな」くらいにしか受け止めていませんでしたが、縁あってルーテルに来ることになったために、こんなことになってしまいました。それでも、以前は教区も違っていましたので、お互いに不都合もそれほど感じていなかったと思いますが、この度、誰の陰謀なのか、はたまた神さまのユーモアなのかは分かりませんが、同じ教区に、しかも同じ教会共同体、お隣の教会に来ることになりまして、浅野先生(シニア)も複雑な思いをもっておられるのではないか、と想像しています。先日もこんな電話がありました。以前、電話で相談を受けた方のようで、どうやらインターネットで私のことを探されたようですが、するとHP(むさしの教会の)の写真と違っていたそうです。混乱気味に、一体どうなっているのか、というのです。もちろん、丁寧に説明させて頂きました。私の記憶が正しければ、浅野先生とは一回り違いますが同じひつじ年です。星座も同じしし座。同姓同名、漢字も一緒。二人で占ってもらったら、ほとんど同じ結果になると思いますが(ですから占いもあてにならないのでしょうね)、性格も、また、これまでたどってきた人生も全く違っているでしょう。浅野先生はまじめ、と聞きますが、私はちゃらんぽらんのいい加減な人間ですから。せめて、浅野先生が私と間違えられて悪い印象で見られるようなことにはならないように、謹んで励んでいきたいと思っています。

変な話を長々としてしまいましたが、「初顔合わせ」ということですので、お許し頂きたいと思います。

さて、本題ですが、今日の箇所はお分かりのように、イエスさまが語られた譬え話の一つです。この譬え話は、数ある譬え話の中でも非常に分かりやすい譬え話の一つだと思いますが、少し注意が必要ではないかと思っています。それは、『安易な評価』ということです。ここではファリサイ派と徴税人が登場して参ります。聖書を読んでいきますと、このファリサイ派の人々は常にイエスさまと衝突する人々として描かれていますので、私たちにとっては印象の良くない人々として映っているのかもしれません。それに対して徴税人はマタイやザアカイに代表されるように、確かに当時においては否定的な見方がされていたのかもしれませんが、どことなく憎めない人…、むしろ律法、律法という堅苦しい社会の中で彼らこそ犠牲者だったのではないか。社会から差別され、蔑まれてきた可哀そうな人たちなのではなかったか。だから、イエスさまはそんな彼らの隣人となり、彼らを救い、自由にされたのではなかったか…と、どちらかと言えば好意的な印象を受けているようにも思います。「逆差別」というのも言い過ぎかもしれませんが、どうしても弱い立場だった人々の肩を持ちたくなるような感情も湧いてくるからです。そんなこともあってか、私たちにとっては、この譬え話はむしろ何の抵抗感もなくすらっと読めてしまうのかもしれない。そうだ、そうだ、その通りだ、と共感できるのかもしれない。確かに、そうだと思います。しかし、単純に両者をそのように色分けできるのか、とも思う。律法を一生懸命守ろうとした人々が悪者で、律法も守らず、自分勝手にいい加減に生きてきた人々が、果たして本当に善人なんだろうか。かえって、後者(徴税人)に好意的な私たちは、どこかでこの徴税人や罪人と言われている人々を隠れ蓑にしながら、律法を守ろうとしない、律法を蔑ろにしている自分を正当化し、罪人であることに安住するために、都合よく利用しようとしているところがあるのではないか。そんなふうにも思う…。

皆さん、考えてみてください。身なりもしっかりしていて、まじめで間違ったこともせず(倫理・道徳面にもしっかりしている)、神さまの戒めに一生懸命に生きようとしている人と、権力を傘に、不当な取り立てをしては私腹を肥やし、贅沢な羽目を外した生活をしている人と、どちらと付き合いたいか。どちらに好感が持てるか。おそらく、私たちの目の前にこの二種類の人が現れたのなら、断然前者の方に好意が向くのではないでしょうか。ですから、単純にファリサイ派のような人がだめで、徴税人のような人が良いということではないはずです。逆に徴税人の方が高ぶっていれば低くされるでしょうし、ファリサイ派の人々がへりくだっていれば高められるでしょう。当然、逆もありうるということです。問題は「高ぶっているか」「へりくだっているか」だからです。しかし、それでも、やはりこの譬え話に「問題あり」としてファリサイ派が登場してくるには意味があるのです。9節でこのように書かれているからです。「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても」。これが、ファリサイ派の人々の問題なのです。

まじめで、努力家で、戒めを守ることに一生懸命でも、「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下」すようでは、やはり本質がズレてしまっているからです。しかも、この「うぬぼれ」と訳されている言葉は、「自分自身を頼りにしている」と訳した方が良い、と言われます。もともとの意味がそうだからです。ですから、この譬え話に登場してくる、いいえ、実際にイエスさまがこれまで接してきたファリサイ派の人々の問題点とは「自分の正しさにこそより頼んでいる」ということなのです。だからこそ、彼らの祈りは自分の正しさを羅列するものになるのです。「他人を見下す」ことも非常に問題ではありますが、しかし、それは、「自分の正しさに頼る」結果でしかありません。その問題の本質は、「自分の正しさこそ(自分の努力、頑張り、熱意の結果)頼りになるものなのだ(結局、「自分を頼る」ということでしょう)」との信仰理解なのです。

先ほど、この徴税人たちを律法を守れない自分たち、私たちの正当化のための隠れ蓑にしてはいまいか、と問いました。つまり、恵みがあるのだから律法などどうでもよい、という言い訳にしていないか、ということです。それに対して律法を守ることの大切さを説いているのが、今朝の旧約の日課でした。神さまは戒め、律法を守ることを求めておられます。それは、今日においても、尚そうでしょう。それが、神さまの思い、心です。しかし、今日の日課では、その先の思い、心が記されていました。申命記10章13節:わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることではないか。神さまは単に、闇雲に、戒め・律法を守ることを求めておられるのではないのです。私たちの幸せのためです。私たちが幸せになるために、幸いを得るために、戒め・律法を守ることを求めておられるのです。

では、その戒め・律法とは何か。一言でいえば、「愛に生きる」ということでしょう。神さまが人を、私たちを愛されたように、私たちもまた愛に生きてほしい。愛に生きることによって幸いを得てほしい。幸せになってほしい。これが、神さまが戒め・律法に込められた思いでした。しかし、残念ながらファリサイ派の人々は、そんな神さまの思いを掴みとれなかった。かえって、律法を守ることを、自分の正しさを打ち立てるために利用しようとした。自分の正しさこそが、神さまの恵みを引き出す、愛を引き出す「頼るべきもの」と考えたからです。しかし、そうではないのです。そもそも、神さまは恵みを、その愛を注いでくださっているのです。幸せを願うのが、まさにそうです。だからこその、戒め・律法なのです。もし、そのことをしっかりと受け止めてさえいれば、彼らは自分の正しさに頼ることもなかったし、自分よりも未熟な、不熱心な、欠けの多い人々をことさら見下すこともなかったはずです。この神さまの思い、心をはき違えてしまった熱心さが、彼らの罪となってしまいました。

しかし、私はこうも思うのです。私たち日本人キリスト者にとっての問題は、実は前者よりも後者、この徴税人の姿をはき違えていることにあるのではないか、と。一見すると、日本人キリスト者は、前者のファリサイ派の人々よりも、後者の徴税人に近いように思います。よくこんな言葉を聞くからです。「わたしは罪深い者です」「私なんて全然だめです」「自分が救われているなどとは思えません」「不信仰者の私なんか天国には行けないでしょう」。うつむきながら、自信なさげに言われる…。これらは果たして、ここで言われている「へりくだり」なのでしょうか。何度も言いますが、ここでの問題は「自分(の正しさ)を頼る」ということです。

つまり、何を頼るべきか、ということです。ファリサイ派は何度も言っているように「自分」でしたが、この徴税人にとっては、頼るべきは「神さまの憐み」でした。この神さまの憐みに一心により頼んだ徴税人が「義」とされたのです。つまり、先ほどのように、自分はダメだ、罪人だ、自信がない、といっている私たちは、では、本当に神さまに依り頼んでいるのか、ということです。私はどうも、そうではないように思えてならないのです。結局は、私たち(日本人キリスト者たち)も自分を頼りにしているに過ぎないのではないか。だから、相変わらず自信なさげに、自分はダメだなどと言っているのではないか。結局、へりくだっているようには見えるけれども、その本質は、むしろこのファリサイ派の方に近いのではないか。そんなふうにも思えるのです。

ある解説を読みますと、イエスさまはここに登場してくる徴税人や罪人、娼婦などを自らの罪を悟り、へりくだった者として、高く評価していたとありました。確かに、そうかもしれません。しかし、もっと大切なことは、イエスさまを受け入れたかどうかです。この両者の決定的な違いは、そこにこそあるからです。何よりもイエスさまを頼りにする。ここに正しい「へりくだり」の姿勢があるのではないでしょうか。

もっと自信をもったらいい。私たちの幸せを願うイエスさまが必ず救ってくださるから…。罪を赦し、罪の縄目から解放してくださるから…。そして、私たちの幸せを願う神さまの戒めに従ったらいい。愛に生きたらいい。そして、愛に生きられない自分を知ったら、また神さまの前に、素直に悔い改めていったらいい。どうぞ、あなたの愛に生きられないこの私を憐れんでください、と神さまを頼ったらいい。そして、またイエスさまの恵みをいただいて、晴れやかに、どうどうと、赦されているとイエスさまを頼って生きたらいい。また…、何度も…。それが、私たちの「へりくだった」人生なのです。

2016年10月23日 聖霊降臨後第二十三主日

礼拝説教(市ヶ谷教会—講壇交換)

むさしの便り12月号より

5年4ヶ月後の被災地を訪れて 八木 久美

「語り部」となった男性の安寧を祈りながら、私たちはをその場を後にした。しばらく歩き名残惜しさに振り返ると、日和山神社の大鳥居が天空に両手を広げるかの様に建っていた。

現地支援協力者である斉藤さんご夫妻も合流して予てからの計画通り、追浜川河川団地仮設住宅 を訪れると “布ぞうり・なごみの会”武山たか子さん、幸子さん、三條照子さんと“おちゃっこ会”のみなさんが20畳ほどの集会所で待っていてくださった。全員の顔が見えるようにとロの字に配置されたテーブルの上には色とりどりの心づくしの料理や新鮮な果物が所狭しと並べられていた。何ともお目出度い席に招かれたかの賑わいに恐縮しながら、心からの歓迎の意がこちらに強く伝わってきた。

今まで電話やメールのみで交信していた互いの声と顔が合致して喜び合う中で一人の方が、震災から5年を経て初めて、ご自分のお孫さんを津波で亡くしたと吐露された(周囲の方も知らなかった)。楽しい語らいでふと口をついて出たかの様な、周りを気遣うその言葉に一同が心を寄せていると、引率役の野口勝彦牧師がおもむろに傍らにある包みを解き、中から四角い板状のものを取り出して話しをされた。それは空や海を想わせる青を基調とした一辺が45cmほどのステンドグラスで、中央には六角形の星に白い鳩が重なる美しいもので、松本教会員である作家の手になるものだった。今は仮設に住む姉妹方が、やがて復興住宅や他の地域へ転居された後も「“平和の鳩”の元に健やかで集えるように」との祈りが込められているそうだ。

太平洋に面したこの一帯に翼を広げる平和の鳩。その鳩と共に、希望を未来へと繋げていってほしい…もっと話していたい思いを抱えて駆け足のスケジュールに恨めしさを覚えながら、次なる訪問先の“吊し雛・華の会”みなさんが待つ多目的団地の集会所へと向かった。そこでは、色鮮やかな吊し雛や“苦が去る人形”(風船蔓の種を小猿の顔に見立て着物を着せた1cmほどの人形が南天・桜の枝に九つ並ぶ)など、多くの可愛らしい作品が作られていた。笑顔で会話しながらも休まず動く指先からは、次々と小物が生み出されている。そうだ、豊かだが厳しい自然の中の生活者は、何があろうとも皆はたらき者なのだ。

移動中、一瞬立ち寄った南三陸町防災庁舎は、巨大なピラミッドの如き防潮堤の盛り土に埋もれるかの様に心細げに建っていた。周囲には他に、何も無い。…

「あの日」から変わったこと、変わらないこと。

振り返ると、その場に身を置き直に触れて味わい識ることは、未来へと希望と祈りを絶やさずに共に繋がり伝え続けること。この大切さを気付かされ心に刻んだ時となった。

祈りをもって

 

むさしの便り10月号より

ブラジルだより-Diadema(ジアデマ)集会所  徳弘 浩隆

 

Melo先生が休暇中なので、Diadema集会所のポルトガル語礼拝も、私が担当しています。以前はポルトガル語で原稿を準備して読んでいましたが、忙しいのと、原稿を読んでると気持ちが入らないので、日本語の礼拝のために準備した日本語を見ながら、ポルトガル語でお話をするというスタイルでやっています。間違えたり、言葉を思い出さないときは、聞いている会衆の方々が「こうですか?」、「あ、それはこういうんですよね」って合いの手を入れて教えてくれる、楽しい礼拝です。この日も「私のポルトガル語もまだまだだから、助けてくださいね」と皆さんに頼み、子どもたちにも、「先生はMelo先生みたいにピアノが弾けないから、前奏や後奏を手伝ってね」とお願いして、聖壇に一緒に座ってもらいました。

讃美歌演奏はスマホに入れた讃美歌を、無線でアンプにつないで演奏し、みんなで讃美歌を歌います。日本の教団讃美歌と同じ歌が、ポルトガル語のこちらの讃美歌にもいくつかあるので、それを選んで歌います。

説教の前、「神様の言葉は種、それを私たちに撒いてくださる…」というよく歌うポ語の讃美歌を、御言葉の歌代わりに、子どもたちにリコーダーで吹いてもらいました。素直に練習するときもあれば、ちょっとすねたりして機嫌が悪くなったりすることもあります。今日は、いつも素直なLeo君が「僕は吹かないよ」とむっつりしています。代わりにPaulo君が今日は張り切っています。何度も何度も私の目を見て、「今?」「次?」と合図をしてくるので、聖書朗読が終わった時に、「さぁ、いまだ、頼んだぞ!」と合図を送ります。かっこよく吹き始めたのですが、途中で詰まってしまってやり直し。でも、また詰まってしまって、3回目に「あー、今日はだめだ。もう帰る!」と言い出しました。

みんなは暖かく笑いながら、「大丈夫だよ、頼むよ」と声援を送ります。Paulo君は「だって今日は人がいっぱいいるんだもん。あがっちゃったよ」と言いました。

「間違ってもいいんだよ。ほら、先生だって、ポルトガル語間違えだらけだけど、一生懸命神様の言葉を伝えようって頑張ってるんだよ。間違えが怖くて何もしないより、やってみることが大切なんだよ」「ほら、先生がいいお手本見せてあげる。間違えても平気で頑張ってる見本見せるからさ」となだめるとみんなも爆笑。Paulo君は気を取り直しました。そして機嫌の悪かったLeo君にバトンタッチ、「今日は僕がやるよ」って吹いてくれました。

ブラジル人の貧しい地域の集会所、お父さんがアルコールや薬で入院したり、仕事を続けられなかったり、お母さんもそれで神経質になって、家の中が荒れることもあるそうです。なにやら、そんな事情も抱えたそれぞれの家庭。今日はそのお父さんとお母さんも久しぶりに礼拝に来てくれていて、喜んで握手して帰って行かれました。


私たち日系パロキアが始めたこの地域での音楽教室とポルトガル語礼拝。これらを通して、子どもの生き方が変わり、ご両親もよい影響を受ける、そんな働きにもなるよう、これからも、根気強く、でも楽しく続けていきたいと思わされます。 (ブラジル宣教師)

 

むさしの便り10月号より

キリスト教カウンセリングの目指すところ − 答えのないところを歩むために − 賀来 周一

去る6月30日、拙著『キリスト教カウンセリングの本質とその役割』(キリスト新聞社刊)が、「おふいす・ふじかけ賞」を受賞した。「おふいす・ふじかけ賞」とは聖学院大学の藤掛明准教授(学術博士)が、その年度に発刊されたキリスト教カウンセリング関係の本のうち貢献度の高いものを取り上げて賞を呈する出版行事である。私の本は、発行年が2009年でやや古いが、特別に発掘賞として選ばれた。

くどくどと経緯を書いたのは、理由があってのことである。1982年ルーテル学院大学の付属研究所として、デール先生共々「人間成長とカウンセリング研究所(PGC)」(現在は閉鎖)を立ち上げるにあたって、識者を集めて創設発起人会を開催したが、いくつかの厳しい忠告、助言を頂戴した。「牧師は牧師らしく、聖書と信仰と祈りをもって、教会での相談事に当たるほうがよい」、「心理療法家や精神科医のまねごとはしないほうがよい。生兵法は怪我のもとだ」などと言われたこともある。また、神学者側からは「信仰の世界に心理学を持ち込むのは如何なものか」という批判もあった。

しかし、蓋を開けてみれば、カウンセリング講座は満席状態であった。かつ、受講者の多くは教会の役員クラスが多く、これを契機に教会の牧会現場はどのようなケア、援助のかたちがなければならないかが新しい課題として与えられた。そのために、人間の心の問題にキリスト教信仰がどのように関わって来たかを歴史的に探り、また教会の側からもどのようなアプローチをしてきたかを再検討することとした。幸いにして、私の若い頃の研究は歴史で、30代にはそのために留学をしたのだったが、案外それが役立ったのである。

人間の心の問題を歴史的に遡上すると石器時代にまで及ぶ。爾来、人間の心の問題を営々と追い求め、19世紀から20世紀にかけて、人間の知惠の所産として心理学は発展してきたが、そこに見るのはキリスト教との深い関係である。残念なことには、近現代の学問は、哲学を除き宗教は特別な価値観に基づくとして一般的には宗教性を排除するかたちで発展してきた。心理学でもその傾向は例外ではない。

しかしながら、今世紀に入り、とくにWHO(世界保健機関)の働きによって、宗教性(成熟した意味での)との関係抜きでは、人間の心の問題は<これでよし>とする究極の答えを持ち得ないことが明らかにされるようになってきた。今回、賞を受けた拙著は、直接的に宗教性と心理の世界を関連づけてはいないが、底辺に信仰抜きでは人間の心の問題に<これでよし>とする答えはないことを読み込んだものである。信仰による「これでよし」とは、人間の知惠による答えがないまま生き抜く決断である。人間には、それがあれば、なにも恐れることはない。その背後に、キリストの死と復活という高価な恵みがあるからである。 (むさしの教会元牧師)

むさしの便り10月号より

井上ひさし著『ふふふ』   桑名 信幸

井上ひさしの漢字が比較的多い文章。余白が多く、内容充実、さらっと読める。書かれたのは15年前で、今は忘れ去られているが、読書会では評判は良かった。

読書会で女性軍の人気があった「四月馬鹿」について。

『ひょっこりひょうたん島』脚本で有名な著者、オーストラリア国立大学で住み込み作家でぶらぶらしていたとき、学生とのやりとりで、4月1日に嘘をつくと見破られた。日本と違いオーストラリアの学生はノーテンキではない。イギリス圏の旧植民地は四月バカは正午までなのである。日本の常識は世界の常識ではない。最後の大馬鹿者と野次られてしまった、とある。

著者は日本の政官界に対して、4月1日だけは真実を口にして欲しい。その上、国民に対しても声をそろえて、政界官庁の愚策に対しても「この馬鹿!」というべきだと言っている。小生、タバコの葉っぱ生産地であった茨城県生まれです。茨城弁でごじゃっぺという言葉がある。これも消えていくのである。『吉里吉里人』も優れた作品だが、書店の棚から消えていく。

聖書も最初は羽根ペンで書かれて、今は電子書籍。司法試験受験者の誰も厚い六法全書を皮鞄に入れていない。かな?

私のお気に入りは、「長い冬」です。巨人は東京ドームで昨日は負けた。菅野の責任ではないが、チームなので、仕方ない。由伸頑張れ!但し1ヶ月前に菅野知之が神宮球場で勝った。野球ファンとして、彼が神宮で勝てなかったのは何故か興味つきません。マウンドの低さ、傾斜の角度かな? 巨人、大鵬、卵焼き、の世代ですから。10歳の時、東京球場で、開場式の時、仰木彬二塁手に握手して貰った。温もり忘れられません。

栄えある東京球場での最初のホームランは南海の野村克也捕手です。野球帽をかぶった子供が、お父さんとキャッチボールする方が、1人でゲーム機を指で操作するより、人間らしい。「世界一長い名前」から、「長い冬」まで、45本のエッセイ。好きなところを読めばいいし、つまらんと捨ててもいい。

図書館で借りれば、文庫の小さな文字を老眼鏡をかけないで、ただで、単行本の大きな字で読めます。興味を持てた方は、その延長として、井上ひさしの最高傑作の『吉里吉里人』にきりきり舞いして下さい。

最後に

むずかしいことを やさしく

やさしいことを ふかく

ふかいことを ゆかいに

ゆかいなことを まじめに

井上ひさし

むさしの便り7月号より

「熊本地震支援活動の中間報告」 立野 泰博

2016年4月14日21時26分、熊本地方を震源とする熊本地震がありました。これは始まりにすぎませんでした。16日1時25分本震はやってきました。1回目の地震で安心していた私たちは、まさかそれが余震だとは思いもしませんでした。実はそれだけではありません。15日0時3分に2回目の地震はおこりました。宇城、松橋、八代の人は、大きな地震が3回あったといわれます。震度7が3回もあるなど、誰も予測していないことでした。

1回目の地震の時「しまった」と思いました。東日本大震災の救援活動をさせて頂いた者として何も準備していなかったのです。まさか熊本で地震があるなど思ってもみませんでした。次は南海トラフだと信じておりました。その時は九州から支援物資を買って持っていけばいい位にしか思っていなかったのです。だから「しまった」から始まったのです。

実はそのことは教会のみのはなしではありません。熊本市も県も準備はありませんでした。想定してあったのは「洪水」「台風」「火山」災害に対しての準備でした。ボランティアセンターにうかがったときに「ゴム長靴」と「水かき」を見た時、これは大変なことになったと感じました。私たち熊本県民は地震災害の準備ができておらず、みな地震災害については「素人」なのです。その認識ができるか。それはルーテル教会救援でもいえることです。「できる」なんて思ってはいけない。そこを間違うと、支援活動は自分勝手なものになります。まずは「素人」を自分に言い聞かせました。そしてもう一つ「私たちは被災者なのだ」ということでした。

幸運なことに私には東北に支援活動でつながった方々がたくさんいます。すぐに石巻社会福祉協議会災害対策課に電話しました。「何をすればいいですか?支援活動の流れは?なにを気をつけますか?ゴールは何ですか?期間は?私たちだけではできません。手伝ってください」と。その時教えられたことは「平時が非常時の鏡です」ということでした。まさにそのことが基本です。平時に準備できない、平時にできてなければ非常時には何もできないのです。教会の支援活動も同じです。平時から地域に開かれてなければ、非常時になって開かれた教会にはなれません。だから「できる」などと思ってはいけないのです。まずは「できることから」はじめなければならないのです。そしてサクセスストーリーとなってはならないと思います。

石巻社協の阿部さんに熊本にきていただき、熊本YMCAで講演をお願いしました。彼は「地震の時のボランティアは命の危険があることを理解して、安全靴、切れないズボン、ゴーグル、マスク、革手袋などキチンとした装備がないといけない。」「ボランティアをやるには覚悟が必要だ(にわかボランティアでは危険)。」「初めは物資などの支援、最後は心の支援に変わってくる。特にお年寄りや子供のケアをしないといけない。」と教えて下さいました。緊急支援から自立支援、生活支援へと進んでいきます。最終的には「自分たちで切り盛りできるよう自立の支援をする」のです。そのためには緊急支援の時の関係づくりです。そこで関係がつけられていないと、次の仮設支援には進めません。緊急支援が終わるころ「次は何をしようか」と探さねばなりません。やることはたくさんあるのに、次の支援がみつからない状況がおこります。自立支援、生活支援は仮設からですが、避難所で関係・つながりをつくっておくことです。宗教者ができることは「心のケア」なのです。

さて、「わたしたちは地震については素人なのです」から始まるのが大江教会の活動です。わたしが東日本から学んだことは「いち早くお手上げになろう!」「自分たちだけでやろうとしない!」「ネットワークつながりを用いよう!」「ゴール(目標)を決めてやろう!」「終わりを先に言おう!」「緊急支援から自立支援への見極めが大切!」「次につながる支援を!」「一人の孤独死もださない!」です。そして「平時が非常時の鏡です」からはじめました。

さて、大江教会の動きは「私たちは被災者である」との認識から始めました。自分たちの心のケアを教会の交わりの中でやってまいりましょう。「その次に支援活動です」を心がけました。その中で以下の7つの支援活動をはじめました。

1)ママ・赤ちゃん応援プロジェクト

緊急支援としてオムツ、ミルク、離乳食、おしりふきティッシュ等の配布。ラインやネットを用いて。まずは教会員の赤ちゃんに離乳食を、から始まりました。赤ちゃんとママ応援の必要性を感じ大江教会は「ママと赤ちゃん支援」に支援活動を特化して活動を広げました。すでに17日にはトラック1台分の赤ちゃん応援グッズは教会にありました。鹿児島の伊集院バプテスト教会が鹿児島のスーパーを回って買い集めて下さったのです。また福岡の友達も届けて下さいました。16日にはまだ鹿児島・福岡にはあったのです。今回の支援活動では、フェイスブックとラインは大活躍しました。17日から大江教会は赤ちゃんを連れたママたちで溢れました。200名は来られたでしょうか。オムツ、離乳食はすべてそろっていました。「ルーテルの大江教会に行けば赤ちゃんグッズはすべてそろっている」「大江教会の立野牧師が赤ちゃんをたすけてくださる」そんなラインが流れました。来て下さった方々から情報を得て、お風呂プロジェクトやアレルギーミルクなどの手配。全国のつながりから物資は届けられました。

2)震災Caféプロジェクト

目に見えないストレスはたくさんあります。家に帰れない方々、車中泊の方々。今回の心のケアのテーマは「不安」だと思います。そんな方々に教会Caféを24時間オープンしました。美味しい珈琲とお菓子、そして安らぐ時間。フリースタイルのCaféとし、全国の仲間からお菓子と珈琲などのCaféに必要なものを届けていただきました。今後は不眠不休で支援活動している方々へのCaféも考えています。生ビールのCaféなども計画中。現在教会のCaféは毎日利用があります。地域の方々をはじめ、お母さんたちの集い、コンサート、水彩画教室など。いつも誰かそこでホッとされています。学校帰りの中高生もおり、ちょっとしたCaféそのものです。

3)お片付けボランティア

教会、教会員の家の片づけボランティア。

これは4月中にはすべて終わりました。東北の経験が生かせました。先に先に計画をして、実行すること。教会員のボランティアでやることで、教会員は被災者の方々には安心があります。顔が見える関係における支援は早いです。そのために掃除道具はすでに教会に届けられていました。箒、塵取り、雑巾等は支援物資。先を見ての支援物資のお願いがよかったのだと思います。結果的には支援物資はすべて必要な方に届けました。一部、二次災害のために備品にしてあります。これからは大雨、水害、洪水です。

4)連携プロジェクト

宇城光照寺・阿蘇YMCAと連携しての被災者支援。物資支援。心の支援。

5)南阿蘇被災地・避難所訪問プロジェクト

母がいる避難所を訪問しています。

6)震災心のケア「ママさん赤ちゃん応援」プロジェクト!

「心のホッとコンサート」の実施。

大江教会で出来る事、先を見て必要な事、地域や被災地にむけての支援をしていきます。教会にはイエス様につながる多くのネットワークがあります。

 

立野 泰博 日本福音ルーテル大江教会牧師 

むさしの教会だより7月号より:2016年7月 31日発行

礼拝説教 「天の父のように」 浅野 直樹

ルカによる福音書6章27〜36節

一昨日…、5月27日(金)の午後に、アメリカのバラク・オバマ大統領が現職大統領としては初めて広島の平和記念公園を訪ね、原爆慰霊碑に献花をされました。これは歴史的な出来事でした。任期も終盤にかかり、大統領としてのレジェンドのため、といった意見もあるようですが、国際的にも様々な緊張関係が生まれている中で大切な一歩が刻まれたのではないか、と私は思っています。

今日の福音書の日課は、小見出しにもありますように、ひとことで言えば「敵を愛する」ということでしょう。これは言うまでもなく、世界の平和、和解ということにおいても、最も大切なことのように思われます。しかし同時に、そんな簡単なことではない、ということも私たちは痛感してきました。先ほどのことでいえば、最初の一歩が「71年」もかかったというところに、事の難しさ、深刻さが物語られているのでしょう。原爆や戦争が非人道的なものであるということは、両国民の多くが感じていることだと思います。しかし、かつて敵同士であった、ということが71年の歳月を費やしてしまった。いいえ、今でも「謝罪できない」「赦せない」「自分たちは正しい」と、それぞれに看過できない言い分があるわけです。それはなにも、当然、国と国といった大きなことばかりではないはずです。私たち個々人の生活の中でも「敵を愛する」ことができたならばどれほど幸いだろうか、と思うのですが、その難しさも経験してきているからです。

この「敵を愛する」ということにおいて、今日の旧約の物語は非常に参考になるのではないか、と私は思っています。これは、いわゆる「ヨセフ物語」と言われるものです。もう皆さんもよく知っておられる物語だと思います。ヨセフのお父さんはヤコブと言いました。このヤコブには「イスラエル」という別名が与えられていましたが、イスラエル12部族の祖となる人物です。つまり、イスラエル12部族とはこのヤコブの十二人の息子たち(正確にはちょっと違うのですが)ということで、ヨセフもその一人だったのです。

当時は一夫多妻が当たり前の世界でしたから、ヤコブにも二人の正妻と二人の側室がおりまして、この十二人は異母兄弟(全員母親が違うということではないのですが)だったわけです。もう、これだけでも兄弟仲があまり良くないことは想像できます。正妻同士、側室同士、あるいは正妻と側室との間で様々な駆け引きもあったのでしょう。そういった母親同士の関係(反目)が子供同士に波及していってもおかしくないわけです。しかも、ヨセフはヤコブが特に愛していた正妻の一人ラケルの息子でした。ラケルはヨセフの弟ベニヤミンを産んでからすぐに亡くなっていましたので、よせばいいのにラケルの忘れ形見を溺愛してしまっていたようなのです。そりゃ〜、他の兄弟たちからすれば面白くないわけです。しかも、そんな父の寵愛で天狗になっていたのか、年少者にもかかわらず兄たちに対してどことなく横柄なところがあったようで、ますます兄たちからは反感をかっていきました。そして、ついにヨセフ17歳のとき、苦々しく思っていた兄たちによってエジプトに奴隷として売られてしまったのでした。なんだか韓流ドラマの脚本になりそうな物語です。

詳しくはお話しませんが、随分と苦労したと思います。しかし、彼は、エジプトの宰相にまで上り詰めたのでした。

ヨセフは兄たちのことを随分と恨んだと思います。17で奴隷として全く見知らぬ世界に放り込まれたのです。しかも、無実の罪で何年もの間、牢獄に閉じ込められもした…。来る日も来る日も牢獄の中で、なんで自分がこんな目にあうのか、と問うたに違いないと思う。その度に、兄たちの薄ら笑うような顔が思い起こされ、怒りが、憎しみが、こみ上げてきたのではないか、と思うのです。復讐心が、殺意が湧き上がっていたのかもしれません。その怒りのパワーが彼を支えていたのかもしれません。しかし、彼に転機が訪れました。夢の解き明かしで牢獄から解放されただけでなく、宰相にまで起用されたからです。しかし、ここで大切なことは、単なるサクセス・ストーリーではない、ということです。

彼はこのことによって、意味の再構築に迫られていったからです。今日の旧約の日課に、こんな言葉が記されていました。創世記45章4節以下わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちよりも先にお遣わしになったのです。」ヨセフは自分がエジプトに来た、送られた意味を、このように再構築したのです。もちろん、すぐにそう思えたのではないでしょう。時間をかけて、あるいは葛藤の中で、そのような理解に至っていったのかもしれません。しかし、この理解が徐々に兄たちに対する恨みつらみからも解き放っていきました。もちろん、神さまがそう働いてくださったからです。神さまの恵みの御業(それがヨセフの場合は夢の解き明かしであり、思いがけない宰相への抜擢ということでしょうが)を経験していったからです。ここに敵意を打ち破る一つのキーがあるように思います。

もう一つは「和解のプロセス」ということです。確かにヨセフは意味の再構築によって、現在の境遇を喜んで受け止められるようになったと思います。そして、普段の日常の中では兄たちに対する負(マイナス)の思いも感じることなく生活していけたことでしょう。しかし、兄たちと再会する機会がやってきたのでした。兄たちが住んでいるパレスチナでもひどい飢饉だったので、ヨセフのいるエジプトに食料を買いにきたからです。あれから随分と年月が経っています。エジプト特有の衣装ということもあったのでしょう。まして、自分たちが奴隷として売った弟がエジプトの宰相になっているなど夢にも思わなかったでしょうから、兄たちにはそれがヨセフだとは気づかなかったのですが、ヨセフには分かっていました。そこでヨセフはどうしたか。意地悪をしました。いろんな難題や難癖をつけては、兄たちを困らせ、窮地に陥らせたのです。ここにも、人間臭さが溢れていると思います。確かに神さまによって意味の再構築も果たし、自分なりに整理をつけていたつもりでしたが、いざ本人たちを前にして、かつての思いが甦ってきたのでしょう。

あんな目に合わせて「殺してやる」とまではいかなくても、なんらかの復讐心がふつふつと湧いたのだと思います。それが人間です。彼は何度も兄たちを苦しめました。そして、ついに(非常にドラマチックなので、ぜひお読みいただきたいと思いますが)兄たちの悲痛な叫びを前にして、彼は感情を抑えることができず、感極まって泣き出し、兄たちに自分の身を明かした、と言います。兄たちの苦しむ姿を前にして心が弾けたのでしょう。

ここに、神さまが与えてくださる和解のプロセスがあると思うのです。赦す、和解する、愛する、というのは机上のことではありません。相手あってのことです。赦しているつもりでも、和解しているつもりでも、愛しているつもりでも、いざ相手が自分の眼の前に現れると、そうは言っていられない私たちの現実があるからです。そのために、神さまはまず私たちの目を開いて相手を見せようとされます。憎しみや怒り、負の感情があるときには、相手の姿をまっすぐ見られなくなってしまうからです。

ですから、ことさら相手を悪く思い、憎んで当然、怒って当然、恨んで当然と思ってしまうところがある。しかし、本当にそうでしょうか。もちろん、敵です。自分に対して敵対するような人物です。当然、相手だって自分に良い感情を抱いてはいないでしょう。でも、本当にその人は極悪で、どうにもならないような敵、モンスターなのか、といえば、大抵はそうではないはずです。相手も人間であることがわかってくる。弱く、過ちを犯す、私たちと同様罪ある、欠けのある人間だということが分かってくる。分かってくるところに、単なる敵意や憎しみだけではない思い、同情、憐れみ、共感も起こってくるのではないか、と思うのです。

もちろん、これで全ての問題が解決できるとは思っていませんが、兄たちに捨てられ、敵となったヨセフが、兄たちと和解していったプロセスから、私たちも何か考えることができるのではないか、と思うのです。

ともかく、福音書に戻りますが、「敵を愛する」ということは、このことに尽きるのだと思います。」「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者になりなさい」。憐れみ深い、敵をも愛してくださる神さまからしかこの愛は学べないのです。憐れみ深い神さまの子どもだからこそ、その生き方に向かっていけるのです。

イエスさまは語られました。「あなたがたの敵を愛しなさい」。これは命令です。命じられていることです。もちろん、私たちは福音を信じています。福音とは恵みです。ですから、この命令を守れないからといって見捨てられるようなことはないのです。しかし、いいえ、だからこそ、この「命じられている」ということに思いを向けたいのです。「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」。それは、ある意味、馬鹿を見る生き方なのかもしれない。理不尽な目にあう不器用な生き方なのかもしれない。しかし、私はここにキリスト教の魅力を感じるのです。憧れを抱くのです。現実の自分はもちろん、そうではありませんが、それでも、馬鹿を見るほど愛に生きる者になりたい、と思う…。イエスさまがそうだから…。

神さまの憐れみに生かされて、その愛に気づかされて、教えられて、また私たちも、そんな憐れみ深い生き方を、愛をほんの少しずつでも見習っていきたい…。そう思います。

2016年5月29日 聖霊降臨後第二主日礼拝説教(むさしの教会)

むさしの教会だより7月号より:2016年7月 31日発行

5年4ヶ月後の被災地を訪れて  八木 久美

梅雨の最中6月21日〜23日にかけて女性会連盟:合同役員会・被災地訪問の企画で5年ぶりに仙台教会を訪れる機会が与えられた。仙台駅からバスで15分程の住宅街にある教会は手作りモザイクの十字架が外壁に施され、入口の寄せ植えのラベンダーが良い香りを放ち私たちを迎えてくれた。各教区から現地集合したメンバー11名(小勝奈保子、野口勝彦両牧師含む)は、まず礼拝を献げ、今回の企画が主の御心に適い、祝福の内に守られることを共に祈った。平日の昼間も手伝い静けさに満ちた礼拝堂に身を置く間、私は胸が苦しくなる程の懐かしさと、当たり前とは言え、あの時とはまるで違う状況に戸惑いも覚えた。

「2011.3.11」その2ヶ月後に友人と共にボランティアで初めて訪れた教会礼拝堂は、こぢんまりとした空間を簡易パーテイションで男女に分けた繁忙期の山小屋のごとき雑魚寝状態(採暖にも有効)。朝晩の礼拝と報告・確認作業の他、各々は石巻専修大学内に設置された現地救援センターからの派遣先へ向かい、被災現場での与えられた作業をひたすらこなすこと、それのみがあらゆる想像を超えた現実に直面し何も出来ない申し訳なさに打ちのめされ、実感できた真実であった。

再びこの地を訪れる迄の間、被災地支援の紹介・支援品販売の継続は途切れさせてはならないとの思いで関わり続けてきたものの、現地に身を置くことには躊躇があった。しかし時の流れの中で今を見続けること、それを伝えることは与えられた必然とも言えるかもしれない。
会議を終えた翌日、私たちは日和山公園へ向かった。日和山は市内中心部、旧北上川河口に位置する高さ56mほどの丘陵地で桜の名所としても知られ、中世には奥州奉行葛西氏の城「石巻城」があった所。松尾芭蕉、曽良、石川啄木、宮澤賢治始め多くの文人墨客が訪れ、好天時には牡鹿半島や松島、蔵王の山々が望める市民の憩いの場だ。

あの日、冷たい雪が降り続ける中、山頂へ避難した人々の目前で繰り広げられた光景を、私たちはただTV画面から観るしかなかった。その山頂から石巻湾を望んでいると、一人の年配の男性と目が合い話しかけられた。

その人は手にした家族のアルバムをめくりながら、眼下を指してどの辺りまで津波が押し寄せ、どの様な状況下をみんなが避難したのかを話してくれた。家族は上の息子を除き無事であったが、その息子さんは地震の後、自宅が心配で家へ戻り亡くなったそうだ。それ以降、日和山神社の約300段の階段を上り公園へ来て自身が体験したことを来訪者へ伝えることを日課としているとのこと。語りたくてそうしているのでは無く、語り続けずにはいられない「語り部」となったのだ。ishinomaki-park
左:当時の被災状況を説明する語り部(日和山公園) 右:がんばろう!石巻(二代目の看板)

〜次号へつづく〜

むさしの教会だより7月号より:2016年7月 31日発行

|折々の信仰随想| 信仰による明快さ  賀来 周一

「あなたは、冷たくも熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであって欲しい」—ヨハネの黙示録3章15節

来年は宗教改革500年。改めてルターの信仰を振り返る、よい機会となりました。ルーテル教会はもちろんのこと、他の教会にあっても、ルターに魅せられたという声をよく聞きます。人によって、ルターが見せる魅力は異なるでしょう。ある人にとっては、強大な敵に敢然と立ち向かう勇気に魅せられることがあるでしょうし、また内面へ沈潜する思索の深さに共鳴する人もいるでしょう。私にとってのルターの魅力は、彼の言い分にはあいまいさがないということなのです。

通常わたしたちは、自らの生活を取り巻くさまざまな事象を説明しようとする時には、まず自分の知惠を駆使して、何らかの結論を得ようとするものです。けれども事が信仰の世界に及ぶとなると、いくら知惠を尽くしても、思索の片隅に何かしらあいまいさが残るものです。平たく言えば、考えたあげくに、その先をはっきりさせたいのだけれども、何かしら靄がかかったような状態から抜けられないといってよいかもしれません。「あなたは、冷たくも熱くもない」とは、そのようなあいまいな状態を指すと思われます。

冒頭にあげた聖書の言葉は、ラオディキアの教会の信徒に宛てられていることを考えれば、すでに信仰を得ている者として、信仰の世界にあいまいさを残してはならないとする警告を投げかけていると受け取るのが、聖書が持つ本来の意図に添うと思われます。ですから、それを受けて「むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであって欲しい」と言っているのです。別の言い方をすれば、信仰の世界には、あいまいさを断ち切る明快さが必要であるということです。その意味では、ルターの言葉には信仰による明快さに溢れています。たとえば—

洗礼を受けたが、こんな自分でよいのかとぐらついている時「キリスト者は罪人であって、同時に義人である」にうなずくでしょう。心にいつも黒い影が差し込んでいて、こんなクリスチャンでよいのかと訝しんでいる時「キリスト者よ、大胆に罪を犯せ、大胆に悔い改め、大胆に祈れ」にハッとします。どろどろした罪の世界から抜け出すことができません。どうすれば罪から逃れることができるだろうかと煩悶する時「わたしが罪人であるというとき、わたしの罪はわたしにはない。わたしの罪はキリストにある」との言葉に、「そうか、キリストは私のために死んでくださったのだ」との確信が生まれるのではないでしょうか。

こうしたルターの言葉は枚挙にいとまがありません。でも、こんなことがありました。私の神学校時代(鷺宮)、何かの拍子に「ルターと聖書」とつい言ったところ、当時神学校長だった岸千年先生から「ルターは、それらの言葉を聖書から学んで自分の信仰の言葉にしたのだ。だから『ルターと聖書』と言うべきでない」と言われたのでした。つまり、ルターの言葉を聖書と同列にして、ルターを神格化するなという意味なのです。これも信仰的明快さと言えましょう。

元むさしの教会牧師(定年牧師)

 むさしの教会だより7月号より:2016年7月 31日発行


巻頭言 「“今”思うこと…」 浅野 直樹

私は“今”正直気が滅入っています。先の参議院選挙の所為です。その結果のためではありません(個人的な思いはありますが…)。あまりの投票率の低さに、です。

英国のEU離脱問題に世界は揺れました。私も関心をもってその動向を見つめていましたが、予想外の結果で大変なショックを受けました。しかし、その後の報道の方がショックが大きかったのかもしれません。そもそもEUのことをよく知らないまま投票した人も多かったらしい。離脱賛成の票を投じた当人たちも、まさか離脱という結果になるとは思わず、後悔し、国民投票のやり直しを求めているらしい。ただキャメロン首相(当時)にお灸を据えたくて賛成票を投じたらしい。離脱派のリーダー的存在だった人たちも、本当は離脱を願っていなくて、ギリギリの線で負けることを想定していたらしい。そんなことがいろいろと取りざたされたからです。これほど世界中を混乱させた国民投票が、一票を投じる側も、扇動する側もこんなに軽い気持ちだったのか、と呆れてしまうほどでした。

そんな出来事を目の当たりにした後の参議院選挙でした。与党は憲法改正を前面には出してきませんでしたが、争点であることは明らかでした。これほど重大な課題を背負った選挙だったにもかかわらず、有権者の半数近い人々が棄権してしまった。このあまりの無関心さになんだか危なっかしさを感じたからです。ひょっとして“今”の日本社会は、私が認識している以上に病んでいるのかもしれない…。闇が濃いのかもしれない…。こんなことに関心が持てないほど現実が厳しいのかもしれない…。

「すると、主はこう言われた。『お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。』」(ヨナ書4章10〜11節)。

“今”の日本社会にどのように奉仕すればいいのか…。今日の宣教ということをもう一度考えてみたいと思っています。

むさしの教会だより7月号より:2016年7月 31日発行

巻頭言    浅野 直樹

「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみをうける。」
(マタイによる福音書 5:7)
「『わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ』
と主なる神は言われる」エゼキエル書18章32節

皆さんもご存知のように、熊本を中心に地震による大きな被害が出てしまいました。「えっ、九州で…」と思ったのは、私だけではないと思います。私はこの4月に大柴先生の後任としてむさしの教会に着任いたしましたが、前任地は静岡市の小鹿教会と清水教会でした。

ちょうど、あの3・11のあった2011 年3 月6日に按手を受け、五日後の11日に入院先のベッドの上(詳しい話しはまた今度!)で震度5弱の揺れを経験し、前述の前任地に赴いたのでした。正直、身内からは静岡に行くことに危惧の声も上がりましたが、あれから5 年、心配したようなことは幸いにして起こりませんでした。しかし、今度は初めての転任を経験した直後にまた大きな地震が起こってしまった…。なんだか複雑な思いです。直接被害に遭ったわけではありませんが、やはり色々と考えてしまいます。「神さまがいるなら、どうしてこんな惨たらしいことが起こるのか」。こういった大きな災害に直面したときに、多くの方々(私たちも含めて)がもたれる問いではないでしょうか。

前述のように、わたしは直接的には震災に遭った経験を持っていません。しかし、長男の闘病と死を経験いたしました。もちろん、全く違った経験です。しかし、長男の病気は「十万人に数人」という確率の脳腫瘍(髄芽腫)でした。正直、「どうしてうちの子が…」と思ったものです。七転八倒の毎日、神さまを恨む日々でした。
しかし、その最中(さなか)でこうも思わされてきました。当たり前のことに、当然のことに気づいていなかった、いいや、背を向けていたのではないかと。子供だからといって不治の病に罹らない保障など何もないのに、死なない確約など何もないのに、どこかで元気に生き続けることが「当たり前」だと思っていたのではないかと。そして、こうも思いました。実は、そんな「当たり前」と享受してきたものこそが奇跡なのではないかと。「当たり前」と思っていた家族、健康、平安、幸せ、生きるということが、実は奇跡の連続だったのだと。その「当たり前」を失って、ようやく気付かされたようにも思ったのです。震災は奪うだけでなく、多くのことに気づかせてもくれました。

ありふれた「当たり前」の幸せ、人の温かさ、絆の尊さ…。もちろん、そんなことで被害に遭われた方々の心は癒えないのかもしれない。「どうして」という問い、悲しみ、痛みは消えないのかもしれない。正直、私は未だにそれらの方々に語る言葉を見出せずにいます。しかし、だからこそ「信仰」なのだと思う。何事もなく無事に生きられるから、ではなく、それが私たちの現実でもあるから信仰なのだと思うのです。私は未だ答えを得ていません。正直、恨み節もあります。それでもいい、その問いは無くならないのだと思う。それでも、この信仰が…、「生きよ」と言ってくださる神さまを、イエスさまを信じる信仰が私を、そして長男を支えてくれた、守ってくれた、救ってくれたと心底思うのです。だからこそ、この信仰をますます養っていきたいし、この信仰を現実の世に、人々に伝えていきたいのです。

むさしのだより5月号 巻頭言

復活の主と出会うということ  浅野 直樹

聖書箇所:ルカによる福音書24章13〜35節

人生って、なかなか思うようにいかないものですよね。48年間生きてきた中で、私が悟ったことです(偉そうですが…)。でも、人生って「本当に不思議だ」とも思わされてきました。今、こうして皆さんを前にして説教をしていること自体も不思議でなりません。昨年の11月までは、こんなことはつゆほども考えていませんでしたから。それが、本当に不思議な導きで、こうして皆さんと出会った…。皆さんと共に教会生活を…、信仰生活を送らせて頂ける…。それは、まさに筋書きのないドラマ(神さまの筋書きはあるのでしょうが…)だと思います。

しかし、それ以上に私にとっての最大の不思議は、イエスさまとの出会いでした。本当に不思議と三十数年前(中学3年の時でしたが)にイエスさまと出会わせていただきました。この出会いがなければ、今、私はここに立っていることも、皆さんと出会うこともなかったでしょうし、それどころか、ここまで生きてこられたかどうかも怪しいものだと思っています。


今日は残念ながら、皆さんに私の人生の全てをお話しすることはきませんが、48年という中に私にもそれなりの人生がありました。辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、…正直、死んでしまいたい、と思った時期もありました。しかし、何度も何度も、乗り越えさせて頂いた、立ち上がらせて頂いた、道を正して頂いた、そう思うのです。年齢を重ねるごとに、経験を重ねるごとに、いろいろな壁にぶち当たるごとに、「信仰を持っていて…、いや、与えられて本当に良かった」と思わされてきました。まさに「不思議な恵み」です。そんな「不思議な恵み」の姿が、今日の日課にも描かれているように思います。

 今日の箇所は「エマオ途上」とも言われる有名な物語です。二人の弟子(12弟子以外の)がエルサレムからエマオに向かう途中、復活のイエスさまに出会うのですが、この二人にはそれがイエスさまだとは分からなかった、というのです。
 今日の箇所のポイントの一つは、この二人が「弟子」である、ということだと思っています。イエスさまを知らない、イエスさまを信じない人々ではなくて、イエスさまを知っている、信じている、イエスさまに従っている弟子であるこの二人が、復活のイエスさまのことが分からなかった…、気付けなかったからです。この二人もおそらく不思議とイエスさまに出会うことができたのでしょう。イエスさまの不思議な魅力に惹かれて弟子になることもできたのです。

19節にはこう記されています。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。……わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました」と言うほどに強い期待感を持っていました。しかし、後の箇所をご覧いただければ分かるように、十字架(苦難の意味)と復活のことについては全く分かっていなかったのです。ここに、なんだか私たちの姿と重なるところがあるように思わされるのです。もちろん、私たちの多くは受洗前教育を受けてきたはずです。堅信のための準備教育も受けてこられたでしょう。イエスさまの十字架の意味も、復活についても教え込まれてきました。だからこそ、信仰の告白もできます。

しかし、それらが『何よりもこの私のためであった…』ということになると、なんだか「ぼんやり」「おぼろげ」だったようにも思うからです。それが私たちの偽らざる現実の姿です。聖書を読んでいきますと、度々このような情けない弟子たちの姿を目撃致しますが、紛れもなくこの私たちも、そんな弟子たちに連なる者であることを思わされるのです。

 その弟子たちに、復活のイエスさまは近づいて来られます。確かに、その「鈍さ」を叱責されますが、それでもイエスさまは、その情けない弟子たちと一緒に歩まれるのです。ここに、もう一つのポイントがあります。やはり、イエスさまなのです。弟子たちではありません。弟子たちの頑張り、努力ではありません。弟子たちの聡明さでもありません。心が鈍く、すぐそばにおられる…、いいえ、すぐ隣におられる復活のイエスさまにも気づけなかった弟子たちにご自身を示されたのは、他ならぬイエスさま自身だったのです。なぜならば、イエスさまが人を…、私たちを救いたいと願っておられるからです。

私たちに復活の命を、永遠の命を与えたいと願っておられるからです。死に打ち勝つ…、たとえ死の床に伏すようなことになっても、絶対の平安・安らぎを、希望を与えたいと願っておられるからです。イエスさまこそが、私たちに熱心なのです。私たちは弱く、また鈍いのかもしれない。すぐに恵みを忘れてしまうような者かもしれない。しかし、イエスさまはこの私たちを見捨てることができないのです。諦めることができないのです。だから、隣を歩き続けられる。気づかれなくても、共に居続けてくださる…。そして、そんなご自身に、その存在に、その恵みに気づかせていってくださるのです。

 弟子たちは、「それがイエスさまだ」といつ気付いたのでしょうか。聖書の言葉が解き明かされ、パンが割かれたとき…、聖餐のとき、つまり、礼拝の場においてです。正直、いつもいつも礼拝の場でイエスさまを感じる…、出会えるということではないのかもしれません。それは、私自身も含めた牧師たちの大いに反省すべきところでしょう。それでも、イエスさまはここで働かれます。牧師の口を通して、用いて働かれます。聖餐式において働かれます。

「それがイエスさまだ」と分かる、分からされる瞬間がやってきます。目が開かれる…、復活のイエスさまと出会う瞬間がやってきます。その恵みの幸いに気づかされる瞬間が必ずやってきます。十字架と復活の意味がますます分からされていきます。いいえ、ここにおられる皆さんご自身がそれを体験してこられたはずです。ですから、このむさしの教会は90年の歴史を刻んでくることができたのでしょうし、今、皆さんがここにおられるのだと思うのです。

 是非、これからも、この私たちの礼拝の場が、いよいよイエスさまが働いてくださり、み言葉によって「心が燃やされるような」、復活のイエスさまと出会っていけるような、そんな祝福された場、時となっていけるように、不束者ですが皆さんと一緒に心を合わせていきたいと願わされています。
2016年4月3日 復活後第一主日礼拝

右みて左みて  徳弘 浩隆

 早いものでブラジルに7年となりました。貴重な経験をし、今後も牧師が交代で行くことは意味深いことだと思っています。総会では、JELCの牧師不足もあり私の延長した3年で宣教師派遣が終わると決められましたが、現地での日本人牧師の必要性や、牧師や教会の伝道スピリットをいきいきと保つためにも、交換牧師などの方法で道が続くように祈っています。

 さて、日本に帰ると街並みのきれいさや、秩序正しさ、お店の接客の丁寧さに驚かされます。大方のブラジル人は、明るくておおらかだけれども、いい加減で約束もあまり正直に守らない、なんて言われますから。しかし、日本では窮屈さも感じます。みな同じような服装、まじめなスタイル、仕事に一生懸命。そして他人と違うことをすることや、レールから外れた時の不安、そんなものにも気を使いながら生きざるを得ない様子も感じるからです。私たちは、それほど、生まれ育った環境や、周りの常識、人間関係に影響されて生きているのだと思います。

 今日の説教題は、「右みて左みて」です。小学生の交通安全教室のようですね。私たちは子供のころから、道を渡るときは、「右を見て、左を見て、もう一度右を見て、手を挙げてわたること」を教えられてきました。運転免許を取るときは、「右よし、左よし」と声に出して確認させられたりもしました。しかしどうでしょう、ブラジルではこれは通用しません。自動車が右側通行だからです。交差点では、まず左側を見なければなりません。左を見て車が来ていなことを確認して、次に右を見て奥のほうの車線にも車が来てないことを確認する、そしてもう一度左を確認して、車がいなければ速やかに渡るのです。つまり、右を見て左を見るか、左を見てから右を見るか、これは自動車が右側通行か左側通行かで違ってくるわけですね。しかし、私たちの習慣は恐ろしいもの。私はまだ、ブラジルでも「右を見て左を見て」しまいます。しまった、逆だった、と思い、きょろきょろ何度も左右を見るのです。

今日の聖書
 こんな話が今日の聖書とどんな関係があるのかと、思われるかもしれません。しかし私は、昇天主日の聖書を読んで一番に思い出したのが、この体験でした。イエスキリストが、弟子たちが見ている前で、天にあげられました。弟子たちは、それを見つめ、最後まで見つめ、もう見えなくなってもずっと、天を見ていたのでした。その時、二人の天使らしき人がこう告げます。「なぜ天を見上げて立っているのか」と。その言葉で弟子たちは、はっと我に返らされたのです。「名残惜しそうに、天ばかりを見つめていているばかりではいけない」と。彼らは足元を見つめ、それぞれの自分の生活、または使命に向かって歩き始めたのです。

振り返り
 私たちは、毎日、何を見て生活しているでしょうか?天ばかり見上げているかもしれません。いや、いつも、自分の足元ばかり見ているかもしれません。天ばかりを見つめている人はどうでしょうか?聖書を読んで、祈って、素晴らしい信仰かもしれません。しかし、自分や家族の生活が見えていないかもしれません。その苦しさや、悲しみに、本当に心を寄せていないかもしれないのです。足元ばかり見ている人はどうでしょうか?しっかりと確かに歩いているかもしれませんが、自分の足と見える道のりだけを頼りにし、時として迷い、疲れて座り込んでしまうかもしれません。

 私たちは、キリストの十字架により、信仰によって救われました。天を見上げて、感謝して歩んでいき、やがて行く天国を見つめて生きています。しかし、まだ続く地上の生活の、もろもろの出来事の中で生きてもいるのです。この天と地のギャップを、矛盾を埋めるために、キリストは来られ、十字架にかけられ、私たちと神様との仲保者になってくださいました。私たちキリスト者の生き方は、天を見て、地を見て、そして天を見上げながら、キリストとともに今を確かに生きるということです。信仰生活の交通安全標語を作るとしたら、「天を見て、地を見て、もう一度天を見て」という言葉がふさわしいかもしれません。

勧め
 私はブラジルで毎日のストレスと忙しさから、一人自分を外に置きたいと月曜日はできるだけお休みをいただいています。人のお世話をして、何かを教えるということが多いのが牧師です。重荷を感じても、日本語で相談できる牧師仲間も先輩牧師もそばにはいません。月曜日は、近所のカトリックの教会のミサに行ってみることが多くなりました。教えられる側、座っていて讃美歌を歌う側になるのも、新鮮なものです。

 ある日、神父さんがこう聞きました。「今日中に奇跡が必要な人は手を挙げてください」その日の聖書は、キリストが若者の病気を治すところでした。何人かの人が手をあげました。わたしも、つい挙げてみました。頭の痛い問題がいくつかあり、何とか解決しないかと、祈っていたからです。神父さんはこう続けます。「今は夕方の6時半、あと数時間しかないけれど、今日中に奇跡が必要なんですね?」と。みんなは、神父さんを見つめます。私も、この先どうなるのかとみていました。何かいいことが起こらないかとも思ってもいたからです。すると神父さんはこういいました。「ならば、神の国と神の義を求めなさい」と。「あー、そうだ。やられたなぁ」と思いました。

 私たちは、目の前に問題があると、そればかりを見つめさせられます。小さなものでも、どんどん大きく見えてきて、押しつぶされそうになります。しかし神父さんは、聖書の言葉をひいて、「まず神の国と神の義を求めなさい」といわれました。「そうすればすべてのものは添えて与えられる」と続くからです。下ばかり見ていた私たちに、上を見るように、天を見上げるように、促されたのです。
 私たちに必要なこと、それは、「右みて左みて右を見ること(日本では)」、そして「天を見て地を見てもう一度天を見上げること」。それが大切な信仰生活です。昇天主日のこの日、そのことを覚えて、神様とともに毎日を歩んでいきましょう。

brazil-tokuhiro

2016年5月8日説教

神はどこにいますか? 賀来 周一

熊本でこのような大地震が起こるとは、「まさか」と誰しもが思ったにちがいない。己の責任によらない不慮の出来事は人生につきものとはいえ、天災や不慮の事故、突然の病気は、常に「まさか」のこととして起こる。こういう「まさか」が起こると、しばしば「神はいるのか」、「こんな不幸をもたらす神は信じない」、「祟りだ」、「神の怒りだ」、「運命だ」などという言葉が巷間を駆け巡る。
 東日本大震災の直後、福島県のある教会から応援の依頼があった。教会には保育園が併設されていた。園児の家はほとんど被災している。漸く残った少人数の園児のために保育がなされているが、保育者も被災していて皆どうしてよいか分からない。応援に来て貰えないかとの依頼であった。阪神淡路大震災の時は、まだ体力があって、西宮の教会に泊まり込み、24時間対応の電話相談所を開設したこともあったが、今の体力では難しいと判断し「何としてでも行きたいけれども、年も年だし、瓦礫の片付けなどもできない。かえって足手まといになって迷惑を掛けるから」と返事をしたが「先生、いるだけでいいから」ということであった。その声の調子からして深刻な事態がありありと分かる依頼であった。急遽、他の先生に事情を話し、その先生に行って貰えることになり、ひとまず安堵の胸を降ろしたのだった。事態が危機を孕む時には「共にいるだけ」がもっとも重要な援助となることを知らされた経験であった。

 ドイツのルーテル教会の牧師であったフリドリヒ・ブルームハルトは、「神は上から眺めておいでになるだけの方ではない。神は地上の神であって、人間がもっとも困難とする場をご自身の働き場とされる。だから地上のことがイヤになったからといって,そこから目をそらしてはならない。世の中がイヤになればなるほど、そこに神の働き場を見る」と言う。ノーベル平和賞を受けたエリ・ヴィーゼルというユダヤ系アメリカ人作家がいる。彼の母と妹はガス室送りとなって殺された経験を持つ人である。彼の作品にユダヤ人強制収容所での出来事を記した『夜』がある。二人の大人と一人の子どもが絞首刑に処せられる。二人の大人はロープに吊されると程なく息絶えた。しかし、子どもは軽いので30分もロープが首に巻き付いたまま苦しんだのだった。その情景を描写しながら、彼はこう言う。「わたしの背後で『一体、神はどこにおられるのだ』と尋ねる声が聞こえた。・・・・・わたしは、わたしのこころの中に、ある声を聞いた。『ここに、この絞首台に吊るされておられる』」

 聖書の神は、<共に苦しむ神>であると言われる。ヴィーゼルはユダヤ教徒だから、当然この声の後ろにイザヤ書53章の苦難の僕の姿が思い浮かべたにちがいない。苦難の僕が新約に引き継がれると、それは十字架のキリストとして一層鮮やかに描き出される。十字架の上でキリストは、こう言われた。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と。ここに、苦しみをご自身に引き受けて、共に苦しんでくださる神が「おられる」ことを知る出来事を見るのではないだろうか。

むさしの便り 5月号より

そよ風『心の形状記憶』  秋田 淳子

形状記憶繊維って、ご存じですか?水につけて乾かすと、最初に記憶させていた状態(形状)に戻る様に加工された繊維のことで、例えばこの加工を施されたワイシャツは、洗濯した後そのまま乾かすだけで自然に皺が伸びるので、アイロン掛けが必要ないのです。

私たちも、毎日の生活を規則正しく過ごすリズムを最初に身体に記憶させておけば、例えそのリズムが崩れるようなことがあったとしても、すぐにまた元のリズムに戻ることが出来る… 一方、ダラダラと過ごすことを楽チン!と記憶した身体は、そのリズムが基盤になってしまっているので、規則正しいリズムに変わるのは、なかなか大変なことでしょう。

心も同じです。私たちが生まれて初めて神様と出会った日のあの喜びを、あの時の感動を、心がしっかり記憶していれば、たとえ人生の途中で神様から心が離れて歪んでしまう様な日々が続いたとしても、また元の状態に必ず戻ることが出来る。それは、心がちゃんと覚えているからです。神様を賛美すると、心が楽しくなることを。神様に祈ると、心が慰められることを。そして、何よりも神様と一緒にいると、心がピチピチ元気でいられることを!