むさしの教会とシンボル
「牧師先生の服装」
『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎
(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。
「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」
牧師の服装のことは種類が多く、たいへん複雑ですから、ここではこの教会で用いられているものだけを説明しましょう。

「黒いガウン」、普通の礼拝では、牧師先生は黒いガウンを着ておられます。これは教会的なものというより、アカデミックなものです。大学の場合、学位の種類によって、ガウンの袖や胸の開き等が違っています。ヨーロッパでは中世期の大学ですでに用いられていました。ルターの肖像画を見ると、大学教授の黒いガウンを着て教会で説教している様子が伺われます。宗教改革の指導者たち、ルターやカルヴァンやメランヒトン等は大学教授でした。そんなことからでしょうか、ルーテル教会等プロテスタント教会では、このアカデミックな黒いガウンが牧師の服装になっています。

「サープレス」 Surplice 、聖餐式の時、黒い式服の上に、白いリネンか絹のゆったりした膝までの長さの上着を着ておられるのが、サープレスです。これは紀元二世紀頃、ローマの上流社会の人々が着ていたトゥニカ Tunic から教会にはいったものだとされています。キリスト教が公認され、礼拝も荘厳になってくると、だんだん立派になり、聖餐式用の服装になってきました。これは、最初は白いリネン、あとでは絹も用いられるようになりました。これを着るのは義と聖によって新しくされた人であることのシンボルとされています。正式には、黒い筒袖の、裾が足もとまであるキャソック Cassock の上に着ます。
聖歌隊も同じようなものを着ています。聖歌隊は、昔は聖職者のつとめで、チャンセルの中で歌っていましたので、その名残りが今日に到っているのでしょう。

「ストール」Stole 、牧師先生が礼拝の時に首から掛けている細長い首掛けです。これも教会の古い伝統的な聖餐式用の服装の一つで、牧師の品位と権威のしるしとされていますが、本来はキリストのくびきのしるしであり、キリストの王国のために働く者の姿であって、不死の希望のシンボルともされています。ストールは教会暦の色にあわせた色布で作られ、キリストのシンボル等が刺繍されています。

「アルバ」Alb 、これもサープレスと同じトゥニカから出たものらしく、白いリネンで作られ、ゆったりした筒袖で裾は足もとまであります。そして腰を帯ひもで結びます。古くからの聖餐式用の服装でした。これは、ヘロデがイエスを辱めるために着せようとした(ルカ23:11)着物を暗に示しているといわれ、救い主キリストの血によってあがなわれた者の、貞節、純潔、永遠の喜びを示すものとされています。
少し説明が長くなりました。さてもう一度よくこの教会の内外を眺めて下さい。きっとまた違ったいろいろの意味を汲み取って頂けると思います。礼拝も大切なシンボルをもっていますが、このことについては、一般的になりますので、またの機会にゆずりましょう。
(以上の『むさしの教会とシンボル』のデータベース化は、教会員の橋本直大兄のご奉仕によりました。98/09/15)
「教会暦による色」
『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎
(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。
「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」
説教台と聖書朗読台に掛けられている、布の色に気がついておられますか。これは牧師先生のストールの色も同じで、教会暦によって色が変わります。これには教育的な意味もありますので、色のシンボルを説明しておきましょう。

「紫」、日本や中国では、昔から紫は高貴の色とされていました。例えば、「紫極」と言えば王宮のことですし、「紫宸殿」と言えば天子の御殿のことです。不思議なことにキリスト教のシンボルでもこの色は王者とか王権を示すのに用いられ、父なる神のしるしにもなっています。けれどももう一つの大切な意味は、悲しみと悔い改めです。
教会の色としては、待降節 Advent と四旬節 Lent に用いられます。待降節では、クリスマスを迎える心の準備のための悔い改めを示し、四旬節では、主キリストの苦難をしのび、悔い改めて、復活日の喜びを迎えるための、悲しみと悔い改めを示しています。牧師が首からさげる紫のストールには、図のようなイバラの冠と十字架の釘のシンボルがついています。イエスの受難を現しています。
「白」、これは魂の清め、聖化等を示す色です。詩編51:7には「わたしを清めて下さい、わたしは雪よりも白くなるでしょう」とあります。昔から受胎告知を描いた画家が、マリヤの着物を純白で描いているのも、そのためです。初代教会の聖職者たちは、白い衣服をつけていて、今でもそれは伝わっています。
教会暦の色としては、喜びを現すものとされています。そこで降誕祭 Christmas と、それに続く降誕後主日は白で、クリスマスイブの12月24日午後3時から紫が白に変わり、1月6日の顕現日まで続きます。それから復活日 Easter とそれに続く復活節、主の昇天日、三位一体主日、全聖徒主日、主の母マリヤの日(受胎告知日・3月25日)、変容主日(四旬節直前の主日)等に白を用います。つまり大きな祝祭日の多くは、白ということになります。
「緑」、これは植物の色、春の色です。冬の寒さを乗り越えた春の勝利、死を乗り越えた生命の勝利のシンボルで、福音の力、希望をも意味します。そこで、顕現節の間と、三位一体主日の次の日以降待降節(アドベント)の前までが、この色になります。この期間はキリストの地上生活とその教えが聖書日課に含まれますので、福音の勝利と永遠性を意味していると言えます。
「赤」、これは血の色で、教会では殉教者の流した血を意味していることは、会堂の入口の赤い扉のところで説明しました。その他火を現すこともあります。ですから教会暦では、多くの人々の流した血によって築かれた教会の大きな出来事の日に、この色を用います。先ず枝の主日、これは本来紫ですが、昔から堅信式が行われる日でしたから、もし堅信式があれば赤。それから聖霊が火のように降った聖霊降臨祭 Pentecost 。宗教改革記念日(10月31日)にも赤が用いられます。その他使徒たちの記念日、牧師の按手式、献堂式等にも用いられます。
「黒」、これは悲しみの色です。教会によると、イエスが十字架にかけられた受苦日(聖金曜日)にはこの色が用いられ、聖卓の上のものは取り除かれ、十字架は黒いお棺の被いをかぶせてしまうところがありますが、この教会では、黒はあまり使っていません。
このように、いくつかの色が礼拝で用いられていますが、昔からの習慣によるだけのもので、特別にこうしなければならない、というむづかしいものではありません。しかし一つ一つの意味がわかってくると、礼拝に出席する度に、いろいろのことを学び、礼拝が豊になるのではないでしょうか。
「大きな鳩」
『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎
(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。
「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」
ステンドグラスの向かって右側の壁面に、大きな鳩が下に向いています。これは聖霊のシンボルで、これも山本常一先生の作品です。

キリスト教美術の分野では、鳩はいろいろな意味に用いられてきました。先ずあの大洪水の時、ノアの箱舟から放たれた鳩は、オリーブの若葉をくわえて帰って来て、水が引いたことを知らせ、神様が人間に平和を約束されたことを示しているというので、平和のシンボルになりました。
もう一つは、モーセの律法に、幼な子を主に捧げる時、山鳩や家鳩をささげることがしるされています(レビ記14:22、ルカ2:24)。そんなことで、清めとか純潔とかのシンボルにもなりました。
しかしなんと言っても、シンボルとして一番広く用いられているのは、聖霊です。これはイエスが、ヨハネから洗礼を受けられたとき、聖霊が鳩のように天から下って、イエスの上にとどまったと聖書(マタイ3:16、マルコ1:10、ヨハネ1:36等)に記されているところから来ています。
鳩の頭のまわりに、光輪がついています。これは聖なるもの、栄光等のしるしです。
「純白のテーブル掛け」
『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎
(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。
「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」
聖卓は聖餐式を行うテーブルですから神聖な場所で、アグヌスデイの彫刻があるだけでなく、純白のリネンが聖卓一杯におかれ、両側に垂れ下がっています。
聖卓の上には無駄なもの、空っぽのものは置かないし、上に置くものも純正なものでなければならぬとされています。ですから、ナイロンの布や、造花等は用いないで、純粋の麻布(リネン)・絹布・自然の花が要求されます。
聖卓の上の純白のリネンは、十字架からおろされて墓に納められた時、イエスの身体にかぶせられた屍衣のシンボルだとされています。
「ローソクに点火の順序」
『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎
(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。
「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」
礼拝の前後に、アコライトがローソクに点火し消火しますが、あの順序に気づかれたでしょうか。
実は聖卓の向かって右は南側で、使徒書側と呼ばれ、昔はここで使徒書の日課が朗読されてきました。そして向かって左は北側で、福音書側と呼ばれ、ここで福音書の日課が朗読されました。
この教会では、聖書朗読台で聖書の日課を朗読していますが、外国では今でも聖卓の前に立って南側で使徒書を、北側で福音書を読むところがあります。

そこで古い習慣では、図のような順番で、南側の使徒書の側から始めて、北側の福音書の側に移り、消すときは逆に、福音書の側から使徒書の側に移ります。これはどうでもいいようなことですが、このようにちょっとした意味はあります。

「燭台」
『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎
(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。
「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」
聖卓の上には、ブロンズ製の燭台が六つ置いてあります。これも山本常一先生御自慢の手作りの作品です。光はキリストのシンボルです。それはヨハネ8:12の「イエスは、また人々に語って言われた“私は世の光である。私に従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう”」から来ています。
燭台が聖卓の上に置かれるようになったのは、紀元六世紀から七世紀にかけてのグレゴリオスの時代からだそうで、その頃は「過越のローソク」と呼ばれる大きな二本のローソクが、燭台に立てられ、中央の十字架を囲んで聖卓に置かれていたと言います。これは照明のないうす暗い会堂の中で、司会者の朗読を助けるための実用的な役目があったのでしょう。今では二つのローソクの光があれば、世の光であるイエスを示し、救い主の人性と神性を意味しているとも考えられます。
燭台には、いろいろの形があります。この教会では、一本ずつの燭台が左右三つずつ、合計六つならんでいます。六つの光は天地創造の六日間を示すとも言われますし、教会の絶えざる祈りの輪を示すのだと言う人もありますが、どうでしょう。礼拝の間に、じっとローソクの光を見ていると、いろいろのことが脳裡に浮かんできますが、それでいいのではないでしょうか。
「神の小羊」
『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎
(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。
「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」
聖卓を見て下さい。正面に山本常一先生の刻んだ「神の小羊」が、テラゾーで磨き出されています。
羊が十字架の旗をかついでいるのも、世の罪のために十字架にかかられたことを示していますし、同時に勝利のしるしでもあります。聖餐卓のシンボルとしては、一番適していると思います。
「神の小羊」は、ラテン語で Agnus Dei と言いますので、一般にはこのシンボルをアグヌスデイと、ラテン読みをしています。
「文字によるキリストのシンボル」
『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎
(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。
「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」
初代教会以来イエス・キリストを示すのにいろいろなギリシャ文字が用いられてきました。この教会でも、チャンセルの内部や牧師先生のストール等にも、いくつか用いられていますので、説明しましょう。

まず、ステンドグラスの一番上部を見て下さい。キリストのことを、ギリシャ語でクリストス XPISTOS と書きますが、その初めの二字 X と P を組み合わせたものがこれです。つまりこの大きなステンドグラス全体は、救い主キリストの全てを示したものであることを明らかにしているのです。

説教台の全面には、鉄細工で図のような大きな文字が、輪の中に刻まれています。これは聖書朗読台の方の小さな文字と共に前述の山本常一先生が、酸素を使って製作して下さいました。説教台の前にある大きな文字は、イエスというギリシャ語の IHSOUS 又はIHCUS の初めの三字を採ったものです。S とC はギリシャ語の変化で、どちらも用いられますが、文字自体は厳密なギリシャ語というより、英語のアルファベットが用いられています。
また聖書朗読台の前の文字は X P で、ステンドグラスの上のシンボルと同じですから、説明は略します。
「ステンドグラス」
『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎
(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。
「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」
さて、正面を見て下さい。目を見張るような大きいステンドグラスが、壁一面にはめ込まれています。

ステンドグラスが用いられるようになったのは、ロマネスク時代に教会の窓をかざるようになってからだと言われています。極く初期には、単に色ガラスのモザイクでしたが、それでも素晴らしい光の色彩を会堂いっぱいにあふれさせて、集まってくる人々の心をなごませていました。色としては、赤と青が主で、それに黄を加えて生気を与え、緑を加えて色の調子をやわらげていました。
そのうちに色彩だけでなく、預言者の像や聖者の姿等を描くようになり、ドイツ、フランス、イタリー等にゴシック建築が導入され、大きな教会堂がつぎつぎに建てられるようになる十二、三世紀頃からステンドグラスの黄金時代が始まりました。そして窓に描かれるものは、聖書の物語に題材を求めたものやキリスト教のシンボル等で、会衆にいろいろのことを教える大切な手段にもなりました。
さて、このステンドグラスはどうでしょう。これはアメリカのネブラスカ州のフリーモントにあるルーテル教会が改築することになり、今まで古い会堂にあった古いものを寄贈して下さったものですから、きっとそう古くはない、アメリカ製でしょう。製作技法もデザインも、色彩の使い方もごくありふれた普通のものです。

中央には、大きな「善き羊飼い」の像があります。そもそもこの題材は、四世紀初期のカタコンベの壁画にも描かれていますから、テーマとしては、古いものの一つです。もっとも初期のイエス像には口ひげがなく、上半身は裸の青年として描かれています。ですからこのようにひげを貯えた立派なイエス像は、十三世紀以降に見られるのであって、この羊飼いは極めて近代的な姿だと言えます。
イエスである羊飼いに抱かれたり、まつわりついたりしている羊は、人間を現わしています。もっとはっきり、これは罪人を示すものだと言う人もいます。
向かって左側には、図のような「バラの花」が見えます。バラの花は、シンボルとしては色々の意味があります。例えば、赤いバラは殉教者のしるし、白いバラは純潔を示します。しかしここでは、イエスの御誕生を示しています。イザヤ書35:1に「荒野と、かわいた地とは楽しみ、さばくは喜びて花咲き、サフランのように、さかんに花咲き」とあって、イエスの誕生を預言しています。日本語訳では「サフラン」となっていますが、英訳の聖書ではローズ、つまりバラ、になっています。これがバラなのか、サフランなのか、ユリなのか、学者には議論のあるところです。とにかくこのステンドグラスはアメリカでできたものですから、バラで、クリスマスのシンボルであることは確かです。雅歌2:1には「わたしはシャロンのバラ、谷のユリです」とあります。

右側には、図のような「ザクロ」が見えます。ザクロは、そもそも教会を示すのに用いられました。つまり一つの実の中に、無数の種がつまっていて、お互いにしっかり結びついているからです。しかし昔のギリシャ神話では、ザクロはペルセフォネという冥府の女神を指していました。この女神は、大地の生みの力を司るのだとされていて、冬の間は冥府にじっとしていますが、春になると地上に帰ってきて、自然界に生命をみなぎらせるのだ、と言われていました。これがいつの間にかキリスト教美術に採り入れられて、復活と永生のシンボルとなりました。ですからここでは、イエスの復活を示しています。
左のバラが降誕で、中央が私たち罪人をその愛の胸に抱いて下さる羊飼いイエスの姿、右のザクロで復活を示していますから、この三つで救い主イエス・キリストの全てが描かれているわけです。
更によく見ると、バラの上部にも、ザクロの上部にも「冠」があります。冠は初代教会の時代から、勝利、高貴等のしるしでした。ですから、イエスは誕生の時も王としての栄光を持ち、復活においても勝利の王として神のみ許にのぼられたことを示しています。
「会堂の内部」
『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎
(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。
「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」
会堂の扉を開けると、内部の全体が目に入ってきます。
会堂の内部は私たちクリスチャンがみんなで礼拝を守るところですから、きよい所で、そのための構造には、それぞれの意味があります。
まずこの会堂は、北が正面の聖卓の方ですが、実際の方角とは別に、伝説的に正面の聖卓の方を東、向かって右が南、左が北、入口を西と呼ぶ慣わしがあります。東は太陽が昇る所、西は沈む所、南は温暖で使徒書の所、北は寒くて福音の場所です。

手前には、会衆の座る席 Pew が並んでいます。そしてこの座席のあるところを、ネーブ Nave と言います。これはラテン語の舟 Navis ということばから来ていて、その意味は前述のノアの箱舟の説明で述べた通りです。ここは、静かに祈り、みことばや説教を聞く所です。
その向こうの、少し高くなった所、会堂の東の隅をチャンセルと言います。チャンセルは英語の Chancel で、ラテン語の Cancelli latice (格子の仕切り)から来た言葉です。ネーブと仕切りで区別された場所で、辞書を見ると内陣と訳されていますが、それでは何だかお寺の感じがしますし、普通は使い慣れていないので、チャンセルで通します。
メソジスト教会系の本郷中央会堂や銀座教会、組合教会系の霊南坂教会、長老派系の富士見町教会等、プロテスタントの他の教会に行きますと、チャンセルに当たる所が、うんと高くなって、中央に大きな講壇が置かれ、講壇のうしろの正面に大きな椅子があって、牧師先生が座るようになっています。これは礼拝の一番の重点が説教に置かれているからで、わたしなどは、何か威圧を感じます。これは礼拝についての考え方の相違も大いに関係があるようです。正面の高い所から語られるみことばを聞くのも大切ですが、私たちルーテル教会は、みことばと聖餐を中心にし、みんなで神を讃美し、罪を告白し、みことばを聞き、捧げものをし、聖卓をかこんで聖餐の恵みをうけるのが礼拝の大切な点ですから、会堂の造りも、そのように出来ています。
会衆席(ネーブ)とチャンセルの境には、御覧のように仕切りのレールの名残があります。昔は聖職者と一般信徒の区別がきびしくて、この境にはカーテンまでついていることがありました。そして信徒はチャンセルにはいることが出来ず、レールの所にひざまずいて、聖餐をうけていました。今ではそんなきびしさは無くなって、私たちはチャンセルの中に入り、聖卓を囲んで聖餐を受けています。

聖卓のまわりが少し高くなっています。ここをサンクチュアリー Sanctuary と言います。聖所とでも訳したらいいのでしょうか。


「赤い扉」
『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎
(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。
「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」

平素はあまり気にせずに通っておられる方が多いかと思いますが、玄関の扉の色を覚えていらっしゃるでしょうか。
日本ではあまり見かけませんが、わざわざ赤い塗料が塗られています。この赤い色は血の色で、救い主キリストのため、キリストの体である教会のために殉教していった人々の流した貴い血のシンボルです。初代教会のキリスト者たちは、ローマ帝国の迫害や異教の未開人の乱暴にあい、たくさんの人々が信仰を守って殉教の血を流しました。
教会は、長い歴史の中でこうした人々の貴い血潮によって築かれ、支えられ、守られて来たのですから、そのことをしのび、赤い扉を押し開くたびに、感謝の気持ちを深めるわけです。
(編集者註:その後、玄関部分は改築され、現在では赤い扉ではなくなっています。)
「定礎石」
『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎
(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。
「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」

玄関に入る直ぐ手前の右の壁面の下部には、定礎石が埋め込まれています。
昭和32年11月、この教会堂の定礎式が行われた時のもので、教会の役員であった元海軍中将和田秀穂さんが達筆を振るわれました。
「キリストは隅の首石たり」というエフェソ書2:20の聖句は、この教会堂が主イエス・キリストを土台石として建てられたものであることを示しています。
(編集者註:その後、増築に当たって、定礎石はさらに右側に移動されています。)
「十字架のしるし」
『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎
(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。
「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」
教会の塔の上には十字架が立っていますし、教会の中にも、いろいろな所に十字架のしるしを見ることができます。十字架がキリスト教を示し、キリストの受難を示し、罪のゆるしの恵みである福音を示すものであることは、皆さん御存知の通りです。ですから昔から教会堂の屋根の上には、必ず十字架が大きくそびえて、キリスト教会の存在を示してきました。ヨーロッパでは、ずっと初期から十字架をつけた教会堂が部落の中央に建てられ、それを中心にしてそのまわりに住宅が集まって町や村が形成されています。
ここでついでに、いろいろの十字架について説明をしておきましょう。

「ラテン十字架」
この図のように、上と左右の三つは同じ長さで、下が少し長くなっています。伝統では、イエス・キリストはラテン十字架につけられたのだと言われています。古い美術作品をみると聖フィリポがこの十字架を手に持っている姿が描かれていて、これは聖フィリポの十字架とも言われていますが、多くのラテン系の西方教会の聖者たちも、この十字架を持っている姿が描かれています。ですから、これはラテン十字架と言われているのでしょう。一般には、この十字架が一番広く用いられています。

「ギリシャ十字架」
天地左右が同じ長さの、真四角の十字架です。歴史的には、キリストやキリストの受難を示すというよりも、キリスト教会を指す場合に用いられたものだと言われています。

「聖アンデレの十字架」
これは余り見かけませんが、斜めになったX字形の十字架です。伝説によりますと、使徒聖アンデレが、晩年捕えられて殉教の死を遂げた時、十字架につけようとしたら、「恐れ多いからイエスさまの十字架と違った斜めの十字架につけて下さい。私にはあがない主イエスさまと同じ十字架につく資格がないのですから」、と申し出、望み通りこの斜めの十字架にかけられたのだそうです。そこでこれは聖アンデレの十字架と呼ばれています。ですからこの十字架は、苦しみにおける謙遜のシンボルと言うことができます。普通はあまり見かけませんが、北欧の国の国旗には用いられているようですね。

「T形十字架」
ギリシャ語のアルファベットでは、Tのことをタウと言うので、タウ十字架とも言います、これは上がない珍しい十字架です。ある場合には、旧約の十字架とも言われています。それは、モーセが荒野で蛇をあげた時に用いた竿がこの形をしていて、そのことが十字架にあげられたキリストの予表であるとされているからです(ヨハネ3:14)。伝説によると、聖フィリポがこの形の十字架につけられて殉教したとされていて、聖フィリポの十字架とも言われています。

この他、ラテン十字架の中に輪が入った「ケルト十字架」とか、足台のついた十字架等もあります。
さあ、それでは、この教会の塔屋の上を見て下さい。ここにもちゃんと鉄の十字架がついています。縦が長いので、ラテン十字架だということがわかります。しかし上が大分のびているので、少し変形のようですね。これは、ここがキリスト教会だよ、というPRの意味もありますが、同時に、この家はイエス・キリストによって建てられたものであり、イエス・キリストのものであることを示しています。

更によく見ると、十字架の根もとに、円い球があります。これは地球を意味しています。この地球は、父なる神の統べたもうもので、そのうえに十字架が立っているのは、キリストの福音の恵みは、地上の全てのものに及ぶものであることを示しています。残念ながら長年の風雨に晒されてすっかり錆びつき、十字架も傾く程に痛んでいます。早く修復されることを願っています。(編集者註:その後修復されていますのでご安心ください。)
「ノアの箱舟のレリーフ」
『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎
(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。
「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」

門を入ると直ぐ左側の壁に、ノアの箱舟の雄大なレリーフがあります。新制作派協会の重鎮で彫刻家の山本常一先生が、会堂を建てる時に全面協力して、いろいろなものを造って下さいましたが、これはその中の重要作品の一つで、『芸術新潮(昭和33年6月号)』にも紹介されました。
新約の時代から、旧約聖書はいつも新約聖書との関連で理解されました。ですから旧約聖書の中のノアの箱舟の話は、教会の姿を示すシンボルと考えられています。それは、すべてのものが洪水のために滅ぼされて時、ノアの箱舟は選ばれたものを守って、波間をただよい、これを無事救いました(第一ペトロ3:20)。
聖アンブロシウスは、その著書の中で、教会を舟にたとえていますが、その根底には、ノアの箱舟の話があるようです。
WCC(世界キリスト教協議会)のマークに、小舟が用いられているのは、御存知の方が多いと思います。

教会堂
『むさしの教会とシンボル』 文と絵 青山 四郎
(むさしの教会文庫 1980年 4月20日発行)
むさしの教会元牧師の青山四郎牧師による文章です。
「むさしの教会に出入りしておられても、意外に皆さんが御存知ないことが多いのではないか
と思いますので、気付いたことを書きならべてみることにしました。御参考になれば幸いです。」
聖書には、教会という言葉がたくさん出てきます(マタイ16:18、その他)。教会はギリシャ語ではエクレシアと言いますが、もともとこれは「呼び集める」という意味であって、会衆とか人々の集合体とかを差すようになりました。つまり教会は建物ではなくて、信者の集まりであることを意味しています。イエスがおっしゃった場合も、その意味であったに違いありません。
初代教会の信者たちは、初めの頃は個人の住宅で、お天気の好い日には海辺や森の樹かげで、迫害が激しくなった時代には地下墓所(カタコンベ)に集まり、讃美歌をうたい、聖書を読み、祈りをし、説教を聞き、聖餐式を守っていました。
教会堂ができるようになったのは、二世紀後半以降ではないかと言われています。それは一つには信者が急速に増えてきて、小さな個人住宅では狭くなってきたこと、もう一つは有力者やお金持ちや権力を持った人たちが入信するようになり、大きな建造物をたてることが可能になってきたからだろうと思います。ですから教会堂は、御本尊を祭る神殿や寺院とはまるで別のもので、本来説教を聞いたり、聖餐式を守ったりするための場所にすぎません。
教会堂ができるようになると、ダビデやソロモンの神殿が思い出されたのかも知れませんが、いろいろのモザイク、絵画、ステンドグラス、彫刻等で、会堂の内外が飾られるようになりました。それは装飾の意味もありましたが、同時に集まってくる人々のための教育の意味もありました。そこでそのために、いろいろのシンボルが考え出され、用いられるようになりました。
最近ルネッサンスからバロックにかけてのキリスト教美術作品が、日本でも盛んに紹介されていますが、キリスト教のシンボルのことをはっきりつかんでいないと、正しく理解することがむづかしいでしょう。
さて、教会堂には、いろいろの建築様式があります。初めは、ローマの法廷をモデルにしたバシリカ様式のものから始まり、ビザンチン様式、ロマネスク様式、ゴシック様式と発展して、今日の現代風のものに到っています。
くわしい説明はまた別の機会に譲って、それでは私達の教会は何様式でしょうか。これは設計された河野通祐先生に伺ってみなければわかりませんが、素人の目から見ますと、どうやらそんな様式は乗り越えて、日本的な貧しい予算と資材にしばられた、極めて実用的な建築物だと言えるように思います。そんなことはいつかゆっくり河野先生から伺うことにして、入口から御案内しましょう。