徳善義和牧師説教集
説教集 あとがき
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
ここに、徳善義和牧師の説教集を皆様にお届けできますことを嬉しく思っております。
私たちが、石居基夫牧師をアメリカにお送りした昨年の春から大柴譲治牧師をお迎えする今年の夏までの一年余りの間、お忙しい立場にあられながらも主管牧師として、臨時体制の下にある武蔵野教会を支えてくださった徳善牧師への感謝の気持ちを込めて制作いたしました。
これは、毎月の『むさしの教会だより』に掲載させていただいた説教(概要)に、その日の日課の聖書(全文)を添えたもので、この一冊があれば、いつどこででも聖書と説教を一緒に読むことができます。また、表題には聖書(ローマの信徒への手紙10章17節)(新共同訳・ルターの独語訳)を使わせていただきました。
徳善牧師と教会生活をご一緒した時間は、私たち一人ひとりの中に大切な思い出として、そして、武蔵野教会の歴史の中の1ページとして今、残ろうとしています。
“徳善先生、本当にありがとうございました”
1997年 8月10日 秋田淳子(むさしのだより編集長)
説教 「信仰は神の働き」 徳善 義和
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
マルコによる福音書 5:21-43
この日課を「マルコはサンドイッチが大好き」という題で呼んだら、みなさんはどう思うだろうか。マルコとサンドイッチ、一体どうつながるのか。どんなサンドイッチだろうとか、マルコの好きなサンドイッチでは、パンが大事か、間に挟むものが大事かなどと考えてみるのも楽しいではないか。
でもマルコは確かにサンドイッチが好きなのである。ひとつの話の間に、他の話を挟むという、語りの手法である。数えてみると、この福音書全体の中には、こういうサンドイッチが七個所はある。既に今年の主日の日課で取り上げてきたところでは、2:1-12がそうだった。イエスのことばに聞く大勢と、イエスを論難する律法学者との間に挟まれて、中風の者のいやしの奇跡があり、単なるいやしの奇跡物語から、ユダヤの宗教指導者とイエスとの深刻な論争へと緊張が高まっている。
先日読んだ3:20-30もそうだ。イエスを取り押さえに来る身内のものと、外でイエスを捜す母、兄弟姉妹の記録に挟まれて、「ベルゼブル論争」がある。ここでも、マルコにとって大事なのは、挟まれているものではなくて、挟んでいる状況である(同じく「ベルゼブル論争」を伝えるマタイやルカにとっては、この論争の方が重要と思われたので、この枠をすっかり換えることになった)。つまり、イエスの身内や家族以上に、イエスと群衆との間には密接な関係があったことを緊張を込めて伝えるというのがマルコの関心事だったことが分かる(これから読む6:7ー31、11:12-26なども同じくサンドイッチだ)。挟まれているものもそれぞれにとても大事だが、それによって挟んでいるものの重大さが一層の緊張をもって明らかになるというのが、マルコの意図するサンドイッチ効果である。
他の場合と違ってユダヤ教の指導者のひとり会堂長がイエスの助けを求めに来るというのも異常な事態である。イエスはこの求めに応えて彼と共に出掛ける。この途上で「12年間出血の止まらない女性」の一件が起こる。この女性にとって、病には万策尽きた状態であり、「服に触れでもしたら」というはかない思いがある。しかし、事態はそう展開し、力の働きをイエスはお感じになる。しかし、それに時間をとられた。会堂長ヤイロの娘にとっては、事は遅すぎることになった。「死にそうな」娘は「亡くな」ってしまった。泣きわめく人々の中に入ったイエスは少女の手を取ると、「タリタ、クム」(これが訳の分からない呪文であるという印象を避けるために、マルコはイエスの話したアラム語をギリシア語で説明した)と声をかけて、少女を起き上がらせる。とりわけ特別な状態における、イエスのいやしの奇跡の連続である。イエスの力が一層強く示されていることになる。
二つの場合に「あなたの信仰が」、また「ただ信じなさい」と信仰への言及があることに注目したい。イエスのいやしの、すぐれた力に対応する、人間の内の、強い信仰が指摘されているのだろうか。そうではない。人間にとっては所詮「主よ、信じます。信仰のない私を」(9:24)というほかないのではないか(少なくともマルコは繰り返しこのことを伝えている)。そうならむしろここではルターである。「ローマ書序文」で彼は「信仰とは私たちの内における神の働き」と言い切る。それだけに、続いて「信仰とは神の恵みに対する大胆な信頼」、神とすべてのものへの感謝を説く。
(1997年 7月27日 聖霊降臨後第10主日)
説教 「一緒に食事」 徳善 義和
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
▼説教「一緒に食事」▲
マルコによる福音書 2:13-17 徳善 義和
イエスは悠々と時を過ごしていた。福音書が伝えるイエスは、その教えと働きの中でいつも悠揚迫らざる、ゆったりとした方である。論敵が現れても、慌てたり、身構えたりしない。突然ご自分の前に姿を現した人にでも、ひとりひとりに静かに対応しておられる。旅の途上でも、予定も忘れて、ひとりの人のいやしに全心を注がれる。しかし、考えてみると、イエスの時は限られていた。ほかの人たちはもちろん、弟子たちすら知らず、気付かなくても、イエスご自身だけは、ご自分の時が真に限られていることをご存じだった。
時が限られているとしたら、そしてそのことを知っていたら、私たちは何を考え、何をするだろうか。自分のために何をするだろうか。だれのために何をするだろうか。いずれにしても、限られた時を精一杯過ごそうとするに違いない。そういう人たちがをこの群れの中にもはっきりと、また隠れた形でいることを知って、牧師として私はそうしたひとりひとりを心に思って、ひたすら祈る。そして、私たち皆が、そうとは知らず、気付かず、心に留めずにいても、私たちのひとりひとりの時が限られていることもまた、厳粛な事実である。この限られた時の中で、たとえば私たちはだれと食事をしたいと思うだろうか。
イエスがレビの家で、弟子たちと一緒に、レビの仲間の「徴税人や罪人」と食事をなさったとき、ファリサイ派の律法学者は律法違反としてこれを咎めだてする。この事態をこうした観点からしか見ない。いやしくも人に教える教師であるイエスがこのような人々と食卓を共にするなどということは、あってはならないことなのである。イスラエルの、ユダヤ教の教えや常識に反することをイエスは公然とやってのけている、このこと自体が確かに注目に値する。
イエスがレビを始め、「徴税人や罪人」とみなされる人々と食卓を共にすること自体確かにファリサイ派の律法学者のように否定的にではなく、肯定的に見たとしても、これは格別のことなのである。しかし、この格別さにはさらに今一つの格別さが決定的に加わっていることに気付いて、今回この説教の準備をしながら、私は驚きに打たれているわけである。
この食事が、イエスには分かっている、限りある時のなかで起こっているという重なりである。イエスはこの限られた時の中で、あの時、この人々と食事を共にしようと、心を定めてあの場におられたということである。思い定めて、地上の生を生きるイエスの愛に、イエスの姿に打たれたい。
初代教会は「時の切迫の中で生きること」を、イエスの弟子たち、イエスを信じる者たちの生き方とした。その時人々の心に浮かんだのは、論敵が仕掛けるあの論争に臨んで、イエスご自身にははっきり分かっていた時の切迫の中で、思いを定めて、ひとときをあのように、恐らく外から見れば、悠々と、「徴税人や罪人」とファリサイ派などの人々からはレッテルを張られていた人たちと食事をしておられたイエスの姿であった。それは「時の切迫の中で」、他者と、それも他者のために、愛をもって徹底的に生きようとなさるイエスの姿にほかならない。
あの論争の中で、論争を超越して見えてくるイエスの生きる姿から、私たちひとりひとりへの、愛のメッセージ、また呼びかけを聞き取りたい。
(1997年 6月 8日 聖霊降臨後第3主日)
説教 「聖霊に導かれて」 徳善 義和
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
ヨハネによる福音書 15:26-16:4a
新約聖書では聖霊は、「霊」や「み霊」と言う表現でも出てくる。これをおおよそのところだが、数えてみると、マタイでは11回、マルコでは10回とほぼ並行している。しかし並行していいはずのルカでは24回も出てくるし、同じ著者の使徒言行録ではなんと52回も出てくるのは当然と言えば当然の気もするものの、両者合わせて抜きんでていると言ってよい。これらは主として、聖霊の働きについての言及である。これに対してヨハネでは18回出てくるものの、そのうち16回はイエスのおことばの中で、聖霊について教えておられる場合である。無味乾燥な数字からも見えてくるものがあろう。聖霊降臨日の聖書日課では、使徒2:1-21を読んで、聖霊の働きの頂点でも、原点でもあるできごとについて聞き、ヨハネ15:26以下によって、イエスのおことばに即して「聖霊とはなにか」を学ぶのである。
イエスは聖霊を「弁護者」と呼ばれる。傍らに立つ者である。助け、導き、弁護し、支える方である。弟子たちは決してひとりで立ち、ひとりで行くのではない。常に傍らに立つ方がいてくださるのである。お遍路さんがひとりで巡礼していても「同行二人」(どうぎょうににんと読む)と背に記すという。私は、イエスの言われる聖霊こそ、私にとって、言葉の真の意味で「同行二人」なのだと信じる。しかもこの同行は、助け、助けられ、支え、支えられるような、相互の関係ではない。いわば、傍らに立ち、同行する聖霊が常に一方的に助け、支え、導き、弁護するのである。イエスの約束にしたがって、私たちひとりひとりにこの同行が与えられている。
この聖霊は「真理の霊」である。同行して、真理を示す。これには「真理/真実」と重ねてかいておくとよいような意味合いが込められている。イエスが「私について証しをする」と言っておられるのだから、「キリストであるイエスの真理/真実」を明らかにするわけである。キリストはどのような方であり、なにをなさったか、なにをなさるかを告げるのである。聖霊の助け、弁護、証言はこの点に集中する。この点に尽きると言ってよい。徹頭徹尾キリストを証言するのである。
使徒たちは、この聖霊という同行者の助けを得て初めて、キリストを証しすることが可能とされる。使徒2:1以下はその決定的な出発点、原点についての記録である。それまで部屋に閉じこもっていた彼らが、人々の前で語りだすのである。使徒たちひとりひとり、それぞれの心に刻まれたイエスのことば、働きを、救い主キリストのことば、教えとして語り始める。それぞれユニークに語りながら、多様さの中で豊かに、唯ひとりのキリストについて証言する。この導きが今もなお、神のできごとを人間が人間の言葉で語り伝えること(説教や証しなど)を可能にしているのである。
しかし、聖霊に導かれる使徒たちのキリスト証言は迫害の状況ももたらす。歴史の中でも起こりつづけることである。そのただ中でも聖霊の助けがキリスト証言に留まらせる。1934年ヒットラーの支配と、教会制覇が始まったころ、これに反対して立ったドイツの「告白教会」が出した「バルメン宣言」と呼ばれる文書の一項を思い起こす。「聖書において我々に証しされているイエス・キリストは、我々が聞くべき、また我々が生と死において信頼し、服従すべき、神の唯一のみこと場である」。
(1997年 5月18日 聖霊降臨日)
説教 「いつくしみの絆」 徳善 義和
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
ヨハネによる福音書 15:1-10
聖書を、とりわけ主日の聖書日課を私は、キーワードを探しながら読む。しかし自分勝手にキーワードを探したり、選んだり、決めたりするわけではない。多くの場合、与えられた聖書をよく読んで、解釈したうえで神学的に中心だと思われるキーワードを探しだす。その上でさらに、それがキーワードだというある程度の客観性を求める。
きょうのヨハネ15章の冒頭、「ぶどうの木」の段落もそうだ。ぶどうの木が単なるたとえに終わらないためにも、この段落でキーワードを確認しておくことは欠かすことのできない作業だと思う。私がここでキーワードとして注目し続けているのは「つながっている」、「とどまっている」と訳されている動詞である。この動詞は、新約聖書で合計118回使われているが、そのうち三分の一以上の40回はヨハネ福音書に出てくる。ヨハネの名の付いている他の文書で24回だから、両方加えると実に半分以上がヨハネ文書で使われていることになる。だから、この動詞がこの福音書で内容的に重要な意味を担っているということの客観的な証拠にもなる。
ところでこの動詞は本来「時間がずっと続く」とか、「ある状態がずっと続く」という中立的な意味を持っている。しかし、ギリシアの思想世界でも、これが神的なものについて言われるときには、「不変である」、「(関係が)変わらない」という意味で使われる。ギリシア人は神的なもの、絶対的なものにこれを当てはめて、神的なものは不変、不動、無感動とした。ヨハネ福音書はこのギリシア的な考え方を一応取り上げながら、これに激しく挑戦したわけである。つまり、この不変の神が変わることを、「ことばは肉体を取って、私たちのうちに宿った」(ヨハネ1:14)と告げたのである。この神はこのように変わって、痛み、苦しみ、感動する。
ではギリシア思想と違って、ヨハネ福音書は、神の不変をどう理解し、どう宣教しようとしたのだろうか。3:16は神の徹底的な愛を注げる。つまり、神はまさに愛において変わることがない方である。しかし同時に、この変わらない愛のゆえに、神は人となり、苦しみ、人を救うことができた。愛において不変、しかし愛のゆえに大胆に可変という神とキリストの姿を基礎として、ヨハネの15章の「ぶどうの木」のメッセージは本当の姿を現す。イエスはぶどうの木をたとえにお用いになったのではなくて、愛のゆえに自らがぶどうの木「である」と言っておられる。
この間樹木についてのテレビ番組をたまたま見た。ある装置を使って根から吸い上げられた水が木の幹を通って音を立てて枝々へと流れていく様子が、すざまじい音となって聞こえていた。とっさに私はこの「ぶどうの木」であるイエスを思い起こした。イエスは「ぶどうの木」のたとえをお語りになって、「私はぶどうの木を表す」と言われたたのではない。まさしく「私はぶどうの木である」と言われた。この木、この幹から枝々へといのちが、愛が音を立てて流れているのである。
流れるいのち、流れる愛をいただいて、私たち自身のいのちが成り立ち、愛が働く。重体の我が子を前にして「神様、どうかこの子をもう一度温かい体で私の腕に抱かせてください」と祈った母親が、重度の障害を持つことになったこの子を愛の中に支えとおして16年、「神様は愛をもって私の祈りに応えてくださった」と言って、同じく重い障害の子と親のために働く話を感動をもって聞いた。
(1997年 4月27日 復活後第4主日)
説教「復活の最初の証人たち」 徳善 義和
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
マルコによる福音書 16: 1- 8
復活の最初の証人たちは三人の女性であった。マルコは、これら女性たちとその情景を物語るように生き生きと我々に伝えている。論理的には首尾一貫しないような証言がかえって、ことの真実をもって我々に迫る。
彼女たちは準備している。「香料を買い求めた」。心こまやかな準備である。彼女たちの愛の思いが伝わる。悲しみの中でもなすべきことを備えている。
彼女たちは待ちかねるように、朝まだき、すぐ墓に急ぐ。これも彼女たちの心の備えを示している。悲しみの思いで夜の明けるのを待っていた様子が分かる。まだ足元も覚束ない明け方の道を急ぐ彼女たちである。「だれが、石をころがしてくれるのでしょう」と話しあった様子までが生き生きとしている。自分たちには準備できないこと、果たせないことの確認でもある。
しかし、神の出来事は彼女たちに先行する。「早朝」と人が考え、行動を起こすより先に、神は働きだす。神の働きはいつでもそうだ。人の思いに、あるいは反し、あるいは先立つ。人の憂慮にも先行する。口々に話し合いながら墓に向かい、墓に着いた彼女たちの前には「石はすでにころがしてあった」という事実があった。
彼女たちは「非常に驚いた」。驚きに打たれたのだった。思いもかけず墓の中にいた若者の存在に、そして、その若者が告げることに。「空の墓」の事実は、見て分かる以上に、そう告げられていっそう彼女たちの驚きを増幅する。この「空の墓」の事実は、「イエスはよみがえって、ここにはおられない」という復活の告知によって裏打ちされる。
彼女たちはこうして「空の墓」の最初の証人となり、「よみがえって、ここにはおられない」ことの目撃者となった。そればかりでなく、彼女たちは伝えるべきメッセージを托される。ガリラヤへと先立ち行かれる、復活のイエスとの再会の約束の伝達である。
すべて思いもかけず、一気に起こった一連の出来事に、彼女たちは打たれる。非常な驚きは「恐れ」になる。「おののき恐れながら、墓から出て逃げ去った」とマルコ福音書は伝えている。これは、福音書が告げる神顕現のさまざまな出来事の前で、人がもち、また、見せる共通した反応である。ここから逆に我々は、神顕現のただ中に身を置くことになった彼女たちの姿の真実さを読み取ることができる。これは人間的な恐怖ではなく、神の前に、神の働きのただ中に置かれた者がもつ、いわば総毛立つ、深い恐れ、畏怖である。
この畏怖の中で「正気を失う」(口語訳)。「なにも言」えない。見たことも、聞いたことも、伝えるべきことも、「人には何も言わなかった」。復活の出来事に打たれる、それも口もきけないほどに打たれる。我々はここから、神ご自身の働きの事実を読み取るべきなのである。
「私の神学は十字架の神学である」と言ったルターは、いくつも手掛けた会衆讃美歌の中で、受難と十字架の讃美歌を作らなかった。残されているのは復活の讃美歌である。「キリストは死の布に横たわっていた」(教会讃美歌97)を見ても分かる。受難と十字架、その戦いを復活と勝利の相のもとで歌ったものである。彼の十字架の神学は十字架に止まってはいない。十字架を突破して、神の出来事としての復活に向かう。だから、「生の中にあっても、我々は死のただ中にいる」と歌う中世の宗教歌を「律法の歌」と断じて、彼は逆転させ、「死の中にあっても、我々は生のただ中にいる」と「福音の歌」に歌い変える。
聖金曜日には、ルターのこの讃美歌を、バッハが教会カンタータに作曲したものを共に聴いた。復活が十字架と死をまさに呑み込んでしまった、勝利の歌である。我々は自らの生も死も思う。しかし、主の復活を祝うということは、自らの生も死も、この勝利の相のもとで見ることにほかならないのである。
(1997年 3月30日 主の復活日)
説教 「荒れ野で」 徳善 義和
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
マルコによる福音書 1:12ー13
人は荒れ野でほんものに出会うのかも知れない。アフリカはカクマの難民キャンプでの、夏のボランティア活動を終えて帰ってきた学生から、そのような状況の中で礼拝に集まり、礼拝を守り、キリストのみをよりどころとして生きる人々の姿に迫られたと話しを聞いた。私も10年前インドで、辺境の、低いカーストの人たちの村でそうした体験をしたことがある。一生懸命、心から喜んで、神の家すなわち自分たちの家、教会とその礼拝に集まり、インド風のメロディーの讃美歌を歌っている姿には、ないものづくしの寒村で「聖徒の交わり」と出会ったという、厳粛な思いに導かれた。極端な貧しさへの同情などを越えた、衝撃的とも言える思いである。
「荒れ野の誘惑」の記事はマルコ福音書において、依然として「神の子イエス・キリストの福音の初め」に属する。マタイやルカ(いずれも四章)と違って、イエスとサタンとの問答を伝えずに、マルコは簡潔に「荒れ野のイエス」を我々に伝える。
イエスを荒れ野に導くのはほかならぬ「神の霊」である。荒れ野に導くものは「逆らうものの力」、「闇の力」、「サタンの力」であると、我々は認識しがちである。しかし、イエスは「神の霊」によって荒れ野に送り出されている。我々が荒れ野と思うところに導かれる場合も、そこに愛である神の霊の働きを見るべきでなかろうか。
神の霊に導かれて辿り着く荒れ野で初めて、「サタン」が誘惑する。そのようなとき我々の目には、「誘惑するもの」がすべてであり、ほかの何物も見えない。だから我々はまともに誘惑のただ中に落ち込んでしまう。イエスの40日間は違う。サタンの誘惑を「神の霊の導き」のもとで受け止めるからである。目に見えるところと違ったことが荒れ野の誘惑のただ中で見えてくる、体験できることになる。荒れ野にあるものと、ないものとが全く別のものとしてとらえられることになる。霊をもって導かれる神の愛のなかですべてを見、体験することになるのである。
イエスの導かれた荒れ野において、イエスの回りに立ち現われるのは「野獣」である。恐るべきもののイメージでとらえられるものである。「40日の間、野獣がイエスを脅かし、恐れさせたが、イエスはそれに耐えた」とあってもおかしくない。しかしマルコは、我々の表象に反して、イエスは「野獣と一緒におられた」と伝える。導かれた荒れ野でサタンの誘惑を受けながら、イエスは自ら進んで、そこで「野獣と一緒にいる」ことを選び取られる。神の霊に導かれた荒れ野であるから、本来恐るべき野獣も恐れる必要がなく、むしろ一緒にいるもののない状況の中で「一緒にいること」を実感する存在となっている。イエスにおいてこそ、荒れ野に「狼は小羊と共に宿り・・・」(イザヤ11:6)の実現が見られるのである。
荒れ野はまた、助けるもののない場である。孤立、孤独の場にほかならない。しかし、イエスの導かれた荒れ野では、サタンの誘惑のただ中で、天使たちがイエスに仕えていた、と伝えられる。
神が導くところ、神の愛の守りのあるところ、荒れ野はもはや荒れ野ではない。荒れ野のイエスの姿はこの事実を我々に告げる。我々が「不幸にも荒れ野に」と思う状況を、この事実は全く違ったように見せてくれる。
(1997年 2月16日 四旬節第1主日)
説教 「イエスの第一日」 徳善 義和
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
マルコによる福音書 1:16-20
マルコ福音書は「神の子イエス・キリストの福音の初め(arxh)」と、イエスの物語の始まりを告げる。翻訳者はこの表記に苦心してきた。「はじめ」とすべきか、「始め」とすべきか、「初め」とすべきか。口語訳は「はじめ」をとり、新共同訳は「初め」と訳した。それが単なる「始め」「始まり」以上のものであると理解、解釈したからである。福音書記者が創世記1:1の「初めに」を思い起こしているのは明かである。ヨハネは福音書でも、第一の手紙でも、この「初めに」を意味深く用いた。そこには根源的な「初め」が意味されている。
それでは「神の子イエス・キリストの福音の初め」と訳したとき、ここにどういう意味を見ようとしているのか。もちろん「始まり、始まり」という、語り部の呼び掛けでもある。「さあ、イエスの物語の始まりだ」と告げているわけである。しかし、あのギリシア語の単語はそれ以上のものを暗示している。「こうなってみると、イエスの物語の初めはこうだったのだ」「これはあの時が初めだったのだ」と振り返っている姿勢がある。問題はそこで「こうなってみると」とか「これは」というのはなにかである。
イエスの物語にとってそれは、十字架と復活にほかならない。十字架と復活はここから始まった「初め」をマルコははっきり認識して語り始めるのである。さらにこの「初め」は神の歴史のもっと広い広がりを見ている。再臨を予見しての「初め」である。イエスにおいて神の新しい時(エオン)の始まりを見、それを告げてもいる。マルコ第一章はその「初め」の、いくつかのことどもを我々に伝える。洗礼者ヨハネの出現もこれに従属的にかかわる。
それと密接に関連して、ヨハネからの「イエスの洗礼」が「初め」を示す。これがまさしく「イエス・キリストの福音の初め」を印する。イエスの洗礼というこの出来事によって、マルコが全福音書をもって明らかにしようとする、「イエスはだれか」という問いに対する最初の答えが示される。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と。この天からの声には「霊が」伴うことにも注目すべきである。ヨハネの授洗行為は、この声と霊とによって完成されているからである。
「初め」の章はさらに、荒れ野の誘惑と、ガリラヤでの伝道の開始、その第一日を報じることへと続く。
何をするにせよ、私たちにとってすら、第一日は重要である。入学、就職、就任、いや、年の初めを考えてもよい。私たちだって、そういう時、やはりなにほどかの感慨や決意をもってその日に臨む。
イエスの伝道の第一日は、弟子選びから始まる。第一日のこととして記録されているのはこのことだけである。それもガリラヤの漁師四人をお選びになった。魚を捕るために「網打ちしていた」(原文)二人は「網」(複数)を捨てた。他の二人は「父と雇い人と舟」を後に残した。「私について来なさい」というイエスのことばには、そのようにして従わざるを得ない権威があった。イエスに従って、彼らはイエスと同じように「人間の漁師」となる。ルカの解釈では「人間を生かす者」となるのである。イエスの第一日。この始まりから起こることを、マルコ福音書に従って目を開いて見通したい。
(1997年 1月19日 顕現節第3主日)
説教 「主の名によって来られる方」 徳善 義和
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
マルコによる福音書11:1-11
先月私はこの欄で「私の説教が変わりつつある」と書いた。それが届かないうちに、それを感じ取ったふたつの反応が私に届いていた。10月20日の札幌での説教の反応がひとつ、「先生は変わりました。武蔵野教会という群れの牧師をしているせいでしょう」とあった。その後、「毎月読ませていただいてます。説教、あのころと変わりましたね」とは、田園調布の会員の方の声である。正確には、私の説教は変わりつつあるのではなく、「変えられつつある」のである。変えてくださっているのは神、そして、武蔵野教会の会衆のみなさんである。教会暦の新しい一年と共に、聖日の日課のシリーズがマタイからマルコに変わって、あと数カ月、日課に導かれながら、私の説教は変えられていくだろう。
さて、マルコ福音書である。マタイやルカと違って、降誕のできごとも、いろいろなイエスの教えも伝えないマルコ福音書は、ひたすらガリラヤからエルサレムへ、そこでの十字架へと向かうイエスを示し続ける。その際、その語りを貫いているひとつの問いがある。教え、いやし、奇跡を行うこの「イエスは誰か」という問いである。その時々に答えを示しつつ、この問いを問い続けるのである。
待降節(アドベント)第一主日には、毎年それぞれの福音書によって、イエスのエルサレム入城の個所が読まれる。年毎に福音書を特定して読むという、今の聖日聖書日課の基本的な考え方からすれば、それぞれのキリスト証言のユニークさを通して、イエス・キリストの信仰的な理解を深めようというのだから、マルコを読む今年は、マルコの証言する、特徴或キリスト証言に触れなければならない。よく似ているマタイ、マルコ、ルカの三福音書ではあるが、似たような個所でも微妙な違いがあって、ユニークさが出ているからである。
エルサレム入城、マタイとルカは、イエスを王ととらえた。しかし、マルコには「王」というとらえ方はない。イエスをガリラヤの民衆の視座でとらえたと言われるせいだろうか。マルコ福音書で「王」が出てくるのは5回。1回はヘロデ王の場合だから、イエスについては15章に4回集中するだけである。それもイエス自身の発言や弟子たちの証言においてではない。イエスの告発や、それを受けたピラトの発言においてである。「イエスはだれか」という基本的な問いに導かれてキリスト証言を語り、書いた福音書記者マルコは、この問いに答えてイエスを王とすることを避けた、あるいは拒否したと思われる。
エルサレム入城のイエスにマルコは、マタイやルカ、さらにはこの場合ヨハネとも共通して、「主の名によって来られる方」というイエスのみを示している。「イエスは主」なのである。しかし、この主は威風堂々、駿馬にまたがる王ではない。欠けたところのない偉大な支配者ではない。「主がお入り用なのです(直訳すれば、「主は欠乏をもつ」となる」と言わせて、自ら欠乏、不足があることを明らかにする方である。それは神が人となって、人間のためにもたれる欠乏である。この方はこの欠乏を子ろばで満たされる。
「イエスはだれか」、マルコが問い続ける問いを一年追い続けたい。この問いにきょうの日課が示している「イエスは主」という答えに注目したい。まさに私たちのために欠乏を、悩みを追いたもう「主」なのである。この方こそ「私の主」であるという思いを深めたい。
(1996年12月 1日 待降節第1主日)
説教 「イエスはたとえを超える」 徳善 義和
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
マタイによる福音書 18:1-35
最初のご挨拶で、私は今回の武蔵野教会での奉仕によっても、私の説教が変わる、いや、変えられたいという希望と期待を述べた。1989年に一年間、田園調布教会で臨時の奉仕をしたときにそう感じたからだった。
半年余りが過ぎて、今私は既にそのことが起こりつつあると実感し始めている。端的に言おう。どこまで変えられていくかとすら感じているのである。具体的に言うなら、イエスのたとえを続けて、主日の日課として読むことが続いた9月から10月にかけてのことである。
イエスのたとえは心引かれる個所である。多くの研究書も注解もあれば、私自身このかなりのものに関心をもって取り組んできた。中には、擦り切れそうになるまで繰り返し読んだ、活用したドイツ語の解説もある。そうすることによって、私はこれまで、イエスのたとえにある「イエスの教え」を求めてきた。それで随分たくさんの信仰の学びをいただいたと思っている。
しかし今年、数回つづけてイエスのたとえについて説教を始めてみると、私はイエスのたとえを学ぶ、全く別の視点があることに気付かされたのである。
イエスのたとえには、なんでイエスがこんなたとえを、と思うようなものもある。「主人は不正な家令の利口なやり方をほめた」というようなたとえである。しかしもちろん、いかにもイエスにぴったりというものもある。「よいサマリア人のたとえ」などがそうだ。ところが、イエスはこのよいサマリア人ではないのである。サマリア人をはるかに超えておられる。強盗に襲われた人を助けて、サマリア人はなるほど親切だったが、彼は徹底的になにかを失ってはいない。確かに親切だが、少しのものを割いたに過ぎない。翌日は自分の商売の旅行に出掛けていく。それでよいのである。しかし、イエスご自身は、人間を助け、救うために、ご自分の命まで、すべてを投げ出された。これを見れば、イエスご自身は、自分で語られたたとえを遥かに超えておられることが分かる。
たとえを遥かに超えて、たとえの向こう側におられるイエスご自身を見る、イエスご自身に注目する、このことの必要と、このことによって与えられ、示される恵みに触れた、これが今回つづけてたとえを読み、説教した私のうちに起こされた変化である。
「仲間を赦さない家来のたとえ」を見よう。たとえでは、懇願に応えて一度は借金を帳消しにした主君だが、その家来が仲間を赦さなかったと知るや、この家来を獄に投じてしまう。しかし、イエスの教えは、赦しは「7の70倍」、つまり、とどまるところを知らず、無限に赦すというのである。徹底的な赦しがイエスのテーマにほかならない。ここでも赦しのたとえによって、寛大な主君においても起こりうる赦しの限度に対して、これを超え、これに挑戦するイエスの赦しが厳然として確立しているのである。たとえの最後にもう一度私たちはイエスのおことばを聞かねばならないだろう。それは「私は赦す、七の七〇倍まで赦す」という赦しの宣言である。
たとえの教えではなく、たとえを媒介にして示されているイエスご自身の姿に肉薄すること、これがイエスのたとえの意味なのである。もちろんたとえが教えていることにも注目してよい。しかし、たとえを超えておられるイエスご自身が、たとえをとおして私に一歩近づいてくださったと感謝している。
(1996年9月22日、9月29日、10月6日の説教より)
説教 「小さい者」 徳善 義和
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
マタイによる福音書 18: 1-14
私はルーテル教会から送り出されて、1994年から三年の任期で日本キリスト教協議会の副議長を務めている。NCCと略称されるこの組織は日本の主なプロテスタント教会や関連組織の連合体で、世界教会協議会(本部 ジュネーヴ)の連なりながら、この世界にある教会の使命を共同で担う活動をする。宣教は各加盟教会の務めだから、共同で担うとなれば、教会一致の問題や社会問題ということになるから、最近のテーマは「平和と核問題」とか、「軍隊強制慰安婦」の問題とか、「(外国人)移住労働者」の問題とか、「死刑廃止」問題について、教会としての発言を繰り返そうとすることになる。そこで私が気付かされ、学ぶことになるのは、この世界に生きる「小さい者」に、教会はどのように注目し、かかわっていくべきかということである。
ところでマタイの18章は、通常「教会生活の規定」と呼ばれる。イエスご自身の文脈からすれば、「信仰の兄弟姉妹の共同生活の勧め」とでも呼ぶほうがふさわしいと、私は考えている。
心に留めるべきはこの「規定」、この「勧め」が「小さい者」への注目で始まり、全体を決定していることである。別々に「「共同体の裁判規定」(15~20節)や「赦しの命令」(21~35節)につづくのではなく、この章全体が「小さい者への注目と愛」という視点で貫かれているということである。
だから「神と小さい者」が特別のテーマとなる。まず「神ご自身が小さい者になられた」のである。マタイにせよ、ルカにせよ、降誕の記事はその証言にほかならない。「人の子は枕するところもない」地上の生を、イエスご自身が生き抜かれた。さらに神もイエスも「小さい者に注目なさる」。イエスの弟子選びを見てもそうだ。イエスの宣教やいやしの働きを見れば、これまた終始して「小さい者」との出会いである。「知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました」(11:25)ともある。また、弟子たちには偉くなることではなく、仕える者となり、皆の僕となるなるように教えられた(20:26以下)。
それゆえに、信仰者の生もまた、「自ら小さい者となる」生となろう。教会の歴史の中で、有名無名の多くの人々がそのような生を自らに心掛けた。アッシジのフランシスコは新しい修道理想に生きて、自らとその共同体を「いと小さい兄弟の群れ」と呼んだ。20世紀の最大のプロテスタント神学者とされる、スイスのカール・バルトも、晩年カトリックの神学者キュンクの「あなたは素晴らしい信仰者だ」との賛辞にこう答えたという。「私は神様の前に出るとき、背負い篭一杯に著書を詰めていきません。立派な信仰者だ、と言われても、ふつつかな僕に過ぎませんと答えるでしょう」と。
教会での信仰の共同生活、社会の生の中での教会の生や使命の基本が、神が自ら選び取られるあり方に従って、私たちこそが自ら「小さい者となる」ことを選び取り、さらにまたこの世界の中で「小さい者」に注目し、これに心を掛け、これを心に留め、このために心を注ぎだすことにあることが明瞭になる。その時「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいる」(20節)とのおことばは、深い意味と力とを教会としても、この世にある教会としてももつことになる。
(1996年9月22日 聖霊降臨後第17主日)
説教 「愛、平和、喜び」 徳善 義和
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
ミカ書4:1-5、ヨハネによる福音書15:9-12
旧東ドイツ、共産党の支配のつづいていた時代のことである。1980年代の初め、ヨーロッパは東西両陣営の、核弾頭中距離ミサイルの配備で緊張がつづいていた。配備されるのはそれぞれ東ドイツと西ドイツ、射程距離から言っても照準が互いに自分たちに向けられることになるのは明らかだった。
その頃の東ドイツの教会は、1945年共産党政府ができてからの、陰に陽にの嫌がらせや弾圧のせいで、かつてほぼ100パーセントのプロテスタントだった状態から、人口の50パーセントを割る状態にまでなっていた。その教会が、ミカ4章3節の「剣を鋤に」を標語にして、平和を訴えつづけていた。シールやワッペンもあった。シールを車のバックウィンドーに張っていた人は、交通法規をたてまえに、警察によってはがされた。自分のジャンパーの背中にそれを大きく書いて歩いていた、キリスト者の青年は、別件で逮捕、拘留された。
同じく東ドイツのライプツィヒ。バッハで有名なトマス教会から200メートル、市中心部のニコライ教会ではずっと長いこと、さほどの人が集まらなくても、毎週月曜夕に「平和の祈り」の礼拝が持たれていた。これが1989年秋、そこに人が集まり始めた。遂には聖壇の上にまで人が座るほどになったのである。人々はそこで平和のために祈り、平和について語りあった。政府も警察も軍もこれに目をつけて、監視し始めたが、この平和の祈りはうねりのように、ベルリン、ドレスデンなど大小の町にも広がっていった。機動隊が外で監視する中で守られた礼拝はあくまでも平和の祈りに徹することを強調するために、あるときは灯したロウソクを手に、あるときはバラの花を手に散会したとも言う。
高まりは10月から11月にかけて最高頂。警察や軍の対応も厳しさを増した。11月後半からは一触即発、弾圧寸前の状態にまで至った。後で分かったことだが、第一線には発砲の許可まで出ていたという。ニコライ教会から、ゲバントハウスオーケストラとオペラ劇場の間の広場に出て、平和の行進をしようとする信徒たち、市民たちにあわや実力による介入という事態にまで及んだ。その時、軍や警察と市民との間に割ってはいったのが、オーケストラの指揮者マズール(その夫人の父は日本聖公会司祭)や知識人たち。これで流血の惨事を免れただけでなく、やがてベルリンの壁崩壊(11月9日夜)という、歴史の大きな転換、変革をもたらしたのだった。文字通り、平和のないところに「平和を作る」運動と戦いだった。「平和の祈り」の果たした役割は無視できないのである。
平和主日のための福音書の日課には、「平和」の文字はない。しかし、平和がどこに根拠をもつかがはっきり示されている。
愛は働き、動くのだから、愛には方向がある。父なる神の愛からキリストの愛、そこから私たち互いの愛である。この愛のあるところ、この愛が働きつづけるところ、喜びが満たされる。この愛と喜びとの間に見えてくるものこそ、平和である。
この根拠を得て、平和の祈りも可能になる。さらに平和の祈りは平和の努力ともなろう。神の愛、キリストの愛に心動かされ、心開かれて、隣人に心を開き、赦しを求め、また赦しあうことができるようにもなる。平和は抽象ではない。平和は私たちの祈りにおいてまず具体化し、ひとりひとり、また、心を合わせての、一歩一歩の平和の努力において具体化する。
平和のために祈らなければならない。
(1996年 8月 4日 平和主日)
説教 「憐れみの使者として」 徳善 義和
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
マタイ福音書 9:35-10:15
主イエスの地上での働きの中心は「教え、いやす」ことであった。しかし教え、いやすときイエスが目を留めておられるのは単に、群衆の無知だけではない。群衆の病だけではない。イエスの教えといやしは対症療法ではない。群衆の状態の底にあるものを見つめ、見抜いておられる。そしてそれは、群衆が飼う者、導く者のない状態にあること、それゆえに「弱り果て、打ちひしがれているのを見て」おられるのである。教えといやしの中でこのことに注目し、このことに注目しつつ、教えといやしの働きをお続けになる。
だからイエスは「深く憐れまれた」のである。これはイエスの「内なるものの激動」を意味する。「はらわた傷む」のである。これこそ教え、いやす働きの中を貫く、イエスの基本姿勢にほかならない。群衆の状態は、群衆自身が気付いている以上に、イエスの心、イエスの腹の痛みなのである。群衆の痛みは、イエスの腹に響く痛みにほかならない。(これは私達にも向けられている、イエスの愛の目である。)教えといやしは、このような内なる痛みの、外に現れた働きにほかならない。
私達に与えられている日課が九章で終わっていないことに意味がある。日課が章を越えて続くケースは多くはないが、ここではこの継続に注目していきたい。(このところ続いている聖日日課も、いくつかの段落の集まったものが多い。こういう場合、説教者には二つの可能性がある。そのうちのひとつの段落だけを取り上げて説教するか、全体を通している主題、メッセージを読みとるかである。私は今年後者の試みを続けている)。
このような「はらわた傷む」深い憐れみ、内なる痛みは、直ちに弟子たちの派遣にもつながる。「腹の痛み」はイエスご自身のうちに止まらない。この思いは外にあふれ出て、働き手の派遣の必要を鋭く感じ取り、弟子たちを遣わそうという願いとなる。群衆のニードを確認して深い憐れみから出る、積極的な対応と働きへと展開する。
そのためにイエスは、12人を選び、準備し、装備する。整えるのである。それは知恵の装備ではない。「汚れた霊に対する権能」をもって装備するのである。この装備が霊的なものであったことが分かる。イエスに遣わされる者にとって、必要欠くべからざるものが、この霊的装備であることが分かるであろう。
霊的な準備、装備ができた後で、具体的な派遣が起こる。派遣には具体的な指示が伴うからである。弟子たちの派遣は、イエスの宣教の線上のことである。イエスご自身の教えといやしの中で育てられ、今直接イエスご自身によって派遣される弟子たちもまた、主イエスの教えといやしの働きに加えられ、用いられる。
かつての日、群衆への深い憐れみの中で、12人の弟子たちに起こったことは、今この複雑な社会の中に生きるキリスト者、私たちひとりひとりにも起こる。主の憐れみ、腹の痛みにも触れている、主の憐れみ、腹の痛みによってこそ、生かされている私たちもーいや、そのような私たちだからこそー「憐れみの使者」とされて、遣わされるのである。他者との出会い、他者との共生は、主の憐れみ、腹の痛みに基礎付けられ、主に派遣されて可能となり、私たちの課題になると言えよう。
(1996年 7月 7日 聖霊降臨後第6主日)
説教 「キリストが土台!」 徳善 義和
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
マタイによる福音書 7:15ー29
最初の児童説教
「山上の説教」の最後に位置する「家と土台」のくだりは、私にとって懐かしい段落である。洗礼を受け、教会学校の教師となって最初に児童説教を担当する段になって、日課から離れ、敢えて自分で聖句を選んでした児童説教だった。教師会では「土木工学科の学生ですから」と言ったと思う。基礎の問題を人間のあるべき姿の基礎に置き換えて自分でも考えたかったころのことである。めったに行かない大学図書館まで出掛けて行って、英語の注解書を借り出し、しっかり勉強もした。
三つの段落
しかし「山上の説教」はこの段落だけで終わっているのではない。この主日日課の選び方では、「山上の説教」が連続する三つの段落で終わると理解していることがうかがわれる。「良い木がよい実を結ぶ」と教えられる。不法に主の名を唱える者が斥けられている。みことばに聞いて、生きるということは、しっかりした岩の上に家を建てることになぞらえられる。
すべてはキリストの名により、キリストを土台として起こるという一貫したメッセージである。そのことは単に形式の問題ではない。名が口に唱えられることではない。キリストの名によりキリストを土台としてことが起こるというのは、キリストの心を心として、ことが起こるということである。これが三つの段落を一貫しているイエスのメッセージである。
神の臨在
「山上の説教」の教え全体、とりわけこの最後の三つの段落を、マタイ福音書はいわば信仰告白のような、キリスト証言で結ぶ。なぜすべてはキリストの名により、キリストを土台として起こらねばならないのか、その奥義を明かしているといってもよい。最後の二節の中にそれを示す三つの単語が仕込まれているのである。
「語り終える」は直訳すれば、「語りを完成させる」である。そこにはこのイエスの教えをもって、神による完成が到来したことが示されている。終末の完成である。「山上の説教」は神による終末の完成の先取りなのである。
だから群衆はその教えに「非常に驚いた」。福音書においてこの表現は、「非常に恐れた」という表現と並んで、イエスにおける神の顕現、神の臨在に触れたときの、人々の反応を表す独特の表現である。イエスの教えを聞いた群衆は、そこで神ご自身が語っておられることを身をもって体験したのだった。
この教えはだからまた、「権威ある者」、これまた直訳すれば「権威を持つ者」の教えとも受け取られた。新約聖書が「もろもろの権威」と複数形で語れば、神の下に位置する権威である。これに対して権威が単数で出現するところでは、この権威はまさに「神の権威」を意味する。「山上の説教」を語られるイエスはここでまさに「神の権威を持つ者」として語られたとの証言である。
「山上の説教」を聞くべき、目の付け所が明らかになる。キリストに注目して、ここで語られていることはキリストにおいて成就すると信じることである。さらにキリストにおいて成就することによって、神によるこの世界の完成が実現することの始まりが高らかに告げられていることへの注目も重要である。私たちはこれに「アーメン」と感謝をもって応じるのみである。
(1996年 6月23日 聖霊降臨後第4主日)
説教 「ほんとうの権威からの祝福」 徳善 義和
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
ルカによる福音書24:44-53
イエスの時代、人々がまだそれだけを「聖書」と呼んでいたものは、まだ、我々の呼ぶ旧約聖書にまで至っていなかった。「モーセの律法と預言者の書と詩編」(44節)とイエスのお言葉にあるとおりである。旧約聖書が諸書の部分で確定して今のような構成になるのは、イエスの時代ののち、一世紀の終わりごろである。ただ、律法と預言書は、前期預言書としての歴史書を含めて、詩編と共に今のような形だった。イエスはこの中に、ご自身において実現、成就する、神の救いの働き、救いの歴史があることを見て取っておられたのである。それも当時のユダヤ教の正統的の立場からすれば、注目するに値しない二点においてである。すなわち、メシアの苦難と復活という二点である。イザヤ書53章とホセア書6章への注目である。
イエスがこのように、ご自身についての預言とその成就を語られたとおりに、ことは成った。そのことを復活の主からあらためて聞いた、その延長線上に、弟子たちの宣教があった。宣教はこのこと、イエスの苦難と復活とを宣べ伝える事であって、ほかの何を伝えることでもない。さらに宣教とは、信仰や教会に関わるすべてのことと同様に、主なる神がことを起こされ、働かれるものである。だから、弟子たちへのイエスの言葉はこのことを、「あなたがたは宣べ伝える」と言われずに、「宣べ伝えられる」と受け身の動詞形で告げている。弟子たちはこのことの証人であるに過ぎない。彼らの宣教はこのような証人としての働きにほかならないのである。
証人として托された働きに導かれる前に、弟子たちはなお暫くの時待たねばならない。都に留まらねばならないのである。神の霊による整えが、これこそ神の恵みの働きとして実現するまでのことである。それが実現するとき、「弟子たち」は「使徒たち」になる。イエスについて書かれた書(ルカ福音書)は、第二巻の「使徒言行録」として展開されることになるのである。
この待ちの時間を、主イエスは祝福で満たされる。この待ちの時間に主は弟子たちに課題や宿題をお与えにならない。欠乏に陥らないため、糧食で満たすのでもない。祝福を与えて待ちの時間を過ごす弟子たちをこれで満たしてくださる。己に属する者に、本当に必要なものを与えることができるということ、実はこれが「ほんとうの権威」ではないのか。この権威を、祝福においてとらええた使徒たちと教会とは、やがて四世紀、権威ある主の祝福をこのように表現することができたのである。
主があなたの前におられるように、あなたに正しい道を示すために。
主があなたの傍らにおられるように、あなたを胸に抱き、守るために。
主があなたの後ろにおられるように、あなたを悪人のたくらみから守るために。
主があなたの下におられるように、あなたが倒れるとき助け、わなから救うために。
主があなたの中におられるように、あなたが悲しむとき、慰めるために。
主があなたを囲んでおられるように、他の人々があなたを襲うとき、防ぐために。
主があなたの上におられるように、あなたを祝福するために。
いつくしみの神がこのようにあなたを祝福なさるように。
(1996年 5月19日 昇天主日)
説教 「人ふたつ」 徳善 義和
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
ヨハネによる福音書 20:24-29
ディディモ
ディディモはギリシャ語で「ふたご」、トマスもヘブル語で「ふたご」である。「ディディモと呼ばれるトマス」は確かに直訳だが、「ディディモ(ふたご)という意味のトマス」と訳せよう。ポイントはこの男の名前をあげないで、「ふたご」という普通名詞を繰り返しているところにある。この記事を伝えた人にとっては、このことが関心事であり、しかもこのことを人に伝えたかったのである。この男、名は「イスカリオテの方でないユダ」(14:22)と推定される。この名を伝えるより、「ふたご」というところに力点を置いて、あの状況と重ね合わせて伝えよう、訴えようとしていることがあるのである。
ふたつ
「ふたご」は良く似ていて、しかも別である。同じようで、同じではない。ある意味で人間みながもつ状態を、より強い形で持ちうる。内に外に「引き裂かれた」状態である。アイデンティティの危機と言ってもよかろう。
トマスがそうであった。「私たちは主を見た」という仲間の喜びの報せを受けて、彼は引き裂かれている。信じて、共に喜びたかったであろう。しかし、彼にあっては、いまひとつの彼がもっと大きい。手と指による確認までは信じられない自分である。彼は信じたいが、信じられないのであって、彼はまさに内において「ふたご」、「引き裂かれた」状態である。
しかしこれゆえに、彼をめぐって、さらに彼の外でも「引き裂かれた」状態がある。主を見た仲間の喜びを共にすることのできない彼がいる以上、この群れはふたつである。情報を共にできず、心はひとつではありえない。しかも彼のこの思いは、仲間のほかの人にもうつっていく危険があった。人はいつも負の方向に引かれるものだからである。しかもこの状況が、戸を閉ざした状態の中でさらに八日間続いたのだから、事態はもっと深刻である。
トマスと、彼をめぐる仲間の状況はしかし、私たち人間の姿でもある。日常のことでも、私ひとりしばしば、心はふたつである。さらに私たち複数であれば、ひとつになれないばかりか、四分五裂でさえありうる。まして主の復活ということになれば、自分でも、仲間でも、「信じたい」、「信じられない」、「信じない」が交錯して、千々である。トマスとその仲間はあの時、私と私たちを代表している。
主によってひとつ
このトマスと弟子たちに、八日前と同じくイエスが現れる。八日間、内にも外にもふたつに引き裂かれ、割れていて、まさに平和がなかったこの群れに向かって「あなたがたに平和があるように」と言われる。平和とは、このように主によってもたらされ、恵みとして与えられるものにほかならない。今この群れは改めてひとつである。そればかりか、それはトマスのうちにも平和をもたらす。もう手も指も必要ではない。彼はただ「私の主よ、私の神よ」と言うのみである。それは私には、イエスの前にひざまずいていると見える。
人は傲然とひとり立つとき、引き裂かれている。むしろ、ひざまずいているとき―それは神の前であるときほんものである―人はほんとうにへりくだって「ひとつ」となり、全人の信頼に生きるのである。
(1996年 4月21日 復活後第2主日)
説教 「死と復活のリアリティ」 徳善義和
(むさしの教会だより1996年 4月号ー1997年8月号)
むさしの教会前牧師で、ルーテル神学校校長、ルーテル学院大学教授(歴史神学)、
日本キリスト教協議会(NCC)前議長の徳善義和牧師による説教です。
マタイによる福音書 28:6
「あの方は、ここにはおられない。かねて言われたとおり、復活なさったのだ。」
三月のはじめ、フランスのストラスブールでの小さな会議のおり、日曜の午後に2時間ほど離れたコルマールという町に案内してもらった。グリューネルヴァルトと呼ばれた、詳細の分からない画家によって画かれた、「イーゼンハイムの聖壇画」を見学するためだった。この画については、昔立教の講義で聴いたことはあった。画集で見たこともあった。しかし実物を見るのは初めてだった。血の吹き出した凄惨な、イエスの十字架像である。十字架の処刑のリアリティを、日本人にはこういうふうには描き出せないとも思っていた。実物を見て、さらに新しい発見をした。画家はイエスの十字架のリアリティを、人間の死のリアリティとして画こうとしたという事実である。観音開きとなっているこの聖壇画の十字架のイエス像の内側には、墓を破って復活した、栄光のイエスが画かれている。その肌は白く輝く。しかし十字架のイエスの肌は恐ろしいほど青黒い。それは単に死の色として画かれているのではない。画かれたのは一六世紀初頭という。中世からその頃にかけてヨーロッパ各地を頻繁に襲い、人口の三分の一をすら死なせたというペスト(黒死病)があった。画家は十字架のイエスを、このペストの病人と同じにした。「主は私たちの死を死なれた」というメッセージである(この画の小さな複製を、聖水曜の礼拝ではお見せして、黙想を加えた)。
復活の喜びは実は、死のリアリティのとらえ方と深くかかわっていると思う。一瞬見る者をたじろがせる、イエスの十字架像と、観音開きを開ければ、輝くばかりの白さで現れる復活のイエスとのコントラストは、改めて、死と復活の、イエスにおける密接な結びつきを思い知らせてくれる。
イエスの、十字架上での死は、まさに死のリアリティの極みである。死に至るイエスの二四時間を復元した著作があったが、その苦しみの描写は驚くほどだったものの、現実はもっと耐え難いものだったと思わせた。そうすることによって、主は死に伴うあらゆる苦痛を、精神的なものの、肉体的なものも含めて、自らの死として苦しまれたのである。
しかも、それは単にご自身の死の苦しみだけの問題ではない。16世紀初頭の、だれとももはや分からぬようになってしまった画家は、時代が最も苦しんだペストを選んでその事実を告げようとした。その伝染性のゆえに、人々は病人を見捨てて逃げ去る以外になかった状況下で、去る者も、残されて死ぬ以外になかった者も、苦しみ抜いた死を、画家はイエスご自身の十字架上での死の苦しみと重ね合わせて、主が既にすべての人のために、この苦しみも担われたことを告げようとしたのである。イエスの十字架の死の、二重のリアリティである。
このような死のリアリティの中で、復活の朝、二人のマリアは天使の告げる言葉を聞いた。「あの方は、ここにはおられない」という、驚くべき言葉である。悲しみの中で百パーセントここにあると信じて、朝まだき墓に駆け付けてきたのだからである。ここにおられないばかりではない。さらに「復活なさったのだ」との声が続く。こうして彼女たちは、死のリアリティから一挙に、全く逆の、復活のリアリティへと導かれる。こうして彼女たちは、復活の最初の証人となる。
「主は復活なさった」。彼女たちのメッセージはすぐさま弟子たちに届く。この報せは、主の死のリアリティに打ちのめされていた弟子たちの群を新しく立ち上がらせるリアリティとなった。使徒たちの宣教は、主の十字架と復活を、たとえ愚かと言われようが、たとえつまづきとされようが、ユダヤから地中海、さらに地の果てまで告げ知らせることとなった。
「主は復活なさった」。福音書に記され、伝えられたこのメッセージは、死すべき者である私たちにも、死のリアリティと、それを越えた生の確かな可能性を告げる。
(1996年4月7日 主の復活日)