むさしの教会だより

「熊本地震支援活動の中間報告」 立野 泰博

2016年4月14日21時26分、熊本地方を震源とする熊本地震がありました。これは始まりにすぎませんでした。16日1時25分本震はやってきました。1回目の地震で安心していた私たちは、まさかそれが余震だとは思いもしませんでした。実はそれだけではありません。15日0時3分に2回目の地震はおこりました。宇城、松橋、八代の人は、大きな地震が3回あったといわれます。震度7が3回もあるなど、誰も予測していないことでした。

1回目の地震の時「しまった」と思いました。東日本大震災の救援活動をさせて頂いた者として何も準備していなかったのです。まさか熊本で地震があるなど思ってもみませんでした。次は南海トラフだと信じておりました。その時は九州から支援物資を買って持っていけばいい位にしか思っていなかったのです。だから「しまった」から始まったのです。

実はそのことは教会のみのはなしではありません。熊本市も県も準備はありませんでした。想定してあったのは「洪水」「台風」「火山」災害に対しての準備でした。ボランティアセンターにうかがったときに「ゴム長靴」と「水かき」を見た時、これは大変なことになったと感じました。私たち熊本県民は地震災害の準備ができておらず、みな地震災害については「素人」なのです。その認識ができるか。それはルーテル教会救援でもいえることです。「できる」なんて思ってはいけない。そこを間違うと、支援活動は自分勝手なものになります。まずは「素人」を自分に言い聞かせました。そしてもう一つ「私たちは被災者なのだ」ということでした。

幸運なことに私には東北に支援活動でつながった方々がたくさんいます。すぐに石巻社会福祉協議会災害対策課に電話しました。「何をすればいいですか?支援活動の流れは?なにを気をつけますか?ゴールは何ですか?期間は?私たちだけではできません。手伝ってください」と。その時教えられたことは「平時が非常時の鏡です」ということでした。まさにそのことが基本です。平時に準備できない、平時にできてなければ非常時には何もできないのです。教会の支援活動も同じです。平時から地域に開かれてなければ、非常時になって開かれた教会にはなれません。だから「できる」などと思ってはいけないのです。まずは「できることから」はじめなければならないのです。そしてサクセスストーリーとなってはならないと思います。

石巻社協の阿部さんに熊本にきていただき、熊本YMCAで講演をお願いしました。彼は「地震の時のボランティアは命の危険があることを理解して、安全靴、切れないズボン、ゴーグル、マスク、革手袋などキチンとした装備がないといけない。」「ボランティアをやるには覚悟が必要だ(にわかボランティアでは危険)。」「初めは物資などの支援、最後は心の支援に変わってくる。特にお年寄りや子供のケアをしないといけない。」と教えて下さいました。緊急支援から自立支援、生活支援へと進んでいきます。最終的には「自分たちで切り盛りできるよう自立の支援をする」のです。そのためには緊急支援の時の関係づくりです。そこで関係がつけられていないと、次の仮設支援には進めません。緊急支援が終わるころ「次は何をしようか」と探さねばなりません。やることはたくさんあるのに、次の支援がみつからない状況がおこります。自立支援、生活支援は仮設からですが、避難所で関係・つながりをつくっておくことです。宗教者ができることは「心のケア」なのです。

さて、「わたしたちは地震については素人なのです」から始まるのが大江教会の活動です。わたしが東日本から学んだことは「いち早くお手上げになろう!」「自分たちだけでやろうとしない!」「ネットワークつながりを用いよう!」「ゴール(目標)を決めてやろう!」「終わりを先に言おう!」「緊急支援から自立支援への見極めが大切!」「次につながる支援を!」「一人の孤独死もださない!」です。そして「平時が非常時の鏡です」からはじめました。

さて、大江教会の動きは「私たちは被災者である」との認識から始めました。自分たちの心のケアを教会の交わりの中でやってまいりましょう。「その次に支援活動です」を心がけました。その中で以下の7つの支援活動をはじめました。

1)ママ・赤ちゃん応援プロジェクト

緊急支援としてオムツ、ミルク、離乳食、おしりふきティッシュ等の配布。ラインやネットを用いて。まずは教会員の赤ちゃんに離乳食を、から始まりました。赤ちゃんとママ応援の必要性を感じ大江教会は「ママと赤ちゃん支援」に支援活動を特化して活動を広げました。すでに17日にはトラック1台分の赤ちゃん応援グッズは教会にありました。鹿児島の伊集院バプテスト教会が鹿児島のスーパーを回って買い集めて下さったのです。また福岡の友達も届けて下さいました。16日にはまだ鹿児島・福岡にはあったのです。今回の支援活動では、フェイスブックとラインは大活躍しました。17日から大江教会は赤ちゃんを連れたママたちで溢れました。200名は来られたでしょうか。オムツ、離乳食はすべてそろっていました。「ルーテルの大江教会に行けば赤ちゃんグッズはすべてそろっている」「大江教会の立野牧師が赤ちゃんをたすけてくださる」そんなラインが流れました。来て下さった方々から情報を得て、お風呂プロジェクトやアレルギーミルクなどの手配。全国のつながりから物資は届けられました。

2)震災Caféプロジェクト

目に見えないストレスはたくさんあります。家に帰れない方々、車中泊の方々。今回の心のケアのテーマは「不安」だと思います。そんな方々に教会Caféを24時間オープンしました。美味しい珈琲とお菓子、そして安らぐ時間。フリースタイルのCaféとし、全国の仲間からお菓子と珈琲などのCaféに必要なものを届けていただきました。今後は不眠不休で支援活動している方々へのCaféも考えています。生ビールのCaféなども計画中。現在教会のCaféは毎日利用があります。地域の方々をはじめ、お母さんたちの集い、コンサート、水彩画教室など。いつも誰かそこでホッとされています。学校帰りの中高生もおり、ちょっとしたCaféそのものです。

3)お片付けボランティア

教会、教会員の家の片づけボランティア。

これは4月中にはすべて終わりました。東北の経験が生かせました。先に先に計画をして、実行すること。教会員のボランティアでやることで、教会員は被災者の方々には安心があります。顔が見える関係における支援は早いです。そのために掃除道具はすでに教会に届けられていました。箒、塵取り、雑巾等は支援物資。先を見ての支援物資のお願いがよかったのだと思います。結果的には支援物資はすべて必要な方に届けました。一部、二次災害のために備品にしてあります。これからは大雨、水害、洪水です。

4)連携プロジェクト

宇城光照寺・阿蘇YMCAと連携しての被災者支援。物資支援。心の支援。

5)南阿蘇被災地・避難所訪問プロジェクト

母がいる避難所を訪問しています。

6)震災心のケア「ママさん赤ちゃん応援」プロジェクト!

「心のホッとコンサート」の実施。

大江教会で出来る事、先を見て必要な事、地域や被災地にむけての支援をしていきます。教会にはイエス様につながる多くのネットワークがあります。

 

立野 泰博 日本福音ルーテル大江教会牧師 

むさしの教会だより7月号より:2016年7月 31日発行

礼拝説教 「天の父のように」 浅野 直樹

ルカによる福音書6章27〜36節

一昨日…、5月27日(金)の午後に、アメリカのバラク・オバマ大統領が現職大統領としては初めて広島の平和記念公園を訪ね、原爆慰霊碑に献花をされました。これは歴史的な出来事でした。任期も終盤にかかり、大統領としてのレジェンドのため、といった意見もあるようですが、国際的にも様々な緊張関係が生まれている中で大切な一歩が刻まれたのではないか、と私は思っています。

今日の福音書の日課は、小見出しにもありますように、ひとことで言えば「敵を愛する」ということでしょう。これは言うまでもなく、世界の平和、和解ということにおいても、最も大切なことのように思われます。しかし同時に、そんな簡単なことではない、ということも私たちは痛感してきました。先ほどのことでいえば、最初の一歩が「71年」もかかったというところに、事の難しさ、深刻さが物語られているのでしょう。原爆や戦争が非人道的なものであるということは、両国民の多くが感じていることだと思います。しかし、かつて敵同士であった、ということが71年の歳月を費やしてしまった。いいえ、今でも「謝罪できない」「赦せない」「自分たちは正しい」と、それぞれに看過できない言い分があるわけです。それはなにも、当然、国と国といった大きなことばかりではないはずです。私たち個々人の生活の中でも「敵を愛する」ことができたならばどれほど幸いだろうか、と思うのですが、その難しさも経験してきているからです。

この「敵を愛する」ということにおいて、今日の旧約の物語は非常に参考になるのではないか、と私は思っています。これは、いわゆる「ヨセフ物語」と言われるものです。もう皆さんもよく知っておられる物語だと思います。ヨセフのお父さんはヤコブと言いました。このヤコブには「イスラエル」という別名が与えられていましたが、イスラエル12部族の祖となる人物です。つまり、イスラエル12部族とはこのヤコブの十二人の息子たち(正確にはちょっと違うのですが)ということで、ヨセフもその一人だったのです。

当時は一夫多妻が当たり前の世界でしたから、ヤコブにも二人の正妻と二人の側室がおりまして、この十二人は異母兄弟(全員母親が違うということではないのですが)だったわけです。もう、これだけでも兄弟仲があまり良くないことは想像できます。正妻同士、側室同士、あるいは正妻と側室との間で様々な駆け引きもあったのでしょう。そういった母親同士の関係(反目)が子供同士に波及していってもおかしくないわけです。しかも、ヨセフはヤコブが特に愛していた正妻の一人ラケルの息子でした。ラケルはヨセフの弟ベニヤミンを産んでからすぐに亡くなっていましたので、よせばいいのにラケルの忘れ形見を溺愛してしまっていたようなのです。そりゃ〜、他の兄弟たちからすれば面白くないわけです。しかも、そんな父の寵愛で天狗になっていたのか、年少者にもかかわらず兄たちに対してどことなく横柄なところがあったようで、ますます兄たちからは反感をかっていきました。そして、ついにヨセフ17歳のとき、苦々しく思っていた兄たちによってエジプトに奴隷として売られてしまったのでした。なんだか韓流ドラマの脚本になりそうな物語です。

詳しくはお話しませんが、随分と苦労したと思います。しかし、彼は、エジプトの宰相にまで上り詰めたのでした。

ヨセフは兄たちのことを随分と恨んだと思います。17で奴隷として全く見知らぬ世界に放り込まれたのです。しかも、無実の罪で何年もの間、牢獄に閉じ込められもした…。来る日も来る日も牢獄の中で、なんで自分がこんな目にあうのか、と問うたに違いないと思う。その度に、兄たちの薄ら笑うような顔が思い起こされ、怒りが、憎しみが、こみ上げてきたのではないか、と思うのです。復讐心が、殺意が湧き上がっていたのかもしれません。その怒りのパワーが彼を支えていたのかもしれません。しかし、彼に転機が訪れました。夢の解き明かしで牢獄から解放されただけでなく、宰相にまで起用されたからです。しかし、ここで大切なことは、単なるサクセス・ストーリーではない、ということです。

彼はこのことによって、意味の再構築に迫られていったからです。今日の旧約の日課に、こんな言葉が記されていました。創世記45章4節以下わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちよりも先にお遣わしになったのです。」ヨセフは自分がエジプトに来た、送られた意味を、このように再構築したのです。もちろん、すぐにそう思えたのではないでしょう。時間をかけて、あるいは葛藤の中で、そのような理解に至っていったのかもしれません。しかし、この理解が徐々に兄たちに対する恨みつらみからも解き放っていきました。もちろん、神さまがそう働いてくださったからです。神さまの恵みの御業(それがヨセフの場合は夢の解き明かしであり、思いがけない宰相への抜擢ということでしょうが)を経験していったからです。ここに敵意を打ち破る一つのキーがあるように思います。

もう一つは「和解のプロセス」ということです。確かにヨセフは意味の再構築によって、現在の境遇を喜んで受け止められるようになったと思います。そして、普段の日常の中では兄たちに対する負(マイナス)の思いも感じることなく生活していけたことでしょう。しかし、兄たちと再会する機会がやってきたのでした。兄たちが住んでいるパレスチナでもひどい飢饉だったので、ヨセフのいるエジプトに食料を買いにきたからです。あれから随分と年月が経っています。エジプト特有の衣装ということもあったのでしょう。まして、自分たちが奴隷として売った弟がエジプトの宰相になっているなど夢にも思わなかったでしょうから、兄たちにはそれがヨセフだとは気づかなかったのですが、ヨセフには分かっていました。そこでヨセフはどうしたか。意地悪をしました。いろんな難題や難癖をつけては、兄たちを困らせ、窮地に陥らせたのです。ここにも、人間臭さが溢れていると思います。確かに神さまによって意味の再構築も果たし、自分なりに整理をつけていたつもりでしたが、いざ本人たちを前にして、かつての思いが甦ってきたのでしょう。

あんな目に合わせて「殺してやる」とまではいかなくても、なんらかの復讐心がふつふつと湧いたのだと思います。それが人間です。彼は何度も兄たちを苦しめました。そして、ついに(非常にドラマチックなので、ぜひお読みいただきたいと思いますが)兄たちの悲痛な叫びを前にして、彼は感情を抑えることができず、感極まって泣き出し、兄たちに自分の身を明かした、と言います。兄たちの苦しむ姿を前にして心が弾けたのでしょう。

ここに、神さまが与えてくださる和解のプロセスがあると思うのです。赦す、和解する、愛する、というのは机上のことではありません。相手あってのことです。赦しているつもりでも、和解しているつもりでも、愛しているつもりでも、いざ相手が自分の眼の前に現れると、そうは言っていられない私たちの現実があるからです。そのために、神さまはまず私たちの目を開いて相手を見せようとされます。憎しみや怒り、負の感情があるときには、相手の姿をまっすぐ見られなくなってしまうからです。

ですから、ことさら相手を悪く思い、憎んで当然、怒って当然、恨んで当然と思ってしまうところがある。しかし、本当にそうでしょうか。もちろん、敵です。自分に対して敵対するような人物です。当然、相手だって自分に良い感情を抱いてはいないでしょう。でも、本当にその人は極悪で、どうにもならないような敵、モンスターなのか、といえば、大抵はそうではないはずです。相手も人間であることがわかってくる。弱く、過ちを犯す、私たちと同様罪ある、欠けのある人間だということが分かってくる。分かってくるところに、単なる敵意や憎しみだけではない思い、同情、憐れみ、共感も起こってくるのではないか、と思うのです。

もちろん、これで全ての問題が解決できるとは思っていませんが、兄たちに捨てられ、敵となったヨセフが、兄たちと和解していったプロセスから、私たちも何か考えることができるのではないか、と思うのです。

ともかく、福音書に戻りますが、「敵を愛する」ということは、このことに尽きるのだと思います。」「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者になりなさい」。憐れみ深い、敵をも愛してくださる神さまからしかこの愛は学べないのです。憐れみ深い神さまの子どもだからこそ、その生き方に向かっていけるのです。

イエスさまは語られました。「あなたがたの敵を愛しなさい」。これは命令です。命じられていることです。もちろん、私たちは福音を信じています。福音とは恵みです。ですから、この命令を守れないからといって見捨てられるようなことはないのです。しかし、いいえ、だからこそ、この「命じられている」ということに思いを向けたいのです。「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」。それは、ある意味、馬鹿を見る生き方なのかもしれない。理不尽な目にあう不器用な生き方なのかもしれない。しかし、私はここにキリスト教の魅力を感じるのです。憧れを抱くのです。現実の自分はもちろん、そうではありませんが、それでも、馬鹿を見るほど愛に生きる者になりたい、と思う…。イエスさまがそうだから…。

神さまの憐れみに生かされて、その愛に気づかされて、教えられて、また私たちも、そんな憐れみ深い生き方を、愛をほんの少しずつでも見習っていきたい…。そう思います。

2016年5月29日 聖霊降臨後第二主日礼拝説教(むさしの教会)

むさしの教会だより7月号より:2016年7月 31日発行

5年4ヶ月後の被災地を訪れて  八木 久美

梅雨の最中6月21日〜23日にかけて女性会連盟:合同役員会・被災地訪問の企画で5年ぶりに仙台教会を訪れる機会が与えられた。仙台駅からバスで15分程の住宅街にある教会は手作りモザイクの十字架が外壁に施され、入口の寄せ植えのラベンダーが良い香りを放ち私たちを迎えてくれた。各教区から現地集合したメンバー11名(小勝奈保子、野口勝彦両牧師含む)は、まず礼拝を献げ、今回の企画が主の御心に適い、祝福の内に守られることを共に祈った。平日の昼間も手伝い静けさに満ちた礼拝堂に身を置く間、私は胸が苦しくなる程の懐かしさと、当たり前とは言え、あの時とはまるで違う状況に戸惑いも覚えた。

「2011.3.11」その2ヶ月後に友人と共にボランティアで初めて訪れた教会礼拝堂は、こぢんまりとした空間を簡易パーテイションで男女に分けた繁忙期の山小屋のごとき雑魚寝状態(採暖にも有効)。朝晩の礼拝と報告・確認作業の他、各々は石巻専修大学内に設置された現地救援センターからの派遣先へ向かい、被災現場での与えられた作業をひたすらこなすこと、それのみがあらゆる想像を超えた現実に直面し何も出来ない申し訳なさに打ちのめされ、実感できた真実であった。

再びこの地を訪れる迄の間、被災地支援の紹介・支援品販売の継続は途切れさせてはならないとの思いで関わり続けてきたものの、現地に身を置くことには躊躇があった。しかし時の流れの中で今を見続けること、それを伝えることは与えられた必然とも言えるかもしれない。
会議を終えた翌日、私たちは日和山公園へ向かった。日和山は市内中心部、旧北上川河口に位置する高さ56mほどの丘陵地で桜の名所としても知られ、中世には奥州奉行葛西氏の城「石巻城」があった所。松尾芭蕉、曽良、石川啄木、宮澤賢治始め多くの文人墨客が訪れ、好天時には牡鹿半島や松島、蔵王の山々が望める市民の憩いの場だ。

あの日、冷たい雪が降り続ける中、山頂へ避難した人々の目前で繰り広げられた光景を、私たちはただTV画面から観るしかなかった。その山頂から石巻湾を望んでいると、一人の年配の男性と目が合い話しかけられた。

その人は手にした家族のアルバムをめくりながら、眼下を指してどの辺りまで津波が押し寄せ、どの様な状況下をみんなが避難したのかを話してくれた。家族は上の息子を除き無事であったが、その息子さんは地震の後、自宅が心配で家へ戻り亡くなったそうだ。それ以降、日和山神社の約300段の階段を上り公園へ来て自身が体験したことを来訪者へ伝えることを日課としているとのこと。語りたくてそうしているのでは無く、語り続けずにはいられない「語り部」となったのだ。ishinomaki-park
左:当時の被災状況を説明する語り部(日和山公園) 右:がんばろう!石巻(二代目の看板)

〜次号へつづく〜

むさしの教会だより7月号より:2016年7月 31日発行

|折々の信仰随想| 信仰による明快さ  賀来 周一

「あなたは、冷たくも熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであって欲しい」—ヨハネの黙示録3章15節

来年は宗教改革500年。改めてルターの信仰を振り返る、よい機会となりました。ルーテル教会はもちろんのこと、他の教会にあっても、ルターに魅せられたという声をよく聞きます。人によって、ルターが見せる魅力は異なるでしょう。ある人にとっては、強大な敵に敢然と立ち向かう勇気に魅せられることがあるでしょうし、また内面へ沈潜する思索の深さに共鳴する人もいるでしょう。私にとってのルターの魅力は、彼の言い分にはあいまいさがないということなのです。

通常わたしたちは、自らの生活を取り巻くさまざまな事象を説明しようとする時には、まず自分の知惠を駆使して、何らかの結論を得ようとするものです。けれども事が信仰の世界に及ぶとなると、いくら知惠を尽くしても、思索の片隅に何かしらあいまいさが残るものです。平たく言えば、考えたあげくに、その先をはっきりさせたいのだけれども、何かしら靄がかかったような状態から抜けられないといってよいかもしれません。「あなたは、冷たくも熱くもない」とは、そのようなあいまいな状態を指すと思われます。

冒頭にあげた聖書の言葉は、ラオディキアの教会の信徒に宛てられていることを考えれば、すでに信仰を得ている者として、信仰の世界にあいまいさを残してはならないとする警告を投げかけていると受け取るのが、聖書が持つ本来の意図に添うと思われます。ですから、それを受けて「むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであって欲しい」と言っているのです。別の言い方をすれば、信仰の世界には、あいまいさを断ち切る明快さが必要であるということです。その意味では、ルターの言葉には信仰による明快さに溢れています。たとえば—

洗礼を受けたが、こんな自分でよいのかとぐらついている時「キリスト者は罪人であって、同時に義人である」にうなずくでしょう。心にいつも黒い影が差し込んでいて、こんなクリスチャンでよいのかと訝しんでいる時「キリスト者よ、大胆に罪を犯せ、大胆に悔い改め、大胆に祈れ」にハッとします。どろどろした罪の世界から抜け出すことができません。どうすれば罪から逃れることができるだろうかと煩悶する時「わたしが罪人であるというとき、わたしの罪はわたしにはない。わたしの罪はキリストにある」との言葉に、「そうか、キリストは私のために死んでくださったのだ」との確信が生まれるのではないでしょうか。

こうしたルターの言葉は枚挙にいとまがありません。でも、こんなことがありました。私の神学校時代(鷺宮)、何かの拍子に「ルターと聖書」とつい言ったところ、当時神学校長だった岸千年先生から「ルターは、それらの言葉を聖書から学んで自分の信仰の言葉にしたのだ。だから『ルターと聖書』と言うべきでない」と言われたのでした。つまり、ルターの言葉を聖書と同列にして、ルターを神格化するなという意味なのです。これも信仰的明快さと言えましょう。

元むさしの教会牧師(定年牧師)

 むさしの教会だより7月号より:2016年7月 31日発行


巻頭言 「“今”思うこと…」 浅野 直樹

私は“今”正直気が滅入っています。先の参議院選挙の所為です。その結果のためではありません(個人的な思いはありますが…)。あまりの投票率の低さに、です。

英国のEU離脱問題に世界は揺れました。私も関心をもってその動向を見つめていましたが、予想外の結果で大変なショックを受けました。しかし、その後の報道の方がショックが大きかったのかもしれません。そもそもEUのことをよく知らないまま投票した人も多かったらしい。離脱賛成の票を投じた当人たちも、まさか離脱という結果になるとは思わず、後悔し、国民投票のやり直しを求めているらしい。ただキャメロン首相(当時)にお灸を据えたくて賛成票を投じたらしい。離脱派のリーダー的存在だった人たちも、本当は離脱を願っていなくて、ギリギリの線で負けることを想定していたらしい。そんなことがいろいろと取りざたされたからです。これほど世界中を混乱させた国民投票が、一票を投じる側も、扇動する側もこんなに軽い気持ちだったのか、と呆れてしまうほどでした。

そんな出来事を目の当たりにした後の参議院選挙でした。与党は憲法改正を前面には出してきませんでしたが、争点であることは明らかでした。これほど重大な課題を背負った選挙だったにもかかわらず、有権者の半数近い人々が棄権してしまった。このあまりの無関心さになんだか危なっかしさを感じたからです。ひょっとして“今”の日本社会は、私が認識している以上に病んでいるのかもしれない…。闇が濃いのかもしれない…。こんなことに関心が持てないほど現実が厳しいのかもしれない…。

「すると、主はこう言われた。『お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。』」(ヨナ書4章10〜11節)。

“今”の日本社会にどのように奉仕すればいいのか…。今日の宣教ということをもう一度考えてみたいと思っています。

むさしの教会だより7月号より:2016年7月 31日発行

巻頭言    浅野 直樹

「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみをうける。」
(マタイによる福音書 5:7)
「『わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ』
と主なる神は言われる」エゼキエル書18章32節

皆さんもご存知のように、熊本を中心に地震による大きな被害が出てしまいました。「えっ、九州で…」と思ったのは、私だけではないと思います。私はこの4月に大柴先生の後任としてむさしの教会に着任いたしましたが、前任地は静岡市の小鹿教会と清水教会でした。

ちょうど、あの3・11のあった2011 年3 月6日に按手を受け、五日後の11日に入院先のベッドの上(詳しい話しはまた今度!)で震度5弱の揺れを経験し、前述の前任地に赴いたのでした。正直、身内からは静岡に行くことに危惧の声も上がりましたが、あれから5 年、心配したようなことは幸いにして起こりませんでした。しかし、今度は初めての転任を経験した直後にまた大きな地震が起こってしまった…。なんだか複雑な思いです。直接被害に遭ったわけではありませんが、やはり色々と考えてしまいます。「神さまがいるなら、どうしてこんな惨たらしいことが起こるのか」。こういった大きな災害に直面したときに、多くの方々(私たちも含めて)がもたれる問いではないでしょうか。

前述のように、わたしは直接的には震災に遭った経験を持っていません。しかし、長男の闘病と死を経験いたしました。もちろん、全く違った経験です。しかし、長男の病気は「十万人に数人」という確率の脳腫瘍(髄芽腫)でした。正直、「どうしてうちの子が…」と思ったものです。七転八倒の毎日、神さまを恨む日々でした。
しかし、その最中(さなか)でこうも思わされてきました。当たり前のことに、当然のことに気づいていなかった、いいや、背を向けていたのではないかと。子供だからといって不治の病に罹らない保障など何もないのに、死なない確約など何もないのに、どこかで元気に生き続けることが「当たり前」だと思っていたのではないかと。そして、こうも思いました。実は、そんな「当たり前」と享受してきたものこそが奇跡なのではないかと。「当たり前」と思っていた家族、健康、平安、幸せ、生きるということが、実は奇跡の連続だったのだと。その「当たり前」を失って、ようやく気付かされたようにも思ったのです。震災は奪うだけでなく、多くのことに気づかせてもくれました。

ありふれた「当たり前」の幸せ、人の温かさ、絆の尊さ…。もちろん、そんなことで被害に遭われた方々の心は癒えないのかもしれない。「どうして」という問い、悲しみ、痛みは消えないのかもしれない。正直、私は未だにそれらの方々に語る言葉を見出せずにいます。しかし、だからこそ「信仰」なのだと思う。何事もなく無事に生きられるから、ではなく、それが私たちの現実でもあるから信仰なのだと思うのです。私は未だ答えを得ていません。正直、恨み節もあります。それでもいい、その問いは無くならないのだと思う。それでも、この信仰が…、「生きよ」と言ってくださる神さまを、イエスさまを信じる信仰が私を、そして長男を支えてくれた、守ってくれた、救ってくれたと心底思うのです。だからこそ、この信仰をますます養っていきたいし、この信仰を現実の世に、人々に伝えていきたいのです。

むさしのだより5月号 巻頭言

復活の主と出会うということ  浅野 直樹

聖書箇所:ルカによる福音書24章13〜35節

人生って、なかなか思うようにいかないものですよね。48年間生きてきた中で、私が悟ったことです(偉そうですが…)。でも、人生って「本当に不思議だ」とも思わされてきました。今、こうして皆さんを前にして説教をしていること自体も不思議でなりません。昨年の11月までは、こんなことはつゆほども考えていませんでしたから。それが、本当に不思議な導きで、こうして皆さんと出会った…。皆さんと共に教会生活を…、信仰生活を送らせて頂ける…。それは、まさに筋書きのないドラマ(神さまの筋書きはあるのでしょうが…)だと思います。

しかし、それ以上に私にとっての最大の不思議は、イエスさまとの出会いでした。本当に不思議と三十数年前(中学3年の時でしたが)にイエスさまと出会わせていただきました。この出会いがなければ、今、私はここに立っていることも、皆さんと出会うこともなかったでしょうし、それどころか、ここまで生きてこられたかどうかも怪しいものだと思っています。

今日は残念ながら、皆さんに私の人生の全てをお話しすることはきませんが、48年という中に私にもそれなりの人生がありました。辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、…正直、死んでしまいたい、と思った時期もありました。しかし、何度も何度も、乗り越えさせて頂いた、立ち上がらせて頂いた、道を正して頂いた、そう思うのです。年齢を重ねるごとに、経験を重ねるごとに、いろいろな壁にぶち当たるごとに、「信仰を持っていて…、いや、与えられて本当に良かった」と思わされてきました。まさに「不思議な恵み」です。そんな「不思議な恵み」の姿が、今日の日課にも描かれているように思います。

 今日の箇所は「エマオ途上」とも言われる有名な物語です。二人の弟子(12弟子以外の)がエルサレムからエマオに向かう途中、復活のイエスさまに出会うのですが、この二人にはそれがイエスさまだとは分からなかった、というのです。
 今日の箇所のポイントの一つは、この二人が「弟子」である、ということだと思っています。イエスさまを知らない、イエスさまを信じない人々ではなくて、イエスさまを知っている、信じている、イエスさまに従っている弟子であるこの二人が、復活のイエスさまのことが分からなかった…、気付けなかったからです。この二人もおそらく不思議とイエスさまに出会うことができたのでしょう。イエスさまの不思議な魅力に惹かれて弟子になることもできたのです。

19節にはこう記されています。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。……わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました」と言うほどに強い期待感を持っていました。しかし、後の箇所をご覧いただければ分かるように、十字架(苦難の意味)と復活のことについては全く分かっていなかったのです。ここに、なんだか私たちの姿と重なるところがあるように思わされるのです。もちろん、私たちの多くは受洗前教育を受けてきたはずです。堅信のための準備教育も受けてこられたでしょう。イエスさまの十字架の意味も、復活についても教え込まれてきました。だからこそ、信仰の告白もできます。

しかし、それらが『何よりもこの私のためであった…』ということになると、なんだか「ぼんやり」「おぼろげ」だったようにも思うからです。それが私たちの偽らざる現実の姿です。聖書を読んでいきますと、度々このような情けない弟子たちの姿を目撃致しますが、紛れもなくこの私たちも、そんな弟子たちに連なる者であることを思わされるのです。

 その弟子たちに、復活のイエスさまは近づいて来られます。確かに、その「鈍さ」を叱責されますが、それでもイエスさまは、その情けない弟子たちと一緒に歩まれるのです。ここに、もう一つのポイントがあります。やはり、イエスさまなのです。弟子たちではありません。弟子たちの頑張り、努力ではありません。弟子たちの聡明さでもありません。心が鈍く、すぐそばにおられる…、いいえ、すぐ隣におられる復活のイエスさまにも気づけなかった弟子たちにご自身を示されたのは、他ならぬイエスさま自身だったのです。なぜならば、イエスさまが人を…、私たちを救いたいと願っておられるからです。

私たちに復活の命を、永遠の命を与えたいと願っておられるからです。死に打ち勝つ…、たとえ死の床に伏すようなことになっても、絶対の平安・安らぎを、希望を与えたいと願っておられるからです。イエスさまこそが、私たちに熱心なのです。私たちは弱く、また鈍いのかもしれない。すぐに恵みを忘れてしまうような者かもしれない。しかし、イエスさまはこの私たちを見捨てることができないのです。諦めることができないのです。だから、隣を歩き続けられる。気づかれなくても、共に居続けてくださる…。そして、そんなご自身に、その存在に、その恵みに気づかせていってくださるのです。

 弟子たちは、「それがイエスさまだ」といつ気付いたのでしょうか。聖書の言葉が解き明かされ、パンが割かれたとき…、聖餐のとき、つまり、礼拝の場においてです。正直、いつもいつも礼拝の場でイエスさまを感じる…、出会えるということではないのかもしれません。それは、私自身も含めた牧師たちの大いに反省すべきところでしょう。それでも、イエスさまはここで働かれます。牧師の口を通して、用いて働かれます。聖餐式において働かれます。

「それがイエスさまだ」と分かる、分からされる瞬間がやってきます。目が開かれる…、復活のイエスさまと出会う瞬間がやってきます。その恵みの幸いに気づかされる瞬間が必ずやってきます。十字架と復活の意味がますます分からされていきます。いいえ、ここにおられる皆さんご自身がそれを体験してこられたはずです。ですから、このむさしの教会は90年の歴史を刻んでくることができたのでしょうし、今、皆さんがここにおられるのだと思うのです。

 是非、これからも、この私たちの礼拝の場が、いよいよイエスさまが働いてくださり、み言葉によって「心が燃やされるような」、復活のイエスさまと出会っていけるような、そんな祝福された場、時となっていけるように、不束者ですが皆さんと一緒に心を合わせていきたいと願わされています。
2016年4月3日 復活後第一主日礼拝

右みて左みて  徳弘 浩隆

 早いものでブラジルに7年となりました。貴重な経験をし、今後も牧師が交代で行くことは意味深いことだと思っています。総会では、JELCの牧師不足もあり私の延長した3年で宣教師派遣が終わると決められましたが、現地での日本人牧師の必要性や、牧師や教会の伝道スピリットをいきいきと保つためにも、交換牧師などの方法で道が続くように祈っています。

 さて、日本に帰ると街並みのきれいさや、秩序正しさ、お店の接客の丁寧さに驚かされます。大方のブラジル人は、明るくておおらかだけれども、いい加減で約束もあまり正直に守らない、なんて言われますから。しかし、日本では窮屈さも感じます。みな同じような服装、まじめなスタイル、仕事に一生懸命。そして他人と違うことをすることや、レールから外れた時の不安、そんなものにも気を使いながら生きざるを得ない様子も感じるからです。私たちは、それほど、生まれ育った環境や、周りの常識、人間関係に影響されて生きているのだと思います。

 今日の説教題は、「右みて左みて」です。小学生の交通安全教室のようですね。私たちは子供のころから、道を渡るときは、「右を見て、左を見て、もう一度右を見て、手を挙げてわたること」を教えられてきました。運転免許を取るときは、「右よし、左よし」と声に出して確認させられたりもしました。しかしどうでしょう、ブラジルではこれは通用しません。自動車が右側通行だからです。交差点では、まず左側を見なければなりません。左を見て車が来ていなことを確認して、次に右を見て奥のほうの車線にも車が来てないことを確認する、そしてもう一度左を確認して、車がいなければ速やかに渡るのです。つまり、右を見て左を見るか、左を見てから右を見るか、これは自動車が右側通行か左側通行かで違ってくるわけですね。しかし、私たちの習慣は恐ろしいもの。私はまだ、ブラジルでも「右を見て左を見て」しまいます。しまった、逆だった、と思い、きょろきょろ何度も左右を見るのです。

今日の聖書
 こんな話が今日の聖書とどんな関係があるのかと、思われるかもしれません。しかし私は、昇天主日の聖書を読んで一番に思い出したのが、この体験でした。イエスキリストが、弟子たちが見ている前で、天にあげられました。弟子たちは、それを見つめ、最後まで見つめ、もう見えなくなってもずっと、天を見ていたのでした。その時、二人の天使らしき人がこう告げます。「なぜ天を見上げて立っているのか」と。その言葉で弟子たちは、はっと我に返らされたのです。「名残惜しそうに、天ばかりを見つめていているばかりではいけない」と。彼らは足元を見つめ、それぞれの自分の生活、または使命に向かって歩き始めたのです。

振り返り
 私たちは、毎日、何を見て生活しているでしょうか?天ばかり見上げているかもしれません。いや、いつも、自分の足元ばかり見ているかもしれません。天ばかりを見つめている人はどうでしょうか?聖書を読んで、祈って、素晴らしい信仰かもしれません。しかし、自分や家族の生活が見えていないかもしれません。その苦しさや、悲しみに、本当に心を寄せていないかもしれないのです。足元ばかり見ている人はどうでしょうか?しっかりと確かに歩いているかもしれませんが、自分の足と見える道のりだけを頼りにし、時として迷い、疲れて座り込んでしまうかもしれません。

 私たちは、キリストの十字架により、信仰によって救われました。天を見上げて、感謝して歩んでいき、やがて行く天国を見つめて生きています。しかし、まだ続く地上の生活の、もろもろの出来事の中で生きてもいるのです。この天と地のギャップを、矛盾を埋めるために、キリストは来られ、十字架にかけられ、私たちと神様との仲保者になってくださいました。私たちキリスト者の生き方は、天を見て、地を見て、そして天を見上げながら、キリストとともに今を確かに生きるということです。信仰生活の交通安全標語を作るとしたら、「天を見て、地を見て、もう一度天を見て」という言葉がふさわしいかもしれません。

勧め
 私はブラジルで毎日のストレスと忙しさから、一人自分を外に置きたいと月曜日はできるだけお休みをいただいています。人のお世話をして、何かを教えるということが多いのが牧師です。重荷を感じても、日本語で相談できる牧師仲間も先輩牧師もそばにはいません。月曜日は、近所のカトリックの教会のミサに行ってみることが多くなりました。教えられる側、座っていて讃美歌を歌う側になるのも、新鮮なものです。

 ある日、神父さんがこう聞きました。「今日中に奇跡が必要な人は手を挙げてください」その日の聖書は、キリストが若者の病気を治すところでした。何人かの人が手をあげました。わたしも、つい挙げてみました。頭の痛い問題がいくつかあり、何とか解決しないかと、祈っていたからです。神父さんはこう続けます。「今は夕方の6時半、あと数時間しかないけれど、今日中に奇跡が必要なんですね?」と。みんなは、神父さんを見つめます。私も、この先どうなるのかとみていました。何かいいことが起こらないかとも思ってもいたからです。すると神父さんはこういいました。「ならば、神の国と神の義を求めなさい」と。「あー、そうだ。やられたなぁ」と思いました。

 私たちは、目の前に問題があると、そればかりを見つめさせられます。小さなものでも、どんどん大きく見えてきて、押しつぶされそうになります。しかし神父さんは、聖書の言葉をひいて、「まず神の国と神の義を求めなさい」といわれました。「そうすればすべてのものは添えて与えられる」と続くからです。下ばかり見ていた私たちに、上を見るように、天を見上げるように、促されたのです。
 私たちに必要なこと、それは、「右みて左みて右を見ること(日本では)」、そして「天を見て地を見てもう一度天を見上げること」。それが大切な信仰生活です。昇天主日のこの日、そのことを覚えて、神様とともに毎日を歩んでいきましょう。

brazil-tokuhiro

2016年5月8日説教

神はどこにいますか? 賀来 周一

熊本でこのような大地震が起こるとは、「まさか」と誰しもが思ったにちがいない。己の責任によらない不慮の出来事は人生につきものとはいえ、天災や不慮の事故、突然の病気は、常に「まさか」のこととして起こる。こういう「まさか」が起こると、しばしば「神はいるのか」、「こんな不幸をもたらす神は信じない」、「祟りだ」、「神の怒りだ」、「運命だ」などという言葉が巷間を駆け巡る。
 東日本大震災の直後、福島県のある教会から応援の依頼があった。教会には保育園が併設されていた。園児の家はほとんど被災している。漸く残った少人数の園児のために保育がなされているが、保育者も被災していて皆どうしてよいか分からない。応援に来て貰えないかとの依頼であった。阪神淡路大震災の時は、まだ体力があって、西宮の教会に泊まり込み、24時間対応の電話相談所を開設したこともあったが、今の体力では難しいと判断し「何としてでも行きたいけれども、年も年だし、瓦礫の片付けなどもできない。かえって足手まといになって迷惑を掛けるから」と返事をしたが「先生、いるだけでいいから」ということであった。その声の調子からして深刻な事態がありありと分かる依頼であった。急遽、他の先生に事情を話し、その先生に行って貰えることになり、ひとまず安堵の胸を降ろしたのだった。事態が危機を孕む時には「共にいるだけ」がもっとも重要な援助となることを知らされた経験であった。

 ドイツのルーテル教会の牧師であったフリドリヒ・ブルームハルトは、「神は上から眺めておいでになるだけの方ではない。神は地上の神であって、人間がもっとも困難とする場をご自身の働き場とされる。だから地上のことがイヤになったからといって,そこから目をそらしてはならない。世の中がイヤになればなるほど、そこに神の働き場を見る」と言う。ノーベル平和賞を受けたエリ・ヴィーゼルというユダヤ系アメリカ人作家がいる。彼の母と妹はガス室送りとなって殺された経験を持つ人である。彼の作品にユダヤ人強制収容所での出来事を記した『夜』がある。二人の大人と一人の子どもが絞首刑に処せられる。二人の大人はロープに吊されると程なく息絶えた。しかし、子どもは軽いので30分もロープが首に巻き付いたまま苦しんだのだった。その情景を描写しながら、彼はこう言う。「わたしの背後で『一体、神はどこにおられるのだ』と尋ねる声が聞こえた。・・・・・わたしは、わたしのこころの中に、ある声を聞いた。『ここに、この絞首台に吊るされておられる』」

 聖書の神は、<共に苦しむ神>であると言われる。ヴィーゼルはユダヤ教徒だから、当然この声の後ろにイザヤ書53章の苦難の僕の姿が思い浮かべたにちがいない。苦難の僕が新約に引き継がれると、それは十字架のキリストとして一層鮮やかに描き出される。十字架の上でキリストは、こう言われた。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と。ここに、苦しみをご自身に引き受けて、共に苦しんでくださる神が「おられる」ことを知る出来事を見るのではないだろうか。

むさしの便り 5月号より

そよ風『心の形状記憶』  秋田 淳子

形状記憶繊維って、ご存じですか?水につけて乾かすと、最初に記憶させていた状態(形状)に戻る様に加工された繊維のことで、例えばこの加工を施されたワイシャツは、洗濯した後そのまま乾かすだけで自然に皺が伸びるので、アイロン掛けが必要ないのです。

私たちも、毎日の生活を規則正しく過ごすリズムを最初に身体に記憶させておけば、例えそのリズムが崩れるようなことがあったとしても、すぐにまた元のリズムに戻ることが出来る… 一方、ダラダラと過ごすことを楽チン!と記憶した身体は、そのリズムが基盤になってしまっているので、規則正しいリズムに変わるのは、なかなか大変なことでしょう。

心も同じです。私たちが生まれて初めて神様と出会った日のあの喜びを、あの時の感動を、心がしっかり記憶していれば、たとえ人生の途中で神様から心が離れて歪んでしまう様な日々が続いたとしても、また元の状態に必ず戻ることが出来る。それは、心がちゃんと覚えているからです。神様を賛美すると、心が楽しくなることを。神様に祈ると、心が慰められることを。そして、何よりも神様と一緒にいると、心がピチピチ元気でいられることを!

神の祝福の虹を仰ぎ見て    大柴 譲治

「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみをうける。」(マタイによる福音書 5:7)

「すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」(創世記9:13)

むさしの教会の礼拝堂はノアの箱舟をかたどって造られています。設計者は教会員の河野通祐(こうのみちすけ)兄。和風建築の専門家でした。当時神学校で礼拝学を教えていた青山四郎牧師と協議を重ね、周囲との「共生」を考えながらここを設計したと伺いました。「建築とは思想」なのです。

『教会とシンボル』という小冊子にはこの教会のシンボル一つひとつに込められた深い意味が記されていますのでぜひお読みいただきたいところです。外壁にはつがいの動物たちが天を見上げているレリーフ(山本常一作)が置かれています。彼らは天に架けられた虹を見上げているのです。創世記によれば「虹」は「神の契約のしるし」です。

「雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める」(9:16)。教会は虹を見上げる場所です。築後一年ほどしてむさしの教会には米国より羊飼いのステンドグラスが与えられました。それはいつも陽光の中で虹色に輝いています。神がいついかなる時にも私たちを見捨てることなく、私たちとの「契約」を思い起こしてくださることを私たちが想起する場所なのです。

「取って食べなさい。これはあなたがたのために与えるわたしのからだである。取って飮みなさい。これは罪のゆるしのため、あなたがたと多くの人々のために流すわたしの血における新しい契約である」(聖餐設定辞)。そのように告げて私たちにご自身のすべてを与えてくださったキリストの新しい契約、それこそ「虹」が指し示している「永遠の契約」です。礼拝を通して私たちは共に虹を見上げることができる。何という喜び、何という慰めでしょうか。そこには神の祝福が満ちています。

1997 年8 月24 日(日)の礼拝で「燃える柴、燃え尽きない柴」と題して説教を始めてから18 年7 ヶ月が経ちました。昨年10 月4日(日)には宣教90 年を記念。『むさしの教会宣教90 年記念誌』(編纂委員会編、八木髙光委員長)も完成しました。また新ビジョン委員会(市吉伸行委員長)の答申も定期総会で分かち合われました。これは10 年後25 年後を視野に入れた私たちの教会の羅針盤です。一つひとつがこの教会の人材の豊富さを表すと共に、歴史を貫いてキリストの現臨があったことを証ししています。

私は3 月末で当教会を離任し4 月より大阪教会の牧師となりますが、これまで皆さんと共に虹を見上げつつ歩むことができたのは大きな祝福であったと思っています。これまでの私たち家族へのお祈りとお交わりに心から感謝して、後任の浅野直樹Jr 牧師にバトンを託してゆきたいと思います。むさしの教会の上に神さまの祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。soli deo gloria.

「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40:31)

弱さは強さです  賀来 周一

よく知られた精神病理学者たちの多くは、「弱さ」とでも云うべきものを持っています。
またそこから逃げようとせず、それを土台に偉大な業績を残しました。ジグモント・フロイトは神経症に苦しみ、その結果が精神分析という偉大な理論を生み出すに至りました。

アルフレート・アドラーは、幼少時に「くる病」に罹患しており、このことが彼の器官劣等性の理論展開に寄与していると言われています。人は弱点を持つことによって、成長していくのだという考え方です。カール・グスタフ・ユングは無意識の世界から生じるある種の幻覚とでもいうべきものを持っていましたが、かえってそのことを活かして、無意識の世界を深く掘り起こし、彼独自の無意識に関する理論を開発しました。無意識の奥底に人は元型と言われるイメージを持っていて、それが人生を動かすという説です。


例えば、男性は女性イメージのアニマ、女性は男性イメージのアニムスなるものを持ち、それによって結婚相手を決めるとか、人生にはトリックスターなるいたずら者が働いていて、急に運がむいたり、とんでもない不幸に落ち入ったりするというのです。

アンリ・エレンベルガーは、その著「無意識の発見」上下巻(木村、中井監訳、弘文堂発行)の中で、これらの人々は創造の病を持っていたのだと言います。「弱さ」、「弱点」と云うべき病がなければ、こうした偉大な理論は生まれなかったからです。

「弱さ」は大切な宝物です。自分の「弱さ」を知る者は、他者の「弱さ」に共感し、その「弱さ」を受容することができます。「弱さ」を「知る」とは、単に知識として知ることではありません。自分の「弱さ」と向き合い、体験的に「気付き」として捉え、それを対象化することを意味します。そうすることで、自分の「弱さ」に執着することなく、またそこから逃げることなく自分の責任で保持することが出来るようになります。そうなって初めて「弱さ」が、成長するための己の道具となるのです。

たとえば人を愛するという場合、言葉で言うことは容易いでしょう。しかしこれを体験的に愛せざるを得ない真実にしようとするなら、裏切られた、拒否された、こじれた、意地悪をされた等々のいやな経験があってこそ、あるべき真実の愛が必然的に見えてくるのではないでしょうか。それこそ、自分の「弱さ」と向き合う経験をしなければ見えてこない世界でもあります。

その意味では、わたしたちは自分の経験の中で大なり小なり、日常の中で、「傷つく」、「辛い」、「苦しい」こと、それらをひっくるめて、自分の「弱さ」とでも云うべきことを経験しています。それらの中に、わたしたちを前進させる本物の「強さ」を発見するはずです。そのような視点から我が身を見れば、またひと味ちがった自分が見えるのではないでしょうか。パウロは言いました。「わたしは弱い時にこそ、強いのです」(Ⅱコリント12 章10 節)と。

「あなたの信仰があなたを救った」  大柴 譲治

「巡礼の詩編」

毎年「過越の祭り」にユダヤ人は巡礼団を組織して各地から神の都・エルサレムに上ってゆきました。その道すがら歌われたのが「都詣での詩編」と呼ばれる詩編120 編から134 編までの15 編です。それらは「都に上る歌」とも呼ばれますが「巡礼の詩編」だったのです。本日は、三度目の受難予告に続けて主が盲人の目を癒された場面です。それは旧約聖書の「メシアのしるし」預言の成就でもありました。本日は共に「あなたの信仰があなたを救った」という言葉に焦点を当てつつ詩編の豊かな響きに耳を傾けてゆきたいと思います。

かつて米国サンディエゴでホスピスチャプレンとして訓練を受けた時、ある同僚チャプレンが「ヨブ記と詩編、この二冊だけをポケットに入れておけば十分」と言っていました。「もう治療の術なく余命半年」という宣告を受けたと想像するだけで、私たちの心は動揺します。そのような中で特にヨブ記と詩編は、共にコヘレトの言葉(伝道の書)や箴言と並び「知恵文学」と呼ばれるものですが、これらのみ言葉が苦難の中にある人々には深い共感をもって読まれてきたのです。

詩編は共同体の祈りであり讃美歌でもあるのですが、その作者たちは自分の思いをすべて神に向けて発しています。喜びも悲しみも、信頼も嘆きも、疑いも絶望も神に向かって叫んでいる。たとえば「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なにゆえわたしをお見捨てになったのですか)!」という十字架上での主イエスの悲痛な声は詩編22編の冒頭に刻まれた叫びでもありました。詩編は全部で150 編ありますがその4 割は「嘆きの詩編」なのです。人生の苦しみや悲しみ、嘆きの中で詩編は神に向かって正直に自分の心の叫びを訴えている。

考えてみれば、最 後の投げ所、拠り所として呻きをぶつける存在を持つ者は幸いであると言わなければなりません。 例えば巡礼詩編の一つである詩編121 編。「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから」(1-5節)。何と味わい深い詩編でしょうか。

神が 私たちと共にあり、まどろむことなく私たちを見守っていてくださるのだというのです。
その意味では、私たちの人生は神の永遠の都に向かう「巡礼の旅」なのかも知れません。私たちは共に詩編を歌いながら人生の荒野をキリストに従い巡礼を続けてゆくのです。

 

三度目の受難予告

本日の福音書の日課を読みますと、イエスさまの一行もまたエルサレムを目指す巡礼団の一つであったことが分かります。しかしそれが他の巡礼団と異なっていたのは、過越しの犠牲として屠られるべき「子羊」は主ご自身であったということです。旅立ちの前に主は告げられました。「イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。

『今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。』十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである」(31-34 節)

そのようにして旅立った主イエスの一行。彼らも「キリエ・エレイソン」と巡礼歌を歌い続けていたに違いありません。巡礼団は心を神に向けて祈りながら旅を続けてゆきます。巡礼詩編126 編の終わりにはこうあります。

「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる」(5-6 節)

涙が喜びの歌へと変えられてゆくように歌いながら巡礼者はエルサレムへと歩を進めていったのです。ちょうど私たちが様々な思いをもってこの場所へと足を運ぶように。神の都エルサレム。私たち自身にとってこの人生は「天のエルサレム」を目指して歩む巡礼の旅なのです。詩編を祈る時、私たちは自分の中にあるものが浄化されてゆくように感じます。それはやはりルターが言うように、詩編はすべてキリストの祈りであるからではないかとそう思われるのです。

 

深い淵の底から

イエスさまの一行はエルサレムに向かう途上、エリコにさしかかるところで一人の盲人と出会います。ルカは記しています。「イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、『これは、いったい何事ですか』と尋ねた。『ナザレのイエスのお通りだ』と知らせると、彼は、『ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください』と叫んだ。先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、『ダビデの子よ、わたしを憐れんでください』と叫び続けた」(35-39 節)
彼はイエスに向かって見えない目を向けて声の限りに叫ぶのです。「主よ、憐れんでください。ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください。キリエ・エレイソン!」と。
私の中でこの情景は詩編130 編と重なります。私が劇作家であれば、この時一行は130 編を歌っていたと作品に書くだろうと思います。詩編130 編はこう歌います。「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら 主よ、誰が耐ええましょう。しかし、赦しはあなたのもとにあり 人はあなたを畏れ敬うのです。

わたしは主に望みをおき、わたしの魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます。わたしの魂は主を待ち望みます、見張りが朝を待つにもまして、見張りが朝を待つにもまして」(1-6 節)その盲人の「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください!」という悲痛な叫びは深い闇の淵から、闇のどん底からイエスに向かって発せられた叫びでした。

「先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、『ダビデの子よ、わたしを憐れんでください』と叫び続けた」という情景は彼の絶望の深さを表していましょう。そしてそこにはメシア・イエスに頼ろうとする一人の盲人の必死な思いが現れています。「イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。『何をしてほしいのか。』盲人は、『主よ、目が見えるようになりたいのです』と言った。そこで、イエスは言われた。『見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。』盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した」(40-43 節)

 

「あなたの信仰があなたを救った」

主が盲人の叫びを聞かれたのです。そして彼は闇の深い淵の底から光の世界へと救い出されました。開かれた目を通して目の前にいる救い主を仰ぎ見ることができた。盲人の目が開かれて見えるようになるというのはメシアのしるしとしてイザヤ35:5 などに預言されていた言葉です(ルカ1:18-19=イザヤ61:1-2、イザヤ35:5)。すばらしいメシアの預言がイエスにおいて成就(実現)したのです。イエスこそメシアだったからです。実際に目を開いたという奇跡は聖書の中に主イエス・キリスト以外には記されていません。今回注目したいのは、ここで語られた主イエスと盲人のやり取りです。

①イエスは言います。「(私に)何をしてほしいのか」。②盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。③そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」。 主はこのやり取りを通して盲人の願いが神の御心に適っていることを宣言します。盲人はそれまで自分が生きてきた闇の世界から自分を解放してくれる者が必ず現れるという信仰を持っていたに違いありません。最初から諦めていたなら主に向かって必死に叫び続けるということはできなかったでしょう。何度も諦めかかったことはあったかもしれません。しかしその度に彼は「神は必ず私をその豊かな憐れみによって助けてくださる!」と彼は深い絶望の闇の中で信じたのでした。闇の中で働く信仰は神ご自身の働きです。


「何をしてほしいのか」という主イエスの言葉は盲人が長年待ち続けていた神からの応答でした。見えない目をその声の方向に向け、イエスが自分に向かい合ってくださっていることをヒシヒシと感じながら万感の思いを込めて盲人は言います。「主よ、目が見えるようになりたいのです」。救い主であるあなたのご尊顔をこの目で拝したいのです。


あなたの慈愛と祝福に満ちたまなざしに触れたいのです(礼拝の最後のアロンの祝福を想起!)。そしてあなたの後を神の救いの御業を讃美しながら喜びと感謝のうちにあなたに従ってゆきたいのです。盲人はそのような万感の思いを込めて主イエスに申し述べます。「主よ、目が見えるようになりたいのです」。そしてその願いが聞き届けられます。


主は言われました。「見えるようになれ!あなたの叫びは神に届いた。あなたの願い(祈り)は神によって聞き届けられた。あなたの願った通りに、あなたは見えるようになる。『求めよ、さらば与えられん。探せ、さらば見出さん。叩け、さらば開かれん』とわたしが言ってきた通りなのだ」と。そして主はそれに続けて「あなたの信仰があなたを救った」と告げられました。この言葉の真の意味は何か。その盲人は皆の制止をも振り切ってなりふり構わず必死になって主の憐れみを呼び求め続けました。「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。キリエ、エレイソン!」。それは確かに「信仰」の業でした。


しかし、実は「信仰」とは私たち人間の業ではないのです。それは、私たちにおいて働く神の御業です。「あなたの信仰があなたを救った」というのは、「神がどのような時にも、常にあなたと共にいて、あなたを守り導いてきた。あなたの中に働く神の信仰があなたを救ったのだ」という意味です。そしてさらに言えば、彼の中にはキリストが既に共にいて働いていたのです。キリストの御業が彼をして叫ばしめたと言ってよい。そう私は思います。


この盲人は声の限りにイエスに向かって叫び続けた。恐らく声が枯れても彼は叫び続けたでしょう。「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください!」都詣での詩編130 編が歌う通りです。

「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください」(1-2 節)

「深い淵の底」からのこの叫びが主の耳に届いたのです。「求めよ、さらば与えられん」です。「わたしに何をして欲しいのか」「主よ、目が見えるようになりたいのです」。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」(42 節)。すると「盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した」(43 節)

もしかすると盲人は、自分が目が見えないことを自分には信仰がないからだと思っていたかもしれない。しかし主はそこに片時も離れなかった「神のご臨在」を認めているのです。神の恵みのみ業が共にあったことを認めているのです。それは私の中ではあのパウロの言葉と重なります。

「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子の信仰によるものです」(ガラテヤ2:20)


私たちもまたそのような神のまこと(ピスティス)に与りながら、この人生、神への巡礼を続けてゆくのです。憐れみの主が私たちに先立ち、私たちを先導してくださいます。


そのことを覚えつつ、新しい一週間を共に踏み出してまいりましょう。巡礼の歌を歌いながら。そして、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」という主イエスのみ声を深く味わい、噛みしめながら。ここにお集まりのお一人おひとりの上に主の豊かな慰めと守りがありますようお祈りいたします。 アーメン。
(2016 年2 月21 日 四旬節第二主日礼拝)

~読書会から~ 羽田 圭介著『スクラップ・アンド・ビルド』 仲吉 智子

「スクラップ・アンド・ビルド」とカタカナの題にとまどいながらも、少しばかり期待して読みました。英語の意味を調べてみると、「工場設備や行政機構などで、古くなって使いづらい設備や組織を捨てて、新しい設備や組織を作ること」とありました。

テーマはご多分に漏れず高齢化の進む中で社会問題にもなっている、介護が取り上げられていました。孫と祖父と母親という登場人物ですが、あまり重い話にならず孫の視点で書かれています。会社を辞め、アルバイトをしながら職探しをし、祖父の世話もしながら、また若者らしくデイトも楽しみながら自身の肉体も鍛えつつ日々を送っているのですが、孫には理解しがたい祖父の行動を距離をおいて見ています。「早くあっちへ行きたか。死にたか。」という祖父の思いにどうしてあげられるのかと考えたりもします。

母親としては自分の父親なので、これ以上手が掛からないようにと祖父の甘えに罵声を飛ばしながら刺激をしています。今介護と一言でいいますが、それぞれの置かれている状況が違い、介護制度も細分化されとても利用しにくいと聞きます。介護する側の者が重労働にならないようにということもあるでしょうが、ベストのケアを受けるには、お金もかかってくるのです。私が主人を在宅ケアを利用して見ていた頃とは、随分制度も変わってきたように思います。あの頃は制度もまだゆったりとしていて充実したケアを受けられたと思います。
さて、本に戻りますが、会社を辞めてから一年後には新しい仕事が決まり家を出ることになり、祖父がたよりにしていた孫の旅立ちで、祖父もある程度自立し、自分で出来ることはやる生活になるのではないでしょうか。
読み終えて題名の意味が、わかったような気がしました。

大柴譲治牧師を送る  中山 格三郎

2016(平成28)年3月31日をもって、大柴牧師が日本福音ルーテル大阪教会へ転出されることとなりました。惜しみても余りありと申すべきでしょう。思い起こせば、2年に亘る米国留学より帰国、1997(平成9)年9月1日付にて着任以来今日まで、18年半に亘る長期在任でした。石居基夫牧師の次の一年半、専任牧師をいただくことなく、神学校の徳善義和教授にご無理を願い兼任態勢にて過ごしておりましただけに、大柴牧師のご着任を迎えて、教会員の皆が待ち焦がれていた人事が実現したのでありました。
 
とは言え、国際的なルター学者である徳善先生の説教を毎週拝聴できましたことは、これはこれでまことに贅沢な、且つ稀有な期間を恵まれたことでございました。その後を受け継ぎ、大柴牧師は40歳の若さで着任以来、精力的に活動を開始されましたが、基本的な姿勢はあくまでも礼拝中心の宣教活動に徹しておられました。ともすれば数的な宣教成果を望みがちな役員・信徒たちに対しても、我々の働きが良しとされれば、数は神様が添えてお与えくださることとして、微動だにしない姿勢を示し続けられました。

 
「私は宣教において数値目標は申しません。」と宣言されました。教会の働きの成果は、常に礼拝を忠実に守り続ける中においてのみ実現するとの確信に貫かれていました。そして、礼拝中心の宣教に加えて、先生の生涯活動ともいうべきカウンセリングを通しての牧会を通じて、宣教活動を展開されました。その成果は、多くの受洗者のみならず他教会からの転入者たちが与えられ、その新たに加えられた方々が、今やむさしの教会の宣教の一角を担っておられる姿にも明らかになっています。大柴牧師を中心にした“むさしのの輪ツ”が形成されてきたのではないでしょうか。
 
90年の年輪を刻むむさしの教会の歴史の中にあって、確かな18年半の宣教のわざが花開いているのではないでしょうか。「千年といえども御目には、昨日が今日に移る夜の一時にすぎません」(詩編90:4)が、その「一時」を大柴牧師と共に担い続けてこられた光栄を思い、深く感謝する者でございます。そして、ご家族の皆様との深いお交わりにも御礼申し上げます。
 
大柴牧師とご家族の大阪教会での新たな歩みの上に大いなる展望が拓け、彼の地にあっても、また確かな宣教の年輪が刻まれて行くことを祈念しております。残されたむさしの教会にあっても、次なる「一時」が受け継がれて行きます。
 
そこには、また異なる色合いの宣教が展開されることでしょう。次の「一時」を、後任の浅野直樹牧師と共に果敢に担って参りましょう。そして、その群れに神様の豊かな御祝福を祈り求めます。

アドヴェント黙想 〜 信仰によるレジリエンス  大柴 譲治

 人生を旅に譬えると、この旅には何が必要なのでしょうか。目的地?計画?健康?智恵?余裕?仲間?情報?それともやはり先立つものはお金?人生には山あり谷ありですから、先人や長老たちの智恵は確かに優れた価値を持っていましょう。「速く行きたいならば独りで歩きなさい。遠くまで行きたいなら誰かと一緒に歩きなさい」というアフリカの諺を思い起こします。困難に直面した時、傍に相談できる家族や仲間がいてくれるということは大きな支えです。ホスピスチャプレンの経験からもそう思います。

 「レジリエンス」という言葉があります。本来は「(バネの)復元力、回復力」を意味しましたが、今は「逆境(に打ち勝つ)力」とも「折れない心」(NHK『クローズアップ現代』)とも訳されます。「雑草力」とも訳せるかもしれません。そこでは、性格や自尊感情など自らの態度が重要になりますが、さらに重要なことは自分の傍に誰か聴き上手な人を持つことです。聴いてくれる友を持つ人はレジリエンスが強化されてゆきます。人は自分の気持ちを言葉で表現することで自らを客観化・相対化することができるのです。ドイツなどには「分け合えば、喜びは二倍、悲しみは半分に」という諺があります。私たちは互いに支え合う仲間を必要としています。

 旧約の神の民も荒野の40年やバビロン捕囚という苦難を体験しました。本来「荒野」とは人が自分の力に頼っては生存できない場のこと、神に頼る以外にない場のことを意味します。人生の荒野の直中で神を信ずることで強い逆境力(レジリエンス)を鍛えられていったに違いありません。

そのことは150編ある詩編の40%が嘆きの詩編であることからも分かります。詩編は信仰共同体の中で歌われてきた共同の祈りです。神に向かって共に嘆くことで、自分の中にあるものをすべて神に吐き出すことで支えられていったのです。神に向かって吐き出してよい。嘆き祈ることを通して彼らは「わたしはあなたと共にいる」という神の確かな御声を聴き取っていったに違いありません。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)とイエスも語られました。

 今年も11月29日から待降節(アドヴェント)に入ります。主の到来に心を向けて備える期節です。典礼色は紫。それは悔い改めの色、王の色。自らを吟味しつつ、今から二千年前の降誕(クリスマス)の出来事(第一の到来)と終末時の主の再臨(第二の到来)とを覚え、両者の間で人生の歩みを処してゆきたいと思います。救い主が向こう側から一歩一歩近づいてきてくださるのです。

この近づいてこられるキリストの中に信仰の力(レジリエンス)の源がある。人生という旅の途上で無くてならぬものものはこの力です。アドヴェントはそのことを確認する時でもあります。それ以外の必要なものはすべて添えて与えられてゆくことでしょう。
 宣教91年目のバトンを石田順朗先生から引き継いで、私たちは今ここに新たな宣教の歩みを踏み出してゆきたいと強く願うものです。

「最高の掟〜アガペーの愛に生きる」  大柴譲治

申命記 6:1-9 「 (4)聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。(5)あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」

マルコによる福音書 12:28-34 (29)イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。(30)心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』(31)第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」

 

はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

 

石田順朗牧師の召天報に接して
私たちは先週、11月3日(火)にむさしの教会恒例のバザー&フェスタを行いました。快晴にも恵まれて多くの人々が地域から参加して下さり、教会員も楽しみながら奉仕をして成功裏に終わることができたと思います。
11月5日(木)の早朝、午前3時に、私はインド滞在中のフランクリン石田順孝牧師(米国福音ルーテル教会ELCA牧師)から国際電話をいただきました。お父さまの石田順朗牧師が狭山の病院で亡くなられたということを告げる電話でした。

私はすぐにグロリア夫人に電話をして車で出て、午前5時に埼玉石心会病院に到着。病室で既にネクタイとワイシャツに着替えを終えられていた石田先生とグロリア夫人の前でお祈りを捧げました。その後で、一週間前に米国から来日しておられた次男のハンスさんと荻窪に住んでおられる三男のケリーさんも病室に来られました。主治医の先生(石田先生ご夫妻が深く信頼していたお医者さまです)が来て経緯の説明をしてくださり、私が葬儀社に連絡をするという仲介の役割を取りました。

ちょうどその日が友引で斎場がお休みということでしたから、翌日の金曜日の午後に斎場でご家族のみで告別の祈りを行うことを決めて病院を失礼させていただきました(結局翌日は所沢の斎場となりました)。9時からのJELC人事委員会に出席するために車で市ヶ谷に戻り、午後は三鷹でのクラスを終えて帰って来ました。その日はとても長い一日となりました。
翌11月6日(金)は、午前中に市ヶ谷での会議に出席後、所沢の斎場で讃美歌「安かれ、わが心よ」を歌って告別の祈りを捧げ火葬に付して、ご遺族と共に入間のご自宅に移動し、夕食をして教会に戻って来ました。愛する者を見送るということは実に辛く悲しいことです。特にグロリア夫人にとっては58年間、夫婦として連れ添った最愛のパートナーです。改めて石田家の絆の強さが大きな力であることを強く感じさせられました。ご遺族の悲しみの中に天来の慰めがありますようお祈りいたします。

石田先生が告げておられたように、先生を記念するキリストの礼拝を11月29日(日)午後2時から三鷹の神学校チャペルをお借りして行うことになっています。司式は私と平岡仁子先生(保谷教会)の二人でいたしますが、説教は石田先生と親しかった清重尚弘先生(九州ルーテル学院大学院長・学長)が行うことになっています。覚えてお祈り下さい。

石田順朗先生はこの10月6日に87歳になられたばかりでした。1928年に沖縄でお生まれになり(本籍は山口県となっています)、日本ルーテル神学校、シカゴルーテル神学大学院を卒業し、1955年(26歳)で教職按手後、JELC稔台教会、久留米教会、市ヶ谷教会を牧会した後に、日本ルーテル神学大学教授(実践神学:説教学・牧会学・宣教学。1977-78年の一年間は学長代行もされました)、LWF神学研究局長、シカゴルーテル神学大学院世界宣教室室長を経て、九州ルーテル学院大学学長、刈谷教会牧会委嘱として、ちょうど87年間のご生涯のうちの60年間を牧師として捧げられた先生でした。

J3の宣教師をしておられたグロリア夫人と1957年5月12日に(室園教会で)結婚して58年間、5人のお子さんたちをグローバルなスケールの中で立派に育て上げ(4男1女)られました。ご家族の絆はとても強く、先生がご入院をされていた9月後半からは次々にお子様方がお見舞いのために来日されていました。

むさしの教会には、ちょうど三年前の2012年11月4日(日)に保谷教会から転入されています。84歳の時でした。人生の最後の時をこの教会に託されたのだと思います。私は葬儀の司式を名指しで指名されたように思いました。9月の最初に河北病院に入院された時も、CCUに伺うと石田先生はすぐにもしもの場合の時のことを口にされました。「自分はまた治るつもりでいるが、もしもの場合には、まず家族だけで斎場で見送っていただきたい。そしてしばらく経ってから記念礼拝を行い、そこではお花も写真もいらない。ただキリストの礼拝をしてくださればよいのです」とはっきりとおっしゃいました。このことをどうしても牧師に伝えたかったのでしょう。「分かりました。そのようにいたしますので、ご安心下さい」と私は申し上げました。

この三年間に、石田先生は4ヶ月に一度のペースで主日礼拝説教をしてくださいました。その説教テープが残っています。最後は今年の5月24日のペンテコステの礼拝での説教でした。先生はその説教の直後に体調を崩されたのです。正確には、体調不良にもかかわらず説教台に立って下さったと言った方がよいでしょう。言わば命を削りながら説教台に立つその説教者としての姿は私たちの目に焼き付いています。説教台で倒れるのは牧師冥利に尽きるようなところがあります。

石田先生の腹式呼吸で腹の底から発せられる凛とした声は、説教を聴く者を奮い立たせるような確かで力強い響きに充ちていました。石田先生が、自分が若い日に岸千年先生の「Repent(悔い改めよ)!」という説教の大きな第一声に魂の奥底まで震撼させられたことがあったと告げていた通りです。石田先生は説教者としてのスピリットを岸先生から受け継いでゆかれたのでしょう。

先生はむさしのだよりの巻頭言を昨年の5月号からこの9月号まで8回担当して下さいました。先日9月号の巻頭言「宣教91年目のスタートラインで〜『むさしの』歴史の担い手の一人として〜」が先生の絶筆となりました。石田先生は、これまでの牧会生活を総まとめする意味でも『神の元気を取り次ぐ教会』(リトン)を2014年2月に出版されましたが、現在も最後の本を出版準備中で、森優先生の力を借りながら最終校正の段階に入っているということで、お見舞いに伺うとその本について何度も言及されていました。そこには先生のご生涯の歩みが記されているそうです。「その中の一章はむさしの教会に捧げたい」ともおっしゃっておられました。

石田先生は「神の元気(スピリット=聖霊)」を聖書のみ言葉を通して分かち合うために神の召しを受け、牧師として立てられて、全力でその87年間のご生涯を全うされたのです。私は所沢の斎場での告別の祈りで、石田先生のことを覚えつつ、ヨハネ黙示録の2章10節からのみ言葉を引かせていただきました。「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう」(黙示録2:10)。この神の声の通りの牧師としてのご生涯を石田先生は貫かれたのだと思います。私の中では石田先生の姿は、やはり牧師であった私の父の姿と重なっていて、いつもとても親しいものを感じていました。

 

ヌンク・ディミティス〜シメオンの讃歌
「今、わたしは主の救いを見ました。主よ、あなたはみ言葉の通り、僕を安らかに去らせてくださいます。この救いはもろもろの民のためにお備えになられたもの。異邦人の心を開く光、み民イスラエルの栄光です。」これは、私たちが毎週の礼拝の中で歌っている「ヌンク・ディミティス(シメオンの讃歌)」です。
石田先生の最後の二日間はとてもお元気で、様々な事をよくお話しされたそうです。そして笑顔まで見せられたということでした。そのようにほがらかな姿は、シメオンの喜びの讃歌と重なって、とても石田先生らしい最後の日々であったと思います。心臓の機能が3割程度まで低下する中で二ヶ月に亘る苦しいご入院生活が続きました。息子さんのケリーさんご夫妻や、グロリア夫人が本当によく看病をなされたと思います。私は三度ほど病床聖餐式に伺いました。石田先生はワインをことのほか喜んでいただいておられました。聖餐式がこれほど力を持っているということを改めて、先生ご夫妻の聖餐式をどこまでも大切にする姿勢から教えられた次第です。

 

最高の掟〜アガペーの愛に生きる
本日の福音書の日課には最高の掟として二つの掟が記されています。これはモーセの十戒の、二枚の石の板を二つにまとめたものであるとされています。
「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」(マルコ12:29-31)

モーセの第一戒は「わたし以外の何ものをも神としてはならない」という戒めでした。これが私たちに求められる一番重要な戒めです。真の神を神とする、真の神以外の何ものをも神としない、絶対化しない。いつどのような時にも、真の神を神とする信仰がそこでは求められています。心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして私たちは神を愛するのです。しかしそれは、まず神が私たちをそのように、その独り子を賜るほど徹底して愛して下さったからです。神の愛が私たちを捉えて離さない。だから私たちは神を愛することができるのです。自分のすべてを注ぎ尽くすほどのアガペーの愛をもって主は私たちを愛し抜いて下さいました。

人生の行き詰まりやどうしようもない人間の現実の中で、キリストの愛が十字架と復活を通して私たちに注がれています。ただ真の神を神とすることができなかった私たちのためにキリストがすべてを与えて下さったのです。神の至上の愛が私たちに、無代価で、無条件で与えられており、その愛がそれを受け取るすべての人を義としてゆくのです。石田順朗牧師はそのことを生涯を賭けて指し示し続けました。一人の忠実なキリストの証人のご生涯が私たちの直中に置かれていたことを心から感謝したいと思います。

そしてキリストにつながることの慰めと希望とをご一緒に分かち合いながら、新しい一週間を踏み出してまいりたいと思います。ご遺族の上に、またここにお集まりの方々お一人おひとりの上に、神さまの豊かな祝福がありますよう祈ります。神の国での再会の日まで、私たちに与えられた命をそれぞれの場で、それぞれのかたちで大切に歩んでまいりましょう。 アーメン。

 

おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

2015年11月8日 聖霊降臨後第24主日礼拝(子ども祝福式)

サンパウロだより    徳弘 浩隆

1、日系ルーテル教会50周年「うらばなし」

目まぐるしい準備、賛美練習、各責任者の会議、招待状印刷に記念品袋詰め。まるで学園祭前夜(私は出たことがありませんが)のような日々が続きました。

「自分たちの50周年記念なのに、イベントの準備や接待ばかりで、『あれ?何かおかしいなぁ』と思うことがあるかもしれません。でも、内輪の少人数で集まってお祝いするためだけに、お金と時間を使わないことにしましょう。伝道集会にして、たくさんの方に日系ルーテル教会を知っていただきましょう」、そういい続けて皆をなだめて(?)、企画してみました。

すると、いろいろなアイデア、力が集められるものですね。皆も文句を言うのではなくて、新しい企画に驚き・楽しみながら取組んでくださいました。

教会員に、習字の先生、琴をしている方、ブラジル能楽保存会の方、手芸の先生、お花の先生がいらして、「出演」快諾。パソコン教室やシュラスコ会に出入りしてくださるボサノバのプロのブラジル人歌手、ギターを教えている歌手の先生、ブラジル留学中のギター奏者の仲間たちも。近隣ドイツ系ブラジルのルーテル教会の聖歌隊指揮者にMelo先生が声をかけると、ポルトガル語やドイツ語の賛美に、チェロやヴァイオリンも連れてきてくれます。

日本からは大柴先生が来られるということで、先生の専門を生かして「終活」をテーマに講演会も組み入れてみました。

簡単な通訳や翻訳はできますが、専門用語の通訳は歯が立ちません。そこで、先回の「むさしの便り」で登場したポルトガル語研修に出かけた時の先生夫妻に相談してみました。彼女の翻訳とご主人の校正で難しい用語もスムーズに。記念礼拝にはサンパウロに来て私とコンビで通訳や司会を手伝ってくれることに。

教会員は牧師とイベントディレクターに任じた代議員の姉妹を中心にして、その配下に司会、楽屋、ホール、台所、受付の各部署の責任者を配置。トランシーバーをつけて連絡が日ポ両語で飛び交います。その配下には他教会メンバーが配置されその指示でてきぱきと動くという段取りです。

考えてみれば教会員はほとんど裏方スタッフ。礼拝では半数以上が聖歌隊で壇上に上がります。つまり、お客さんが来てくれないと座席は空っぽということです。教会は手狭で同じ通りの徒歩1分の佐賀県人会ホールを借りました。テーブルとイスは200人ほど配置しました。

果たして何人来てくださるのか、日本からは?昔の教会員は?新来会者は? 空っぽならどうしよう?逆に新聞を見て沢山来られたら椅子や食事が足りない…と、不安も増します。予算も足りるだろうか?少し余裕があれば50周年記念事業で修理したい所が沢山あります。

祈りました。式典で習字の先生がみんなの前で「信仰・希望・愛」の3文字を大きな字で書くことにし、50周年の記念品の一つのキーホルダーにもそれがデザインされています。

キーホルダーには十字架もつけました。工芸品が趣味の教会員姉妹が作ってくれました。「そのこころ」は、「キーホルダーにはたくさんカギが下がっている。家や車や職場、自分のこの世の財産や大切なもの、自分の人生が現れている。しかし人生の本当のカギは十字架。そして、信仰と希望と愛。これがあればどんな難しいところでも、開けることができる」というメッセージです。それを見ながら祈りました。「神様がなんとかしてくださる。重たくあかないドアでも、こじ開けてくださる」と。準備期間中の礼拝でもそんな説教をして皆を励ましました。

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2、ふたをあければ神の愛

そして迎えた50周年記念礼拝。サンパウロの礼拝では300人を超す方が来てくださり、会場は満員でテーブルのない方も。「終活の講演会を聞きたくて来た」「良いお話が聞けた」「日本の文化からブラジルやドイツの音楽まで多文化の多様さが楽しめて感激した」という声がたくさん。「大盛況でびっくりした」「ブラジルのルーテル教会になくてはならない日系教会だと再認識させられた」と日系他教派やIECLBからの声もありました。忙しく走り回ってゆっくり食事もできなかった教会メンバーからも「やりがいがあり、楽しかった」という達成感の喜びの声が沢山。あとで「○○さんのお葬式も教会では手狭だから、この会場を借りて今回みたいにやってあげるから安心してね」と親子のような教会員が話してて皆で大笑い。
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 その後、訪伯団と一緒に、元サンパウロ教会や跡地を巡り、南米教会やDiadema集会所も訪問。JELAの支援先でもあったリオデジャネイロの教会施設や観光地の訪問、そして再度私も合流してリオグランデドスル州のIvoti、Itati、Porto Alegreの現地ルーテル教会やそこのメンバーの日本人グループと礼拝とFesta。Ivotiで25名、Itatiで45名、Porto Alegreでは200名(現地教会員含む)が集まりました。

 

3、キリストを頭にした一つの体として成長

「来年は皆で美味しいものをいただいてゆっくりお祝いしましょうね」と、今年の大騒ぎが終わって言いました。食事もあまり口に入らなかった人が多かったからです。でも、皆さん達成感と感謝で溢れていました。牧師とイベントディレクターをTopにおいてのイベントでしたが、その上にはキリストがいらして一つの体として成長させていただいたと実感します。

 さて、もっと教会も成長して次の時代を目指さねばなりません。もうひと頑張り。一番元気だった小笠原さんからも皆元気と希望をいただきました。今回、日系三世の洗礼式があったのも希望でした。みなさま、かみさま、よろしくお願いします。ありがとうございました。

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左:リオの十字架 右上:イグアスの滝にて 右下:小笠原さん、坂を上る

『エンキリディオン・小教理問答』クラスの実際   大柴 譲治

〜 むさしの教会の事例(5)〜 

セッション④

主の祈りは最初に「御名をあがめさせたまえ」「御国を来たらせたまえ」「御心が天になるごとく、地にもなさせたまえ」と神の御心の実現を求める三つの祈りが来ます。その後に「われらの日ごとの糧を今日も与えたまえ」「われらに罪を犯す者をわれらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ」「われらを試みに会わせず」「悪より救い出したまえ」という人間の願いの実現を求める四つの祈りが来るのです。私たちが祈る場合、多くは自らの願いの実現を神に祈り求めることが多いのですが、主の祈りは違うのです。まず「神の御心が成りますように」と祈っている。このような構造のゆえに、主の祈りを反復して唱える時に私たちの心は次第に整えられてゆくのでしょう。言わば「かたちから入る」のです。

「人間の感情は理性には従わないが行動には従う」と認知行動療法や最近の脳科学の知見は告げています。確かに、背中を丸めてうつむいたまま「頑張らねば」と思っても私たちの気持ちは変わりませんが、姿勢を正して胸を張り、顏を上げて目を上に向ける時に私たちの気持ちはフッと持ち上がるのです。私たちの気持ちは具体的な行動を通して変えられるのです(Lift up your heart!)。

私たちは悲しいから涙しますが、涙を流すとさらに悲しくなる。嬉しいから笑うのですが、笑うとさらに嬉しくなってゆくのです。行動と感情とは不即不離の関係にあるのです。書道でも華道でも武道でも、芸事は最初に「基本形」を学ぶことに意味があると思われます。「かたち」から入ることはとても重要なことです。その意味で、「キリスト道」(信仰生活)も「十戒」「使徒信条」「主の祈り」という「かたち」から入ることは大切なことと思われます。

 

セッション⑤

「洗礼と聖餐」では、「恵みの手段the means of Grace」としてのサクラメント(聖礼典)に言及するようにしています。常にそのイニシアティブ(行為の主体)はどこまでも神の側にあることを再確認しています。

 

セッション⑥

「教会構造と信仰生活」では、JELC全体の構造を視野に入れつつ、むさしの教会の総会資料を用いて教会組織について説明します。献金についてもここで触れます。献身・献財の基本的な考え方としては、私たちに贈り与えられているものの「10分の1」ではなく「10分の10」が神さまのものであり、そのことの感謝と献身を表すしるしとして献金があることをシェアしています。この教会に召された信徒の一人として教会を支える義務があることや、信仰生活の中心は礼拝にあることを確認した上で、礼拝の中で行われる洗礼・堅信・転入式文についても具体的に説明します。教保を誰にお願いするかについてもここで話し合います。洗礼時のみでなく堅信や転入時にも私はできるだけ教保を立てるようにしています。また、洗礼名についての希望があればここで聞いておくようにしています。祈ることをもって90分6回に渡る、一対一の小教理クラスを閉じてゆきます。

以上が、私が1986年に牧師按手を受けてほぼ30年間、コツコツと積み重ねてきた小教理クラスについての現場からの実践報告です。牧師が真剣かつ一生懸命向かい合ってくれることに受講者たちは安心するのでしょう。一人ひとりが神の前に「かけがえのない(irreplaceableリプレイスできない大切な)存在」であることを、そのセッションを通して私たちは分かち合っているのです。

「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛している」とイザヤが告げている通りです(43:4)。この30年間、私は神さまの救いのドラマにその最前列で参与する栄誉に与っているのだと感じてきました。その思いはさらに深まってきています。

そのことを心から幸いに思っています。たとえ裸でかしこに帰らなければならないとしても、やはり「主の御名はほむべきかな」と共に告白してゆきたいと思っています。s.d.g.(完)

むさしの教会宣教90年記念日「お祝いの言葉」 和田 みどり

宣教90年の歩みを常に支え、祝福をお支え下さった主を讃美します。歴代の牧師、宣教師の先生方のご努力とお導きを心より厚く感謝申し上げます。この佳き日に教会を覚え、久しぶりに集ったお一人お一人の胸にある想いと共に記念礼拝を持てたことは大きな喜びでございます。

キリストを証として生きた信仰の先輩方を覚え、教会の家族となり、一足一足信仰の道を歩み、お互いに絆を強められるむさしの教会は私の誇りです。

教会の礼拝は式文に従って懺悔より始まり、4曲の讃美歌を歌い、神を讃美いたし、牧師の福音のお言葉は私たちの心に深く響き、讃美を通し、教会に奉仕する心、自分を見つめる心を高め、教会生活を楽しみながら明るい心になっていきます。

ノアの方舟をかたどった教会堂、数々の彫刻、イエスの温かい眼差しのステンドグラスは一番みんなが休まる場所であり、私たちが病んでいるときは勇気を頂き、力を頂き、清めて下さり、喜んで心が明るくなり、重い心を軽くして下さる場所です。

私事ですが、クリスチャン三代目の私はミッションスクールに入学、初めての聖書の時間に詩編23編を教えて頂きました。この美しい聖句を来週までに暗記してくるように宿題が出ました。戦争前の事です。聖書は全部文語体でした。苦労して覚えました。

その聖句であるステンドグラスが教会のシンボルとして置かれたことは驚きであり、嬉しかったのを覚えています。

神様に今も生かしていただいております。

 

昭和5年に都心より鷺宮に引っ越してまいりました。自然一杯で田園、川、白鷺の飛び交う中、朝に夕に神学校より流れてくる讃美歌の鐘で育ち、昭和8年には二人の従姉妹は神学校の一室で始まった日曜学校へお手伝いに向かいました。5歳の私はいつも喜んで付いていきました。ルーテルとの出会いでした。青山四郎牧師が神学生の時です。

戦争も終わり、神学校教会として昭和21年より日曜学校が始まり幼稚園に勤めていた私は今度は教師として招かれました。ベビーブーム時代です。

当時一緒に遊んだ子供たちは、今教会の立派な柱となり、力となり、自分の教会のご奉仕に励んでおり、本当に嬉しく感謝の限りです。

賀来先生、キスラー先生時代はしばらく教会をお休みしておりました。クリスマスキャロルが我が家にいらした時はお休みどころとして35年間「お汁粉や白菜漬」で沢山の方に楽しんで頂きました。その頃の集会は自宅周りでしたので「いとすぎ例会」が我が家である時は母が必ず「ちらし寿司を作ってね」と所望されいつも30人位の方がいらして下さいました。母は「いとすぎ」の先輩です。

21年前嬉しい教会へ戻ることが出来ました。成長した教会は立派になっておりすっかり基礎が組織化され皆様のお顔がお元気にイキイキなさっておりました。

役員の皆様のご奉仕に感謝しております。

 

私の21年間は山あり谷ありでしたが、その経験を生かしご奉仕が出来る事、楽しんで励めることは嬉しいことです。気が付いてみると神様がチャンと見ていて下さり、守ってくださり、見放されることなくいつも共にいて下さったことを深く深く感じ感謝一杯です。私の生涯は一つの教会で育てて頂き皆様と共に歩める幸いを喜びとしています。

時代がどんどん変化し、すべて電子化され急速に変わったことは驚きです。

90年史が編纂され、先達された方々の証を通し、宣教ビジョンを教会員一同一貫となって100年を迎えるため討論会を重ね、話し合いが出来ることは何より嬉しいことです。

神様の見守りのなか、一つになって教会が発展されることをせつに祈って今日のお慶びの言葉にさせて頂きます。

 

もう一言申し上げます。10月7日に100歳を迎える矢島英子姉は冒頭に話した神学校の日曜学校に(昭和8年)奉仕なさった方。また柴崎芳子姉は99歳の方。お二方は「今日参上出来ませんが本当に嬉しい記念日でお慶び申し上げます。」と伝言がございました。

              2015年10月4日