たより巻頭言「虹色に輝く教会(3)」 大柴 譲治

 「虹を見上げる教会」ということで二ヶ月、ここに書かせていただいた。今回はその第三回目、完結編となる。

 先日のビジョン委員会の中間報告で、プロジェクターに映し出された虹の写真がステンドグラスの輝きと重なって見えた。私たちは毎週、羊飼いなるキリストの虹の光のもとに集められていると改めてハッとした。

 私たち一人ひとりは考え方も感じ方も違う。一人ひとりが、二つとないユニークな個性を有している。この個性は神さまから贈り与えられたものであり、自分で選び取ったものではない。気がついたら私はこのような私として今ここに生きているのだ。向こう側から与えられたものを背負うという意味で私たちは、自分の生きる時代も場所も言語も歴史も文化も、親も子も選べない。向こう側から選ばれるようなかたちで、私たちはこの場所にこのような私として生かされている。空間的に見ても時間的に見ても、私たちが今ここで同時代に生かされているということは奇跡に等しい出来事ではないか。

 主イエスは言われた。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15:16)と。私たち一人ひとりはキリストに選ばれて召し出されている。一人ひとりに異なった色があるとすれば、キリストによって私たちはちょうど虹のように一つに束ねられているのであろう。しかもそれは、私たちの色が最も個性的に生かされるような形で、配置されている。私たちは総体として虹色に輝いている。

 キリストの愛の光の中で虹色に輝く教会。これが私たちの教会である。その門をくぐる者が、日常生活からの逃れ場として安全な自分の居場所を見い出し、慰めと戒めと導きとを得、み言葉と聖礼典を通してキリストのリアルプレゼンス(現臨)に与る。そのような虹色の教会として私たちはこの地上を旅してゆくのである。

 11月23日、今年もバザーがやって来る。この日も七色に輝く喜びの日としたい。