たより巻頭言「風薫る五月、Wonder-Fullな世界」 大柴 譲治

4月29日の緑の日、武蔵野公園のクジラ山で毎年恒例の壮年会主催バーベキュー大会があった。子供11名を含む総勢34名が集り、素晴らしいお天気と極上のバーベキュー、親しい交わりを心ゆくまで満喫することができた。新しい方も参加されたし、教会周辺よりはるばる自転車で参加された元気な方もお二人ほどおられた。このようなリフレッシュの場を準備してくださった壮年会長の真下文夫さんと壮年会に心より感謝したい。

気持ち良くなって木の下に寝ころぶと、青い空、白い雲、輝く陽光、緑の平原、さわやかな風、柳の葉のすれる音、鳥の音、子供たちの遊ぶ声や談笑の声など、しばしの天国的な情景に時を忘れた。これぞ至福の時。詩吟サークルの師匠でもある加藤逸雄さんも興に乗って詩を一首吟じてくださった。

Wonderfulという言葉を想起する。この世界は「不思議」「驚嘆」「奇跡」「すばらしさ」に満ちている。ワンダフル!素敵なことに充ち満ちているという意味でそれをWonder-Fullとも書きたい。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記 1:31)。ワンダフル!神さまご自身も創造された世界を見てそう思われたに違いない。

歌人・斎藤茂吉の長男で精神科医の斎藤茂太氏は『老いを愉しむ、快老術』という講演で「好奇心と感動する心こそ大切」と繰り返し語っている。ユーモアも大切であろう。ある例話。信仰深い年配の男性が末期ガンとなり、遂に言葉がしゃべれない状態となる。その苦しい最期の息の中で彼は次のようにメモに書いた。「God is nowhere(神などどこにもいない)」。家族は皆大いに驚いたという。すると病人は笑いながら首を振り、区切り線を引いてこう示したそうである。「God/is/now/here(神が今、ここにいてくださる)」。小さな区切りで全く反対の意味になる。言葉というものの大切さを思う。苦しみの中でも神のWonder-Fullなご臨在を人々と分かち合うことができるとすればすばらしいことではないか。

風を感じるためには自分の感覚を外に向かって開かねばならぬ。閉めきった部屋の窓を開けてこそそこにはさわやかな風が入ってくる。「風の吹くまま、気の向くままよ」。これは漂泊の旅に出る際にフーテンの寅さんが語る名セリフである。自分を開き、神から吹いてくるさわやかな風を感じながら人生を旅すること。心眼が開かれることによって世界に充ちるWonderに気づくこと。時は五月。風薫る季節が私たちを旅へと誘う。