会堂正面の羊飼いの「窓」の来歴 木曽 康太

 この「窓」については以前教会だよりで青山牧師が米国から帰国の際持ち帰られてむさしの教会会堂に設置されたものとの報道がありました。

 私はその裏には何らかの経緯があったのではないかと思い、その詳細を調べて欲しいと在米のネービー夫人のミューエルさんにお願いしておりました。(ネービー師は老齢で活動範囲が限られているため)その結果が奥様より手紙でお知らせがありましたので、皆様にも是非知って頂きたいと思い茲にお知らせする次第です。

 元々この「窓」は米国のネブラスカ州フレモント市のUELC所属のファーストルーテル教会会堂に備えられていたものです。ところがこの会堂が他の宗派の教会に売却されることになったので、思い出の多い器物で取り外しができるものは取り外して保存することになり、この「窓」もそのようにされ格納されていました。

 その後「窓」はこの教会出身であり宣教師として日本におられたポール・ジョンセン師のご厚意ある配慮によって日本のルーテル教会に寄贈されることになり、その中心部門3か所を占める「よき羊飼い」の部分がむさしの教会へその他の小さい8か所はそれぞれ別のルーテル教会に備えられることになったそうです。

 ジョンセン師の奥さまのジョイスさんの記憶では千葉にも1か所が掲示されていたそうです。この件について金銭的なやり取りがあったかなかったかネービー夫人がフレモント市のファーストルーテル教会に問い合わせましたが、記録が何も残っていないとのことでした。ジョイス夫人のお話では、ジョンセン師の友達でこの教会の会員で消防士のカール・ハンセンさんという方が「窓」を日本へ送るために木枠を作り緩衝剤を一切使わずに「窓」の梱包をして送り出したそうですが、日本に着いた時には擦り傷ひとつない完全な姿だったと言っておられました。更に詳しい記録がJELCにあるかも知れないというのがネービー夫人のご意見でした。

追悼:ロイド・ネービー先生  大柴譲治
 ネービー先生は1948年に米国から宣教師として来日され、九州に「ネービーキングダム」と呼ばれる宣教地を開拓伝道されました。木曽康太兄はその際に一年間、先生の通訳として働きを共にされています。旧約学の博士号をニューヨークのユニオン神学校で取得。日本ルーテル神学校で旧約学の教授として長く教鞭を執られました。1984-86年はむさしの教会でも宣教師としてお手伝いくださいました。日本での働きを終えた後はパプアニューギニアと南アフリカの神学校で一年ずつご奉仕した後、1988年に引退して米国ネブラスカにお戻りになられました。そして今年の5月24日に91歳で天の召しをお受けになりました。お働きに心より感謝いたします。 合掌。


むさしの教会だより 2015年7月