「読書会ノート」 河合隼雄 『子供と悪』 岩波書店

河合隼雄 『子供と悪』 岩波書店

廣幸 朝子

 

「善良なるものは創造しない」(シオラン)と言われたら、よい子を一生懸命育てているお母さん達は当惑するだろうか。自分自身まアまア「よい子」であり、「とてもよい子」を三人も育てた私はこの言葉に、妙に納得してしまった。

心理学者であるこの本の作者は、各界で創造的な仕事をしている人達の子供時代の話を聞き、彼らが決して「よい子」ではなかったことを検証し「自己実現の始まりは悪のかたちをとって現れる」から「もう少し根気良く子供の悪とつきあってほしい」と結論している。ここでいう「子供の悪」とはうそ、万引き、登校拒否のようなものを指しているのであって、昨今センセーショナルに報道されている殺人などは勿論想定されていない。だから、そのような犯罪にたいして危惧の念を持ち、すがるような気持ちでこの本をひもといた者にはいささか拍子抜けのするものではあった。

しかし、「よい子大会」大好きな日本で、大人ですらその横並び同一意識に息苦しさを覚える人もいよう。どんなに業績のある人でも、ヤレ借金がある、愛人がいると責めるような社会に傑出した人物が育つはずがない、といきまく人もいた。「自由が欲しい」と歌い続けて死んだ尾崎豊のメッセージには胸を打たれる、と言う人も。

子供の非行がエスカレートしている昨今、いまのお母さん達は、今まで以上に悪の芽生えに神経質になり、片っ端からその芽を摘むことに追われているかもしれない。しかし、茶畑のお茶の木のように整然と刈り込まれた子供の魂がどのようにうめいているか・・

11才の少女は言う。(日経5月29日付夕刊)「中学生の殺人事件も大人がわるい。みんな同じにして、少しでもちがうとおこったり、けいべつしてのけ者にする。」

この本で作者が一番伝えたかったのは(読書会では余り話題にならなかったが)子供の魂の深さ、大人の想像を超えたその精神の高貴ともいえる神秘性であろう。大人はそれに対して余りにも無神経だと。そう言われれば私達もかすかに想い出さないだろうか、新しく生まれ落ちたこの世のすべてを受け入れようと、時には傷つきながらもけなげに生きていた無意識の時代を。

大人社会の刺激的な情報がストレートに、感じ易い子供に届いてしまう今の世の中で、むつかしい子育てに悪戦苦闘している若いパパやママにエールをおくりたい。