「読書会ノート」 J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』 白水社

J.D.サリンジャー(村上春樹訳)『キャッチャー・イン・ザ・ライ』 白水社

今村芙美子

 

著者サリンジャーは、祖父、父ともユダヤ人、母はカトリック信者で、1919年生まれ。WASPの色濃いペンシルヴェニアの学校に学ぶが、環境に馴染めなかった。大学では演劇活動の傍ら文学作品を書くようになり、ヘミングウェイに認められる。20代半ばに歩兵としてノルマンディ上陸作戦に参加、惨い戦場を体験し、今で言うPTSDの精神障害に陥るが、十分な治療もなく直ぐ社会に戻される。彼は自らを治療するように、彼の思春期のこの自叙伝を書く。

16歳の少年ボールデンは、教育熱心な両親によって有名な学校に入れられたが、馴染めず、成績も悪く転校を余儀なくされ、今度の学校も真面目に試験も受けなかった。信頼するアントリーニ先生担当の英語以外の教科は全部落ち、退学が決まる。退寮の目前に、同室のストラドレーターのデートの相手が、ホールデンの憧れの女友達、ジェーン・ギャラガーと知って逆上し、帰って来たストラドレーターと取っ組み合いの喧嘩となり、血だらけの顔で寮を真夜中、跳び出す。そして家に帰る迄、読者が目を廻すような道中が繰り広げられる。大人しか出入りできない所でお酒を注文し、未成年と見破られたり、ホテルの悪い従業員に娼婦との一泊を誘われて危ない橋を渡りもする。大好きなジェーン・ギャラガーに電話をすると、母親が出、慌てて切る。寄付集めの二人の尼さんと同行したり、無名の頃知っていた音楽家のコンサートを聴きに行き、嘘っぽい芸術家気取りに吐き気を憶える。そして、思い出の博物館で昔見たのと同じ物の同じままの姿に感動し、このように全てがそのまま「ガラスのケース」の中のままであったらいいな、と思う。

ボロボロになった彼は一刻も早く妹のフィビーに会いたくなり、眠っている彼女のところに辿り着く。十歳の妹は、時たま母親っぽいことを言ったかと思えば、スネてつんとするが、世界中の誰よりもホールデンを信頼している。元気を貰った彼は、「自分がなりたいのは、ライ麦畑で遊んでいる子が崖から落ちるのをキャッチする人だ」と気付き、信頼するアントリーニ先生に真夜中電話して、会いに行く。「先ず、勉強すること。そうすれば自分の知力の大凡のサイズがわかる。君の知力相応の衣をまとうことができる。」ホールデンはあくびをする。ベルトコンベアーのように安全な方向に載せられることに息苦しさを感じた。「君は本当に変わっている」と嘆息して見送る先生を背にし、遠くへ行きたい衝動を憶える。死んだ弟アーリーに「道の途中で僕が消えてしまわないように見ていてくれ」と祈る。そうだ、その前にフィビーに会おう。結局、ホールデンは妹のあのまいってしまうやり方で、驚かされ、「わかった。一緒に家に帰るよ」と言って、妹と家路に向かう。

この小説は嘘っぽさが少なく、寮生活も生き生きと表現され、若い人が共感する場面が多い。この本を読んで崖から落ちないようにキャッチされる若者もいるかもしれない。

しかし、サリンジャーは自らの傷を癒すことができたか。人種、宗教による差別された学校生活の問題や戦争体験はこの中で触れていない。彼のアイデンティティの積木は組み上げられないままだった。二度の離婚、そしてフィビーのように可愛がった娘が、「ガラスケース」から飛び出した時、彼自ら娘から離れ、隠遁生活に入った。

(2003年 9月号)