むさしのだより「井戸端の戸」 信仰の腹筋力

運動不足になりがちなので、体力維持向上のため、週に何度か自宅で軽い筋力トレーニングをしている。筋肉の強化は、トレーニングによって筋繊維に微小な損傷が生じ、その回復を通じて起きるそうである。何かに挑み、傷を受け、回復し、結果、無かったものを得る。これは人生そのものではないか。

自分のこれまでの経験を振り返ると、人間的に何か成長したと思える時は、大抵、痛みを伴っていた。小は試験でのミスから、大はもっと深い痛手まで。一生懸命であればあった程、思う通りに行かなかった結末が深い傷として心に受け止められ、切実な学びが生まれる。

「大胆に過ちを犯せ」というルターの有名な言葉がある。人が良かれと思い、正しいと思い、何かをする。実はその時、人はもっとも大胆に罪を犯しているかも知れない。過ちがあったことは後になってから知るのである。

自分の為した過ちを認めるということは、それを為した過去の自分を否定することである。そこには苦痛が伴う。多分その痛みは、死にゆく古き自分への悼みなのであろう。

過ちは良くない。しかし、人は大胆に罪を犯すことが許されている。古き自分に死に、神様の御手の中で、新しき自分に生きるために。

…さて、今日も腹筋から始めるか。
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(たより2003年11月号)