「キリエ・エレイソン」 池宮英才



むさしの教会員で『メサイア』の指揮で広く知られた宗教音楽家・池宮英才兄が11月21日、安らかに天の召しを受けられました。79年のご生涯でした。ここに兄が1986年12月のたよりに寄稿してくださった文章をプロフィールと共に再録いたします。ご遺族の上に主の慰めを祈ります。大柴記




 

かねがね不調であった私の心筋梗塞は最悪の事態に到る可能性あり、との医師の診断に従い、今年の五月、心臓専門の病院で心臓の冠状動脈の補修・増設の手術(いわゆるバイパス手術)を受けた。医師四名により、十四時間を要する手術となった。

信頼すべき医師の手術は完全であったが、私の体質から、その後、多くのトラブルがあった。危険な不整脈が出て、普通二・三日で病棟に戻り、静養に向かうべきものが不調のために、九日間「集中治療室」に入ったままで、かつ十日目に病棟に戻った時は、意識不明という様子で、そのあたりから、回復への治療が始められた。

二ヶ月間熱が下らず、肺には体液が満ち、胃腸は終始不調。口内炎で食事は通らず、体質の故か、他の方にはない病後の悪い症状が総て出た、と医師に告げられた。しかし医師は各症状に対応をなし、一つずつリスクを消去し、二ヶ月後に退院することを得た。

本文においては、勿論、私の病状報告は主ではなく、結局、途切れ途切れにしか今日の記憶に残らない、手術後の十日間前後に、私が捧げることを許された祈りについて記したい、と思うのである。

麻酔より目覚めてから後、意識を失うことがあっても、大部分の時間は目覚めていた筈のものが、今日、ほとんど記憶も脈絡もないのである。この夢想的な十日間において、私は祈った事を、それも百回も千回も祈っていた事だけを明瞭に覚えている。

その祈りは「主よあわれみたまえ」という簡単な祈りであった。この簡単な祈りの言葉は、ミサ(聖礼典・礼拝)における最初の祈り「キリエ・エレイソン」の日本語訳で、私も毎日曜、自分の属する教会の礼拝で、習慣的に唱えてきたのである。

手術直前にも、また最初の危険な状態の時期における不確かな意識の中にあっても、私の与えられた人生・人々への感謝の故に客観情勢はどうあれ、私の気持ちは安らかであった。この短い祈りは、感謝の祈りである。と同時に、常に他の人の心を傷つけ誤解を招く言動への反省を含めた、心の底に常日頃たまっている後悔・悔改めの祈りでもあった、と思われる。それは、毎回瞬間的な祈りであったが、切実な祈りだった。

「キリエ・エレイソン」に始まるローマカトリック教会のミサは、今日も世界中で執り行われ、私の属するルター派の新教の教会でも、毎日曜日の礼拝の最初に唱えられる。ミサ曲の第一曲として、ベートーベン、モーツァルト等、多くのカトリックの作曲者はこれを作曲し、新教派のバッハなども、これに曲をつけた。

今日、多くの人々にとっても、私にとっても、ごく普段に、教会の内外で聴かれるこの祈りが、私を勇気づけ、ひょっとすれば、人生最終の場合の祈りとなったかも知れなかったことを、今日、万感の想いをもって噛みしめている。

聖書の中にも現れるこの祈りは、おそらく初代教会の一・二世紀頃に、集会で多くの祈り(連祷)を捧げて、その区切り毎に皆で唱える形で用いられ、五世紀頃、ギリシャ語からローマ教会にラテン語で写され六世紀から礼拝の最初に用いられてきた祈りであり、主への感謝と主への憐れみの願いをこめて、今日まで用いられてきたのであった。

ローマの迫害の極限の状態においても唱えられたであろうこの切実な祈りの言葉を後の世の卑小な存在である私にも同感を持って唱えることを許され、心から感謝を覚えるのである。

(むさしのだより1986年12月号より。1986年5月に池宮英才兄は榊原記念病院で心筋梗塞の手術を受ける。これはその時の体験を教会の月報に寄稿したものである。)




プロフィール  池宮英才(いけみやひでとし)





1924年03月28日 誕生
2003年11月21日 召天(79歳。急性心不全のため杏林病院にて)
2003年11月24日 密葬(ご自宅)
2003年11月27日 記念礼拝(東京女子大学講堂)

 
信仰歴
1928年12月25日 台北聖公会で大橋麟太郎牧師より受洗
1941年01月01日 台北聖公会で名出牧師により堅信
1949年03月01日 日本福音ルーテル熊本教会より日本福音ルーテル神学校教会(現武蔵野教会)に転入
1949年11月13日 神学校教会で青山四郎牧師により藤本裕と結婚(媒介:岸千年牧師)
1953年01月 長男誕生
1960年09月 長女誕生
1963年10月 次女誕生
1953-1954年、1957-1991年、武蔵野教会の役員・代議員を37年間に渡って務める。聖歌隊指揮者。1970年より開始し2003年で34 回を迎えた東京バッハアンサンブルを指揮しての武蔵野教会イースターコンサートやクリスマスイブ音楽礼拝は地域に深く根を下ろしてきた。
2003年11月21日 杏林病院において家族の見守りの中、メサイアのテープを聴きながら平安のうちに召天

 
学 歴
1946年09月 台北帝国大学理農学部農業経済学科卒業
1950年10月 日本大学芸術学部音楽科編入学
1952年03月 同上 卒業

 
職 歴
1955年10月 東京女子大学文学部専任講師
1959年04月 同上 文学部助教授
1965年04月 同上 文理学部教授
1975年04月 同上 短期大学部学部長就任(1979年03月まで兼任)
1992年03月 同上 定年退職
1992年04月 同上 名誉教授・音楽監督就任(音楽監督は2000年03月まで)

1976年08月-2003年05月 学校法人日本ルーテル神学大学(現ルーテル学院大学)理事・評議員

 
賞 罰
1969年 日本ルーテル神学大学(現 ルーテル学院大学)より「リード」賞受賞
1993年 「キリスト教視聴覚教育賞」受賞
学会および社会における活動等
1955年-現在 マックス・ウェーバー著「音楽社会学」(創文社)共訳(1967年)
日本バッハ協会会員
日本バッハアカデミー協会理事
日本キリスト教合唱連盟委員長
日本ハンドベル連盟理事
オラトリオ合唱団指揮者
東京大学YMCA合唱団指揮者
東京女子大学クワイヤ名誉指揮者
明治学院大学グリークラブ名誉指揮者

 
作 品(作曲)
詩篇第23篇によるアンセム ”主はわがかいぬし”
祝祭カンタータ ”主をほめまつれ”
カンタータ詩篇第46篇 ”神はわれらの避け所また力である”
静けき川の岸辺
大学祝典序曲
ああ神よ、鹿の谷川をしたいあえぐがごとく
Pine Tree under Snow (Poem by M. Chapell)
詩篇第42篇による前奏曲(東京女子大学パイプオルガン奉献式のため)
讃美歌II-63、同71(=教会437=讃美歌21-414)、教会讃美歌202、同268
ルーテル教会礼拝式文C

 
作 品(編曲)
教会讃美歌8、同440、同485、日本福音ルーテル教会宣教百年記念大会賛歌1、他多数

演奏家として、室内楽団「東京バッハアンサンブル」の常任指揮者として、40余回の定期演奏会を続け、バッハ作品の研究、演奏を行なった。明治学院大学グリークラブによるJ.S.バッハの「クリスマスオラトリオ」は30年にわたり、東京女子大学クワイヤによるヘンデルの「メサイヤ」は48回(2002年)の演奏になる。