「<歴史証言>神学生も参加した親閲式」 平林 司

神学生も参加した親閲式

平林 司




<寄稿> 戦前のルーテル神学校に在籍されていた平林兄が、歴史の貴重な記録を記してくださいました。12月は日米開戦の月でもあります。




親閲式とはこの場合天皇が部隊の行進を観閲する式のことです。私が一つの記録として書いておきたいと思うのは、日本ルーテル神学専門学校の学生十六名が、東京の他の大学、高専(旧制の高等学校、高等商業学校、高等工業学校等)の学生と共に、天皇の親閲式に参加させられたという出来事なのです。「ルーテル神学校百年史」等にも出ていなかったので、一つの時代証言としても書いておきたいと思います。

戦前、中等学校(五年制の中学校、商業学校、工業学校等)以上には、軍事教練という課目がありました。退役の陸軍々人が「配属将校」として派遣されて、学生に軍事教練、教育を施していたのです。そしてそれらの学生は、後に軍隊に入ると「幹部候補生」として上級の地位(将校、下士官)を得る特権が与えられていたのです。

神学校にはもちろん軍事教練などはありません。第一、学生の数は当時十六名です。その神学生にも親閲式参加の命令が来たのです。昭和十四年五月二十二日、皇居前広場で天皇陛下が東京の学生を親しく閲兵されるので、ルーテル神学校も参加せよ、というお達しです。ときは、昭和十二年七月に隣国との間に抗争が生じてから二年経った頃です。ここで青年学徒達にも気合を入れて国民精神の作興を図ろうという様な意図で企画された行事だったのでしょうか。

当時の校長はE.T.ホールン先生で、他にリン先生、ヘプナー先生という二人の米人教授がおられました。ホールン校長も困ったことでしょう。しかし従わない訳にはゆきません。

日本人の教授は三浦豕先生と浅地昇先生です。三浦先生は若いときの足部疾患のため右足は義足でした。浅地先生は教義学の教授で、沈思黙考型の学者です。しかし他に誰も居ません。我々神学生隊は、浅地先生指揮のもとに参加することになりました。

当日朝七時に、ゲートル(巻脚絆)で足を固めた青年神学生(中には三十代も二人いましたが)の一隊は虎の門の指定場所に行って、同じ班の他校の学生達と合流しました。そしてそこから皇居前広場まで行進しました。

銃を肩に、腰には剣を吊した他校の学生達の堂々とした隊伍の中で、丸腰のままの黒い制服の十六名の一団は、見る人の眼には異様なものと映ったことでしょう。私達は押し黙って、とにかくきちんと四列縦隊を守って、桜田通りを行進し、皇居前広場に着きました。

親閲式は十時に始まりました。銃を持ってない我々は、広場の隅に場所を与えられて、学生達の行進を見学しました。遥かに台座の上の天皇陛下のお姿が望まれます。着剣した銃を右肩に担った若人達の勇壮な行進がつづき、陛下の前に来ると「頭右(かしらみぎ)」の号令一下、顔を陛下に向けます。それに対し陛下が一々挙手の礼を返されます。皇居の松が美しい背景になっていました。

その九ヶ月後、神学校卒業まであと一年というところで私は「召集令状」を受けて陸軍の兵隊にされ、中国の戦線に送られました。二年後の十六年六月、ホールン先生たちはアメリカへ帰ってゆかれました。

(むさしのだより2003年12月号より)