説教 「宿屋には泊まる場所なく」 徳善 義和牧師

ル カ福音書 2: 1ー20クリスマスのコントラストに気が付く

クリスマス、神のみ子の誕生です。「あなたがたのために救い主がお生まれになった」事実は「民全体に与えられる大きな喜び」にほかなりません。しかし、福音書が、特にマタイとルカが伝えている記録からは、この告知に対してあまりにもふさわしくないと思えるようなことが分かってくるのです。このコントラストに気付いた何人もの讃美歌作者がこれをクリスマスの歌に歌いました。先ほど御一緒に歌った教会讃美歌315(『暗い夜にみ子が生まれた』)もそのうちのひとつです。およそ讃美歌という新しい伝統をキリスト教会にもたらした宗教改革者マルティン・ルターもそうでした。教会讃美歌23がその一つです。もとのメロディーは今のものと違って、当時の子供たちがよく知っていたなぞなぞ歌のもの、このメロディーに載せて、ルターは自分の子供たちに口移しのようにして1節ずつ、作詞しながら、歌わせていったでしょう。15節ある歌詞の中にはこのコントラストを歌った部分があります(歌うためでなく、きれいに直訳したものが紹介できます)。100年ほど後の、ルーテル教会の讃美歌作者P. ゲルハルトも同じように歌いました(讃美歌107、教会讃美歌34、使われている曲の編曲はJ. S. バッハのものです)。そのバッハはこのコントラストを「クリスマスオラトリオ」の中では、キリストの受難の讃美歌136「血しおしたたる 主のみかしら」(教会讃美歌81)のメロディーを使うことで示そうとしました。

クリスマスだけではなく、イエスの地上の全生涯につきまとうこのコントラストに注目しないわけには行きません。どうしてそうなのでしょうか。それはひとつには、神の御計画が人間の歴史の中に起こったことに由来しているという、根源的な理由があるのですが、同時にいまひとつ、み子の誕生について神御自身がこのようになさることによって示そうと計画なさったことがあるということも含まれているからです。今日のクリスマス礼拝、このコントラストに注目し、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」を鍵にしてその一端に触れて見ましょう。

イエスはうまやにうまれない!

さっきの讃美歌にもあるように、イエスは「うまやに生まれた」と思っている向きが多いようです。でも福音書にはどこにもそう書いてありません。そう連想させるのは「飼い葉桶に」寝ているとルカ2章が2度にわたって言及していることによるでしょう。でもすぐに馬だけを連想する必要はないのです。牛や羊でよいでしょう。要するに、家畜たちと一緒の場所、と考えるべきでしょう。むしろ、馬は排除すべきでしょう。当時庶民、農民たちに一般に飼われていたのは、馬ではなく、羊や牛でした。それに、新約聖書では馬はほとんど出てきません。キリストとのはっきりした関係で出てくるのは、ヨハネ黙示録19:11だけです。そこでは終末に再臨して、支配するイエスを「白馬の騎手」として描いています。王たちの行進とは対照的に、エルサレム入場のイエスは「ろば、それも子ロバ」に乗っています。新約聖書の人々にとって、馬はむしろイエスのイメージとは逆でした。馬はローマの皇帝の乗るもの、従って馬はローマ、力、軍事力、権力の象徴だったのです。

今のベツレヘムの生誕教会が建っているところからすれば、イエスが生まれたのは、宿屋から連想される、別棟の家畜小屋でもなくて、家畜の飼育のために使われていた洞窟だったと考えることもできます。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」からです。家畜小屋にせよ、洞窟にせよ、「うまや」ではないことによって、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」という事実と相俟って、この世の権力とは違うこと、いや、それとは反対のものへの、神の注目があることに心を留めてよいでしょう。ルカ1章の「マリアの歌」が示しているように。

イエスは「居場所のない人」!

そうです。イエスは「居場所のない人」だったのです。これは神御自身がイエスの地上での御生涯のために選び、定めたところだったでしょう。だから、初めから、ローマの皇帝の人口調査の勅令のために、マリアとヨセフとは、ナザレを出て、ベツレヘムに旅をしなければなりませんでした。定住地を離れざるを得なかったのです。その上、ベツレヘムに来てみると、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」のです。今風に言えば一時的にせよ「ホームレス」だったのです。さらに、マタイ2章が伝えているところによる、「エジプトへの非難」によれば、イエスは「難民」だったとも言えるでしょう。ヘブル4章15節が「この大祭司は私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、私たちと同様に試練に会われたのです」と告げていることは、イエスの誕生の瞬間から当てはまることなのです。

この聖書について説教した、宗教改革者ルターは面白い言い方をしています。「泊まる場所がなかったって? そんなことはない。部屋はあったさ。でも、だれも空けようとしなかっただけのことさ。罰当たりめ! 硫黄の火で焼かれてしまうがいい。そう聴くと、皆さんがたは言うだろう。『ああ、おかわいそうに。私がその場に居合わせたら、部屋をお空けしただろう。それだけじゃない。おしめを洗ったり、色々お世話さえしたろうに』。そうだろうて。それは、みなさんがたには、結末が分かっているからだ」と。でもそうでしょうか。私には、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」という言葉で示されている、イエスの誕生の次第は、神の定めだったと思われます。成長して、公の働きを始められたイエス御自身がやがてこのことを神から自分に与えられたありようだと、自覚して受け止めておられたことに、福音書記者は気付き、イエス御自身のおことばをこう記録しています。「キツネには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子には枕する所もない」(ルカ9:57)。「居場所がない」というのは、旅をしつつ、人に教え、人を癒し、人を神との交わりの中へと連れ戻すイエスの基本的な、それも神から召され、与えられた生き方そのものの一部だったのでした。

「居場所がない人」のために生きる

神はイエスが人となって、この地上で生を送り、働くことを御計画になりました。神は自ら人となったのです。クリスマスの奥義です。神が人となったのは、それ自体が目的ではありません。神が人となったのは、人のために生き、人に仕えるためです。ですから、あの晩、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」という神の予定と摂理は、もう一つの、神御自身にとってはイエスにおいて実現すべき、もっと大切なことを指し示しているのです。そうです。イエスは「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」と言う状況の中に生まれて、人となり、「宿屋には彼らの泊まる場所がない」人のために生きることを御自身の生涯の使命、務めとなさったのです。

事実、イエスの生涯は自らそのような人を求め、探しだし、相手とし、名を呼び、「あなた」と呼びかけて、その人の兄弟として、生き通すことでした。福音書が伝える生涯の記録はこの事実の連続です。

われわれも「居場所がない人」のために生きる

イエスが人となって、人のために生きたということは、それだけに留まりません。我々もまた、イエスにならって、イエスのように、人々のために生きるということを含むのです。ルターは先に引用した説教をこう続けています。「そう思うのなら、今すぐあなたの隣人のところに行って、その人の必要に応え、その隣人に仕えなさい」と。

イエスは自らこの地上に生きて、「居場所がない」人になられました。「居場所がない」人を救い、助けるためでした。我々もまた、イエスに従って、「居場所がない」人となり(つまり、定住し、安住し、居座り、自己満足せずに)、「居場所がない」人のために生きる歩みを指し示されるのです。キリストの教会は、また、ひとりひとりのキリスト者はそのような歩みへと召されています。キリスト教の歴史の中で、その時、その場所に生きる、生きざるを得ない人々を見、その人々と愛をもって人間としての出会いをし、その人々の必要を、時にはその人々自身が感じている以上に感じ取り、聞き取って、この必要に応えた人と事実があります。

今年のクリスマス、このことを心に留めながら過ごしてみてはどうでしょうか。

(1999年12月24日  クリスマスイブ音楽礼拝)

○徳善義和牧師はむさしの教会前任牧師で、ルーテル学院大学教授、付属ルター研究所所長、日本ルーテル神学校校長、日本キリスト教協議会(NCC)議長。