巻頭言
巻頭言 浅野 直樹
去る8月11日、むさしの教会を会場に「今知りたい、バングラデシュ」(シャプラニール=市民による海外協力の会、シェア・ザ・プラネット、オックスファム・ジャパン共催)と題して講演会が行われました。まだ記憶に新しい、日本人も犠牲者となったバングラデシュの襲撃事件を受けてのことです。長く現地滞在を経験されたシェア・ザ・プラネットの筒井さんという方がテロの背景となっている現状などを詳しくお話しくださいましたが、その中で一人の現地青年のインタビュー記事が配られました。この青年はいわゆる「リクルーター(テロ活動に勧誘する人物)」との接触経験があったということです。幸いにして彼は両親の説得などもあって深入りすることはありませんでしたが、場合によっては自分もあの青年たちの仲間入りをしていたかもしれない、と語っています。この青年に一体何があったのでしょうか…。
彼はバングラデシュの中では比較的裕福な家庭に生まれ育ちました。そんな彼は両親や周りの期待を背負って有名私立中学に進学しますが、あまり馴染めなかったようです。そこで上級生からのいじめも経験しました。大量の課題や宿題にもついていけませんでした。有名私立という体面を気にする学校の姿勢にも違和感を感じてきました。彼は次第にうつ的になり、家に閉じこもるようになり、暴力的なゲームに明け暮れるようになったようです。そんな中、モスクで非常に気さくな青年と出会います。彼は初めのうちは警戒しつつも次第に打ち解け、心の内を全て打ち明けるようにさえなりました。「久しぶりに私は誰かに理解されたと感じた」とインタビュー記事に記されています。その親切な彼が、先ほど記したリクルーターだったわけです。
私はこの記事を読んで、モスク云々は別としても、これは今の日本の青年のことではないか、と思いました。そういう意味では、あの事件は現代社会における世界的(地域的ではなく)な問題ということでしょう。いいえ、これは何も現代に限らず時代を越えた問題…、普遍的な青年たちの姿(社会に対する不満、純粋すぎる正義感、アイデンティティクライシスetc.)でもあるのだと思うのです。ということは、その青年時代に誰と出会えるのか、ということが重要になる。一見親切そうに装いながらもテロに駆り立てるようなリクルーターと出会うのか、それとも、自分もかつてそうだったように、青年たちの抱える不満を理解しつつも人生の先輩としてあるべき道筋を示してくれるような人たちと出会えるのか、ということです。
そう、これは青年の問題じゃない。私たち大人の問題なのです。私たち大人たちがちゃんと青年たちの隣人になれているのか、という問題なのです。青年たちが不安定なのは、今に始まったことではありません。むさしの教会はそんな『彼らの』教会でもありたい、と願わされます。
むさしの便り10月号より
巻頭言 「“今”思うこと…」 浅野 直樹
私は“今”正直気が滅入っています。先の参議院選挙の所為です。その結果のためではありません(個人的な思いはありますが…)。あまりの投票率の低さに、です。
英国のEU離脱問題に世界は揺れました。私も関心をもってその動向を見つめていましたが、予想外の結果で大変なショックを受けました。しかし、その後の報道の方がショックが大きかったのかもしれません。そもそもEUのことをよく知らないまま投票した人も多かったらしい。離脱賛成の票を投じた当人たちも、まさか離脱という結果になるとは思わず、後悔し、国民投票のやり直しを求めているらしい。ただキャメロン首相(当時)にお灸を据えたくて賛成票を投じたらしい。離脱派のリーダー的存在だった人たちも、本当は離脱を願っていなくて、ギリギリの線で負けることを想定していたらしい。そんなことがいろいろと取りざたされたからです。これほど世界中を混乱させた国民投票が、一票を投じる側も、扇動する側もこんなに軽い気持ちだったのか、と呆れてしまうほどでした。
そんな出来事を目の当たりにした後の参議院選挙でした。与党は憲法改正を前面には出してきませんでしたが、争点であることは明らかでした。これほど重大な課題を背負った選挙だったにもかかわらず、有権者の半数近い人々が棄権してしまった。このあまりの無関心さになんだか危なっかしさを感じたからです。ひょっとして“今”の日本社会は、私が認識している以上に病んでいるのかもしれない…。闇が濃いのかもしれない…。こんなことに関心が持てないほど現実が厳しいのかもしれない…。
「すると、主はこう言われた。『お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。』」(ヨナ書4章10〜11節)。
“今”の日本社会にどのように奉仕すればいいのか…。今日の宣教ということをもう一度考えてみたいと思っています。
むさしの教会だより7月号より:2016年7月 31日発行
巻頭言 浅野 直樹
「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみをうける。」
(マタイによる福音書 5:7)
「『わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ』
と主なる神は言われる」エゼキエル書18章32節
皆さんもご存知のように、熊本を中心に地震による大きな被害が出てしまいました。「えっ、九州で…」と思ったのは、私だけではないと思います。私はこの4月に大柴先生の後任としてむさしの教会に着任いたしましたが、前任地は静岡市の小鹿教会と清水教会でした。
ちょうど、あの3・11のあった2011 年3 月6日に按手を受け、五日後の11日に入院先のベッドの上(詳しい話しはまた今度!)で震度5弱の揺れを経験し、前述の前任地に赴いたのでした。正直、身内からは静岡に行くことに危惧の声も上がりましたが、あれから5 年、心配したようなことは幸いにして起こりませんでした。しかし、今度は初めての転任を経験した直後にまた大きな地震が起こってしまった…。なんだか複雑な思いです。直接被害に遭ったわけではありませんが、やはり色々と考えてしまいます。「神さまがいるなら、どうしてこんな惨たらしいことが起こるのか」。こういった大きな災害に直面したときに、多くの方々(私たちも含めて)がもたれる問いではないでしょうか。
前述のように、わたしは直接的には震災に遭った経験を持っていません。しかし、長男の闘病と死を経験いたしました。もちろん、全く違った経験です。しかし、長男の病気は「十万人に数人」という確率の脳腫瘍(髄芽腫)でした。正直、「どうしてうちの子が…」と思ったものです。七転八倒の毎日、神さまを恨む日々でした。
しかし、その最中(さなか)でこうも思わされてきました。当たり前のことに、当然のことに気づいていなかった、いいや、背を向けていたのではないかと。子供だからといって不治の病に罹らない保障など何もないのに、死なない確約など何もないのに、どこかで元気に生き続けることが「当たり前」だと思っていたのではないかと。そして、こうも思いました。実は、そんな「当たり前」と享受してきたものこそが奇跡なのではないかと。「当たり前」と思っていた家族、健康、平安、幸せ、生きるということが、実は奇跡の連続だったのだと。その「当たり前」を失って、ようやく気付かされたようにも思ったのです。震災は奪うだけでなく、多くのことに気づかせてもくれました。
ありふれた「当たり前」の幸せ、人の温かさ、絆の尊さ…。もちろん、そんなことで被害に遭われた方々の心は癒えないのかもしれない。「どうして」という問い、悲しみ、痛みは消えないのかもしれない。正直、私は未だにそれらの方々に語る言葉を見出せずにいます。しかし、だからこそ「信仰」なのだと思う。何事もなく無事に生きられるから、ではなく、それが私たちの現実でもあるから信仰なのだと思うのです。私は未だ答えを得ていません。正直、恨み節もあります。それでもいい、その問いは無くならないのだと思う。それでも、この信仰が…、「生きよ」と言ってくださる神さまを、イエスさまを信じる信仰が私を、そして長男を支えてくれた、守ってくれた、救ってくれたと心底思うのです。だからこそ、この信仰をますます養っていきたいし、この信仰を現実の世に、人々に伝えていきたいのです。
むさしのだより5月号 巻頭言
神の祝福の虹を仰ぎ見て 大柴 譲治
「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみをうける。」(マタイによる福音書 5:7)
「すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」(創世記9:13)
むさしの教会の礼拝堂はノアの箱舟をかたどって造られています。設計者は教会員の河野通祐(こうのみちすけ)兄。和風建築の専門家でした。当時神学校で礼拝学を教えていた青山四郎牧師と協議を重ね、周囲との「共生」を考えながらここを設計したと伺いました。「建築とは思想」なのです。
『教会とシンボル』という小冊子にはこの教会のシンボル一つひとつに込められた深い意味が記されていますのでぜひお読みいただきたいところです。外壁にはつがいの動物たちが天を見上げているレリーフ(山本常一作)が置かれています。彼らは天に架けられた虹を見上げているのです。創世記によれば「虹」は「神の契約のしるし」です。
「雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める」(9:16)。教会は虹を見上げる場所です。築後一年ほどしてむさしの教会には米国より羊飼いのステンドグラスが与えられました。それはいつも陽光の中で虹色に輝いています。神がいついかなる時にも私たちを見捨てることなく、私たちとの「契約」を思い起こしてくださることを私たちが想起する場所なのです。
「取って食べなさい。これはあなたがたのために与えるわたしのからだである。取って飮みなさい。これは罪のゆるしのため、あなたがたと多くの人々のために流すわたしの血における新しい契約である」(聖餐設定辞)。そのように告げて私たちにご自身のすべてを与えてくださったキリストの新しい契約、それこそ「虹」が指し示している「永遠の契約」です。礼拝を通して私たちは共に虹を見上げることができる。何という喜び、何という慰めでしょうか。そこには神の祝福が満ちています。
1997 年8 月24 日(日)の礼拝で「燃える柴、燃え尽きない柴」と題して説教を始めてから18 年7 ヶ月が経ちました。昨年10 月4日(日)には宣教90 年を記念。『むさしの教会宣教90 年記念誌』(編纂委員会編、八木髙光委員長)も完成しました。また新ビジョン委員会(市吉伸行委員長)の答申も定期総会で分かち合われました。これは10 年後25 年後を視野に入れた私たちの教会の羅針盤です。一つひとつがこの教会の人材の豊富さを表すと共に、歴史を貫いてキリストの現臨があったことを証ししています。
私は3 月末で当教会を離任し4 月より大阪教会の牧師となりますが、これまで皆さんと共に虹を見上げつつ歩むことができたのは大きな祝福であったと思っています。これまでの私たち家族へのお祈りとお交わりに心から感謝して、後任の浅野直樹Jr 牧師にバトンを託してゆきたいと思います。むさしの教会の上に神さまの祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。soli deo gloria.
「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40:31)
アドヴェント黙想 〜 信仰によるレジリエンス 大柴 譲治
人生を旅に譬えると、この旅には何が必要なのでしょうか。目的地?計画?健康?智恵?余裕?仲間?情報?それともやはり先立つものはお金?人生には山あり谷ありですから、先人や長老たちの智恵は確かに優れた価値を持っていましょう。「速く行きたいならば独りで歩きなさい。遠くまで行きたいなら誰かと一緒に歩きなさい」というアフリカの諺を思い起こします。困難に直面した時、傍に相談できる家族や仲間がいてくれるということは大きな支えです。ホスピスチャプレンの経験からもそう思います。
「レジリエンス」という言葉があります。本来は「(バネの)復元力、回復力」を意味しましたが、今は「逆境(に打ち勝つ)力」とも「折れない心」(NHK『クローズアップ現代』)とも訳されます。「雑草力」とも訳せるかもしれません。そこでは、性格や自尊感情など自らの態度が重要になりますが、さらに重要なことは自分の傍に誰か聴き上手な人を持つことです。聴いてくれる友を持つ人はレジリエンスが強化されてゆきます。人は自分の気持ちを言葉で表現することで自らを客観化・相対化することができるのです。ドイツなどには「分け合えば、喜びは二倍、悲しみは半分に」という諺があります。私たちは互いに支え合う仲間を必要としています。
旧約の神の民も荒野の40年やバビロン捕囚という苦難を体験しました。本来「荒野」とは人が自分の力に頼っては生存できない場のこと、神に頼る以外にない場のことを意味します。人生の荒野の直中で神を信ずることで強い逆境力(レジリエンス)を鍛えられていったに違いありません。
そのことは150編ある詩編の40%が嘆きの詩編であることからも分かります。詩編は信仰共同体の中で歌われてきた共同の祈りです。神に向かって共に嘆くことで、自分の中にあるものをすべて神に吐き出すことで支えられていったのです。神に向かって吐き出してよい。嘆き祈ることを通して彼らは「わたしはあなたと共にいる」という神の確かな御声を聴き取っていったに違いありません。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)とイエスも語られました。
今年も11月29日から待降節(アドヴェント)に入ります。主の到来に心を向けて備える期節です。典礼色は紫。それは悔い改めの色、王の色。自らを吟味しつつ、今から二千年前の降誕(クリスマス)の出来事(第一の到来)と終末時の主の再臨(第二の到来)とを覚え、両者の間で人生の歩みを処してゆきたいと思います。救い主が向こう側から一歩一歩近づいてきてくださるのです。
この近づいてこられるキリストの中に信仰の力(レジリエンス)の源がある。人生という旅の途上で無くてならぬものものはこの力です。アドヴェントはそのことを確認する時でもあります。それ以外の必要なものはすべて添えて与えられてゆくことでしょう。
宣教91年目のバトンを石田順朗先生から引き継いで、私たちは今ここに新たな宣教の歩みを踏み出してゆきたいと強く願うものです。
宣教91年目のスタートラインで − 「むさしの」歴史の担い手の一人として − 石田 順朗
今年は、戦後70 年を始め、実に数々の「節目」の年である。
折しも「周年」の表現が少なくなったのに気づく。兵庫県では、阪神淡路大震災遺族の方々への配慮で周年の不使用を決めたと聞く。慶事で用いられることが多いとて、被災の場面には違和感を覚える人が増えてきたからだという。メディアでも「00年」と表現するのが多く「周年」は殆ど見当たらない。
周(あまね)は、漢字として古くは「周〈日本の古語ではシユウ〉」で、語義は広範囲にわたる。あまね・し〈遍し〉から、めぐる、まはる、まはり、こまやか、ひろく親しむ、いたりて、など。時間的には「まる一年」で、ある物事が始まってから、その数だけの年が過ぎたことを表す。語彙的には何ら異議なく、わが教会の「90周年」も「宣教開始以来まる90年を経過した」ことで、まことに記念すべく喜びを分かち合う時となる。
ただ、満90年の日付(10月4日)で、早速に「91年目の初日を迎えること」を確と心に留めるようにしたい — 殊に、今日、「歴史認識」の渦巻く唯中にあって。
「時とは何か、誰も問わないならわたしはそれを知っている。しかし誰かが問うて、これに説明を加えようとすれば、わたしは何ひとつ知らない」。四世紀の神学者アウグスティヌスの言葉だが(『告白録』より)、運勢占いでは「過去に生きるか、それとも今現在を生きるか」を問い、過去や未来の時間に逃げ込むのは「現実逃避」。それに「風化」のこともある — NHKが戦後70年に当って実施した世論調査で、原爆が投下された日付について、正しく答えられなかった人がそれぞれ全国で7割程度だった。
「今の積み重ねが過去、今の積み重ねの先に未来」を見据えるポジティブ・シンキングでは「まさに自分が生きている今」を大事にする。熟考を促される。肝心なのは「今の私たち自身」だ。まず、われわれ、むさしの教会員一人びとりである。
キリストにおいて世に来臨された神は「時は満ちた」と宣言。無意味に過ぎ行く時が意味を持つようになった。教会の主、キリストなしでは「千年といえども、夜の一時にすぎず」だったが、「キリストと結ばれる人は、新しく創造された者。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じる」のである。
「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵み」を満喫する絶好の機会が訪れる。
「やはり 口づてで − ふれ合いの中で、」 石田 順朗
音楽を楽しむ最良の方法を合成、「すべてを一つに集約、直観的に使えるアプリ」を世界100か国以上で発売と米国大手メーカーが発表したのと時を同じくして、昨年東京に開業したレコード中古専門店が、当初の予想を上回る売り上げを記録したことも報じられた —「近年リバイバル・ブームの兆しを見せているアナログレコードは、音だけではない、ファッション性、インテリア性の高いアートワークや、まるで書籍を手に取った時のような質感も魅力の一つである」のコメント付きで。「アナログの温かみある音質に注目が集まり、じわりと人気が高まっているのではないか」という。
日本では明治43(1910)年、初の国産蓄音機「ニッポノホン」が発売され、わたしは幼少時、ゼンマイを回しつつ、当初はそのラッパに耳を寄せ、一面毎に取り換える鉄針で、戦中は竹針を削ったりして、1分間78回転するレコードから音楽を楽しんだ。蓄音機はプレーヤーとなり、レコードもSP,LP,EPを経てテープ・レコーダーへと発展、Hi-Fi・ステレオと臨場感で迫力ある音響効果を味わったのも束の間、時計、カメラ、携帯・スマホ、テレビへと押し寄せる「デジタル情報革命」に捲き込まれた。
その定義はさておき、「アナログは文化、デジタルは文明」、アナログ的人間像では、直感的、感覚的で協調、調和を大事に楽観的。デジタルの方は、行動前に考え合理性や効率に注目し計画好きで規律やルールを重視する沈着冷静などが挙げられる。
その中で、「デジタル全盛の今を生きる私たちが忘れかけている大切なことは、アナログな感覚を大切にすることで思い出すことができる」と指摘する社会学者小川和也氏や(『デジタルは人間を奪うのか − その現在進行形』2014年)、『いしい しんじの音ぐらし』を最近著した いしい しんじ氏の「ひとのなかに、アナログは根づく」の一文には深く感銘した(『毎日』5/24,日曜版)。
使徒パウロは云う、「ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。『良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか』と書いてあるとおりです」(ローマの信徒への手紙、10:14〜 )。
宣教90周年を前に、むさしの教会新ビジョン委員会の教会内アンケート結果報告には,「教会の礼拝、交わり」を “良い”として大多数(75%)が挙げている。100%を目指そう!
むさしの教会だより 2015年7月
「視界良好 – 信仰の眼を更に開いて」 石田 順朗
先の著作(『神の元気を − 』)では、「見る、聞く」をできるだけ避けて、「取り次ぐ(communication)」を用いた。折しも河野泰弘著『視界良好 – 先天性全盲の私が生活している世界』を読んで熟考を促された。「見ることとは,全身で感じ,味わうこと」と示唆を与えられ、氏の生き方からも元気を貰ったしだい。
ふと、来年にも2千万人の目標を軽々と達成と報道される外国人観光ブームの「観光」にも気を取られた。語源は『易経』の「観国之光,利用賓于王」の(国の光を観る)の一節による由、大正年間にtourism の訳語として用い出されたという。「他の土地を視察すること。また、その風光などを見物すること」も再確認(広辞苑)。同時に、「風光、国の光を観る」には恐縮した。
そもそも「見る、観る」は含蓄に富む言葉 – 見物、見学、拝見、見識、意見、定見、見解から素見(ひやかし)、露見、見在もあれば、開眼 (かいげん)に至っては、新たな仏像に眼を描き入れ仏の魂を迎え入れる「開明」、「慧眼」で、仏教の「真理を悟ること」にも通じるのである。「この目で色を見たことはないけれど、私には無限の色が見えます。手で触れ、耳で聞き、香りをかぐ、それが私にとって“ものを見る”ということです」河野氏も語る(NHK放映 2013/12/15)。
他事では全くない!わが教会でも毎主日礼拝で派遣の部に入ると直ぐに「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。
わたしはこの目であなたの救いを見たからです」と声高らかに歌うではないか(ヌンクディミティス・新共同訳)。それに「一国の光を観る」どころか、神の国をパンとぶどう酒の聖餐において、十字架の主イエスのからだと血として「いま、ここで」見て、触れて、飲食する。しかもお恵みがこの身に満杯になり「主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて あなたに平安を賜わるように」の派遣の祝福で出立する(民数記 6:24-26)。
これが「むさしの」の現実だ!かねて各個教会を避けて地域会衆を唱えているが、会衆とは「人に会う集団(会見、引見、謁見)」であり、教会は面会場だ。神と復活のイエス・キリストと、牧師、兄弟姉妹たちと面と向き合う会合(見て、触れ、聴いて、会話し、飲食し、交わり、元気に再出立する群れ)である。
このコングリゲイションのCが、今度の年間主題「キリストへの専心(コンセントレイション)」のCの内実であるように!
神の「救済工程表」は よどみなく 石田 順朗
『天災と人災 惨事を防ぐ効果的な予防策の経済学』(世界銀行/国際連合/共編)が読まれ出したのは3年前だが、際限なく激化する国際武力紛争への「安全保障のジレンマ」に陥った、天候、食糧、医療、金融、ソーシャルメディアを網羅する「兎にも角にも危機管理時代の到来」である。戦時を忌わしく思い出す「波状攻撃」さながら、「これまで経験したことのない」集中豪雨や大型台風の襲来、地震や噴火発生、疫病蔓延への警報が続出する。しかも避難勧告の前に「避難準備情報」まで発信される情勢だ。
度重なる「発生・襲来」と「待ち受ける」連鎖対応に疲れ切った一年だった。それでも、この11月30日には「待降節」が始まる。教会暦の新年を迎えるのである。教会暦が例年、ひと月も太陽暦に先んじて新年を迎えることに、重ね重ね感謝している。殊に今回は、かねて話題になっている降臨節か待降節かの教会暦上の用語選定に、心すべき示唆が与えられて有り難い。
以前は降臨節だった。記紀を出典に「天孫降臨」を連想させるが、今なお私は、聖公会と同様に、降臨節を選ぶ。どちらでも構わないとは言え、そもそも待降・降臨の語源「アドベント」がラテン語のAdventusから派生し「到来」を意味するからだ。辞書には「『キリストの到来』のこと。ギリシャ語の『エピファネイア(顕現)』と同義で、アドベントは人間世界へのキリストの到来、そして、キリストの再臨を表現する語として用いられる」とある。到来、来臨が一大事だ。キリスト教会史上、最古の公的固定祝日として顕現日(公現祭)が1月6日に制定され(4世紀)、当初はその日にイエスの誕生を神の栄光顕現として祝ったと伝えられる。降誕祭として12月25日に定着したのは5世紀後半に至っての史実からも立証できよう。「久しく待ちにし主よとく来たりて」と長く親しまれてきたラテンの古歌Veni,Veni, Emmanuel の英訳詞は O come, O come, Emmanuel で、『教会讃美歌』9番では「きたりませ み子よ」で始まり、各節とも「主は来りたもう」で終わる。
ただ、こうした用語の選定にこだわっているときではない。「待つ」ことを「またか!」と危機感を募らせて忌避の念さえ深める中、今度こそは、「降臨」どおり、救世主イエスのご来臨! それも、悠久不変、よどみなく展開する神の救いの「工程表」に確と基づいた出来事の発生、その到来である。
いざ、歓び勇んで 待ち受けよう!
「お仕事よ、こんにちは」 石田 順朗
10数年に及ぶ2度目の海外出向を終えて帰国(平成6年)、長年続けていた早朝のジョギングで「ハローワーク」を冠する銘版を掲げたオフィス・ビル前を通過した時のこと、目を見張って驚いたのを想い出す。「公共職業安定所」を、法令に関連する部分以外で通称する「ハローワーク」だった! 「職安」、「安定所」は聞き慣れていたが、平成になって早々に約4,000点の全国公募より選定された「ハローワーク」という(平成2年以降の)愛称で、憲法に定める勤労の義務や権利の全国一律平等という要請を行政化する象徴だと知った。
それにしても、このところ増大するワーキングプアやネットカフェ難民のもたらす課題を抱えながら、派遣切り・雇い止めや、更には労働者が宿舎を追い出されて居所を失うという事態に、民間の「人材バンク」や「転職エージェント」などの勢力拡大も加担している側面があるとも聞く。「ハロー」が(原語のスペルは違い、語呂合わせながら)認知バイアスの一種で、画像処理用語でもある「ハロー効果」に引きずられているのでは、とも危惧される昨今である。
今では、「ハロー!プロジェクト」の略や楽曲名、アルバム名でよく登場する「ハロー」を、私は単純に「こんにちは」「もしもし」の挨拶にしたいと願っている。そもそも職業は、キリスト教用語でいえば、神に召されて新しい使命につくことを意味する「召命」であるからだ。神から「ハロー」と今日も呼びかけられている。召命と邦訳される語源vocatioは、本来、神に選ばれ、呼び出され、救われることで、転じて、牧師(司祭)職として使命を与えられることに始まり、さらに拡大されて(家事専業を含める)職業一般の呼称になった大事な用語である。
世界中どこでも、失業率の昇降が政治行政への支持率に影響し、就職率は出身校の入学応募率にも結び付く。他方、戦禍に苦悩する国々では、離業や失職どころか難民となって膨大な国外脱出も起っている。身近には、来春を目指して「就活」が激化する秋を迎えた。でも、「極端気象」に覆われた広島の大規模土砂災害、数多の地域での土石流災害に捲き込まれた同胞者たちを思うと心が痛む。
一日でも早く、みんなと声を合わせて、“お仕事よ、こんにちは”と元気よく挨拶を交したい。
(2014年9月28日 発行)
「1パーセントの希望」 廣幸 朝子
「あなたが私を選んだのではない。私があなたを選んだ。」
なんという力強い言葉だろう。そして誰も反論する余地がない。神様のセリフのなかでは、一番の傑作ではないかと思う。この言葉で、意を強くした信徒はたくさんいるだろうし、および腰だった人も覚悟を決められただろう。しかし、選ばれなかった人にとっては、これほどシビアな言われかたもあるまい。「むさしのだより」の「むさしのの輪ッ!」などを読んでいると、ほとんどの方が「いつの間にか、神様に捕らえられ」、いまは「神様の御手のなかでこころ安らかに過ごしている」と言われる。うらやましいというか、ねたましいというか、私は複雑な気分になる。
ある神学者がこんなことを言っている。「信仰とは99%の失望と1%の希望である」と。専門家のクセに1%の確信もないのかと、神様の確証のなにか一片でも欲しいと常々思っている私は、がっかりしたり、おどろいたりしたが、しかしこれは、私を含めて、多くの信徒の実感ではないかと思った。それでなければどうして毎週教会に来るだろう。なにしろ神様の御心は「人智ではとうていはかり知れない」のだ。自分の身におこることもさることながら、世の中には神も仏もあるものかということが、山のようにある。神様はどこにいて、なにを見ているのか。人間は祈ったり、泣いたり、「はかり知れない」御心に振り回され、神様に救いを求める。けれど神様はイエス様の昇天以来沈黙を続けているようにしか思えない。失望の連続ではないか。しかし、けれど、失望に押し潰されずに、1%の希望だけは持って、教会に集い、牧師を通して神様の御心を確かめずにはいられないのだ。だから、牧師は、希望を繋げる説教を、聖書の教えのように、神様の御心に従って生きていく勇気と、覚悟と、喜びを、繰り返し語ってほしい。少なくとも1週間を生きていく力を。99%失望はしても、1%の希望を紡いでいけば、この世を去るとき、きっと神様に出会える。そのとき自分の人生が神様の恵みに満ちたものであったことを知るのだろう。終生、神様の「一片」を追い求めた作家遠藤周作氏は、その臨終の床で夫人にこう告げた。「順子、安心しろ、俺はとうとう神様に会った…。」
こんな歌がある・・・
With hope in your heart
And you’ll never walk alone
You’ll never walk alone
You’ll never walk alone
by Richard Rodgers
(2014年3月 9日発行)
「居場所と居心地」 石田 順朗
本稿を書き出したのは、今年の受難週、ちょうど半年前、常識を覆す甚大な土石流災害を被った伊豆大島、廃校となった小学校校庭の仮設住宅でため息を漏らす一女性の声をテレビで聞いた時と重なった。見えない未来に不安を抱える被災者たちは多い。46戸建設された仮設住宅の入居期限は2年で、再来年1月には自宅の再建や公営住宅の入居を決断しなければならないという。
「仮設住宅」、「仮住まい」。復興庁によると、今なお全国には約26万7千人の避難者がいて、福島県だけでも約8万5千人。仮設住宅や見なし仮設または自力再建などで落ち着いた生活を送る人たちもいるが、幾度も避難先を変えるなど多くの避難者の生活は振り回されている。
時を同じくして、大震災で児童・教職員計84人が死亡、行方不明となった石巻市立大川小の卒業生5人が、被災した旧校舎を「震災遺構」として保存して貰おうと署名活動に取り組む考えを表明しているのに涙ぐんだ。「大川小は心の居場所」、「そのままの姿で残してほしい」と訴えていたのだ。
「居場所」といえば、思いつくことが二つある。十年前の「狂牛病騒動」の末期に聞いた警句「安全でも安心できない」から連想される「安全と安心とは健全な居場所」の名言。これが第一で、今なお極めてリアルな定義だ。もう一つは、19世紀初頭、ドイツの宗教史学派を代表する旧約学者 H・グンケルが言い出した神学用語、Sits im Leben、邦訳では「生活の座」。その英訳、situation in lifeが告げるように、ただ場所的な事柄だけではなく、「居心地」を含む「生活全般への視座」という含蓄に富む表現である。
わたしは、先の著作で「説教と礼典執行は、地域社会に居場所を定めた『教会的行為』」と書いた(『神の元気––』p. 63)。むさしの教会は、わたしたちの「心の居場所」である。何と幸いで素晴らしいことか!
今年、3月2日の変容主日聖餐礼拝で、『教会讃美歌』148番を歌った時のことを思い起こす、「2.ここにいるは いとも楽し、モーセとエリヤも み傍に立つ。3.いまぞ神のみ国を見る、われらの住家をここに定め。–」でも、5節を歌ったことが忘れられない、「されどわれら ここをはなれ、悩めるこの世に くだりてゆかん。–」ついで、「派遣の祝福」をこのからだ一杯に戴いた。
宣教 90年を超えて、わがむさしの教会の目指すかたちを求めて「第2次宣教ビジョン」作業が始まった–まさしくこの「視座」からではないだろうか。
むさしの教会だより 5月号(499号)より
イスラエルで見たキリスト教 廣幸 朝子
数年前イスラエルに行ったとき印象的だったことを二つ。一つは、キリスト教徒の数である。三つの宗教の聖地であるから、3分の1くらいづつシェアしているのかと思っていたら、余りにも甘かった。1.7%だという。私達は伝聞によってイエス様を知った。しかしこの地はイエス様の生涯の目撃者ではないのか。その奇跡を見、その声を聞き、その壮絶な死を見守ったのではないのか。そしていまや、イエス様の足跡のありとあらゆるところにキリスト教の教会が建てられ、そこには世界中から巡礼者が引きもきらぬというのに、キリスト教に心を寄せる人はわずか1.7%。私には驚くべき数字であった。
もう一つは、「ヤド・ヴァシェム(忘れない)」という名のホロコースト記念館である。こんなところにどうしてといぶかしく思ったが、考えてみれば当然である。住む家を追われ不安と恐怖の収容所でユダヤ人が願ったのは、「祖国さえあれば」「父祖の国に帰りたい」ということに尽きるであろう。だから犠牲者を追悼し記念するためにこれは建てられた。圧巻の展示物は犠牲になった人々の膨大な名簿と個人の記録と顔写真である。巨大なドームの壁いっぱいにぎっしりと貼り並べられている200万、300万という人間のその膨大な数を目の前にし改めてナチスの暴虐に慄然とする。
そして、「子供記念館」!。1本のろうそくをたくみに反射させて無窮の星空を模したドーム一杯に子供の写真がびっしりと並ぶ。幸福な時代に撮られたアルバムから拾い集めたのであろう、どれもがカメラ目線で、私達にあどけない笑顔を向ける。そして問いかける「どうして私達は生きてはいけなかったの?」ナチスだけの責めではあるまい。
ローマに滅ぼされひっそりと住みついたヨーロッパの国々(キリスト教国)で、何百年も陰に陽におこなわれたユダヤ人への差別、迫害、排除の歴史、その延長線にナチスの蛮行がある。キリスト教の偏狭さ、あるいは宗教のあやうさ、そして狂気に走る人間の脆さ、誰もが考えずにはいられないだろう。館の外には記念公園が広がる。その散歩道に植えられた樹は、あの動乱のなか、職を賭しあるいは命さえ賭してユダヤ人を助けた外国人(ほとんどがキリスト教徒)一人ひとりを顕彰して植えられている。リトアニア領事代理だった杉原千畝氏(本国の命令に背いてビザを発行し6000人のユダヤ人を救った)の樹もあった。どれもまだ若木であったが、年を経てこの地に根を張り、枝を伸ばして逞しく成長してほしい。これらの樹は、滑稽なほど沢山立てられた教会より、はるかに雄弁にキリスト教を語る。
最初に石を置いたひと 廣幸 朝子
「若き日に主を覚えよ」とは至言であろう。不惑の年を迎えようとするころ、はじめて教会というところに足を踏み入れ、初めてまともに聖書に向き合った私には、聖書は石ころだらけの山道を歩くのにも似て、牧師の弁明?注解?解き明かし?なしには到底読み進むことはできなかった。そんな苦労のなかで一箇所だけ、素直に心に響いたところがあった。
それは、文字通りには到底納得できない数々の「神様の奇蹟」のなかにあって唯一「人間のおこした奇蹟」の物語。即ちヨハネ第8章。姦淫の罪を犯した女を律法に従って石打ちの刑をしようと集まった群集に向ってイエス様が「あなた方のなかで罪のないものがまず石をなげよ」と言われたとき、ひとりの男が石を置いて立ち去る。そして一人、また一人と男達は立ち去り、とうとう誰もいなくなったという。
これは本当の話だろうか、人はこんなにも内省的なものなのか、日本でも同じことがおこるだろうか。これが最初の素直な感想である。聖書では、人はいつも教えられ、諭され、導かれるものとして描かれている。このように自立した、自省的なものとして人を描いた聖書記者の視点は新鮮であり驚きであった。そしてこれが本当の話であれば、まさに信じがたい奇蹟であるし、架空の話であっても、人権とか、ヒューマニズムとかの概念の全くない時代に想像することすら難しい展開ではないかと、私はいたく感動したのである。
そして思う。もし最初の人が石を投げていたら、おそらく人々は先を争って石を投げたに違いない。最初の人が石を置いて去ったから(それは年配者であったとヨハネは書き添えている)、人々は、はっと胸をつかれ、自分は何をしているのかとわが身を省みたのである。
「私はあなたの罪を許す。私はあなたを愛している。だからあなたは・・」
神様からこんなメッセージを毎週頂く私達は、まず、最初に石を置く人でありたい。
すこし話は違うが、日本は世界に先駆けて武器を置いた。しかしまわりの国々はにらみ合うばかりで、一向に武器を置こうとしない。だから、日本はまた武器を獲ろうというのか。
むさしの教会だより 2013年9月号
巨大地震は何時起きるか? 高橋 光男
古来から地震、雷、火事、親父と言って、地震は怖いものの筆頭である。親父は近年あまり恐れられなくなった。 東日本大震災以来、巨大地震発生について関心が高まってきた。地震対策がいろいろと推奨され、各地で地震発生に対応する訓練が報告されている。
日本列島はユーラシア・プレートと北アメリカ・プレートの上にあり、この下に太平洋・プレートとフィリピン海・プレートが年数cm~10cmの速度で潜り込んでいる。上のプレートが潜り込むプレートに引きずられ、ひずみが溜まっていき、そのひずみが解放されるとき地震が発生すると地震学は教える。ひずみが解放されてもプレートの潜り込みは続き、ひずみが溜まり始める。そのため同じような場所で地震が起こる。
日本列島は4つのプレートが集まって互いに押し合っている所だから、地震も火山も多い。火山活動により富士山のように美しい山や景観の良い場所ができるし、温泉も各所に湧き出ている。このように恵まれた環境になっている。
地震予測は進んで、どこで、どんな規模で、地震が起こるかは予測されるようになった。何年にと予測は出来ない。直近で予測されるのは 東海地震、東南海地震、南海地震がマグニチュード8以上の規模で、今世紀半ば迄に、順に前二者が90%以上後者80%以上の確率で起こると予測されている。三者が連動して起こる巨大地震が懸念されている。1707年に連動した宝永地震あり、1854年に東海と南海地震が、90年後に東南海と南海地震が相次いで起こっているからである。
首都圏ではプレート間の地震として、1703年の元禄地震、1923年の関東地震がある。このタイプの地震は来世紀と予測される。むしろ断層による地震が心配される。
巨大地震が予測されている故に、それに災害に備えて我々は準備を怠らないようにしたい。地震に備えるのとは違うとはいえ、イエスは「その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。ただ父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。」と教えているからである。(マルコ13:32~33、マタイ24:36~39)
さて新約聖書には地震について、終末時にそれが起こるという予告は何度かあるが、実際にそれが起こったのは三回記録されている(マタ27:51、同28:2、使徒16:26)。「イエスが息を引き取られた時に地震が起こり、岩が裂けた。」(マタ127:51)
むさしの教会だより 2013年7月号
不思議な事々 高橋 光男
2013年5月22日
不思議に思うことはいっぱいある。ここでは生物が示す不思議なことを思う。私たちに馴染み深い魚のサケ。サケは川で卵から孵化し、川を下り太平洋で4年ほど過ごし、再び生まれた川をさかのぼって産卵する。産卵を終えた親は、そこで死んでしまう。
親サケの死後に、卵から孵化した稚魚には親から生きるすべを学ぶチャンスはない。何を食べるのか、どのように川を下り、太平洋でどのように生きていくのか、そして生まれた川に戻るにはどうするか等々、何も学習してない。しかしサケは何かに導かれて再び生まれた川に戻り、産卵しその一生を終える。ここに不思議がある。
ウミガメの産卵についてはニュースでよく報じられる。母親ガメは卵を産むと海に戻って行ってしまう。卵から孵った子ガメ達はいっせいに砂をかき分けて出て来て、海に向かう。海へ向うことも、どんな食べ物を摂るか、大海原でどう生きるか等々、親ガメからは何も学んでいない。ウミガメにもサケと同じような不思議がある。
ファーブル昆虫記を開いてみる。るりじがばち、はきりばち、どろばち等々のハチが観察されている。これらハチの母親は、泥や木の葉、等を使って、枯れた葦の茎、カタツムリの殻、石の下の隙間、等に産卵ための小部屋を複数個作る。小部屋の中に卵を産み、幼虫に成った時のために蜜や、花粉や、捕捉した蜘蛛を置く。小部屋は泥や、小石や、木の葉などで閉ざされる。
卵から孵った幼虫は、蛹に、やがてハチになり巣立っていく。このハチたちは、親蜂から小部屋の造りの方や、餌の取り方等々を学んでいない。それでもやがて母親と同じ事を繰り返す。ここにも不思議がある。
いずれの不思議な事は、生物には特有の本能があるから起きると言える。この本能がまた非常に不思議なものである。神から与えられたものと言うほかはない。
神は烏を養い、野原の草も花で装ってくださる。神はサケや、ウミガメやハチたちにも親について学習しなくても生きるすべを用意してくださっている。
神からの贈り物 高橋 光男
2007年11月京都大学再生医科学研究所の山中伸弥教授らは科学雑誌「セル」にヒトiPS細胞の成功を発表した。この研究により山中教授はノーベル賞を昨年受賞したことは記憶に新しいことである。
iPS細胞(人工多能性幹細胞)とは「人体の細胞を原料として体のいろいろな種類の細胞になれる細胞」ということである。つまり自分の例えば皮膚の細胞から作られたiPS細胞で心臓の心筋細胞や肝臓の細胞を再生することが可能になるということである。また脊椎損傷で神経を損傷した場合でも、iPS細胞で治療できる可能性がマウスを使った研究で報告されている。つまり再生医療の分野が大きく開かれたことになる。
人間はいろいろな種類の細胞、約60兆個から成っている。例えば皮膚、毛髪、血液、小腸などは損傷した細胞や、ふけや垢などのような寿命を終えた細胞を補充するなど新陳代謝をしている。しかし脳とか脊髄となった神経細胞や心臓の心筋細胞などは細胞分裂を終えた細胞で、もう自ら補充も補修もができない。そのため心臓の
治療に時として心臓移植が必要になる。しかしiPS細胞によって移植しない治療の可能性が開かれたと言える。また自分の細胞から作ったiPS細胞を使うから拒絶反応もないと考えられる。
どんな細胞にもなれる万能細胞としてはヒト受精卵の細胞分裂でつくる胚性幹細胞(ES細胞)がある。このES細胞は受精卵を用いることから倫理的、宗教的問題があるがiPS細胞は成人の細胞を使って万能細胞になったものであるから、このような問題がない。このこともiPS細胞の基礎研究や医療への応用研究が世界中でされる理由でもあろう。
治療法のない難病に苦しむ人や臓器移植による治療を待つ人には希望になる。しかしiPS細胞による再生医療実現には、iPS細胞の安全性、iPS細胞化や培養法の改善等々の技術的課題がある。臨床研究で最も早いのは理化学研究所が目指す加齢黄斑変性症治療への応用で、今年から来年の実施が目標にされている。
iPS細胞は神が与えてくれた万能細胞とも言える。多くの人の病を癒す手段を与えてくれるものとなるよう祈りたい。
無限大より大なるもの 高橋 光男
それは137億年前の出来事。宇宙の誕生です。ビッグバンと言われる超高温の火の玉状態で始まりました。超高温の中で原子ができ、ガスとなって広がり、膨張する宇宙の中で冷え、銀河ができました。今日では銀河の数は数十億~数百億個に上ると推定されています。これらの銀河は今でも速度を増しつつ遠ざかっています。
創世記1:1~4に「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。」とあります。神の言われた『光あれ。』は宇宙の始まりビッグバンかどうかはわかりません。しかし創世記の記述と物理学の最近の成果とが似ているのは偶然かもしれないが気になることです。ビッグバン以前の宇宙はどんなだったか?ビッグバンはどのようにして起こったか?などはまだわかっていません。神の創造の御業は果てしなく大きく、人の知識は微々たるものと言えます。
私たちの地球は天の川銀河と愛称される銀河の中の一つの星です。この銀河には二千億~四千億個の星があるとのこと。さらに宇宙となると銀河の数は数十億~数百億個に上ると推定されています。このように宇宙には無限とも言える数の星が存在します。
こんなに多くの星が存在する宇宙の大きさはどうでしょうか?観測できた最も遠い場所は、約127億光年とも130億光年とも言われる彼方にあります。1光年とは光が1年間に達する距離で9兆4600キロメートルのことですから、観測出来る範囲は無限の距離の彼方になります。130億光年前の光を観測しているが、光りが伝わってくる間にも観測された銀河は速度を上げて遠ざかっているので、光を発した銀河は今、300億光年のかなたに去っているだろうとのことです。
宇宙は膨張しつつあります。無限に膨張し続けるのか、膨張する速度が減速するのか、等々宇宙の将来については全くわかっていません。創造主、神様はご存じです。
このような無限大の宇宙を創造し、重力で制御し、膨張のエネルギーを与えることが出来るのは何者か? それは天地の造り主である神と言うのみです。
詩編は神を賛美しています。
力強い御業のゆえに 神を賛美せよ。
大きな御力のゆえに 神を賛美せよ。
(詩編150:2)
(むさしの教会だより 2012年 11月号)
データ(情報)過剰時代 川上 範夫
テレビをつけると大相撲の熱戦が映し出されるが、よく見ると画面は一年前の夏場所のVTRだったりする。それに元力士が長々と解説をしている。やっと本番の取組みが始まった時には興味は相当さめてしまう。プロ野球のテレビ中継になると解説は更に盛んである。
プロとしては選手それぞれのデータを把握しておくことは必要に違いないが、観客としては、その日のゲームそのものを見ているのであって、細かい解説や予想にはかえって興をそがれてしまう。
話は変わるが、私は年に何回か経済講演会なるものを聞きに行っている。趣味というわけではないが、最近まで教会関連事業の資金運用に携わっていた関係もあり、景気の動向には関心があった。講師はマスコミで著名なエコノミストや大学教授等である。講演会に出て思うのは、配布される資料の多いことである。
世界各国の株価推移、国内の新設住宅着工戸数推移、米国の雇用統計等々である。講師はこれらのデータをもとに景気予測をするが、データの説明に時間をとられ、肝心の予測については大した見解も示されずに終わることが多い。然もその予測は殆んど当たらないのである。私はデータを軽視するつもりはない。
例えば企業として諸々のデータに基づいて中長期経営計画を立てることは重要である。ただ、気にかかるのは過剰なデータが個人の生活にも入り込んできた点である。今の若い人達は進学、就職、結婚等に不安を抱いているが、それは個々人の問題というより社会構造の変化によるものだと思う。大学は淘汰の時代に入ったし、大企業も安泰ではなくなった。更に終身雇用制は実質的に崩壊している。一方中高年も不安を抱いている。親の介護、自分の健康、年金、いつまで続くか分からぬ老後という生活のこと等である。更に問題はこれらについての情報が社会に溢れており、この過剰な情報が不安を増幅していることである。では、人々の不安の根底にあるものはなんだろうか。それは先が見えないことだと思う。今、まさに「不確実性の時代」(アメリカの経済学者ガルプレイス著のベストセラー、1976年刊)なのである。
では私たちはこの時代をどのように生きればよいのだろう。それは「今日」という一日を“ていねいに生きる”(渡辺和子シスターの言葉)ことではないだろうか。私はあらためて聖書のみ言葉に耳を傾けたい。
「だから、明日のことを思い悩むな、明日のことは明日自らが思い悩む、その日の苦労はその日だけで十分である。」(マタイ福音書6:34)
(むさしの教会だより 2012年 9月号)
死にいたる病 川上 範夫
昔の人は家族に見守られ自宅で息をひきとったが、今日では9割の人が死を病院や施設でむかえるといわれる。このことにやや関連するが、数年前までは知人が亡くなると、何をさておき通夜や葬儀に参列したものだが、今ではそのようなことは殆んどなくなった。当人の意思もあってか、ご遺族が通知を控えるようになったのだと思う。又、以前は町内の人が亡くなると回覧がまわったものだが、最近はそのような通知すら出されなくなった。このように、死というものは家族からも地域からも見えないものになってしまった。
では、死については誰もが無関心になったのかというと、そうではない。今や死という言葉は時代の重要なキーワードといえる。個々人の死は見えなくなったが、社会問題としての死は高齢化とあいまってクローズアップされてきた。
ルーテル学院大学大学院に2009年「死生学研究所」が設立されたのもその現れといえよう。前述の通り、死は家庭でも地域でも見えなくなったが、一方、「老い」は身近なものになった。私は昨年春介護老人施設に友人を見舞った。彼はうつろな眼で私を見たが全く認識は出来ず、ただ黙って何かを食べている姿を見て悲しい想いがした。又、私には広島に103才の親族がおり老人ホームに入居しているが、過日、施設から連絡があり暴力をふるうので特別室に移したという。私は情けない気持になった。
だが、このような老人の醜態を見聞きするのは珍しいことではない。話は少しそれるが、私はある医療関係の本で最近中年の女性に“ガンで死にたい”という意識が広がっていると知った。ガンではボケないということのようである。そういえばガンで亡くなった方の姿は、やや崇高な調子で語られることが多い。
さて、私共は誰一人「老い」と「死」からのがれられない。これとどう向き合えばよいのだろう。これに関する本はごまんとあるが、本を読めば納得のゆく道が見つかるものでもない。
遠藤周作がよく紹介するベストセラー『死ぬ瞬間』の著者キューブラ・ロスによれば“宗教心の篤い患者も宗教をもたない患者と大した違いはない”とあるが、死ぬ瞬間もさることながら、そこへの過程が不安なのである。デンマークの哲学者キルケゴール(1813~1855)は“死にいたる病”の名著を書き残したが、もし彼が現代にいたなら“死にいたるまでの病”についてどのように語るだろう。
(むさしの教会だより 2012年7月号)