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【Live配信】2023年5月21日(日)10:30 主の昇天礼拝 説 教 「 心の目を開いて 」李 明生 牧師



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【Live配信】2023年5月14日(日)10:30 復活節第6主日礼拝 説 教「共に生きられるキリスト 」 李 明生 牧師



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【週報:司式部分】【音声版】2023年5月14日(日)10:30 復活節第6主日礼拝





司 式  李 明生
聖書朗読 猿田 幸雄 李 明生
説 教  李 明生
奏 楽  中山 康子

開会の部
前  奏 主イエスよ、われらに聖霊を送り J. Ph. キルンベルガー



初めの歌 教会157番  ほめまつれ あまつ神

1.ほめまつれ あまつきみ、 いざうたえ 主の愛を。
とわにいます わが神に  たたえのうた わきあふる。

2.告げ知らせ 主のちから、 ほめうたえ 主の恵み。
くろ雲をば くるまとし あらしのなか 進みたもう。

3.いとくすし この大地 神のわざ 満ちあふる。
かわらぬ主の みおきては 大海(おおうみ)をも 統(す)べたもう。

4.ゆたかなる 主の恵み 語るべき すべも無し。
雨とそそぎ 野にかおり あまつ空(そら)に 照りわたる。

5.ちりの身は いと弱く  主にたよる ほかはなし。
とわにわれを 捨てまさぬ  つくりぬしよ わが神よ。

6.はかりなき 主のみわざ、 いとふかき 主の愛よ。
み使いらと 声あわせ  神のさかえ ほめたたえん。  アーメン

罪の告白
キリエ・グロリア
みことばの部

 

特別の祈り
永遠に生きておられる全能の神様。
あなたは天と地のすべてを一つに結びあわせてくださいます。
豊かな憐れみによって、あなたのすべての子どもたちの祈りを聞き入れ、
全世界に真理と平和の聖霊を授けてください。
あなたと聖霊とともにただ独りの神、
永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

第1の朗読 使徒言行録 17:22-31(新約聖書 248 頁)
第2の朗読 ペトロの手紙1 3:13-22(新約聖書 432 頁)
ハレルヤ唱
福音書の朗読 ヨハネ福音書 14:15-21(新約聖書 197 頁)



みことばの歌 教会115番 とうときみたまよ

1.とうときみ霊(たま)よ はとのごとくだり、
われらを導き 統べおさめたまえ。

2.まことの光よ 主の道を示し、
み前にかしこみ 仕(つか)えしめたまえ。

3.道なる主イェスに われらをともない、
聖なるみもとに 歩ましめたまえ。

4.よろこびあふるる みくにに導き、
おわりのやすみに いこわしめたまえ。アーメン

説 教 「 共に生きられるキリスト 」李 明生 牧師

感謝の歌 教会381番 ひかりの主よ

1.光の主よ われを照らし
心のやみをば 払(はら)いたまえ。

2.主のみ胸(むね)は 安きすみ家(か)、
恵(めぐ)みの光に 神を仰(あお)ぐ。

3.神の光 深き愛を
われらの心に 満たしたまえ。

4.救い主(ぬし)と 父、み霊(たま)を
貧しき心に 示したまえ。   アーメン

信仰の告白 使徒信条
奉献の部

派遣の部

派遣の歌 教会420番 いのちのもとなる1.いのちのもとなる 救いのみ子よ、
この世に生まれし 人の子イェスよ、
さかえのみ座に 着きたるわが主よ、
かよわきわれらに 恵みをたまえ。

2.世のため生きたる 主イェスのごとく
われらも世のため いのちを捧げん。
黄金もたからも みな主のものなり、
み旨をかしこみ 主のため用いん。

3.愛の主来たりて 世を統(す)べたまえ、
あらしを静めて やすきをたまえ。
苦しみなやみを 忍びし主イェスよ
この世の思いに 勝たしめたまえ。

4.過ぎにし歩みは 汚(けが)れに満てど
ゆくてに輝く 望みをあおぐ。
一つの交わり 望めるわが主よ
地の上にみこころ なさしめたまえ。 アーメン

後  奏 主よ、来たり、祝したまえ 志村拓生

「教会讃美歌 増補分冊 1 」を歌おう! ~ルターのコラール を中心に~ 主催:日本福音ルーテル教会 東教区・教育部



3年ぶりに「礼拝と音楽セミナー」をリアル開催、YouTubeライブ配信予定
コロナ禍のさ中2021年に刊行のため、まだ馴染みのない「教会讃美歌増補分冊 1 」所収の、古くて新しい「ルターのコラール(賛美歌)」、今回初めて 日本で紹介された歌を中心にご一緒に歌ってみませんか

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Youtubeでライブ配信をご覧になる方は下記バナーをクリックしてください。



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日時 6 月 3 日 土 13:30~15:30
会場 日本福音ルーテルむさしの教会
会費 無料 飲料は各自ご持参ください
賛助出演 ◆ 東教区聖歌隊
※「教会讃美歌増補 分冊1」2021年刊 をご持参ください。
※ 当日会場でも購入可 税込 1,100円

【 内 容 】

①「教会讃美歌増補」とルターのコラール紹介
②聖歌隊賛美
③共に歌おう!
④意見交換と情報交換
 例 :コロナ禍の賛美とポスト・コロナの 賛美のあり方とは?

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●お願い
準備の都合上、参加者は各教会で人数を集約して5月21日までに下記担当までお知らせください。
※当日の飛び入り参加も可能です。

「礼拝と音楽セミナー」担当
・松本義宣(東教区教育部長/東京・東京池袋・板橋教会牧師 )
メールでのお問い合わせ:y-matsumoto@jelc.or.jpjp
・中山康子(むさしの教会員 )
・苅谷和子(むさしの教会員)

むさしの教会への行き方はこちらから

【Live配信】2023年5月7日(日)10:30 復活節第5主日礼拝 説 教「わたしは道であり、真理であり、命である 」 李 明生 牧師



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【週報:司式部分】【音声版】2023年5月7日(日)10:30 復活節第5主日礼拝



 



司 式  李 明生
聖書朗読 南谷なほみ 李 明生
説 教  李 明生
奏 楽  苅谷 和子



開会の部
前  奏  わが魂よ、主を誉めまつれ G.ツァンガー

初めの歌 教会164番 わがたまよ主をほめよ

1.わがたまよ、 主をほめよ いのちある限り
大(おお)いなる主のみ名を ほめたたえまつれ。
いのちのもとなる み神をたたえよ。
ハレルヤ、 ハレルヤ。

2.ほろぶべき世の君に 従うはむなし、
墓に入るそのときは ちりひじにかえらん。
こよなきたすけは ただ主にかかれり。
ハレルヤ、 ハレルヤ。

3.いとたかきわが神は み助けをたもう、
主を頼むひとの子は とこしえに栄えん。
主を仰ぐものを みもとに召したもう。
ハレルヤ、 ハレルヤ。

4.あめつちの造りぬし みちからの神は
地のうえの生けるもの ことごとく治(おさ)む。
み神のことばは ときわに変わらじ。
ハレルヤ、ハレルヤ。
アーメン

 

罪の告白
キリエ・グロリア
みことばの部

特別の祈り
全能の神様。御子イエス・キリストは道であり、真理であり、いのちです。
私たちが互いに愛し合い、主の戒めの道を歩んで、
御子の復活の命を世界中の人々と分かち合ことができるように恵みを与えてください。
あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。
アーメン

第1の朗読 使徒言行録 7:55-60(新約聖書 227 頁)
第2の朗読 ペトロの手紙1 2:2-10(新約聖書 429 頁)
ハレルヤ唱
福音書の朗読 ヨハネ福音書 14:1-14(新約聖書 196 頁)



みことばの歌 教会345番 みちなるわが主の

1.道なるわが主の 力により
罪と死の獄(ひとや) 逃(のが)れまほし。

2.真(まこと)なる主こそ 知恵のもとい
ゆがめる心を 正したもう。

3.み墓をひらきし 命(いのち)の主よ
み腕(うで)にたよりて 死にうち勝たん。

4.いのちとまことと 道なる主の
勝利のあとにぞ われはつづかん。

説 教 「 わたしは道であり、真理であり、命である 」李 明生 牧師

感謝の歌 教会339番 イエスきみは、めぐみの主

1.イェスきみは恵(めぐ)みの主、 罪びとあわれみたもう。
道なる主、 義(ぎ)なる主は ひかりといのちを示さん。
朝日のごとくに 現われ来たりて、
死のくさり解(と)きはなち 罪びと生かしめたもう。

2.新しき日をたもう 恵みの主をほめまつれ。
イェスきみは罪の身を み国へみちびきたもう。
十字架のめぐみを 信仰(しんこう)もて受くれば、
まことなる安らぎと ときわのいのちぞあふれん。

信仰の告白 使徒信条
奉献の部
聖餐の部
聖歌隊奉唱曲 “自由への道” アイオナ共同体賛美歌集より

Words: John L. Bell & Graham Maule
Music: John L. Bell
Tune: TRAVELLING
copyright © 1988, 1996 WGRG, Iona Community, Glasgow, Scotland.
wildgoose.scot. Reproduced by permission.

派遣の部


派遣の歌 教会346番  はかりもしられぬ

1.はかりも知られぬ とうとき主の愛
こころを結(むす)びて ひとつとならしむ。
わが身は主のもの 主にありて生くる。

2.聖なる主の愛 わか身をつつめば
こころは満たされ 喜びにあふる。
ことばも思いも 愛となしたまわん。

3.喜びあたうる 主の愛うくれば
くるしみ失(う)せさり かなしみ消えゆく。
ああ主のほかには 求むるものなし。

4.主の愛もとめて たゆまず進まば
聖なるほのおに 心はきよまる。
とうとき主の愛 こころして守らん。

 

後  奏 おお汝 まことなる神よ J.ブラームス

【Live配信】2023年4月30日(日)10:30 復活節第4主日礼拝 説 教「わたしは良い羊飼いである 」 李 明生 牧師



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【週報:司式部分】【音声版】2023年4月30日(日)10:30 復活節第4主日礼拝



司 式  李 明生
聖書朗読 八木久美 李 明生
説 教  李 明生
奏 楽  小山 泉



開会の部
前  奏  主は 我が良き羊飼い J.パッヘルベル

初めの歌 教会342番(1節)愛なるきみこそ

1.愛なるきみこそ わがひつじかい
ただ主にたよらば とぼしきことなし。アーメン

罪の告白
キリエ・グロリア
みことばの部

特別の祈り
私たちの羊飼いである神様。
あなたは私たちひとりひとりの名を呼んで、死の谷を越えて安らかな地へと導いてくださいます。
あなたの家に用意されている喜びの宴に向かって確かな足取りで歩むことができるよう、
御声をもって私たちを導いてください。
あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。
アーメン

第1の朗読 使徒言行録 2:42-47(新約聖書 217 頁)
第2の朗読 ペトロの手紙1 2:19-25(新約聖書 431 頁)
ハレルヤ唱
福音書の朗読 ヨハネ福音書 10:1-10(新約聖書 186 頁)



みことばの歌 教会100番(1節と4節) 主は生きたもう

1.主は生きたもう 死のおそれは消ゆ。
主は墓をいで われを呼びたもう。
かがやくみ代(よ)を いざほめまつれ。

4.主は生きたもう み力によりて
命のとびら いまひらかれたり。
イェス・キリストは わが救い主(ぬし)。

説 教 「 わたしは良い羊飼いである 」李 明生 牧師



感謝の歌 教会410番(1節と2節)すくいのぬし主よ

1.救いのぬし主よ わたくしたちを
牧場(まきば)に導き お守りくださぃ、
とうといイェスさま わたくしたちは
恵みを喜ぶ あなたのこども。

2.さまようときにも よい友となり
めぐみのみ手にて お支えくださぃ。
とうといイェスさま わたくしたちの
心のねがいを 聞いてください。

信仰の告白 使徒信条
奉献の部


派遣の部
派遣の歌 教会388番(1節)とうとき血をもて

1.とうとき血をもて われらを救い
ひとりのほろびも 主は嘆(なげ)きたもぅ。
つきせぬめぐみを そそぎたまいて
罪あるものをも   あわれみたもう。
アーメン

後  奏 キリストはよみがえり J.K.F.フィッシャー

 

【週報:司式部分】【音声版】2023年4月23日(日)10:30 復活節第3主日礼拝





司 式  李 明生
聖書朗読 中山康子 李 明生
説 教  李 明生
奏 楽  上村朋子



開会の部
前  奏 いと高きみ座にいます神を崇めまつらん O.Abel

初めの歌 初めの歌 教会91番 1節  すくいのきみは

1.救いのきみは ハレルヤ、 よみがえりたもぅ ハレルヤ、
急ぎ来たりて ハレルヤ、 主イェスをほめよ ハレルヤ。

罪の告白
キリエ・グロリア
みことばの部

特別の祈り
神様。御子はパンを裂くことによって弟子たちにご自身を知らせてくださいます。
御子の贖いの働きを見ることができるように、私たちの信仰の目を開いてください。
あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。
アーメン

第1の朗読 使徒言行録 2:14a,36-41(新約聖書 215 頁)
第2の朗読 ペトロの手紙1 1章:17-23(新約聖書 429 頁)
ハレルヤ唱
福音書の朗読 ルカ福音書 24章:13-35(新約聖書 160 頁)

みことばの歌 教会242番 1、2、4節  みかみのことばは

1.み神のことばは 生死をつらぬき
み国の民を みちびく光。

2.み国の民らは みことばたのみて
いわおのごとく ゆるがず立てり。

4.み神のことばは 朝日のごとくに
迷いの霧(きり)を あとなくはらう。

エマオへの道:ロベルト・ジュント1877年作 museum in St. Gallen(スイス)



説 教 「 心は燃えていたではないか 」李 明生 牧師

感謝の歌 教会222番 1、3、4節  すくいぬしイエスよ

1.救いぬしイェスよ ひかりのわが主よ、
みすがた絶えせず あおがしめたまえ。

3.ともに在(ま)せイェスよ あしたにゆうべに、
生くるも死ぬるも みうでにすがれば。

4.まさみちをはなれ さ迷える子らに、
ゆるしのみ声を いま聞かせたまえ。

アーメン

信仰の告白 使徒信条
奉献の部



派遣の部
派遣の歌 教会328番 1節  主イエスにしたがう

1.主イェスに従(したが)う 群(む)れのさちよ、
めぐみの主の手に たよりゆけば、
なやみのときにも 主近くいまして
のぞみは消ゆとも 愛は尽(つ)きず。

後  奏 プレリュードとフーガ 変ロ長調  J.S.Bach

【Live配信】2023年4月23日(日)10:30 復活節第3主日礼拝 説 教「心は燃えていたではないか 」 李 明生 牧師



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【Live配信】2023年4月16日(日)10:30 復活節第2主日礼拝 説 教「あなたがたに平和があるように 」 李 明生 牧師



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【週報:司式部分】【音声版】2023年4月16日(日)10:30 復活節第2主日礼拝




2023年4月16日(日)10:30 復活節第2主日礼拝

司 式  李 明生
聖書朗読 市吉伸行 李 明生
説 教  李 明生
奏 楽  中山 康子

開会の部
前  奏 教会讃美歌90番のメロディによる前奏曲  T.T.ノーブル編曲

初めの歌 教会90番 キリスト・イエスは

1.キリスト・イェスは ハレルヤ、
よみがえられた ハレルヤ、
勝利(しょうり)をうたい ハレルヤ、
み名をたたえよう ハレルヤ。

罪の告白
キリエ・グロリア
みことばの部

特別の祈り
全能・永遠の神様。あなたは信じる者の力です。
疑う私たちを、見ないで信じる信仰によって、キリストの豊かな祝福に与からせてください。
あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。
アーメン

第1の朗読 使徒言行録 2:14a,22-32(新約聖書 215 頁)
第2の朗読 ペトロの手紙 1章:3-9(新約聖書 428 頁)
ハレルヤ唱
福音書の朗読 ヨハネ福音書 20章:19-31(新約聖書 210 頁)



みことばの歌 教会108番(1節、3節)み恵みゆたけき主を

1.み恵みゆたけき 主をたたえまつれ、
ハレルヤ、 ハレルヤ。 み使いとともに
みさかえをうたわん、 主は勝ちたまえり。
ハレルヤ、 ハレルヤ、 ハレルヤ。

3.おそれなき朝を 主はあたえたもう、
あめなるいのちに われは生かされ
恵みに満たさる、 主は生きたまえり。
ハレルヤ、 ハレルヤ、 ハレルヤ。



説 教 「 あなたがたに平和があるように 」李 明生 牧師

 

感謝の歌 教会337番 (1節、2節)やすかれわがこころよ

1.やすかれ わがこころよ、
主イェスは ともにいます。
いたみも くるしみをも
しずかに しのび耐えよ。
主イェスの ともにませば
たええぬ なやみはなし。

2.やすかれ わがこころよ、
なみかぜ 猛(たけ)るときも、
恐(おそ)れも 悲しみをも
みむねに すべてゆだねん。
み手もて みちびきたもぅ
のぞみの 岸はちかし。

信仰の告白 使徒信条
奉献の部

派遣の部
派遣の歌 教会285番 (1節) シオンよいそぎつたえよ

1.シオンよ、いそぎつたえよ、
「み神はひかりなれば
われらが、ほろびのやみに
失(う)せゆくをのぞまず」と。
よろこびのおとずれ
いざやいそぎ世(よ)につたえん。

後  奏 “踊り出る姿で主イエスは” 9世紀のシェーカーの旋律 C.カラハーン編曲

【週報:司式部分】【説教・音声版】2023年4月9日(日)10:30 主の復活聖餐礼拝





司 式  李 明生
聖書朗読 秋田 淳子 李 明生
説 教  李 明生
奏 楽  苅谷 和子
オーボエ演奏 槙 智子

開会の部
前  奏 「今日、神の御子は勝利の凱旋をなし給う」 J.S.バッハ

初めの歌 教会101番 わがためさめて

1.わが霊(たま)さめて この日成れる
十字架の主の 勝利を見よ。
救いぬしは ほうむられて
み旗かかげ よみがえりぬ。

罪の告白
キリエ・グロリア

みことばの部

特別の祈り
神様。あなたは私たちの贖いのため御独り子を十字架の死に渡し、
栄光の復活によって死の力から私たちを解放してくださいました。
私たちが日ごとに罪に死に、復活の喜びのうちに御子と共に永遠に生きることができるようにしてください。
あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。
アーメン



第1の朗読 使徒言行録 10章:34-43(新約聖書 233 頁)
第2の朗読 コロサイの信徒への手紙 3章:1-4(新約聖書 371 頁)
ハレルヤ唱
福音書の朗読 マタイ福音書 28章:1-10(新約聖書 59 頁)

みことばの歌 *聖歌隊による賛美

説 教 「 あの方はここにはおられない 」李 明生 牧師

感謝の歌 教会97番 主、 死にたまえり

1.主死にたまえり われらのために
ふたたび生きて いのちをあたう。
喜びあふれ み神をたたえ
歌わん。 ハレルヤ、 ハレルヤ。

2.いのちと死との あらそいなりき、
いのちは勝ちて 死はいま失せぬ。
みふみはしるす 「死は死をのみて
死の刺(とげ)はなし」。 ハレルヤ。

4.喜びあふれ この日を祝わん、
光のみ子は われらをてらす。
恵みの光 こころに満ちて
罪の夜(よ)明けぬ。 ハレルヤ。



信仰の告白 使徒信条
奉献の部
聖餐の部
オーボエ演奏 ヘンデル オーボエ協奏曲第3番ト短調 HWV287III. Sarabande: Largo

派遣の部
派遣の歌 教会95番 よみがえりの日

1.よみがえりの日 喜びの日
声たからかに 告げ知らせよ、
勝利のみ子は わが手を取り
とこ世のいのち 与えたもう。

後  奏 「Festive Trumpet Tune」D.ジャーマン

【Live配信】2023年4月9日(日)10:30 主の復活聖餐礼拝



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2023年4月9日(日)14:00〜第51回 むさしの教会 イースターコンサート:むさしの教会礼拝堂【Live配信有り】





第50回記念 むさしの教会イースターコンサート
〜復活の喜びを 音の調べにのせて・平和の祈りと共に〜

●日時:2023年4月9日(日)
●開場:13:30〜
●開演:14:00〜
●場所:日本福音ルーテルむさしの教会(当教会)
●入場無料
●出演:
東京バッハアンサンブル

槙 智子(オーボエ)  苅谷 和子(オルガン&ピアノ)
磯村直美(ソプラノ)

※都合により演奏曲目が変更となる場合はご了承ください

 

【Live配信】2023年3月26日(日)10:30 四旬節第5主日 説 教「 イエスこそ信ずべきお方 」浅野 直樹 牧師



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【説教・音声版】2023年3月26日(日)10:30 四旬節第5主日 説 教「 イエスこそ信ずべきお方 」浅野 直樹 牧師



聖書箇所:ヨハネによる福音書11章1~45節

本日は、このむさしの教会に在任中としては最後の説教となります。いわゆる、「告別説教」です。そこで与えられました日課は、これもよく知られた「ラザロの復活物語」でした。

牧師というものは、自分の信仰、信念、理解、感覚、そういったものに囚われずに、ある意味客観的にみ言葉の真理を語るように訓練されてきているものです。しかし、牧師といえども人間ですので、これまでの体験や経験などの影響が少なからず出るのも事実でしょう。いわゆる「原体験」です。私にとっての原体験、少なくとも信仰的な原体験は、「なかなか思うようにはならない」といったところだと思います。

奇しくも、今日のこの「ラザロの復活物語」にもそんな節がある。イエスさまとも親交の深かったラザロが死の病にかかっていた。これまた聖書にも何度か登場してきますラザロの姉妹たちが、イエスさまに使いを送ってそのことを知らせる訳です。聖書にははっきりとは記されていませんが、早く戻ってきてラザロを癒して欲しいと願ったのでしょう。そういった信仰が、少なくともこの家族・兄弟たちにはあった訳です。

しかし、その知らせを受けて、イエスさまはその場になおも2日間留まっていたと聖書は記します。確かに、二日後その場を後にしてラザロたちのところに戻ってきた時には、ラザロの死から4日経っていた、と言いますので、果たしてすぐに戻ってきても間に合ったかどうかは微妙なところだったと思います。しかし、イエスさまの帰りを心待ちにしていたマルタとマリアはどうだっただろうか。

少なくとも、たとえ間に合わなくても、イエスさまが急いで帰ってきてくれたことに、大いに慰められたのではなかったか。なのに、予定よりも2日も遅れてやってこられた。そのことに、二人はやるせない思いをもっていたのかも知れません。マルタもマリアもイエスさまに向かって同じ言葉を発していることからも、その気持ち・想いが伝わってきます。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」。確かに、この物語の頂点はラザロの復活です。

ルカ・ジョルダーノ『ラザロのよみがえり』(1675年)



そういう意味では、このイエスさまの言葉も正しい。「そこでイエスは、はっきりと言われた。『ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。』」。そうです。確かに、神さまの、イエスさまのご計画はもっと大きなもので、より多くの人々の利益に叶うものであったのかもしれません。

しかし、では、当の当事者は? 病の苦しみの中でひたすらにイエスさまの帰りを待っていたラザロは? その兄弟を看取るだけで何もできない苦しみ・痛みの中で、ただひたすらにイエスさまが間に合うことを心から願い祈っていたマルタやマリアは? その気持ちは? 失意は? 失望は? 私には、その気持ちがよく分かるような気がするのです。なぜならば、先ほども言いました私自身の原体験がそこにあるからです。

度々、断片的にしろ説教の中でも私自身の体験・経験をお話ししてきましたが、今日は告別説教ということで、少しばかりお許しいただければと思っています。

何度かお話ししてきましたように、私がはじめて教会を訪れたのは、中学3年生の頃、14、5歳の時でした。当時、家庭環境に恵まれず、自暴自棄になっていた頃に、社会科の授業でキリスト教についての話を聞き、なんだか憧れを持ったといいますか、いわゆるキリスト教的な理解とは違っていたと思いますが、何らかの「救われたい」という気持ちがあったのだと思います。

今年の「るうてる」1月号にも書かせていただきましたが、当時私が住んでいたところは、村内に信号機が1箇所しかないような、いわゆるど田舎でしたので、当然近くに教会などありませんでした。何とか探して(実際に探してきたのは母でしたが)、片道自転車で小一時間ほどかかるようなところでしたが、ドイツ人の女性宣教師が開拓を始めたばかりの小さなプレハブの教会に行ったのが、私と教会との出会いとなりました。そこから、洗礼を受けるまでに5年ほどかかりました。

その間、その宣教師も非常に良くしてくださいましたが、自分の心の汚さにいたたまれないような思いに駆られて、教会を離れていた時期もありました。母が義父と離婚し、母との二人暮らしがはじまり、環境の変化、落ち着かない心境、変なプライド等もあり、高校も中退してしまい、定時制高校を経て念願の大学に進学したにも関わらず、ここでも、同級生たちとの年齢的な差や生い立ちなどのギャップ感、またここでも変なプライドも手伝って、大学生活にもなかなか馴染めず、とうとう大学も中退するような状態でした。

教会には、17、8くらいに戻ることができましたが、鳴かず飛ばず、行ったり行かなかったりの不忠実極まりない生活に明け暮れ、そのくせ、自分を越して洗礼を受けていく人々を羨ましくも、また妬ましく思っていたものです。本当に何をやってもパッとしなかった。それでいて、キリスト教と縁を切れない、不思議と後ろ髪を引かれるような状態が続いていきました。とにかく、自分に自信がなかった。特に、信仰的なことに何一つ自信を持つことができなかった。なのに、捨てることもできなかった。何とももどかしい日々でした。

そんな私を見かねたのでしょう。20歳の時に、当時の主任牧師が声をかけてくれました。そろそろ、洗礼を受けてみては、と。嬉しかった。何だか認められた気にもなりました。しかし、不安もあった。こんな心持ちの自分などが果たして洗礼を受けて良いものか、と。すると、その牧師はこう答えてくれました。「洗礼はゴールではなくスタートなのだ」。この言葉に押されるようにして、私は20歳で洗礼を受けました。

しかし、私の苦悶の日々、信仰の葛藤の日々はなくなりませんでした。正直に言いまして、24歳で最初の神学校に入りましたが、その後もしばらく続いたのです。何が言いたいのか。「なかなか思うようにはならなかった」ということです。

自分が思い描いていたようには、こうでありたいと思っていた方向性には、何一つ行かなかった、ということです。少なくとも、外面的には、例えば、大学進学や神学校へ進むなど、ある程度希望は叶った部分は確かにありましたが、心…、内面的、心理的、信仰的、霊的には、思うようには何一ついかなかったというのが、正直な実感です。誤解を恐れずに言うならば、そのようにある時期までは、私にとっての信仰的な歩みは、教会生活は、苦痛でしかなかった。


むしろ、そこから逃げたい、何とか縁を切りたい、そんな思いを抱き続けてきたのも本音です。しかし、不思議と…、そう、本当に不思議としか思えない、それこそ、振り返ってみれば、そこに神さまの働き、み業があったとしか思えないのですが、別の思いも私の心を捕らえて離さなかったのです。

ここから離れては、絶対にダメだ、と。ですから、逆説的ではありますが、私は自分が信じていることに、自信があるのです。すんなりと信じることができなかったが故に、激しく抵抗してきたが故に、実際に何度も逃げ出してきたが故に、それでも、ここに立たされている、ここに自分がいる、それでも、信じている、そこに、不思議な自信を覚えるのです。

これは、今でこそ言えることですが(前述のように、その只中にあった時には、単なる苦痛でしかなかった訳ですが)、この経験、この体験、つまり、この「なかなか思うようにはならなかった」という原体験が、私には良かったと思っています。それがなければ、私自身は、信仰について学ぶ機会を逃してしまったかもしれないと思うからです。自分が信じられることを信じる。自分が信じたいことを信じる。そういった、ある意味自分中心の信仰のあり方ではなく、自分を超えて信じる。この私自身の信心ではなくて、あくまでもイエス・キリストという方を、その存在を、その人格を信じる、信頼する、そのことを痛切に学ばせられたと思うからです。それが、私にとっての益になりましたし、また、今の私自身を作り上げてきたものだ、とも思っています。

私は、このことも大事にしているつもりです。つまり、私たちは常に「途上にある」ということを、です。パウロもこう言っています。

「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕えようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕えられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕えたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。いずれにせよ、わたしたちは到着したところに基づいて進むべきです。」。

今朝の箇所でも、マルタがイエスさまに「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」と問われた時、「はい、信じます」と答えたにも関わらず、イエスさまがラザロの墓の石をどけるように言われると、「もう四日も経って、匂います」と答えるなど、私たちと同じ途上の姿も見受けられるのだと思うのです。信じていないわけではない。むしろ、イエスさまが神の子であり癒し主であることをちゃんと信じている。しかし、その信仰はまだまだ不十分、途上である。これが、私自身の姿でもあるのではないか。

今日の説教題は、「イエスこそ信ずべきお方」と付けさせていただきました。私が、この7年間、拙い中でも皆さんに伝えたかったことは、これに尽きると思っているからです。また私自身、先ほども多少なりとも触れましたように、紆余曲折ある中で、やはりこのイエス・キリストによって救われたと確信しているからです。イエスさまと出会わなかったら、果たしてどうなっていたことか…。だから、どうしても、皆さんにもそのことを届けたいと思った。

来週から、4月2日から、いよいよ李明生先生が説教を取り次いでくださることになります。もちろん、李先生の賜物が十二分に生かされることを願っていますが、やはり李先生の元でも、このイエスさまを信じていって頂きたい。たとえ、今は途上で、さまざまな誘惑、思い煩い、信仰の弱さから、イエスさまから思いが、気持ちが離れてしまうようなことがあったとしても、何度も立ち戻っていただき、この恵みを、幸いを、味わっていって頂きたい。

私自身の告別説教の最後にあたって、切にそう願っています。アーメン

 

【CS動画】2023年3月19日 9時30分「子どもと家族の礼拝 」むさしの教会学校  お話「わたしは道、真理、いのち」浅野 直樹 牧師



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【ライブ配信:再アップ】2023年3月12日(日)10:30 四旬節第3主日 説 教「 イエスとの出会い 」浅野 直樹 牧師



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【CS動画】2023年3月12日 9時30分「子どもと家族の礼拝 」むさしの教会学校  お話「わたしはよみがえりいのち」浅野 直樹 牧師



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