たより巻頭言「笑顔施のキリスト」 大柴 譲治

「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。」(ルカ6:21) 

 神学生時代、熊本の神水(くわみず)教会でインターンをした時のことである。特別養護老人ホームのパウラスホームに田代マジュさんというご婦人がおられた。私は高倉美和先生と共に毎週水曜日にホームを訪問した。最初に放送室で礼拝をし(それは各部屋にマイクを通して流される)、それから一部屋ずつ問安してゆく。身体の動かせないマジュさんは、いつも素敵な笑顔で私たちを迎えてくださった。「先生、もうしわけなかです」。ニコニコと笑顔で迎えてくださるマジュさんの姿に私は不思議な慰めと平安を覚えたのである。あれから16年。その笑顔は、今でも私の中で輝いている。

 福山時代、ガン患者の生きがい療法(モンブラン登頂など)で有名になった倉敷の柴田病院を訪ねた時に聞いた話。仏教には「七布施」という教えがあって、お金や時間、積極的な助力の施しなどと並んで、笑顔を施す「笑顔施」というものがある。何もできなくても、笑顔を周囲と分かち合うことができる。柴田病院では患者さんや家族やボランティアが一緒になって、ユーモラスな話を分かち合う。笑うことによって身体の免疫力を高め、病気と闘おうとするのだ。私の中では、「えがんせ」という味わい深い響きと田代マジュさんの笑顔が重なって忘れられない。笑顔は私たちの魂に忘れがたい刻印を残すもののようである。

 2月3日、教会員の根本ヨシ姉が84歳の誕生日を前に天に召された。関東大震災や太平洋戦争など、激動の時代を生き抜かれた方である。物静かでいつも笑顔を絶やさない柔和なご婦人であられた。しかしその笑顔の背後には、お二人の息子さんを5歳と36歳で亡くすという深い悲しみの体験があったことを私は知らなかった。ご主人に先立たれた後にヨシさんは教会に集うようになり、73歳で洗礼を受けられた。

 私たちの悲しみをすべてご存じの上で、私たちを受け入れ、祝福してくださる笑顔施のキリストを思いたい。