たより巻頭言「澤田美喜記念館を訪ねて」 大柴 譲治

「だが、ペトロは、『あなたの言うことは分からない』と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、『今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」(ルカ22:60-62)

4月25日(火)の午後、橋本敬子姉のお世話により、総勢10名で大磯の澤田美喜記念館を訪ねた。横浜を過ぎる頃には嵐のような雷雨であったが、大磯に着くと雨は上がっていた。駅前に位置するエリザベスサンダースホームの隣りにその記念館はあった。階段を登ると、記念館を守る鯛茂さん(89歳)が歓迎してくださった。それからの四時間余、ほぼ立ち通しで鯛さんよりお話を伺うことになる。その忘れ得ぬ体験をここに記しておきたい。

まず二階の礼拝堂に案内されて洗礼盤の説明を受けた。そこは聖公会の礼拝堂として現在も用いられている。澤田美喜女史(1901-1980)は「混血孤児の母」と呼ばれるキリスト者。洗礼盤の台座には、「昼は鬼婆、夜は聖母」と鯛さんが呼ぶ「ママちゃま」が、聖地イスラエルで拾ってきた石が埋め込まれていた。そして、天窓から太陽の光が射し込む中、「魔鏡」を見せていただいた。先ほどまで雷雨だったのに不思議である。それは隱れキリシタンたちが礼拝をする際に使っていた鏡だった。外見は何の変哲もない丸い手鏡だが、陽光を反射させるとそこにはくっきりと十字架のキリスト像が浮かび上がってくる。この鏡像を前に彼らは自分たちの信仰を守り続けたのだ。その十字架像を見た時、胸の奥にズンと迫るものがあった。

続いて一階に降りると、そこには隱れキリシタンの遺物が展示されていた。仏像の台座の裏に十字が刻まれていたり、仏像を外すと中に十字架が隠されていたりする。キリシタン大名たちが用いた聖母子像や絵踏のために使われていた木版など、そこは四百年余の時が止まったような空間であった。それらを見ながら、隱れキリシタンたちがどれほど十字架を大切に思っていたかということを知り、改めて主の十字架の意味について考えさせられた。「ママちゃま」美喜女史の十字架への強いこだわりが伝わってくる。

鐘を打ち鳴らした後、鯛さんが「絵踏」についてご自分が五島列島で聴いた話をしてくださった。村人たちは毎年一度、絵踏のために三日をかけて草鞋を編んだそうである。それを胸に押し抱き、絵踏の場に持ってゆく。直前に新しい草鞋に履き替えて絵を踏む。その後、もう一度それを胸に押し抱いて家に持ち帰り、燒いて灰にし、その灰をすべて飮んだのだそうである。その灰の苦さを想うとき私は目頭が熱くなった。その時どこかで鷄の声が聞こえたように感じた。遠藤周作の『沈黙』の一節を思い起こす。「踏むがいい。おまえの足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。」

記念館を去る前に鯛さんがデジカメで一枚写真を撮ってくださった。なぜか私の頭には陽光が射していた。まことに不思議な、忘れ難い訪問だった。貴重なお話をしてくださった鯛さんに感謝をしたい。百分は一見に如かず。機会があれば記念館への訪問をお勧めしたい(要予約)。

(2006年5月号)