「読書会ノート」 島崎藤村 『家』

島崎藤村 『家』

谷口 雅代

 

「家」は作者の自伝的長編小説で、明治四十四年十一月発表された。上巻発表間もなく、正太とお雪のモデルである甥、高瀬慎夫と妻、冬子が明治四十三年六月、八月に病没した。そのため、下巻は大きな影響を与えられ、最後の十章に正太の危篤と死去が描かれ、この小説全体を引き締めている。

小泉家(モデル島崎家)と橋本家(高瀬家)という二つの木曽の旧家の二十年に渡る変遷を描いたものである。小泉実と橋本達雄はともに旧家の家長で時代の波に抗しきれず、実権を失いつつある。格式ばった権威的生き方や、旧家に伝わる遺伝とそれからくる頽廃が没落を来たしている。これに対し両家の新しい世代、正太と三吉(藤村)は旧家に疑問を持ち反撥もするが、自分達が旧家の生まれであるという誇りからも逃れない。正太は傾いて行く家を盛り返そうと株に手を出すが、経済観念のなさや、父譲りの女性関係で身を滅ぼして行く。一方の三吉はお雪との夫婦理解や、経済的自立を基として新しい家をめざすが、度重なる兄の援助で一向に実現しない。作家として成功した三吉は次第に一族の家長的役割を果たすようになる。この小説のもう一つのテーマ、夫婦の愛情の相剋、嫉妬、疑惑、不安、あきらめ、最後にお雪が「父さん、私を信じて下さい」といい、夫婦の心が通い合う男女間の愛の苦悩の過程は、藤村自身の苦悩であった。

この小説の構成は、三吉夫婦と正太夫婦を大きな柱として、その周囲に兄弟姉妹、義父、義弟など親族の小さい糸がからまって、一つの大きな家長制度というものを描いている。藤村自身が、この小説を回想するように『屋外で起った事を一切ぬきにして、すべてを屋内の光景にのみ限る。…台所から…玄関から…庭から書き出し、川の聞える部屋…そんな風にして家をうち建てようとした』と統御された美しい手法で構成されているが、それによって外部からは見えない身内の人間関係を浮彫りにしている。屋内のみの描写、この構成の強固な組み立てが、この小説を自然主義文学の傑作となしえた要因であろう。

作者の筆づかいは、初恋、小諸なる古城のほとり、椰子の実と「若菜集」「落梅集」を完成した藤村そのものの抒情的、流暢な文章に感嘆させられた。文章の運び構成力は完璧で、文豪漱石・鴎外に劣らぬ作家の一人に触れた思いである。戦後五十余年、家長制度はなくなり、核家族そのものに是非を問われる昨今であるが、家族同志の思いやり、義理、人情と昔日の日本の家族の暖かさに久々に触れ、失われつつあるものに懐かしさも感じる作品である。