「サンディエゴだより(2)」 大柴譲治

むさしの教会の皆さま。

主の平安。

日本は梅雨の真っ最中の頃だと思います。今年は空梅雨なのでしょうか。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。サンディエゴは一滴の雨も降らずに乾燥しています。日中は半袖ですが、日によっては朝夕は涼しくなりますので、上に羽織るものが必要になります。日本語でこのようにレポートをするのは久しぶりなので、キーボードのタッチが英語とは全く違うので、不思議な気持ちがしています。

早いもので、一月が過ぎました。しかし私にとってはずいぶんと長く感じられた一ヶ月でもありました。久しぶりの英語での研修で慣れない医療用語の短縮形などホスピスでのすべてが新しい体験でしたので、既にむさしのを離れて三ヶ月ほどの時が流れたように感じています。6月18日(金)でしたか、むさしのだより6月号がサンディエゴの私の宿舎に届いたとき、この巻頭言を書いている大柴譲治とはいったい誰なのだろうかと不思議な思いがしたぐらいです。

ホスピスでの臨床牧会訓練(CPE)の研修が始まって既に四週間が過ぎました。今回は私がどのようなことをしているかということについて少し書いてみたいと思います。VITAS Hospiceは1977年にフロリダで始まり、現在は全米8つの州でホスピスケアを展開してい組織です。サンディエゴVITASには250人ほどの職員がいて500人ほどのペイシェントに対して訪問介護ケアを行っているとのことです。なかなか巨大な組織といえましょうが、私にはまだその全体像は見えていません。地域には20人ほどでホスピスケアを提供している小さな組織もあるといういことなので、その大きさがわかるかと思います。チャプレンだけでも夜間に4人、昼間に7人と2人のレジデンシー、そしてスーパーバイザーのDr. John Gillmanのもとに私たち6人のインターンがいますので、合計で20人のチャプレンがVitasで働いていることになります。それだけでもいろいろとリソースパーソンが多く、学ぶべきチャンスが多いことがお分かりになりましょう。その他に悲嘆ケアの専門家が何人かいて、よい意味での様々な刺激をもらっています。 CPEの訓練は一週間のうち30時間が臨床の時間で10時間がグループセッションの時間です。月曜日の午後と金曜日の午前中のCPEグループの時間以外はホスピスケアのために一人で車で走り回っています(車は薄オリーブ色の韓国現代自動車製のELAUTRA, 2000CCです)。

VItasにはチームマネージャー(1人)、医師(1人)、看護婦(5人)、ホームヘルスエイド(6人, 日本でいう「ヘルパー」)、ソーシャルワーカー(1人)、チャプレン(1人)、セクレタリー(1人)からなる15-16人ほどのチームが7つあって、それぞれカバーする地域と訪問する場所が異なっています。自宅を訪問するチームが2つ、施設を訪問するチームが5つあります。その他として、夜間にすべてをカバーするチーム、特別ケアの必要な人のためのコンティニュアスケアチーム(このケアは一日最低でも8時間看護婦が付き添うことになっています)、電話での 24時間ケアを担当するテレケアチームなどがあります。私はサンディエゴの市街地区の南側のNursing Home(介護ホーム)をカバーするチーム(Team956)にチャプレンインターンとして配属されました。チームチャプレンのDavid Clark牧師はルーテル教会の牧師で、そのほかにチャプレンレジデンシー(一年間の研修チャプレン)としてSusan Freemanというユダヤ教の女性ラビが働いています。チーム全体で74人ほどのペイシェントを担当していますが、私にはそのうち7つの施設に入居している15名のPatientが担当として与えられましのたで、チャプレンとしてその人たちを一週間に一度のペースで訪問をしています(6月22日に一人が天に召されましたので現在は14名となりました)。

米国でも日本同様に余命半年という医師の診断がないとホスピスケアに入ることはできないことになっていますが、実際には施設に何年も入所されている方もおられます。また、日本ではホスピスに入ることができるのはガンかエイズの患者に限定されていますが、米国ではそのような病気の制限はありません。先日、レーガン元大統領が亡くなりましたが、それと同じくアルツハイマーの患者もいます。合衆国や州の法律で細かく規定されているので、「ホスピスワークの半分は書類作り」と言われるほど詳細なペーパーワークに追われます。またチームでは毎週一度、3-4時間をかけて、ケアしている一人ひとりの患者について詳細な検討を行います。ホスピスケアではチームワークが本当に大切なのですね。そのなかでもチャプレンが果たすスピリチュアルケアの役割は特別なものとなります。亡くなられた患者の遺族に対する電話や手紙による悲嘆ケア(Bereavement care)もチャプレンのイニシアティブで行われてゆきます。

最初の週はオリエンテーションでしたが、一人一人にポケベルが渡されました。電話が大切な連絡手段でもあります。ボイスメッセージが入るとポケベルが鳴って、日に何度も電話で自分宛のボイスメッセージを確認することになります。また、一日にした仕事も電話で毎日記録することになっていて、最初はそれがなかなか慣れずに大変でした。電話というものは外国人にとっては慣れるまでは本当に恐怖ですね。言葉に関してですが、施設に入所されている方にはお年寄りの方も多く(中には100歳を越えておられる方もおられます)、痴呆のために話がなかなか理解できなかったり、周囲の音にかき消されて言葉を聴き取ることができなかったりすることもあって、言葉ではなかなか苦労しています。しかし逆に、全身を耳にして一生懸命相手の言葉を受け止めようとする真摯な姿勢は相手にすぐ伝わるようですね。患者の気分が優れないためにすぐ失礼することになることもありますが、日本から来た牧師ということで先週あたりからはかなり深い話をすることができるようになってきています。

昨日(7月4日)は独立記念日で、土曜日にはロサンジェルスの北側50kmのところにあるGranada Hillsの小山栄一・めぐみご夫妻のところに泊めていただきました。また、7月5日が振り替え休日なので、昨日の日曜日はロサンジェルスの東側50km のところにあるClaremontのデール先生ご夫妻のおられるPilgrim Placeのゲストハウスに泊めていただきました。Claremontはカリフォルニアには珍しい、緑の木々の生い茂る東部のニューイングランド風の町で(私にとってはPhiladelphiaを思い起こさせる懐かしい外観でした)、午前中はClaremontにあるルーテル教会(Good Shepherd Lutheran Church)の礼拝に出席し(引退宣教師のエスキルセン先生ご夫妻もおられましたし、説教者は日本で宣教師としても働かれたデビー・ヒッペン婦人牧師でした)、昼食はPilgrim Placeでご一緒させていただきました。松本に長く宣教師としておられたアール・バーグ先生ご夫妻(奥様は日本の方です)ともご一緒のテーブルでした。公園での様々な地域のグループによる出店ブースや子供たちによる柔道のパフォーマンスを楽しみ、夕方4時からのパレードにはデール先生も参加されておられましたが、Pilgrim Fathersの衣装を着て船をかたどった車に乗った人々や、様々な衣装に身を包んだ50ほどのグループのパレードを楽しみました。また、夜は夜で、20分ほどの花火をデール先生ご夫妻と共に野外で楽しみました。デール先生ご夫妻から皆さまにくれぐれもよろしくとのことでした。

サンディエゴまではデール先生のところからノンストップで2時間ほどでした。アメリカは高速道路網が整備されていて、車さえあれば、自由に行動することができるので本当に感心します。

さて、長くなってしまいました。本日はこのくらいで筆を置くことにいたしましょう。皆さま、どうかお体ご自愛くださいますように。祝福をお祈りしています。  在主。

 2004年7月5日

 サンディエゴにて  大柴譲治

(インターネット版むさしのだよりへの特別寄稿)