「<なまけクリスチャンの悟り方>No.8. 1%と99%」 NOBU市吉

「天才とは1%の霊感と99%の汗である。」発明王エジソンの有名な言葉である。天才も努力の賜物という訓話として引き合いに出されることがあるが、それでは話の半分だろう。霊感と汗のどちらが大事ということではなく、どちらも当然必要であり、その比率は1:99位だよ、ということをエジソンは言っているのだと思う。

この言葉は、天才や発明に限らず、モノ作り、コト起こし一般に当てはまると思う。例えば、仕事や教会などでイベントの企画準備をした経験者なら、それが 1%の着想(発想)と99%の作業ということを良く知っているだろう。人を作業に駆り立てるのは着想である。着想がないと作業は方向性を失う。着想に意味付けられなければ、作業の結果は空しい。

一方、手間の掛かる作業を引き受けないと、着想止まりになることをエジソンの言葉は言っている。(「成功の秘訣は成功するまで止めないこと」という格言もある。)1%の着想があっても、99%の作業をしなければ、夢は実現しない。着想を夢の国から地上に届けるのが作業である。

聖書では何と言っているだろうか。霊感が作業を導くことについては、次の一節を思い出す。「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。」(第1コリント 13:2)(ここでは、人に与えられた賜物が愛によって聖化される、と言っている。)また、旧約の預言者たちに現われ、困難な使命へと押し出した幻(vision)は、霊感の最たるものであろう。

汗の必要については、直接これに対応する箇所を知らない。余りに当然すぎるからかも知れない。パウロ書簡では、愛と信仰のためにパウロ自身や協働者が労苦することが数多く語られている(1テサ1:3「信仰によって働き、愛のために労苦し」など)。

「見失った羊」の譬え(ルカ15:3-6)は、九十九匹を残して一匹を探しに行くという、愛の行為の超越性を示しているとするのが素直な読み方と思うが、見失ったのが九十九匹だった時の混乱を想像すると、暗黙にバランスが語られてもいる。「99の日々の務めが1の愛の実現を可能にする」という趣旨に読むのも一興であろう。

人生や社会への態度として解釈すると、「1%のアイデアリズム(理想主義)と99%のリアリズム(現実主義)」ということになろうか。自分について言えば、この世に生きるクリスチャンとして、「1%の敬虔と99%のプラグマチズム」を旨としたい。そう、1%、天の国を仰ぎ見ながら、99%、地に足を付けて信徒人生を歩んで行きたいのである。

 




<追記1>

日本の発明家ドクター中松氏によると、発明は「一スジ、二ピカ、三イキ」だそうだ。すなわち、スジ(論理性)の追求から、ピカ(ひらめき)が生まれ(霊感は汗かく中に訪れる)、磨き上げてイキ(実用)にする。聖書等を勉強して基礎作りをし(スジ)、ミッションの着想が生まれ(ピカ)、それを他者の求めに合った形で実践する(イキ)、と読み替えると伝道にも使える!

<追記2>

最近、冒頭のエジソンの言葉を目にする機会が減ったように思う。発明に心躍らせる童心が薄れ、努力や勤勉が徳としての輝きを失っているためか。子どもを保護して弱く育てた上で、後から「生きる力」をサプリメントのように人工的に加えようとしているように思われる。賀来周一先生の新刊「気持ち整理&生き方発見」には、児童期に「勤勉」という課題を果たすことの大事さが述べられている(pp82-85)。同感である。(“怠け”クリスチャンとしたことが…。)

(むさしのだより2005年 2月号より)