寄稿「ゲッセマネの祈り」 平林 司

聖書を読んでいて、いろいろ考えさせられることがあります。その一つ「ペトロのイエス否認」について、17年3月号に書かせて頂きましたが、もう一つ、イエスの「ゲッセマネの祈り」のことで、心にかかっているところがありますので、それについて書いてみたいと思います。

福音書は、イエスの弟子たちが実際にイエスと共に生活し、行動し、その見聞きしたことを伝承として書き残したものです。現実のイエスを識った人たちの驚きと感動と賛美がそこに記されているわけです。ところが、一ヶ所だけ、弟子達が一緒に居なかったときのイエスの言動が、福音書の中で非常に重い内容をもつものとして詳しく記されている場面があります。「ゲッセマネの祈り」がそれです。

「最後の晩餐」のあと、イエスと弟子たちはオリーブ山へ行き、ゲッセマネというところで、イエスは大変沈痛な祈りをされます。神の子である人の子が、目の前に迫っている激しい苦痛への覚悟のなかで、実に深厚な祈りを捧げる、これはイエスの生涯のなかで一番シリアスな、重要な場面ですが、そうしたイエスの言動を見聞きをした人は誰もいなかったのです。弟子たちはみな眠りこけていたのですから。それなのに、その場面と祈りの内容は、まざまざと福音書に書き記されているのです。この場面はマタイ、マルコに詳しく述べられています。(ルカの筆は簡単で、しかも「天使が現れて」という、とってつけたような描写も付け加えられています。)

マタイ、マルコの叙述も、よく読むと納得のいかないところがあります。一番の問題点は、いつも忠実にイエスの身辺にいた弟子たち、とくにイエスが名指しでゲッセマネに伴ったペトロ、ヤコブ、ヨハネが、「ここを離れず、目を覚ましていなさい」と念を押されていたにもかかわらず、そしてイエスは「少し進んで行った」だけなのに、前後不覚に眠りこけてしまった。しかもイエスが引き返して、二度、三度と注意したのにすぐまた眠ってしまった、などは、全く理解しにくいことです。他の弟子たちのことは一応問わないとして、イエスが選び出した3人、とくにペトロまでが、イエスに伴われた直後に、もう(また)「ひどく」眠ってしまったというのですから、なんとも不可解なはなしです。だから、イエスの最後の祈りと苦しい言葉を聞いた人は誰もいなかった筈なのです。

私なりにいろいろ考えてみました。

(1)イエスが祈り終えたあと引き返して弟子たちを起し、“祈り”の詳細を弟子たちに語った。それを弟子たちが書き残した-たしかにマルコ14:43には「イエスがまだ話しておられると」とあります。しかしユダを先導者とする一団はすぐやって来て、イエスを連れてゆくのですから、イエスが最後の祈りについて、かくも詳細に弟子たちに語り伝える時間的余裕は無かったと思われます。

(2)弟子たちの一人(ペトロたち三人とは別の)が、そっとイエス達のあとをつけて、イエスの祈りの一切を耳と心に留めていた-しかしイエスは、リーダー格の三人をとくに指名して同行させたのですから、他の弟子たちはじっと待っていたと考えるのが妥当です。もし誰かが後をつけていったとしても、近くには寄れなかったでしょうから、イエスの(低い)祈りの言葉は耳に入らないでしょう。

(3)福音書の記者が、イエスは最後にはこのように祈られたのではないかと考えて、この話を書いたそれにしてはあまりに痛切でなまなましい、とくに「父よ、できることならこの杯をわたしから過ぎ去らせてください、しかし、御心のままに」などの深遠な言辞と思いは、神の子としての使命を重く自覚しているイエスならではのもので、弟子たちが創作できるようなものではないと考えます。

お教えを乞いたいと思います。

<コメント>   (大柴記)

  2月19日に90歳を迎えられた平林司兄は、戦前鷺宮のルーテル神学校で学び、中国戦線へと赴かれました。戦地で300冊もの本を読破されましたが、東京大空襲のため蔵書のすべてを焼失。戦後は神学校に戻ることを断念し、貿易会社に就職されました。歴史の荒波にもまれながらも信仰の道を忠実に歩んでこられました。このゲッセマネの祈りに関する疑問はそのような平林兄の実存的な深みから発せられていると思います。

事柄の詳細はすべてみ国で主とお会いできた時に明らかとされるでしょうが、私はこう思います。ゲッセマネの園で最初はペトロ、ヤコブ、ヨハネも、主の声が届くほど離れた場所で、主と心を一つにして、言葉と呼吸を合わせて祈っていた(祈ろうとしていた)のではないか。だからこそイエスの苦しみもだえる姿と祈りの言葉とがリアルに記録されているのだと思います。しかし彼らは「心は燃えても、肉体は弱い」ためにやがて疲れ果てて寝入ってしまう。不安と緊張と悲しみに耐えられなかったのかもしれません。自分たちの思い描く力強いキリスト像とはほど遠い弱さを示す師の姿を認めたくなかったのかもしれませんし、現実から逃げ出したかったのかもしれません。そこにはなおさら主の孤独な姿が浮かび上がってきます。そのような弟子たちの弱さを知りつつ、主はまるごと彼らのすべてを引き受け、ただ独り十字架へと歩んで行かれたのです。

(むさしのだより2006年3月号より)