たより巻頭言「神の息吹による即興演奏~キース・ジャレット」 大柴 譲治

 キース・ジャレットというジャズピアニストがいる。ケルンコンサートやパリコンサートなど、演奏した地名がそのままCDのタイトルになることが多い。それはその演奏がその土地の名前で呼ばれる以外にない完全な即興演奏だからである。英語ではそれを improvisation と呼ぶ。即興演奏である限り二度と同じ演奏はできない。その場限り、その時限りである。唯一回の今を生きる。一期一会を生きる。その演奏を聴きながらそのことの大切さを思う。

 キース・ジャレットの語る言葉がこれまたすごい。「私は自分で創造できる男だとは思わない。しかし創造への道は目指しているつもりである。私は創造の神を信じる。事実このCDの演奏は、私という媒体を通じて、創造の神から届けられたものである。なし得る限り、俗塵の介入を防ぎ、純粋度を保ったつもりである。こうした作業をした私はなんと呼ばれるべきであろうか。創造の神が私を何と呼んでくださったか、私はおぼえていないのである」(『ケルンコンサート』ジャケットノートより)。彼の言葉を知った上でもう一度その演奏を聴くと鳥肌が立つような思いを持つ。

 まだまだ残暑の厳しい日が続いているが、暑さを忘れさせてくれるような演奏がある。私たちは10月8日にはむさしの教会の宣教75周年を共に喜び祝おうとしている。この現在を過去と未来とに結びつけて位置づけてゆきたい。神のいのちの霊がキリストの教会を生かすのだ。私たちもまた創造の神から霊の息吹をいただいて、私たちのいのちの瞬間々々を即興的に刻んでゆきたいと願う。一期一会の出会いを大切にしながら。