説教「キリストがあなたがたの内に形づくられるまで」 大柴譲治

ガラテヤの信徒への手紙 4:8-20

はじめに

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがわたしたちと共にありますように。

「いや、むしろ神知られているのに」

4:8-11でパウロは、ガラテヤ人たちにキリストと出会う前のことを思い起こさせています。その時あなたがたは「神でない神々」「無力で頼りにならない支配する諸霊」の「奴隷」であったというのです。

(8)ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。(9)しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。(10)あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年などを守っています。(11)あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です。

10節の「いろいろな日、月、時節、年などを守っている」というのは、当時のガラテヤの信徒たちが、「ユダヤ化主義者」たちの影響を受けて、新月祭や過越差、五巡祭などのユダヤの祝日や断食に関する規定、また、おそらく「安息の年」(レビ23、25章)さえもすでに守り始めていたという現実があったようです。そのようなことはもはや全く意味を持っていないということをパウロはここで繰り返し強調しています。

「しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか」という9節の言葉や、「あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です。」という11節の言葉は、パウロがガラテヤの教会員たちといかに深い信頼関係にあったかということを雄弁に伝えています。ダイレクトにパウロの熱い気持ちが読む者に伝わってくるのです。手紙というコミュニケーションの道具の持つ大きな力を感じさせられます。

弱さにおいて「アナムカラ(魂の友)」と出会う

12節から15節は、パウロとガラテヤの教会員たちがどうしてそのように強い絆で結ばれているのかという事情を明らかにしています。この部分はパウロが自分の病気について触れている歴史的な記録としても重要なところでもあります。そこにはこう記されています。

(12)わたしも(律法を持たない異邦人である)あなたがたのようになったのですから、あなたがたも(律法を捨てたキリスト者である)わたしのようになってください。兄弟たち、お願いします。あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしませんでした。(13)知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。(14)そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました。(15)あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。

パウロは2コリント12章でも「肉体のとげ」という言い方で自分の病気について述べています。パウロは自分の第三の天にまで引き上げられるという特別な啓示を受けた14年前の体験を誇るのではなく、自分の弱さを誇ろうとするのです。そのような形で十字架のキリストとつながろうとするのです。

(1)わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう。(2)わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。(3)わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。(4)彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。(5)このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。(6)仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、(7)また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。(8)この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。(9)すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(10)それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

「とげ」と言われているからには激痛を伴うような病気であったと考えられますが、それが何であったかは明らかではありません。「てんかん」であったかもしれませんし、当時ガラテヤ地方で流行っていた「マラリア熱」であったかもしれません。あるいは、15節に「あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとした」という表現がありますが、そこから推測されるようにもしかすると「眼病」であったかもしれない。いずれにせよ、それは、ガラテヤ人たちに「試練」として受け止められても仕方がないものであり、「さげすんだり、忌み嫌ったり」されてもおかしくないようなものであったということが14節の表現からは分かります。しかし不思議なことは、そのような「からだが弱くなった」という弱さが「きっかけ」となって福音宣教が行われていったというのです。人の思いと神の思いは異なっています。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いのです。福音宣教のために私たちの中にある何が用いられてゆくかは分かりません。福音の宣教においては、この世の価値観とは全く逆で、強さではなく弱さが、能力ではなく無力さが、知恵ではなく愚かさが、キリストによって用いられてゆくのです。

パウロは言います。「わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました」と(14節)。ガラテヤの信徒たちが示したそのようなボロボロになった自分を神の使者かキリスト・イエスであるかのように受容してくれたというその好意が、どれほど失意と痛みの中にあったパウロを大きく助けたことだったでしょうか。弱さの中で私たちは人の本当の優しさを知るのです。見えない次元が見えてくる。そのような大変は人を変えて行きます。パウロにとってはガラテヤ人との出会いはそのように忘れられない出会いでした。神の家族としての出会いだったのです。3:1の「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか」というパウロの熱い言葉も、そのような中で培われた愛の関係の中で発せられた言葉でした。パウロの病気にうちひしがれた無力な姿の中に、ガラテヤの人々は、人々に蔑まれ、忌み嫌われ、見捨てられた十字架のキリストが共に歩んでいることを確かに見たのです。

キリストもまた、マタイ25章を読みますと、「最も小さき者の一人にしてくれたのは、わたしにしてくれたのだ」とはっきりと語っておられます。「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」(マタイ25:35-36)。大切なのは「愛において働く信仰」なのです。

私はここまできて、ようやくガラテヤ地方の教会が、実は民族的には他の地方とは異なり、ケルト人たちがB.C.3世紀頃に移住してきた地方であることを思い起こしました。ケルト民族とその文化は独特の特徴を持ち、リラ・プレカリア(祈りのたて琴)のキャロル・サック夫人がその一つの伝統を伝えていると思いますが、古くから病気の人や死に行く人など、弱い立場に置かれた人々に対して愛に満ちた豊かなケアを古くから提供してきた民族だったのです。最近では、アイルランド出身のエンヤやカナダ出身のロリーナ・マッケニットといったミュージシャンが奏でるケルト音楽も「癒しの音楽」として人気を博しています。私は2007年の夏に米国のオレゴンにおいてRichard Groves先生から一週間の「アナムカラ」訓練を受けましたが、「アナムカラ」という言葉も実はケルト語で「魂の友」という意味の言葉でした。

そのように自らのアイデンティティーとしてケルト文化を脈々と受け継いでいたガラテヤの教会員たちが、そしてそれゆえにローマ帝国の中でもローマ化されることを頑なに拒み、周辺的な位置づけしか与えられていなかったガラテヤ地方だったようですが、病いで苦しむパウロに対してケルトの心をもって接したであろうということは、私にとってとても新鮮な大きな気づきでもありました。「わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました」というパウロの14節の言葉は、パウロとガラテヤ地方の教会員たちとの生き生きとした強い絆がどのように生み出されていったかを雄弁に語っています。

実は、パウロは「終末は切迫している、すぐ来る」と考えていましたから、限られた時間の中で福音宣教を効率的に行うためにも、ローマ帝国のどの州でもその州の中心的な大都市においてそこが宣教の拠点となるような「拠点伝道」をしていったのです。アテネでは伝道を試みて失敗してしまいましたが、不思議なことに失意の中で訪れたコリント教会でしっかりとした教会を築くことができました。また、エフェソやフィリピやテサロニケもその地方(州)の中心的な都市であったということが分かっています。しかしそれとは対照的に、ガラテヤ地方には小さな地方都市しかなかったようです。

なぜパウロがそのようなガラテヤ地方において福音宣教を行うことになったかということは、先ほどお読みした手紙に明らかなように、パウロが病気になったためでした。それは使徒言行録の16:6-7に記された状況と重なると思われます。それは第二回伝道旅行の記録の一部ですが、そこにはこうあります。「さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」。福音宣教を「聖霊から禁じられた」「イエスの霊がそれを許さなかった」というのは、おそらくパウロの大都市を巡る宣教計画が彼の病いのために変更を余儀なくされたということでありましょう。しかし、そこでは人の思いを越えた不思議なことが起こったのです。パウロの弱さが豊かに用いられて、ガラテヤ地方のケルト人の心を保った小さな村々にキリストの姿が鮮やかに生き生きと映し出されることになったのですから。それは人知を越えた神のご計画でありました。パウロはそこで自分の「アナムカラ(魂の友)」を得ることになったのでした。それだけにパウロはガラテヤの教会員たちが敵対者たちによってキリストから引き離されることが許せなかった。ガラテヤ書はパウロの途方に暮れる姿、何とかして彼らを最初の福音に取り戻そうと一生懸命に祈るパウロの姿が鮮やかとなっています。

「キリストがあなたがたの内に形づくられるまで」

16節から20節までのパウロの言葉を、他のどの手紙においてよりもパウロの牧会者としての心が表れているところであるとある註解者は語っていました。ガラテヤ人たちに対して「わたしの子供たち」(19節)と呼びかけているところからも、パウロの気持ち、その心情がダイレクトに伝わってくるような部分でもあります。途方に暮れながら、もう一度あなたがたの中にキリストを産もうと、そしてあなたがたをキリスト者としてもう一度産もうと母なる苦しみを味わっているとパウロは言うのです。ガラテヤ書ではどちらかというと父性的なイメージが強調されることの多いパウロですが、ここでは母親のような深い母性愛をもって語っているように感じます。できることなら、今あなたがたと共に居合わせて、父親のような厳しい語調ではなく、実際に3:1では「ああ、何と愚かなガラテヤ人よ」とパウロは語気を荒げていましたが、「語調を変えて」優しく接したいというのです。

(16)すると、わたしは、真理を語ったために、あなたがたの敵となったのですか。(17)あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです。(18)わたしがあなたがたのもとにいる場合だけに限らず、いつでも、善意から熱心に慕われるのは、よいことです。(19)わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。(20)できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです。

キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、つまり「生くるのはもはやわれにあらず、キリストわれのうちにありて生くるなり」(2:20)というようになるまで、産みの苦しみを味わっているのだというのです。私たちはそのようなパウロの姿から、私たちの信仰の裏にも、そのような多くの人々の熱い執り成しの祈りがあったことに気づかされます。そのような愛と祈りによって私たちの内にはキリストが形づくられてきたのです。私たちが迷ったり行き詰まったりした時に、私たちのために途方に暮れるほど真剣に熱く思ってくれた信仰の先輩たちがいたのです。そのような愛においてキリスト教信仰が二千年を越えて、時間と空間と言葉の違いを超えて、受け継がれてきているということを覚えたいと思います。そして私たちもまた、私たちの周囲にいる人々の内に、キリストが形づくられるよう産みの苦しみを担って行きたいと思います。それが私たちの使命なのですから。キリストの祝福を多くの人々に分かち合って行くよう私たちは神の恵みによって、母の胎に在る時から選び分け、召し出されているのですから。そのことを覚えつつ、新しい一週間を踏み出してまいりましょう。

お一人おひとりの上に神さまの豊かな祝福がありますように。アーメン。

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

(2010年9月5日 聖霊降臨後第15主日説教 ガラテヤ書連続説教07)