【説教・音声版】2022年4月24日(日)10:30  復活節第2主日礼拝  説教 「 わたしの信仰告白」 浅野 直樹 牧師

復活節第二主日礼拝

ヨハネによる福音書20章19~31節



本日、復活節第二主日に与えられました福音書の日課には、あの疑り深いトマスが登場してまいりました。

私たちはどうしても、このトマスの物語に目がいってしまい易いわけですが、その前に本日の第一の朗読で読まれました使徒言行録に少し目を向けていきたいと思っています。
ご承知のように、この使徒言行録は福音書記者ルカが記しましたルカ福音書の続編と いった形となっています。福音書はイエスさまのご生涯を取り扱っているのに対しまし て、この続編である使徒言行録は初期教会の歴史が取り扱われています。弟子たちの物語といっても良いでしょう。前半は使徒ペトロが、後半はパウロが中心に取り上げられることになる。今日の日課は、前半のペトロの物語となります。

ところで、今日の福音書の日課の冒頭には、このように記されていました。「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」。イエスさまが復活された日です。その日の夕方のことです。いいえ、夕方のことだけではないでしょう。弟子たちはずっとユダヤ人たちを恐れて閉じこもっていました。ご存知のように、イエスさまを裏切ったのは、イスカリオテのユダだけではな かった。あの過越の食事の時、ペトロはイエスさまから離反の予告を受けると、「たと え、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言い張ったのです。他の弟子たちもそうでした。彼らは本気でそう信じていた。自分を…。しかし、イエスさまが無抵抗のままに逮捕されるや否や、弟子たちは一目散に逃げ出したのです。ペトロはかろうじて、成り行きを見守ろうと遠く離れて付いていきますが、「お前も弟子の一人だろう」と問いただされると、呪いの言葉さえも口にしながら否定してしまったのです。

あれから数日間、弟子たちがどのように過ごしていたかは分かりません。聖書はそのことを記していない。少なくとも、先週もお話ししましたように、ヨハネを除いては十字架にも葬りにも立ち会わなかったのです。そして、復活の日に、ユダヤ人たちを恐れて閉じこもっていた、と記されている。その間、ずっとそうだったと考えても、不思議ではないでしょう。イエスさまが捕らえられ、不当な裁判にかけられ、 人々から馬鹿にされ、十字架の上で命を落とされ、岩の墓に葬られ、女の弟子たちがきちんと葬りをするために墓に急いでいた時にも、彼ら男の弟子たちはユダヤ人たちを恐れて家の中に閉じこもっていた。それが、かつての弟子たちだった。しかし、今は違う。使徒言行録に出てくる弟子たちは、違っていました。

イエスさまの名によって宣教してはならない、と脅されていました。それでも、彼らは怯まなかった。とうとう弟子たちは逮捕されます。そして、イエスさまも裁かれたサンヘドリン・最高法院に呼び出されることになる。そこで、ペトロはこのように語ったと記されています。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました。わたしたちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます」。

復活など不合理だ、といった意見があります。しかし、私は思う。では、この弟子たちの変化は、どう説明できるのか、と。人間はそうそう変われない。嘘偽りのために命など賭けられない。私自身は自分の経験則からも、そう感じずにはいられません。復活のない弟子の変化の方が、私には不合理だと思われる。キリストの教会は、キリスト教の歴史 は、この弟子たちの変化がなければ起こり得ないことでした。

復活のイエスさまは、ユダヤ人たちを恐れて部屋の中に閉じこもるしかなかった弟子たちの只中に、ある意味強引に入ってこられました。あるいは、彼らが恐れていたのはユダヤ人だけではなかった、とも言われます。弟子たちは復活のイエスさまの訪れにも恐れていた、という。それは、彼らが裏切ったからです。罪を犯したからです。顔向できなかったからです。女性たちからイエスさまの復活の知らせを聞いた。もちろん、そんな話は戯言のように思えて信じられなかった、というのもあるでしょう。しかし、その可能性を否定できないとしても、むしろ、だからこそ、会いたくなかった、会うのが恐ろしかったとの心理が、「鍵をかけ閉じこもる」といった表現の中にあったのではないか、というのです。そうだと思います。弟子たちが喜び勇んで復活のイエスさまを迎えたのではないので す。むしろ、彼らはイエスさまが入ってこれないように鍵さえかけていた。

しかし、イエスさまは、そんなことは構わずに、強引に入ってこられた。そして、弟子たちに語られ た。それは、叱責でも裁きでも呪いでもなかった。「あなたがたに平和があるように」と語られた。シャローム、イスラエルの普通の挨拶の言葉です。しかし、それ以上の意味があったという。あなたたちの上に神さまからの平和があるように。私はあなたたちを罪に定めない。私はあなたたちを赦す。あなたたちの祝福を願う。そんなシャロームです。弟子たちは、まさに救われた。「そう言って、手をわき腹とをお見せになった。弟子たち は、主を見て喜んだ」。釘と槍に刺された跡のあるイエスさまのお体です。自分たちが裏切ってしまったが故に、そんな目に遭われたのだ、と思い悩んでいたお体です。しかし、イエスさまのシャロームで、そんな自らの罪を強く連想させられる十字架のお体を見て、弟子たちは喜ぶことができた。この上なく、喜ぶことができた。それが、復活の出来事です。

トマスの不信(1601年〜1602年)カラヴァッジオ (1571–1610) サンスーシ絵画館


しかし、12弟子の一人でもあったトマスは、間の悪いことにその場に居合わせませんでした。しかも、他の弟子たちから復活のイエスさまと出会ったと聞かされて、余計に心頑なにしたように、こう言い放ったのです。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と。ここから、疑り深いトマスと言われるようになったわけです。しかし、復活のイエスさまは、このトマスにもお会いになります。いいえ、むしろ、この疑り深いトマスに出会うために訪ねてくださったといっても良いでしょう。ここでも、トマスがイエスさまを探したのではなかった。見つけ出そうとしたのではなかった。私に出会って欲しいと願ったのでもなかった。そうではなくて、イエスさまの方から訪ねてくださったのです。
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と。

罪に恐れて自ら復活のイエスさまと出会うことを拒んでいるような弟子たち。生来の疑り深さと他の弟子たちへの嫉妬心からより心頑なにして復活を信じようとしなかったトマス。彼らが信じたのは、信じることができたのは、イエスさまが訪ねてくださったからです。自らではない。私たちは何もできない。閉じこもるしかない。うろつくことしかできない。しかし、そんな私たちを見捨てず、強引にでも出会ってくださり、赦しを、平安を、希望を与えて下さるのが、復活のイエスさま。それが、週の初めの日ごとに起こった、という。それは、私たちの言うところの日曜日です。日曜日ごとに行われる礼拝においてです。そこで、集まっているときに、起こったことです。恐れの中で閉じこもっていても、起こったこと。その日にはたまたま集うことができなかったとしても、また集うことに よって得ることができた出会いの体験です。そのことを、この福音書の記事は伝えてい る。

この日曜日ごとの出会いの中で弟子たちに何が起こったか、といえば、復活のイエスさまと出会えた喜び、そして、私の、私たちの信仰告白です。「わたしの主、わたしの神 よ」。復活のイエスさまとの出会いによって語ったトマスの信仰の告白を、私たちも共にする。
今日の日課の終わりには、このヨハネ福音書の目的も記されていました。「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」。

私たちは、トマスを、弟子たちを羨ましく思うのかもしれません。彼らのような体験ができたら、私たちももっと素直に復活が信じられるのに、と。しかし、イエスさまはこうも語られたことを忘れてはいけないと思います。「見ないのに信じる人は、幸いである」と。私たちは、残念ながら彼らのようには実際に「見る」ことはできません。しかし、それが不幸かといえば、違うと言われます。むしろ、見ずに信じる人は、幸いだと。そうです。私たちには、実際に見た、変えられた証人たちがいる。証人が語ってくれた言葉、物語がある。それがあれば、イエスさまが神の子であることも、復活の主であることも、イエスさまから与えられる復活の命、永遠の命のことも、信じることができる。それが、礼拝の中で起こっている。そのこともまた、この弟子たちに続くイエスさまの弟子、私たちが、2000年の教会の歴史の中で経験してきたことです。

そのことも憶えながら、今日もこの弟子たちと、トマスと一緒に私たちも告白していきたいと思います。「わたしの 主、わたしの神よ」と。