「リストラも神のご計画か」 小山 茂

1月5日の礼拝後に大柴先生が私の牧師志願を伝えられ、教会員の皆様の驚く様子を楽しんでいらっしゃいました。昨年5月突然の離職後、大柴先生にその旨話しました時に、「牧師になりませんか?小山さんに向いていますよ」と言われました。心の片隅に「牧師になる」が留まりましたが、アマチュアの信徒とプロの牧師の構図が私にあり、その壁を乗り越えられないと思いました。再就職支援サービスの会社に通い毎週キャリア・カウンセラーと面談をするうちに、私がこれからどう生きていくかと大変大きなテーマにぶつかりました。求人票を検索しても団塊の世代の私にはまず年齢で引っかかりました。5ヶ月たち落ち込んできました時、担当のカウンセラーが私に「あなたは野球をするのに、グランドに立たずに観覧席に座っている」と言いました。私に現状打破の姿勢を求めた一言に気づかされました。それは、私が足元の現実を直視せずに、遥か遠くを見ていたということでした。 

時間に余裕があった私を大柴先生が教会の働きに引っ張り出してくださり、それまで担当していた教会学校運営の他、ベテル聖研の講師を二回、75周年記念誌編集委員と場を広げました。私はその中にささやかな手応えを感じて、もしかしたら牧師になれるかもしれないと考えたのは十月も末でした。ただ、召命と信仰という二つの命題を抱えて、身動きが取れなくなっていました。賀来先生に「他の人を通しての召命は本物だ。牧師の道のみ備えられるのが良い」とアドバイスを頂き、先生特有の逆説的論理と思い家に帰りました。私の周りの人々(キャリア・カウンセラー、教会員、家族)を通しての励ましが召命ならば十分届けられていました。その後、江藤先生に面談の機会を頂き私の気持ちを素直に伝え、これでもよいのでしょうかと伺いました。先生は、「後は神様にお任せしたらどうですか」と言われました。私の信仰は未熟ですが、確かなものとするために新たなスタートなら切れます。

『牧師の仕事』という本を読んで、私の牧師への動機が純粋かどうかゆっくり考えました。つまり、就職が見つからないから牧師という仕事に逃げていないか?私のカウンセラーはこの問いに、神学校で四年間学び牧師を目指すのは逃避ではなく挑戦ですとアドバイスしてくれました。最後の決定的な言葉は、12月末の礼拝後に高倉先生の奥様のおっしゃった「牧師が信徒を育て、信徒が牧師を育てる」でした。私はこの言葉を何度も聞いていましたが常に牧師が主語でした。妻には初めての言葉で私に「あなたも牧師になったら、信徒に育ててもらえば良いのよ」と楽観的に申しました。悩んだ末やっと吹っ切れて献身を決意できたのは、昨年の末でした。

神学校の願書提出の必要書類に「信仰経歴を含む私の召命」があり、この小論文を書くうちに考えが整理されました。しかし、最近たいへん大きな思い違いに気づきました。それは、私のプライドを満足させるため、幾つかの選択肢の中から牧師を選ぶとしたかった気持でした。賀来先生のおっしゃった「これしかない」は主が私に牧師への道を備えてくださったと認めることでした。リストラで落ち込まなければ、石橋を叩いても渡らない私が牧師への道を渡ることはなかった。そして、器としての私を働きのうちに加えて頂けるとは、なんと幸せなことではないかと思えてきます。

私にとり今年のイースターはちょうど受洗20周年になります。その時の写真に神学生として教会実習されていた大柴先生と立山忠浩先生(現東京池袋教会牧師)が写っていたのも不思議な縁を感じます。初めて出会った五反田ルーテル幼稚園から五十年余り、福山猛牧師とハルヨ夫人そして御長女の尚美先生との交わりを通して、ここまで導かれたのも神のご計画と思えます。

私がよく見た夢に、必死に両手を翼のように空気をかくとふわっと体が浮き空を飛ぶ夢があります。そして飛ばない友人に「君もやってみたら、ほら、飛べると信じないから飛べないのだ」と言うのでした。大柴先生のアドバイスで、「心地よく風を感じたら、羽ばたいて飛び立ちなさい」と言われました。今の私に必要なことは楽観、ユーモア、もう一歩の踏込みです。みなさまの辛抱強い配慮に心から感謝し、これからも私の応援をお願いいたします。

  (むさしのだより 2003年 4月号より)