寄稿「サン・テグジュペリ~その終末」 鈴木元子

「星の王子さま」が又新聞面にあらわれた。翻訳した仏文学者の故内藤濯さん(1883~1979)の没後三十年だという。

私たちの読書会が「サン・テグジュペリの言葉」を読んだのは、日本で訳されて五十年経た時であったから、日本での翻訳権が切れて、新訳が一せいにスタートラインに並んでいた頃である。

その会で先ず口火を切った会員が言った。「彼が第二次大戦の偵察に飛び立った時、その時すでに身体の状態が無理であったと思われるのに、なぜ断らなかったのだろう」と。

今日までのいずれの著書にもその年譜には、出撃を執拗に要請してコルシカ島のボルゴ基地から朝もやの中を飛び立って行った彼は遂に帰投しなかった。敵機に撃墜されたのか、酸素吸入器の故障で意識を失ったのか、とにかく消息を絶つ、と記されている。

ところが今から一年前、複数の新聞が彼の搭乗機の残骸がマルセイユ中心部から十キロにある小島の東海底(水深70メートル)から引揚げられ、識別番号によりその搭乗機に違いないことが確認された。一万メートルの高度から垂直に海へ突込んだ事は、自殺と思わざるを得ないという判断を下している。

行方不明が自殺と今決定されて、私が思うのは、何故この様に神様のみ心を享け、人間の言葉をもってそれに答えた人、地上から天へ向けて応答をささげたほどの人が、どうして地上にとどまり得なかったのだろう、と。

彼には二人の親友が居た。共に飛行士で命を飛行機にあずけた人、その二人が共にこの戦で先立ってしまい、彼自身の身体ももう飛行には堪えられなくなったのを知った今、自分も後を追いたくなるのは、もっともな気持かもしれない。そして彼はやはり地上に生きる限り、この地上に在る心の底で通じ合う友が求められてやまなかったのだろうか。

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私はふり返って教会の友を思った。

心の琴線にひびいてくる声に耳を澄ませて ― それはおそらく聖霊に導かれてくるものであろう。

「神とは事物を結び合わせる聖なる結び目である。」(サン・テグジュペリ)」

(むさしのだより2006年 9月号より)