ルカ
礼拝説教 「天の父のように」 浅野 直樹
ルカによる福音書6章27〜36節
一昨日…、5月27日(金)の午後に、アメリカのバラク・オバマ大統領が現職大統領としては初めて広島の平和記念公園を訪ね、原爆慰霊碑に献花をされました。これは歴史的な出来事でした。任期も終盤にかかり、大統領としてのレジェンドのため、といった意見もあるようですが、国際的にも様々な緊張関係が生まれている中で大切な一歩が刻まれたのではないか、と私は思っています。
今日の福音書の日課は、小見出しにもありますように、ひとことで言えば「敵を愛する」ということでしょう。これは言うまでもなく、世界の平和、和解ということにおいても、最も大切なことのように思われます。しかし同時に、そんな簡単なことではない、ということも私たちは痛感してきました。先ほどのことでいえば、最初の一歩が「71年」もかかったというところに、事の難しさ、深刻さが物語られているのでしょう。原爆や戦争が非人道的なものであるということは、両国民の多くが感じていることだと思います。しかし、かつて敵同士であった、ということが71年の歳月を費やしてしまった。いいえ、今でも「謝罪できない」「赦せない」「自分たちは正しい」と、それぞれに看過できない言い分があるわけです。それはなにも、当然、国と国といった大きなことばかりではないはずです。私たち個々人の生活の中でも「敵を愛する」ことができたならばどれほど幸いだろうか、と思うのですが、その難しさも経験してきているからです。
この「敵を愛する」ということにおいて、今日の旧約の物語は非常に参考になるのではないか、と私は思っています。これは、いわゆる「ヨセフ物語」と言われるものです。もう皆さんもよく知っておられる物語だと思います。ヨセフのお父さんはヤコブと言いました。このヤコブには「イスラエル」という別名が与えられていましたが、イスラエル12部族の祖となる人物です。つまり、イスラエル12部族とはこのヤコブの十二人の息子たち(正確にはちょっと違うのですが)ということで、ヨセフもその一人だったのです。
当時は一夫多妻が当たり前の世界でしたから、ヤコブにも二人の正妻と二人の側室がおりまして、この十二人は異母兄弟(全員母親が違うということではないのですが)だったわけです。もう、これだけでも兄弟仲があまり良くないことは想像できます。正妻同士、側室同士、あるいは正妻と側室との間で様々な駆け引きもあったのでしょう。そういった母親同士の関係(反目)が子供同士に波及していってもおかしくないわけです。しかも、ヨセフはヤコブが特に愛していた正妻の一人ラケルの息子でした。ラケルはヨセフの弟ベニヤミンを産んでからすぐに亡くなっていましたので、よせばいいのにラケルの忘れ形見を溺愛してしまっていたようなのです。そりゃ〜、他の兄弟たちからすれば面白くないわけです。しかも、そんな父の寵愛で天狗になっていたのか、年少者にもかかわらず兄たちに対してどことなく横柄なところがあったようで、ますます兄たちからは反感をかっていきました。そして、ついにヨセフ17歳のとき、苦々しく思っていた兄たちによってエジプトに奴隷として売られてしまったのでした。なんだか韓流ドラマの脚本になりそうな物語です。
詳しくはお話しませんが、随分と苦労したと思います。しかし、彼は、エジプトの宰相にまで上り詰めたのでした。
ヨセフは兄たちのことを随分と恨んだと思います。17で奴隷として全く見知らぬ世界に放り込まれたのです。しかも、無実の罪で何年もの間、牢獄に閉じ込められもした…。来る日も来る日も牢獄の中で、なんで自分がこんな目にあうのか、と問うたに違いないと思う。その度に、兄たちの薄ら笑うような顔が思い起こされ、怒りが、憎しみが、こみ上げてきたのではないか、と思うのです。復讐心が、殺意が湧き上がっていたのかもしれません。その怒りのパワーが彼を支えていたのかもしれません。しかし、彼に転機が訪れました。夢の解き明かしで牢獄から解放されただけでなく、宰相にまで起用されたからです。しかし、ここで大切なことは、単なるサクセス・ストーリーではない、ということです。
彼はこのことによって、意味の再構築に迫られていったからです。今日の旧約の日課に、こんな言葉が記されていました。創世記45章4節以下「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちよりも先にお遣わしになったのです。」ヨセフは自分がエジプトに来た、送られた意味を、このように再構築したのです。もちろん、すぐにそう思えたのではないでしょう。時間をかけて、あるいは葛藤の中で、そのような理解に至っていったのかもしれません。しかし、この理解が徐々に兄たちに対する恨みつらみからも解き放っていきました。もちろん、神さまがそう働いてくださったからです。神さまの恵みの御業(それがヨセフの場合は夢の解き明かしであり、思いがけない宰相への抜擢ということでしょうが)を経験していったからです。ここに敵意を打ち破る一つのキーがあるように思います。
もう一つは「和解のプロセス」ということです。確かにヨセフは意味の再構築によって、現在の境遇を喜んで受け止められるようになったと思います。そして、普段の日常の中では兄たちに対する負(マイナス)の思いも感じることなく生活していけたことでしょう。しかし、兄たちと再会する機会がやってきたのでした。兄たちが住んでいるパレスチナでもひどい飢饉だったので、ヨセフのいるエジプトに食料を買いにきたからです。あれから随分と年月が経っています。エジプト特有の衣装ということもあったのでしょう。まして、自分たちが奴隷として売った弟がエジプトの宰相になっているなど夢にも思わなかったでしょうから、兄たちにはそれがヨセフだとは気づかなかったのですが、ヨセフには分かっていました。そこでヨセフはどうしたか。意地悪をしました。いろんな難題や難癖をつけては、兄たちを困らせ、窮地に陥らせたのです。ここにも、人間臭さが溢れていると思います。確かに神さまによって意味の再構築も果たし、自分なりに整理をつけていたつもりでしたが、いざ本人たちを前にして、かつての思いが甦ってきたのでしょう。
あんな目に合わせて「殺してやる」とまではいかなくても、なんらかの復讐心がふつふつと湧いたのだと思います。それが人間です。彼は何度も兄たちを苦しめました。そして、ついに(非常にドラマチックなので、ぜひお読みいただきたいと思いますが)兄たちの悲痛な叫びを前にして、彼は感情を抑えることができず、感極まって泣き出し、兄たちに自分の身を明かした、と言います。兄たちの苦しむ姿を前にして心が弾けたのでしょう。
ここに、神さまが与えてくださる和解のプロセスがあると思うのです。赦す、和解する、愛する、というのは机上のことではありません。相手あってのことです。赦しているつもりでも、和解しているつもりでも、愛しているつもりでも、いざ相手が自分の眼の前に現れると、そうは言っていられない私たちの現実があるからです。そのために、神さまはまず私たちの目を開いて相手を見せようとされます。憎しみや怒り、負の感情があるときには、相手の姿をまっすぐ見られなくなってしまうからです。
ですから、ことさら相手を悪く思い、憎んで当然、怒って当然、恨んで当然と思ってしまうところがある。しかし、本当にそうでしょうか。もちろん、敵です。自分に対して敵対するような人物です。当然、相手だって自分に良い感情を抱いてはいないでしょう。でも、本当にその人は極悪で、どうにもならないような敵、モンスターなのか、といえば、大抵はそうではないはずです。相手も人間であることがわかってくる。弱く、過ちを犯す、私たちと同様罪ある、欠けのある人間だということが分かってくる。分かってくるところに、単なる敵意や憎しみだけではない思い、同情、憐れみ、共感も起こってくるのではないか、と思うのです。
もちろん、これで全ての問題が解決できるとは思っていませんが、兄たちに捨てられ、敵となったヨセフが、兄たちと和解していったプロセスから、私たちも何か考えることができるのではないか、と思うのです。
ともかく、福音書に戻りますが、「敵を愛する」ということは、このことに尽きるのだと思います。」「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者になりなさい」。憐れみ深い、敵をも愛してくださる神さまからしかこの愛は学べないのです。憐れみ深い神さまの子どもだからこそ、その生き方に向かっていけるのです。
イエスさまは語られました。「あなたがたの敵を愛しなさい」。これは命令です。命じられていることです。もちろん、私たちは福音を信じています。福音とは恵みです。ですから、この命令を守れないからといって見捨てられるようなことはないのです。しかし、いいえ、だからこそ、この「命じられている」ということに思いを向けたいのです。「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」。それは、ある意味、馬鹿を見る生き方なのかもしれない。理不尽な目にあう不器用な生き方なのかもしれない。しかし、私はここにキリスト教の魅力を感じるのです。憧れを抱くのです。現実の自分はもちろん、そうではありませんが、それでも、馬鹿を見るほど愛に生きる者になりたい、と思う…。イエスさまがそうだから…。
神さまの憐れみに生かされて、その愛に気づかされて、教えられて、また私たちも、そんな憐れみ深い生き方を、愛をほんの少しずつでも見習っていきたい…。そう思います。
2016年5月29日 聖霊降臨後第二主日礼拝説教(むさしの教会)
むさしの教会だより7月号より:2016年7月 31日発行
復活の主と出会うということ 浅野 直樹
聖書箇所:ルカによる福音書24章13〜35節
人生って、なかなか思うようにいかないものですよね。48年間生きてきた中で、私が悟ったことです(偉そうですが…)。でも、人生って「本当に不思議だ」とも思わされてきました。今、こうして皆さんを前にして説教をしていること自体も不思議でなりません。昨年の11月までは、こんなことはつゆほども考えていませんでしたから。それが、本当に不思議な導きで、こうして皆さんと出会った…。皆さんと共に教会生活を…、信仰生活を送らせて頂ける…。それは、まさに筋書きのないドラマ(神さまの筋書きはあるのでしょうが…)だと思います。
しかし、それ以上に私にとっての最大の不思議は、イエスさまとの出会いでした。本当に不思議と三十数年前(中学3年の時でしたが)にイエスさまと出会わせていただきました。この出会いがなければ、今、私はここに立っていることも、皆さんと出会うこともなかったでしょうし、それどころか、ここまで生きてこられたかどうかも怪しいものだと思っています。
今日は残念ながら、皆さんに私の人生の全てをお話しすることはきませんが、48年という中に私にもそれなりの人生がありました。辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、…正直、死んでしまいたい、と思った時期もありました。しかし、何度も何度も、乗り越えさせて頂いた、立ち上がらせて頂いた、道を正して頂いた、そう思うのです。年齢を重ねるごとに、経験を重ねるごとに、いろいろな壁にぶち当たるごとに、「信仰を持っていて…、いや、与えられて本当に良かった」と思わされてきました。まさに「不思議な恵み」です。そんな「不思議な恵み」の姿が、今日の日課にも描かれているように思います。
今日の箇所は「エマオ途上」とも言われる有名な物語です。二人の弟子(12弟子以外の)がエルサレムからエマオに向かう途中、復活のイエスさまに出会うのですが、この二人にはそれがイエスさまだとは分からなかった、というのです。
今日の箇所のポイントの一つは、この二人が「弟子」である、ということだと思っています。イエスさまを知らない、イエスさまを信じない人々ではなくて、イエスさまを知っている、信じている、イエスさまに従っている弟子であるこの二人が、復活のイエスさまのことが分からなかった…、気付けなかったからです。この二人もおそらく不思議とイエスさまに出会うことができたのでしょう。イエスさまの不思議な魅力に惹かれて弟子になることもできたのです。
19節にはこう記されています。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。……わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました」と言うほどに強い期待感を持っていました。しかし、後の箇所をご覧いただければ分かるように、十字架(苦難の意味)と復活のことについては全く分かっていなかったのです。ここに、なんだか私たちの姿と重なるところがあるように思わされるのです。もちろん、私たちの多くは受洗前教育を受けてきたはずです。堅信のための準備教育も受けてこられたでしょう。イエスさまの十字架の意味も、復活についても教え込まれてきました。だからこそ、信仰の告白もできます。
しかし、それらが『何よりもこの私のためであった…』ということになると、なんだか「ぼんやり」「おぼろげ」だったようにも思うからです。それが私たちの偽らざる現実の姿です。聖書を読んでいきますと、度々このような情けない弟子たちの姿を目撃致しますが、紛れもなくこの私たちも、そんな弟子たちに連なる者であることを思わされるのです。
その弟子たちに、復活のイエスさまは近づいて来られます。確かに、その「鈍さ」を叱責されますが、それでもイエスさまは、その情けない弟子たちと一緒に歩まれるのです。ここに、もう一つのポイントがあります。やはり、イエスさまなのです。弟子たちではありません。弟子たちの頑張り、努力ではありません。弟子たちの聡明さでもありません。心が鈍く、すぐそばにおられる…、いいえ、すぐ隣におられる復活のイエスさまにも気づけなかった弟子たちにご自身を示されたのは、他ならぬイエスさま自身だったのです。なぜならば、イエスさまが人を…、私たちを救いたいと願っておられるからです。
私たちに復活の命を、永遠の命を与えたいと願っておられるからです。死に打ち勝つ…、たとえ死の床に伏すようなことになっても、絶対の平安・安らぎを、希望を与えたいと願っておられるからです。イエスさまこそが、私たちに熱心なのです。私たちは弱く、また鈍いのかもしれない。すぐに恵みを忘れてしまうような者かもしれない。しかし、イエスさまはこの私たちを見捨てることができないのです。諦めることができないのです。だから、隣を歩き続けられる。気づかれなくても、共に居続けてくださる…。そして、そんなご自身に、その存在に、その恵みに気づかせていってくださるのです。
弟子たちは、「それがイエスさまだ」といつ気付いたのでしょうか。聖書の言葉が解き明かされ、パンが割かれたとき…、聖餐のとき、つまり、礼拝の場においてです。正直、いつもいつも礼拝の場でイエスさまを感じる…、出会えるということではないのかもしれません。それは、私自身も含めた牧師たちの大いに反省すべきところでしょう。それでも、イエスさまはここで働かれます。牧師の口を通して、用いて働かれます。聖餐式において働かれます。
「それがイエスさまだ」と分かる、分からされる瞬間がやってきます。目が開かれる…、復活のイエスさまと出会う瞬間がやってきます。その恵みの幸いに気づかされる瞬間が必ずやってきます。十字架と復活の意味がますます分からされていきます。いいえ、ここにおられる皆さんご自身がそれを体験してこられたはずです。ですから、このむさしの教会は90年の歴史を刻んでくることができたのでしょうし、今、皆さんがここにおられるのだと思うのです。
是非、これからも、この私たちの礼拝の場が、いよいよイエスさまが働いてくださり、み言葉によって「心が燃やされるような」、復活のイエスさまと出会っていけるような、そんな祝福された場、時となっていけるように、不束者ですが皆さんと一緒に心を合わせていきたいと願わされています。
2016年4月3日 復活後第一主日礼拝
説教「急いで行こう、歓喜の鼓動を分かち合うために」 石田 順朗
テキスト:ルカ1:46−55
武蔵野教会・降臨主日(待降節第四)礼拝、2013/12/22
石田 順朗
この一年を振返ってまず気づくことは、歳の暮「師走」の月を待たず、一年中ずっと師走だったように思える。年末の月が「師走」と呼ばれる由来は、平安の昔から「僧侶が仏事で走り回る忙しさ」を見て、言語学的推測ながら、「年果てる」や「し果つ」から「しわす」に変化したもの。とかく慌ただしい。原発ゼロや再稼働論争を傍目に、全国、イルミに浮き立つクリスマス・セール、おせち料理の予約、「歳末助け合い運動」等で賑やか。
回顧すれば、昨年の「師走」から始まった大雪[豪雪]では96名の死傷者をだし、世界各地でも異常気象の年明け。エルサレムでは1月早々に20センチの雪が積もり、オーストラリアでは全土で記録的な猛暑となり元日からの8日間は記録的な暑さで平均気温が40度と、前例のない気温に備えて地図の色分けを施したほど。それに山火事が収まらない危機に襲われた。高知県四万十市で41.0°Cの国内最高気温を更新、各地で記録的な猛暑となり、木本昌秀東大教授の表現では「最高気温の記録更新ラッシュ・イアー」だった。
加えて、7月末に山口と島根県、8月には秋田や岩手、島根県で記録的豪雨。10月の伊豆 大島町で発生した台風26号の「ゲリラ豪雨」による「土石流」の災害など、この1年は「直ちに生命を守る行動をとるよう、最大級の警戒を!」と気象庁から「警報を待たず、早く逃げなさい!」の警告頻発。師走どころか「早く走れ、走れ」の連続。『特別警報パンフ』も公表され、その背景に、宮城県南三陸町で防災無線にかじりついて「早く高台に逃げてください」と叫び続けながら殉職された遠藤さんの声によって多くの人命が救われた謂れがあると聞く。「これまでに経験したことのないような」という最大級の形容詞、副詞も、つい一月前、フィリッピン暴風の津波級の7mを超える高波の被害に、遂に「常識を覆すような」の表現。これまでの「想定外」から「常識(Commonn Sense)を覆す」に変った!「お互いに共有する感覚、感情、思い」がひっくり返された!
ところで、(J. S. バッハの『復活オラトリオ』にもある)「来れ、急げ、走れ」は、旧・新約聖書に164回も出てくる。新約には18回、そのうちルカだけでも、今朝のテキストの序説「マリア、エリザベトを訪ねる」で「そのころ、マリアは出かけて、急いで 山里に向かい、ユダの町に行った」を始め、少なくとも4回は用いられている。本主日の特別礼拝のテーマ「マリアの賛歌」を唱える前に、まず「急いで出かけるマリア」を見届けたい。マリアも、野宿していた羊飼いたちも、いちじく桑の木によじ上っていたザアカイも、イエスが甦られた朝、女性たちの知らせを受けたペトロや、エマオへの途上で復活のイエスにま見えた二人の弟子たちも「常識を覆すような出来事」に応じて、「急いで出かけた」。
1. 「急いで出かけるマリア」
1)まず、二人の女性が登場する「常識を覆すような」出来事。名門、祭司アロン家の出身でありながら「恥ずべき不妊症」の老女、ザカリアの妻エリザベトは、洗礼者ヨハネを身ごもって5ヶ月。その親戚で従姉妹にあたるガリラヤの一寒村ナザレに住むマリアは婚前妊娠の身。不義姦通として世間に知らされれば「石打ちの刑」(申命記22・23)。しかもその妊娠初期のマリアが一人で出かけ「急いでガリラヤからユダへの山里へ向かった」 のは、常識を逸する行動。(尤も今日の先端再生医学からすれば「常識を覆すような出来事」ではないかもしれない。それに、「でき婚」「おめでた婚」「授かり婚」「婚外子」などと云われる最近では、殊更 醜聞とはならない。その反面、「マタ・ハラ」もある)。
それでも「常識を覆すような出来事」。ザカリアとエリサベト夫妻の住む「ユダの町」とはどこなのか詳細は不明。ただザカリアはエルサレム神殿の祭司で、町の近くに住んでいたことは事実。ガリラヤのナザレからユダのエルサレムの近くまでというのは、かなりの距離。急いでも数日はかかり、当時の一人旅には危険がつきまとった。しかもマリアは十代中ばの女性で妊娠初期。それでも、マリアは「急いで」出かけた。
2)なぜ、マリアは、常識を覆す「師走」の行動 –「出かけて、急いで山里へ向かった」のか? そもそも 彼女の決意を支えたのは天使ガブリエルの知らせ。年老いて身ごもり五ヶ月となった叔母のエリサベトを訪ね、同様に身重となったわが身の「思いを分かち合う」ためだった。実は「急いで、難を逃れて命からがら生き延びるため」ではなく、お互いに新しい命の息吹、胎動を分かち合う、神から授かった「常識」に従ってのこと。マリアが「ザカリアの家に入ってエリザベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリザベトが聞いたとき、その胎内の子が喜んでおどった」。これだ!同じ「急ぐ」ことでも「新しい生命の鼓動」をお互いに「体内」で分かち合うためだった。
II.「踊る」という言葉が2回もでてくる。「おどり」はどの宗教にもある。踊りの起源は中世の「念仏踊り」や平安時代に始まり鎌倉時代には全国に広がったと云われる「盆踊り」。神道で、平安中期にその様式が完成した「神楽」は、祭りにおいて神に奉納するために行なわれる「歌舞」。戦後、山口県で、三代目北村サヨで広まった「踊る宗教」さえあった。
キリスト教での「おどり」は、救い主に対する「喜び」を表す。旧約では「神と人間との深い関係のしるし」として、モ−セに与えられた神の掟「十戒」を刻んだ石板を収めた「契約の箱」が、オベデエドムの家に三ヶ月留まった時のこと、彼と家族は主から祝福され、また、ダビデ王がその箱の前で「喜び踊った」という故事がある(サムエル下6:11、16)。おそらく、ルカは、マリアを「契約の箱」と考え、エリサベツとその胎内の子の「胎動」を喜び合うことが「神のお約束」を身ごもる実感から生まれ出てきたものと理解される。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう!」
さすがエリザベトも応じた。「わが主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう」。マリアの胎内の子が「主イエス」であると彼女は知っていた。しかも、自分が生む子ヨハネが「主に先立って行き、準備のできた民を主のために用意する者」になるという夫 ザカリアへの天使のお告げに思いを巡らせていた。
「おどり」は踊りでも、体内での「踊り」だった(女性だけに与えられた特権)。
そこで、マリアは、この躍動する胎内の踊りに共鳴するように、賛美歌を歌い出した。
それぞれ「胎内の子が 喜びおどっている」二人の女性の「出会い」のなかで歌われたこの讃歌は「神共にいます」へのエコー。例年「師走」には、ベートベンの『第9』や、ヘンデルの『メサイヤ』など良い音楽が響き渡る。聖書にも、いろいろ美しい讃美歌が現れる:旧約の「詩編」はもとより、新約ではとくにルカに、イエスの降誕をテーマにした数篇の讃歌がある;今朝のテキスト『マリアの賛歌』(始めの「(主を)あがめ」のラテン語訳 “magnifico” magnify)から『ザカリアの預言』(「ベネディクトゥス」“ほめたたえよ”)(1:67〜79)、『シメオンの心』(「ヌンク・ディミティス」“主よ、今こそ、出かけます(行ってまいります)”)(2:28〜32)など。 ルターも1521年、その講解を著した「マグニフィカト」とも呼ばれるこの賛詠は、既に旧約のイザヤ、詩編などから構成され、サムエルの母 ハンナが、成人式に「主に願って得た子供なので」祈りながら唱えた『ハンナの祈り』(サムエル記上2:1〜10)をモデルにしたと伝わるもので、ユダヤ教にあったものをユダヤ人キリスト教徒が採用したもの。「卑しい者は引き上げられる」のテーマで「マリアの讃歌」として原始教団で唱えられていたものを、『ルカ』がイエス生誕物語の中に編み込んだ。それに「マグニフィカト」は字義的には「大きくする」ということで、「自分を小さくして、主を大きくする」それが「主をあがめる」ことだと強調。
III.「目を留めてくださる」ここで、ルカが特に挿入したと考えられる、48 節の「身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者と言うでしょう」に注目したい。今日の「負け組」「希望格差社会」への福音。たとい「身分が低くても、負け組でも」「幸い」でありうる。五ヶ月もの間 身を隠していたエリザベトも夫ザカリアに「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました」と歌わせる。
1)インターネット、E-メール、ケータイ、スマホと「目にも留まらぬ早いテンポの生活」。「ファストフード文化」の便利な生活で、逆に「ゆとり喪失」。自己閉塞、喪失で、「見放された」「目にも懸からない」私を なお「顧みる神」、「心にかける」−「こだわる」「細心の配慮をなさる神」(「羊一匹を探し求める」ルカ15)。
2)「幸いなもの」になるかどうかは、たまたま運がよかったとか、富み財産や地位や、美貌に恵まれたからではない。「神の働きかけ」、私たちそれぞれに与えられる「神のご計画」を身体一杯にうけいれ、身体の内奥で、「喜びおどる」こと。それこそ「生きる胎動」を感じ、それが毎日の生活にリズム化する鼓動となっていくことに気付くかどうかで、決まって行く。「神の目に留まった人」に備わる「幸い」は、マリアだけでなく、人々すべてに及ぶ(サムエル上2:7〜8参照) 私は幸いです!
園山 京くん(ご家族の方々)、石原真由美さん、姫野智子さん、幸福度はいかが?
「急いで、ここに集ったこと、ほんとうに佳かった!!」クリスマスおめでとう!
「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主がみ顔を向けて、あなたを照らし、
あなたに霊を与えられるように。主が、み顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように」 アーメン
説教「そのまま受け入れよう – 福音の喜び」(要約) 石田 順朗
聖霊降臨後第17主日礼拝
武蔵野教会 2013. 9.15
テキスト: 出32: 7-14; ルカ 15: 1-10; 1テモテ1: 12-17
石田 順朗
序 本主日、聖書日課の使徒書は新約聖書にある3冊の牧会書翰の一つ。テモテへの2書は2世紀の始めにパウロの名で書かれた書簡で「異なる教え」に対する警告を主な内容にする;この「異なる教え」とは当時のグノーシス主義([ギ]認識・知識を意味する覚知主義)。物質/霊や真の神/偽の神 といった二元論を基盤にして、キリスト教の伝播と同じ頃、地中海沿岸に広まった当時最大の思想(宗教哲学)。テモテの父はギリシャ人非キリスト者、母はユダヤ人キリスト者2代目と伝えられる。
冒頭に「異なる教えにつての警告」(vv. 3-11)に続いて「神の憐れみに対する感謝」が述べられる。神を冒どくし信徒を迫害したパウロ(サウロ)が神の憐れみを受け「主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛とともに、あふれるほど与えられました」と結ぶ自ら使徒となった召命体験の証し。今朝は特に、この証しの始めに「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します」の言明に注目したい。震災後、「想定外の激甚災害」ほか形容詞、副詞の幅が大きくなり続けるなか、「そのまま」はたいへん意義深い表現。「・・という言葉は真実である」は聖書学者の云う「牧会書簡特有の引用定式」。ところがそれに「そのまま受け入れるに値します」が付加されている点が、実は今朝、私たちへの福音のメッセージ。今日、「そのまま」ということが「そのまま受け入れ難い」状況に囲まれて、私たちは生活しているから ー
この夏は暑中見舞いに、激暑、酷暑、猛暑、極暑のどれを選ぶか、それこそ暑過ぎて難しかった。激しい大雨には「ゲリラ豪雨」を超える最大級の形容語が見当たらず気象庁は苦慮した。それに災害心理学者のいう「正常化の偏見(正常性バイアス)」と呼ぶ心理状態、つまり人は異常な状況に直面しても「大変だ、これは非常事態だ」という心の切り替えが中々できず、「大したことにはならないだろう」、「自分だけは大丈夫だろう」と思い込む危険や脅威を軽視することがしばしば起った。安全神話の環境に長年安住してきたこともあって、現に災害発生時に、避難や初動対応などの遅れが頻繁に起った。こうした状況を見据えてか、遂に「これまでに経験したことのないような短時間、局所的大雨」が用いられ「直ちに生命を守る行動をとるよう、最大級の警戒を!」と気象庁から、それこそ「これまでにない」緊急[勧]警告が発せられた。しかも「川の流れのように」の詩情をかき消す「土砂流」の残骸を見た。積乱雲を「入道雲」と呼んでいた夏の風情を吹っ飛ばして「スーパーセル」の竜巻警報に震え上がった。
それだけに、人工多能性幹細胞(iPS細胞)の更なる解明に基づく再生先端医学と併行して、今日、最優先すべきは建物の耐震性を高めることだとする防災対策の急務も叫ばれる。再生医学のお陰で更に長寿を全うし、より多くの人々への水や食料の膨大な蓄えも必要。つまり、「生き残ってから」のことよりも、まず「生き残るため、死なないための努力」を先に行うべきだと叫ばれ出した。
こうした中、2千年来、全世界で語り伝えられてきた「イエス・キリストの福音の喜び」を、形容詞、副詞の増幅をいささかも気にすることなく「そのまま」受け入れることのできる私どもは、誠に幸い! なぜか?
I. 神より賜わるお恵みを「そのまま受け入れることができる」のは、第1に、信徒
とはいえ偶像崇拝に走りやすい私たちを今一度「思い直され赦してくださる神」だから。
本主日の第1の日課は、神がシナイ山でモーセと語り終え、二枚の十戒の石板を授けられたが、その間、モーセが山から中々おりて来ないので、群衆はアロンのもとに集まって来て「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください」と願い出たときのこと。集めた金を溶かして「若い雄牛の鋳造を始めた」。それを見たモーセは、怒りのあまり、二枚の十戒の石板を投げつけて砕いた。モーセの怒りは、神の怒りであり、そこでモーセは、民のために執り成しの祈りを捧げた。モーセの祈りに応えた神は再び十戒の板を授けられた。これが、今朝の旧約聖書の日課。モーセの執り成し。王、預言者と並ぶ「祭司的役割」)を示す(イエス・キリストの3権能を予告するように)。
「どうか、燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください」(V. 12) まさにイエスの「執り成し」、「十字架のあがない」の予告。と同時に、もう一点大事な点、なぜ神は「戒しめ」を与えたか?そもそもの発端(動機)を思い出させる:出20: 1〜(十戒)。「十戒を授ける」出来事の冒頭に「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」とお語りになり、その上で、「あなたは、わたしをおいて他に神があってはならない」と第一戒を授けられた。
このいきさつを明確に指摘して教えてくれたのはルター。『十のいましめ』への解説を『小教理問答書』で読もう。「第一のいましめ」への答 「わたしたちは、なにものにもまして、神を恐れ、愛し、信頼すべきです」が、「第二のいましめ」以降 すべての「答」の筆頭に繰り返される!次いで、「それで」、「むしろ」に導かれる「肯定・積極化した答」が列記されている(十戒の自由化)。
「神さま、仏さま、稲尾さま− 田中さま」の世相とは裏腹に、大気汚染その他、神の創造への侵略が続行、現代の「グノーシス主義」(理性万能主義)が蔓延する中、熟考を要することでは? 宇宙制覇、iPS細胞再生医学に伴う深い倫理的側面など山積する課題が人類の前途に横たわる。それだけに、イエス・キリストの十字架の「執り成し」の故に、今一度、悔い改めて創造者なる神のみ前にひれ伏し、「思い直され、赦してくださる神」のお恵みを「そのまま」素直に受け入れたい。
II. 神より賜わるお恵みを「そのまま受け入れることができる」第2の理由は、「失
われたもの」が悔い改めて見出され、たち帰るのを喜ぶのが他ならず神だから。
今朝の福音書の日課は、わたし自身にとって、生涯忘れ難い最も重大な箇所。
日米開戦後三年目、全国学童疎開もたけなわ、私は、姉、妹と共に、郷里山口へ強制疎開となり、山口中学三年編入の一時期を、光(市)海軍工廠への動員された。今にして思えば、あの時組み立てていたのは、「人間魚雷・回天」であったのだろう。ところが、熾烈な空爆で再疎開を余儀なくされ、福岡は久留米市の親戚宅を経て朝倉郡(現朝倉市)の住職が遠縁に当る真言密寺、医王山南淋寺に身を寄せるようになった。たまたま書斎で目にした(たしか文語訳[大正改訳]の)『聖書』を拾い読みした。本来、父が仏寺の門徒総代を務めるような家で育ったせいか、『般若心経』や「お経」をそら覚えで唱えていたこともあって、『聖書』には、何か異質的な記事の合間に、意外と判り易い日常的な物語や出来事などの記述もあり、それだけに、なぜ神聖な「経典」になるのだろうと訝ったりした。ところが、突如、「ルカ傳福音書」十五章で「失われたもの」の譬えが三つとも「天(父)にある喜び」で結ばれていることに気づいて不可思議に思えた。戦争末期症状のただ中、「助け出された者」の側にではなく、「遂に救い出した者」の喜悦が大きいとされていることであった(日本キリスト教団出版局編『主の招く声が 』より抜萃、pp.137-8)。
「見失った羊」の譬えは「悔い改める一人の罪人については、九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」で、「無くした銀貨の譬え」では「一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある」と明記される。神は、私たちが寝ても覚めても、四六時中、たえず私たちを見守っていてくださる。迷い出れば、立ち返るまで私たちを隈無く追い求め、徹底して探し出してくださる。しかもこの私が目覚めて立ち返れば、ご自身のことのように喜んで下さる。
「失われたもの」が悔い改めて見出され、たち帰るのを喜ぶのが他ならず神である福音の喜びを「そのまま受入れよう」。
III.「そのまま受入れようー 福音の喜び」
「つながらないと悩み増え」インターネットに依存している疑いの強い中学、高校生が全国で約51万8千人にのぼると推計されるのは予想以上に深刻な実態だ。インターネット(www)ではさまざまな情報が飛び交っている。たしかに、好みや考え方の似た人たちだけでコミュニティーをつくり、そこでは密接な情報交換が行われている。でも同時に、異なる意見や見解をもつものには攻撃的(サイバー攻撃)になるといった状況も重なる。多くの人々が同じ時間を共有しつつ共通の話題について考えるという場面が少なくなったり、全くなくなったりしては、社会の、それに、家庭内の分断が進むだけ。その証拠に、インターネット時代特有の「偏狭さ、閉塞性」が起っており、更に「ひきこもり」などの問題も誘発されている。数年前の悪夢「秋葉原通り魔事件」に見られたような「ネット犯罪」がその後も続発。
他方、「生き延びようと努める」私たちの生活の一部始終が、今や「防災カメラ」が「監視カメラ化」して、「カーナビ」で自動操作されているような「監視社会」での毎日だ! ところが −
イエス・キリストをお遣わしになり、そのみ子の十字架のあがないによる「執り成し」で「思い直される神」、「失われたもの」が見出されたとき「喜んでくださる神」。こともあろうにこの「神の監視、いや 見守りー 神の顧み」のもとで私たちは生活している。実に「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します」。
人知では到底諮り知ることの出来ない「この福音の喜び」を「そのまま受入れる」幸いを、父と子と聖霊なる神に感謝し、引き続いて神のお導きとお恵みが豊かにありますように。
【説教】 「隣人になる」 高村敏浩牧師
日課:申命記30:1-14 コロサイ書1:1-14 ルカ10:25-37
God is where God is supposed to be: in our choices, in our struggles, in our joys, and in our grieves. Amen.
神は、神のおられるべきところにおられます。私たちの決断のうちに、私たちの困難のうちに、私たちの喜びのうちに、私たちの嘆き悲しみのうちに。アーメン。
プレイズソングと呼ばれる歌の中に「Jesus Is the Answer」というものがあります。「今、この世界への答えは、イエスだけだ」という、歌いやすい曲と、直接的で力強い内容の歌詞なのですが、この歌の「イエスだけが答え」というメッセージについて、最近よく考えさせられます。私は何も「イエスだけが答えじゃない」、「他の宗教でもいいじゃないか」と主張したいわけではありません。確かにこの世には、人間の生き方を示すいい教えは多々ありますし、そういった信仰を持つ人たちにも素晴らしい方がたくさんおられます。しかし、キリスト者である私たちにとっては、「イエス・キリストだけが答え」であることは必然的であり、譲歩できない根幹です。それでは「イエスが答え」の何に引っ掛かるというのでしょう。それは、「確かにイエスが答えではあるけれども、私たち人間にとってそれは同時に疑問であり、謎でもあるのではないか」ということです。キリスト教のメッセージは、一方で明快です。それは、「イエス・キリストだけ」ということであり、具体的には、日課で律法の専門家が答えたように「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」ということであり、その言葉を生きる、生きられるということでしょう。しかし同時に、そのような答えが目の前に突き付けられたときには、律法学者がそうであったように私たちも、何かスッキリすることができず、自分を正当化したく思って尋ねるのです、「では、わたしの隣人とはだれですか」と。イエス・キリストが十字架を通して顕かにするメッセージは、この上なく明快でありながらも、同時に、私たちを疑問へと、謎へと導きます。なぜなら、キリストが十字架で顕かにするメッセージは、私たちの思いや想像を超えて、私たちに迫って来るからです。日課を見ていきましょう。
派遣された弟子たちが帰って来ました。イエスたちは喜びに満ちあふれます。そのような中、律法の専門家はイエスを試そうとして質問しました。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスは逆に尋ねます。「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか。」すると律法学者は、「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります」と答えました。正しく答えた律法学者を誉め、イエスは言います。「それを実行しなさい。そうすれば、命が得られる。」律法学者はしかし、さらにイエスを試みて言います、「では、わたしの隣人とはだれですか」。するとイエスは、善いサマリヤ人のたとえを話し始めるのです。
「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」そうしてイエスは、律法の専門家に尋ねます、「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は答えました、「その人を助けた人です。」するとイエスは、次のように言うのです。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
私たちはこの話を、どのように聞くでしょうか。もし私たちがこの話を、倫理への手引きとして、つまりイエスを、倫理の、道徳の教師として聞くのだとすれば、この話は結局私たちを、キリスト教的な律法主義へと導きます。つまり、こうすれば報いが与えられる、永遠の命が神の示す倫理的な生き方への褒美として与えられる、という理解へと導くわけです。しかし、イエスの言わんとすることは、そういうことではないはずです。それでは、どういうことになるでしょうか。それにはまず、このたとえ話を、私たち一人一人が、私の話として聞き、受け取らなければなりません。
善いサマリヤ人のたとえを聞くとき、私たちは自分をどこに重ねるでしょう。この話を倫理的な教えとしてだけ聞くとすれば、私たちはすぐに、サマリヤ人を私たちの生きるべき理想的な姿として受け取ることでしょう。しかし私たちはまず自分を、半殺しにされた旅人に重ね合わせなければなりません。私たち一人一人が、エリコへ下る途中、追いはぎに襲われ、殴られ、半殺しにされ、打ち捨てられた旅人だということです。想像してみてください。あなたの横たわる道を、祭司が、続いてレビ人が通りかかります。二人は、あなたが倒れているその姿をしっかりと認めながらも、関わり合いにはなろうとはせず、通り過ぎて行きました。その後に、今度はサマリヤ人が通りかかります。彼は、あなたの傍に来ると、憐れに思い、手当てをし、宿屋へ連れて行って介抱します。さらには回復に必要なお金を置いて、宿の主人に言うのです、「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」あなたが、私たち一人一人が半殺しにされた旅人であるなら、このサマリヤ人は誰になるでしょうか。皆さんはもう、お分かりだと思います。そう、神です。サマリヤ人は何よりも、私たちに関わられる神ご自身の姿を、私たちに示しているのです。私たちの神は、半殺しにされた私たちに近づき、憐みをもって私たちを見つめ、私たちの傷を手当てし、介抱してくださるのです。半殺しにされた私たちは、意識さえありません。私たちの神はしかし、私たちを揺り動かして、「助かりたいか」と確認することもせず、ただただ、私たちを助けるのです。私たちに助かる価値があるから、また助かりたいと意思表示したからではなく、神は私たちを、神の憐みの心によって、助けられたのです。ここに私たちは、「恵みのみによって」という救いを見ます。私たちのゆえにではなく、神のゆえに、私たちは助けられ、救われるということが、顕かにされています。私たちはこのメッセージを、一人一人、自分のこととして、神が、他の誰でもなく、ただ私のためにしてくださったこととして受け止めなければなりません。「あなたのための」神、「私のための」神として、一人一人が、神に出会わなければなりません。そのようにして出会う私たちはしかし、派遣されて行きます。サマリヤ人である神に出会った者、救われた者として、今度はサマリヤ人として、半殺しにされた旅人に出会い、隣人になるようにと召され、派遣されるのです。神の憐れ、神の愛によって救われ、神に出会っていただいた私たちだからこそ、この世にあってサマリヤ人になることができるのです。そのような私たちだからこそ、倫理的な生き方の指針としてではなく、律法としてではなく、キリスト者として、サマリヤ人を生きられるのです。これが、「イエスだけが答えである」ということではないでしょうか。もし私たちが皆、このような神の憐れみ、思いに触れ、気付き、サマリヤ人として生きることができれば、もっといい世界が実現されていていいはずです。皆さんは、どう思われるでしょう。…問題はしかし、実際には、悲しい出来事がなくなるような気配はないということです。そしてこれが、私が「イエスだけが答え」でありつつも、「同時に疑問であり、謎である」と考えさせられる理由です。私たちはなぜかこの、「イエスだけ」がということが分からないのです。どうしてなのでしょうか。それはこの「イエスだけ」が、「キリスト」を、それも「十字架のキリスト」を意味するからではないかと思います。
十字架とはいったい、何でしょうか。十字架とは、一つには、人間の理性の目にあって、神が不在であるということです。マルコによる福音書によれば、十字架に架けられたイエスは、神に見捨てられた不敬の輩です。人々は十字架のイエスを見て、神に見捨てられ死んだのだと思いました。イエス自身十字架の上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫び、その苦しみのうちに息を引き取りました。十字架は、人間が理性の目で見たとき、神は私を見捨てられた、神は私のためにはここにおられないということを意味するのです。しかし十字架はそれだけではありません。実に、この不在のうちに、神があなたのために、私のために、今ここにおられるということを顕かにします。異邦人であったローマの百人隊長が十字架の傍らでイエスを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言ったように、理性を超えたところで、十字架の啓示は顕かにされるからです。キリストと出会うからです。人間の理性の目で見たときに神が不在である場所において、たとえ神を感じることができなかったとしても、神は今間違いなく、あなたのためにここにおられるということこそ、十字架だということです。これが、私たちの神がキリストであり、それも十字架のキリストであるということなのではないでしょうか。このことを、善いサマリヤ人のたとえで考えてみると、どうなるでしょうか。
善いサマリヤ人のたとえの鍵となるのは、「サマリヤ人」が「サマリヤ人」であるということです。ややこしく聞こえますが、それは、半殺しにされて打ち捨てられた私たちを救ったのは、祭司でもレビ人でもなく、ユダヤ人と敵対するサマリヤ人であったということです。サマリヤ人たちは、その先祖は本来ユダヤ人たちと同族であったイスラエル人たちであり、同じ神を信じ、同じ神を礼拝する、最も近しい者たちでした。しかし、イエスの時代には、ユダヤ人たちはサマリヤ人たちを神に見捨てられた、けがらわしい存在として、また憎しみの対象として理解していました。サマリヤ人は実に、ユダヤ人たちにとっては神の不在そのものだったわけです。しかし、まさにその不在において、つまりサマリヤ人として、神はあなたのために来られ、あなたに出会い、あなたを救われたのだ、イエスはそう言います。理性の目で見れば、神は祭司として、またレビ人としてあなたに現れ、あなたを救うべきでした。彼らが神に仕える者であり、神に近しい者だからです。しかし私たちの神は、キリスト・イエスとして、それも十字架において、私たちにご自身を顕かにします。つまり、サマリヤ人として私たちに現れ、サマリヤ人として、私たちに出会われるということです。神が共におられるはずのない者を通して、私たちに出会われるのです。私たちはイエスに質問した律法学者と共に、このサマリヤ人である神に、十字架のキリストに出会っていることに気付かなければなりません。そしてその私たちは、神に出会った者として、サマリヤ人として派遣されます。半殺しにされ、打ち捨てられた旅人であるユダヤ人へと、つまり今度はサマリヤ人の立場から見れば、敵であり、憎むべき存在であり、神の不在であるユダヤ人へと派遣されるのです。この敵の隣人になるようにと、派遣されるのです。これもまた、十字架のキリストとの出会いです。森優先生は、その著書『聖書研究の手引き』の中で、サマリヤ人として遣わされた私たちは、半殺しにされ、打ち捨てられた旅人こそ、イエス・キリストであるということに気付くのであると言います。そしてそれは、私たちが隣人となるように召されているのは、私たちがすでに愛する者、憧れ、親しくしたいと思う者―理性の目で見れば神の臨在を意味するような人たちへではなく、むしろ、私たちが嫌い、憎み、また無視し、関わり合いたくないとする者―理性の目で見れば神の不在を意味するような人たちへであるということを意味するのです。
十字架において神は、神でありながら、神に見捨てられる経験をします。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という叫びのうちに、私たちのために死なれました。それは、私たち人間の経験する苦しみを経験されたということです。上から同情したのではなく、私たち一人一人の抱える苦しみを文字通り、共に苦しまれたのです。これが、神の憐れみです。私たちは、この十字架という神不在のうちに私のため、あなたのために今ここにおられる神、キリストに出会います。出会っています。たとえ神を遠くにしか感じられないとしても、神をまったく感じることができないとしても、間違いなく、神は私のために、今ここにおられるのだと、十字架はそう約束しているからです。神の憐れみは、私たちの感情や感覚よりも強く、信頼される、確かなものである、十字架はそう約束しているのです。そのような憐みを受けた私たちは、そのような憐みを受けた私たちだからこそ、私たちの理性の目には「敵」にしか映らない人へと―それはもしかしたら、親であり、子であり、兄弟姉妹であり、友人であり、教会の仲間であり、見ず知らずの他人かもしれません―派遣されているのです。なぜなら私たちは、そこに、私のサマリヤ人を通して、私のユダヤ人を通して、間違いなく神が私のためにおられることを、十字架によって知っているからです。そこにおいてこそ、私のためにおられるキリストに出会うことを知っているからです。
「イエスだけが答え」は同時に、「疑問」であり「謎」です。それは、その答えが十字架を通してのみ顕かにされるからです。しかし、まさにその十字架を通してキリストに出会った私たちは、「イエスだけが答え」であることを福音として、善いサマリヤ人のたとえを生きるようにと召され、この世にあってサマリヤ人として、ユダヤ人の旅人の隣人となるようにと遣わされているのです。
人知では、とうてい計り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって、守るように。アーメン。
聖霊降臨後第七主日礼拝説教 「従順〜服従の第一歩」 大柴 譲治
詩編121、ルカによる福音書9:51-62
<はじめに>
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。
<本日の主題詩編:121編>
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。」
毎週の主日礼拝には主題詩編が一つ定められています。教会手帳を見ますとその日の「主日聖書日課(ペリコーペ)」や「主日の祈り」と共に「讃美唱」が一つ選ばれていますが、讃美唱がその日の主題詩編なのです。本日の主題詩編は121編。今お読みした詩編です。詩編120-134編の15編は「巡礼の歌」と呼ばれ、121編も「都に上る歌」(都詣での歌)の一つです。ユダヤ人は過ぎ越しの祭りなどでエルサレムに巡礼する際に、巡礼団はこれらの詩編を歌いながら歩を進めてゆきました。この詩編121編は神への信頼を歌った詩編としてよく知られているものです。
皆さんの中には山登りがお好きな方々もおられましょう。山々を見上げる時に私たちはその壮大な景色や大自然の美しさに圧倒され感動します。「わたしの助けはどこから来るのか。天地万物を造られた創造主なる神から必ず来るのだ」と詩人は歌います。Lift up my eyes! 「天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す」のです(詩編19:2)。私は静岡で育ちましたから毎日どこかの時点で富士山の姿を探していました。大自然に目を向ける時、私たちはその壮大さの前に自分の小ささ、儚さ、空しさを感じます。しかしそれを造られた全能の創造主がこの小さな私に確かな助けを備えてくださる。私は作者のダイナミックな神への信頼を歌った詩に目を見開かれるような思いがいたします。この121編は「巡礼の歌」の一つと申しましたが、「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ」と言った時の「山々」とは「シオン」(エルサレム地方)の山々(丘)が意味されています。
<主ご自身の「覚悟」> 本日の福音書の日課には、新共同訳聖書では「弟子の覚悟」という小見出しがついていますが、むしろそこでは、十字架への歩みを決然として踏み出し始められた「主イエス・キリストご自身の覚悟」が強調されているように思われます。主がエルサレムに向かって十字架へと歩み出された。それは父なる神の御心への徹底した「従順」であり、「服従」でありました。「目を上げて、わたしは(シオンの)山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。」と歌う詩編121編は、「神の都」と呼ばれたエルサレムのゴルゴダの丘に目を向けて、そこに向かってまっすぐに歩み始められたキリストご自身の祈りであり、思いでもあったのでしょう。
<「新しいエクソドス(出エジプト)」>
本日の福音書はこう始まっています。「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」(ルカ9:51)。「天に上げられる時期」というのは「昇天」のことであり、主が「自分の地上での日々がいよいよ終わりに近づいている」ということを意識されたということです。「イエスはエルサレムに向かう決意を固められた」という表現では、「顏をしっかりと(ある方向に)据えて固定する/定める/向ける」という言葉が用いられています。まっすぐエルサレムに向かって顏を見据え、そこに向かって一直線に歩む主イエスの姿勢が強調されています。ペトロのキリスト告白、受難予告、山上の変貌と進む中で、主イエスが十字架への覚悟を決めて、それに顔を向けての具体的な歩みを決然と踏み出し始められたのです。
山上の変貌の出来事の中で主は、律法を代表するモーセと預言者を代表するエリヤと共に「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期のこと(エクソドス)」をまばゆく輝く栄光の姿の中で話し合われました(9:31)。この「エクソドス」という語はルカだけが記録している言葉ですが、「エクス・ホドス」=「出てゆくための道」という語で「突破口」「脱出路」を意味します。Exodusという言葉に即『出エジプト記』を想起される方もおられましょう。それは英語聖書ではExodus(脱出路)と呼ばれているからです。ルカは、モーセとエリヤとイエスが「最期のこと(エクソドス)」を話し合うという表現で、エルサレムでの十字架の出来事が私たちにとっての「新しい出エジプト」であり、永遠の生命への突破口であり、脱出路であることをはっきりと明示しているのです。
サマリア人の村で歓迎されないという出来事が続いて起こります。それは、ガリラヤからユダヤのエルサレムに「一直線」に向かう途上で起こった出来事でした。ユダヤ人とサマリア人は近親憎悪のような、なかなか難しい関係にありました。彼らはもともと同族でしたが、サマリア人はイスラエルの北王国が紀元前722年にアッシリアに滅ぼされた後にその地方の民族と混血し、宗教的にも民族的にも文化的にもその土地の影響を受けた人々でした。通常ユダヤ人たちはガリラヤからエルサレムに向かう時、サマリア地方を通ることは避けていたようです。いったんヨルダン川の東側に渡って南にくだっていたのです。
イエスさまはガリラヤ地方を「まっすぐに」通ってエルサレムを目指されました。それはエルサレムで起こる十字架の出来事が、ユダヤ人のみならずサマリア人を含め、すべての人の救いのためであったということを表しているのかもしれません。詩編121編の通り、主はまっすぐにシオンの山々に向かって目を上げておられます。「わが助けは神から来る。天地を造られた主のもとから」なのです。
<「弟子たちの『力あるメシア』理解」をいさめた主イエス>
このサマリアでの出来事はまた、弟子たちのメシアについての無理解、誤ったメシア像の投影として読み取ることもできましょう。「弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、『主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか』と言った。イエスは振り向いて二人を戒められた」(9:54-55)。ここでヤコブとヨハネとは、イエスとその一行に対して物質的支援を拒絶するサマリア人を、「神の人」エリヤが天からの火をもってアハズヤ王の部下たちを滅ぼしたように(列王紀下1:10-11)、殺そうとしているのです。それは仇を受けた敵に対して復讐しようとする姿です。
しかしこの部分(55節)には、ある写本とウルガタ(ラテン語訳聖書)を見ると次のような補足が付いています。「そして(イエスは)言われた、あなたがたは霊(プネウマ)の性質を知らないのか。人の子は人の命(プシュケー)を滅ぼすためではなく、救うために来たのだ」。
聖書註解者のウィリアム・バークレーは、このイエスの「寛容」に関して次のようなリンカーンの言葉を引いています。「アブラハム・リンカーンが敵に対して紳士的すぎると批判され、『彼らを抹殺することこそ義務だ』と促された時、彼はその批判に、かの偉大な答えをもって対決した。『友人にしようとしているわたしの敵を、どうして殺すことができようか』。誰かが徹底的に間違っていようとも、その人を、抹殺すべき敵とせず、愛によって回復されるべき迷える友と見なすべきである」(バークレー新約注解ルカ福音書、p146)。
弟子たちがイエス・キリストに期待していたのは、敵を武力を持って蹴散らす「力あるメシア像」だったのです。天からの火で敵を滅ぼした神の人エリヤのようなメシア像です。しかし神が派遣したのは、無力なまま裏切られ、見捨てられ、十字架で殺されるメシアでした。力による支配を貫く軍馬に乗った「力強いメシア」ではなく、愛による支配を求めるロバの子に乗った「柔和なメシア」が、今やエルサレムに向かって顏を向け、「最期のこと」「新しい出エジプト」(エクソドス)を遂げるために進み出しているのです。神のなさることは人の目には実に不思議に見えます。神は十字架の上に死んだ御子イエスを三日目に死人の中から甦らされた。死のただ中に復活の命が与えられ、絶望の暗黒の中に希望の光が与えられたのです。新しいExodusです。シオンの山々に目をあげ、天地を造られた神の御心に従順に、服従の第一歩を踏み出された主イエス・キリスト。私たちの救いはこのお方から来るのです。
<自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、キリストに従う>
神と等しい身分であられたキリストが、自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられたのです。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで「従順」でした(フィリピ2章)。主は言われました。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(9:23)。「自分を捨て、自分の十字架を背負って主に従う」とは、そのような御子ご自身の、神の御心に徹底して服従された「自己無化、へりくだり、従順」にならうということです。シオンの山々に向かって目を上げて、まっすぐに神の平和の都エルサレムを目指した主イエス。その玉座はゴルゴダの丘に立つ十字架であり、その冠は茨の冠であり、王なるキリストを迎えたのは侮蔑と嘲笑とにまみれた讃美でした。このキリストの従順、服従が私たちに救いの突破口(エクソドス)を開いてくれた。私たちの服従の第一歩は、それぞれの生活の持ち場において、このキリストに従って踏み出すことです。キリストにまねび、キリストにならいて、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、キリストに従うことです。私たちは本日、み言葉を通して、主が私たちによびかけてくださっておられ、その御声にどう服従してゆくかという、私たち自身の「主に服従する覚悟」を問われているのだと思います。
最初に向こう側から私たちに向かって一つの声が発せられます。「わたしに従って来なさい」という主の呼びかけの声が。その声に私たちは服従してゆくのです。その従順の第一歩が私たち一人ひとりに求められている。私たち自身も、それぞれの持ち場で、具体的に、主のみ声に聴き従ってまいりたいと思います。
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。」
新しい一週間の上にも主が共にいまして、お一人おひとりを守り導いてくださいますようお祈りいたします。アーメン。
<おわりの祝福>
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。
(2013年7月14日主日礼拝説教)
主の昇天主日礼拝説教 「昇天の主の祝福に生かされて」
使徒言行録1:1-11、ルカによる福音書24:44-53 大柴 譲治
<昇天の主の祝福の姿>
本日の日課には二箇所「心の目を開いて」という言葉が出て来ます(エフェソ1:18、ルカ24:45)。復活の主が私たちの心の目を開いて下さり、御言を深く悟らせて下さいますように祈ります。
さて、主は復活後40日に渡って弟子たちにご自身を示されました。そして弟子たちの見ている前で天に挙げられたという「昇天」の出来事をルカは記録しています(ルカ福音書と使徒言行録)。本日は主の昇天主日。次週はペンテコステ(聖霊降臨日)。昇天の意味について御言に聴いてゆきたいと思います。
そこで質問です。皆さん、教会学校の生徒になったつもりでお考えください。◎問い:昇天された主は天で何をされておられるでしょうか(ヒントは本日の福音書の日課です)。◎答え:主は手を上げて祝福をする姿で天に挙げられました。今も主は天において私たちを祝福しておられるのです(ルカ24:50-51)。
主日礼拝の最後には毎週牧師が両手を挙げて民数記6:24−26に出てくる「アロンの祝福」と呼ばれる「祝祷」をいたしますが、ちょうどその姿と同じです。「主があなたを祝福し、あなたを守られます。主がみ顔を持ってあなたを照らし、あなたを恵まれます。主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜ります。父と子と聖霊の御名によって。アーメン」。
ある註解者たちは、昇天の主がここで、この「アロンの祝福」を用いて弟子たちを祝福されたに違いないと考えています。私たちが「礼拝」に参与するということは、この「昇天の主の祝福に与る」ということでもありましょう。 キリストこそ私たちにとっての「祝福の源」であり「基」です。この「神の」祝福はどのような困難な状況の中でも私たちから決して奪い去られることはない「祝福」なのです。神はどのような時にも私たちの傍らにあって私たちを離れず、私たちと共にいましたもう「インマヌエルの神」「我らと共におられる神」だからです。
思い起こせば、アブラハムが神の召し出しを受けた時に、神はアブラハムを「祝福の基とする」(口語訳)、「祝福の源とする」(新共同訳)と宣言されました。アブラハムがまだアブラムと呼ばれていた時のことです。「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。』アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった」(創世記12:1-4)。
神はアブラハムに対して繰り返し、「あなたの子孫は海の砂、空の星のようになり、あなたを通して祝福される」と宣言しています。民数記の中では「アロンの祝祷」は「祭司」に与えられた務めでしたが、宗教改革者マルティン・ルターが語った「万人祭司」つまり「全信徒は隣人に対して祭司としての役割を持っている」というところから見てみますと、私たち全キリスト者がこの「祝福の務め」に召し出されていると申し上げることができましょう。私たちはこの神の祝福をこの世界に伝えるという大切な務めのために召し出されているのです。思えば主ご自身も山上の説教を祝福の言葉で始めておられました。「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである。その人たちは満たされる」と(マタイ5:3-6)。「おめでとう!心貧しき人々よ。天の国はあなたたちのものである」と神の祝福を宣言しておられるのです。
主はこのような神の祝福に私たちを招くためにこの地上に降り立って下さいました。そして今も天にあって私たちを祝福して下さっています。私たちは昇天の主の祝福の中に生かされている。この祝福の中で10日後には聖霊降臨が起こり、教会が誕生しています。主はある時「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」と言われました(マルコ13:31)。この昇天の主が与えて下さる「祝福」はたとえどのような出来事が起こったとしても決して揺るぐことのない祝福なのです。
<主の祝福とは何か〜十字架の祝福>
創世記32:23-33には、ペヌエル(「神の顏」の意)という場所で、ヤコブが「イスラエル」という新しい名を与えられた出来事が記されています。そこでは「イスラエル」とは「神と人々と闘って、最後には勝利する」という意味の名前であると説明されます。この名前には私たちの人生が、最初から最後まで、苦しみや悲しみに満ちた「試練との格闘の人生」であるということが暗示されているのです。ヤコブはそこでもものつがいを外されるという大きな犠牲を払いました。しかしそれを通してヤコブは神の祝福を勝ち取ってゆくのです。このペヌエルでの出来事は、主キリストが与えてくださった「祝福」と重なり合います。それは私たち「新しい神の民イスラエル」のために、主が十字架の苦難と死を経て獲
得してくださったとても高価な祝福であるという事実を私たちに思い起こさせてくれます。十字架上で主は「エリ、エリ、レマ、サバクタニ!(わが神、わが神、なにゆえにわたしをお見捨てになったのですか)」と叫ばれました。しかし、その苦しみと死によって私たちの罪の現実には突破口が開かれたのです。キリストの復活の勝利によって私たちはその祝福の光に照らされ、光の中に置かれている。そのことは礼拝の最後の祝祷において明かです。今もなお主は、見えない神の御国(天)から私たちを祝福してくださっています。礼拝でアロンの祝福を通して響くキリストの声こそ、私たちが「神の御顔(ペヌエル)」と出会う場所なのです。「主があなたを祝福し、あなたを守られます。主が御顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれます。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を賜ります。父と子と聖霊によって。アーメン」。
<召天された依田早苗姉のご生涯を通して>
先週の火曜日(5/7)、神学校教会時代からのメンバーであった依田早苗さんが、肺ガンのため日立総合病院において天へと召されました。5/17に78歳の誕生日を迎えられるはずでした。依田さんはつい先日の3/31のイースターの礼拝に出席され、また4/17(水)のいとすぎの例会に「皆さんにお別れをしたいから」ということで出席されていました。5/9(木)の夜に日基教団日立教会で行われた告別式に、私はいとすぎのメンバーの和田みどりさんや永吉さん、久埜さん、そして(神学校教会で早苗さんから奏楽者としてのバトンを受け取られた)中山康子さんと共に参列いたしました。お兄さまの堤旭さん御夫妻もご参列されていました。150人ほどがお見えになったでしょうか。告別式後に東京に帰られる中山さんと久埜さんを日立駅にお送りしてから、私たち三人は駅の近くのホテルに一泊して、翌日教会で行われた出棺の祈りと斎場での火葬に立ち会わせていただきました。その後で依田さんの御自宅のお庭を訪問させていただいて帰ってまいりました。主を失ったその広いお庭には、様々な花が咲き誇り、鴬が鳴いていました。
依田早苗さんは今から62年前の1951年10月28日、宗教改革記念主日に神学校教会で青山四郎先生から洗礼を受けられました。当時16歳で、ちょうど自由学園に通っておられた頃のことです。23歳で結婚してからは、ご主人のお仕事の関係で日立に移り住みました。55年前のことです(1958年はちょうどこの教会の礼拝堂が建った年でした)。早苗さんはお母さまの堤茂代姉と共にいとすぎのメンバーとして信仰のご生涯を全うされたことになります。日立はこの場所から160kmほど離れています(新宿から諏訪までが170kmほど)。普段は教団の日立教会の礼拝に「客員」として出席しながら、55年間、この武蔵野教会に通い続けられたことになります。車で外環道や常磐道という高速を通って二時間半ほどかかりましたが、その距離を走りながら改めて、早苗さんにとってこの武蔵野教会とつながり続けたことの意味の大きさを感じさせられました。
2011年の3月11日に起こった東日本大震災の時には日立も大きな被害を受けました。高台にある御自宅もガラスが割れ、庭の大谷石も崩れ、水道や電気が止まって、大きな苦難の時となりました。その中で依田さんはお一人で、持ち前のエネルギーを発揮してすべてを再建されたのです。そしてその年の秋の頃です。腰が痛いということで病院に行ったところ肺に進行ガンが見つかりました。「なぜ自分が!?」という驚きと苦しい思いを持ちながらも、東京日立病院に通院や入院を続け、一年半に渡ってイレッサなどの抗がん剤、放射線の治療を受けることになりました。そのような中で早苗さんは最後までご自身の凛とした生き方を崩すことなく、前を向いて、上を向いて、キリストに従いながら、78年になろうとする信仰者としてのご生涯を全うされたのです。このことを通して私が改めて強く思わされたのは、キリスト者はどのような時にも揺るぐことのない「主の祝福」の中に生かされているということでした。
主は渡される夜、パンを取り、感謝と祝福を捧げて、それを割いて弟子たちに分かち合われました。「これはあなたがたに与えるわたしのからだである」。そしてブドウ酒をも同じようにして弟子達と分かち合われました。「これは、あなたがたの罪の赦しのため流されるわたしの血における新しい契約である」。主イエス・キリストのパンとブドウ酒の祝福をいただいて私たちは生きるのです。たとえどのような場におかれても、その祝福は揺らぐことがありません。それは主キリストが、私たち一人ひとりのために、あの十字架の上で、神と人と闘って勝ち取ってくださった祝福なのですから。
本日の使徒書の日課であるエフェソ書にはパウロの祈りの言葉が記されていました。「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」(エフェソ1:23)。教会は、すべてにおいてすべてを、その愛の祝福で満たしておられる方の、愛に満ち溢れている場なのです。この礼拝から昇天の主の祝福の力をいただいて、神と隣人に仕えるために、それぞれの日々の持ち場に帰ってまいりましょう。私たちキリスト者は、天の祝福に生きる者であり、アブラハムの子孫として、「祝福の基/源」としてこの天の祝福を人々と分かち合う使命に召されているのですから。
お一人おひとりの上に主の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。 アーメン。
<おわりの祝福>
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。
(2013年5月12日主の昇天主日礼拝説教)
「 三本の十字架 」伊藤節彦
ゼカ9:9~10、フィリ2:6~11、ルカ23:32~43
『23:32 ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。33 「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。
34 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。35 民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」36 兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、37 言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」38 イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。39 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」40 すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。41 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」42 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。43 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。』
私達の父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、
皆様お一人お一人の上にありますように。アーメン
○ ○ ○ ○
主のご受難を心に刻み直す期節である四旬節では、「放蕩息子の譬え」や「ぶどう園と農夫の譬え」でお分かりのように、「悔い改め」を一貫したテーマとして取り上げて参りました。そして今日の受難主日を、武蔵野教会の皆様と何を分かち合おうかと考えました際に与えられましたのが、正に死の直前で行われた悔い改めの出来事、主イエスが十字架上で語られた七つの言葉の一つである、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」というみ言葉でありました。ですから今日はこのみ言葉を中心に、ご一緒に福音を聴いて参りたい、そう願っています。私たちは主イエスの十字架を思う時、ただ一本の十字架だけを思い浮かべないでしょうか。しかし、主イエスは十字架につけられた時、お一人ではありませんでした。二人の犯罪人も一緒にいたのです。そして、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」というお言葉は、そのうちの一人に対して語られたものでした。主ご自身だけでなく、この二人の男達にとっても死は目前に迫っていました。確実に死に至るその途上で、主は十字架を対話の場として下さった。このことは、私たちが心に刻むほどに覚えておいてよい祝福であります。この言葉を記しているのはルカだけです。ルカはこの祝福を私たち読者に伝えたくて、マタイもマルコも記さなかった十字架上での対話を詳しく書き残してくれたのだと思うのです。
ある説教者は、主イエスが真ん中に、そして左右に一本ずつ立てられたこの三本の十字架、ここに最初の教会が誕生したと語っています。私はこの言葉を読んだ時に最初「えっ?」と思いました。教会の誕生は主イエスが復活したその後の聖霊降臨日ではないだろうか。もしくは、もっと遡るのであれば、十二人の弟子たちを呼び集められた時に教会の基が作られたのではないか、そう考えていたからです。ですから、弟子たちを差し置いて、まさかこの犯罪人達が教会の最初のメンバーだとは全く思いもよらない発想だったのです。
しかし、この説教者は、主イエスとともに十字架につけられ、死につつある犯罪人たちの姿の中に最初の教会の姿が見えると語るのです。その理由は、この罪人たちは十字架に釘付けされている。ペトロ達のように逃げるわけにはいかない。自分たちから主イエスとのつながりを捨てることが出来ない場所に置かれている。しかも主と共有しているのは十字架に他ならない。そこに教会の特質が見えるというのです。死に直面して、イエスと結びつけられている罪人の群れ。ここに教会があるというのです。
そういう意味で、まさに死ぬ瞬間において、主イエスと対話することが出来たこの男のこと、また、死ぬ瞬間においてこの男を生かした主のお言葉を思い起こすことは、私たちキリスト者にとっての最大の慰めではないでしょうか。
いや、思い起こすだけでない。教会とは礼拝において、この主イエスとの対話を常に新しく繰り返すことによって、希望を失うことなく力を与えられてきたのであります。
○ ○ ○ ○
ところで、先ほど読んで頂いた福音書には、三度、主イエスが嘲られたことが記されています。最初は民衆と議員達によるもの。次にローマの兵士たち、最後が十字架に共につけられた罪人の一人が語ったものでした。彼らが異口同音に語ったのは「メシアならば、自分を救ってみよ」という言葉でした。しかし、最後の罪人だけは少し違いました。この男は共に十字架につけられながら「自分自身と我々をも救ってみよ」と罵ったのであります。
十字架上の主イエスを罵る。それは信仰もない犯罪人だから出来ることで、私たちキリスト者と関係はない。もしかしたら、そのように私たちは考えていないでしょうか?
しかし本当にそうだろうか。案外、私たちはこの男と近いのではないでしょうか。私たちは、自分が困難の中に置かれた時、主イエスに向かって、今こそ御力を発揮して下さい、あなたが救い主であることをお示し下さい。そして私のこの困難を取り去って下さい、そう祈りはしないでしょうか。
また私たちは、自分一人の心の問題だけでなく、現代の様々な課題である、戦争、無差別殺人、原子力、大規模災害といった深刻な神義論を引き起こさざるを得ない時代を生きています。神義論とは、もし神が正しいお方ならばこのようなことは起きない、と人間が神を裁き糾弾する問いであります。この議論は「もし神が本当にいるならば」という悪魔の囁きが私たちの心の不安を煽るように生まれてきます。
主を罵ったこの男と同じように、私たちも主イエスに訴えているのではないでしょうか。なぜ、あなたはそれほど無力なのですか。どうしていつまでも黙っておられるのですか。どうしてこの世の悪をあなたは見過ごしにされているのですか。あなたが本当に私たちにとっての救い主なのでしたら早く私たちの所へ来て下さい。そして私たちに幸いと平安を、あなたが約束された救いをお与え下さいと。罵らなくても、私たちはそのような思いで日々を生きているのではないでしょうか。
しかし、聖書はそのような問いに対して、悪、苦難、試練を取り除くという奇跡においてではなく、ただ神の子の十字架だけを指し示すのです。それが、聖金曜日の出来事なのです。
人間の神義論はイエスの十字架の中に神を見いだすことが出来ませんでした。しかし、復活という出来事において確かに神様はその中に働いておられたのです。この復活の光に出会うためには、私たちは全き闇に覆われた土曜日を過ごさなければなりません。そしてルターはそれを「信仰の闇」と呼びました。
○ ○ ○ ○
イエスを罵ったこの罪人と私たちはどこが違っているのでしょうか。それは、この男が主イエスに呼びかけていながら、しかし彼はなお絶望のどん底にいるということです。主イエスに期待しているようで全く期待していない。主イエスにさえ絶望してしまっているということです。救い主の傍らにいながら、救いを見ることが出来ない、信じることが出来ない闇の中にいるのです。
ところで、この男の言葉に応えたのは、主イエスではなく、もう一人の罪人の仲間でした。40~41節には「すると、もう一人の方がたしなめた。『お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない』」。
一人には見えていて、もう一人には見えていなかったこと。
それは主イエスの十字架の前で、自分の罪に気づいた者とそうでない者の違いです。「この方は何も悪いことをしていない」という箇所は、「この方は本来おられる場所でない所におられる」と訳せる文章です。ですから言い換えるならば、この罪人は次のように語ったのです。「私たちは自分たちの罪の故に本来いるべき場所に今立っている。しかしこのお方は本来おられる場所でない所におられる」、と。
使徒書日課で読まれたフィリピ書2:6~8には、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」という讃美の言葉が述べられていましたが、その讃美の言葉が、既にここで響いている。私たちも主の十字架の御許で聴くことが出来るといってよいのです。
私は冒頭で、「主イエスは十字架につけられた時、お一人ではありませんでした。二人の犯罪人も一緒にいたのです」と述べました。しかし、正確には「二人の犯罪人が十字架につけられた時、主イエスも共に十字架につけられて下さった」のです。
更に驚くべきことに、この罪人は42節で次のように語るのです。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」。この箇所は次のようにも訳せます。「イエスよ、あなたが王としての権威をもって再び来られる時、もしできるならば私のことを思い出して下さい」。
この男は目が開かれたのです。自分が裁かれているのはユダヤやローマの権力によってではない。今、神の裁きを受けているのだということを。そして、この裁きはここで、死によって終わるものではないことをも、彼は知らされたのです。あなたこそ真実の王であられる。そしてその権威は死に対しても変わることはない、死さえも支配される王なのだと。その時に、自分のようなものは滅びにしか値しないことは分かっている。しかし尚、私はただあなたの憐れみにのみすがって願わざるを得ない。どうぞ私を思い出して下さい。そう願う希望を、死を突き抜けて再び命の主が来られるという復活の希望を、この男は持つことが出来たのであります。
ある人は、「信仰とは死に直面して死を受け入れることが出来るかどうか」であると語りました。死を受け入れるとはどういうことか、それは死を越えたところに救いが見えるかどうかということです。私たちの願いも、突き詰めればこの祈りに結実しなければならないのです。私たちはどこかで、この犯罪人とは違うと考えるかも知れません。しかし、神の御前においては何の違いもない。私たちが神の御前に願えることは、神の乞食として憐れみをただ願うことだけであります。
○ ○ ○ ○
そして、いよいよ私たちは43節のみ言葉を聴くのです。
「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」。「はっきり言っておく」と訳されているのは原語では「アーメン」です。主イエスが大切な真理を告げる時に用いられる言葉です。ここで主イエスは大切な真理を語ろうとされている。それは正に死ぬ直前の、人生でこれ以上にないほどの苦しみと暗さの中で語られる命の言葉であります。
しかし、このみ言葉は最後の最後に悔い改めをすることが出来たこの一方の男だけに語られた言葉なのでしょうか? そうだとするならば、この男の悔い改めこそが、主イエスのみ言葉を引き出したのでしょうか?
そうではないのです。34節で主イエスが語られた、「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです」という祈りは、主に憐れみを請うた男と、主を罵った男の両方を包んでいます。言うなれば、この二人の犯罪人の姿は、救いを拒みつつ、救いを求めようとする、私たちの中にあるアンヴィバレントな二面性を象徴しているのかもしれません。
罵った方の男は主イエスに「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみよ」と語りました。この男は半ば自暴自棄でありました。自分の過去を振り返りながら、取り返しのつかない罪の中を歩き続けた自分にほとほと愛想が尽きていたことでしょう。しかし、そのような自分になお愛想を尽かさない方がおられるのです。おられるべきでないその場所に一緒に立って下さるお方がいるのです。
この十字架の上での対話の中に、教会の救いが、そして私たちの救いが示されている。そして主イエスはその救いの出来事は「今日」起きるのだと語るのです。遠い将来のことでも死後のことでもなく、み言葉に信頼する「今、ここで」起きる神の出来事だと語るのです。
私たちは誰もが逃れることの出来ない死への道を歩むものであります。しかし、そのような私たちに、み言葉は死を越えた命が、来るべき主のご支配が確かであるという約束と平安を与えて下さるのです。
私たちがどのような困難や苦しみの中にあっても、神様を呪うような言葉を吐いてさえも、しかし、その私の傍らに主イエスは共にいて下さるのです。「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」。このお方こそ私たちの救い主、インマヌエルの主なのであります。
○ ○ ○ ○
人知ではとうてい測り知ることの出来ない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
2013/03/24 むさしのルーテル教会 棕櫚主日礼拝
「人はパンだけで生きるものではない」 大柴 譲治
ルカによる福音書4:1-13
さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、(2)四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。(3)そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」(4)イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。
<はじめに>
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。
<「人はパンだけで生きるものではない」>
「人はパンだけで生きるものではない」。これは私たちの心に深い余韻を残す言葉です。先週の聖灰水曜日から四旬節・レントが始まりました。この言葉を心に豊かに響かせながら、それは日曜日を除く40日の期間、主が十字架への道を踏み出し始めたことを覚えて過ごしたいと思います。
「人はパンだけで生きるものではない」。これは申命記の8:3からの言葉です。旧約聖書の最初の五つの書物は長くモーセが書いたと信じられてきたために「モーセ五書」と呼ばれてきました。特に五番目の申命記はモーセの「遺言説教」が記されている書物です。そこにはモアブの荒野においてモーセが死を前にしてイスラエルの民に語った三つの告別説教が記されています。①第一説教(1-4章):40年にわたる荒れ野の旅を回想して神への忠実を説く。②第二説教(5-26章):中心部分をなしていて、前半の5章から11章では十戒が繰り返し教えられ、後半の12章から26章では律法が与えられている。③第三説教(27-30章):神と律法への従順、神とイスラエルの契約の確認、従順な者への報いと不従順な者への罰が言及される。④説教後にモーセは来るべき自らの死への準備をし、ヨシュアを後継者として任命する。その後、補遺部分が続く(32-34章)。ⓐ32:1-47は、『モーセの歌』。ⓑ33章では、モーセがイスラエルの各部族に祝福を与える。ⓒ32:48-52および34章では、モーセの死と埋葬が描かれてモーセ五書の幕が閉じられる。
「申命記」はヘブル語では「ダバリーム」と呼ばれます。「ダバリーム」とは「言葉」を意味するヘブル語「ダーバル」の複数形です。モーセを通して語られた神の言葉という意味です。英語では「Deuteronomy(第二の律法)」と呼ばれます。これは旧約聖書のギリシャ語訳である70人訳聖書から来ていて、申命記17:18にある「律法の写し」という語が「第二の律法」と誤訳されたことに由来します。日本語訳の「申命記」とは漢語訳聖書から取られた呼び方で、「繰り返し(重ねて)命じる」という意味の漢語です。
申命記8章には次のようにあります(1-6節)。「(1)今日、わたしが命じる戒めをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたたちは命を得、その数は増え、主が先祖に誓われた土地に入って、それを取ることができる。(2)あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。(3)主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。(4)この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。(5)あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。(6)あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい」。ここで申命記8:3にあるように、人はパンだけで生きるのではなく、人は「主なる神」の口から出るすべての言葉によって生きることを、苦しみと飢えとマナとを通して、神は私たちに知らせてくださるのです。
<「命のパン」「マナ」としてのキリスト>
『人はパンだけで生きるものではない』。ルカ福音書はこの一言だけを主イエスに語らせています。マタイ福音書は「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(4:4)とより正確に申命記8:3の言葉を引用しているのですが、マタイ福音書が記録している後半部分を、ルカは沈黙の中に響かせていると申し上げることができましょう。人間が神のかたちに造られており、神から与えられる「命のパン」マナによって生かされることを出エジプト後の荒野の40年はイスラエルの民に教えたのです。「神のみ言葉ダバリームこそが命のパンだ」と言うのです。飢え渇きの中で神を忘れて生きるのではなく、飢え渇きの中でこそ荒野の40年を思い起こし、「神」との生き生きとした関係に生きることが求められている。御言こそが私たちを本当の意味で生かす日毎のパンなのです。「われらの日毎の糧を今日も与えたまえ」と主の祈りで私たちは祈りますが、神が私たちを日ごとのパンである
マナをもって毎日新たに生かしてくださるのです。
<大阪での二つの葬儀に参列して>
私は2/8(金)に大阪教会で行われた小泉潤先生の告別式に賀来先生や中山康子さん等と参加してきました。小泉先生は2/5(火)にご家族が看取られる中で胃癌との闘いを終えて78歳のご生涯を閉じて天へと帰って行かれたのです。450人以上の人が集まる、いかにも小泉先生らしいご葬儀でした。自分の葬儀への招待状を小泉先生は自らのお名前で出されるほどでした。お別れの会は三部構成になっていました。第一部は告別礼拝で、長女の道子さんの独唱アメイジンググレイスに始まり、滝田先生の司式、江藤先生の説教で厳かに進められてゆきました。第二部は立野泰博先生の司会によって、小泉先生にゆかりの深い8人の方が思い出を語りました。小中学校の同級生、神学校の同級生だった田中良浩先生、滋賀県の憲法9条の会の代表の方、最後は小泉先生から受洗して牧師になった8人を代表して総会議長の立山忠浩先生(池袋教会)が「この人についてゆけば間違いはないと思わされた」と思い出を語られました。第三部はケイタリングによる食事会、祝宴が準備されていました。そして出棺です。すべてを小泉先生の指示通りに実行してゆかれたご家族も大変であったと思います。小泉先生の最後の言葉は祝祷であったということでしたが、「皆さん、また天国で会いましょう」と先生は笑顔で旅立ってゆかれたのです。
その足で岡山入りし、先週の変容主日には高村敏浩先生が牧する岡山教会で礼拝説教と「たとえ明日世界が終わるとも、今日わたしはリンゴの木を植える」と題して講演をしてきました。ルカ福音書だけに、まばゆい姿に変えられた主イエスが、律法の代表であるモーセと預言者の代表であるエリヤの二人と、「イエスがエルサレムで遂げようとされておられる最期について話していた」とありました(ルカ9:31)。ここで「最期」と訳されている言葉は「エクソドス」という言葉です。これはルカだけが主の山上での変容の出来事を記録する中で使っている言葉ですが、それは「エクス(外へ)」「ホドス(道)」即ち「突破口、脱出路」という言葉です。英語で聖書を読まれる方はexodusと聞くとピンとこられることでしょう。そうです、出エジプトを英語ではエクソドスと呼ぶのです。イエスの十字架が、私たちを罪と死の奴隷状態から解放する新しいエクソドス、出エジプトの出来事であることがそこでは語られていたとルカは言うのです。「塵から出たものは塵に帰ることを覚えよ」と言われていた状況が、主の十字架と復活によって完全に変えられていった。死は終わりではない。墓は終着駅ではない。キリストが十字架の上に復活に至る突破講を開いてくださったのです。
私は岡山からの帰り道、2/11(月)に京都で2/5から入院していた私の従姉妹を見舞って帰ってきました。彼女は一年三ヶ月程前から子宮ガンを患い、治療のために結婚して住んでいた米国ヴァージニア州から単身郷里の大阪へと帰国。免疫療法でずっと頑張ってきたのですが、今年の1/20頃から痛みが激しくなって入院していました。私が見舞った翌日、44年間の生涯を終えて静かに天へと帰ってゆきました。2/13(水)-14(木)に吹田にある日本基督教団の大阪城北教会で葬儀が守られました。2/13は聖灰水曜日でした。私は再度2/14-15と大阪入りし、告別式と火葬に参列いたしました。一週間に二度目の葬儀に参列することになりました。大阪城北教会は私の父が学生時代に洗礼を受けた父の母教会でもあります。従姉妹の家族も皆その教会員でした。告別式では林牧師が故人の真剣な信仰生活に言及してくれました。米国からご主人がかけつけたのですが飛行機の遅れで告別式には間に合わず、出棺を一日延ばして火葬に立ち会うことになりました。通訳も兼ねて私がアテンドしてきた次第です。
二人の信仰者の生と死と葬儀とは私に再度、『人はパンだけで生きるものではない』という事実を明らかにしてくれたように思います。私たちは神の口から出る一つひとつの言葉によって生きる。「神の言ダーバル」こそが私たちの真の意味で「命のパン」「マナ」なのです。パンとブドウ酒を差し出して「取って食べなさい。これはあなたがたのために与えるわたしのからだ。これはあなたがたの罪の赦しのために流すわたしの血における新しい契約」と言ってくださる主イエスこそ、私たちを生かす「生ける神の言」であり「まことのパン」「生命の水」なのです。このキリストを信じ、キリストにすべてを委ね、キリスト・イエスの日に向かって生きる。
この世の旅路は荒野の旅でもあります。不条理な悲しみや苦しみや死に満ちている。神の憐れみなしには生きて行けないほど暗い死の世界です。しかしその闇の中に降り立ってくださったお方がいる。このお方は、私たちをこの死の闇から救い出す「突破口(エクソドス)」になるために十字架の苦難をその身に引き受けてくださったお方です。このお方を仰ぎ見ながら、このお方に従って、私たちはこの40日間を歩んでまいりたいと思います。お一人おひとりの上に神さまの守りと導きとが豊かにありますようお祈りいたします。アーメン。
<おわりの祝福>
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。
(2013年2月17日四旬節第一主日礼拝説教)
「神は走り寄る」 永吉 穂高牧師
ルカ15:11-32
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン
先月から、私たちは四旬節の時を過ごしています。四旬節とは、灰の水曜日(今年は2月13日)から、主日の礼拝を除いた復活祭(イースター)までの40日間を表します。この期間に、ある人は「私はお酒を飲まない」と決心し、またある人は「私は甘いものを控えるわ」と、それぞれ普段の生活で楽しみとしているものを我慢する試みをします。たとえ小さな決心だとしても、主イエスが歩まれた苦しみを他人事とせず、自分の生活と結び付けて追体験するために我慢するのです。
この40日間は、主イエスが荒れ野で断食し、神から離れるよう誘惑を受けた日々と重ねられており、それと同時に、主イエスの生涯のクライマックス、伝道の旅の終わりに待ち受ける十字架の出来事を思い起こす時でもあります。クリスマスやペンテコステなど、教会の行事は幾つもありますが、私たちキリスト者にとって最も大切な記念の時は、この四旬節と復活祭であるイースターです。私たちが毎週の主日礼拝で与えられる福音は、このイエス・キリストの苦しみと十字架での死、そして復活があったからこそ輝き、私たちを力づけ支える力となるのです。
本日、私たちへと与えられた御言葉は、教会では有名な「放蕩息子」の物語です。十字架への道のりで苦しみを受けられた主イエスの歩みを思い起こしている今、主イエスは、主人と二人の息子の物語を通して、神の愛とはどのようなものであるのかを、私たちへと教えておられます。ご一緒に福音から聴いてまいりましょう。
皆さまはそれぞれに、これまでの人生で取り返しのできない失敗をしたことがお有りでしょうか。良かれと思って行ったこと、自分自身が正しいと思って行ったこと、また、欲に負けて行ってしまったことなど、その結果、自分自身で処理できる問題であれば良いですが、もし大切な人に深い傷を負わせてしまったならば・・・、これほど恐ろしいことはありません。肉体的な傷はもちろん、心に傷をつけてしまった場合も、痛みはなくなったとしてもその傷は残り続けます。一度崩れてしまった関係が修復されることは難しいことを、私たちは知っています。「そんなはずじゃなかった。あの時はおかしかった」。そのような言葉は空しく、喉の奥に引っかかったまま、飲み込むほかありません。しかしながら、気をつけていても、生きている限り誰しもがそのような状況に陥ってしまうのです。
「つまづきは避けられない」との主イエスの御言葉を思い起こします。
その意味でも、主イエスが語る「放蕩息子」の物語は、実感を伴って響いてきます。
父とその二人の息子。父は主なる神であり、息子とは私たち人間のことを指しています。
ある時、二人の息子の内、弟が父へと財産の分け前をねだりました。そこで、父は兄と弟へと半分ずつ財産を手渡します。弟はすべての財産をお金に代えて遠い国に旅立ち、放蕩の限りを尽くして財産を使い果たしました。ところが、その地方に飢饉が来たとき、彼は誰にも助けてもらえなくなったのです。お金によって繋がった関係ほど脆いものはありません。ついには、豚の世話をするまでに、生活は苦しくなっていきました。
すべての希望の光が消え失せようとしていたそのとき、弟は父の豊かさを思い出しました。望む前から必要なものは与えられ、これまで生きてくることができたこと。自己中心的な願いにもかかわらず、自分の分の財産を惜しむことなく手渡してくれたこと。すべてを失ったときに、はじめてこれまでどれほど恵まれていたのかを弟は知ったのです。
もはや、生きていくために残された道は一つだけです。彼は、息子と呼ばれる資格がなくとも、父のもとに居たいと願ったのです。
「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」(15:18-19)。
きっと弟は、父から拒否される覚悟もしていたことでしょう。その足取りの重さは想像も及びません。
しかし、弟のいだいていたそれらの思いとは異なり、父はまだ遠く離れていたのに走り寄り、一つの言葉も発する前に彼を強く抱きしめたのです。叱責するどころか跡取りの儀式のように手厚く迎え、その帰りを心から喜びました。
これほどまでに、大切に想われていたにもかかわらず、その父の思いにすら気づけず、むしろその愛を踏みにじりってしまったことを、弟は後悔したことでしょう。
けれども、赦されるだけにとどまらず、再び息子として生きる道が与えられたのです。この父の姿が、「赦してください」という言葉を飲み込み、むしろ痛む心で「雇い人の一人にしてください」と語った息子にとって、どれほどの慰めなったことでしょう。しかも、主人としてではなく、彼の父として心から愛しているという、たった一つの理由のみで、です。
これこそ、私たちへと注がれる父なる神・主なる神の深い愛にほかなりません。
私は、以前大切な人を裏切ってしまったことがあります。信じ続けてくださっていたその方の思いには気づかず、自分の思いだけで行動してしまった結果、その方から深く傷ついた、と告げられたのです。その方は、涙を流しながら「お前は本当に馬鹿だ。なぜ、そんなことをしたのか」と、歯を食いしばって語られました。私はその方の涙を見たときに初めて、取り返しのつかない事をしてしまったのだと気づきました。
「大切な人を失ってしまった。もう赦されないだろう。なぜ、こうなる前に気づけなかったのだろう」。さまざまな思いが浮かんできましたが、もはや事実は消せません。どうすることもできぬまま、その沈黙の中で後悔に身を浸すことしかできませんでした。
しかし、その方はおっしゃいました。「お前は嘘をついたのかもしれない。俺を騙そうとしたのかもしれない。俺には分からない。でも、俺はお前を信じている。信じている。」
私が手渡したのは、裏切りでした。しかし、その方は私を大切に思う気持ちというただ一点において、赦し、信じてくださったのです。そのとき、初めて真に赦されることを知り、号泣しました。その方を通して、神さまの愛と赦しを知らされたのです。
大柴先生は、よく「人の価値はdoingではなくbeingだ」と言われます。何かができるからではなく、私たちの存在そのものに価値があるという意味です。私たちの信じる神さまは、私たちの存在そのものを喜び、愛してくださる方です。だからこそ、負い目や罪をかかえている私たちを見つけ、走り寄ってその御手に抱きとめてくださるのです。それは、決して私たちの側の努力によるものではないのです。
他者に言えない醜い自分というものは、誰しもの心の中に存在するものであろうと思います。それが見えないように、心に鎧をつけたり、仮面を被って生きることもあります。本当の自分はちっぽけで、決して胸を張って自慢できるようなものではないからです。けれども、私たちが隠そうとしている自分の醜さを全てご存知の上で、主は私たちを生かしてくださっています。何か能力があるからでも、誰かの役に立つからでも、地位や名誉があるからでもなく、私たちを愛するがゆえに、一回一回のこの鼓動を打たせ続けておられます。
私たちは知っておきたいのです。弟の戸惑いとは異なり、父は祝宴をひらかれたのだということを。決して、弟自身が頼んだわけではありません。放蕩息子が帰ってきたことは、父自身の大きな喜びだったのです。
私たちが主に見出され、救いが与えられること以上の喜びが、私たちを見つけ出された主御自身にあります。私たちがどう生きているか、何ができるかということにかかわらず、私たちが主と共に歩む者としてここに存在することで、天は喜びに満たされます。たとえ、老いや病によって出来ることが少なくなって行くとしても、主の喜びは決して色あせることはないのです。
父によって赦され、受け入れられ、後悔を拭われた弟は、この後どのように生きたのでしょうか。また、主と出会った私たちの人生は、どのように変化していくのでしょうか。実感した愛は、決して消えることはなく、私たちの人生に輝き続けるのです。
受難節は主の苦しみを思い起こすときです。しかし、その苦しみの奥に示された愛を私たちは知っています。イースターへの歩みの中で、私たちの存在そのものを喜ばれる主の愛に、身をゆだねたいと願います。
望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン
説教「悔い改めよ、あなたは滅びてはならない」 大柴譲治
ルカ福音書13:1-9
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがわたしたちと共にありますように。「神と悪魔が闘っている」
今私たちは教会暦において四旬節(レント)の期間を過ごしています。典礼色は悔い改めの色、悲しみの色、王の色である「紫」。主の十字架への歩みに思いを馳せ、自らを省みて神へと立ち帰る期間です。最近ドキッとした言葉と出会いました。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中の言葉です。「神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ」。
然り!ドストエフスキーは信仰者/文学者として人間の心の闇を徹底的に見つめました。人間の闇の深淵の奥の奥底までもドストエフスキーは見つめてそれを言葉に表現しようとしたのです。なぜか。人間の持つ闇の絶望的な暗さ/深さを明らかにすると共に、同時にその闇の底に届いているキリストの救いの光をも明らかにしたかったのだと思います。神と悪魔とが鬪っている戦場としての人間の心に、私たちを救うために降り立ってくださった方。それが主イエス・キリストであり、その十字架への歩みは悪魔との戦闘を表しています。
神と悪魔の戦いは二週間前、四旬節(レント)の最初に「40日間の荒野の誘惑」で示されていました(ルカ4章冒頭)。主イエスは三度にわたる悪魔の誘惑に対して三度とも申命記の言葉を引用してこれを拒絶しています(「人はパンのみに生くるにあらず」「汝の神たる主を拝し、ただ主のみに仕えよ」)。ルカが記す三度目の誘惑では、悪魔自身が神の言葉を持ち出したことに私はゾッとする思いを持ちました。
「そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。『神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』 また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」(共に詩篇91:11-12からの引用) イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』(申命記6:16)と言われている」とお答えになった。悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。」(ルカ4:9-13)
神の沈黙/不在
私たちは、最近起こったハイチやチリの地震と津波が多くの悲劇をもたらしたことを知っています。そのような中で本日の福音書を読むと、一体神はどこにいて何をしておられるのかという憤りにも似た思いに囚われてしまいます。どうして神はこのような不条理を許しておられるのかと私たちは思うのです。実はまさにそのように思う私たちの思いにおいて、ドストエフスキーの言う「神と悪魔が闘っている。人間の心を戦場として」という言葉が真実みを帯びてくるように思います。悪魔は常に私たちを神から引き離そうと働いているからです。しかしそのような戦場に神ご自身が降り立ってくださった。本日の旧約の日課にある「わが民の叫びを聴けり」「かならずやわれ汝と共にあればなり」「われは有りて在る者」(出3:7、12、14)とはそのような神の、「わたしはどのようなときにもあなたと共にいる」(インマヌエル)という自己宣言なのだと思います。神と等しくあられた主イエス・キリストがその身分に固執することなく、自分を無にして僕の姿を取ってこの地上に降り立たれたのは、悪魔と闘って滅びに至ろうとしている私たちをその翼の陰に包み込むためでありました。キリストは私たちに代わって、私たちのために、悪魔との血みどろの戦いを、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで貫かれたのでした。「悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまででイエスを離れた」とルカ4:13にはありましたが、ルカ22章において悪魔は(今度は「サタン」という名で)十字架の場面でイスカリオテのユダやシモン・ペトロにおいて再び表れます。あるいは血のように汗を流してオリーブ山(マルコとマタイでは「ゲッセマネの園」)で祈られた主イエスの姿の中に、私たちは悪魔との壮絶な戦いの姿を見ることができるのだと思います。主や弟子たちがそうであったように、十字架の出来事は私たちにおいても、私たちの破れや不信仰や裏切りを通して、神と悪魔との壮絶な戦いを浮かび上がらせて行くのです。
私たちの痛む心を麻痺させる悪魔の働き
病気の中には痛みを感じることができない「無痛症」という難病があります。実は「痛み」を感じるということには大切な役割があるのです。「痛み」は私たちに危険が迫っていることを知らせ、何かただ事ならぬことが起こっているということを知らせてくれるのです。痛みを感じなくなるということは致命的な出来事になりかねないのです。例えば、熱いやかんに触れてしまった時などは思わず反射的に手をパッと放します。熱さを痛みとして感じて火傷がひどくならないように瞬間的に身体が動くのです。また、虫歯になると痛いですね。痛みが緊急事態を告げているのです。手遅れにならないように痛みは私たちに治療を要求しているのです。同様に「試練」の痛みは私たちに私たちが神を必要としていること、私たちが神へと向かわなければならないことを示しています。試練の苦しみは私たちを覚醒させてくれるのです。試練の中で本日の使徒書のパウロの言葉が私たちの心に響いてきます。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(1コリント10:13)。この「逃れの道」こそ主が十字架において切り拓いてくださった道です。
悪魔のささやきとは、私たちからそのような痛む心を麻痺させることにあると思います。無感覚、無感動、無関心、無関係、私たちの人間らしい温かい心を冷たく凍らせてゆくのです。
主イエスの十字架の道行きという四旬節(レント)の苦難の歩みを覚えるとき、私たちは今自分の中に感じている痛みに焦点を当てたいと思います。私たちを痛みから解放するために、主はあの十字架にかかってくださいました。主は言われました。「誰でもわたしに従ってきたい者は、自分を捨て、自分の十字架を負ってわたしに従ってきなさい」と。私たちに十字架の痛みを負えと言うのです。悔い改めとは「神への方向転換」、否、それを超えた「主体自体の転換」です。天動説から地動説へのパラダイムシフト(転換)と言ってもよい。私たちは試練の中で、自分中心にすべてが回っているのではなく、神を中心にしてすべてが回っているのだということを認識するのです。パウロが言うように「もはや生くるのは我にあらず。キリスト我のうちにありて生くるなり」なのです(ガラテヤ2:20)。自分の十字架/痛みを担う覚悟を持つことが求められています。
聖餐への招き
本日私たちは聖餐式に招かれています。主は渡される前日、感謝してパンを割き、弟子たちに与えて言われました。「これはあなたがたのために与えるわたしの身体である」。ブドウ酒も同じようにして言われました。「これは罪の赦しのため、あなたがたと多くの人々のために流すわたしの血における新しい契約である。わたしの記念のためこれを行いなさい」と。神と悪魔が私たちの心を戦場として闘っている、まさにその戦場に主イエス・キリストは天から降り立ってくださったのです。私たちをそこから救い出し、私たちを支え、守り、私たちにご自身の勝利を与え、私たちをご自身の復活のいのちに生かすために。「悔い改めよ、神に立ち帰れ!あなたは滅びてはならない」、そう主は告げておられます。「実のならないいちじくの木」のために執り成し、一生懸命世話をして命がけでそこに悔い改めの実をならそうとする園庭こそ、私たちのために十字架に架かってくださった主イエス・キリストご自身です。このキリストの確かな悔い改めへの呼びかけの声を聴き取りながら、そのみあとに従いつつ、ご一緒に聖餐式に与りましょう。「神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ」。その戦場にこそ主の十字架が立っています。
お一人おひとりの上に主の守りと導きがありますようにお祈りいたします。アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2010年3月7日 四旬節第三主日説教)
説教 「復活」 大柴 譲治
ルカ24:1-12
祝イースター!
イースターおめでとうございます!この日は主イエス・キリストが墓からよみがえられたことを記念するお祭りです。 死が克服された日なのです。私たちの最後の敵として死が滅ぼされた。「死は終わりではない。生命の始まりである」ということがキリストにおいて示された。そのことを共に喜び祝いたいと思います。主は私たちに神によって創造された新しい生命を示してくださった。それは単なる蘇生とは違う。ただ死が先送りされたということではないのです。それまでとはまったく違った新しい生命が開始されたということです。「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」とヨハネ黙示録は終わりの日の出来事を告げていますが、復活の生命とはその終わりの日の先取りです。そしてこれは信じるほかにはない事柄でもあります。墓前でのイースター早天祈祷会
私が神学校を卒業して9年間牧師を務めた広島県の福山では、イースターの朝は毎年、キリスト教共同墓苑にある聖徒廟という納骨堂の前で合同早天祈祷会を行いました。それは市内の諸教会が持ち回りで礼拝を担当するというエキュメニカル(教会一致的)な交わりでした。地方では教会がキリスト教のお墓を有するかどうかが重要なポイントとなります。19日には小平にある東教区の共同墓苑で墓前礼拝がもたれますが、これもとても大切なことです。墓とは私たちが死すべき存在であることを最も明確に表す場所であり、また私たちの最も深い悲しみを表す場所でもある。「メメントモリ」(死を覚えよ)という言葉が中世には合い言葉にされていたようですが、墓とは私たちが最も深く「メメントモリ」という事柄を味わう場所でもあります。マルチン・ルターは言いました。「私たちはみな死に定められており、だれも他人にかわって死ぬことはない。各自が自分で死と戦わねばならない。なるほど耳に向かって叫ぶことはできよう。しかし、死の時には、各自が自分できちんとしていなければならない。そのとき私はあなたと一緒にはいないし、あなたも私と一緒にはいない。そこでは、各人が、キリスト者であれば求められる信仰の主要条項を十分に知って、準備ができていなくてはならない」(受難節第一主日遺稿の八つの説教の第一より)。死すべき私たちの前に、復活日の出来事は空っぽの墓を告げています。「見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった」。主の墓は空っぽだったのです。主はここにいまさず!死は確かに「ターミナル」かも知れません。しかし死も墓も終着駅ではないのです。「ターミナル」には終点という意味もありますが、そこで電車を乗り換えて違う目的地に向かってゆくという分岐点という意味があります。末期医療では死にゆく人々へのケアを「ターミナルケア」とも呼びますが、そこには「新しい目的地に向かって方向転換してゆけるようなケア」という意味も含まれています。「ターミナル」とはなかなか味わいのある言葉だと思います。
Y.M.さんのこと
受苦日礼拝でも申し上げましたが、4月3日に天に召されたY.M.姉のご葬儀がこの月曜日(四日前の4月6日)にありました。昨年の6月に黄疸が出たために膵臓ガンが発見され、すぐに黄疸の手術をされたのですが、あと半年のいのちと宣告され、10ヶ月を輝いて生き、死の直前まで礼拝に出席され、ハレルヤコーラスの練習に加わっておられたという姉妹です。2月1日のお誕生日で75歳になられていました。火葬の際に斎場で待っていたときのことです。ご主人はY.M.姉がガンを告知された瞬間にも全く動じることがなかったのに本当に驚いたとおっしゃっておられました。「本当にあれは腹が座った女だった。『私、死んでもいいわ』と即座に言い放ったのだから」。Y.M.さんの実の弟さんもご一緒のテーブルでしたがこういう話をしてくださいました。「姉とは小さい頃から話があってよくいろんな話をしました。哲学や音楽、絵画などの深い話も私たちは意見が一致しました。ただ一つだけ自分と違う点があった。それは姉がいつも『み心のままに』と言っていた点でした。私は信仰を持たないのでそこはよく分からなかったのですが、それでもやはり姉はすごい人だと思いました」と。するとやはり同じテーブルにいたご次男が私に聞きました。「み心のままにとはどういう意味ですか」。「天の父なる神さまの思うとおりにこの身になりますように」という意味ですと私は答えました。私はその話をお聞きしながら、あらためてY.M.さんの信仰の深さに感銘を受けました。「み心のままに」とはイエスご自身が、逮捕される直前に、ゲッセマネの園(オリーブ山)で祈られた言葉でもあります。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」(ルカ22:42)。主はどこまでもみ心の実現を祈り求めたのです。そのことはまた受胎告知の場面でみ使いに対してマリアが語った言葉を想起させます。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:38)。福音書記者ルカは「天の父のみ心に対する信頼とその実現」というものに強調点を置いているようにも思えます。
主のご復活はその信頼に対する神の答えでもあります。キリストの十字架とご復活において罪と死が終わりを迎えた。死は究極的な事柄ではなく、復活こそが究極的な事柄なのです。むさしのだよりの巻頭言に「これが最後です。しかしこれが始まりなのです」というボンヘッファーの最後の言葉を記させていただきましたが、死は終わりではなく、新しい生命の始まりなのです。「主はここにいまさず!」 墓は空っぽなのです。私たちは墓の前で悲しまなくてよい。それは終点ではなく、いわば復活の生命に至る門なのです。「たとい死の陰の谷を歩むとも禍いを恐れません。あなたが私と共におられるからです」と詩篇23編は語っていますが、キリストは私たちの初穂となってくださった。私たちが死の門をくぐるときにも私たちと一緒に主が歩んでくださる。そして主は私たちの死すべき身体を朽ちることのない栄光の身体へと変えてくださるのです。Y.M.姉はこのことを信じたからこそ、「み心のままに」と最後まで主のあわれみに信頼し続けることができたのだと思います。死は終わりではない。生命の始まりなのです。
洗礼式と聖餐式
本日はこの喜びの日に、三人の赤ちゃんたちの洗礼式が行われます。K.A.くん、Y.O.くん、そしてK.Y.くんの三人です。ご両親をはじめご家族の喜びはいかに深いことでしょうか。洗礼を通してイエスさまの子ども、光の子供にしていただくのです。三つのご家族の上に神さまの豊かな祝福がありますよう、この三人のお子さんたちが神さまの豊かな祝福のもとに、神と人とに愛される子供として健やかに成長してゆくことができますようにお祈りいたしたいと思います。本日はまたご一緒に聖餐式に与ります。主は死せる者と生ける者の双方の主であります。この主の食卓をはさんで、目に見えるこちら側には私たち生ける者たちが集いますが、見えない向こう側には、既にこの世の生を終えてゆかれた者たちがこの聖餐式に集っています。Y.M.さんが加わった天上の聖歌隊も共ににぎやかに、主のご復活を祝いつつ、ハレルヤコーラスを歌っているのだと思います。私たちも天の聖徒の群と共に喜び祝いたいと思います。「主はよみがえられた!」と。
お一人お一人の上に復活の主イエス・キリストの豊かな恵み、神の愛、聖霊の交わりがありますように。 アーメン。
説教 「涙による洗足」 大柴 譲治
ルカ福音書 7:36-50
罪人を招くキリスト
本日のエピソードはルカ福音書だけが記している記事です。これは罪人を招くキリストというルカ福音書の主題と重なり合います。本日は、主を食事に招いたシモンと、この女性と、主イエスの三人に目をとめながらみ言葉に聴いてゆきたいと思います。罪の女の罪
彼女が「罪深い女」と呼ばれていることから、彼女の罪は公に知られていたということが分かります。彼女は人々から後ろ指を指されるような存在だった。それにもかかわらず彼女は、「負けるものか」とたくましく、したたかに生きていたのかもしれません。彼女自身はしかし、そのことを心の奥底では深く苦しんでいたということが分かる。「後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」。そこには彼女のこれまで味わってきた深い苦悩のすべてが表現されている。彼女の心の奥底にあった深い孤独、痛み、自己嫌悪、恥、絶望。「こんな女にだれがした」というような運命に対する呪い、あるいは彼女自身を利用してきた男たちの身勝手さに対する怒りもあったかもしれない。あれやこれやでボロボロになり、無感覚、無感動になっていた。彼女は生きていて生きていない、「生ける屍」のような深い悲しみと諦めに満ちた存在であったと言えましょう。シモンの鈍感さ
その家の主人であったファリサイ人シモンは敬意を表すためにイエスを食事に招待します。当時、安息日に巡回伝道者を食事に招くのは一つの功徳でした。彼にはその女の悲しみなどは問題ではなかった。イエスの預言者としての力こそが問題だった。ですから、彼女が勝手に自分の家に上がり込んでくるのを見て、シモンは眉をひそめつつも、「これはイエスの力を知る千載一遇のチャンスが到来した」と考えたに違いない。彼は心の中で「イエスは本当の預言者ではないのではないか」と思っています(39節)。人は他者の悲しみになんと鈍感に、無感覚になりうるものか。シモンには彼女の苦しみは見えていない。彼女の一連の行為に何も感じなかった。彼は「イエスが真の預言者かどうか」という自分の問いにがんじがらめに捉えられていたからです。シモンは確かに信仰熱心であったかもしれない。小さい頃から忠実に律法を守ってきたことでしょう。主のシモンを慈しむような言い方からもそれは感じられます。しかし私たちはここにパウロの言葉を思い起こす。「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」(1コリント13:2)。信仰熱心であるということと愛とをパウロは区別している。しかし信仰は愛から切り離されてはならないのです。愛がなければ一切は無に等しい。換言すれば、愛だけがすべてに真の意味を与えると言ってよい。シモンの信仰には愛が欠けていたと言わなければなりません。
イエスの「共に泣く」愛
しかし「愛」とは何か。1コリント13章に明らかですが、ここではローマ12:15の「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」を引きたいと思います。それは、主イエス・キリストがまさにそのようなお方であったからです。涙による洗足を主は黙って受け入れます。後ろから近づき、涙で足をぬらし、髪でそれをぬぐい、接吻し、香油を塗るという彼女の一連の行為を、主はどのような深い思いで受け止められたことでしょうか。彼女の悲しみをそのまま受け止められた。 そしてこの受容に接して、彼女の中で、一番心の奥深いところで何かが変わりました。何かが砕かれた。悲しみの涙が突如、喜びと感謝の涙へと変えられてゆく。それはイエスとの出会いが彼女に罪の赦しを確信させたからです。キリストの愛が新しく彼女の人生を創造したとも言えましょう。喜びの涙
目を転じて彼女を見つめると、彼女のひたむきさ、真実さは私たちの心を打ちます。彼女は自分自身の罪深さといったものをごまかさず徹底的に見つめている。いや、恐らく彼女はイエスと会うまではそんなつもりはなかった。イエスとの出会いが彼女を変えたのです。後ろ姿のイエスが彼女を新しい生命に招いた。「私はあなたのために来たのだ。あなたは私以外の場所には行き場がなかった。重荷を負うて苦労しているあなたは私のもとに来るのだ。あなたを休ませてあげよう。私のくびきは負いやすく、私の荷は軽い」。彼女の孤独と深い苦悩とを受け止めてくれる人はこの地上にはイエスの他には誰もいなかった。そのことを彼女はイエスの後ろ姿から知った。主は彼女のなす行為のすべてを、苦悩と悲しみのすべてを黙って受容してゆかれます。洗足の行為とは本来奴隷の仕事であり、私たちの思い上がりが最も徹底的に砕かれる行為でもあります。私は最初、この涙による洗足の行為は彼女の深い悲しみがなせる贖罪の業であるかのように思っていました。しかしそれはどうやら間違っていたようです。彼女の行為は悔い改めの行為ではなくて、喜びと感謝の行為であったことが主の言葉から分かります。イエスは彼女を見つめながら言います。「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」
実はこの箇所は訳が分かれます。口語訳聖書ではこうなっていました。「この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。多く愛したから多く赦されるというのであれば、愛が赦しの前提となっているかのような響きがあります。しかしそれは、五百デナリオンと五十デナリオンの借金を帳消しにされた者の喜びのたとえには合いません。多く赦された者が多く愛するからです。
ある人は次のように言います。ヘブル語やアラム語、ギリシャ語には「感謝」や「感謝する」に相当する言葉がない。感謝の気持ちを表現するためには普通「(感謝して)祝福する」とか「愛する」という言葉が用いられる。愛は感謝を表現する方法だった。ここで「多く赦された者が多く愛する」とは「多く赦された者が多く感謝する」という意味である、と。
彼女の涙による洗足の行為は、悔い改めや告白や贖いの行為ではなく、「救われた者の限りない感謝の表現」ということになります。彼女がそのように愛したから赦されたのではなく、赦されたことのありがたさからそのような行為をなしたということが正しい理解なのです。ですから新共同訳聖書が「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる」と訳しているのは、口語訳聖書よりもより正確に文意を伝えていると思われます。イエスは彼女の行為を、罪の赦しに対する喜びと感謝の行為、愛の行為として受けとめておられるからです。
イエスの赦しの宣言
「あなたの罪は赦された」とイエスが宣言するのはその後です。ここでの「罪」という言葉は複数形ですから、諸々の具体的な罪を指しています。そして「赦された」というよりも「既に赦されている」と訳すべきかもしれません。過去形ではなく現在完了形だからです。主の最後の言葉は「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」というものです。「もう苦しまなくてよい。もう悲しむ必要はない。あなたの罪は赦されたのだから。平安のうちにゆきなさい。そして新しい人生を開始しなさい。私があなたと共にいる」。そう主は語っておられる。 ここで言われる「あなたの信仰」とは何か。彼女はイエスの中に神の赦しのみ業を認め、イエスが自分にとって救い主キリストであるということを信じた。その信仰が彼女を救ったのだと宣言されている。彼女の罪、彼女の孤独、彼女の苦しみは、主と出会ったことによって打ち砕かれた。主は私たちの悲しみを喜びへと変えてくださる、そのようなお方です。その意味で「信仰」とは、ルターが正しく言ったように、私たちにおいて働く神のみ業です。「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」という主の温かい励ましの言葉は、私たちにおける神の救いのみ業に信頼をしてゆくよう私たちを導いてくれているのです。
興味深いのは「安心して行きなさい」という最後の言葉です。原文を見ますと、「平安の中へと行きなさい」とあります。英語で言えば Go in Peace ではなくて Go into Peace なのです。小さな違いだが大きな違いがある。そこには歩むべき方向性が示されているのです。キリストの備えた平安の中へと踏み出して行きなさい、キリストの平安に向かって歩んでゆきなさいというのです。そこにはキリストの変わることのない守りがあるからです。
教 「父の愛~放蕩息子」 大柴譲治
ルカ 15:11-32 「父の愛~放蕩息子」
はじめに
本日は有名な放蕩息子のたとえを、次男、父親、長男、そして母親という四つの視点から見てゆきたいと思います。放蕩息子である次男の視点から
最初は放蕩息子の視点。彼は自分の相続財産を持って父の元から飛び出します。これは一種の自立物語とも読めます。子供はいつかは親元から離れてゆかねばならない。親に対する第二反抗期などは自立のための大切な、そして必要なプロセスです。自立の過程では、子の親離れと同時に親の子離れも問題となる。放蕩息子は親から自由になって思う存分自分の力を試したかった。だから親から脱出して「遠い国に旅立った」。そのこと自体は罪ではありません。私たちは皆、親を離れて遠い国に旅立つ必要があるからです。では、問題はどこにあるのか。ルカは、飢饉のために豚の食べ物を盗むほどの状態になった時、放蕩息子は「我に返った」と記します(口語訳聖書では「本心に立ち返る」)。原語では「自分の中にやって来る」という言葉ですが、これは「悔い改める」と同義とされています。それは「本来の自分に気づく」ということであり、「自分が本来帰るべき場所に気づくこと」です。そして彼は父の憐れみにより頼むことを思い立ったのです。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」。帰るべきところはただ一つ、父のふところだったのです。
地上において帰るべき場所を持つ人は幸いです。放蕩息子は自分が帰るべき場を見出した。それは冒険の旅に失敗しなければ到達し得なかった認識でもある。成功したら分からなかったことでしょう。すべてに失敗して自分の力ではどうしようもない状況に陥った時、絶望する以外にない場所に至った時、彼は初めてこのような認識に導かれた。どん底での起死回生です。ここに試練の意味が隠されているように思います。記されてはいませんが、放蕩息子が本心に立ち返った時、そこには見えないかたちで神の聖霊が働いていたと言わなければなりません。私たちが本心に立ち返るのは私たち自身の力によらないからです。向こう側から、神さまの側から与えられている呼びかけに気づく以外にない。自分の力が限界を迎えた時、もう絶望して死ぬ以外にないような時、どん底の惨めさの中で私たちには初めて神さまの恵みが見えてくる。人のわざが終わったところから神さまのみわざが始まるのです。
そのように考えてまいりますと、放蕩息子の罪とは、全財産を無駄遣いしたというよりも(確かにそれも問題がないわけではないのですが)我を忘れた事、自分の立ち返るべき場所を見失ってしまった点にあると思われます。そして彼は、どん底で自分が我を見失っていたということに気づかされた。その意味ではどん底体験も無益ではなかった。いや、むしろ中途半端ではなく徹底したどん底体験が必要だったのです。もはや自分の力ではどうにもならないという限界を知らなければ、私たちはまことのふるさとを思い起こさないからです。私はここでルターの有名な「大胆に罪を犯しなさい」という逆説的な言葉を思い起こします。「罪人でありなさい、大胆に罪を犯しなさい。しかしもっと大胆にキリストを信じ、喜びなさい。彼こそは罪と死とこの世との勝利者です。・・・大胆に祈りなさい。もっとも大胆な罪人になりなさい」(メランヒトンへの手紙)。
父親の視点から
ここで目を転じて父親の視点からこの物語を捉えてみましょう。レンブラントがその作品『放蕩息子』の中で父親の姿を正面から描いているように、この物語においては父親が最も重要な役を演じています。放蕩息子の帰還に対する父親の喜びは計り知れないものがありました。そのことは20-24節に描かれた父の言動に明らかです。「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」。実はこの喜びの背後には、失われた息子を思って嘆き悲しんだ父親の姿が隠されています。失われた息子を思う嘆き悲しみが深ければ深いほど、それを見出した時の喜びは大きい。死んでいた息子をもう一度自分の手に取り戻す父親の喜び。息子に走り寄る父、胸にしっかりと抱き寄せる父の姿の中に、息子に対する深い愛情を見ることができます。
しかしこのことは放蕩息子にとっては意外な出来事でした。「もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と考えていた彼を、父親はその胸に強く抱きしめる。父の力強い包容と喜びの叫び、またその涙と自分の肩に置かれた父の手の温かさに接して、どれほど自分が父親を悲しませていたかということ、またどれほど父親が自分のことを大切に思っていたかということを知るのです。このような父を持つことができる者は幸いです。この時彼は心から父親の愛の深さを知ったに違いありません。彼は泣き崩れた。豚のえさを盗み食いしようとした惨めさの中で彼は「我に返った」とありましたが、実はこの時に初めて「本心に立ち返った」と言えるのではないか。人は裁かれることによっては自分の罪深さを知ることはできない。かえって反抗的になるだけです。そうではなくて、自分が受け入れられ、無条件に赦され、とことん愛されていることを知った時、本当の意味で私たちは自分の罪深さを心底から知り、悔い改めの涙をこぼすのだろうと思います。その意味で、私たちの罪の姿は主の十字架の前でもっとも明らかにされている。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」。このキリストのとりなしの祈りに触れるとき、私たちは自分の罪がどれほど深いものであったかを知らされるのです。
優等息子である長男の視点から
この物語が優れた奥行きを持っているのは、優等息子であった長男の存在があるからです。そこにはリアルな人間の姿が描かれている。「お父さん、それは不公平だよ。僕には何もしてくれなかったじゃないか。子山羊一匹くれなかった!」と言いたくなる気持ち、私たちには痛いほどよく分かります。彼は父親の喜ぶ気持ちが最後まで理解できなかった。それは、イエスに対して「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」とつぶやいた律法学者やファリサイ人を表しています。彼は父親の近くに居続けたわけですが、実はだれよりも心は「遠く離れていた」と言えるのかも知れません。弟が戻ってきたことを兄は素直に喜べない。嫉妬やコンプレックスがそこには感じられる。家に入ってこようとしない長男を、父親はここでもやはり自分の方から出てきてなだめます。「子よ、お前はいつも私と一緒にいる。私のすべてはお前のものなのだよ。しかしお前の弟は死んでいたのに生き返り、長い間いなくなっていたのに見つかったのだ。喜びの宴を開くのは当然ではないか」。その結果、兄がどうしたかを告げずにたとえは終わります。どん底体験のない人間には「本心に立ち返る」こと、「神のあわれみの深さを知る」ことは難しい。そして、神の憐れみの深さを認識することのない人間は、自分の罪深さをも認識することができない。いずれにしても、兄は弟の帰還を父と一緒に喜ぶべきことが告げられているのです。母親の視点から
母親はこの物語の中でどこにいたのでしょうか。場面には登場してきません。エーリッヒ・フロムという精神科医は『愛するというについて』という著書の中で、人間における二つの愛を、つまり子供のすべてを受容してゆこうとする「母性的な愛」と、子供を厳しく鍛えてゆこうとする「父性的な愛」の二つを分析して、そのどちらもが子供の成長のためには必要であると言っています。ユングもまた、女性的な愛と男性的な愛の二つをすべての人間は有していると語ります。そう考えますと、私にはこの放蕩息子を迎える父親の深い憐れみは母性的な愛であるように思えます。言い換えれば、父親の姿の中に母親は隠れている、同居している。そのようなふた親の愛を父親が代表しているのではないかと思います。このような放蕩息子を無条件で迎えるふた親のような深い憐れみ(はらわたの痛くなるような愛)をもって主イエス・キリストは徴税人や罪人たちに関わってくださるということを、この放蕩息子のたとえは私たちに示しています。キリストの十字架が私たちに対する招きであるということを覚えつつ新しい一週間を過ごしてまいりましょう。
変容主日 礼拝説教 「栄光への突破口」 大柴 譲治
ル カ 9:28-36
光への感動~輝く日常生活
国立千葉病院の神経科の医長だった西川喜作医師のことが、柳田邦夫の『「死の医学」への序章』(1986年、新潮社)に紹介されています。西川医師は1981年10月に二年七ヶ月にわたるガンとの闘病の末に亡くなられたのですが、その闘病の様子は自著『輝け、わが命の日々』(1982年、講談社)にまとめられています。1983年に柳田邦夫がホスト役となりNHKのドキュメンタリー「輝け命の日々よ」として放映もされました。何気ない当たり前な日常生活の一こま一こまが、西川医師にとっては、ガンとのすさまじい闘いの中で、かけがえのない命の輝く瞬間として見えている。自著の題名もそこから取られています。死の医学の大切さを訴えて生き、死んだ西川医師の誠実な生き方は、読む者の心を強く捉えて放しません。柳田邦夫は『「死の医学」への序章』の最初にこう書きます。「多くのガンとの闘病記を読んで気づいたことの一つは、死に直面した人々の手記には、ほとんど偶然の一致ともいうべき光への感動、目に映る世界への感動がうたわれているということだった」。突然世界が輝いて見えてくる。たとえば西川医師はこう記します。転移が発見されていよいよ明日再入院という日、家族と共に心を癒しに別荘に出かけたときのことです。「私は乾してある布団に仰向けになった。秋とはいえ海辺の陽光はギラギラと強烈だ。どこまでも青い太平洋。白い小さな波。はるか沖合いを白い船体の舟が航行してゆく。上空高く東から西へジェット旅客機が飛んで行く。エンジン音は地上までは届いてこない。大きく深呼吸する。かすかな潮の香りを感じた。 数々の思い出が私の脳裏をかすめ去った。不愉快な記憶、悲しい記憶、いやな記憶が、どれも懐かしく美しいものにさえ感じられる。 私はいま、生きることのすばらしさを感謝している。いままで私には何故、このすばらしさを感じとれなかったのか。妻は床を掃き、テーブルを拭き、風呂に水を張って忙しく立ち働いている。忙しく動き回っている妻の姿は美しかった」。
これを柳田邦夫は次のように分析するのです。「光と風景に対するこうした感度の高さは、『もっと光を』と、美の表現の本質を光に求めたモネやルノアールなどフランス印象派の画家たちの世界を連想させるのだが、しかし、西川医師の文章をじっくりと読んでみると、それは単なる風景描写や美の探求というよりは、生きる事への感動の投影としての光に満ちた情景、とりわけ親しい人間への限りないいとおしみから湧き出た心象風景というべきものであることが分かってくる」。
それまでは何気なく当たり前のものとして過ごしていた日々の生活が、一つひとつの人間関係が突然当たり前ではなくなる。かけがえのないもの、尊いものに思え、輝いて見えてくるのです。それは、来るべき終わりを明確に意識することによって、そこに密度の高い生が開始されたということでありましょう。
主の変容
本日は顕現後の最終主日、変容主日です。1月4日の顕現主日から始まった主の栄光について思いを巡らせてきた顕現節が終わり、今週の水曜日、灰の水曜日からは四旬節が始まります。典礼色は神の栄光を表す白から、悔い改めと深い悲しみを表す色である紫になります。紫はまた王の色でもあります。本日の日課の流れとしては、ペトロのキリスト告白、イエスの第一回受難予告、山上の変容と続き、悪霊に苦しむ子供の癒し、第二回受難予告と続きます。ルカ9:51に記されているように、イエスのエルサレムに向けての十字架の歩みが始まる。ご承知のように、十字架は最も惨めで最も苦しい極刑でした。神の栄光などつゆほども感じられない悲惨な十字架上での死の中に、しかし不思議なことに、神の栄光が隠されていたというのです。フィリピ書の2章には、神に等しいお方、み子なる神が僕の身分となり、十字架の死に至るまで徹底して自分を低くされたというキリスト賛歌が記されていますが、これは本当に不思議な事柄です。神の栄光が十字架の悲惨の中に隠されていた。神の救いが、十字架の上のみ子の「わが神わが神、なにゆえ私をお見捨てになられたのですか」という悲痛な叫びと、神の完全な沈黙との中で完成されたというのですから。
主の変容の記事はそのような神の思い、神の然りがイエスに与えられていたということを弟子たちに証ししています。「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」という声が神の現臨を表す「雲」の中から響きます。神の声は主が洗礼を受けられたときにも与えられていたことを思い起こしてください。聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降ったとき天からの声がします。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と(ルカ3:22)。神の声は、洗礼の時は二人称でイエスに向けられ、山上の変貌の時には三人称で弟子たちに向けられています。主のご生涯でこのように二度、明白なかたちで神の然りが与えられています。
救いへの「突破口」
モーセとエリヤはここで律法と預言者の代表として立ち現れています。興味深いことにマルコとマタイ福音書はモーセとエリヤとイエスが語り合っていた内容については記していませんが、ルカだけがそれを記している。それが31節です。「エルサレムで遂げようとしておられる最後」とは、もちろん十字架の死を意味しています。しかし注意したいのはこの「最後」と訳されている言葉は exodus、つまり「死」という意味だけでなく、「出発」または「出口、突破口」という意味を持つ語が用いられているということです。出エジプトの出来事も Exodus と呼ばれました。ek とは「~から外に」、hodus とは「道」という意味です。そこから「旅立ち」「出口」「突破口」「脱出路」という意味になります。ここでルカは、マルコもマタイも用いていないこの exodus という言葉を用いることによって、エルサレムにおける十字架の死は「最後」であるだけでなく、新しい「出発」であり、死からの「突破口」であり、栄光への「脱出路」なのだということを言おうとしているのです。エルサレム(「神の平和」)のゴルゴダの丘の上に立つ十字架。ここに神からの新しい出エジプトの道、救いの道が開かれたのだとルカは力強く訴えている。それは、人間の闇の中に与えられた光への突破口、死のただ中に与えられた命への突破口、罪のただ中に与えられた赦しへの突破口であり、悲しみのただ中に与えられた喜びへの突破口、裏切りのただ中に与えられた愛への突破口、不信仰な、神なき世界に与えられた神への突破口なのです。私たちは主によってこのような突破口を通って神の栄光へと導き入れられている。
私はこの主の変容の出来事が、自分の死を明確に意識させられた者たちが多く言葉にする「光への言及」と重なり合っているように思えてなりません。キリストのみ姿がモーセとエリヤと共に真っ白に輝いて見えたということは、ご自分の死を明確に意識したキリストの目に映った生きることの尊さ、かけがえのなさ、いとおしさというものが「真っ白な輝き」の中に示されており、またそれがそこにいた弟子たちにも感ぜられたのではなかったか。十字架の道をこれから歩み出そうとする主イエスのまなざしには神がこの世に備えられた命の輝きが見えていた。そして実はそこから、山上の変貌の記事は、私たち自身の命の中に隠されているまぶしいばかりの輝きを示しているのではないかとも思えてくるのです。「輝け、命の日々」という、そのような隠された輝きへの突破口、栄光への突破口を主はあの十字架の上に開いてくださったのではなかったか。
みそしるの中に込められた愛~私たち自身の変容
西川医師の言葉の中では、病いも進んだある日、お見舞いに山口からかけつけて来た知人に語られた言葉が一番深く私の心に残りました。「痛みがひどく、このまま死んでしまいたいと思うことがある。窓から飛び降りたらと、自殺を何度も考えた。けれども死ねなかった。何故だと思う? 私が君に送る最後の言葉だよ。それは愛だよ。友人がみそ汁を作って来てくれる。君が遠いところから来てくれる。そんな愛が、今の僕を支えていてくれる。がんばっておくれ。幸せにならなければならないよ」(『「死の医学」への序章』p255)。苦しみの中で私たちの命を輝かすもの、それは「愛」なのだと西川医師ははっきりと言うのです。愛だけが命に大きな意味を与え、究極的な価値を与える。私たちはパウロの「信仰、希望、愛。その中で最も大いなるものは、愛である」(1コリント13:13)という言葉を思い出します。真実の愛こそが、自分を与えてゆくアガペーの愛こそが、それがどんなに苦しいものであったとしても、私たちの人生を意味あるものにしてゆくのです。
私たちの人生は主イエス・キリストの十字架の血潮によってあがなわれている。私たちの日常生活はキリストのご自身のすべてを捧げてゆかれたアガペーの愛のゆえに輝くものとされている。ちょうど主のみ顔が輝き、み衣が真っ白く変容したように、私たち自身のありふれて色あせた毎日の生活は、キリストの愛のゆえに真っ白にまぶしく輝くものとされているのだと思います。私たち自身の苦しみや悲しみは、また絶望や闇は、キリストによって輝くものに変えられてゆくのです。そのことを覚えつつ、主が命がけで開いてくださったこの栄光への突破口をご一緒にくぐって参りたいと思います。お一人おひとりの上に主の祝福が豊かにありますように。 アーメン。