天使の梯子
編集後記 「ご挨拶」 秋田 淳子
むさしの便りの編集長を終えて…
気がついたら、10年の時が流れていました。石居基夫牧師から「むさしの便りの編集長をやってみませんか?」というお声を受けたとき、すぐにはお答えできませんでした。このむさしの教会に在って、編集長の仕事はあまりに大きかったからです。しかし、間もなくして教会の中でお役に立てるのならば…と決心し、小山茂兄から編集長の仕事のバトンを渡されたときは、ただそのバトンを落とさないようにと先に進むしかありませんでした。でも、自分でも不思議です。何故ならば、小山兄が辞められる直前まで私はむさしの便りの編集委員の一人として参加していたにも関わらず、委員会がある度に何らかの理由をつけては休む程、編集の仕事には関心が持てないでいたのですから…。仕事が始まって、とにかく今までの編集内容と同じで良いから続けていこうという目標をたてました。その頃、タイプ打ちを印刷室の石垣通子姉が協力してくださり、委員会としてのメンバーは他に樋詰絵梨子姉お一人でした。しかし、間もなくして石垣姉がお父様のことでお忙しくなられることがあって、急きょ橋本直大兄が加わってくださり今日までずっと大きなお力となってくださっています。また、間あいだに八幡潔子姉や宇ひとみ姉もお手伝いくださいました。そして、10年経って気がつくと委員会のメンバーは、石垣姉、橋本兄、高橋光男兄、保坂琢夫兄、富里雪子姉、抱井義子姉に膨れ上がっていました。
現在、編集から印刷までは2日間かけないとできませんが、当時は土曜日の一日で全てを行っていた記憶があります。それでも、今の作業の様子から考えると当時はもっと大変だった思うのですが、まったく覚えていません。そして、編集に関しては回数を重ねていく内に内容に変化をつけていこうという余裕も出てきました。その基準は「こんな内容だったらいいなぁ~と私は思う」でした。そこで、始まったのが『むさしのの輪ッ』『聖書の中の動物・植物』『読書会』のシリーズコーナーです。また、そこにはこんな考えもありました。むさしの便りの最初から最後のページまでのすべてを毎月読んでくださる読者は、本当にいるかどうかは分からない。たとえ全部じゃなくてもいいから「毎月これを楽しみにしている」あるいは「このコーナーだけは、毎月必ず読む!」いう読者があちらこちらに集まれば、むさしの便りは続いていく…。そして、それらは将来それぞれ小さな冊子にまとめていくことも考慮に入れられています。
だんだんと編集の仕事が楽しくなっていき、それは「教会の中に私の居場所がある。教会の中で活かされている」という喜びへと繋がっていきました。そして、いろいろな方から嬉しい感想をいただくことで、私にとって編集の仕事は大切な宝であることを感じ得ました。一方、私に直接は届かないけれども私の働きや編集の在り方に違和感を抱いている方も同じ位いらっしゃるに違いないということも、いつも意識の中にありました。それを思ったとき「本当にこれでいいのかな」と自信をなくすことも何度もありました。しかし、むしろそのことが私の創造へのエネルギーとなってくれていたと感謝しています。石居牧師・徳善牧師・大柴牧師のもとで「好きな様にやってください!」というお言葉に甘えてその通りにやらせていただきました。でも、教会の中で同じ人が一つのお役に関わるのに「10年」が、ひとつの区切りだと私は思っています。本当に、あっと言う間の10年でした。
これまでお支えくださった牧師先生方、委員会のメンバー達、むさしの教会の方々、むさしの便りを楽しみに読んでくださっているたくさんの読者の皆様に、心から感謝申し上げます。そして、これからもむさしの便りが、お一人おひとりの教会生活や信仰生活の中で何らかの意味をなし得るものであってくれれば…と祈らずにはいられません。
編集後記 「トネリコの樹 (最終回)」 秋田 淳子
新しい家に引っ越しました。角地になるため、外の人の気配や車の音から解放できるように中庭形式の建物にしました。そして、中庭の真ん中には大きなトネリコの樹を一本植えました。それぞれの部屋は中庭を取り囲んでいるので、どの部屋に居ても私たちの視線は自然に中庭へと注がれ、トネリコを見上げるときその延長線上には青い空、また夜には星の輝く空が広がっています。今まで、空は窓を開けた斜め上にある感覚でしたが、空はいつも私たちの真上に広がっていることを実感しています。
「家族の気持ちが、常に同じ所に集められているんですね」と、この様子を見て知人が言いました。確かにそうです。空を見上げるとき、自然と私たちの姿勢は何かを仰ぐ形へと導かれます。そしてそれはとても清々しくもあり、崇高な気持ちにも満たされます。
たとえ、私たちがそれぞれちがう人生を歩んでいても、その中心にはいつも神様がいてくださり、それぞれの場所から同じに神様を見上げているのです。そして、私たちの上には神様のお守りと慈しみがいつも広がっています。
(2002年 2月号。なお、10年に渡ってご奉仕いただいた秋田淳子編集長は、今号をもってお役を交替されます。長い間、すてきな文章をありがとうございました。神さまの祝福をお祈りいたします。 大柴記)
編集後記 「Peaceful-Days」 秋田 淳子
全寮生活だった短大生の時、12月に入るとPea-Daysという週間がありました。学生教職員の人数分のピーナッツの殻の中に一人ずつの名前を書いた紙を入れ、それをクジにして引く。自分が引いた名前の相手に、クリスマスまでの2週間親切を行う。それも、決して相手に気づかれることの無いように…。汚れた靴を洗っておいたり、寮の部屋の机にカードを添えておやつを用意しておいたり、学校に関わるみんなの誰かが誰かに思いを寄せて親切をすることで結ばれているというワクワク、ドキドキする日々でした。
イエス様のご降誕を待ち望む想いは、もしかしたら自分の優しさで誰かを包んであげたくなる気持ちへと繋がっていくことのかもしれません。例え相手のことを良く知らなくても、またそこに見返りなどなくても、イエス様のご降誕の喜びを私なりの形で伝えていってあげることなのだと思います。
イエス様という嬉しいクリスマスプレゼントを心に、私たちも12月の日々をPeaceful-Daysとして一緒に過ごしましょう。メリーメリークリスマス!
(2001年12月)
編集後記 「忘れられた封筒」 秋田 淳子
かつて働いていた職場で、毎月数千冊の月刊誌を発送する作業がありました。少人数のスタッフの手で、封筒に宛名を貼り冊子を入れて封をする。作業は一日がかりでしたから、とにかく全部の発送を終えることで精一杯でした。
あるとき発送を終えた数日後に、その中の一通が住所不明で戻ってきました。「あとでゆっくり調べて、送り直そう」と、ついその封筒を引き出しの中にしまい込み、それからすっかりそのことを忘れて日が過ぎていきました。
後になって、そのことが上司に知られ「送り手の私たちからしたら、数千冊の中の一冊かもしれないが、受け手からしたら毎月届けられる唯一の一冊なんだ」と叱られました。
私たちの交わりも、もしかしたら大勢の中の一人と一人かも知れませんが、個人という重さを考えたとき、それは「唯一」の貴方と「唯一」の私なのです。そして、神様と私との間には永遠に計り知れない「唯一」が存在しているのです。
(2001年11月)
編集後記 「最後の言葉」 秋田 淳子
悲しみ、そして大きな憤りを抱く同時多発テロ事件が起きてしまいました。あまりに突然の出来事です。まず何よりも被害を受けた方々、また大切な命を奪われたそのご遺族の方々の上に神様の確かなお守りをお祈りいたします。
「娘を頼む。君が人生でどんな決断をしようととにかく幸福でいてほしい。僕は君の決断が何であれ尊重する」これはハイジャックされた飛行機から妻へ携帯電話で送ったある男性の言葉です。これを読んだ時、涙がこぼれてきました。
人は自分の人生の最期を感じた時から心優しくなれる様にできているのか。あるいは、その人自身の持つ精神性の深さが思いやりのある言葉となっていくのか。普段は心の奥にしまっている気持ちも、危機的状況では自然と言葉となるのか。それもそれは、不平や不満ではなく悲しい位に心優しい言葉であるということ。
世界がどの様な方向へ動こうとしているのか不安な今、私たちは何よりも祈りを持って次に取るべき行動と発言を導いていかなくてはいけないと思います。
(2001年10月)
編集後記 「信仰の重力」 秋田 淳子
外出先から家に向う帰路…電車に乗っていたり、または車を運転している時…ふと、淋しい気持ちに陥る瞬間があります。それは、これだけ大勢の人の中にいながら知っている人が一人も居ないむなしさ、あるいは辺りがどんどん暗くなっていく心細さなのかもしれません。
しかし、次の瞬間に気持ちは「あぁ、早く帰ろう、帰りたい!」と自分を待っている家族やすぐにでも抱き上げたいカワイイペットへと集中し、私を我家へと一直線に導いていってくれるのです。
地球には重力というものがあって、全ての物体は地球の中心にその重力を向けて、存在し落下したりします。たとえ、私たちも違う国や場所、また異なった状況に立っていても、みんな地球の中心の一点に引っ張られて存在しているのです。(だから、人間は地球から落ちないの?)
同様に、私たちの思いも神様の一点に向って一直線に集中し、私たちの信仰も神様の一点から支えられているのです。
だから、たとえどんなことがあっても倒れることはありません。
(2001年 9月)
編集後記 「心の糸」 秋田 淳子
人と人との心は、いつも何か見えない糸でつながっているのだと思います。
自分と相手とを結んでいる一本の糸。お互いが良い緊張感に置かれていたり、元気なときには、その糸はピーンと張っています。しかし、自分が疲れているときには自分が相手を引っ張っていることも、相手から自分が引っ張られていることもしんどくて、自然に力を抜いて糸をタラーンと緩めていたくなります。そのような状態の間は、お互いの気持ちは伝わりにくくなるかもしれませんが、自分を守りながらも、相手とのバランスを保っているのですから、それはそれで良い関係なのです。
そして、また自分が元気を取り戻したときには、つながっている糸をまっすぐに直しましょう。そうしたら、ピーンと張った糸を通して自分の思いや気持ちが鮮明に相手に伝わって、それと同じように相手からのメッセージもはっきりと聞こえてくることでしょう。
つながっている心の糸を大切にして、決して切るようなこのないように。
(2001年 6月)
編集後記 「空白の時間」 秋田 淳子
今から14年前の夏に、私は西ドイツとフィンランドに住む友人に会いに一人旅に出かけました。それは、新たに多くの友人を得る実りある旅となり、帰国してからは辞書を片手に賑やかな文通が始まりました。しかし、11年前に父が他界しその傷愴感から積極的に人と関わることに煩わしさを感じるようになった私は、次第に彼らに手紙を書かなくなりました。
そして、年月だけが過ぎていってしまったのですが最近彼らのことが思い出され、特にその中の一人の人の手紙は毎日開ける引き出しの中にずっと入れていたので、特に気になっていました。でも、今さら手紙を書く切っ掛けや自信もなく・・・。
ところが今日、引き出しの中のその人から手紙が届いたのです!懐かしい文字、同じ住所、いつもの書き出し。何よりも、相手に対するその人のやさしい心遣いは昔のままで、今までの空白の時間があたたかく包まれていくようでした。
何らかの理由で神様から離れてしまっても、神様はいつも変わらない姿でいてくださる、神様の側から私に近づいてくださる・・・それと重なる体験でした。
(2001年 7/8月)
編集後記 「つながり」 秋田 淳子
ちょっと疲れてしまって、教会を続けて休んでいました。あともう1回休んでしまったら、それから先はきっと教会へ行きづらくなってしまうかもしれない…と、心に小さな不安を感じ始めてきた頃、何人かの方から「大丈夫?元気なの?」という連絡を続けていただきました。
正直、とってもうれしかった。自分がどこかに属している場所、また誰かと繋がっている関係を与えられている安心感と、それによって自分自身が支えられていることの大切さを感じました。
『私はぶどうの木、あなたがたは枝である。私に繋がっていれば、あなたは豊かに実を結ぶ』というイエス様のみ言葉。ここでは、信仰の他に信仰者の繋がりがもたらす優しさと喜びのふくらみを言い表しているのだと思います。
かつて教会学校で「何か困った時にはまずイエス様だったらどうされるか考えてみましょう」と教わりました。イエス様に繋がっていれば、イエス様がお考えになることやお感じになることまでも、私たちは理解できるのだと思います。
(2001年 5月)
編集後記 「よみがえりの朝」 秋田 淳子
普段ちゃんと手入れしていない庭でも春の気配を感じるとスイセン、ヒヤシンス、ハナニラ、紫ダイコンなどの草花は毎年のように地面からしずかに姿をあらわし、ボケ、コブシ、ユキヤナギの木々もゆっくりと花開きます。
春先の花はどれも音もなく咲き始めるのに、咲き誇るその姿には何かとても大きな意識を感じます。それはもしかしたら、世の中がどのように変わろうとも乱れることのない呼吸のリズムを保っている自然界の自信なのかも知れません。
イエスさまが十字架にかけられて亡くなった日は、人々の悲しみと動揺で空気は重苦しく、それを取り囲む世界も暗く寂しかったに違いありません。
しかし、イエスさまが復活されるまでの3日の間に、自然界の全てのものの内に新しい生命が育まれ、イエスさまがよみがえられた日の朝にはそれまでの重く暗い世界をはねのけるかのように草木は花開き、喜びが人々の思いに満ちあふれたことでしょう。私たちも今このときを高らかに賛美したいと思います。
(2001年 4月)
編集後記 「祈りに集う猫たち」 秋田 淳子
小鳥に説教をするアッシジの聖フランシスコの絵があります。彼は実存していた人ですが、この光景は作られた伝説だと思っていました。しかし、今では本当のことだったに違いないと信じています。
私の家では、朝の食事の前に母と毎日交代で聖書を読みお祈りをしています。もう何十年続けていますが、ある時から飼い猫3匹がこの時になると、テーブルに自然と集まってくる光景を幾度となく経験するようになりました。その間は、静かに座っていて、祈りの最後の「アーメン」を聞き終えると、また、いつもの自分たちの居場所へと散っていきます。
これは、もしかしたら聖書を読んだり祈っているときの私たちの声のリズムやトーンが心地良いものとして伝わっているからなのかもしれません。
説教を聞いていた小鳥たちも、聖フランシスコのあふれる愛情を感じていたのでしょう。そして、彼から流れ出てくる幾重ものやさしい色のオーラに包まれていたのだと思います。
(2001年 3月)
編集後記 「星のスポットライト」 秋田 淳子
舞台を照らすスポットライトは観客席から見ると、きれいな光の線として見えます。そして、そのスポットライトの中に立つ人もはっきりと見えますが、その人から見える観客席というのは・・・闇につつまれて真っ暗にしか見えません。
イエス様がお生まれになった日の夜、空にはたくさんの星が輝いていました。中でもとりわけ大きくまぶしく輝く星の光が、イエス様に会いに東の国から旅に出た博士たちの暗い夜道を照らしてイエス様のもとへと導いていきました。そして、次にその星は幼子イエス様をまぶしく照らしたにちがいありません。
しかし、その星のスポットライトの中のイエス様から見える私たちのいる世界は…闇につつまれて真っ暗だったのです。
世界で初めのクリスマスは、闇の中で起りました。しかし、救いの光が私たちの歩むべき道を照らし、私たちをイエス様との出会いへと導いてくれました。そして、その時その光を私たちの心に当てると…スポットライトの中にはスヤスヤと眠るイエス様が見えてきます。
(2000年12月)
編集後記 「喜びのエネルギー」 秋田 淳子
むさしの教会にとって、お祝いの行事が続いた一ヶ月間でした。いま振り返ってみると、まるで夢のような出来事です。
歴代の牧師や宣教師の先生方をお迎えし、また、教会に連なる方々も大勢いらして会堂は会衆で溢れかえり、そこには集まった人の数と同じ数の感動と喜びが結集されました。
そして、私たちひとりひとりの内から溢れていた感動や喜びのエネルギーが、教会堂をも震わせていたように感じます。目には見えないけれども、一つひとつのエネルギーが大きくまとまったその時、それはそこにいる人数をはるかに超える強く大きな力になるのだと思います。
私たちが、75年という長い時間の流れの一点に存在していることの不思議さとすでに始まっている新しい歴史の先端に立っていることに興奮を覚えます。
これからの日々の生活の中にあって、ひとりひとりの信仰の想いと祈りの声が私たちの教会を支えて、私たち自身をも強めてくれることを思います。
(2000年11月)
編集後記 「陽とホコリ」 秋田 淳子
季節の移り変りとともに、部屋の中に射し込んでくる陽の光の角度や長さも変わってきています。
明るい朝を迎え、思いっきりカーテンを開けたその時、部屋一杯に射し込んでくる光の中に、フワフワッとたくさんのホコリが舞い踊っているのが見えました。
暗い部屋の中に居る時には、まったく気づくことのなかったそのホコリたちも、急に光に照らし出されてまるで逃げ場を求めて、ちょっと慌てているかの様にも見えました。
陽の射す明るい部屋の中にいても、物陰になっている所では見えないホコリ…。それは、あたかも自分自身の想いや行いの中に正しくない何かがあるときには、人前に出ることが出来なくなってしまう私たち人間の姿をそのまんま写し出しているかのようで、ちょっと、ドキッともしてしまいました。
私の心が神様の光に照らし出されたとき、どんなにたくさんのフワフワが見えてしまうか…とっても大変です。
(2000年10月)
編集後記 「神さまの匂い」 秋田 淳子
お茶のお稽古を見学させていただいたことがあります。伺った古い日本家屋の玄関を入るなりとび込んできたのは、木造家屋独特の、しっとりとした湿気と長年の間に畳や壁、そして、天井にまで染みついたお線香の匂いでした。
それは、幼い頃に遊びに行った祖父母の家の仏間で初めて体験した、子ども心に謎めいた匂いと全く同じ匂いでした。今まで自分から思い出すこともなかったのに、その匂いが幼かったその時の風景を瞬時にして甦らせました。
毎年、何処からともなく落ち葉焚きの匂いが流れてくると、秋という季節を私は実感します。その煙たい匂いからは、スッとした秋の空の色や大気の温度まで思い出します。今、私が探しているのは、子どもの時に通っていた教会までの道のりで感じた田んぼの稲穂の匂いです。
匂いには、記憶をよみがえらせる不思議があります。そして、私が初めて神様に出会った時に心で感じた匂いは、どんなだったかしら…と思うのです。
(2000年 9月)
編集後記 「幼稚園ごっご」 秋田 淳子
先日、教会の子ども達と幼稚園ごっこをしました。先生役は私がやりたいと言っても受けいれてもらえず、私も美里ちゃんや若菜ちゃんといっしょに園児役の一人となりました。
そして、先生の役は小学校に通っている佳奈ちゃんがなり、テスト問題を自分でつくって私たちに言いました。「いいですか、今から配る宿題をちゃんとやってきてくださいね」と。また、実際に幼稚園に通っている若菜ちゃんは、私の手を取って教会の中を連れて歩き「淳子ちゃん、ここからあっちに行ってはいけませんよ」と遊び場所を指定します。どちらの子も、それぞれの生活の場で見ている大人の姿のまねをしています。
子どもたちにとって、大人のまねがこんなにもオモシロイことだとしたら、このチャンスを逃してはなりません!神さまについてお話する私たちの様子、神さまにお祈りしている私たちの姿、しっかりと見ていてもらいたいのです。
(2000年 6月)
編集後記 「心のスペース」 秋田 淳子
私たちは自分の十字架をそれぞれが背負って生きています。それは身体的・精神的悩みや苦痛であったり、また自分が置かれている環境での人間関係からくる問題であったり・・・・様々です。
中には、遭遇している悩みや問題を自分で難しく受け止めてしまっていることもなくはありません。いずれにしても、自分の十字架の重さ全てを人に知ってもらうことも、また相手の十字架の重さを本当に計り知ることも、実のところ私たちには出来ません。
ただ、それぞれの問題を解決していく上で何よりも大切なことは、神様のみ言葉に裏打ちされて答えを見い出していくことだと思います。
そこに至るまでには、神様は友人や先生のアドヴァイス、書物や私自身の経験などのいろいろな形に託してその答えや切っ掛けとなるものを私たちに授けてくださっているはずですから、私たちはつねにそれを感じ取れる心のスペースを祈りつつ準備していたい・・・・と思うのです。
(2000年 7&8月)
編集後記 「母の日」 秋田 淳子
いま私は、70歳になる母とふたりで暮しています。
母に対して求めているものや母から受けたいと願う愛情は、私がどんなに歳を重ねても幼いときからずっと変わることはありません。また、母にとっても私が何歳の大人になろうともずっと娘であり、子どもであることに変わりはないのです。
しかし、その母も本当のところは体力的にも気力的にも急激に歳をとってきていることをここ2~3年の間に強く感じるようになりました。
子どもとして親に求めるばかりだったので、なかなかそのことを気づいてあげられなかったのかもしれません。また、いつも一緒にいる人のことは、かえって近すぎてちゃんとわかってあげられないでいたのかもしれません。
毎年の母の日が、今までは何か照れくさくて、またどうお祝いすればよいのか分からないでいたけれども、これからは毎日が母の日という思いで過ごしていきたいと思うのです。
(2000年 5月)
編集後記 「春の陽光」 秋田 淳子
日ごとに陽射しが明るくなって、いまぽかぽかと春の暖かさでいっぱいです。春の陽の光の中にいると、自分に元気な力が生まれてきて、それまで抱えていた悩みも軽くなっていくのが分かります。
また、冬の凍てついていた土は軟らかくなって、そこから芽を出した草花からあふれてくる香りにつつまれると、遠くにあると思っていた夢や希望が、どんどんと近づいて来るのを感じます。
寒い冬を越して暖かい春を迎える喜びは、まさにその光にあるのだと思います。
そして、神様が創られた自然を見ていると、いつも私たちの行く先々に解決の光を与えてくださっているのを思います。それは、長く寒い冬に終わりを告げる暖かい春だったり、重く暗い夜に目覚めのときを伝える明るい朝だったり…。
何よりも嬉しいことは、たとえ私たちが深い悲しみや苦しみに置かれても、神様の御言葉の光が私たちを立ち直らせて喜びへと導いてくださり、そして、その先にはいつもイエス様の十字架の救いの光があふれていることです。
(2000年 4月)
編集後記 「信仰の装い」 秋田 淳子
もう20年程前のことです。私がルーテル神大で社会福祉を学んでいた当時の学生たちの服装は、とても地味でおとなしいものでした。社会福祉という分野だけに、ファッションに夢中になる必要も無かったのかもしれません。しかし、同じ学年の中にいつもお洒落をしていた2人組の女の子がいました。学校の近くに住んでいた彼女達は、お昼休みが終わると午前とは違う装いで授業に現れるほどでした。
その様子を「何も、そうまでして学校に来ることもないのにね」と隣に座っていた男の子に話したら「だけど、見る人の目を楽しませてくれるんだからいいんじゃない」と答えたのです。
なるほど、人はお洒落をするのに身に着ける物一つ一つの色や形を楽しみます。そして、身に着けてしまえば自分の全体の姿は見えなくなるけれど、今度は周りの人を楽しませてくれているのです。
信仰も、神さまとの出会によって与えられたあふれる喜びを身に着け、今度は自分の周りの人にその喜びを伝えること。
装いのお洒落にもそれぞれあるように、今年の春のあなたの信仰の装いのキーポイント何ですか?あふれる喜びのテーマカラーは何ですか?
(2000年 3月)