読書会ノート 読書会メンバー

〜読書会から〜  村田沙耶香著 『コンビニ人間』 廣幸 朝子

子どもたちが公園で小鳥の死骸を見つける。子供たちが口々に「かわいそう」「穴を掘って埋めてあげよう」「お墓をつくろう」と言っているとき「私」は「これ、食べよう」と言って周りをぎょっとさせる。彼女にしてみればニワトリを殺して焼き鳥にするのだから、せっかく死んでいる鳥をなぜ食べないのか、と思う。そしてみんなが、かわいそうに、と言いながら、咲いている花をちぎってお墓にいれるのがもっと不思議に思えるのだ。それなりに考えて彼女なりに理由があるのに、それはしばしば、普通ではない、常識がないと批判され、途惑うばかり。他者とのかかわりに困難を抱えながら成長し、やっと見つけたコンビニのアルバイトに初めて自分の居場所を得る。そこでは、一から十までマニュアルがあり、自己の裁量など一切無用。それが彼女にはありがたい。決められた通りに動いていれば褒められる、給料がもらえてなんとか社会の歯車の一つになれた。

文章は平易で、話の展開も軽快。コンビニの店員さんも結構大変なんだなと、気楽に読んでいると、気が付くとまわりにはひたひたと闇が迫っている。皆の読後感も、「不安」「不気味」「閉塞感」「息苦しい」等々。得体の知れない同調圧力とか、異質なものへの不寛容とか、そんな社会を誰も望んではいないだろう。作者が声高に叫んでいるわけではないが、限られた生を生きる人間同士、もっとやさしく、もっと自由に生きられないものか。

折しも米国では、分断と憎悪を煽ってトランプ氏が大統領にえらばれた。欧州では移民排斥の動きが広がり、日本でもヘイトスピーチが街を練り歩く。私たちの世界はよりよい方向に向かえるのだろうか。

むさしの便り12月号より

井上ひさし著『ふふふ』   桑名 信幸

井上ひさしの漢字が比較的多い文章。余白が多く、内容充実、さらっと読める。書かれたのは15年前で、今は忘れ去られているが、読書会では評判は良かった。

読書会で女性軍の人気があった「四月馬鹿」について。

『ひょっこりひょうたん島』脚本で有名な著者、オーストラリア国立大学で住み込み作家でぶらぶらしていたとき、学生とのやりとりで、4月1日に嘘をつくと見破られた。日本と違いオーストラリアの学生はノーテンキではない。イギリス圏の旧植民地は四月バカは正午までなのである。日本の常識は世界の常識ではない。最後の大馬鹿者と野次られてしまった、とある。

著者は日本の政官界に対して、4月1日だけは真実を口にして欲しい。その上、国民に対しても声をそろえて、政界官庁の愚策に対しても「この馬鹿!」というべきだと言っている。小生、タバコの葉っぱ生産地であった茨城県生まれです。茨城弁でごじゃっぺという言葉がある。これも消えていくのである。『吉里吉里人』も優れた作品だが、書店の棚から消えていく。

聖書も最初は羽根ペンで書かれて、今は電子書籍。司法試験受験者の誰も厚い六法全書を皮鞄に入れていない。かな?

私のお気に入りは、「長い冬」です。巨人は東京ドームで昨日は負けた。菅野の責任ではないが、チームなので、仕方ない。由伸頑張れ!但し1ヶ月前に菅野知之が神宮球場で勝った。野球ファンとして、彼が神宮で勝てなかったのは何故か興味つきません。マウンドの低さ、傾斜の角度かな? 巨人、大鵬、卵焼き、の世代ですから。10歳の時、東京球場で、開場式の時、仰木彬二塁手に握手して貰った。温もり忘れられません。

栄えある東京球場での最初のホームランは南海の野村克也捕手です。野球帽をかぶった子供が、お父さんとキャッチボールする方が、1人でゲーム機を指で操作するより、人間らしい。「世界一長い名前」から、「長い冬」まで、45本のエッセイ。好きなところを読めばいいし、つまらんと捨ててもいい。

図書館で借りれば、文庫の小さな文字を老眼鏡をかけないで、ただで、単行本の大きな字で読めます。興味を持てた方は、その延長として、井上ひさしの最高傑作の『吉里吉里人』にきりきり舞いして下さい。

最後に

むずかしいことを やさしく

やさしいことを ふかく

ふかいことを ゆかいに

ゆかいなことを まじめに

井上ひさし

むさしの便り7月号より

~読書会から~ 羽田 圭介著『スクラップ・アンド・ビルド』 仲吉 智子

「スクラップ・アンド・ビルド」とカタカナの題にとまどいながらも、少しばかり期待して読みました。英語の意味を調べてみると、「工場設備や行政機構などで、古くなって使いづらい設備や組織を捨てて、新しい設備や組織を作ること」とありました。

テーマはご多分に漏れず高齢化の進む中で社会問題にもなっている、介護が取り上げられていました。孫と祖父と母親という登場人物ですが、あまり重い話にならず孫の視点で書かれています。会社を辞め、アルバイトをしながら職探しをし、祖父の世話もしながら、また若者らしくデイトも楽しみながら自身の肉体も鍛えつつ日々を送っているのですが、孫には理解しがたい祖父の行動を距離をおいて見ています。「早くあっちへ行きたか。死にたか。」という祖父の思いにどうしてあげられるのかと考えたりもします。

母親としては自分の父親なので、これ以上手が掛からないようにと祖父の甘えに罵声を飛ばしながら刺激をしています。今介護と一言でいいますが、それぞれの置かれている状況が違い、介護制度も細分化されとても利用しにくいと聞きます。介護する側の者が重労働にならないようにということもあるでしょうが、ベストのケアを受けるには、お金もかかってくるのです。私が主人を在宅ケアを利用して見ていた頃とは、随分制度も変わってきたように思います。あの頃は制度もまだゆったりとしていて充実したケアを受けられたと思います。
さて、本に戻りますが、会社を辞めてから一年後には新しい仕事が決まり家を出ることになり、祖父がたよりにしていた孫の旅立ちで、祖父もある程度自立し、自分で出来ることはやる生活になるのではないでしょうか。
読み終えて題名の意味が、わかったような気がしました。

~読書会から~  筒井 康隆著 『旅のラルゴ』 菅原 玲子

初めて読書会に参加をした日、私は活発に意見が交わされるその場の明るさにすっかり魅了されました。その日は大柴先生もご出席されていて、終始ニコニコと皆さんの意見に耳を傾けていらっしゃるご様子がとても印象的でした。当日は漱石の『吾輩は猫である』が取り上げられていましたが、私は漱石がクリスチャンではなくむしろ反クリスチャンのような言動を取っていたことを知り、そこでまた教会の間口の広さを感じた瞬間でもありました。

次の読書会は筒井康隆氏の『旅のラルゴ』との事、私にとり筒井氏はSFっぽい感覚の本を書く人との印象があり、今まで読もうと思ったことがありませんでした。「高度な文明を失った代償として、人々が超能力を獲得したこの世界」という帯の言葉に興味をもち、一気に読みました。一旦文明を失くした人々が次第に再び文明に染まっていく過程がとても自然であり納得がいきました。私達も又この過程を経て今日の文明にいたったのでありましょう。

私はかつて古事記に興味を持ちました。 語り部の稗田阿礼は実在していなかったと云われていますが、「この本の中でのヨーマの存在はあながちそうとも云えないのではないか。記憶力の抜群に強い人の存在はたしかにあったのではないか。」と想像力を逞しくできたことも楽しいことでした。

何よりも私は自分では決して選ばなかったジャンルの本を、こうして楽しんでいる自分を発見し、確かに私の内部で何かが変化していると感じました。

「何事も乗り越えることに意義がある。」との信条のもと、自分自身で努力をし続けてきたこれまでの日々、それが自然の成り行きに任せようとの心になり無理がなくなりました。

やがて「すべてをより大きな力に委ねる」心に私もなっていくのでしょうか。

それがいつなのか私にはわかりませんが、「委ねて祈る」そこに行きつく過程を今私は存分に楽しんでいます。

そうした意味で今回『旅のラルゴ』に出会えたことは私にとって大きな意義のあることでした。

~読書会から~ 又吉 直樹著 『火花』 川上 範夫

 本書は本年度芥川賞の受賞作である。発刊当初から異常な売れ行きだ。単行本で250万部、月刊『文芸春秋』(受賞作を掲載)を含めるとその販売総数は300万部を越え、今や社会現象である。

 これには諸々の要因があると思うが、まずは著者が又吉直樹というお笑い芸人だという点であろう。(又吉は友人とピースという漫才コンビを組んでおり既に相当の知名度がある。)更なる要因としては、一般に余り知られていないお笑い業界の実態を本書が描いて見せてくれた点だと思う。

さて、話は熱海の花火大会に余興として呼ばれた芸人の徳永と神谷が知り合い、徳永が業界で先輩格の神谷の弟子になるところから始まる。

芸人の先輩と後輩との交流を通し、寝ても醒めてもお笑いのネタを考えている芸人達の苦闘の記録である。話は主として徳永の語りで進んでゆくが、会話の面白さとそのテンポは絶妙である。

ところで私の感覚ではお笑い芸人は「ビートたけし」や「渥美清」のように浅草という下町で生まれ、長い下積みをへて世間

に出て行くものとの先入観があるが、近年の芸人は芸能プロダクションに属し、事務所が設営する社内ライブで勝ち残り、テレビ界へ進出という足取りのようである。また、彼等の生活の場は浅草のような下町ではなく、吉祥寺などシャレた住宅街で、私のような古いお笑いファンとしては大いに違和感をもつところである。

だが、現代の芸人達は常に激しい競争にさらされ、浮き沈みは目まぐるしく昔とは違った厳しさがあるように思える。

〜読書会から〜 夏目漱石「吾輩は猫である」 廣幸 朝子

世の中にはイヌ派とネコ派がいるらしい。

そしておおむねネコ派の人はイヌも好きだが、イヌ派にはネコは嫌いという人が多い。ネコは人の云うことを聞かない、何を考えているか判らないからだという。要するに自分の支配の及ばないものはケシカランということだ、いかにも傲慢な人類の考えそうなことである。

イヌは賢いというが果たしてそうか。イヌは教えられなければ何もわからない。人間と同居するにあたってしつけ教室に通いさまざまな訓練を受けるがそれでも鎖に繋がれる。

一方ネコは、人間ををよく観察して、すべてをわきまえて上手に居場所を確保できる。だから自由を奪われることもない。その優美なフォルムと驚異的な身体能力と何者にも媚びない自由な精神を愛でて、ヒトは、霊長類などと威張っているヒトも、ネコにだけは膝を屈するのである。そんなネコだからヒトを観る目も上から目線になる。

その頃では数少ない大學出の教師として世間の尊敬を集め、職場でも家庭でも威張っている苦紗弥先生も、実は世間知らずの小心者と喝破する。先生宅に何かと集まってくる、これも錚々たるインテリの迷亭、寒月、東風たちの話を聞きながら、ヒトはつまらぬことにこだわり、人生をわざとややこしくしていると嗤うのである。主人だけをひたすら見上げ滅私奉公を生きがいとするイヌには到底持てない視点であろう。失礼ながら、田村ルナ嬢にはこんな本は書けない。

我が家の三代目の猫アトムは、その穏やかな性格で皆に愛された。ウラの元警視総監の未亡人宅で毎日のように開かれていたお婆さんたちの女子会のアイドルになり、庭先に姿をみせると喜んで招き入れられた。「アトムが人間の言葉をしゃべれたらエライことやね」と言いながらご近所の噂話は一層盛り上がった。侘しい一人暮らしの男性たちにも可愛がられしばし話し相手となり究極の傾聴ボランテイアも務めた。そのように他家を訪問するときはいつも、おなかをすかせたノラ猫を一匹連れてきたという。

そして自分に用意されたご飯をまずノラに食べさせ、残りを食べた。ノラも必ずアトムのために少し残したという。ヴァイオリンが好きで、幼い娘がキラキラ星などを弾いていると傍に来て一生懸命唄う。ベートーベンのシンフォニーとまでは云わないが、教会の聖歌隊くらい・・・かな。お向かいの奥さんは子供がヴァイオリンのお稽古をしぶると「アトムちゃん、ちょっと来て」と借りに来た。そんな風にアトムは町内随一の情報通であったが、知り得た情報を公にすることを潔しとせず、しずかに生涯を終えた。訃報をきいてご近所からたくさんの花が届けられた。

あるほどの 菊投げ入れよ 棺のなか
漱 石

志賀 直哉著 『暗夜行路』      川上 範夫

「暗夜行路」は志賀直哉の代表作で、且つ唯一の長編小説である。志賀は明治16年生まれ、昭和46年88才で亡くなったが、本書は大正10年から書き始められ完結までに17年を要している。だが、本書はトルストイのように民族や社会の動乱を描いたものではなく、又、司馬遼太郎の「坂の上の雲」のように明治の日本人の精神と国家の存亡を描いた大作でもない。一人の青年が出生の秘密からおこる苦悩を書いた私小説なのである。
 ところで私はよく本屋をのぞくが、店頭に並べられている本は経済や健康等直ぐ役に立つものが多く、「暗夜行路」のような文学作品は殆んど見当たらなくなってしまった。
 さて志賀文学の大きなテーマは父と子との不和であるが、本書もこの線上にある。主人公の時任謙作は祖父と母の間に生まれた不義の子という設定で、この境遇から抜け出そうとする青年の姿を描いている。又、この青年は個性が強く感性が鋭く、わがまま放題の人間でこれらの描写も面白い。
 ところで主人公の謙作は作家であるが東京を離れ、尾道、京都、鳥取などの各地を転々としつつ、美術、書画等の名品に親しみ、その数年間作品を発表していない。近年の有名作家が週刊誌の連載、テレビ出演等多忙を極めている姿とは異なり、ゆうゆうたる生活をしている姿が印象的で謙作は志賀の自伝ともいえよう。
 読書会で一人の方が、志賀の時代は時間がゆっくり流れていると言われたが、その通りだと思う。今や、高齢化時代で時間はたっぷりあるが、人々はいつも何かに追われ将来に不安を抱き、セカセカと日々を過ごしているのと対照的である。
 さて本書を読むにあたって大切なことは話の筋を追うのとは別に、志賀の簡潔、端正な文章と日本語の美しさにふれることだと思う。最終章となる大山中腹。朝明けの自然描写は正に近代文学史に残る名文であろう。「暗夜行路」を時間をかけ、ゆっくり読むことをおすすめしたい。

『穴』 小山田 浩子 著     野上 きよみ

「事実は小説より奇なり」というが、近年「ストーカーの被害」「航空機の爆破」「児童虐待」等と刺激的な事件にこと欠かない。その様な中「第150回芥川賞」は小山田浩子著『穴』が受賞した。
 内容は大事件が起きるのでもなく、平凡な日常が淡々と書かれている。
 地方都市に住む一主婦が、夫の転勤に伴い夫の実家に住むことになる。「携帯電話依存症の夫」「嫁・姑の関係」「隣人の奥さんの存在」「引きこもりの義兄のいることを初めて知ること」「やや痴呆のある夫の祖父の行動、死そして葬儀の際の地域の人々の関わり方」等に一見無秩序に見える日常生活が高度な技術で巧みに構築されており、「一体何が言いたいの」と思いつつ一気に最後まで読まされた。
 作者は広島に生まれ広島から出たことがないとの事で、舞台はコンビニが一軒しかなく、太田川の源流(?)の川がゆったり流れる県北の町の様に想像される。その河原にある穴に得体の知れない小動物を追っかけ落ちたりしているが、タイトルの「穴」は何を象徴しているのか明らかにされず、読者に委ねている作者の強い意志を感じた。
 今後の作品が楽しみである。

(2014年9月号)

姜 尚中 著『心』  塩澤 一実

初めに「心」の意味を岩波辞典(第六版)で調べた事がらを書き記す。

〈体に対し、しかも体の中に宿るものとしての知識・感情・意志等の精神的な働きのもとになると見られているものまたはその働き〉

物語はある書店で姜先生のサイン会があり、先生の大ファンであるという大学生西山直広がどうしてもお目にかかりたくてと、瞳の奥が思いつめた様子で「これ読んで下さい」と定形型の茶封筒を差し出した。やや突き出すように。「真剣なんです。お願いします」と。

ここから先生と悩みを抱えた西山直広とのメールでの心の交流が始まり延々と続く。

私もこのタイトルに引き込まれ一気に読んだ。そして姜先生の温かい心とその広さに圧倒された。「悩む力」で多くの困難を乗り越えて来られた方であればこその内容に、深く感じ入った。しかしこの感慨をどう要約すればよいか!私は考えた。

要はどなた様もこの「本」を手に取ってお読み頂くのが一番良いと思うに至った。

後世の者たちのためにも“一家に一冊”を本棚に置いて読み継いで行けたらどんなに素晴らしいかと思う。これが私の読書感です。

如何でしょうか!

私達が決して忘れてはならない2011年宮城県下東北沖を震源とし犠牲者を出したあの「東日本大震災」を決して忘れない為にも…。

〜読書会から〜 むさしの教会だより 5月号(499号)より

林 真理子 著『正妻』 仲吉 智子

最後の将軍徳川慶喜とその妻の物語で、上巻下巻で547頁。若い読者のために上巻では「公家」とは何モノという説明に多くの頁をさき、一口に公家といっても、格付けがあり、慶喜の妻となる美智子は公家の生まれではありますが、格の上である一条家の養女となり、名前も延から美智子君と変えて武家である徳川家に嫁入りすることになります。

 慶喜と妻美智子夫婦の物語と何度も申しますが、二人をとりまく人々の話に飛び飛びしながら、また、私共の知るところの歴史的な出来事に話が移ったりしますので、二人の存在がとても希薄に感じられます。主人公である美智子君の波乱万丈といえる人生が淡々と語られていきます。まるでテレビのワイドショー番組を見ているようだと感想を述べる方もいました。

 自分の意志をしっかりと持った個性的で魅力的な女性ですが、正妻として子に恵まれず、最後は乳癌となり、慶喜より先に亡くなりますが、こうした病になっても慶喜は正妻美智子君に対して「そなたはわしより先に死んではならぬのだ。妻とはそういうものだ。」と申します。美智子にとっては、はからずも聞いた夫の情の深さを感じる言葉となり、その頃にしては珍しい手術を受ける決心をするのです。

 夫婦の絆は人それぞれですが、何十人もの子を持つ慶喜の一言が妻の心に愛を届けることになったようです。

 二月四日の朝日新聞に「京都の私塾跡から重文級資料数百点」とあり岩倉具視に宛てた慶喜の直筆書状もあり「慶喜一身」が罰を被り「無罪・生民」が苦しみを免れるように江戸攻撃の中止を求める内容で直筆が見つかるのは初めて。とありました。

 この資料がもっと早く出ていたら、慶喜ももう少し男らしくよく書かれていたかもしれません。

〜読書会から〜 むさしの教会だより 5月号(499号)より

井リョウ著「何 者」       今村 芙美子

大学5年生の拓人は就活仲間でもあり、ツイッター仲間の5人の友人がいる。それに劇団の一年先輩のサワ先輩がいる。ちゃめっけたっぷりの光太郎とはルームシェア生活をしている。不思議なことにここでは光太郎の日常の生活態度の批判、劇団の仲間キンジへの批判、瑞月の留学仲間であり、拓人の上の階に住んでいる理香と隆良への批判が綴られていく。就活に必要なプリンターを借りることもあって自ずと理香の家に皆集まった。時には光太郎の手料理も出る。
意外なことに就活に批判的な隆良も就活を始め、いい加減な光太郎は出版社を希望している。拓人はサワ先輩に「ツイッターには本当のことは書かれていない」とぼやく。先輩は「ツイッターの少しの言葉の向こうにいる人間そのものを想像してあげろよ。ギンジの劇場にも足を向けろよ」と拓人の冷たい気持ちを忠告する。拓人は就活で内定がなかなか得られなかった。何故か拓人が携帯を持つ時、理香の目線にビクビクした。
 やがて瑞月も光太郎も内定が決まり、お祝いの乾杯をサワ先輩のアルバイト先で行った後、拓人は理香にプリンターを借りに行かねばならなかった。隆良が留守で理香と拓人だけだった。パソコンのマウスを動かす背後で、「内定していないのは私達だけだね」「私ずーっと読んでいたんだよ、あんたのもう一つのツイッターのアカウントNANIMONO」。その声はもうオブラートをしていない理香の声だった。「あんたは誰かを観察し、分析することで、自分じゃない何者かになったつもりなんだよ」「自分は自分にしかなれなし、痛くてかっこ悪い今の自分を理想の自分に近づけることしかできない」「あんたの心の内側は相手に覗かれるよ。どの会社だって欲しいと思うわけじゃない」。いつしか理香は自分にも向けて言っていた。
数日後、拓人が面接官に答えていた。「自分の短所はかっこ悪いところです。長所は自分がかっこ悪いと認めることができたことです」。
 ツイッターの時代であろうと、青春は友達と直に、あふれる言葉で語り明かす思い出を作れる時であると私は思った。

夏目漱石著「草 枕」      川上 範夫

 漱石は34歳で、3年間のロンドン留学を経て東京帝大英文科で教鞭をとるが、常々神経衰弱に悩まされ、これを和らげるために執筆したのが「吾輩は猫である」といわれる。彼は引き続き「坊ちゃん」を発表、人気作家となる。この二作ともユーモアのある作品だが、「草枕」はこれらと異なりシリアスなものである。本書は発刊と同時に異常な人気を博し、明治文壇の最大傑作といわれた。これを機に漱石は創作に生涯を賭ける決意を固めたという。その後も次々と話題作を発表するが胃潰瘍の悪化により50歳で逝去した。彼の作家活動はわずかに12年であった。

 さて、「草枕」の書き出しは有名である。「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」。
 ところで、この作品は一口で言えば、東京に住む画家が、都会の喧噪を離れ奥山の温泉宿に逗留するという旅の物語である。彼の言葉を借りるなら「いやな奴で埋まっている俗界を脱し、非人情の世界で遊ぼう」というのである。文中に登場する人物はいずれも平凡な連中である。峠の茶屋の婆さん、床屋のおやじ、お寺の和尚、宿の下女など。だが漱石の筆にかかると一人一人が味のある人間に見えてくる。又、この連中との会話は実に軽妙である。ところが画家は温泉宿の持主の出戻り娘、那美という女性に特別な関心をもつ。そして、この女性についての描写が長々と続く。然もその文章は漢文調で、読むのに一苦労である。
 それにしても、明治の知識人の漢学についての素養の高さには感服する次第である。だが、本書はただの旅日記ではない。随所に文明批判が見られる。文中で画家はこう言っている。「汽車ほど二十世紀を代表するものはあるまい。何百という人間を同じ箱に詰めてゴウと通る。個人の個性に寸毫も注意を払わない」と。二十一世紀の我々にとって汽車は近代化の象徴ではないが、文明が進むほどに人間が救いがたく孤立してゆくことに対する漱石の不安について、あらためて考えさせられるものである。

〜 読書会から 〜 村上春樹著 『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の旅』 野上 きよみ

 約百万人の人が行列して購入したという。この読書会では『ノールウェイの森』『海辺のカフカ』に次ぐ村上作品は三冊目。今回が一番読みやすかった。

 舞台は名古屋の高校生五人がボランティア活動をきっかけに親密なグループであり続ける。主人公のつくる以外は、成績抜群の赤松、ラグビー部の青海、ピアノがうまい白根、愛嬌のある黒埜と名前に色が含まれていた。

 東京の大学へ進学したつくるは、大学二年の夏、突然きっぱり四人に「顔をあわせたくない。口もききたくない」と妥協の余地のない通告を受ける。理由は何ひとつわからず、彼はあえて尋ねなかった。それから六ヶ月彼は死ぬことだけを考えて生きる。自殺を試みなかったのは、死への想いが純粋で強烈すぎ手段が見つけられなかったからだ。やがて死の淵から脱却しつくるは生まれ変わっていた。

 十六年後つくるは駅舎を設計管理する会社に勤務。二才年上の紗羅と知り合う。彼女から「大人になった今、高校時代のダメージを乗り越える時期ではないの。拒絶された理由を自身の手で明らかにしてもいいんじゃないの」と言われ、四人の友達に会う旅に出る。

 トップセールスマンになっているアオ、自己啓発セミナーを主催しているアカ、ピアノ教師のシロはすでに亡くなっており、フィンランドに嫁いだクロに会い決別された理由が判明する。その報告をすべく紗羅を待っている所でこの物語は終わるが、つくるの巡礼の旅はまだまだ続く予感を残している。

 作者は「人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。むしろ傷と傷によって深く結びついている。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっている。痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものだ。」と述べているが、これがこの物語の主題かと思えた。

 リストの「巡礼の年」のメロディーが効果的に作品の中に流れていた。

むさしの教会だより 2013年9月号

井原 西鶴著 『世間胸算用』  今村 芙美子

 徳川時代の中期に入る頃の井原西鶴の作品である。江戸の人は年貢納めを少なくするため、間口を狭く、奥行きのある家を建てることが多い。又、堺の町人は娘を持つと、3-5才の頃から嫁入り衣装の支度をする。家の柱や根元が朽ちないうちに石で根継ぎし、銅が安価な時に軒の樋を修理する。人とのお付き合いも、先祖代々の茶の湯道具を世渡り上手に役立てるために利用する。このように胸算用して安心して大事な正月を迎える。

 しかし思うように胸算用できない資産の少ない人はどのように暮らしているのであろうか。西鶴も歳徳の神々と同じように覗きに行く。

 質屋に入れる物がないある女房は、貧乏浪人の夫の長刀を持って行ったが、質屋の亭主に小馬鹿にされ刀を放り出される。「何と大事な刀を!先祖の恥」と喚き出し泣き崩れる。周りの人が「あの男は後が恐い」と亭主に囁き、亭主は仕方なくその女房に、お米と銭三百文をお詫び料として渡す。又借金をしている者は物怖じしなくなる。おかみさんが「主人がいなくなってしまった」と嘆き、掛買人が帰って行くと、主人は押入れからのこのこ出てくる。さて大晦日にお金を返すのを言い訳をして渋っている亭主にある若い丁稚の掛買人は、「お芝居は終わったようですよ。代金を支払わない以上、改築に使った材木はこちらのもの」と門口の柱を大槌で打ち外そうとすると、亭主は詫びをし、残らず代金を払った。借金取りも心弱くては勤まらない。さてこの若者、その亭主に掛買人追い返し法を教える。夫婦正装し、要らぬ反古紙を大事そうに一枚一枚引き裂いて「最後借金を残さず、褒められて死にたいねと理由ありそうに捨てていくことです。どんな掛乞いも長居はしないもの」と言って去って行った。

 借金取りも大晦日に後味の悪くないようにして、正月を迎えることになるのである。

 子どもの教育は少年の時に花をむしったり、凧をあげたりしながら、手習い、読み書きに精を出したものは物事に愚かなように見えるが、度量が広くなる。知恵の付くころに将来の方針を建てるし、仕事に就くと、脇目もふらず精を出し、仕事に磨きがかけられると、西鶴は子どもの将来の胸算用まで書いている。

むさしの教会だより 2013年7月号

トーマス・マン著 『トニオ・クレーゲル』  谷口 雅代

1903年、27才のマンは自伝的小説の中で、芸術家と俗人(市民気質)相反するものの間で揺らぐ主人公トニオをみごとに描いている。トニオは破風づくりの家並みがそろう北ドイツの町で生まれた。父親は手広く穀物商を営む領事である。14才のトニオは勉強よりも詩や音楽を愛する夢想的な少年である。彼はクラスの優等生で快活で金髪の美少年ハンスを心から愛するが、トニオの繊細な心は理解されず幾度か苦悩をなめている。

ある精神構造を持ちえないハンスを作者は俗人として定義している。16才のトニオが恋したのは、豊かなブロンドのおさげ、切れ長の碧い眼のインゲボルグであった。しかし彼女もハンスと同じ世界に住む人間(俗人)であった。自分が憧れ求めている人達が別世界で相反しているのは実に苦しいことだが、彼は幸福だった。

父の死後、彼は南国へ行き、精神と言葉の力に身を委ねるべき修業を重ね、少しは名の知れた詩人となるが快楽の冒険にはまり、良心の呵責に苦しむ。

穏やかな市民生活と芸術家志向との葛藤、画家リザヴェータに芸術家としての苦悩・孤独を告白するが「迷える俗人」と一言で「片づけられる」トニオはデンマークに旅行し、途中、10何年ぶりにホテルでハンスとインゲボルグの姿を見い出す。二人は昔と変わらず、溌剌と幸福そうに見えた。

二人を遠くで眺めるが、再会の時も芸術家気質のトニオが一部の俗人(ハンスとインゲ)に対して昔と変わらぬ深い愛情を持ち、トニオの中で、余りにも大きな存在として根付いている。彼の心は生きていたから。

リザヴェータに手紙を書く。『文人を詩人に変える力があるならば、それは、ほかならぬ人間的なもの、生命あるもの、平凡なものへの、この私の俗人的愛情なのです』この小説のテーマ、芸術家と俗人の対立に於いて、トニオは一部の俗人を愛し今も昔も受け入れることにより、最後に真の芸術家としての自身の価値も高めている。この作品は難解であるが青春の混沌(カオス)にいざなわれ読みごたえがあった。

三浦しおん著 『舟を編む』        川上 範夫


題名を見て目に浮かぶのは、未開地の部族が葦の茎で小舟を編む光景である。だが、本書はこれと全く異なり国語辞書編纂の話なのである。(2012年度「本屋大賞」受賞)

さて、どこの家にも国語辞書の一冊ぐらいはあるものだが、私達はこれが作られる過程については何も知らない。著者はこのように身近だが人には関心を持たない分野に陽を当て私達の目を開いてくれる。

話は大手出版社で国語辞書の編集一筋に生きてきた社員荒木の定年に当たり、後任者として馬締という若手社員を選ぶところから始まる。話に登場する人物は多くはない。定年の荒木、編集部の主任となる馬締、彼と同期の西岡、辞書の監修責任者で国語学者の松本先生である。

だが、原稿執筆者には専門分野ごとに大学教授が担当、その数は50名をこえ辞書に関わる人材の層は厚い。このような人々の総合力によって23万語の辞書『大渡海』の編集が進行してゆくのである。

併しその過程ではさまざまな問題が起こる。会社上層部の辞書出版に対する批判、人手不足、編集部に対する大学教授の非協力等々である。

一方、編集部自体のミスも起こる。編集の最終段階に入って「血潮」の文字が校正刷りから抜けていることが判り大問題となる。細かい説明は省略するが、要は一文字の欠落のために四校まで進行している23万語の全てを再チェックすることとなる。主任の馬締は近くに下宿屋を借り、若手社員、学生アルバイトらを総動員一か月に亘って泊まり込み、作業に当たる。ここで示された馬締のリーダーシップは彼らを動かし、この難問を乗り切っていくシーンは圧巻である。又、製紙会社の技術者によって辞書のため究極の紙が出現する経過も興味深い。

薄暗い出版社の一室で進められる辞書編集という地味な仕事にも拘らず、それが出来上がってゆく経過に私は探検小説を読むような興奮を覚える。馬締と女性(板前)との結婚エピソードもあるが、辞書の完成を目前にして監修責任者の松本先生が病に倒れ他界され、その葬儀の夜、馬締は下宿に戻り一人で嗚咽する場面には胸を打たれる。

最終章は発刊記念祝賀会のシーンとなる。23万語、2,900頁の国語辞書『大渡海』は企画から15年を経て世に送り出されることとなった。

長い困難な道程を乗り越えてきた人々の情熱に私は熱くなった。

「辞書は言葉の海を渡る舟だ。我々は海を渡るにふさわしい舟を編むのだ」といった松本先生の言葉があらためて胸に響いた。

むさしのだより 2013年3月

塩野七生著 『ローマ人の物語』       仲吉 智子


先日、テレビのスポーツニュースを見ていましたら、大阪桐蔭高校の野球選手藤浪晋太郎君がインタビューの中で読書が大好きだと言っているのを聞いて”ワァーすごいなぁ“と感動してしまいました。野球選手というハードな生活の中で本を読む時間をさがせるなんてと感心した次第です。

この度は塩野七生著『ローマ人の物語』シリーズの中の八・九・十を今村芙美子姉の強い勧めで読むことになりました。

「ユリウス カエサル」に焦点をあてた部分で上・中・下となっており、上が彼の「幼年期から青年後期」まで、中が「壮年前期とガリア戦記」下が「勝者の混迷」というタイトルでマリウスとスッラの時代へ、そしてポンペイウスの時代に移ってゆきます。カエサルは名門でもない家に育ちながら、母の教育もあり、世の中に出てゆきますが、成功した男性の陰には女ありといわれますが、悪い意味ではなく、見事に母に支えられて育ち、少し先が見えた頃には母はこの世を去ることになります。カエサルは又、大の借金男だったようですが、皆様ご存知でしたか。古今の史家や研究者にとっては、いまだに迷とされているとこは、カエサルがなぜあれほどの莫大な額の借金が出来たのかと言われています。また、もう一つなぜカエサルは女という女からモテただけでなく恨みを買わなかったのかの解明が、現状男性独占といわれる史家や研究者では何も解明されず、やはり女の立場で、はじめて可能になったのに似て、なぜ権力もなかった時期のカエサルに多額の借金が出来たのかはローマ時代の債権者と債務者の心理にまで入り込んで考える必要があるのではと著者は力説しています。

勝手に想像をふくまらせて言わせてもらうと、著者はカエサルを理想に近い魅力的な男性像に描いているように感じます。

今回は余談の部分にスポットをあててみました。

むさしのだより 2013年3月

水村美苗 著『母の遺産』  松井 倫子


早々と在庫切れになった人気の本である。私自身は『日本語が滅びる時』の著者として最近知った。読売に連載された新聞小説でこれだけ書くのも凄いが読むのも大変、私は読書会の報告を引き受けた事を大いに後悔した。

参会者の感想は「やはり母はいつまでも生きて欲しい」、「この本は正に今の時代を表している」、「読み応えがあった」、「一読に値する」、「今後の日本への問題提起のある作品だった」、等であった。本の帯には、「もう疲労で朦朧として生きているのに母は死なない。若い女と同棲している夫がいてその夫とのことを考えねばならないのに母は死なない。ママいったいいつになったら死んでくれるの? 親の介護・・・離婚を迷う女は一人旅へ。『本格小説』『日本語が亡びるとき』の著者が自身の体験を交えて描く待望の最新長編」と書かれている。文中に「思えば美津紀自身が新聞小説の落とし子であった」とあり、明治30年読売の新聞小説として『金色夜叉』が始まったことが書かれ、それは一家にとって大事な事で、「もし日本に新聞小説というものさえなければ母も私達も生を受ける事はなかった。」というのである。そんな家系に生を受けた家族、私は読むのに難儀した。然し本来のテーマは流石の名家をも襲った老いの問題であり、父と母の終末期を迎え、へとへとになりながら頑張る姉妹の姿、そしてゴールデンイヤーズという老人ホ―ムに家を手放して母を入居させるが、夢は枯れ野をというタイトルをへて母の死が記される。通夜の長電話に始まり、桜が咲いた日でこの本は終わる。あの時を境に母は美津紀に擦り寄るようになり、母と奈津紀の関係はどこかで決定的に壊れてしまった。母は憑き物が落ちたように姉を冷ややかに見るようになった。こんな母親に育てられながらも、姉妹は助け合い支えあっているのが救いである。

(むさしの教会だより 2012年 11月号)

折口信夫著 『死者の書』 今村 芙美子

 彼の人は百年の眠りから覚めていった。起き上がろうとすると疼を覚えた。俺は殺された。処刑されたのだ。叔母に!寒い!素裸だ。彼の人の眠っていた二上山は大阪府と奈良県の境にあり、東に当麻寺(たいまでら)、更に東に横楓家がある。藤原の南家、豊成は鎌足から四代目、今は謹慎する身で、大宰府と難波を往復する勤めをしている。奈良の横楓(よこはき)家に留守する娘に阿弥陀経の本を贈る。父を想う娘は侍女達を寝静まらせ、げっそり痩せる程に九百部写経を終えた春分の日の夕方、二上山に荘厳な俤(おもかげ)が瞬間顕れ、消えるのを見る。半年後千部の写経を終えた秋分の日、二上山にあの俤を又見ることができた。南家の郎女の神隠しにあったのは其の夜であった。屋敷から一歩も出たことのない姫は、二上山を見ながら、西へ西へと走った。辿り着いたのは当麻寺の庵であった。僧達は横楓家へ知らせた。そして姫の身はこの庵室に暫く留めおかれることになった。姫は一人の姥がずーっと付いて来たことを知っていた。いつのまに室の隅の板敷に座っていた。「郎女様」と乾声で喋り出した。当麻の語部であった。 藤原鎌足と天智天皇の起こした大化改新、天智天皇死後弟、天武は天智の娘と壬申乱を起こし大友皇子を殺す。天智の娘持統は、天武天皇との間に草壁皇子、持統の姉も天武天皇との間に大津皇子を持つ。天武天皇死後持統は我が子草壁皇子を守るため、才能に恵まれた大津皇子を謀略を持って処刑し、二上山に葬る。草壁皇子病死後持統天皇となり、古事記、日本書紀の編纂にも関わる。大津皇子の姉は万葉集に「うつそみ(現世)の人にあるや明日より二上山を弟背と我見む」と歌う。当麻の語部は口をつぐむ。姫はあの俤の人が大津皇子であったのかと思う。若人や女達は横楓家と当麻寺を往来(いきき)しながら、蓮糸作りにも忙しかった。庵にも蓮糸が高く積まれていく様を姫も楽しんで見ていた。秋分の日「郎女様がいない」と皆で捜しまわると、姫は当麻寺の門の内に来て、二上山の空を見上げていた。尊者の姿が顕れ、笑みを含んだ顔が姫に向けられ、目は涼しく見開いていた。刀自乳母の驚きの中で、姫が機織を始めた。「こういう風に織るのです。ごらんなさい」尼の声が途中で当麻語部の声に変わり、はっと目を覚まし、直ぐに機織に向かい、みるみる美しい織物ができた。姫は織物に絵筆で尊者を描き「これであの方は寒い思いをしないですむ」と筆を置き、誰にも気づかれずに当麻寺の門から立ち去った。残された女達、若人は数千の菩薩の浮き上がった曼荼羅の織物を見ているのだった。

(むさしの教会だより 2012年 9月号)

五木寛之著『親鸞 激動編 上・下』   廣幸 朝子

確かに『激動編』というタイトルであるけれどこんなにハチャメチャな騒動が繰り広げられるとは思いもよらなかった。「007」「インデイ・ジョーンズ」顔負けの騒ぎである。比叡山をはなれた親鸞の人気が一般大衆のなかに次第に大きくなっていくと、権威と利権を脅かされることをおそれる既存の勢力は、なんとか親鸞を陥れようと様々に悪巧みをめぐらす。絶体絶命、親鸞あわや、というところで、突然超人的な武力をもった味方が現れて、親鸞は事なきを得る。一度や二度ならハラハラドキドキもするけれど三度四度と繰り返されると、なんだか笑えてくる。親鸞が越後に流され笠間に移るまでの時代の話である。

社会保障は無論、法の保護が何もない時代の庶民の生活は悲惨であり、死後さえも寄進や修業しないものは地獄に落ちると脅され、まさに生きるも地獄、死ぬも地獄。この人々をどうやったら救えるのか、親鸞は必死であった。

権威を守ろうとする既存の勢力との戦いは、パリサイ派とイエスさまの対立を思わせる。相手のワナと知りつつ死地に向って行く親鸞は、「捨身」という言葉を使って、自分がそこにいくこと、あるいはそこで死ぬことによって伝えられることがある、という。これは十字架に向うイエスさまと同じ覚悟であろう。また「南無阿弥陀仏」という言葉は仏様への哀訴、祈願の言葉ではなく、この身のままで仏様に救われているとさとったときの応答であるという。これは我々のアーメンと同じではないか。あまりに短絡な我田引水かと自分でも思うが、キリスト教づけの毎日をおくっているとこんな読み方になってしまう。この本は賀来先生のお勧めであった。先生にお話を聞く機会がなかったのが残念デス。

(むさしの教会だより 2012年7月号)