ベテル聖書研究

感想(10)「聖化」 塩澤一実


ベテル聖書研究 旧・新約の学び
むさしの教会では第1回のベテル聖書研究・旧新約の学びの完了を記念して、たよりに特集号(2002/5月号)を組みました。

『ベテル聖研を終えて』
ベテル聖研・旧新約クラスの参加者たちの感想です

ベテル聖書研究会のホームページが開設されました。


とうとうタイムリミットが来てしまいました。

聖化の第19課145頁の「大切なこと」

 ・規則正しい礼拝出席
 ・神のみ言葉の学び
 ・他の聖徒たちとの交わり
 ・そして、祈り

をできる限り、怠りなく、続けて参る所存です。

(2002年5月)

感想(9)「神との関係に生きる」 金 賢珠


ベテル聖書研究 旧・新約の学び
むさしの教会では第1回のベテル聖書研究・旧新約の学びの完了を記念して、たよりに特集号(2002/5月号)を組みました。

『ベテル聖研を終えて』
ベテル聖研・旧新約クラスの参加者たちの感想です


 何十年も前よりこのようなすぐれたテキストを作り用いられたスウィガム先生をはじめ大柴俊和先生や皆様のご奉仕に心より感謝申し上げます。テキストに出て来る絵については時にはリアルな表現のアイデアや色におそれたり、ちょっぴりなじめない所もありましたが、適切なその概念に結びつき理解するには十分なものがありました。

 また、ベテル聖研での、テキストに基づくふさわしい説明も大いなる学びの時でした。この受講を終えて心に残るひと言と言えば、「神との関係に生きる」事でした。これしかないし、これがすべてですね。

(2002年5月)

感想(8)「聖書通読の習慣」 石垣通子


ベテル聖書研究 旧・新約の学び
むさしの教会では第1回のベテル聖書研究・旧新約の学びの完了を記念して、たよりに特集号(2002/5月号)を組みました。

『ベテル聖研を終えて』
ベテル聖研・旧新約クラスの参加者たちの感想です


 教会の交わりに加えて頂いた時から、聖書の全体を学ぶ機会と昼間の時間に集会がほしいと思っていましたが、聖書研究会は夜に持たれていましたし、次週の主日の福音書の箇所などが取り上げられていました。

 そして、20年ほど経った1998年に大柴牧師よりベテルのお誘いがあり、時間も午前中という願ってもない機会でした。大好きな箴言、それに続いて十戒、そして旧新約聖書についてと学ばせて頂き、テキストには宿題があり、なかなか難しい問題で、また時間がとれず、あまり出来ませんでした。それでも私は「読みなさい」とある所だけは読もうと決心して始めましたが、やはり最後まではついていけませんでしたが、テキストは必ず1回は復習の意味で、引用された聖書の箇所を加えながら、家で読み返しました。

 とにかく聖書の通読の習慣がついたことが私にとって一番大きな収穫でした。ありがとうございました。

(2002年5月)

感想(7)「受洗への導き」 高橋光男


ベテル聖書研究 旧・新約の学び
むさしの教会では第1回のベテル聖書研究・旧新約の学びの完了を記念して、たよりに特集号(2002/5月号)を組みました。

『ベテル聖研を終えて』
ベテル聖研・旧新約クラスの参加者たちの感想です


 阿佐ヶ谷駅と自宅との間にむさしの教会はある。そのたたずまいに惹かれて1998年冬に門を叩く。大柴牧師から来春から旧約聖書を学ぶ研究会を始める予定、その時は連絡するとの話あり。翌年知らせあり。研究会に参加。3年間も聖書を学ぶとは思いもせず。

 研究会に参加した年、クリスマス礼拝で大柴牧師により受洗する。一大変化である。1952~53年、オーストラリア人牧師の教えを受けるも、就職で東京を離れ、仕事に注力し牧師先生達と信者達とも疎遠になった。それからほぼ50年経つ。ベテル聖研で再び聖書に接す。神は私をむさしの教会へ招かれた。感謝あるのみ。

 聖書研究は、物語の時代背景への興味をかき立てる。聖研ではもっと聖書中の事柄が起った社会状況が説明されると面白くなる、と思う。

 旧約と新約を通して学び、その一貫性を多少理解する。その大きな流れと共に偉大さに驚く。聖書からの学びは無限である。

(2002年5月)

感想(6)「神のみ言葉の迫り」 抱井義子


ベテル聖書研究 旧・新約の学び
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『ベテル聖研を終えて』
ベテル聖研・旧新約クラスの参加者たちの感想です


 赤裸々に書かれた人間のみにくさ、長々と続く奉納物や規則の記述、むごたらしい戦いの様子。けれどもっと残酷な事を今の人間はしているのではないか。私の心はこの世の取るに足らない事柄に占領されているのではないかと思うとき、何か不思議な書物だなあと遅ればせ乍ら思う。又、神の民の恥ずべき行いもありのままに記されているのに、常に隠れたベストセラー。

 けれど一方で、こんな膨大なテキストを抱え込まなくても信仰者として生きることは可能なのでは…と、こんな次元でウロウロしている自分がいる。

 「どんなことでも、思い煩うのはやめなさいい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和があなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう」(フィリピ4:6~7)との言葉は、ベテル聖研の終盤、母の介護に突入した私には魅力的であるが、本気での実行は難しい。

 そしてまだまだ自分の方からその時々の自分を導いてくれる聖書の箇所を捜し求めているが、み言葉の方から迫って来て欲しいと願っている。

 又、このような聖研や説教などの生の導きを大切にして行きたいと思う。

(2002年5月)

感想(5)「交わり」 中山康子


ベテル聖書研究 旧・新約の学び
むさしの教会では第1回のベテル聖書研究・旧新約の学びの完了を記念して、たよりに特集号(2002/5月号)を組みました。

『ベテル聖研を終えて』
ベテル聖研・旧新約クラスの参加者たちの感想です


 今から30年以上も前に聖書の中の暗誦聖句を次々と覚えなくてはいけない、大変苦労する聖書研究の方法だけど、学んでみたら、記憶に残って身につくので楽しいという話を聞いていました。何時の日かベテルの方法で聖書を学びたいと希望を持ち続けていました。

 まさに時が満ちて、この1年4ヶ月大柴先生のお導きで新約聖書をベテル聖書研究の方法で学ぶことが出来ました。私どもの強い要望を汲んでくださって、宿題・暗記ものは緩やかで試験はなくプレッシャーがなかっただけに、学びがどれほど身に着いたかはおぼつきません。私たち 17名のペースを考え工夫を凝らして導いていただきました。クラスメートから毎回出される質問や感想を伺ったのも普段の教会生活ではなかなか持てない貴重なひとときでした。

 ご指導いただいた中で、特に印象に残っていることを記します。一つは、折に触れ大柴先生が用意してくださった副教材です。聖書入門の表の類であったり、異なった視点からの解説であったり、それら資料は、ある意味で絵画的な手法のベテル聖書研究の方法に、わかりやすく系統的な関連づけをする補助となりました。そして各々の生活に照らしてその文脈の中で聖書を味わうことを教えていただきました。二つ目は、大柴先生の哲学・神学の幅広い学識、更に牧会者としてのスタンスのお裾分けをいただいたことです。特に「時」のとらえ方、聖化や義認、我と汝等、視点の新しさや豊かさを感じました。

(2002年5月)

感想(4)「40年の時の不思議」 池田 照


ベテル聖書研究 旧・新約の学び
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『ベテル聖研を終えて』
ベテル聖研・旧新約クラスの参加者たちの感想です


 四十年前初めてベテル聖研の絵を見た時、どうしてこんな絵に表現されたのかと驚きました。が、若い大柴俊和先生がアメリカで勉強されたこのベテルの喜こびを拡げたいという熱意が伝わってきました。ベテルの絵の一つ一つは聖書の個所を覚える事、みことばだけを読みとっていくより絵の中にある意味を考え覚える事の方が良くわかる教材でした。四十年たって内容的には忘れてしまった事が大半ですが、絵の一枚一枚のシーンは何故か残っていました。旧新約の聖書を読みとおすことは大変で、自分が好きなみことばに線を引いて覚えることが出来たとしても一部分です。このベテルの絵はみことばを私の頭と目に残してくれます。再度こうして学ぶ事が出来、その一枚の絵の中にあるみことばの意味の深さを実感できたと思っています。

 四十年の時をすごし、大柴先生父子に同じベテルを学ぶことが出来た不思議を心から感謝しました。

(2002年5月)

感想(3)「神の時の流れ」 西山和子


ベテル聖書研究 旧・新約の学び
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ベテル聖研・旧新約クラスの参加者たちの感想です


 聖書の○章の○節から○節迄を読んで、それについて学ぶという形で、私は多くの場合、聖書を開いて来た。この度、旧約・新約聖書をスウィガム先生のお言葉を通して学ぶ機会が与えられ、遥かな昔、神がイスラエルの地を選び、主のみ言葉を注がれ、その地の信仰者や預言者達によってみ言葉は代々に守られ、育てられ、やがてイエスを給う事によってその流れは暖かく、大きな流れとなっていった様子を学ぶ事が出来た。初めは、どうしてもなじめなかったテキストの絵も、内容を理解する上で助けとなった。

 更に、私にとって嬉しかった事は、講師が着任間もない我が牧師であったことである。

(2002年5月)

感想(2)「老いの恵み」 柴崎芳子


ベテル聖書研究 旧・新約の学び
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『ベテル聖研を終えて』
ベテル聖研・旧新約クラスの参加者たちの感想です


 「ベテル聖研旧新約聖書の学び」に参加致します事に初めとても不安とためらいが有りました。第一に年齢のこと。健康が続くかしら。第二に老化現象。頭も目も耳も。理解力。記憶力すべて退化している現実。お若い方について行けるかしら?等々。

 そして講義が始まって見ますと、やはり「学習」というものから長い年月はなれて居ました私には耳慣れない語句など色々と戸惑うことばかり。あとで読み返して見て漸く理解出来る事も有りました。でもやがて雰囲気にも馴れ、毎回楽しく学ばせて頂きました。今までなかなか読み通す事の出来ませんでしたこの膨大な旧新約を読む事が出来、学ばせて頂きました事は何よりの幸でございました。

(2002年5月)

感想(1)「神の深い愛」鈴木元子


ベテル聖書研究 旧・新約の学び
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ベテル聖研・旧新約クラスの参加者たちの感想です


膨大な旧約聖書を隈なく読み、その中のメッセージを心に受け留めてゆくことはなかなか容易ではない。この度旧約のポイントとなる部分を要約して展開され、人間本来の性と罪と、それに対する神の怒りを知る事ができた。それは、新約聖書が人類に与えられる前提であって、人類を苦しみから救おうとする神の恩恵は、最愛の一人子を贖いとして地上に下す程の深い愛であった。その恵みに応えるすべは、アブラハムが息子を捧げる信仰に、その極限が示されている。十字架の死に至るまでイエスが受けられた苦難を通して示された訓えに従って進むことが、示された道である。そして信徒として聖化される日を待ち望むのだ。

(2002年5月)

解説「ベテル聖研について」 大柴譲治


ベテル聖書研究 旧・新約の学び
むさしの教会では第1回のベテル聖書研究・旧新約の学びの完了を記念して、たよりに特集号(2002/5月号)を組みました。

『ベテル聖研を終えて』
ベテル聖研・旧新約クラスの参加者たちの感想です

ベテル聖書研究会のホームページが開設されました。


今回は比較的脚光を浴びることの少ない聖書研究がむさしのだよりの特集に取りあげられたことを感謝したい。み言葉の学びは私たちの日常生活の中で何よりも大切なことだからである。

1999年3月より三年がかりで取り組んできたベテル聖研旧新約の学びを2002年3月13日、無事終えることができた。旧新約の受講者はそれぞれ17名。求道者もおられたし、洗礼にまで導かれた方もいた。原則として出席者には無遅刻・無欠席が求められ、宿題や試験もある。厳しい聖研であると聞いて遠慮された方も少なくなかったであろう。しかし実際には、牧師の柔和な(?)性格もあってそれらの原則は柔軟に運用されていった。

旧約20課、新約20課の学びを通し、「雨にも負けず、風にも負けず」無遅刻無欠席を貫かれたのは85歳の柴崎芳子姉。ここにその忠実さを覚えて多としたい。なお、最高齢者は91歳の鈴木もと子姉で、こちらもほぼ皆勤。柴崎姉と共にキリスト者の全生涯がみ言葉の学びであるということを体現してくださり、牧師としても姿勢が正される思いがした。覚えて感謝したい。また、勇気をもって参加されたお一人おひとりの労をねぎらうこととしたい。

ベテル聖研について。1961年に米国ウィスコンシン州マジソン市で開かれた米国第1回旧新約講習会に、当時セントポールのルーテル神学校に留学中の大柴俊和師(元日本福音ルーテル教会牧師)が参加したことが機縁となり、1964年に日本でもベテル聖書研究会が発足することとなった。大柴牧師は1971年より専従となる。ルーテル教会牧師のハーレイ・スウィガム博士によって書かれたテクストが大柴師によって翻訳され、静岡にあった東海ルーテル聖書学院や静岡教会、岡山教会などで用いられた。

ベテル聖研では旧新約聖書全体を救済史的な視点から学ぶが、記憶を助けるために教材に絵を用いることがその大きな特徴の一つである。これまでの40年間に日本において指導者の講習を受けた者が約二千人、ベテル聖研を終了した者が続編を含めて四万人近くいる。参加教派は50 以上に渡るということも特筆に値しよう。日本のキリスト教史においてベテル聖研の果たしたエキュメニカルな役割は大きい。

旧新約以外にも続編として『十戒』『日々の宝石(箴言)』『あがないの教会』『結婚』などがある。2002年は7月の最初に市川で続編講習会があるので、参加希望者は牧師まで。

(2002年5月)

はじめに 「特集にあたって」 市吉伸行


    ベテル聖書研究 旧・新約の学び

むさしの教会では第1回のベテル聖書研究・旧新約の学びの完了を記念して、たよりに特集号(2002/5月号)を組みました。

ベテル聖研ポスターは右側にあります。

    『ベテル聖研を終えて』

ベテル聖研・旧新約クラスの参加者たちの感想です

ベテル聖書研究会のホームページが開設されました。


むさしの便りの読者の皆さんは、普段どのように聖書を読んでおられますか。熱心に毎日聖書を読まれる方も居られると思いますが、多くの信徒は日常生活に追われ、礼拝での聖書朗読と説教以外に聖書に向き合う時間が少ないというのが正直な現実ではないでしょうか。(普段教会に通えない信徒や求道者の方々の方が熱心に読まれているかも知れません。)

さて、今月号のむさしの便りでは、ベテル聖書研究会の特集をしました。むさしのでのベテル聖研は大柴牧師が1997年8 月に着任された次の年から続編の『十戒』と『日々の宝石(箴言)』の学びが始まりました。大柴牧師の指導のもと、1999年3月より2002年3月まで、それぞれ17人が参加して、3年間の旧約新約の学びの時が持たれました。今回、大柴牧師の勧めで、11人の参加者が提出された感想文の抜粋を掲載することにいたしました(掲載を少し躊躇される方も居られましたが、強いてお願いさせて頂きました)。

感想文に語られているのは、不安と期待の混じった気持ちの中で、それでも思い切ってじっくりと聖書の学びを時を持とうと決心された方々が、色々なことを感じまた発見した様子です。数十年の時を経てベテル聖研に再会したというドラマもあります。大柴先生には、ベテル聖研とは何かということ、そしてベテル聖研への思いなどについて書いていただきました。どうぞご覧下さい。

なお、むさしの便りでは、今後時々、「特集」を組みたいと思います。

(2002年5月)