井戸端の戸(新・編集後記)たより編集委員会メンバー

むさしのだより「井戸端の戸」 蛍の光

先日、群馬県の猿ヶ京温泉にいきました。宿近くのたんぼで蛍がりができるというので、見に行きました。宿泊客に蛍がりを楽しんでもらうために、近隣の温泉宿が農家と協力し、無農薬で稲を育て、その田んぼに蛍の幼虫を放して育てているとのことでした。

50名ほどが近隣の温泉宿からたんぼに集まりました。最初の一匹をみつけたときは、宿泊客から歓声があがり、そこここで「あっちにいる!」「ここにも!」と騒がしくみていました。しだいに目がなれ、強い光を放ちながら飛ぶ源氏蛍や草むらで点滅するように光る平家蛍がたくさん見られるようになると、人の声はだんだん囁くような大きさになり、たくさん人がいるとは思えないほど静かに観賞していました。私も蛍の光を見ながらおだやかな、幸せな気持ちになっていきました。

蛍の光は電飾にくらべれば弱いけれど、それには命があり、次世代に命をつなぐために一生懸命だから、はるかに美しく、見る人の心を慰めてくれるのだと思います。

(と)
 (たより2007年7月号)

むさしのだより「井戸端の戸」 ウィーン中央墓地

「ウィーン中央墓地」で音楽家のお墓を見学(お参り)された方はいらっしゃると思いますが、ベートーヴェンとシューベルトのお墓が並んでいることを覚えておられるでしょうか。実はシューベルトが亡くなるときに、ぜひ尊敬するベートーヴェンの隣に埋葬して欲しいと希望したことが実現されてのことなのです。当初は「ヴェーリンガー墓地」のベートーヴェンの隣に埋葬されました。その後「ウィーン中央墓地」に移され、同じように二人並んで立派な記念碑のお墓となって現在に至っています。「ヴェーリンガー墓地」は既に墓地ではなく、現在は公園となって、並んだ二人の胸像が、当時のまま残されています。心温まる私の大好きなエピソードのひとつです。

(の)
 (たより2007年5月号)

むさしのだより「井戸端の戸」 天空における無限のドラマ


夜空を見上げると無数の星が見られる。この星空に様々なドラマがある。新しい星が生まれたり、超新星の爆発が起こったりしている。また、観測技術の進歩で百億光年以上の彼方の銀河が観測されるようになった。近くでは探査機カッシーニで、木星の衛星タイタンに液体メタンの湖が観測された。また火星には水の流れたらしい痕跡が観測された。宇宙観測はいよいよ発展し、夢もふくらんでくる。

しかし、地球の近くの宇宙では、中国が衛星破壊実験を実施、破片多数を地球を囲む輪の様にまき散らし、他の人工衛星との衝突を心配させている。国連で宇宙空間での人工衛星破壊実験禁止の指針が制定されるとの報道に、ほっとする。

宇宙の進化は140億年余と無限の年月の内に進んで来ている。夜空を眺めているといろいろの思いが無限の彼方に散って行く。無限の大きさをしみじみ思う。

(た)
 (たより2007年3月号)

むさしのだより「井戸端の戸」 ベツレヘム

昨年、ルターの「われここに立つ」で知られているヴォルムスに行った時、大聖堂で小さな詩集を買いました。

ベツレヘム  (Wilhelm Willms)

ひとつの星
星の道から飛び出し
まったく自由に
そこへ降りる

ひとつの山
ここから立ち上がり
まことに軽く
そこへ動く

ひとりの人
この世の生を終え
まったく自由に
道となる

ひとつの星は
ひとりの人 ひとつの道 ひとつの光
まことに輝き
われらの暗きを照らす

どうぞよいクリスマスを!!

(ど)
(たより2006年12月号)

むさしのだより「井戸端の戸」 《聖なるもの》への畏怖

 

ある女性作家の書いた「子猫殺し」というエッセー(日経新聞8月18日「プロムナード」欄掲載)がちょっとした物議を醸している。飼い猫に避妊手術を施さ
ず、生まれてきたばかりの子猫を家の隣の空地に放り投げて殺すという告白話である。作家は「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれ
た子を殺す権利もない。…飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない」と言う。新聞社に多くの意見が寄せられ、大半は内容に抗議するもの
だという。一方、「文明社会のはらむ偽善性を指摘しようとしている」と弁護する人もいる。

 

私は、自己決定至上主義の一つの行く末を見る思いがする。作家のしていること自体は、人間社会が人間生命自身に対して伝統的にしてきたことである。それは
暗く、後ろめたく、罪深いが、新しい事ではない。驚くのは、全てを自分中心の理屈の中で処理するのを良しとする態度であり、権利という目の粗い法的概念で
もって生命という微妙な事柄を扱うという精神である(社会が個人に法的強制しか為し得なくなっている時勢の反映なのか)。

 

命の声に耳を澄ませ、人知や、社会と個人の対立を遥かに超えた《聖なるもの》への畏怖に捉えられるものでいたい。

 

(い)

 (たより2006年9月号)

むさしのだより「井戸端の戸」 リラ・プレカリア(祈りのたて琴)

4月中旬、祖母が亡くなる5日ほど前にキャロル・サックさんがハープによる癒しの演奏を祖母にしてくださるために病院を訪れてくださいました。私は残念ながら同席はしておりませんでしたが、祖母の呼吸や体調に合わせて演奏される心地よい音色や歌声に、同席していた小さな子は眠りにおち、その頃ほとんど意識のなかった祖母も表情が少しやわらいだと母は言っておりました。最期の時を迎える祖母を癒してくださったこと、それを見守る家族に慰めを与えてくださったことに感謝しています。この音楽による癒しが社会的に認知され、多くの病院や施設に取り入れられるようになったらよいと思います。現在、むさしの教会のお二人の方が、この訓練を受けておられます。この方々の学びの上に主の豊かな恵みを祈ります。

(と)
 (たより2006年7月号)

むさしのだより「井戸端の戸」 Mozart生誕50年によせて


今年はモーツァルト生誕250年の年である。ウィーンの中央墓地にはモーツァルトを真ん中にしてベートーヴェン、シューベルトが並び、横にはブラームス、後ろにはフーゴ・ヴォルフが眠る。観光名所になっているので、訪れた方も多いことと思うが、モーツァルトの記念碑の下は空っぽなことをご存知だろうか。未だに彼が何処に埋葬されたかは不明であるが、寂れたお墓ばかりが並ぶサンクト・マルクス墓地の“多分この辺り?”という所に、天使の嘆き悲しむ像が彫られたモーツァルトのお墓がある。丁度今頃はライラックの花々が取り囲むように彩りよく咲きみだれ、素敵な香りに包まれていることだろう。無邪気に明るく軽やかなようで、根底には深い悲しみが流れるモーツァルトの音楽。このお墓の佇まいと重なって聞こえる。

(の)
 (たより2006年5月号)

むさしのだより「井戸端の戸」 スターダスト


1月15日、米航空宇宙局の無人探査機「スターダスト」が上空11万キロメートルで彗星のちりを収めたカプセルを切り離した。カプセルはユタ州の砂漠に着地した。

このちりは地球から3億9千万キロ離れたビルト彗星の核から噴出したちりである。我々の住む太陽系が成立する過程で太陽、何個かの惑星と何千という小惑星、そして何十億もの彗星ができた。持ち帰った彗星のちりは太陽系成立のなぞを解く手がかりと期待されている。探査機は99年2月打ち上げられ、04年1月にビルト彗星に近づきちりを採取しているから、今まで約7年かかっている。地球から3億9千万キロの距離は光速でも到達するのに約22分かかる。探査機に信号を送って、その結果を知るのは最短でも44分後ということである。ちなみに太陽は地球から約1億5千万キロ離れている。技術の進歩に驚くばかり。

宇宙誕生から140億年、太陽系誕生から50~60億年、神はその前から在ってすべてを知り、司っていた。採取したちりによって神はなにを教示するのか楽しみである。

(た)
 (たより2006年3月号) 

むさしのだより「井戸端の戸」 統計学的確率から言えば


創世記の3日目くらいでシッカリと大地が出来たはずが、このところの大地震・大津波などの天変地異はどう考えたら良いのか。これを統計学的にコジツケ・独断も入れて表してみよう。

ここでは物事を全て「確率」とか「可能性」で表し、大地にしても100%完全に固まるのは無限時間後としている。従って90%か95%くらい固まった状態を実質固まったとする。現在の東京でもほんの2000mも掘ると温泉や天然ガスが出て来たり、地球半径のほんの1~2%もぐってみれば震源の下側になり、創世記1日目のようなマグマ混沌の状態らしい。どこかの宗派みたいに、6000年前に創世記の出来事が全て起こったとか、コレこそ絶対正しいなどと言う断定的な言い方は人間にはとても出来ないことになる。

但し改築強化された礼拝堂は過去のデータに照らし統計学的に見ても地割れでもない限り向う50年の地震には99%以上、実質絶対的に耐えられそうである。�

(は)
 (たより2005年12月号) 

むさしのだより「井戸端の戸」 求めよ、さらば

去年のこと、十年来探していた本が見つかったという情報を娘から貰い、吉祥寺の古書店ブックステーションへ駆けつけた時のことです。

探していた『神の国(二)』(岩波文庫)は、文庫本の棚の一番下で私を待っていてくれました。「アウグスチヌスの神の国は歴史哲学です」と教えられ、岩波文庫(全五冊)で一冊づつ読み始めたものの、時は流れ、気づいてみると、その(二)だけが入手出来ないままになっていたのです。

私はかがみこんで『神の国(二)』を抜き出し、ついでにルター関係の本も探してみたところ、『世界の思想家5ルター』(徳善義和編 平凡社)<徳善先生が出版された『マルチン・ルター』の初代版>と、『マルティン・ルター 生と死について-詩篇90篇講解-』(金子晴勇訳 創文社)があったのです。

どれも探していた本でした!本は本を呼ぶ?それともアウグスチヌスがルターを呼んだのかもしれません!?

(ど)
 (たより2005年 7月号)

むさしのだより「井戸端の戸」 夢のような三日間

5月連休に第12回全国伝道セミナー(伝セミ)が催された。実行委員長として関わり、昨年5月から1年間、伝セミのことが頭の片隅を占めていた。常に、伝セミの《幻》を見ていた。毎月、実行委員会があり、その間、アイデアを練ったり、メールのやり取りなどがあった。実行委員会全員で準備し、アイデアを出し合ったが、それでも一人で悪戦苦闘したことも一度ならずあった。また、会社やむさしの教会の仕事と重なって、心の中で悲鳴を上げたこともあった。

準備期間中、伝セミの幻は実行委員たちの心の中だけに存在した。ところが、参加受付を開始し、参加予定者が増えてくると、伝セミは否応なく実行委員会だけのものでなくなって行った。そして、遂に初日を迎え、オープニングを総合司会者(MC)に託した時、伝セミは準備した者たちの手を離れ、皆のものになった。プログラムの中で最後まで詰め切れない部分が残っていたが、蓋を開けてみると、スペシャルゲストの山北先生をはじめ、人に恵まれ、準備し得たものを超えた結果が与えられた。連休前後のぐずついた天気の中、伝セミの3日間が素晴らしい快晴に恵まれたのは、神様からのプレゼントとしか思えなかった。「最後はこうやって仕上げるのだよ」と神様が見せてくれたように思う。《夢》のような3日間だった。

伝セミから戻り、ペンテコステの聖書日課。「若者は幻を見、老人は夢を見る」(使徒2:17)

(い)
 (たより2005年 6月号) 

むさしのだより「井戸端の戸」 少々音痴でも

音痴:生理的欠陥によって正しい音の認識と記憶や発声ができないこと。また、そういう人。俗には、音楽的理解の乏しいことや、そのため正しい音程で歌えないことをもいう。(広辞苑より)

私は生理的欠陥ゆえかは分からないが、音痴だと思う。カラオケで採点機能のあるお店では同席している人たちが気を遣うぐらい低い点数しかでない。小さい甥っ子に童謡を歌ってとたのまれ、歌ってあげると直ぐに止められてしまう。子供は正直だからしかたないが。

だからといって歌うことが嫌いなわけではない。特に賛美歌を歌うのは好き。大勢で歌っているので、上手な方の歌声を聞きながら歌っていると自分もうまくなったように勘違いができるし、聞き手が神様だから少々下手でも許してくださりそうな気がするからである。

(と)
 (たより2005年 5月号)

むさしのだより「井戸端の戸」 思いがけない優しさ


昨年の暑い夏の朝のこと。私は横断歩道でタクシーを待っていた。日よけのためにつばの広い帽子をかぶり、サングラスをかけて。信号が青に変わると小学2~3年生の男の子が一人、元気よく走って渡ってくる。そして私を見上げて「今渡れますよ」と声をかけてきた。帽子のつばに遮られて信号が見えないのではと気遣ってのことだ、と私が気づくのに2~3秒かかったかもしれない。「ありがとう!ご親切に!気をつけてね!」と何度も叫び声を上げた時にはすでに後ろ姿で、コンビニへ入ろうとするところだった。「タクシーを待っているから」などと云わなくて本当に良かった。抱き締めてもっと充分にお礼を云いたかったのにと後悔し、うるうるしそうになる。

そう云えばこのところ、気遣いのあるその年頃の男の子に会うことが多い。マンションのエレベーターに同乗し1階に着くと小走りで玄関へ行きドアーを開けて私がくるのを待っている。何階ですか?とボタンを押してくれる、等など。殺伐とした事件ばかりが報道される中、思いがけない優しさに出会うことは誠に嬉しい。

(の)
 (たより2005年 4月号)

むさしのだより「井戸端の戸」 127憶光年

最近の宇宙観測や太陽系の惑星観測の成果はめざましい。

昨年12月22日の新聞は米国ジェット推進研究所が宇宙望遠鏡で、地球から20億~40億光年の場所で推定年齢1~10億歳の若い銀河を30個以上発見と報じている。

1月14日には土星衛星タイタンに探査機ホイヘンスが着陸した。降下中と着地後の写真を電送。地表には液化した炭化水素や氷の塊ともみられるものが写っている。

2月18日の朝刊で、地球から127億光年離れた宇宙で生まれて間もない銀河団の発見が報じられた。国立天文台や東京大などのチームが、ハワイのすばる望遠鏡で観測したもの。宇宙の年齢は137億歳とされているので、宇宙誕生から10億年後の宇宙を見ていることになる。

発見された銀河団の姿は127億年前のもので、今現在の姿は銀河団からの光が地球に到達する127億年後に見ることが出来る。気の遠くなる話である。

宇宙の広大さと無限の可能性とを感じさせる。

(た)
 (たより2005年 3月号)

むさしのだより「井戸端の戸」 全国伝道セミナー2005

来春(5/3~5)東京・高尾で催される全国伝道セミナーの準備をしている。テーマが決まり、プログラム内容を相談中である。講師として、活発な伝道活動をされている日本基督教団・聖ヶ丘教会の山北宣久牧師(現・総会議長)に依頼し、快諾して頂いた。アドベント第1主日の翌晩、ルーテル神大の江藤牧師、宣教室の徳弘牧師と一緒にご挨拶に伺った。はじめの祈りをすると、もう同労者の気持ち。江藤先生と知己でもあり、打ち解けた雰囲気で互いの現状を語り合った。励ましの言葉も頂いた。全国の教職・信徒の方々、是非参加され、山北先生と、また参加者同士で大いに交流し、多くを得て戻って頂きたいと思います。

帰りの渋谷の街で居酒屋に寄った。勘定の際、「釣銭をお確かめ下さい」という女性店員に、「信じるのが仕事ですから」と軽口を叩いたら、「信じる者は救われますね」と言われた。「是非そう願いたいものです」。江藤先生は「聖書に書いてあるそうですね」とさすが教育者。店を出て、三人で大いに微笑んだ。店員はクリスチャンだったのか。いや、あれはイエス様ご自身の言葉のように思われる。弟子たちに現れた復活のイエス様は丁度こんな具合だったのではないか。

今もこの世の片隅に思いがけず現れる私たちの救い主は、この世の片隅の馬小屋で生まれ給うた。暗闇の中で心の灯火を燃やしつつ、祝いたい。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

皆様、良いクリスマスを、そして来年もどうぞ宜しく。(紙面の都合で「悟り方」は2月号に回しました。)

(い)
 (たより2004年12月号)

むさしのだより「井戸端の戸」 被災者のために

先月は、台風や地震が立て続けに起こり、各地に大きな被害をもたらしました。大自然の力の前にいかに人間が無力であるかを改めて思い知らされる一方で、92時間もの間たった2歳の男の子が狭い土砂の中で生き抜いたという奇跡は人間の命の強さを知ることでもありました。

自分の命を危険にさらしながら男の子の救出にあたったレスキュー隊員、その救出作業を固唾をのんで見守り歓喜した人々、不自由な生活に耐えている被災者の方々、その方々のためにボランティアとして駆けつけたり、支援物資を送る人々、その姿は人間の力強さ優しさを表していて、悲惨な現状ではありますが心温まるものでした。

被災者の方々が一日も早く平安な日を取戻せるよう、お祈りいたします。(と)

(と)
(たより2004年11月号)

むさしのだより「井戸端の戸」 ブルーモルフォ

最近私の心を癒してくれた映画に、Blue Butterfly(天国の青い蝶)と言う映画がありました。

脳腫瘍のために余命数ヶ月と宣告された昆虫好きの少年が最後の願いとして、世界で一番美しいと言われる神秘の蝶ブルーモルフォを捕まえに連れて行って欲しいと有名な昆虫学者に頼むのです。昆虫学者は、もう蝶の季節には遅くて、行っても無駄だと断るのですが、熱心な母子の頼みに動かされて熱帯雨林にブルーモルフォを探しに親子を連れて行くのです。映像は熱帯雨林での木々や花々、昆虫に鳥たちを描き出し、夢の世界に連れて行ってくれます。その上、自然の恵みの中で生活している原住民の人々の心の豊かさが描かれています。そして、そこで住む一人の女の子に、「自然は全部ブルーモルフォよ」と語らせています。ジャングルの中を必死で探し回る少年と昆虫学者にはブルーモルフォを捕まえることが出来ないのに、この少女が遊んでいるところに、「捕まえて欲しい」と言わんばかりブルーモルフォが飛んでくるのです。少女は素手でこのブルーモルフォを捕まえて、少年に別れの日にプレゼントをするのですが、少年はここでの短い滞在を通して「命」の意味を学び、標本の形としてあるよりは生きていることのすばらしさに、蝶を籠から逃がしてやったのでした。

その後脳腫瘍は消えて今も少年は生きているとのことです。この映画はカナダであった実話に基づいて作られたものだそうですが、ミラクルは本当に起こり得るものであり、神は常に私たちの心を見ていると思わせる映画でした。

(の)
(たより2004年10月号)

むさしのだより「井戸端の戸」 DNAの不思議

感動を与えてくれたオリンピックも終わった。季節は実りの秋。

不思議なことがいっぱいある。その一つは植物だ。どのようにして植物は自らの開花時期を知っているか? 桜の場合、関東では3月末から4月初旬に一斉に咲く。地域ごとに、植物はその種類によって開花の時期がほぼ決まってる。気温や日照時間によって開花の時をどのように決めるのか?

DNAには植物の特性は全て組み込まれている。開花もDNAで決まるのだろう。DNAは次の世代に伝えられていく。またまた疑問が出る。

植物、もっと広く生物のDNAはどのように創造されたのだろうか? 迷路に入ってしまう。人間はDNAの基礎や応用の研究に一生懸命だ。

神は人のDNAにどんな未来を組み込んだのであろうか? 神のみ知るところ。

(た)
(たより2004年9月号)

むさしのだより「井戸端の戸」 平均律と純正律

楽器店のTVコマーシャルにも出てきたバッハの無伴奏提琴パルティータ第3番第3曲ガボットで、始まってすぐにA線(2番線)の「シ」とE線(1番線)の「ラ」の和音を響かせる。小学校で習った典型的な7度の不協和音だが、多くのしかるべきバイオリニストは「シ」の弦を押さえる指を1mmチョット上に(手前に)上げて協和音にハモらせて弾く。この「シ」の音も4度上のE線「ミ」とではほぼ定位置で、また6度下のD線「レ」とでは1mm弱下げると綺麗にハモる。物理的には振動数の比と和音の原理で説明できるが、フレットが無くて音程の自由な弦楽器ならではの特技でもある。勿論フシ回しで敢えて不協和音に鳴らすこともあるが、それにしても正しい音程はどれか。鍵盤楽器に平均律を創造し、音符の位置毎に音程を固定したこの曲の作曲家は、弦楽器にはどのように考えていたのか、不勉強なもんで読んだり聞いたりしたことがない。神様は「何事にも正解はいくつもありますよ」とニコニコして居られるのかなあと勝手に解釈している。極楽も天国も昼にちかくなったのでございましょう(蜘蛛の糸パロディー)の気分で。

(は)
(むさしのだより2004年7/8月号)

むさしのだより「井戸端の戸」 「思いもよらないこと」


ビッグコミックス『ギャラリーフェイク』細野不二彦(漫画)の何巻だったか、ルーカス・クラナッハ作のルターの肖像画が載っていて、横に〈宗教改革者マルティン・ルター〉と説明がついています。自分の顔が21世紀の漫画の一ページを飾るなんて、ルターには「思いもよらないこと」でありましょう。今ルターが生きていたら、それも良かろうと大らかなところを見せてくれたかも知れません。

聖書には「思いもよらないこと」がたくさん記されています。弟子たちの上に降ったペンテコステの聖霊降臨の火(「炎のような舌」使徒言行録2:2)もそうです。

私達キリスト者にとって「思いもよらないこと」は、神様の御心が示されることの一つとして大切なことなのかも知れません。

(ど)
(たより2004年6月号)