たより歴史「ガリ版「教会だより」のころ」 石居 正己

「むさしの教会だより」が300号を迎えるということは、たいへん嬉しいことです。それぞれの時にご苦労なさった方々の労を多としたいと思います。

 さてその数の中に入っているかどうか知りませんが、そういう名前でガリ版の印刷をしたのは、昭和35(1960)年3月のことでした。「私たちの教会50年」の中に少しそのことに触れています。それ以前にも、「武蔵野通信」として、簡単なものを、主として礼拝に出ることが難しい方々への近況報告として送ったことがあります。何度かの移転の際に大部分は整理してしまいましたし、保管の不備で箱ごと腐ってしまったりしたものもあって、手もとにはごく少しのものしか残っていません。

 おおかたは牧師のお筆先で、編集委員などというものもない不完全な時代です。しかし、ことに毎週礼拝に出席のできない方々への連絡と、教会の実情を知っていただくためにと作ったものでした。今はその現物も手もとにありませんが、「初号の欄外には『昭和三十五年三月六日発行、杉並区阿佐ヶ谷六ー一六九(当時の住居表示です)、武蔵野ルーテル教会、第三種郵便物不許可、許無断複製、定価一部〒共0円』といたずら書きがあり、謹直な森川さんから『これは面白いですね』と笑われたものでした」(私たちの教会50年、p108)。

 一方通行でないように、と言いながら、B4二つ折り裏表、4頁分をついひとりで書いてしまうはめになったものです。ガリ版の裏表印刷はむずかしいんだぞと、それ用の紙を求めることが第一の仕事でした。先だっても、若いときに奉仕した教会で、当時からのなじみの方が、その頃の週報の裏に書いた「先週の説教の要約」を、何十枚もコピーして渡してくださいました。中身よりも何より下手くそなガリ版の字に「ああ、お恥ずかしい」ということになったのですが、この時代の「むさしの教会だより」もそのようなものでした。

 ただ多分1963年からであったかと思いますが、毎年クリスマスのあとで、その年の幾つかの説教をまとめて、「むさしの教会だより・説教集」として出しました。多忙の中で、なかなか思うように会員の方々をお訪ねすることもできないでいたのですが、聖書の使信と教会の礼拝を覚えて頂きたいと願って、貧しい言葉ですが書きつづったものです。用いたメモから起こしたものですから、必ずしも礼拝説教の再現とはいきませんでした。B5版で12頁位が普通でした。これは多分送料の関係もあったかと思います。私自身は、後にほかの教会に行ったときも続けましたから、クリスマスのあとはもっぱらその作業に追われ、たいていは大晦日の紅白歌合戦を聞きながら印刷したり、製本したりということになりました。時として珍しいお顔も見られる新年礼拝でお配りするという意図もあったのです。

 ともあれ、いま毎号楽しく読ませて頂く「むさしの教会だより」が、地道ながら、確かな、会員の交わりのきずな、養分の運び手となって、続けられて行くようにと祈ります。