たより巻頭言「全聖徒主日によせて」 大柴 譲治

 私たちの教会では毎年11月の1日を「全聖徒の日」、第一日曜日を「全聖徒主日」として守ってきました。天に召された信仰の先達たちを特別に覚える日です。今年は特別に、私が神学生としてこの教会で奉仕をさせていただいた1982年までさかのぼって、ご遺族にこの日の礼拝のご案内を差し上げました。名簿によりますと、この15年間では69名、当教会が設立された1925年から数えますと139名の召天会員がおられることになります。賀来先生は「召天会員を含めて数えるから、教会員というものは決して減らないのだ」とよくおっしゃっておられました。天上にある見えない教会と地上にある見える教会とがキリストの恵みの食卓を中心として共に集い、祝宴にあずかり、讃美を歌っていることを思いますと、なにかしら胸が熱くなってくるようです。地上における別離の悲しみが深ければ深いほど、天上においての再会の喜びは大きいのかもしれない、そう思えてなりません。

 カール・バルトという著名なスイスの神学者が「もし自分が天国に入ることができたら、私はまずモーツァルトに会いたい」と語ったそうです。信仰のユーモアがそこにはあります。自分がまず誰に会いたいかということを想像することは私の密かな楽しみでもあります。

 主は悲しむ人々を祝福して言われました。「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」と。「おめでとう、悲しんでいる者たち」と言われるのです。悲しむ者たちは必ず慰めを受ける。その慰めは主の十字架と復活から来るのであって、それ以外のところからは来ない。私たちの悲しみは主の悲しみにつながっており、私たちの慰めは主の慰めとつながっているのです。私たちに信仰を通して与えられている約束はこれです。「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」(ヨハネ黙示録21:4)。