たより巻頭言『木を植えた男』 大柴 譲治

「りんごの木の下で、わたしはあなたを呼びさましましょう」(雅歌8:5b)

 一一月、霜月。今年もバザーが近づいてきた。リンゴの季節でもある。バザーでもリンゴを販売する。これが実に美味しい。今から楽しみにしている。

 リンゴをかじると思い起こすことが三つある。一つは、カナダ人アニメーション作家のフレデリック・バックの短編『木を植えた男』(1987年)。フランスの山岳地帯の荒れ果てた土地に人知れずドングリを埋め続けた男、エルゼアール・ブッフィエの話である。原作はジャン・ジオノ。彼は何年も何十年もただ一人で黙々と木を植え続けた。その結果、かつてのやせた土地には背丈を越す木々がみずみずしく育ち、干あがっていた土地には泉がわきだしてゆく。それにつれて、渇いていた人々の心も次第に人間らしさを取り戻してゆくのだ。人間と自然とが一体となっていることを思い起こさせてくれる、不思議なタッチの印象的な作品である。

 二つ目は、教会員・岩間雪子姉の亡くなられたご主人の話。1985年に中国の大連に150本のリンゴの苗木を贈ったのが中国の在来種に接ぎ木され生長、現在では数え切れないほど豊かな収穫をもたらすほどになっている。岩間姉は書いている。「人間の血が脈々と受け継いでいるように、今、中国の大陸に沢山のリンゴが出荷されている事を知り、主人はこのようなかたちになって生きた証しが永遠に受け継がれていることを知りました。何気なく埋もれて見過ごしてしまうような人間の営みの中にも、どんな人にも生きた証しがあります」。中国訪問中の姉の上に祝福を祈りたい。

 三つ目は、ルターの言葉として長く伝えられてきた言葉。「たとえ明日この世の終わりが来ようとも、今日わたしはリンゴの木を植える」。神のみ業に信頼をして、明日の希望に向かって今日のわざをなしてゆくことの大切さを覚える。

 私たちも一人ひとりに委ねられた「リンゴの木」を「明日」に向かって植えてゆきたい。