たより巻頭言「青山四郎先生の召天」 大柴 譲治

 3月25日(土)の正午過ぎ、武蔵野教会の前身である神学校教会牧師として1941年より1957年まで働かれた青山四郎先生が天に召された。93歳での天への凱旋である。翌日の前夜式、翌々日の告別式を共に武蔵野教会で執り行い、各々二百名を超える人が参列。説教者の徳善先生や思い出を語って下さった方々の言葉が印象に残る。先生のお人柄を偲ばせるご葬儀であったと思う。

 私にとっては、様々な意味で、神の備えられる「時」を感じさせられた三日間であった。奇しくも先生が天に召された直後には、先生の母校九州学院が選抜高校野球で8対0という大差で勝利する。また個人的なことで恐縮であるが、私が眼の不調に気づいたのも1月末に青山先生をお見舞した時であったし、新しい眼鏡ができたのが前々日の午後、前日の24日には東京老人ホームの追悼礼拝での説教奉仕のために50日ぶりに車のハンドルを握ったばかりであった。事実は小説よりも奇なりと言うが、まさに絶妙のタイミングである。さらには二年半前に天に召された青山暢子夫人の時もそうであったが、今回も私たちは主日礼拝を故人と共に守ることができた。26日の説教者は新卒でみのり教会着任直前の宮本新牧師。棺に眠る青山先生と、眼に見えるかたちでの、新旧交代のバトンタッチである。神のなされることは皆、その時にかなって美しい。

 青山先生は、日本福音ルーテル教会のみならず、日本のキリスト教界にも大きな貢献をなされた。1907(明治40)年に青山彦太郎・チマ子夫妻の四男として大阪に生まれる。祖父・昇三郎は日本基督教会初代牧師の一人で、父・彦太郎も日本基督教会牧師であったが1916年にルーテル教会に移り、九州学院神学部で教えている。そのあたりの経緯は青山先生の書かれた『土器と黎明』(グロリア出版)に詳しい。

 青山先生はその柔和な笑顔の中に、牧者としての懐の広さを隠しておられた。そのようなご生涯が私たちのただ中に置かれていたことを神さまに感謝したい。