たより巻頭言「開かれた心」 大柴 譲治

 新緑がこれほど美しいものだとは知らなかった。鳥の声がこれほど透き通っていること、風のそよぎがこれほど柔らかく、土と木の香りがこれほど深く大地に満ちていることを知らなかった。教会の桜は今、青葉をサワサワと繁らせている。

 五感を働かせると、世界が不思議な輝きに満ちていることに気づく。今まで見えなかったもの、聞こえなかったもの、肌に感じなかったもの、匂うことのできなかったものが知覚されてくる。ガリラヤの風薫る丘の上で「野の花、空の鳥を見よ」と主が告げられた時、主は私たちの心をそのような世界に向かって解き放ってくださったのではなかったか。

 「心」という字はなかなか味わい深いかたちをしている。それは心臓を表す象形文字であるが、同時に私には人の「こころ」の開かれた姿を表しているようにも見える。「心」という字の四つの部分は、バラバラでありながら互いに絶妙なバランスを保っている。外に向かって開かれていながら、内に向かって渦巻き流れ込んでいるような求心力をも感じる。日本庭園には必ず心字池があって、そこには私たちの心が映っている。

 「こころ」とは人間存在そのものを意味している。不思議なことであるが、自己が大きな世界に向かって開かれている時、私たちは限りなく内面の自由を感じる。自分を捨てるときに本当の自分を見出すのだ。悲しみや苦しみがなくなったわけではない。行き詰まりが突破されたわけでもない。依然として自らが死への存在であることにも変わりはない。しかしそうでありつつ、それらを超えた世界に向かって開かれているということ、それが大切なのではないか。