たより巻頭言「虹を見上げる教会(2)」 大柴 譲治

 「恐れていたことが起こった。危惧していたことが襲いかかった。静けさも、やすらぎも失い、憩うこともできず、わたしはわななく。」(ヨブ3:25-26)

 なぜこんな悲しいことが起こるのか。悪魔のような力が暴力を奮い、人々のささやかな幸福を引き裂いてゆく。なんと非道で非情な現実か。9月11日の衝撃の余りの大きさに心の一部が麻痺させられたままになっている。ニューヨークでのテロ事件では六千名もの人命が奪われた。一人ひとりの生命の重さを思うとき私たちは言葉を失う。そこには救助に駆けつけた消防隊員三百名、警察官八十名も含まれていたという。人を助けようとして命を落とした者の中に天使を見る思いがする。

 未だに多くの方が行方不明となっている。不本意なかたちで生命を奪われた者のために祈りたい。どんなに無念だったことか。また愛する者を奪われたご家族を覚えて祈りたい。どれほど深い痛みが心を引き裂いていることか。そして米国のためにも祈りたい。その身に受けた深い悲しみを、「目には目を、歯には歯を」という怒りとは別の次元で乗り越えてゆけるように。神は今も天にあって人間の窮境に深く心を痛め、涙しておられるのではないか。

 このようなことが起こるとき、その廃墟の中から再び勇気を抱いて立ち上がってゆく人々がいることに私たちは驚かされる。そこには神から遣わされた天使たちが共に働いているように感ずる。ノアの洪水のあと、すべてが滅び去ったあとに被造物が天を仰ぐと、そこには虹があって天と地を結んでいた。虹は神の与えてくださった慰めと希望のしるしなのだ。そこには、クリスマス同様、天使たちのコーラスが響いていたのではないか。「天には栄光、地には平和」と。私たちの現実のただ中に十字架のキリストがおられる。

 鶴を折りながら平和のために祈る。どうか、天と地を結ぶ虹のしるしが涙にくれる者たちを確かな慰めと希望とに導いてくださるように。