説教 「本当に重要なことを見抜く力」 大柴 譲治

フィリピの信徒への手紙 1: 3-11

はじめに

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

アドベント第二主日の主題

アドベント第二主日。本日の福音書の日課には洗礼者ヨハネが登場します。洗礼者ヨハネにおいて、イザヤ書40章の「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』」という預言、また本日の旧約聖書の日課であったマラキ書3章の預言が成就したことが告げられている。洗礼者ヨハネはイエス到来の道備えをしたのです。アドベント第二主日を迎えた本日、私たちに呼びかけられていることも「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」ということです。それは何を意味するか。そのことを覚えつつ、本日は使徒書の日課のフィリピ書からパウロの言葉に聴いてゆきたいと思います。

フィリピ書について

フィリピ書は使徒パウロが書いた手紙の一つです。およそ紀元55年頃にエフェソにおいてか、60年頃にローマにおいて書かれたと推定されています。フィリピにある教会はパウロによってヨーロッパ最初の教会として第二伝道旅行の途上で設立された教会です。そのあたりの経緯は使徒言行録の16章に記されていますが、パウロとフィリピの教会員との間にあった親子のような親しい関係はこの手紙の端々に感じられます。

この手紙は「喜んでいなさい。いつも主にあって喜びなさい」と繰り返されているところから「喜びの手紙」とも呼ばれています。「イエス・キリストにある喜び」がこの手紙の主題なのです。それは今日の日課の最初の部分にも表れています。3-5節です。「わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです」。

しかし実は、パウロはこの喜びの手紙を獄中から書いている。ローマ帝国に対する謀反の罪で十字架上に処刑されたイエスに連なる者として、キリスト教の伝道者としてパウロは迫害を受け、逮捕され、獄に捉えられているのです。7節の「わたしがあなたがた一同についてこのように考えるのは、当然です。というのは、監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです」という言葉はそのような背景から理解されるべきでありましょう。パウロは実は明日をも分からぬ身なのです。しかし、そのような状況の中においてこの「喜びの手紙」は書かれている!これは人間的に見れば極めて深刻なな状況です。けっして喜び得ないような状況です。しかしパウロは深い喜びに満たされているのです。張ったりでもやせ我慢でもなく、パウロは心底喜びに満ちあふれています。それはなぜか。その喜びはどこから来るのか。アドベント第二主日にあたって、「主の道を備えよ」とのイザヤの言葉と重ね合わせて本日はこのことを考えたいのです。

パウロは言います。6節です。「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」と。ここにはパウロのキリストのみ業に対する確信が表れています。たびたび繰り返していますように、信仰とは人間の業ではなく神のみ業なのです。「キリスト・イエスの日まで」という言い方は、パウロに与えられた終末論的な信仰を表しています。この地上の生涯におけるだけではなく、否むしろそれを越えて、人間はキリスト・イエスの日に向かってまっすぐに進んでゆくのだという確信に満ちた終末信仰です。「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」というのはこのような終末信仰に生きるということでもあるのです。

鈴木正久牧師「キリスト・イエスの日に向かって」

このことを覚えるとき、いつも私は日本基督教団総会議長として1966年に戦争責任告白を公にした鈴木正久牧師のことを思い起こします。鈴木正久牧師は教団西片町教会の牧師でしたが、肝臓ガンのために1969年7月に、56歳と11ヶ月の生涯を終えて天に召されました。鈴木正久牧師は、戦争責任告白の表明だけではなく、沖縄の教会との合同や在日韓国・朝鮮人の教会との宣教協約の締結、広島における原爆孤老ホームの設立、ベトナム戦争への批判、プラハの平和会議に出席して西の教会だけではなく東の教会とも友好関係を樹立しようとしたことなど、日本のキリスト教会の歴史の中で預言者的な大きな貢献をされた先生です。現在NCCの議長は徳善先生を後を受けて、教団の鈴木怜子牧師がなられていますが、8月の日本福音ルーテル教会全国総会でもNCC議長としてご挨拶をいただきましたが、鈴木怜子牧師は鈴木正久牧師のお嬢様に当たられます。

鈴木牧師が最後の病床から教会員に残したテープが三つ残っていて、鈴木正久著作集第四巻に収められています。その一つのタイトルが「キリスト・イエスの日に向かって」という題でした。あと二つは「ひとり主の前に立ちつつ」と「教団の戦争責任告白を担って」というものです。また、鈴木正久牧師の最後の著作である『主よ、み国をー主の祈りと説教』の前書きには、「主とそのみ国を望み見つつ」と題して、死の三週間前の日付で次のように書かれていますので引用させてください。

わたくしは今、わたくしのこの世の生活の終わりに立っています。それというのは肝臓癌だからです。自分のこの世の生涯がこのようにして終わるとは、実は考えたこともありませんでした。

しかし今は、このことについても、「神のなされることは、皆その時にかなって美しい(伝道の書3:11)ことを覚え、わたくしの生活の頂点として、主とそのみ国をこのように深く真剣に思う時を与えられる恵みに感謝しております。

主の光と慰めと力が、日々新たにわたくしを支えてくださり、死を待つのではなく、「キリストの日」に向かって生きてゆく導きを与えてくださいます。この世の生活のすべてを通じて、主による祈りと説教をさせられることにより、自分の魂に与えられる神の言葉は、わたくしの唯一無二の力でした。その祈りと説教の小著が、わたくしの遺作になることを喜んでおります。

そしてわたくしは、この本を母に捧げたいと思います。親切な医師もわたくしも、今力をつくして体力を増すため、病状制圧のため、つとめてはおりますが、それでも自分が癌で、まず再起不可能であることを知ったとき、人間的、感情的に、心の中に渦巻いたとまどいと嘆きの大きいものは、牧師としては1970年代の教会の戦いに直接参加できないこと、個人としては母のことでした。

今年88歳の母は、わたくしを信仰に導き伝道者となることをはげまし、主日礼拝や聖書研究会に、いつも最前列にいて、わたくしの話を聞き、筆記し、その写しを知人に送ったりしていました。わたくしが健康で働いていること、そのために母は常に祈り、またそのことが母の喜びであり、生きるはげましであることは明らかでした。この年老いた母を残して・・・、こう思うとき、わたくしは涙をとどめることができません。

しかし、今こそわたくしは、主とそのみ国の恵みが、教会の上にはもちろん、母の上に、そしてほんとうになつかしいすべての人々の上に、いっさいにまさって力強く君臨しておられることを信じます。

「お母さん!もし悲しかったら、ここを見てください・・・。ほら、ぼくは、正久は、お母さんといっしょに生きていますよ」。

母とともに、家族、家族同様の教会員、そして主にあって手をたずさえて歩んできた多くの兄弟姉妹たち・・・。ああ、どんなに一人一人がなつかしく、もし主とそのみ国を知らなかったら、「別れ」は何と悲しいでしょう。

しかし、主とそのみ国は厳存します。わたくしは過去の生活のいつにもまして、今、その光と慰めと力を実感しています。

主よ、わたくしたちすべてのものは、あなたに感謝し、あなたを讃美いたしましす。わたくしたちすべてのものは、けっして闇に負けない、あなたの光の中を歩ませられております。そのあなたの恵みの力を私たちの心にお与えください。

皆さんの上に、主の祝福が常にあることを信じ、また祈ります。

主の年1969年6月20日

実はこの前書きは、鈴木正久牧師が癌の手術を受けて、その悪い結果を娘さんの鈴木怜子さんに告知された二日後に書かれたものです。この文章は、自らの死を見据えつつ、死を越えてキリスト・イエスの日に向かって生きてゆこうとする気迫が強く感じられる名文だと思います。

死を前にしたときに私たちの生き方は明白になるのだろうと思います。自分自身を頼りにして生きようとするのか、キリストを信じる信仰にすべてを委ねて生きようとするのか。あれかこれか、二つに一つなのです。

キリストのこけん

鈴木正久牧師も告知にはたいへんなショックを受けられたようです。テープの中ではこのように正直に語っておられます。

やはり、この病院に入院した時にも、わたくしには、「あす」というのは、なおってそしてもう一度、今までの働きを続けることでした。そのことを前にして、明るい、命に満たされた「今日」というものが感ぜられたわけです。わたくしは教団の問題でも西方町教会の問題でも、あるいは自分の家庭の問題でも、いろいろその中で努力しなければならないと、こう思っておりましたけれども、でも教団の中からも西方町教会の中からも、自分の家庭の中からも、自分がスポッといなくなる、そういう解決というのか前進というのか、そのことだけはかつて念頭に浮かんだことがありませんでした。何か今までに劣らずいつも自分がその中で頑張ってしっかりやっていかなければならないような、そのために祈ったり、あるいは考えたりしているということがあたり前のような気持ちになっていたわけです。私にとっては、どう考えてみても自分自身がまあ死ぬというのか世を去るというのか、そういうことが恐ろしいと考えられたことは一度もない、というところかと思いますが、とにかくそう感ぜられません。ですから、怜子からこの病院の中である日、「実はお父さん、もうこういうわけで手のつくしようがないんだ」ということを聞いたときには、何かそれは本当に一つのショックのようでした。今言ったような意味でのショックだったわけです。

そこでこんなことが起こりました。つまり今まで考えていた「あす」がなくなってしまったわけです。「あす」がないと「きょう」というものがなくなります。そして急になにやらその晩は二時間ほどですけれども暗い気持ちになりました。寝たのですけれども胸の上に何かまっ黒いものがこうのしかかってくるようなというのか、そういう気持ちでした。もちろん誰にも話せるわけではありません。・・・

わたくしはその時祈ったわけです。今までそういうことは余りなかったのですけれど、ただ「天の父よ」というだけではなく、子どもの時自分の父親を呼んだように「天のお父さん、お父さん」、何回もそういうふうに言ってみたりもしました。それから、「キリストよ、聖霊よ、どうか私の魂に力を与えてください。そうして私の心に平安を与えてください」、そうしたらやがて眠れました。明け方までかなりよく静かに眠りました。そして目が覚めたらば不思議な力が心の中に与えられていました。もはやああいう恐怖がありませんでした。かえって、さっき言ったようにすべてがはっきりした、そういう明るさが戻ってきました。その時与えられた力とか明るさとかいうのはそれからもうあと一日もなくなりません。で、そういう意味においての根本的な悲しみとかうれいとかいうものも、もはやその日からあと感じません。ですから、わたくしにとってのショックというのは、とにかくそれを聞いた日の夕方から夜中の12時頃までの間だけであったわけです。・・・

そしてこういうことが分かりました。さっき、病気になった初めには、もう一度この世にもどる、その「あす」というものを前提として「きょう」という日が生き生きと感ぜられるが、その「あす」がなくなると「きょう」もなくなっちゃって暗い気持ちになってくるということを申しましたが、ある夕方怜子にピリピ人への手紙を読んでもらっていたとき、パウロが自分自身の肉体の死を前にしながら非常に喜びにあふれてほかの信徒に語りかけているのを聞きました。聖書というものがこんなにいのちにあふれた力強いものだということを、わたくしは今までの生涯で初めて感じたくらいに今感じています。パウロは、生涯の目標というものを自分の死の時と考えていません。そうではなくてそれを超えてイエス・キリストに出会う日、キリスト・イエスの日と、このように述べています。そしてそれが本当の「明日」なのです。本当に輝かしい明日なのです。わたくしはそのことが今まで頭の中では分かっていたはずなんですけれども、何か全く新しいことのように分かってきました。本当に明日というものが、地上でもう一度事務をするとか、遊びまわるとかいうことを超えて、しかも死をも越えて先に輝いているものである、その本当の明日というものがあるときに、きょうというものが今まで以上に生き生きとわたくしの目の前にあらわれてきました。先月号の月報に書いたよりももっと生き生きとです。・・・

さてわたくしたちが天国へ行くかどうかということですが、わたくしは神のもと、キリストのもと、聖霊のもとへ行くことは当たり前のようなこととして今まで話してきました。その理由はこうです。それはわたくしが立派であるとかないとかいうことと全然関係がありません。おかしなことを言うならば、わたくしのようなものを天国に入れなかったら、キリストのこけんにかかわるじゃないか、とこういうわけだからです。主の恵み、憐れみのゆえにです。これは皆さんについても全く同じです。ですからわたくしも主のみ国で皆さんに会えることを心から信じて、その非常に大きな輝きの上で皆さんに会えることを期待しています。

アドベント第二主日の本日、私たちに与えられている「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」という言葉は、主に委ね、キリスト・イエスの日に向かって生きるように私たちを招いている言葉です。パウロは祈ります。「信仰者が知る力と見抜く力を身に着けて、愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」と。キリストの愛に掴まえられて、キリスト共に終わりの日、キリスト・イエスの日に向かって生きてゆくということです。私たちは鈴木正久牧師の最後の言葉を通してあらためてそのことの意味を示されました。この道をご一緒に歩みたいと思います。そのために神さまの力と導きをお祈りいたしましょう。 アーメン。

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

(2000年12月10日 待降節第2主日礼拝)