証言 「わたしの恵みはあなたに対して十分である」 ヨハンナ・ハリュラ宣教師

コリントの信徒への手紙 二 12: 7-10


 今日、私は証しをしたいと思います。どうして私が宣教師として日本に来ることになったか、まず子供のころの思い出の話から始めたいと思います。

 私はクリスチャンホームで育ったので、小さい時からイエス様についての話をたくさん聞いてきました。神様はずっと私を導いて、祝福して下さいました。神様は私に語りかけ、私のためにみわざを行って下さっていると分かりました。それで、子供の時からイエス様を信じています。私は小さい時から聖書の話にも音楽にも本当に興味がありました。ですから、私は教会の礼拝だけではなく他の集まりに参加したり、聖歌隊で歌ったりしました。またいろいろな宣教師の話を聞くチャンスもありました。特によく覚えているのは家族の友人が日本で宣教師の仕事をしていた時、家に来てよく日本についていろいろなことを話してくれたり、とても美しい浴衣や日本の扇子や人形などをプレゼントしてくれたりしたことです。中でも私の深く印象に残っているのは、子供の時から、私たちのミッションの夏の大会で、日本に派遣される宣教師の祝福式です。

 これら全ての経験は、私にとってとても大きなインパクトがありました。この事に対して私はもう4才の時「私はいつか宣教師になって、日本に行くの!」と言った事を覚えています。また6才くらいの時の事ですが、私は教会で《日本の伝道のために》という紙に自分の名前を書いて献金しました。それで、私は伝道のために何か出来たことがとてもうれしかったのです。たぶんこれは子供が何も分からないで言ったり、したりした事ではなくて、神様が私の心に語りかけて下さったという事ではないでしょうか。その時から日本に行きたいという考えはずっと心の中にあったと思います。高校を卒業した後でそれまでの事を考えながら、私は宣教師の仕事に役に立つ職業を選びたいと思っていました。

 それで、私は若い人たちと一緒に働きたいから、ユースリーダーになるための勉強を始めました。この勉強のコースの中で教会で実際に奉仕するという事があったのですが、私は日本でそれをしようと思いました。そして、9年前に日本に来て、二ヶ月半教会で奉仕をしました。それは本当に豊かな経験になりました。私は多くの親切な人たちに会ったり、日本語という興味深い言葉に出会ったり、美しい自然を楽しんだりしました。それで日本をとても好きになりました。しかし、一番心を動かされた事はイエス・キリストを知らない、また聖書を知らない人の数が多いことでした。その旅行の後で神様からの声を聞きました。それは「私はあなたにすばらしい使命を与えたい、いつ日本に行きますか。」というものです。学校を卒業した後でも、この事がずっと心に残っていました。けれども、いろいろな理由でもう一生、宣教師になれないと思っていました。

 というのは私は結婚していましたし、新しい自分の家を買ったからです。夫はイエス様を信じている、とても優しい人でした。そして私も彼を本当に愛していたので、彼と結婚しました。しかし、夫はアルコール中毒でした。アルコール中毒についてはいろいろ知っていたし、夫の事も聞いていたから、結婚する前、少し心配しました。でも、3年くらいは私たちの生活はとてもうまくいっていました。しかし、アルコール中毒は大変難しい病気で、短期間で突然悪くなる場合があります。私もある時、夫の信仰がなくなる事を見なくてはなりませんでした。私は出来るかぎりの事をしたけれども、それは全くいい結果になりませんでした。やがて、夫は普通の生活が出来なくなってしまいました。とにかく、私は夫との関係をもとに戻したいと思いました。しかし、夫は同じ気持ちを持っていませんでした。夫は家を出てアルコールに依存する生活を続けていました。このような事があっても、私は将来きっとよくなると信じていました。

 そして一年くらいたった8月のある日、警察から電話がかかってきました。それは彼が湖での事故で溺れて、亡くなったという事でした。「これは本当ではない悪い夢だ」と思いました。しかし、認めなくてはいけない事でした。もうこれからは彼と話し合う事は絶対に出来ないのです。私はこの問題について本当に悩み、苦しみました。だから私は祈ったり、泣いたり、カウンセラーの人と話し合って、意見を求めたりしました。初めは目の前が真っ暗になったような気がしました。でも、後で神様が導いて守って下さっている事に気付かされました。『負けるが勝ち』ということわざと同じようになりました。それから私の心の中には新しい考え方が生まれ、新しい道が開けました。

 コリントの信徒への手紙二、 章に次のように書いてあります。・すると主は「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。・私たちは普通、自分自身の力で自分が選んだ道を自分の好きな方向に歩き続けたいと思っています。しかし、いつも神様の正しい導きとみ旨を信じなくてはいけません。それは私たちにとって一番難しい、しかし、大切な教えです。もし、私たちがただ自分の力だけを信頼しているとしたら、心の中には何もないかもしれません。

 これをもっと理解するために、もう一つの聖書の箇所を読みたいと思います。それは、エフェソの信徒への手紙の3章からです。・どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者として下さるように。また、あなたがたがすべての聖なるものたちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれ程であるかを理解し、人の知識を遙かに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。・神の愛と恵みの広さ、長さ、高さ、の意味を私たちはあまり理解出来ません。それは、隠されている神様の計画と賜物です。

 神様は、私たちに信仰の喜びや平安という神様のみ旨を通してのいろいろな賜物を与えたいと考えておられるのです。たとえば、エフェソの信徒への手紙に一番大切な賜物についてこのように書いてあります。『あなたがたは恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。』イエス様はこの世に来られました。イザヤ書には『見るべき面影はなく輝かしい風格も、好ましい容姿もない。』と書いてあります。

 イエス様は、小さい子供のように何も持たないでこの世に来られたのです。しかし、もっとすばらしい神様の愛といつくしみを通して永遠の命を約束して下さっています。このすばらしい出来事を伝える者になるために、神様が次々とドアを開けて下さった事を本当に感謝いたします。

 むさしの教会と日本の人たちのために神様が私たちを用いて下さるように祈っています。『私の恵みはあなたに十分である。』と主は今も私たち一人一人に言われています。

  (2001年 1月21日 顕現節第3主日礼拝) 原文日本語

* ヨハンナ・ハリュラさんは、フィンランドのNUMMI(首都のヘルシンキとトゥルクの真ん中あたり)の出身です。小さい時からジャガイモ料理が好きで来日されてからは、すき焼きも大好き。歌がお上手で、礼拝でも讃美歌の独唱のご奉仕をしていただいています。