巻頭言   浅野 直樹

去る8月11日、むさしの教会を会場に「今知りたい、バングラデシュ」(シャプラニール=市民による海外協力の会、シェア・ザ・プラネット、オックスファム・ジャパン共催)と題して講演会が行われました。まだ記憶に新しい、日本人も犠牲者となったバングラデシュの襲撃事件を受けてのことです。長く現地滞在を経験されたシェア・ザ・プラネットの筒井さんという方がテロの背景となっている現状などを詳しくお話しくださいましたが、その中で一人の現地青年のインタビュー記事が配られました。この青年はいわゆる「リクルーター(テロ活動に勧誘する人物)」との接触経験があったということです。幸いにして彼は両親の説得などもあって深入りすることはありませんでしたが、場合によっては自分もあの青年たちの仲間入りをしていたかもしれない、と語っています。この青年に一体何があったのでしょうか…。

彼はバングラデシュの中では比較的裕福な家庭に生まれ育ちました。そんな彼は両親や周りの期待を背負って有名私立中学に進学しますが、あまり馴染めなかったようです。そこで上級生からのいじめも経験しました。大量の課題や宿題にもついていけませんでした。有名私立という体面を気にする学校の姿勢にも違和感を感じてきました。彼は次第にうつ的になり、家に閉じこもるようになり、暴力的なゲームに明け暮れるようになったようです。そんな中、モスクで非常に気さくな青年と出会います。彼は初めのうちは警戒しつつも次第に打ち解け、心の内を全て打ち明けるようにさえなりました。「久しぶりに私は誰かに理解されたと感じた」とインタビュー記事に記されています。その親切な彼が、先ほど記したリクルーターだったわけです。

私はこの記事を読んで、モスク云々は別としても、これは今の日本の青年のことではないか、と思いました。そういう意味では、あの事件は現代社会における世界的(地域的ではなく)な問題ということでしょう。いいえ、これは何も現代に限らず時代を越えた問題…、普遍的な青年たちの姿(社会に対する不満、純粋すぎる正義感、アイデンティティクライシスetc.)でもあるのだと思うのです。ということは、その青年時代に誰と出会えるのか、ということが重要になる。一見親切そうに装いながらもテロに駆り立てるようなリクルーターと出会うのか、それとも、自分もかつてそうだったように、青年たちの抱える不満を理解しつつも人生の先輩としてあるべき道筋を示してくれるような人たちと出会えるのか、ということです。

そう、これは青年の問題じゃない。私たち大人の問題なのです。私たち大人たちがちゃんと青年たちの隣人になれているのか、という問題なのです。青年たちが不安定なのは、今に始まったことではありません。むさしの教会はそんな『彼らの』教会でもありたい、と願わされます。

むさしの便り10月号より