説教「約束に満ちた『疑い』」 伊藤節彦神学生

ヨハネによる福音書20:24-29

はじめに

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがわたしたちと共にありますように。

【起】

十二使徒の一人であったトマスは、正直で真面目な人であったと思います。

信仰と不信仰の両極を揺れ動くトマスには、信仰に対していい加減な態度が感じられません。曖昧さ、中途半端さを拒否する、愚直、と申して良いほどの生き方をした人物といえるかもしれません。

トマスはディディモ、すなわち双子というあだ名を持っておりました。実際に双子であったのかどうかは分かりません。しかし、彼の中にある、信じたいという思いと、信じることが出来ないで苦しんでいる姿。この信仰と不信仰という二面性、アンビバレントな思いは、何もトマスだけのことではありません。私たちもまた、私の中にいるもう一人の私を抱える者であります。その意味で私たちもまたディディモと呼ばれる者ではないか、そう思うのです。そのような思いで、今日与えられましたトマスの出来事を共に味わって参りたい、そう願っております。

伝統的な聖書日課では、このトマスの箇所は、先週のペリコーペと一緒に、復活後第1主日に読まれてきました。なぜなら、トマスの出来事は、復活の日から八日後、すなわち一週間後に起きたことだったからです。

また、復活節の主日は、それぞれの主日に相応しい聖句による名前で親しまれてきました。復活後第1主日は「生まれたばかりの乳飲み子のように(Ⅰペト2:2)」と呼ばれています。それはイースターに洗礼を受けたばかりの「信仰の幼子達」を覚えるだけでなく、堅信礼がこの主日に行われてきた歴史もあるからなのです。

トマスは他の弟子達に遅れて復活の主に出会いました。ですから、幼児洗礼を受け、長い間、教会の交わりの中にいながらも、まだ「我が主、我が神よ」という信仰告白を自ら行っていない若者達を、教会は「遅れてやって来たトマス」の告白に重ねる形で、自らの信仰を思い起こしてきたのであります。

礼拝の中で洗礼式や堅信礼が行われることはとても重要なことです。それは、信仰が個人のものではなく、教会のただ中で起きる出来事であることを物語っているからです。そして、それは洗礼を受けた全ての者を、もう一度、その恵みの原点へと立ち帰らせてくれるからであります。

武蔵野教会では、感謝すべきことに、このイースターに1名の受洗者と2名の堅信者、そして転入者が与えられました。そのお一人お一人が、家族や多くの教会員に支え・励まされながら、そして何よりも主イエスと出会い、その信仰を告白されるに至るには、多くの迷いや悩み、葛藤があったことでありましょう。そういう意味では、ここにいらっしゃる皆様が、トマスのように、それぞれが主との出会いを経験していらっしゃる。福音書の一頁をお持ちなのであります。そして、それはこの武蔵野教会という交わりを通して与えられたもの、主の賜物であります。しかし、この交わりは生きている私たちだけのものではありません。今日、ここに江頭さんが共にいらっしゃるように、先に召された多くの信仰の先輩方を含む、聖徒の交わりでもあるのです。

【承】

さて、み言葉を見て参りましょう。先ほどお話ししましたように、伝統的なペリコーペは19節から31節までを一つの区切りと致しました。それを私たちは二週に亘り丁寧に味わっております。

先週の大柴先生の説教にありましたように、トマスを除く弟子達は、復活の日の夕方に、甦りの主イエスに既に会っております。しかし、そこにトマスだけは、なぜか共にいなかったのであります。なぜでありましょうか?

トマスは聖書に三度登場し、四つの言葉が記されています。

最初はラザロを甦らせる前の場面です。「11:16すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、『わたしたちも行って、一緒に死のうではないか』と言った」とあります。

続いて、最後の晩餐での主イエスの告別説教の中でトマスが尋ねる場面です。「14:5主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」

そして本日の25節と28節であります。

これらの言葉の中に、全ての終わりである、そうトマスが考えていた「死」のモチーフを感じることが出来ます。冒頭で私は、トマスは正直で真面目であったと語りました。彼は自分が一度決断すれば「一緒に主と死のう」と言える人物でした。しかし一方、納得がいかなければ、釘跡に指を入れなければ信じない、と語る頑なさを持っていました。言い換えるならば、人の意見や雰囲気に流されたりしない、全く主体的な人物であったと言えます。

一人だけ他の弟子達と共にいなかったトマス。彼はその時、何をしていたのでしょうか?

これは私の想像ですが、トマスは主イエスが十字架で苦しまれ、激しい叫びの中に死んでいかれた、その場面を実際に見ていたと思うのです。自分の目で、主の最期を見届けたからこそ、全てがその死によって断ち切られるかのような絶望が、トマスを襲ったのではないかと思うのです。

24節に何気なく語られる「一緒にいなかった」という動詞は、原語のニュアンスでは、たまたま居なかったのではなく、意識的に共にいることを避けたと考えることが出来る言葉です。それは、主イエスの十字架の死が、全ての終わりであるという絶望感からでありましょうか。トマスは主イエスなき今、弟子達と共に留まる理由を見いだせなかったのではなかったかと思うのです。

ですから、25節では他の弟子達が「私は主を見た」と語りますが、そのような絶望感、半ば自暴自棄となっていたトマスは「釘跡を見、触れなければ、決して信じない」と頑なに拒むのであります。しかし、そのトマスが、今、ここに仲間達と共にいるのです。

一方、弟子達にとって、この一週間に起きたことは何だったのでしょうか?

彼らも以前の弟子達ではありませんでした。皆が皆、主イエスを裏切り、逃げ去った者達であったのです。そして仲間の中で最も信頼を置いていたユダを彼らは失いました。今ここで、新たに信仰から離れ、共同体から遠ざかろうとするトマスを、弟子達はそれこそ必死に説得したのだと思います。そのような弟子達の姿の中に、教会が誕生したといっても良いと思うのです。

先ほどトマスが「いなかった」のは偶然ではなく意識的であったと申しました。それと同じニュアンスが、弟子達がトマスに主との再会を「言った」というその言葉にも使われています。つまり、一度や二度ではなく、何度も何度も繰り返し、自分たちが主と出会った体験を、それこそ代わる代わる、トマスに伝えたということなのです。ですから、八日後に再び弟子達が集まっていた時にトマスが一緒にいたのは、偶然ではありませんでした。弟子達の執り成しによって、トマスは教会の交わりに再び帰ってきたのです。

教会とは信者の集まり、という完成されたものではなく、信仰と不信仰が入り交じる場所に他なりません。互いに弱さを負い、その罪が赦されている喜びに生かされるが故に、赦し執り成し合う場であります。

それが可能となるのは、十字架で死に、陰府にまで下られた復活の主イエスが、私達の心の闇の只中に立って下さるからなのです。どんなに私たちが、悲しみや恐れ、悩みの中で心を頑なにし、心の中に鍵をかけようとも、主イエスは私たちの真ん中へと入ってこられるのです。 26節はまるで19節と同じことが書いてあるように見えます。しかし、大きく違う点が二点あります。それは、トマスが共にいること。そして、19節には書かれている「ユダヤ人を恐れて」という言葉が、ここにはないことです。

命を狙われる危険は変わっていないにも拘わらず、弟子達にはユダヤ人を恐れる気持ちは薄らいでいました。それは既に22節で聖霊を受けているからであり、「主の平和」を味わい知ったからであります。ですから、ここで戸に鍵がかけてあったその理由は、恐怖心からではありません。そうではなく、前回と同じように、鍵がかかっているにも拘わらず、部屋の中に現れて下さる復活の主をトマスと共に待つためでありました。そこに主はトマスただ一人を目指して現れて下さるのです。

主イエスは、一人一人の思いを知り、トマスにはトマスの求めに応じ、人間の持つ弱さ、愚かさ、頑なさを拒否されず、私たちのもとへと降りて来て下さいます。そして、その為にはもう一度十字架に架かることさえ厭わない、そのような激しさをお持ちです。

トマスは自分が信仰の主体としてその証拠を求めました。そして、主イエスはそれを完全に受け容れ、ご自身のスティグマタ・傷跡を差し出して下さいます。ここにトマスの回心が起きました。トマスは、傷口を触って確かめたとは書かれていません。もう必要なかったのです。主イエスの十字架の釘跡、それは、その前に立つ者の姿を、逆に問うものであります。

先ほど歌いました「あなたもそこにいたのか」という讃美歌は、そのことを深く私たちに思い起こさせてくれます。主が十字架についた時、釘で打たれた時、槍で刺された時、墓に納めた時、私たちはどこにいたのでしょうか?

この御傷は誰によってつけられたのか? 誰のためのものだったのか? そのように問われるのです。そしてこの御傷こそは、他の誰でもないこの私がつけた、私のためのものだったということに気づかされるのです。問う者として立ちながら、逆に問われる。この主客転倒を悔い改めと申します。さっきまで私が信じるとか信じないとか言っていた、私の優位性が音を立てて崩れ去るのです。信仰とは正に「信じない者・信じることの出来ない者」を「信じる者」へと変えて下さる神の奇跡に他なりません。

【転】

私たちはヨハネ福音書の20章を3週続けて学んでいます。イースターにはマグダラのマリアの記事を読みました。18節でマリアは弟子達に「わたしは主を見ました」と告げましたが、弟子達は彼女の言葉を信じませんでした。しかし、その信じなかった弟子達に主はご自身を現されました。それを見て信じた弟子達は、今度はその場にいなかった、それ故に弟子達の言葉を信じられなかったトマスに「わたしたちは主を見た」と告げるのです。そしてこれらの出来事は、28節にありますトマスの「我が主、我が神よ」という告白へと集中していくのです。言うなれば、マリアから弟子達へ、そしてトマスへ、更に私たちへと、この約束に満ちた「疑い」は受け渡されていくのです。

ところで、この箇所を読むといつも思い起こす彫刻があります。ドイツ人の芸術家でエルンスト・バルラッハが製作した「再会」と題した作品です。この作品を、私は2005年にドイツ年を記念して上野で開催されたバルラッハ展で見ることが出来ました。

今回、讃美歌の裏にコピーして頂きました写真は上体部だけですが、実際の作品は全身像です。主イエスの両肩に手をかけ、主イエスの顔を斜め下から覗き込むように凝視するトマスの姿は、かろうじて主イエスの両手によって支えられ、立っているように見えます。

と同時に主イエスの目はトマスの顔を見つめながらも、しかしその先をも見ているようです。それはあたかも、この先に続くであろう、懐疑と恐れ、愚かさに生きる無数のトマス達をも同じように受け止めようとしているかのようであります。

バルラッハの刻んだ主イエスの眼差しが、トマスのその先に、多くの信仰者達の姿を見ているように、その眼差しは「裁きと叱責」ではなく、どこまでも失われた羊を求めて突き進まれる、羊飼いであるあのお方の愛と恵みの「希望と約束」に満たされているのです。

礼拝はドイツ語でGottesdienst「神の奉仕」であります。疑い、惑い、心の中に鍵をかけてしまう、そのような私たちの弱さのただ中に、今日もまた、主は真ん中に立たれ、「あなたがたに平和があるように」と語って下さるのです。信じられないでいる私たちに御傷を示して下さるのです。そして、そのことを私たちは見えないサクラメントである説教と、見えるサクラメントである聖餐を通して、心と体で味わうことが許されているのです。

ご自分の傷跡を示される主イエスを前に「トマスは、主イエスにふれようとしなかった」とボンヘッファーは語ります。なぜなら「トマスは、もはや、自分の手も、自分の目も信じなかったからである。そして、ただ、主イエス・キリストだけを信じたから」である、と語るのです。

ここにトマスの救いがあったと言えます。自分が信じられなくなったその時、キリストの信仰が初めて与えられるのです。復活信仰というのは、理性では理解できない出来事であります。自分で掴み取ることが出来ないものです。十字架と復活は、まさに私たちにとって躓きの石なのです

先日、武蔵野広場で講演頂いた佐々木正美先生の言葉を借りるならば、自分自身の感覚や理性、決断に依り頼む「根拠のある自信」から、全く私の外側から来て下さる神の圧倒的な愛の力に身を委ねることによって与えられる「根拠のない自信」へ。これこそが復活を私たち自身に起きた出来事として信仰へと導いてくれるのです。

【結】

トマスは、「私の主、私の神よ」という告白を致します。これは十字架を知った者の言葉に他なりません。私はこの告白の中に、悪霊に取り憑かれた息子を持つ父親の言葉「われ信ず、信仰なき我を助け給へ」の叫びを聴くのです。私たちの信仰告白とは、私たちの罪の告白と表裏一体のものなのです。

私たちもまたトマスのように、どうしようもない現実の前に、恐れたり逃げたりしてしまうことがあります。主イエスの愛を疑い、証拠を求めようと致します。しかし、私たちには、先に天に召された兄弟姉妹、そして、今ここにおられる兄弟姉妹との出会いが与えられ、共に礼拝に与る恵みに生かされているのであります。この礼拝の中にこそ、私たちを、恐れから喜びへ、疑うことから信仰告白へ、逃げることから証しをすることへ、そして証拠を求めることから主イエスの前に跪くことへと変えられていく神の業が示されているのです。

「信じないままでいるのではなく、信じる者になりなさい」。そう主は命ぜられます。

命令形で語られながらも、この言葉にはトマスへの慈しみと愛が表されています。トマスの不信を責めたり詰ったりしているのではないのです。

そうではなく、復活の主イエスが今あなたの目の前に立ち、トマスが要求した全てを否定せずに受け容れて下さった、今この時、信じないままでいるのではなく、信じる者とされる時が来た、そう語って下さるのです。と同時にこの言葉は、全ての人々への招きの言葉ともなっているのです。なぜなら、トマスの抱いた懐疑、恐れ、不安は全ての信仰者が経験するものだからです。

その深い疑いから信仰へと入れられたトマスは、21章2節にその名がペトロに次いで記されるように、二度と信仰共同体である教会から離れることはなかったでありましょう。

Doubting Thomasと諺になるほど、不信仰の代名詞として名が残ったトマスであります。しかし、このトマスは伝説によれば、その後インドに布教に赴き、現在でもその名前が残っているといわれます。他の弟子達より遅れて信仰告白を行ったトマス、誰よりも不信仰に苦しみ、主を傷つけた、その一番罪深く弱かった者が、一番教会の業に用いられていく。そこに同じ弱さ、ずるさ、醜さ、不信仰を抱えた私たちに対する大きな慰めが隠されているのです。

私たちもまた、主を裏切り、疑う、一人のペトロでありトマスであります。しかし、そのような者を、キリストを通して召して下さるお方が、今日もまた私たちをこの教会の交わりの中に置いて下さり、聖霊の力を与え、生かし、お遣わし下さるのです。その命の恵みに感謝しつつ、今週もまた共に歩んで参りましょう。

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

ヨハネによる福音書20:24-29

(2011年5月8日 復活後第二主日礼拝説教)