「ああ、そうか」と言えるために  賀来 周一

パウロの言葉に「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」とあります。

コリントの信徒への手紙(二)6 章2 節の言葉です。人が物事を決定して、なんらかの変化を得ようとするなら、自らの意志によって決断をしなければなりません。意志とは現在においてのみ働くものです。意志はけっして過去に働くことはなく、未来に通用することもありません。意志は常に現在のものです。その意味からすれば、決断の時は常に「今」をおいて他にありません。

人が生活のなかで抱え込んだ問題の答えを探したり、あるいはさらに成長の機会を得たいと願うなら、それこそ「今」という時に意志を働かせて決断をすることが求められます。その意味で決断の時としての「今」をどのように受け取るかが重要となるのです。

パウロは、「今」という時を大切にしました。変化を期待するなら「今」でなければならないからです。しかも、その「今」が変化への決断を促す時であるためには、「今」の時が恵みであり、救いであるとしなければならないと言うのです。ここに込められた意味は、「今」という時は、否定されるべき時、動かし難い時ではなくて、「今」は、肯定すべき時、動的な時であって、そのような「今」が、あなたの「今」なのだと言っているのです。

その意味で言えば、「今」は静止した状態での時でなく、これから何かが始まろうとする動的な「今」であるはずです。筆者が専門とするカウンセリングでは、その学びの中で「今、ここでの気づき」をとても大切にします。人が問題を抱える時、時間の流れのなかで事態は推移します。そしてその流れの中に変化を起こし、その変化から事態を良い方向へ導くのがカウンセリングの働きです。

その変化はけっして過去にも未来にも起こりません。変化が起こるのは常に現在です。そのためにカウンセラーは「今、どんな気持ちですか」、「今、何があなたのなかに起こっているのですか」、「あなたは今どんなことを考えているのですか」と問い掛けるのです。これらの問いは「今」の自分の中に変化を作るきっかけのようなものです。

そして、たとえほんの少しでも「今」の自分の中に変化のためのきっかけが生まれると、「ああ、そうか」という言葉が出てきます。どれほど小さな変化であっても、また大きな変化であろうと言葉にすると「ああ、そうか」になります。ただ、声が小さいか大きいかはありましょうが、いずれにせよ「ああ、そうか」は、いつでも「今」を見ていないと出てこない重要な言葉なのです。自分の人生に「ああ、そうか」と言える「今」をたくさんもっている人は幸いです。

「ああ、そうか」と言うたびに、新しい変化を生活の中に発見するからです。そのためにこそ「今」という時を「恵みのとき、救いの日」にしたいものです。

むさしの便り 5月号より