たより巻頭言「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」 大柴 譲治

天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生るるに時があり、死ぬるに時があり、   (口語訳聖書・伝道の書3:1-2)

今年は本当に暑い夏でした。ようやく朝夕の虫の音に秋の気配を感じるようになりホッとしています。

8/23から五日間、夏休みをいただいて四年ぶりに妻の実家である韓国ソウルに、長女と妻と三人で里帰りをしてきました。四年前、むさしの教会からの訪問団と共に訪韓した翌朝、2006年8月26日に義母(金福オモニム)が天に召されてからちょうど四年になります。義母は私たちの訪韓を待っていてくれたかのようでした。2004年夏の米国サンディエゴのホスピス研修時に「死に行く人はその死のタイミングを自らのイニシアティブをもって選んでいるように思われる」と何人ものチャプレンから聞いたことを思い起こします。

埋葬に至るまでの一連の葬儀式が予め予定されていた訪問団の滞在期間中にすべて収まったことも不思議なことでした。ウォンシムニ・カトリック教会で行われた葬儀ミサには日本からの訪韓団のメンバーが参加してくださり、私たち家族にとっては大きな慰めとなりました。

そういえば、2003年5月にむさしの教会からの訪問団がヨハンナ・ハリュラさんをフィンランドに訪ねたときにも、長く日本伝道を支援してくださった方のご葬儀に参列させていただいたことがありました。大江健三郎が悲しみのことを南米のインディオが「人生の親戚」と呼んでいると伝えていますが、確かに悲しみは、言語や習慣、歴史や文化の違いを越えて、私たちを深いところで一つの大きな家族として結びつける役割を担ってきたことを思います。私たちはその中心にキリストの十字架が立っていることを知っています。

今年は奇しくも日韓併合百年の年でした。清渓川チョンゲチョンや仁寺洞インサドンなどの観光スポットに加えて、タプコル公園(以前は「パゴダ公園」と呼ばれていた、1919年3月1日の三一独立「万歳」運動発祥の地)や景福宮(1895年10月に閔妃暗殺事件が起こった場所。今は撤去されていますが、 1998年まではこの広い前庭に、宮殿の入口を大きく遮るようなかたちで元朝鮮総督府の建物が残っていました)などを三人でゆっくりと歩きました。 1991年8月に西教区の平和と核兵器廃絶を求める委員会(PND委員会)が行った「韓国巡礼の旅」で出会った青年たちが結婚し、現在神学生とその配偶者としてむさしの教会で奉仕してくださっていることにも不思議な天の配剤を感じます(伊藤節彦・真理ご夫妻)。その時3歳だった長女も既に22歳になろうとしています。

私たち人間の罪と悲しみに満ちたこの世の現実にも関わらず、そこに神の救済の歴史が貫かれ、神の時が備えられていることを覚え感謝したいと思います。そして主の十字架を見上げる中でパウロと共に次のように告白したいのです。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」と(2コリント6:2)

(2010年 9月号)