南九州の小さな群れ  小山 茂

《皆さまに感謝》
 皆さまから支えられ祈られ、お陰さまで鹿児島に来て5年目に入りました。10年前に職場を解雇されて神学校で学び、鹿児島で新たな生き方を与えられています。単身赴任ですが毎月妻はこちらに来て、奏楽など手伝ってくれます。結婚28年たち普通なら倦怠期ですが、離れているからまだ新鮮でいられます。今年9月に誕生日がきますと、私も65歳になり高齢者と呼ばれます。健康のためダイエットに励んでいますが、鹿児島は旨い肉・魚・野菜・果物、そして焼酎の誘惑があり、油断すると元の木阿弥になります。アウトドア(野外活動)が好きなので自然の懐に抱かれ、ウォーキングやサイクリングを楽しんでいます。歴史と文化に興味を持って様々な所を訪れ、銭湯はすべて温泉という環境を満喫しています。

《鹿児島阿久根たより》
 武蔵野教会にも月報『鹿児島阿久根便り』を送り、読んでいただいています。少しずつ工夫し改良しカラー写真も載せて、早くも来月号は50号になります。30年前に「武蔵野だより」の編集委員会のメンバーを7年間させてもらいました。当時のメンバーは、編集長大谷季姉、橋本直大兄、小出邦子姉、神学生であった中村朝美先生、石垣通子姉、もちろん賀来先生もいらっしゃいました。月に一度土曜夜に編集会議が開かれ、大谷姉が電話をかけて寄稿者の承諾を得て、てきぱきと割り振りが決められました。月報の編集後記は私が担当し、今読み返すと当時を懐かしく思い出します。その経験が役立って、鹿児島でも文書伝道としての月報を大切にしています。読んでくださった方の応答が、私の力と励ましとなります。鹿児島と東京は千㎞離れていますが、皆さまのお顔を思い浮かべながら毎月発送します。最近の月報は私の趣味のようになり、取材と称して好奇心から出かけ、読まれる方も楽しんで欲しいと願っています。何よりも手に取られた方に、読んで欲しいと祈っています。

《鹿児島と阿久根二つの教会》
 日曜毎に奇数週が鹿児島、偶数週が阿久根で私が礼拝・説教をいたします。一人の牧師が二つの教会の礼拝を同時に行うので、牧師のいない教会へTV会議システムを使って、音声と映像を光ケーブルで送信します。最初はカメラとマイクの前にいるアナウンサーのようで、戸惑いましたが今では慣れました。礼拝の始まる前には、互いの教会員が相手の顔を見ながら、近況を話したりします。鹿児島に住んで阿久根まで車で往復する距離は150km、朝8時半に出発し10時に到着します。途中東シナ海を望む車窓からの景色は、気持ちを爽やかにしてくれます。青い大海原の水平線、白い波頭が砕ける中、サーフィンを楽しむ若者が見えます。時折教会員から蜜柑・びわ・ジャガイモ・大根・筍などをいただきます。行きつけの道の駅や産直店で、薩摩揚げや甘夏を買い求め、新鮮で旨い食材を見つけるのも楽しみです。

《教会も高齢化の悩み》
 鹿児島と阿久根も教会員の高齢化が避けられません。ある礼拝の折、出席者のうちで一番若いのが私でした。この地域は若い方の働く場が充分になく、皆さま就職には苦労されています。それは、鹿児島県の最低賃金時給¥654という数字に表れています。また、大手電機メーカーの工場閉鎖が相次いで、五百名単位で配置転換や雇用喪失があります。残念ながら若い方々を教会に集められず、青年会や教会学校が開けません。50年前佐藤邦宏先生の時代は鹿児島大学の学生であふれ、何組ものカップルが生まれたそうです。何とか打開できる糸口を探しながら、主の助けを皆で祈っています。

《小さな群れの恵み》
 武蔵野教会からみると、鹿児島と阿久根二つの教会は小さな群れです。しかし、小さいがゆえのメリットがあります。牧会が丁寧にできるという恵みです。礼拝に来られない方を憶えて、電話し訪問し祈り、誕生カードを送ります。両教会に歩いて来られる方はお一人、自転車やバスを利用される方は数人、多くの方は車で30~60分かかります。ある方は対岸の大隅半島から車・バス・フェリーを利用され、礼拝出席は一日仕事となります。お一人お一人が遠くから、礼拝のために来られます。来てよかったと思われる礼拝と説教を心がけています。説教を語る難しさは相変わらず、日曜早朝の90分間の原稿を読み直す集中は、私が一番大切にしている時間です。鹿児島と阿久根の両教会の礼拝出席者が、合わせて15名を超えるよう祈っています。今できることを精一杯させてもらい、主が支えて助けてくださると信じて牧会に励んでいます。  
      
在主。

むさしの教会だより 2013年7月号