説教 「燃える心」 L・キスラー

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。




復活後第2主日

 ルカによる福音書24章13~35節

 神様の愛、イエス・キリストの恵み、聖霊の交わりがあなた方と共にあるように。アーメン。

 先ず最初に少しだけ日本語で話をさせて頂いて、その後は賀来先生に皆さんがはっきり分かるように通訳していただきたいと思います。私が英語で言います時に。私の言うことだけじゃなくて、良い言葉に直して下さい。(笑)

 この説教台、この教会は本当に懐かしくて何よりも皆さんに感謝したいと思います。もう一度お会いできて何よりも、長い間こちらでご奉仕をさせて頂きまして、今日色々なところから、武蔵野教会とか、バイブルクラスのメンバーとか、日大二高とかからいらして頂きまして本当に感謝いたします。私は今日自分で約束したのですが涙を出さないよう決心しましたけれども、そのかわりみんなニコニコして下さい。その方がよさそうだろうと思います。家内はどうなるかなあと思います。懐かしい方たちがいっぱいですので。礼拝後こちらで集まりがありますのでその時に何年かぶりですのでいろんな事がありましたのでその間の事をお話しして下さい、私たちもその間の生活の事を話させて頂きたいと思います。

 それでは賀来先生は「かく」でしょう。私は「キスラー」だから「かき」先生に説教させていただきたいと思います。

 最初に少し聖書の話をしたいとおもいます。

 イエス様の二人の弟子がエマオという村に行く途中の話であります。ここ数日の間にエルサレムで起こりましたいろんな事を互いに話し合っておりました。ところが突然もう一人の人が一緒に歩き始めました。

 その人と話し合っておりますと、何か心の中が内に燃えるような思いがいたしました。さらに歩きながらいろんな話をしておりました。それで、そこに一晩泊まることにいたしまして一緒に食事を共にすることにいたしました。一緒に歩いていた、もう一人の人は食事の時にパンをとって裂きこれを祝福して皆に与えました。パンを裂くということからこれは復活なさったイエスだということが良く分かりました。復活なさったイエス・キリストがいらっしゃることを知って、心がまことに内に燃える思いがいたしました。

 まことに復活の主が共にいまし給うということでありました。彼らの信仰は堅くされまして、主の弟子として宣教の任に遣わされていく事を確かにしました。

 このことは実は私どもにも起こることでもあります。今日は特に私たちはこの場で聖餐式を共にいたします。聖餐を共にいたします時、私たちの心は燃えて、ここに主がいまし給う事を知るのであります。そして私たちはここに同じような体験を共にいたします。

 私どもがそうであります。ここで私は自分のことを申し上げたいと思います。それは十八歳の時のことであります。私は東京で軍隊におりました。私の父は神学校におりました時に一人の友人を持っておりまして、その人の名前は「あさじのぼる(浅地昇)」という方でありました。父は「息子が東京にいるようだから教会に連れていってくれ」と手紙を出したようでありました。ある日曜日の朝、私のところに参りましてドアをノックいたしました。その人は「これから小岩の教会に行こうじゃないか」とおっしゃいました。東京駅から電車に乗りまして、それは大変混んでおりまして足の踏み場もないほどでした。それは初めてアメリカ人とその仲間から離れて、たった一人で日本人の中に入る体験でありました。大変びっくりし恐れました。いったいどうしたら良いか分かりませんでした。

 小岩に着きまして町に出て教会の玄関に参りました。それは牧師の家でありました。それは戦災で焼けて教会がなかったからでありました。十五人くらいの人の集まりでした。椅子に座るようになっていて、第一に讃美歌を歌いました。それは私も知っている讃美歌でした。さっき歌った「麗しき我が救い主」でした。それはずっと小さいときから歌った讃美歌でした。皆は日本語で、私は英語で歌いました。牧師は立って小さいノートを見ながら説教しておりました。これはどこでも同じことだなぁと言うことです。そして主の祈りを祈り始めました。最初の言葉は「天にまします、われらの…」それは「私たちの」という意味であります。そこにいるのは日本人、違った人たちであります。しかし「私たちの」と申しました。「私たちの父」と。これは本当の事だろうか、ここにいる人たちは私たちの敵ではなかったか、でも、一緒に座っていて「私たちの父」と言っている。私は見回して敵がいるのに家族がいるような気がいたしました。ここにいるのは自分の本当の兄弟であり姉妹であるのではないだろうか。これこそ私の最初の信仰的体験でありました。

 その時私の心は内側で燃えました。それは丁度このエマオ途上での弟子達と全く同じ体験でした。このようにイエスが心を内に燃やして下さいましたから、いつかまた日本に戻って来ようと思いました。おそらく皆様方もこう言った同じような体験をしていらっしゃる事と思います。

 私はペンシルヴェニアのアーレンタウンに戻りましてミューレンバーグ大学に入学いたしました。私はチャペルのチャプレン助手としてそこで働くことになりました。

 仕事のためチャプレンのオフィスに参りましてチャプレンと話をしました。そのチャプレンは実はホーン博士でありました。ホーン先生は直ぐそこにありました神学校の教授であり校長でもありました。彼は私の肩に手を置きまして「私は日本に戻ることは出来ないけれども、お前さんは行くんだ」とおっしゃいました。これは私の第二の体験でありました。これもまたイエス・キリストが私の内を燃やして下さったのであります。その時はこれが私にとり、どんなに重要な言葉であるか分かりませんでした。

 神学校を終わりましてフロリダ州のオーランドに参りました。その時のオルガニストがここにいらっしゃるドロシー・スティーブンバック(旧姓)さんでありました。丁度ここのようにピアノが下にあり、私は上におりました。いつも私の眼はどこに注がれていたかは皆さんご承知の通りです。

 次の教区の会議でこんな事が起こりました。世界宣教局の主事がやって参りまして「どうだろうか、宣教師としてお前日本に行かないか」と言うことでした。これがまた次に私の心が内に燃えた体験でした。私のエマオへの道がもう一度私の中に起こったということであります。その時私は小岩のルーテル教会の状況を思い出しておりました。一緒に座って「天にまします我らの父よ」と祈ったときの事です。神様が私に大きな事を起こして下さいまして共にそこにいる事ができ、そして「私たちの父」と言わせて下さる、そういった事がありました。イエスがあのエマオ途上の弟子達と一緒に歩いて下さったように、私たちとも一緒に歩いて下さるということです。

 私は武蔵野教会で十八年間過ごさせていただきました。そして共に心が内に燃える体験をいたしました。皆様方のお顔を拝見しておりますと、ご一緒に話したことや、お家に招かれて話をした中で、イエスが共にいて下さって私たちの心を燃やして下さった、そんな多くの物語を思い起こしております。

 もう一つの話をしましょう。一人の青年がおり、ルーテルアワーを聴いておりました。一年間ほどその放送を聴き、通信教育を受けました。ルーテルアワーは近くのルーテル教会に行くように勧めたわけであります。当時の「神学校前」というバス停を降りてこちらに歩いていらっしゃいました。私は教会の前に立っておりました。彼は私の白い顔を見て向こうを向いて帰ろうとしました。私はびっくりして彼を追いかけ日本語で話しかけました(自分では日本語だろうと思いました)。しばらくそこでおしゃべりして「この教会は外国人のための教会ではないかと思った」「いや、私と家内と子供たちだけが外国人です、どうそお入り下さい」それでやって参りました。それで祈祷会や聖書研究会に出席いたしまして、ルーテルアワーの同窓会にも出ていらっしゃいました。その会合に若い婦人がやって参りました。その方は私の肩をたたいて「彼女は私のお嫁さんになるのだ」と言いました。「どうしてあなたは彼女がお嫁さんになると分かるのですか」「ご心配なく、彼女は私の妻になるでしょう」それで、「どうぞまたやって来て下さい。とても良いニュースがありますよ」と彼女に伝えました。それから二人が聖書研究会と祈祷会にやって来るようになりました。そして結婚したいと言うわけでした。ここにおられますし、また素晴らしいお子さんたちもいます。素晴らしい家族であります。

 そういう形、いろんな形で神様は心を燃やして下さるのであります。このことが教会とは何かという意味であります。皆さま一人ひとりをエマオへの道の体験へと連れていって下さいます。キリストは私たちの心を燃やして下さいます。まことに主は世界の救い主でいまし給います。ご一緒に「私たちの天の父よ」と祈りましょう。まことに主は一つでいまし給い、私たちを神の子として下さいます。

 何が起ころうとも、箸であろうとナイフとフォークであろうと、布団だろうとベッド打老と、梅干しであろうと、そんなことは問題ではなく、一緒にして下さいます。

 「私たちの父」

 神の祝福がありますように。

(1993年4月25日)